ラジオの更新と私事
はい、おはようございます。たけしです。このラジオでは、ブログやSNS歴5年で累計6000万円以上稼ぎ、そこから心理学を3年以上学んで、心理学講座、リライフ大学で起業した僕が、自由に自分らしく自律的に生きるためのヒントを1日1つお伝えしていきます。
というわけで、今日火曜日ですね。本日で僕のラジオの毎日更新、初めて17日目、17本目のね、撮影、収録をね、させていただいております。
いや素晴らしいですね。もう17本になるんですね。かなりその11日に始めたんですけれども、今月の17日か、かなり遠くまで来た感覚はありますけど、
17日でこれぐらい遠くに来た感覚があるのであればですね、30日、2ヶ月、3ヶ月、4ヶ月と続けていったらどんな景色になっているのか、今からすごくね、ワクワクドキドキ楽しみですね。
はい、でちょっとね、私事になるんですけれども、前2週間ぐらい前の放送で言及させていただいた、僕の祖父が急遽亡くなりまして、
で、そこからですね、明日、明後日、本日、本日と明日にですね、お通夜とお葬式があるっていうところで、かなりね、バタバタしているというか、
気持ちも落ち着かないところがありますし、僕自身ももちろんこう仕事のスケジュールとかかなりこう変更させていただいて、やろうと思っていたことがね、やっぱりちょっと一部諦めざる、
諦めるってわけではないですけど、ちょっと予定をね、変更する必要があったりして、まあそんな感じですと。まあでも祖父はもう96歳になる手前、もうほんと直前でね、
ほんと95年と10ヶ月ぐらい生きてきて、もうほんと素晴らしいなと。
ほんとなんかもう安らかに眠っていったというか、最終的にはもうご飯を食べることができなくて、
もうなんか、老衰と、ちょっともう餓死に近いですかね、ご飯をもう、あの、
餓死っていうのはあれですけど、もう老衰にほぼ近いような亡くなり方をして、
おそらくですけど、本人はそこまで大きな苦しみを伴わないでですね、まあ亡くなっていったかなと思います。で、がんとか肺炎とか、その他、
疾患って言うんですかね、大きな病気にならずにここまで大養生することができたっていうのは、
すごく僕も誇らしいですし、一つね、生きる勇気っていうのを与えていただいたかなっていうところがあるので、本日と明日2日間かけてですね、
お送り出していきたいと思います。で、まあ僕としてはもうこのラジオはですね、もう毎朝早朝に撮っているので、そんなにスケジュールにね、
なんていうんですかね、支障がないというか、もう毎日の日課としてね、祝々と撮影をさせていただければと思います。
ただ明日だけね、明日だけその葬儀場が2時間半、祖父の実家の方で葬儀をするので、またちょっと全く違う環境、しかもかなり親戚が一同やっぱり集まりますので、
もうなんて言うんですかね、その全く別の環境で明日ラジオ1本撮るっていうところがあって、なんかちょっとワクワクしてるんですよね。
あの土田家なんですよ。土田家で海がめっちゃ近くにあって、漁港町なんですよね。高知県の漁港町なんですよ。
で、僕の祖父も魚屋さんをやってて、もともとは漁師をやってたんですけど、そこからもう体力が、体力がないということで、
50代60代くらいからね、魚屋さんになったんですけれども、そうそう。
なので、なんて言うんですかね、こう全く違う環境で1本ラジオ撮影するっていうのは、僕的にはね、結構楽しみだし、
今日ね、一泊無効でするので、初めて息子とね、温泉に、親戚一度帰すので、もうなんかお風呂は使えないなっていうところがあるので、
まあ僕とね、僕家族がちょっと温泉近くに、片道10分15分ぐらいのところに温泉があるので、そこで息子とね、3歳の息子と入れるのがちょっと楽しみかなというふうに思っております。
自意識過剰の影響
はい、というわけで若干、私ごとの話が長くなったんですけれども、今日のテーマはですね、
自意識過剰がやりたいことを、あなたの自意識過剰がやりたいことを制限しているという話をしていこうと思います。
はい、そうですね、僕自身はものすごく自分の才能を発揮したいとか、本当のやりたいことを見つけたいとか、
たくさんね、そういう思い、本当にやりたいことは何だろうみたいな感じで、たくさん2020年ぐらいから内省を続けてきて、
ずっとね、ビジョンは何だろうとか、自分の大切な価値観は何だろうとか、好きなこととか得意なこととかっていうのは何だろうみたいな感じで、
ものすごく内省をしてきたわけなんですけど、なんかなんとなくこっちが気がしているのに行動できないというか、なんかうまくできないみたいな感覚がずっとあったんですよね。
で、その呪縛から解放されたのが本当に今月ぐらい、なんか先月の終わり頃から今月ぐらいに、そのね呪縛っていうのが解かれたんですけど、多くの人がやっぱりやりたいことをやりたいとか、好きなことをやりたいとか、自分の好奇心に向けて行動したいと思っていると思いますと。
で、おそらく8割9割の人がそう思っていてなかなか行動できない。ただ残りの1割2割ぐらいの人がそう本当にやりたいと思っていること、まあこれ程度問題というかね、もちろんその
まあ程度問題なので100%できてる人はそこまでいないかもしれないんですけど、まあでもね、やっぱりフットワーク軽く挑戦できてる人もやっぱりいるなっていうところがあって、その2人の2人というかその2パターンの差はどこにあるのかっていうと、もうこれはね僕が心理学を学んできてこれじゃんっていうふうに思っているのが1点があって、それが自意識過剰なんですよね。
自意識過剰、つまり人からこう思われてるんじゃないかとか、人からどう思われるんだろうとか、比較競争で負けたくないとかですね、そういう思いが自分のそのフットワークの軽さっていうのを著しく
著しく制限しているというところがあります。なので、あとはお金の不安とかもね、実は私は評価すっごい紛れ込んだりしてるんですよ。
例えば新しい挑戦をして失敗しちゃってお金がなくなって人よりも質の低い生活になっちゃったらどうしようと潜在的に思ってたりするんですね。お金っていろんな意味合いがあって
すっごいそれがね、あの見にくいというか複雑な感情をやっぱりね、こう感じさせるのがお金なので、そこらへんが見にくくなってるんですけども
お金にもですね、やっぱり見えとか比較とか、もちろん私は評価っていうのは含まれているので、お金の不安っていうのも実は自意識過剰が生んでいるんですよ。
はい。なのでこのね、自意識過剰っていうのをどうやって手放していくかっていうのがめちゃくちゃ大事です。
自己需要の重要性
あの、なんで自意識過剰っていうかっていうと、僕自身はそうだったんですよね。なんか変に完璧主義というか、変に成果を出さなきゃいけないっていうふうに思っているので
なんて言うんですかね、その行動が重たいんですよね。本当に行動が重たい。例えば、自分らしく生きるための発信を始めたい人からどう思われるんだろうと思っていたら、一旦こう立ち止まらなきゃいけなくなって
じゃあ入念な戦略を立てようみたいな感じで、僕ね、ほぼ毎日のようにこう戦略を立てるための時間を費やしてたんですけど、毎回出てくる答えが一緒なんですよ。
結局今できることってそんな多くないんです。限られてるんですね。なのにたくさん戦略を立てて、こんなんじゃダメかも、こんなんじゃダメかもみたいな感じで、一向に実行に移さないみたいなことを繰り返していました。
はい、これなんですよね。自意識過剰っていうのが実は皆さんね、気づいてないというか、気づいてるんだけどないことにしてるというか、自意識過剰なんてこう
向き合ってる暇がないというかね、そんな感じで、なかなかこう、なんていうんですか、自分のやりたいことができない人生になっていると。
はい、で、どうして自意識過剰になるのかっていう話なんですけど、もうこれね、本質的な話をすると自己否定が強いからですね。
自分への自己評価が低いイコール、まあ自己評価が低いイコール、僕は自己否定が強いっていうふうにお伝えしてるんですけども、
自己否定が強い。なので、ありのままの自分ではダメだっていう信念、ありのままの自分には価値がないとかね、そういう信念が強すぎるあまりにですね、人から自分の価値を認めてもらわない限り、自分の価値を測れないみたいな、自分の価値を、こう、自分の価値を、自分に価値があるっていうふうに認めることができないみたいな感覚になっている。
だから、なかなかですね、こう、自分のやりたいことができない。本当の問題っていうのは、自意識過剰のさらにその奥底にある自己否定なんですね。
自己否定が強いと自分のやりたいことができないっていう現実が起こっていくので、このね、自己否定と上手に向き合ってあげる必要があります。
で、この自己否定をどうやって手放していくのかっていうとですね、もちろんいろんなアプローチはあるんですよ。
具体的に言ってしまえば、内政と行動っていうのを繰り返していくしかないんですけれども、一つ大事なキーワードがあって、それが自己需要なんですよ。
自己需要。つまり、あれのままの自分をそのまま受け入れるっていうことです。ダメな自分も含めて自分は自分でいいよっていう感覚を養っていくっていうのがものすごく大事になってきます。
これが自己否定を手放すための本質ですね。いろんな心理学の本、それこそアドラー心理学もそうですし、他の心理カウンセラーの方の書籍もそうですし、そういう自己否定とか自己評価についての書籍とかね、読んでても本当にみんなもう口をそろえて自己需要っていうワードが必ず出てくるんですけど、
なんでこれ避けては通れないというか、本当にね、僕は基本的に2人以上の著者が同じようなことを語っていたら、僕はそれを一旦信じるっていうふうに心に決めているんですけれども、でもね、もう2人どころじゃないんですよね。
100人ぐらい言ってるんですよね。具体的に100人に名前を挙げろって言われてもそれはできないんですけど、僕の感覚、100人ぐらいは自己需要が大事って言ってるんですよ。
じゃあもうこれはね、心の話って見えないので、事実確認っていうのは本当の意味ではできはしないんですけれども、でももう自己需要が大事だよねっていうのはもう分かりきってることですね。
で、まあこれを人によってはセルフコンパッション、つまり自分に優しくする、自分への思いやりみたいなふうに言ってる人もいますね。
でもこれが重要なんですよ。みんなね、なんていうんですかね、自己否定しすぎなんです。自分に厳しいと自己否定っていうのはちょっと違うんですね。
自分に厳しいっていうのは、自分を成長させるためにもっとやれるよっていうふうに背中を押すっていうのが自分に厳しいだと思うんですけど、
自己否定っていうのは、なんで自分はダメなんだとか、このままの自分じゃダメすぎるとか、もっと認められる人にならないとみたいな他者軸がすごい介入してくる。
自分に厳しいっていうのは自分軸というか、自分が自分のことをもっとこうすればいいんじゃないかっていうのが自分に厳しいなんですけど、
自己否定っていうのは他人軸的な目線が自分から自分に向けられている。
お前こんな奴じゃダメだぞ、あの人に認められないぞ、負けたらどうすんだよ、恥ずかしいじゃん、そういうのが積み重なって自己否定が募って、その自己否定が自意識過剰につなげているというのがあります。
僕自身もね、僕自身の歴史っていうのは、今31なんですけれども、これまでの、物心ついた時から自己否定があったんですよね、今から振り返ればね、正直言えば。
記憶が鮮明になってきているのが、大体8歳ぐらい、小3小4ぐらいの記憶があるので、おそらくその頃からは少しずつ始まっているんですよね、自己否定がね。
やっぱり学校で良い成績を取らなきゃいけないというか、真面目に勉強しなきゃいけない、そうじゃないと良い大学行けなくて、社会人としてうまくやっていけないみたいなのが入ってたんですよ、もう小4、小4ぐらいには少なくても入ってましたね。
だってもう小4から塾行ってますからね、小5小6で塾に通って、結局中学受験、僕は失敗するんですけれども、でもそうですね、やっぱり自己否定はあって、でもなんかね、
僕は自己否定が強いんだけど、結構素直な気持ちがあるというか、自分らしく生きたいという気持ちもあったので、やっぱりこういう仕事に従事できているのかなとも思っております。
ただ一番自己否定が顕在的に強くなっていったのはやっぱり高校からですね、15、16、17、18ぐらいの間にものすごい自己否定感というのが強くなりましたね。
その時に初めて、いわゆる僕は高知県にいるんですけど、受験の偏差的に高知県下1の東大とか京大とかも行く人がたくさんいるんで、お医者さんの息子とかたくさんいるんですけど、
都差というところに入学してですね、そこからすごい人と人と比べるようになったし、中学時代からあったはあったんですけど、それがより顕在的に表に出るようになっていったのが、大体高校時代からですね、大学になったらもう就職先がどうだこうだみたいなところですごい比較していましたし、これが実は自分の
自己否定の起源
可能性を縛っていたんだなっていうのは今から振り返れば思います。やっぱり自分の好奇心とか死んでますし、自分の純粋なこうしたい、ああしたいっていうのも死んでいるので、人なので多少他人の目を気にするとか他人に配慮するっていうのはもちろんあるんですよ、それはそうですよ。
ただなんかこう純粋なこういうことがやりたいんだ俺はみたいなものに突き従えなくて、どちらかというと安定とか安心とか人から評価認められそうなことみたいなことを追求していったのが本当に30歳ぐらいまでの僕の人生だったなというふうに思います。
ただね、ただね、自己否定が強い人っていうのは言ってしまえば簡単に言えば自己否定が強い親から育てられているわけなんですよ。このからくりがある。だからその代、僕前に一人息子がいるんですけれども、きっとですね、僕の今自分のね自己否定と向き合ってるんですけど、おそらく息子も僕の自己否定を引き継ぐわけなんですよね。
きっとまあもちろん母である僕の妻もそうだと思うんですけど、僕と妻の自己否定っていうのを息子は引き継ぐんですけれども、それをねできる限り軽くしてあげたいというか、もう無理は完璧に自己否定を削ぐなんてことは多分無理、無理、無理、無理というかまあそんなとこね、なんか自己否定を自己否定したらそれはね自己否定のループにはまるので、もうしょうがないんですよ、しょうがない、もう遺伝に近いですね、自己否定はもう本当に遺伝に近いぐらいループしていくので。
ただまあ息子をありのままの息子として受け入れるためにはその前提としてまず僕の中にある自分が自分で否定しているところを統合してあげる必要があるんですよね。これが大事なんですよ、統合っていうのは受け入れるってことですね。
僕はねまだあるんですよね、やっぱり頭が良くないとダメじゃないかとか、やっぱり成果というかね、能力というかね、生きていく力をつけていく必要があるんじゃないかとか、これはもう当たり前じゃんかって聞こえるかもしれないんですけど、これはね他者評価的になんですよね。比較的になんかやっぱり頭が良くならなきゃいけないんじゃないかとか、こういうことに詳しくなっていかなきゃいけないんじゃないかっていうのがあるんですよ。
ここなんですね、これがまだ僕の自己否定があるところだし、おそらくこれが息子とかにね引き継がれていくんじゃないかなというふうに思っているので、しょうがない、もう結構諦めてるというかもう受け入れちゃってますね。引き継いだら頑張ってですね、大人になってから解除に向かってほしいなというふうに思ってはいるんですけども。
できる限りですね、僕自身はこれまで引き継いできた自己否定っていうのを自分の代である程度のところまで掃除させていただいて、息子の代になったらそれをまたさらに息子が解除というか掃除してくれて、僕の孫の代になった時にものすごいキラキラ目を輝かして、自分らしく意図味のある生活を送れるような子孫が残っていければすごくいいなというふうに僕は思っています。
これまでの歴史っていうのは人類の歴史っていうのは本当に有史以来はずっと自己否定のループだったんですよね。戦争とかも極端な話をすればもう自己否定から生まれてるんですよね。もうあいつら信じられんみたいなね。
それは自分にも信じられない部分があるから、じゃあもう先制攻撃するか。あいつらに経済的に負けちゃったら俺たちが危なくなるから先に攻撃しとくか。ウクライナがNATOに入ったら俺たちやばいから国際的に立場がなくなるから攻撃しようみたいなね。
やっぱりね、自己否定のループっていうのは本当にあって、背景主義とか経済市場主義とか、つまり成長さえすれば正義であるみたいな価値観っていうのはやっぱり自己否定が強いかなというふうに思いますね。
なのでこのループを僕の台でできるだけ掃除して、軽い自己否定で僕の息子にバトンタッチできればいいんじゃないかなと思いますね。
なのでこうしなきゃいけないとかこうあるべきみたいなものを僕の中でもできるだけ排除しながら、息子にもそういうふうに接していければ最高なんじゃないかなというふうに思っております。
で、そうですね、さっきお伝えしたように自己否定っていうのは自己否定している、自己否定が養われるのは自己否定している親から育てられるからそれが引き継がれますよ。
つまり自分のせいじゃないんですよね。環境のせいなんですよ。もちろんなんか自己否定がなければおそらく今頃なんかたくさん海外経験とかもしかしたらいろんなね、好奇心を発揮してなんかやりたいことができるって言うんじゃないかなとも思いますし、
もしくはもっと肩の力が抜けて自分でやりたいことが好きなことができてるんじゃないかなと思うんですけれども、これがね僕の宿命というか運命なんですよね。
自分の顔ってまあ今は整形ができますけど昔とかでも受け入れるしかなかったじゃないですか。自分の性別なんて基本的には変えられないじゃないですか。
自己否定の軽減と修行
僕はやっぱり男として宿命的に生まれてきましたし、この体型、この顔、この脳、この遺伝、この遺伝子で生まれてきているわけで、おそらくねもう親のもとに生まれてくるっていうのも宿命で運命としか言えないんですよね。
なんかもうちょっとスピリチュアル的な話になれば本当になんか神というかね大いなる宇宙が僕をねここに今導いているわけなんですよね。
人生で起こることは全て良きこと、全ては大いなる何かに導かれている。自分が今この環境にいることが最善であるとすれば僕はどう生きるかっていうのが僕がね今引き継いでいる生き方じゃないですか。
もう事実としてそうだと思うんですよね。もう無理じゃないですか。自分の命を変えることなんて死ねば一回で終わりなんで。死んでも変わらないじゃないですか。
なので僕はねこの自己否定っていうのを向き合っていきますし、人のね自己否定感、自己肯定感の低さっていうのを軽くするサポートっていうのが今のところね僕の役割だし、
全部やります。僕がやりたいこと全部やります。なのでもうそれも一つだし、いろんなことにやっぱり知的好奇心を発揮してですね、いろんな世界を見ていくっていうのがもう僕のやりたいことというかもう
僕のこれ運命みたいなもんだと思っているので、そのためにね祝々と今日も一本ラジオ撮らせていただきました。はいじゃあどうやってじゃあその自己否定とか
自己否定を軽くして自意識過剰を手放していくんだっていう話なんですけども、これはね本当に一つね
ある種の修行みたいなものが必要なので、自己否定が強ければ強いほどですね、そのこの修行っていうのはよくわかんないと思いますので、ぜひですね僕のプログラムとか
そこらへんをね、僕のプログラムとかを期待してお待ちいただければと思います。というわけで今回の放送は以上になります。また明日僕、葬儀場でね
葬儀場からですね、お伝えしていきますので、それではまた今後ともよろしくお願いします。というわけで本日もいってらっしゃい。