1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #229(s25-11) 熟成チーズへの..

紀元前1100年〜300年ごろまでの1000年間くらいにおける東ヨーロッパ周辺のお話。あのでっかいチーズは何故あの形状なのか・・・、気候と文化、政治的経済的背景から深ぼっていきます。


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サマリー

ミルクの食文化史を振り返ると、日本のミルク文化はヨーロッパおよびアメリカからの影響が強く、ヨーロッパのミルク飲み始める文化には南側と北側のルートがあり、北側はゲルマン民族大移動などの大移動が影響を与えています。南側からは中央アジアや西アジアからの文化が伝承されてきました。ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ、フェニキア人、アテネ人などが関わっており、ブルガリアやギリシャの山岳地帯で行われる乳酸発酵方式のバター作りとチーズ作りについて説明されています。レンネット塩チーズの発祥地であるアルプス山脈でのチーズの製造方法や保存方法についても述べられており、アルプス山脈の地域に住む遊牧民族は、大きな塊のハード系チーズを作り、保存と移動の利便性を追求してきました。イタリアの平野部に位置するパダノベネタヘイゲンでは、豊富な水と岩塩の恩恵を受けて大量の牛を飼育し、パルミジャーノレッジャーノ(パルメザンチーズ)の生産が行われています。このチーズは世界でも最高峰と呼ばれ、経済的なパワーをもたらすと同時に、食の利益を追求する時代の転換点となりました。ミルクを飲む行為の禁止という宗教境地の中での価値観の変化や、食べ物に対するマウントの取り合いを通じて、人間の野生的な派閥の感覚や食文化の変化が紹介されています。

00:06
たべものラジオ たべものの世界を探求する、たべものラジオの、むとうたくろうです。
むとうたろうです。 このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいく、ラジオ番組です。
この間、スーパーに行きまして、そしたら牛乳コーナーに、A2ミルクがあったので、買ったんですよ。
ちょうど北海道産のA2ミルクだったんですけど、飲んでみたけど、結構濃厚だった。
ビンで売ってるタイプあるじゃん、牛乳で。ああいう系の味だった。その牛の種類なのかどうかはわからなかった。
特にそこまでは書いてなかったんだけど、A2ミルクを作ってますみたいな感じで書いてあって、いろいろ説明書きはあったんだけど、
それでお腹が痛くならなかったかどうかっていうのは、もともとならないから、結局わかんないっていう。
ただ美味しかったよ。その代わり、ちょっと高い。
3割引きとか書いてあったから買ったんだけど、それでも250円くらいしたからね。
まあその分手間がかかってるからね、しょうがないですけどね。
まあその1種類しかなかったんでね、まだまだ普及とかはしてないんだなと思って。
まあそんな話なんだけどさ。
とりあえず飲んでみたよという報告。
飲んだことある?
いやないです。
ないんだ。
割とスーパーに普通に売ってんだなと思って。
だって普通にお腹痛くならないんだもん。
まあね、それはそうなんだけど、いつも買う200円弱、200円しないぐらいの牛乳に比べたら美味しいなと思う。
それでも成分無調整って書いてあったからね、それであんだけ濃厚で美味しかったらまた買ってみようかなという気にはなる。
ピンより安いからね。
そうか、そうだね。牛乳ってあれだよね、脂肪分が高いと濃い感じするよね。
ああ確かに、その濃厚の意味は割と脂肪な気がする。
だってあれでしょ、牛乳パックに書いてる3.6とかってあれ脂肪分のことを指してるでしょ、なんかどういう単位か知らないんだけど。
ああそうなんだ、確かに書いてあったことなの。
それが多いとなんか濃厚な感じがするんで、逆にあの低脂肪乳とかっていうのはその数値が書いてないはず。
ああそういうこと、こういうA2牛乳って書いてあるじゃないですか。
難しいよね、そのA2っていうのが何なのか、一般消費者にどのくらい伝わってるのか、その辺のPRも大変なところですよね。
確かにね、ちょっと前の話だからこの横の説明書きだけパッと読んでおこうかな。
今回は近藤乳業さんっていうところで牛乳を買ったんですけど、近藤乳業の北海道A2別会っていうのかな、牛乳って。
牛乳に含まれるβカゼインというタンパク質にはA1とA2という2種類があり、通常市販されている牛乳にはその両方が含まれています。
もともとはすべての牛がA2でしたが、今では日本の乳牛でA2のみを持つ乳牛は3割ほどです。
北海道A2別会牛乳は一頭一頭ゲドム検査を行い、きちんと個体管理をされた牧場でA2のみを持つ乳牛から取った、乳牛から絞った生乳を使用した成分無調整の牛乳です。
牛乳、乳牛、生乳が手続いてすごい読むの大変だこれ。
よくわかりますその気持ち。書籍を読んでいるとですね、ややこしいことになります。
全部乳付くからね。
そこに母乳とかね、ウバとか入ってくるともう漢字がねパニック起こすんですよ。
だよね、これ読むの難しかったよ。このパターンの難しいは初めてだわ。
ということで今日も本編行きたいと思います。
はい、では前回からの続きです。今回は
熟成チーズへの道。
熟成チーズへの道。
もうミルクじゃなくなってチーズの話になっちゃったけどさ。
ヨーロッパの話なんですよ。
ヨーロッパの話。
西アジア、トルコのあたりとかね、ヒヨクナミカズキ地帯というメソポタミア文明が発祥したところですよね。
そこから始まってインド行って、そこから中央アジア行って、モンゴル行って、東へ東へと旅をしてきたわけじゃないですか。
今度は逆にですね、西アジアから西側行くわけですよ。
西アジアからさらに西側。
はい、つまりヨーロッパですね。
ああはいはいはい。
で、ミルクの食文化史みたいなのをやっていくとですね、ヨーロッパを語らないわけにはいかないんですよ。
ヨーロッパのミルク文化のルーツ
というのも、今私たちが住んでいる日本のミルク文化、これはヨーロッパおよびアメリカからやってきたものですよね。
ヨーロッパとアメリカからやってきたもの。
だから今までのミルクのシリーズを聞いていて、そんなミルク文化あるんだって感じた方が多いと思うんですよ。
それは僕たちがヨーロッパの食文化に馴染んでいるからだと思うんですよね。
だから本当はヨーロッパ以外の方が多数派なのに、僕たちはヨーロッパの方が主流だと思い込んでいる節がある。
ヨーロッパの方が多数派?
のように日本では感じられてしまうじゃないですか。
日本で売ってるチーズも大体ヨーロッパスタイルのものだし、あのカチッコチのチーズ、あれ見た時には何これ、こんなのあるんだって思ったわけですよね。
なんだけど歴史的に見るとあっちの方が普通ってことですよね。
そういう意味でチーズもそうだし、今日はちょっと触れないですけれども、次回以降でやっていくミルクをそのまま飲むっていうのもヨーロッパ発祥なんですよ。
本当は発祥ってちょっと語弊があるんだけど、現代私たちが親しんでいる、オープニングで話していた牛乳を飲むみたいなのはヨーロッパから出てきたものなので。
そういう意味で日本のミルク食文化のルーツを辿る意味では、西ヨーロッパをやらないわけにはいかないと。
確かに今までの話ではミルクをそのまま飲むっていうのはなかったね。
ヨーロッパでも長いことミルクをそのまま飲んではいないですからね。
それは近代に入るくらいになってからまともになってきて、そうだな。
今みたいなスタイルで牛乳飲み始めて一般化してから今100年、150年経ったかな。
めっちゃ最近やね。
めっちゃ最近なんですよ。
一部の学者さんの主張の中でこんなのがあって面白かったなっていうのが、
ヨーロッパにおけるミルクを飲むという行為の歴史が浅いっていうことを、なかなか本だったりとか論文にしづらい環境があるっていうことを書いてたんですよ。
本当かどうかわかんないですよ。
それなぜかというとどうやらその生乳業界の方々にとって都合が悪いと。
伝統的に長く飲んでたよっていうことにした方が都合がいいから。
っていうことでなかなか発言がしづらい環境にあるよということを書いてあってちょっと面白いなと思いました。
いろんな後ろの大きな力があるんだね。
今日の話はですね、ミルクを飲み始めるよりも前の話です。
前の話。
ざっくりいきます。
もうそれこそ時代感はぐちゃっとやるので、何時代とかって考えだすとよくわかんなくなっちゃうんですけど。
まあそうね。
大体起源前後から中世手前くらいまでの千年間ぐらいのことをざくっと捉えていくような感じで思っていただければいいと思います。
千年ぐらいぐらい。
ヨーロッパのミルク食文化史を捉えるときに一袋にどーんって塊で見てしまうとわけわかんなくなっちゃうんですよ。
そういう意味で僕は基本的には中央アジアとか西アジアから西に向かってミルク食文化がだんだんと左へ左へと伝わってきたと。
これは正しいと思うんですよね。
ただ入り口が南側と北側があると。
南側と北側。
国の名前でいくと地中海って言ってる人には国じゃねえな。
地域だね。
地中海の東の端っこにトルコとかシリアとかヨルダンとかレバノンとかあるわけですね。
あの辺りから海自体なり陸自体なりでだんだんと西へ行ってですね。
ギリシャとかブルガリアコソボセルビアからだんだんイタリアの方にじわーっと行く流れね。
これわかりやすいですね。
南側と北側のルート
これがヨーロッパの南側の話ですね。
これヨーロッパの南になるの?
南側です。
そっか下はアフリコか。
北側の方はですねベラルーシとかポーランドドイツとかオランダとかベルギーとかあっちの方からぐーっと入ってくるルート。
この2つのルートがあってそれぞれ違う文脈を持ってやってくるんですよ。
北と南で違うんだ。
そうなんです。
これがいろんなところで融合していくっていうスタイルですね。
この融合の仕方というのが非常に面白くてですね。
一つは伝承というスタイルですね。
つまり人はそんなに動かないんだけどもコピーされていくようなイメージですよね。
これはいろんな植文化はそうですよね。
人は移動しないけどとにかく移っていく。
一部の人はもちろん引っ越していくんですけど。
っていうのが一つの流れともう一つはですね。
人そのものが大移動してごそっと入ってくる。
いわゆるゲルマン民族大移動みたいなやつですね。
ああいったものがある。
この話は前々回かな。
ヤムナヤ文化の時にいろんな方面にそのヤムナヤ文化を持った反農反牧の人たちが東大南国に知ってたよみたいな話したと思うんですよ。
紀元前3000年ぐらいに始まって一部がモンゴルの方に行って一部がインドに入ってアリア人って呼ばれるようになったりとか。
一部がギリシャの方に入っていったりとか。
そのまんまもっと西の方に行ってイギリスの方にまでたどり着いたりとか。
こういった流れがあったわけですね。
この時にもともと彼らが持っていた植文化をそのまんま引き継いでもっていくパターン。
現地の環境に合わせてカスタマイズされていくみたいな感じなんですよ。
移動と伝承の流れ
これがまず大きな流れですね。
南側の方と北側の方を分けて話すにあたって先にちょっと北側の話しましょうかね。
北方民族って呼ばれてる人たちね。
ここも北方民族。
北側ですから。
まあそうだ。
北方だからね。当たり前なんだけど。
有名なのは社会の教科書に載っているゲルマン民族大移動ってやつね。
ゲルマン民族大移動。
これは社会の教科書によく出てきますよね。
何だ今の間は。
聞いた気がするかもしれないぐらい。
よくわかんないけどタタル人とかフン族みたいな中央ユラシアのキバ民族がバーっと西に来たら
それに押されてゲルマン人もさらに西にドーンと押されて
ドイツとかフランスとかイギリスの方にゴリゴリゴリって入っていくと。
これが社会の教科書に載ってるざっくりした話ですね。
これよりももっと1000年くらい前にやっぱり人が入ってきていて
一般的にそれがケルト民族マンって言われてるんですよね。
ケルト民族。
はい。ケルト人って聞いたことあります?
ケルト人。最近はよく聞くね。
そうですね。この番組の中でね。
番組とか事務所とかね。厨房でね。
そうね。ケルト人って言うとよく聞くのはスコットランドかな。
今のイギリスという国の中にイングランドとウェールズと
フォークバイルランドとスコットランドってあるじゃない。
うん。
分かる?
ちょっと待って。冒頭からカタカナ多くない?
そうか。ケルト人。
ケルト人ね。ケルト人が押されて西側に行ったんだね。
ケルト人が先に入ってきて、
大体の北ヨーロッパ、いわゆる今で言うとドイツとかね、
オランダとかノルウェーとかスウェーデンとかイギリスとかその後にわーってもともと散ってたんですよ。
それが紀元前何百年500年とかに来てて、
その後1000年くらい経ってから今度ゲルマン人というのがまた入ってくるんですよ。
1000年くらい後なんだ。
ルーツたどったらどっちもですよ。
どっちもヤムナヤ文化圏の人たちなんですよ。
つまり中央ユーラシア国会のすぐ北側にいた半農半牧の遊牧民。
何とかスタンあたりね。
あのあたりとか今のウクライナあたりにもともといた人たちの遥か後の子孫たちなんですよ。
なんですけどその中の民族いくつかに分かれてるし、
移動してって第2波が1000年後とかだともはや別民族じゃないですか。
まあそれはそうだね。
弥生人が日本に入ってきました。
その後中国人がトライ人として入ってきましたとか言ったらもう全く別人なわけですよ。
そうだね。
みたいな感じになっていくので、
ブルガリア、ルーマニアゾーン
本人たちも同種の民族だとか同系統だなんて全く意識ないと思いますよ。
まあ1000年もあいたらね。
初めにケルト人が来て、その人たちもミルク食文化を持っていて。
ゲルマン人と呼ばれる人たちもミルク食文化を持ってきて、
それが押し出されるように何回も重ね塗りのように遊牧系のミルク食文化が入ってくるのが北。
北側なんだ。
そうなんですよ。
だから前回まででお話したモンゴルのミルク食文化に非常に似たような雰囲気を持ってますよね。
バターしっかりとるし、ちょっと乳酸発酵させて、その残ったものをチーズにしてカチンコチンにしてとか。
ちょっと環境が貧しいところ、つまり寒くて植物が育たないようなところだと当然野菜とか果物とか穀物って育てづらいじゃないですか。
そうだね。
なのでより家畜、特にミルクに依存する度合いが上がっていく。
100ゼロとかじゃないのでだいたい5対5を中心としたら6,4ぐらいで家畜よりかなとか逆に3,7ぐらいで農耕よりかなみたいな感じなんですよ。
グラデーションなんでね。
寒いところとか辺境の地に行けばいくほど家畜依存度合いが上がっていくみたいな感じね。
っていう感じです。
南側は比較的気候が穏やかであったかいわけじゃないですか。
海に面してるしね。
水位が低いしね。だからそっちは農耕ができていて割と農耕中心で生きている。そこにミルク食品が乗っかってくる。こんな感じですよ。
ここまでオッケー?
大丈夫。
何となくわかってきました?
グラデーション わかってきた。
ということでこれ一応最初に分断ラインっていうのが決まってるので。
グラデーション 分断ライン。
この分断ライン先にお伝えしておきますね。
だいたいねローマ帝国とかフランク王国とかビザンツ帝国とか歴史上に出てくるヨーロッパのでっかい帝国ですよね。
あのぐらいの時代感でいくとここまでがヨーロッパでここから先はゲルマン民族のエリアみたいなのが線が引かれてるんですよ。
例えを歴史で例えるのやめてもらっていいですか。
よりなんか難易度上がってんだよね。いやわかるよ。今までやってきたからわかるけど例えがおかしいね。
まあまあだいたい中世くらいまでの間ね。
まあ大きな国があるような感じでね。あの本当に境界線がパッとあるんだね。
この線が川で決まってるんですよ。
川で決まってる?
川で決まってる。ライン川とドナウ川。
ライン川とドナウ川有名だね。
有名でしょ。
ライン川っていうのは水源がだいたい今のスイスあたりでそこから北の方に向かって流れていって
オランダのアムステルダム。
アムステルダムね。
あそこに向かって流れてるやつね。
ドナウ川は水源地が近いんですよ。
だいたいスイスのアルプス山脈水系なんでね。スイスのあたりから流れてるんですけど
ドイツの南の端のミュンヘンのあたりを抜けてですねオーストリアを通ってハンガリーを通ってセルビアを通ってブルガリアを通ってルーマニアで国会に遭遇っていうねすさまじく長い川なんですよね。
長いね。スイスから国会まで西から東にずっと伸びてるんだね。
そうなんですよ。もっと近いルートあるだろうと思うぐらい長いですよね。
もうちょっとね南側に落ちたらすぐなのにね。
それはね南側に天下のアルプス山脈があるので。
アルプス山脈の北側だからそうなってたね。
そうなんですよ。南側に流れたらすぐ地中海なんですけどね。長いので大きくて有名なドナウ川はそれは遠いからそうなっちゃってるだけなんですけどね。
このライン川とドナウ川をつないだ線より北側というか東側というかポーランドとかベラルーシとかルックライナーの方ね。
あっちはゲルマニアって呼ばれたゲルマン民族のエリアなんですよ。数千年の間ね。
こっから西南側。こっち側がいわゆるローマ人エリアって言われてて今のヨーロッパの社会の教科書によく出てくる文化圏みたいな感じ。
古代ローマの人とかさ古代ギリシャの学者さんたちが北の人たちは野蛮だぜみたいなことを書いてるわけですよ。それはこのライン川よりも上の人たち。
ドナウ川とかライン川よりも上の人たちのことを指してあいつら野蛮だねって言ってるわけね。
教科書を見るとちょうどオランダから国家に向けてLGみたいな教科書だね。
これざっくりとこんな感じですって感じですね。一部例外があってドナウ川を本当は契約してるのかどうかわからないですけどなんとなく暗黙の了解でこの川が仙台をみたいなことになってたんですけど
ローマ人があまりにも肥沃な土地だもんだからこのドナウ川を越えてここ俺んところって言って行くんですよ。それが揉める元なんですけど。
まあそりゃ境界線越えたら揉めるよね。
これは国会のすぐ西側ブルガーリンすぐ北にルーマニアってありますね。ここに行っちゃうんですよ。すごく肥沃でいい土地だったんで。
ああそうなんだ。
お前らドナウ川越えとるやないかいって。
越えてるね。
っていうことになるんでまたここで揉めごとの元なんですけどね。中世から古代ぐらいまでの話ね。古い時代の話。ここにローマ人が残って最終的に今ルーマニアって国になってますよね。
ルーマニアという国の名前が、いつだったか話したと思うけど、設備士、言葉の最後にIAって付くやつね。IAって付くのは地域とか国とかそういう集団を表す設備士らしいんですよ。
ルーマニア、これローマンイアなんですよ。
ああその話聞いたね。
ローマ人の場所だよローマニアルーマニアっていう今でもルーマニアって国になってるんですけどね。
すごいね今も残ってるもんね。
そうなんですよねこの辺あたりがやっぱり肥沃な土地でということなんですけども。
なんでこんな説明をしてるかっていうと、西アジアからやってくるミルク食文化っていうのは当然ですけど地中海の海で交易で伝ったりもするし、
トルコからイスタンブールのところを越えてね、陸自体も伝ってくるわけじゃないですか。
こうするとトルコの次に来るのはギリシャ、ブルガリア、ルーマニアなんですよ。
トルコを?
トルコのアナトリア半島ありますよね、どでーんと四角っぽいのが。
そこから左にずっと行くとですね、現代で言ったらヨーロッパに少し食い込んだような形のところにバルカ半島の隅っこのところがトルコになってるんですけどね。
ここと接している国っていうのは南側にギリシャ、北側にブルガリアなわけですよ。
このブルガリアのすぐ北側にドナウ川があって、そのすぐドナウ川の向こう側がルーマニアっていう国なわけですね今ね。
つまりですね、ここのブルガリア、ルーマニアゾーンというのが南からやってきた食文化と北からやってきた食文化がぐにゃっと混ざるあたりってことなんですよ。
ここで変化をしますよという話。
ちょうど今回があるからか。
そうですね。
だから回り込むように上と下でちょうど北と南がまた戻ってきてガッチャンコするのがブルガリアあたり。
これはね、ここのゾーンは今回ミルクの歴史でガッチャンコするよって話をしてるんですけど、もっともっと古い時代ね、紀元前3000年、紀元前5000年とかいう時代の、
もうこの辺はいろんな民族が北に上がったり南に降りたりっていうのをずっとやってるゾーンなんですよね。
さっきタクが言ったように国界を避けたら絶対ここ通るから。
通るね。
反対側、東側はですね、国界の右側ね、ここはコーカサス山脈があって、これほど高い山なんでなかなか越えづらいと。
そこまでもしきりばみのようにちょうど西と東に山が走ってるんだ。
そうなんです。
だから最初に合流するのは国界を越えた西側の部分。
ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア
そうなんですよ。だからヨーロッパ全部やるとキリがないので、
なんとなくブルガリア、ルーマニアあたりのところを話をして、ちょっとギリシャのところもかすめるような感じで、大体このゾーンでこんな変化があったよ。
そっから西の方に行ってイタリアとかアルプス山脈あたりでこんな変化があったよっていう感じ。
そっからフランスの方とか後にドイツとかイギリスの方に散っていくという感じの話になります。
前置き長ぇな。
前置きで20分くらい使うんだね。
ここまで前置きね。ということで。
これ1時間いきますかね。
いきますね。これでも台本半分切ったんだけどね。
で、伝わるときの影響範囲でちょっとだけ簡単に歴史の補足説明をしときますね、あらかじめね。
この陸図体と海図体の話をしたと思うんですけど、実はこの地中海の右の端っこあたりね、ギリシャからトルコとかシリアレバの四段のあたりね、
あの辺ってすごく広域が盛んなんですよ。それはものすごく昔から、もう紀元前2000年とかそのぐらいから。
まあそんなイメージはある。
ちょっとどっかで話したかもしれないですけど、レバノン山脈のすぐ海側のところにセブ系三民族って言われてるんだけど、フェニキア人っていう人がいるんですよ。
フェニキア人。
文字発明した人たちね。
ああそこで聞いたんだ。
アルファベットの元になってる言葉を作ったのね。アルファ、ベータ、シータ、デルタ、ガンマ。アルファベットの語源ってアルファベータが生ってアルファベットだからね。
その話聞いたね。
でこのフェニキア人が使ってたアルファベータの文字がギリシャに行ってギリシャでも同じ文字が使われていく。
これがだんだん形が変わってローマ人になりローマ帝国の拡大とともにいろんなところに散っていくみたいな感じね。
だからフェニキア人っていうのは地中海のあちこちに植民地を作ってるんですよ。
あちこちに自分たちの土地を広げてってるね。なんでかっていうとフェニキアってめちゃくちゃ杉が取れるのよ。
杉が取れるの?
今でもレバノンの国旗って杉の木なんだよ。国旗にかたどられてる文章がね。
あれ杉の木なんだ。
そうあれ杉の木なんだよ。杉の木って船作るんでめちゃくちゃいいらしいのね。
ああそうなんだ。
で自分とこの土地はその山、レバノン山脈から海までがすごく狭いのでそっから外に出てって植民活動したり公益をしてるみたいな。そんな感じね。
で一方でギリシャの昔の古代ポリスってあるじゃん。都市国家。
古代ポリス?
うんポリスって言われてる都市国家ね。都市国家だから全部が国なんだけど街みたいなやつ。
都市国家ってことは王朝みたいな感じ?
王朝っていうかね、具体名出した方が分かりやすいかもしれない。スパルタとかアテネとか。
ああはいはいはい。
あれ都市国家のこと、あれをポリスって言うんだけどさ。
ああそうなんだ。
でその中の一つでっかいのがスパルタとかアテネが有名で全部で大体1100ぐらいあったって言われてるんだけど。
そんなあるんだ。
でスパルタの方が南にあってアテネがちょっと北の方にあるんだけどね。
スパルタってめちゃくちゃ肥沃な土地なので公益なんかしなくても自分ところだけで農耕で生きていけるのよ。
ああそうなの?
基本的に。だから奴隷をガンガン集めてきて働かせる。
そうすると農作業してくれるから生きていける。こういう仕組みと。
でアテネは岩がちでさ。砂と岩の街なの。
ああ確かにそういうイメージだわ。
でせいぜい育てられても樹木だけ。
ちょっと穀も作れるんだけどなかなか厳しい。
で一番よく育つ樹木がオリーブなのね。
ああそうなんだ。
っていう感じ。
オリーブね。
アテネ、フェニキア人、ギリシャ
だから彼らも自分ところで自給自足できないから公益に耐えるしかない。
だからアテネの人たちってのは船を作って外に出てってガンガン公益とかをして植民活動していくみたいな感じね。
でここでフェニキアの人たちは行ったり来たりするしアテネの人たちも行ったり来たりするし、その行き着く先があっちこっちに行くんだよね。
あっちこっちに。
そうイタリア半島の南側とかフェニキア人なんかだったらアフリカ大陸の北の方ね今のチュニジアとか
そこに作った街の名前カルタゴって言って有名な国になってくるんだけどね。
なんならこのフェニキア人スペインのほうまで行くから。
でギリシャ人のアテネ人もあっちこっち行くわけ。
トルコの方行ったりとかブルガリアの方行ったりとかイタリアの方行ったりとか。
だからあっちこっちにパルテノン神殿っぽいやつがあるんだけどさ。
みんな似たような建築あるでしょ。
似たような建築あるね。
世界遺産になってるの。
あれはアテネ人があっちこっちに行くからなんだけどさ。
あれはアテネ人が活動したというか活動したのに痕跡なの。
痕跡だしですよ。
こういう海の動きもあるから食文化もどんどん混ざっていくよねみたいなのが古代の話。
この流れに乗って西アジアの食文化がそのままやってきます。
当然なんだけどちょっとブルガリアの話に移っていきましょうかね。
ヨーロッパの入り口にあたるこのブルガリアとかギリシャマケドニアルマにあたりっていうのは
基本的に西アジアのミルク食文化と一緒です。
一緒なんだ。
大きな流れとしてね。
特に平地部なんかは乳酸発酵系ですよ。
乳酸発酵系。
ミルク絞ります、濾します、加熱なんかしません。
ほっときます。発酵してヨーグルトになります。
ほっとくほうね。
そうするとほっとくと勝手にヨーグルトになっちゃうから。
その状態で少し食べたりもするし、あとはガチャガチャやって脂肪を分離してクリーム作ってそれをバターにしてみたいな感じね。
ちょっと違うのがブルガリアとかルーマニアあたり行くとバターオイルにあまり塩としてないっぽい。
バターオイル作らないの?
これはね多分アジアと違って北に上がってきたせいで気候涼しいんだわ。
そんなに長期保存のことを必死に考えなくてもバターレベルで結構保存できちゃう。
涼しいからね。
そういう感じみたいですね。
あとは塩を振って脱水して塩のパワーで殺菌して長期保存に持っていくとかね。
塩ね。
っていう感じですかね。っていうパターン。
あとはバターを取った後のバターミルクの方は加熱してそうするとタンパク質が固まるからチーズになりますよね。
一緒ですよね。
基本的には一緒だね。
やってること一緒なんですよ。当たり前なんですけど引っ越してきただけだから。
ただちょっと寒いから気候に合わせて変化しましたよっていう感じね。
これが今度山の方に行く。これが劇的に変化を起こすんだよ。
山の中っていうのは暮らしづらいように見えるんだけれども実は山っていうのは湧き水が出るところなので
まだ灌漑設備のない時代には山に近ければ近いほど農業もやりやすいし落野もやりやすいわけ。
農業に関しては日本もそうだったね。
もともと平野部でもなるべく山際に行った方がいいわけじゃない。
田中とかね。
そういうことでブルガリアのあたりでもギリシャのあたりでも山脈っぽいところに寄っていくんだよね。
これは世界中どこでも一緒。ぐっと寄っていく。
そうすると牛とか羊とかヤギを飼ってる人たちは垂直型イボクを始めるよね。
垂直型イボク。
冬は平地で夏になると山登っていくみたいな感じね。
標高差を利用したやつね。
そう上行ったり下行ったりする。こういうのやりだすんだよね。
山岳地帯におけるチーズ作り
山勝ちなところで暮らし始めた人たちっていうのは先ほどのミルクの加工体系に変化を起こし始めるんだよね。
いきなりなんだけどミルクに発酵するかどうかをさっというといきなりレンネットを加える。
いきなりレンネットを加えちゃう。
凝固剤を加える。
ここはレンネットを使うんだ。
ここでいきなりレンネットを加えてその状態で攪拌をする。
攪拌をする。
攪拌をしながらなぜかお湯を入れる。
お湯を入れる?
でバターができる。
お湯を入れてバターができるの?
もうパニックでしょ。意味わかんないよね。
固めようとしてるのか伸ばそうとしてるのかだよね。
これ何なんだろうってほとんどの人がポカーンってなったと思うんですよ。
ちょっと変化じゃなくて変化しすぎやろみたいな。
変化しすぎだね。
実は彼らにとってはちょっとの変化なんですよ。
というのは山の上登ると寒くなるじゃん。
発酵しないわけじゃないんだけど発酵しにくくなる。
遅くなるとかしにくくなる。
だから脂肪を分離させる攪拌活動をするときに
棒を突っ込んでガチャガチャやりますから
無抵抗の水っぽいやつだとやりづらいわけ。
今までヨーグルトでやってたからさ。
とろみがあったんだね。
とろみがあってそこからバターを作るのが当たり前って思い込んでるんですよ。
歴史の中で。
あれ?抵抗できないじゃんみたいな。
じゃあレンネット入れて抵抗値上げようみたいな。
そうするとモロモロとして凝固するじゃないですか。
なんとなく見た目はヨーグルトっぽいですよね。
これにちょっと残りの元々あったヨーグルトちょっと入れるとかして
軽く乳酸発酵させててね。
ガシャガシャやると今まで通り攪拌ができたとやるわけですよ。
ところがいくら攪拌してもクリームが浮いてきてくんないんだよね。
寒すぎる。
寒すぎて分離しないのか。
温度を上げたい。
お湯を入れる。
そのためにお湯を入れるの?
温める。
加熱じゃないんだ。
加熱じゃない。もう軽く温める。
温めた状態でガシャガシャやるとバターが出てきたの。
じゃあ薄めてるわけじゃなくてこれはお湯で温めたいって意味なの?
そうなんです。
だからパッと聞き、言葉だけ聞いていくとなんか全然違うじゃんと思うんだけど
レンネットを入れるのはヨーグルトっぽくしたかっただけ。
お湯入れてるのは温度が低いから適正温度に上げてるだけ。
で考えるとこれはバターを作りたい流れなんで単純に。
そうだね。着地はバターを求めてるね。
そう。でこれでバターを取り除いた後にできるバターミルクから当然だけど
タンパク質を固めてチーズを作っていく。
ただこれだけなんでね。
したらねレンネットを使い始めるっていうのが定番化していくわけ。
レンネットを使うのが定番。
うん。
したらさ、あれ乳酸発酵してないからさ。
なかなかチーズを作る時にも酸度が低くて固まってくれないわけ。
お酢を入れるとかレモンを絞るとかしなきゃいけないわけじゃないですか。
加熱でももちろんなるんだけど今までよりも固まり悪いなって話になるじゃん。
あれこれレンネットを入れた時点でもはや固まってることない?
っていうことをだんだん気づいていくわけですよ。
これバター分離するとかじゃなくて牛乳にミルクにレンネットを入れてこれ絞ったらいいんじゃねって話になるわけね。
ああそうか。最初の段階では気づかないんだね。
そうみたい。なんかじゃなくてそういう流れになったっぽいですよ。
ここら辺はねすごい古い時代の話なので諸説ありで学者さんがこういう流れで来ただろうという説を整えていて
まあそれ今一番有力されている説をお話してるんだけどね。
ああはいはい。
長期保存に適した塩加工と熟成
でこんな風にやっていくと。
面白いのがこのレンネットを使ったバター作りをした後に出てくるこのチーズの長期保存の方法なんだけど
できたチーズをギュッと絞っていくじゃないですか。
今までの中アジアとかだとカチンコチンにすることで長期保存したよね。
そうだね。
やりたいのさこの人たちも。
ああそこはやりたいんだ。
長期保存にしようと思ってなんか乾燥しようかなと思って
もしかしたら絞って塊にしてザルの上かなんかに上げて置いといたと思うんですよ。
だけどさ寒いんだよね。
まあ寒いね。
寒くても乾燥しててくれればいいんだけど
これがまたさ地中海性気候っていうのは結構湿度高いのよ。
まあ湿度高いので有名だよね。
そう。夏は湿度が下がって冬に湿度が高いって日本と逆の感じなんだけどね。
一番湿度の低い夏でも60%くらいあるんだよね。
めっちゃ湿度あるね。
で気温がだいたい20度くらい。
日本でいうとね心地よい秋とかねあんな感じ。
でも秋の時よりは湿度高いよね。
だいぶ湿度高いね。それがこの地域の夏ね。
で冬になるとさらに湿度上がっちゃうから70%80%いっちゃうから。
これ乾燥せんわな。
乾燥しないね。肌は荒れなさそうだけどね。
確かに。
日本の肌荒れるのはね冬場乾燥するから。
そうですね。全然固まってくない。
固まらない。
じゃあどうするか。塩を混ぜるべ。
塩を混ぜる?
塩を混ぜて脱水しながら皮袋の中にボンボンボンボン放り込んで、
その皮袋をぎゅーっと押さえつけて空気抜く。口縛る。
口を縛る。
そのまんま置いといたっていいんだけど、さらに石室とか洞窟みたいなところに放り込んでおく。
そうすれば長期保存ができるよねってことをだんだんと見つけていくんだよね。
塩は脱水のためというよりかは保存で塩分濃度を上げるみたいな。
そんな感じかな。
そういうことね。
そういう感じで入れてくんだって。
塩蔵ではないんだ。
塩蔵までいくのかな。でも脱水の意味も結構高いと思うけどね。この塩を混ぜてくっていうのは。
皮袋入れたらでも水出さそうだけど。
塩を混ぜて皮袋に入れて脱気って書いてあったな。
その間が何か工程があるのかどうかだよね。
ああそうだね。その辺ちょっと現物見てないからわかんないんだけどさ。
現物はあんま見ないんじゃないかな。
これやると結構発酵熟成してなかなかすごい匂いになるらしいんだけどさ。
まあそんな気がする。
その代わり2年くらい保存がきくようなんだって。
2年は持つね。
っていう塩を使った加工っていうのをやり始める。
で、この塩を使うっていうのとさっき出てきたレンネットを使うっていうのが組み合わさってきて、
もうもはや非加熱のミルクにいきなりレンネット入れてこれ絞って塩入れたらいいんじゃねっていうのも出てきちゃう。
雑い。
雑い感じに出てくる。
だいぶショートカットしたね。
一気にいく。一気にいくって多分数百年とかかってると思うけどね。
ブルガリアあたりで特徴的なのはレンネットを使って作ったチーズをそこに塩いちゃうとすごくしょっぱくなるじゃん。
だから塩水にジャポーンってつけとくんだって。
塩水につけるんだ。
でだいたい40日間ぐらい塩水の中で熟成させてそれから水揚げして石室の中で熟成かけると。
そうすると程よく表面が脱水されていってね。
で中がしっとりしたちょっとハード系のチーズみたいなのが出てくると。
ちょっと梅干しを想像してしまったよ。
分かる分かる分かる。中しっとり表面カサカサみたいな。
そうそうそう。
あんな感じだよね。
あんな感じになっていくんだろうね。
だんだんとね。こういうのがおそらくヨーロッパ熟成チーズの始まりきっかけだろうというふうに考えられてるそうです。
ブルガリアって言うとさチーズのイメージよりもヨーグルトって感じするじゃん。
する。
そうでもないんだよね。
チーズだね今の流れだと。
クリームも作ってるしバターも作ってるしもちろんヨーグルトもあるしでチーズもある。
ブルガリアは岩塩なのか海なのか。
どっちだろうね多分岩塩。
まあ岩塩か。ヨーロッパの方って基本岩塩だよね。
アルプス増残帯の一角なんじゃないかなこのあたりは。
まあそうだろうね山いっぱいあるもんね。
アルプス山脈からずっと東に行ってコーカサス山脈あそこまでが一連の増残帯なので。
ああ広いね。
うんでっかいんですよ。
うんうん。
多分その流れでいけばこのブルガリアとかいわゆるバルカン半島あたりっていうのも外なんじゃないかな想像ですけど。
まあそうだろうね。
詳しい方いたら教えてください。
まあさすがに塩はまだ調べてないもんね。
塩は沼だからね。
水と一緒だもんね。
レンネット塩チーズの製造
はいで話ぐっとさかのぼってレンネット塩チーズに注目をしてみようと思います。
レンネット塩チーズ。
はいもはや分離しないいきなり固める塩を使って脱水して熟成するっていう文化ですよね。
はい。
これがですねなんだか知んないけど人気を博取って言ってですね。
ああ人気なの。
なんかねあちこちの山岳系で行われるんですよ。
へえ。
だからこのブルガリアとかセルビア高層部のあたりも山岳いっぱいありますね。
うんうん。
でもっと西の方に行くと巨大山脈であるアルプス山脈がありますよね。
あるね。
このあたりに行くんですよ。
へえ。
で実はこのアルプス山脈っていうのはそうだな中世くらいまでの間はねほぼケルト人のエリアなんですよ。
ケルト人のエリア。
冒頭の話に戻りますけどゲルマン人が東の方から押し寄せてきますね。
はい。
でケルト人たちは押し出されていってイギリスの方の島に渡ったりとか。
うん。
もう大西洋側もう海際まで追いやられたりとかするんですよ。
ああ結構行くんだね。
で一部がアルプス山脈を登っていくんですよ。
ああ上に逃げた。
そう押し出されるからね。
はいはい。
で元々遊牧民なので牧畜の社会を築く。
ああそこの文化は変わらない。
でそこで垂直異牧の農業、落農をやっていくわけですよね。
で比較的家畜への依存度が高い社会を築いていく感じなんですよ。
これがアルプス山脈やカルパチア山脈の辺りの山岳系のチーズを作り始めていく。
うーん。
でね、レンネットを使ってチーズ作るんですけど。
直接脂肪を取らないでチーズ作ることもあるし
バターを作った残りのバターミルクでチーズを作るってもちろんあるんですけどね。
あのね固くするんだよこの人たち。
固くする。
そうなの。
組織がぎゅーっと詰まったカチンコチンに近づけていく。
ああそうなの。
その方がね水が抜けやすいんだって。
ああまあそういうことね。
水抜きたいからさ。固くするのにやり方が非常にシンプルでさ。
レンネットを入れてもろもろの状態の牛乳作るじゃない。
これをカッティングするんだよ。
カッティング。
角ハンボウとか使ってさガシャガシャガシャガシャって。
なんだろうね。じゃあそうだな今の僕らの感覚で言ったら
例えば売ってるヨーグルトありますよね。プレーンヨーグルト。
買ってきてあれを思いっきり箸でかき混ぜるんですよ。
そうするとグシャグシャグシャグシャってなるじゃないですか。
その状態から絞ると水が抜けやすい。
豆腐絞るみたいな。
豆腐もそうですね。一回潰してから絞るときれいに水が抜けたりするじゃないですか。
これをねやるんですね。
ああそうなんだ。
ちなみに今でもハード系のチーズを作るときには必ず
牛乳のカッティングという工程が入るわけですけども。
こういうことをやるわけですね。
これに塩を混ぜて塊を作って熟成にかけるわけなんですよ。
この時に面白いのが結構でかいの。
でかい?
そうでかいのを作るんですよ。
例えば中央アジアとか西アジアの時っていうのは本当なんだろうね。
サイズで言ったらビー玉くらいのサイズだったりするわけですよね。
大きくてもお団子くらいとかね。
いう感じだったじゃないですか。
これがね三角形のとこに来たら直径20センチとか。
ああここで大きくなるの?
うん。40センチとか。
こういう円盤型にしていくんですよね。
ああ円盤型。
じゃあ僕らがよく知っているチーズってそこが発祥?
このあたりが発祥ですね。
ああそうなんだ。
で、大きくするんだけど平たくするの。
ああはいはい。
厚さが3センチとか4センチとかで直径が20センチとかね。
結構薄い。
円盤にしていくんですよ。
こうすると平たいから水が抜けやすいんですよね。
でも大きいから持ち運びが楽なんですよ。
まとまってるからね。
硬い円盤って重ねて持ち歩きできるじゃないですか。
ああそうだね。
これ持ち運びできるっていうのがこの遊牧民族にとって非常に重要なんです。
まあ移動するからね。
そう。しかも垂直移動ね。
ああ垂直移動。
山登ったり降りたりせないといけないから。
で、夏に絞るわけですよね。ミルクっていうのは。
で、そのまま加工するわけじゃないですか。
で、カチンコチンにしてそれを車みたいなのに乗せて牛に引かせてまたゴロゴロと移動していくわけですよ。
その時にあまり細かいのゴロゴロあると大変なので、大きい円盤にしてむき出しで積んでいくような感じですよね。
そうなの?
とにかく保存と利便性の追求をした結果そうなっていったんですね。
へえ持ち運び。へえ。
でね、この塊が大きいっていうのは結構他にもいいことがあって。
表面がゆっくりゆっくりと乾燥していくんですよ。
で、中はしっとりしたままになりますよね。
で、この表面がゆっくり乾燥していく過程でむき出しで石室とか洞窟に置いてるので、
この表面にカビとかダニとかがくっつくわけですよね。
これ本に書いてあってギョッとしたんですけど、
夏英知の保存室、小屋ですね。
保存と利便性の追求
そこにでっかい塊が置いてあったんですって。
部屋に入ったらふわーって白い煙のものが舞い上がったと。
足元を見たらすごい粉が舞い落ちてると。
これは何だと言ったらダニの遺物だと。
ダニなの?
ダニの死骸とか糞とかね。
へえ、それで大丈夫なの?
ねえ、ええと思うじゃない。
それはね、表面が乾燥してるから中平気なの。
ああ、はいはい。
表面さえ削っちゃえばオッケーっていう状態が作れるんですよね。
パッケージの必要がない状態にして保存するから保存もできるし移動もしやすい。
そうか、表面は捨てることにはなるけど容器用意するの考えたら一緒か。
断然効率が良い。
アルプス山脈とローマ帝国の交流
中はしっとりしていて熟成がかかるんで滑らかになって風味が良くなってっていう状態になるんですよね。
なんか保存のためにやってたのに美味しくなるためにやりだしたよね。
ああ、確かに。
大きな違いがカチコチチーズの時ははっきり申し上げて現地の方に申し訳ないんですけど
決して美味しいなって感じではなかったじゃないですか。
美味しく食べる方法はあるけどもいやもっと美味しくできんだろうって思いたくなるような味でしたよね。
割と強烈な。
そうだね。
この大きな塊のハード系チーズはそもそも美味しくなっていくんだよね。
ああ、そうなんだ。
これが他の地域で見られなかった地中海性気候沿いの山岳の上の方だからこれができるんですよ。
比較的涼しい。
これ熟成かける条件っていうのがあって基本的に20度以下。
20度以下。
これより上に行っちゃうとダメ。暑くて。
ああ、そうなんだ。
涼しいこと。湿度は70%以上。
70%以上。
できれば80%くらい欲しいよねみたいな感じなんだけど。
肉の熟成とかもそうですよ。
そうなんですよ。熟成の条件って一緒なんですよ。
ああ、そうなんだ。確かに25度くらいから腐敗するもんね。食中毒の原因だもんね。
湿度が高くて25度以上っていうと。
これまさになんですけど日本で言ったら雪下野菜とかね。
雪の鎌倉の中で雪室みたいなの作って野菜とか熟成させるじゃないですか。同じですよ。
ああ、そっか。
寒くて湿度が高い状態。っていうのが自然環境であって、ちょっと湿度足りないんだけど、
洞窟とか石室作ればすぐにその状態を作れるっていうのがこの辺りの環境。
ああ、そっか。ノーマル70%くらいあるもんでね。
そうなんです。70%くらいは微妙に表面乾燥してくれるからね。
確かに。
それはちょうどいいみたいよ。
ゆっくり乾燥するね。
これがまたこの山岳系の人たちにとっては、このハード系チーズが出荷できる商品になっていくんですよね。
例えばアルプス山脈の人たち、北側に行ったらドイツミューヘンがありますよ。スイスがありますよ。
フランスが西側にあって南側にはイタリアがありますよ。
中世以前であれば当然ですけども、あの辺りってのはローマ帝国のエリアですからね。
ローマ帝国。
ローマ人たちに出荷ができるわけですね。
これでふもとから農作物を買い入れて、代わりにこのハード系チーズを売るってことをやり始めますっていう状態ですね。
そういう交流なんだね。
そうなんです。アルプス山脈のすぐ南側、今でいうイタリアの北部ですね。
イタリアの北部。
両サイドにジェノバとかベネチアとかがあるあたりね。
ここポー川が流れてるポーヘイゲンとかっていうところなんですけど、このあたりは農作ができるところなんですね。
一部湿地帯になっちゃってるんですけど、その脇山際とかは農作物を育てるのに適している。
古代だったらエトルリア人みたいな人が住んでいて、そこにローマ人がおらお前らどけって攻めてって。
そうやってローマ帝国がでかくなってくるよね。
ローマって真ん中辺だから。
イタリアの真ん中あたりだね。
ポー川に征服に行ったのがイタリアの北部ね。
根本か。
根本、根っこのあたり。ここ良い土地なんで、カモ流れて平地なんで。
そこボコって取りに行って。
次に南の方に行って、ブーツのかかとのあたりにいたギリシア人ボコボコってやって。
そのまんま島に行って、シティリア発島に行って、そこにいたフェニキア人ボコーンってやって。
その後はアフリカ大陸に渡ってフェニキア人ボコボコってやって。
そういう流れなんだ。
上に行かないんだよ。上山脈だから行けないじゃん。
かなり大きい山脈だね。
順番的にはローマから一回北行って、山だなと思ったら南行って南行って南行ってスペイン行ってフランス行って、
当時ガリア地方ね。ここ行ったのがカエサのね。
そこからマケドニアの方に行ったりとかイギリスの方に行ったりとかって領土拾って行ってくんだけどさ。
本当に右回りなんだね。
野の字書くように順番に征服していく感じね。
もちろん野の字ってあれだよ。ローマからダイレクトにフランス行ったりしてるの当たり前だけど。
そういうことね。時代観的には順番的にはっていう話ね。
そうですそうです。別にわざわざフランス行くのにアフリカ大陸経由しませんからね。無駄なんで。
超一大遠征になっちゃうね。
とんでもないことになっちゃうんで。順番的にはこんな感じ。野の字を書くように征服していくんだけどね。
この拡大していくローマ帝国がこの三角形の人たちにとってはちょうどいい消費地なんですね。
ということでここに出荷をしていくと。このハード系のでっかいチーズがついに下山する時が来るんですよ。
下山する?
そうなんですよ。これはずっと時代が後になって1100年頃。
1100年頃。さっきは?
さっきのだとまだローマ人がいるとかね。そんな時代なんで期限0年とかさ、期限100年とか。そのくらいまでの話よ。
じゃあそっから1000年ぐらい経って下山する。
もっと古い時代から三角地図っての出てきてるっぽいんだけどね。今から2000年以上前の話をしてました。今から1000年から900年くらい前の話ね。
イタリアの北部、さっき言ったポー川っていう川が流れてる。つけ根っこあたりですね。
ここはアルプス山脈から流れ出る水が川を出して西から東に向かって流れてます。
どこからだって?
アルプス山脈ありますね。
アルプス山脈はある。
地図で言ったら左上のあたり、イタリアの左上のあたりから水が染み出してきて、そのまんま真横に右へ流れていく感じ。
アドレア海域に流れ込んでる。
アドレア海域。
イタリアの右側の方に流れていくと。ここが当然川なんで、いい感じの平地になってるわけですよね。
ただ水が豊富すぎて、一部湿地帯になってるわけですよ。
豊富すぎる。
ビシャビシャになっちゃう。アルプス山脈の水ですからね。
水量はありそうだね。
パダノベネタヘイゲンの開拓とカトリック修道会
水量いっぱいありますから。そこら辺にパダノベネタヘイゲンとかポーヘイゲンって言われてるところなんですけど、
パダノ?
パダノベネタヘイゲン。
パダノベネタヘイゲン。
もしくはポーがポーというのを取ってポーヘイゲンって言われたりするんだけど、
ここはね、さっき言ったようにわりと広大な湿地もあるようなところ。日本で言ったら江戸幕府ができる前の江戸みたいな感じ。
本当は開拓すれば町ができたりとかさ農業できたりするんだけど、水が多いから湿地になっちゃってると。
ここに灌溉設備を入れれば農耕ができるんだよね。でもできないからしょうがないからパラパラと羊を飼ってる程度でしたと。
ここにですね、カトリック修道会。
カトリック修道会。
修道会が行ってですね、開拓を始める。
ここに来て宗教登場?
もう西暦1100年頃の話なんで、日本で言ったら部屋時代は終わって、
そろそろ鎌倉に差し掛かろうかという部屋末期ぐらいの時代ですね。ぐらいに開墾を始めていくんだよね。
ああそうなんだ。
水がいっぱいあるのであればですよ。この水を逃す灌溉設備を作ればいい。江戸も同じことやりましたよね。
川を作って整備する。そうすると平地が開けますよね。
もともと川が氾濫したから湿地になってたようなところっていうのは当然ですけど、土がいいんですよ。
ああ土がね。
これインダス文明でも氾濫農業とかってやってましたけど、川が氾濫すると川が運んできた栄養がその地に落ちるわけですから。
そこを平地にして農作物を育てるかと思いきや牧草を育てるんだよね。
牧草を育てる?ここで?
ねえ不思議だよね。
ああ野菜とかではないんだ。
麦とかいきゃいいのにね。多分やっぱと思うんですけど、一大牧草農業を始めるね。
パルミジャーノレッジャーノの生産と利益の追求
へえ。
もともと羊飼ってたところに牛連れてくるんだよね。
牛を連れてくる?
そうなんですよ。
はあ。
水があって牧草がいっぱいあって、しかもここいいことに岩塩がいっぱい取れるところなのね。
ああ岩塩取れるんだ。
だってアルプス山脈自体が海から流基してできたものでしょ。つまりここはね岩塩の方向なんですよ。
ああまあイタリアといえばね、岩塩っていうイメージもあるからね。
そうなんです。まさにそこ。岩塩がある、水がある、あとは観宅さえしてしまえば、観外設備さえ整えてしまえば牧草が育つ。
これだったらでっかい牛を飼えるじゃないですか。
飼えるね。
大量に。ただそこにはその設備を整えるためにはお金と人が必要だよね。そこにカトリックパワー全力でドコーンって投入するね。
ああそこにカトリック。
そうなんです。このゾーンが実はローマ教会のエリアなんですよここ。
ああそうなの。
結構カトリックの歴史っていうのをずっとやっていくと複雑なんだけど、例えば西の方はフランク王国が持ってますとか、右側はゴート王国ですとか色々あるんだよ。
直轄のエリアはここだよみたいのがあって、それがだんだん小さくなっていくんだけど、もともとこの北イタリア辺りまではローマ教会寮みたいなところだったりするんだよね。
一番最初に攻めてるもんね。
ここに税に金、税に金で一緒だな。人物をドーンと、人物金を突っ込んで開拓をしますと。そうするとチーズが作れるようになるじゃないですか。
そうだね。
大量の牛がいて大量の牛乳が取れて、でチーズを作ることができると。でこのチーズの加工方法というのがアルプスの山岳時代で作られていたあの硬いチーズなんですよ。
ああそこで硬いチーズを持ってくるの。
つまりねこのもともと山岳で作られた硬いチーズが公益品として売られてたんですね。ゴーダチーズみたいなやつ。
それが美味しいもんだから割と人気があったと。これを自分のところの手元で作って公益品にすれば経済的なパワーを得ることができる。
確かに。
ただ巨額の投資をしなきゃいけない。その巨額の投資さえすればできるんだったらやっちまえみたいな。
もちろん事前仮想的な部分もあったと思うんですよね。その労働する場所を作ってあげる、雇用を生むっていう効果もあっただろうし、
開拓することによって農地が広がるからそこで住まう人たちは幸せになっただろうし。
一種の公共事業か。
に近いところもある。一方でそのできたでっかいハード系チーズを売ることで修道会の資金源になっていく。
ひいてはローマ教会の資金源になっていくみたいな循環もあるわけですね。
まあいい投資先なんだね。
こうして生まれたのがパルミジャーノレッジャーノっていうチーズ。これ有名ですね。
パルミジャーノレッジャーノ。パルミジャーノじゃないんだあれ。
パルミジャーノレッジャーノっていうチーズです。
へえ。それ正式名がパルミジャーノレッジャーノ?
そうです。
レッジャーノを知らなかった。
これ地名が2つくっついてるね。
うん。
地名、僕イタリアの地名は詳しくないんですけど。
大体の人はそうだと思う。
パルミジャーノはパルマかな確か。
これイタリアのセリエのサッカーチーム知ってる人だったねパルマ。
昔中田秀俊がいたパルマ。
ああパルマね。
レッジャーノはレッジーノだよね。
ああレッジーノね。はいはい。
日本人の発音でいくとね。あの辺り。
ああそういうことね。
で作られたチーズで、日本ではこのパルミジャーノレッジャーノのことをパルメザンチーズって呼んでるよね。
ああパルメザンチーズ。
でも日本で言ってるのはパルメザンチーズって言ってるだけで正式なパルミジャーノレッジャーノではない。
ああ違うんだ。
アラスコはもうこの地域でこのように作ってこういうものじゃないとダメっていう規定があるんで。
ああそういうことね。
GIが決まってるんで勝手に名乗れないんですよ。シャンパンと一緒ですよ。
ああラムシもそうだね。
はい。これ全部決まってるんで。
うんうん。
日本のパルメザンチーズはパルミジャーノレッジャーノを模したものがほとんどですけどね。
ああそういうことになるね。
これは世界でも最高峰と呼ばれるチーズの世界で言ったら初期型の超高級チーズの誕生。
へえ。
直径およそ43センチ。1500年代の記録によると厚さが8センチ。
でっかいね。
はい。現代は厚さがさらに厚くなりまして23センチ越えです。
23センチ。直径40センチぐらい。でっか。
そうなんです。これは昔からいろんな本にも書いてあるんですけど、権力と富の象徴とも称されるパルミジャーノレッジャーノっていう表記があちこちで見られました。
へえ。表面がちょっと茶色いやつかな。燻製じゃないのか。あ、燻製で茶色いのか。
燻製したら茶色くなりますけどね。
確かに。
硬いやつですよ。
硬いやつ。
日本の卸金の穴開いてるやつみたいのでパラパラパラッと削るじゃないですか。
うんうん。
あれ。
ああ、よく映像では見るね。
よく粉チーズなんかに使われるものですね。そうなんです。
あれなんだ。
うん。これはルーツでいくと三角形のハードチーズ、熟成チーズっていうのがあって、これを平野部で作るためには当然でっかい熟成粉を作らなきゃいけないわけですよ。
ああ、まあ確かに。
平野部だから気温が高いわけですし。で、でかいチーズを作って大量生産するためにはでっかい鍋が必要なんですよね。
はい。
そのでっかい鍋がたくさんあるところを運用するためにはたくさんの人が必要で、それだけの設備に見合ったたくさんの牛が必要でみたいな。
うんうん。
もうね、近代化の走りがもう既に1100年ぐらいに起こってる。
チーズで。
チーズで。
へえ。
すごいよね。
すごいね。
チーズの登場とミルクの食文化の変化
ミルクの食文化史の中で一大転換点の一つと言われていて、てかまあ僕もそう思うんですけど、今まではミルクというのは乾燥地帯だったりものすごく寒い地帯だったりして農作物が取れませんと。
うんうん。
だからミルクに頼って生きていかなければならない。つまり生きていくためのミルクだったんですよね。
はい。
その文脈で出てきたのに、ここに来て楽しみとか利益のための食っていうのがドンと出てくるわけですね。
確かに。
なのでパルミジャーノレッジャーノの登場というのはこれはもう西暦1000年過ぎの頃なのでだいぶ時代下りましたけど、このくらいのタイミングから利益のための食っていう風に舵を切っていくっていう感じです。
うーん。
まだ日本はそこのステージに上がるかまあ足を踏み入れたぐらいの時代ですけどね。
平安。
平安末期なんでまだまだこれからってところですけど。
そうね。工業生産みたいなのはまだ考えられないもんね。
まだ一部には利益のための食とは言いますけど、その利益がお金が生きるために必要な社会に徐々になりつつあるっていうことでもあるんでね。
はいはい。
いわゆる貨幣経済ですね。
確かに貨幣経済がまず根付かないと無理だもんね。
そうなんですよね。それを成し遂げたのはというかそういうことができるようになったのはもともとローマ帝国がありましたとか西ローマがあってフランク王国があってとかそういう大きな帝国がゴリゴリと動かしてきたっていう部分もあるとは思いますからね。
国同士がちゃんと貿易をするようになったっていうそこが大きいのか。
地中海貿易があってさそれこそイスラームの人たちとかねギリシャの人たちとか貢献をずっとしてるわけですからその辺の背景にもあると思いますよ。
確かに。
二つの道っていう話をここまで冒頭にしたんですけど南側だけで終わりました。
確かに南側だけだったね。
北側は倍喋んなきゃいけないので今日もしません。
このシリーズでそこの部分は割愛してもいいかなと思ってるんです。
割愛するの。
そこまで喋らなくても次のシリーズでちょいちょい触れざるを得ないのでそれでわかる程度だと思います。
ああそうなの。
触りだけ冒頭の部分だけちょっと触れておくとですね古代ローマ古代ギリシャの人たちはね
北方の蛮族野蛮な人たち蛮族ですね北方の蛮族はミルクを飲みバターを食べるっていうことをことさらに強調するんですよ。
そうなの。
北方の蛮族はミルクを飲んだりバターを食べたりするよね我々はそんなことはしない。
私たちは野蛮ではないからだこういう言い方なんですよ。
チーズを食べる。
チーズは食べるけどもミルクは別にそのまま飲まないしバターも別に食べないということを古代ローマ人古代ギリシャ人は言っています。
謎だよね。
謎。
ミルクの食文化ってさまずバターありきだったじゃない。
そうだね。
いきなりね古代ローマ人がね俺たちはバターいらねえって。
だいぶ感覚が違うんだね。
実際その古代ローマとか古代ギリシャの記録見るとねバターは薬というよりは化粧品だね。
化粧品。
あれ顔に塗ると肌艶良くなるんだってさ。
食べてない?
食べてない。食べ物だと思ってない。
へえ。
油はあるのよこの人たち。
油はある。
もともとオリーブオイルがあるの。
ああ確かにオリーブか。
ミルクからオイルを抽出する手間を考えたらオリーブ絞った方がいいの。
ああそれはそうだね。
オリーブがとってもとっても取れなくて困った時にバターをロウソクにしようかなぐらいの。
バターをロウソク。今で言うマグロの大トロみたいな感覚だね。
そうだね。
わかる?
わかるわかる。
そんな感じなのかな。
そうだね。
あったよね。
バターをあまり食べなくなる。それはねざっと言うと宗教的な概念も出てくるんだよね。
ミルクを飲む行為の禁止
なんかあまりミルクを推してるんだか乳製品を否定してるんだかよくわかんない状態がこの後やってくるんで。
そこでだんだんとバターと添えになっていく感じですよね。
ああそうなんだ。
バターと添えになっていくんだけど現代のヨーロッパを見てくださいよ。
パンにバター塗ってますよね。
クッキー焼くのもパンケーキ焼くのもみんなミルクとバター入れてますよね。
入れてる。
これは一時帝政ローマ時代とかにバターは食わねえぞって俺たちは野蛮じゃねえからって言ったにもかかわらずその後ゲルマン民族がだんだん退去して南下してくるわけですよ。
西ローマ帝国なんか最終的にゲルマン民族が支配するようになるしその崩壊後にはフランク王国ってできますけどフランク王国こそゲルマン人の国家ですから
彼らがローマ教皇を保護する被護する立場になるわけですよ。
立場逆転してるね。
そうなんです。でその後に新西ローマ帝国みたいなの出てくるでしょこれもゲルマン人ですから。
ああそうか新西ローマ帝国はゲルマン人なんだ。
ドイツだもん。
ああはいはいはい。
いう感じなんですよね。
そうか。
ていってここで、そのぐらいの時代の大きなウネルの中で全部混ざっていくんですよね。
で混ざっていくと、例えばユリウス1世って教皇が出てきますけど、
あの人12月25日をクリスマスに制定した人なんですよ。
でキリストの誕生日が正式にいつなのか分かってないです。
ああそうなんだ。
まあ当たり前ですけど、パンピーだったわけですから生まれは。
当時ね。
確かに。
で、いつ生まれたかなんか分かるわけないんですよ。
大工の息子とか言われてますし。分かんない。
ただイエスキリストの生誕を祝うお祭りとかは欲しいじゃないですか。
そうだよね。
もともと12月25日っていうのは、北欧ゲルマニア文化、ケルト人とかゲルマン人の文化の中で、
当時のお祝いの日ですよね。
当時。
冬のね、に至ると書いて当時。
ああその当時ね。
当時のお祝いっていうのは、これは神様の生誕、生命の誕生を意味するお祭りなんですよ。
日の長さが一番短いんだけど、こっからだんだんと暖かくなっていくよねってスタート地点なんでお祝いなんですね。
これと北欧のその文化とキリスト教の生誕祭をガッチャンこさせたのが、教皇ユリウス一世なんですよ。
へえ。
めちゃくちゃやるでしょ。
北の方にカトリックが広まっていく段階で、現地の種族文化に合わせていくんですよ。
合わせていって、これで自分たちのカトリックっていうのを広めていく。
逆にもともとミルクとかっていうのは、初期のキリスト教世界ではとても重要な食品なんですね。
今でこそパンとワインって言ってますけど、初期のキリスト教ですね、教聖ローマの時代、紀元0年前後から100年くらいの頃の話ね。
その頃っていうのはパンとミルクなんですよ。
パンとミルク。
それが教会の中での宗教境地に使われてた食品なんですね。
ああ、確かに。聞いたことある。
パンはイエスの体。今はワインが血であるって言ってるけど違います。
マウントの取り合い
牛かどうかはわかんないけど、ミルクが血だったんですね。
ああ、そうなんだ。
ただ、さっきも言いましたけど、ミルクを飲みバターを食べるのは野蛮だってことにしてたじゃないですか、皆さん。
だから、野蛮人が日常的に飲んでるものが神聖なものだと困るわけですよ。
どっちかを変えないと整合性取れないわけですよ。
ということで、このユリウス一世は宗教境地の中でミルクを飲む行為自体を禁止します。
禁止。
バランス取るじゃん、これ。
あいつら野蛮人だからミルク飲んでんだぜって。
俺たちはお前らが飲めないワインっていう素晴らしいものを飲んでるんだ。
これ貴族以上じゃないと飲めねえんだぞっていう感じになっていく。
地中海入れではワインは比較的庶民もちょっと頑張れば手を出せる。
北方ではそれができない。
代わりにビールを飲んでる。
だからカエサルトコが北の方に遠征行ったり、いろんな人たちが北の方に行ったときに、
北の奴らビールっていうなんかよくわかんねえ野蛮なもの飲んでるよっていう表現でわざわざ記録をするんですよね。
その話ビールのシリーズあったね。
つまりこの時代っていうのはね、周りの人たちを下に見ることで自分の優位性を高めていくっていうのをわざわざ記録して残さないといけない。
ただの嫌なやつ。
今思うとね。歴史ってそういうもんですよみんな。
まあまあそれはね。
だから俺の元に集えよっていうスタイル。
これは今たまたまこの歴史の流れの中でカトリックとかローマ教会の話をしてますけど、
世界中ありとあらゆるところでどんな時代でもやってますからね。日本ももちろんやってますし。
まあマウントの取り合いはどこでもやってるよね。
そうなんです。まあもう21世紀もだいぶ過ぎてきたんでいい加減やめれとは思いますけどね。
それはちょっともう。
2000年前からずっと同じことやってるんだからさ。やめろとは思いますけど。
ねえ。もうちょっとなんか方法あるんじゃないかと思ってしまうけどね。
僕はこの食べ物ラジオやってきてね、一つ思うのはこのマウントの取り合いを世界中で記されているのを見るわけじゃないですか。
どういうわけかね、食べ物言うんだよね。
食べ物。
着るもの、住むもの、食べ物。要は一食中バカにしがち。
あのまあ世界共通で行われていることだからね。たぶんね。
例えばあいつら野蛮人だぜって言っても、相手の信仰する神様をさすがにバカにしたりはあんまりしてないっぽくて。
ああそうなの。
あんまり見られないんだよね。僕が知らないだけかもしれないけど、それよりはあいつらこんなもの食ってやがるとかね。
そっちの方が多いよねやっぱり。
まあまあ確かに。
まあ人間って動物なんだなってその辺思いますけど。
まあね。反面うらやましいところもあるかもしれないけどね。
うん。なんかこう僕らみたいにすごく遠くの東の端っこの日本から千年以上前の話をこうやって眺めてみてるとですね、君ら全員遊牧民なって。
そうね。もとは遊牧民ですよ。
ギリシャ人あなたたちゲルマン人のことバカにするけど、君らもともと同婚ねって。
もとはね。
もとはね言いますよね。
そうだね。何やってるのかね今ね。
不思議ですよね。まあそれ言っちゃうと僕らも近隣のねアジア諸国となんか時々いざこざするときあるじゃないですか。
中国朝鮮派といろいろありますけど、僕らみんな同婚ねっていうことですけど。
まあそうなると学校の中のね教室の中でこう派閥ができるようなもんかなと思ったりもする。
そうだね。
そういうのをちょっと全体を広げるとこんな感じになっちゃうよっていうまあそれはしょうがないかな。
食文化の変化
これは歴史の解釈の話でもあるんだけれども、実はそういう人間の野生的な派閥っぽい感覚。
それが実は植文化の変化にすごく影響を及ぼしてるんだなっていうことがよくわかるかな。
そうだね。平田アークとただの好みの違いだよね。
うん。
だよね結局ね。僕はこれが好きだけどお前のそれはあんま好きじゃないっていう。ただそれだけだからね。
そうね。
気候環境とかにも影響されるし、社会的環境にも相当影響されていて、
その社会的環境っていうのがその場で新しくできたものもそうだけど意外と数百年前からの伝統にちゃんと根付いてるなって感じだよね。
そうだね。今の世の中見てるとあれだね、環境というかその国のその気候とかさ、
条件を背景に入れずに考えずに言っちゃってるからさ、それは揉めるよね。
そうね。
味覚も違うじゃん。気温が違えば味覚が違うのに、俺はあんまり辛いの好きじゃないって言ってて、
でも暑い地域の人は辛いものが好きだって言ってて、まあそりゃそうだよねっていう。
よくたまにいるよね。酔っ払いの話で聞くことあるんだけど、
あいつらあんなもの食いやがって頭おかしいんじゃねえのと。全然頭おかしくないよって。
そうね、結局そことその人と同じ環境に置かれたら同じものを美味しく感じる可能性高いからね。
そうなんです。
腐った豆食ってやがる。納豆うまいだろみたいな。
そうなんだよね。いつ人類はその辺にね、考えをフラットに持っていけるのか。
好みの問題もあるし、地形とか気候環境いろいろな要因があるんで、
それをそのまま取り入れて自分たちも美味しいと思わなきゃいけないとは思わないんですよ。
それを融合した後、世界は菌質化してオリジナリティ消えていくんで。
まあね。
それでいいんです。ただ相手をバカにしない。
そうだね。それも重要だと思う。
っていうことをね、今回の食べ物ラジオずっとやっててそう思うんですけど、
特にこのミルクのシリーズは強く感じるね。
感じるね。非常に強く感じるよ。
全然シリーズ終わってないんだけど、仲締めみたいな感じやな。
そうだね。ということで、今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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