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おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
インドヨーロッパ祖語の基礎知識
今回取り上げる話題は、インドヨーロッパ祖語の故郷はどこ?
という問題です。
この番組は、英語の語源が身につくラジオということで、単語の語源についていろいろ話題にすることも多いわけですね。
その際に究極的な語源が、インドヨーロッパ祖語にある。
イン・オウ・ソ・ゴですね。インドとヨーロッパの漢字で書いて、イン・オウ・ソ・ゴと省略して日本語では言うことが多いんですが、
ここに遡るというふうに言及することが多い。
ですが、この大元のインドヨーロッパ祖語というのは、そもそも何なのか?
それはどこにあったのか?どこで話されていた言葉なんだ?という非常に基本的なことを、今まで解説したことはなかったということなので、今回取り上げたいと思うんですね。
これは、およそ合意されている、受け入れられている定説っぽいものはあるんですが、異論もないではなかったりして、いろいろと問題含みではあるんですけれども、教科書的な今日は話をしたいと思います。
まずこのインドヨーロッパ語、インドヨーロッパ祖語ですね、祖先の祖です。大元の言語で、英語ではProto-Indo-Europeanというわけなんですが、こんな名前がついているのは、実は東はインド、そして西はヨーロッパの果て、イギリスはそうなわけですけどね、そこまで分布していた非常に広い言語圏と言いますかね、語族、言語の家族です。
Language familyというわけですが、この広いユーラシア大陸の西から東、実際はインドで留まらずに、実は現代の中国の辺りまで分布していたトカラ語なんていうのもかつてはあったということで、ユーラシア大陸の非常に西から東、広い範囲にかけて分布していた有力な言語圏ですね。
これをインドヨーロッパ語族と呼んでいて、その大元は実は一つであった。これがインドヨーロッパ祖語とですね、近現代になって名付けられた、後から名付けられた名前なわけなんですけどもね、これで一般に通っています。
クルガン文化の役割
さあ、この故郷、故地、ホームはどこなのかという話題に迫ります。最も有力な仮説によりますと、このインドヨーロッパ祖語、インオー祖語ですね、Proto-Indo-Europeanは、ロシア南部、今問題になっているウクライナであるとか、それからカザフスタあたりのステップ地帯ですね、
ロシア南部のステップ地帯に故郷があったのではないかと考えられています。これは言語学というよりも考古学の成果によるところが大きいんですけれども、このロシア南部、今のウクライナの南部あたりですね、この辺にクルガン文化と名付けられることになったんですが、こういった文化が紀元前4000年期、
今から6000年前、5、6000年前というイメージで捉えていただくといいと思うんですけれども、ここにですね、このロシア南部のこの地域にこのクルガン文化、英語ではThe Kurgan Cultureというわけなんですが、これが栄えていたということが考古学的にわかっています。
で、このクルガン文化の担い手こそがまさにインオウソゴの和社だったんではないかという説が比較的優勢となっているということですね。
この説が最初に唱えられて有名になったのは、考古学者ギンブタスがですね、1963年の論文でこの学説を発表したと、ここからですね、非常に有力な仮説になったというわけです。
私自身も考古学は全くの門外観です。
なので、このギンブタスの論文は読みましたけれども、あくまで素人として読んだということなんですが、もちろんこれはインオウソゴという言語学に非常に関係の深い話題ですので、これは私も読まないわけにいかなかったということなんですね。
その論文の骨子、これをざっと解説したいと思うんですね。
まずですね、従来このギンブタスの論文以前はですね、インドヨーロッパ語族と言われるぐらいですから、ヨーロッパからインドまで非常に広いエリアですね。
ユーラシア大陸の西から東までに分布している諸言語がですね、もともとルーツは同じだろうということは既に近代記から気づかれていたんですね。
これに最初に気づいたのはヨーロッパ人です。
なのでヨーロッパの言語がなんと東の果てインドあたりまで実は関係しているということに驚いたわけですよね。
そうするとヨーロッパ人の考え方としてはですね、スタートはヨーロッパだったに違いない。
それが東にどんどん波及してインドにまで到達したんだと、つまり自分たちが起源だとどうしても考えたくなるということで、この学説が一般的だったんですね。
ところが考古学的にはヨーロッパからこの起源前4000年期あたりですね、どんどん東に民族移動が起こったという形跡はないんですね。
つまりうまくこれ説明できないということになるんです。
逆にもうちょっと中心地をヨーロッパではなくて真ん中とか東に寄せると、そこから西にヨーロッパ方面に波及していったんだと考える方が、実は考古学上いろいろ事実に照らしてですね、こっちの方が十分にあり得るという話になってきたわけですよね。
そこでギンブータスが取りまとめる形でですね、東にあった、具体的にはロシアの南部あたりなんですが、これが東西南北に散っていた、西に行ったものはもちろんヨーロッパまで到達したというような仮説を立てたんですね。
これは全くの空理空論ではなくて、やはり考古学的なある種の後ろ盾、証拠的なものはあるということなんですけれどもね、細かいことはそれこそ考古学の専門的な領域なので私もわからないんですけれども、紀元前、三前年期前半のユーラシア大陸のステップ地帯には活発な東西交流があったということが知られています。
そしてこのクルガン文化の存在が浮き彫りになってきたわけですね、ロシア南部です。
クルガンっていうのはこのロシア語で塚とか古墳という意味です。
死者を土を持った塚に埋葬したという文化がここにあったということで注目され、さらにこれが陰陽祖母の担い手ではないかということで、ますます注目されるようになったということなんですね。
このクルガン文化の担い手は長頭で背丈が高い、そして華奢な人々だったとされています。
そして紀元前三前年期にはすでにいくつかの変種に分かれているということですね。
そして小規模な集団で丘の上で反遊牧的な生活を営んでいたと考えられる、強力な王貴族によって統治される組織的な集団で実写を持っていた。
そして紀元前三前年期後半には西に移動してヨーロッパ各地を征服して、自らの言語を押し付けていったと。
これがどんどん現地化したりしていろいろと方言化したわけなんですけれども、基本的にはヨーロッパに広まった諸言語の大元であるというような仮説です。
他の仮説と異論
非常に大きな仮説ですね。この大きな仮説に対しては異論もあったですね。
いや、イオン祖母の故地はこのロシア南部ではなくてアナトリア、今のトルコの地域なんだであるとか、祖母の話されていた時代も紀元前四千年期とか三千年期というような、
銀豚祖が言っているような時代ではなくもっと古い紀元前七千年期ぐらいの話なんだというような偽説もあったりします。
そして非常にこれはですね専門的でなかなか難しいところなんですけれども、ポイントはイオン祖母という大元の言語ですら実は一様ではなかった。
すでにその頃から方言化が進んでいて複数の現れって言いますかね、があったということなんですね。
これが非常に重要なポイントだと思います。
それではまた。