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おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオ、heldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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Sir William Jonesの紹介
ぜひフォローしていただければと思います。また、コメントやシェアの方もよろしくお願いいたします。 今回取り上げる話題は、Sir William Jones
語学の天才にして、近代言語学、比較言語学の祖、 という話題ですね。
ある個人の話なんですけれども、このheldioでも様々な形で、英単語の語源ということを話題にしてきまして、
遡って行き着く先は、だいたい陰陽祖語に遡るということで、紀元前、まずあと4000年ぐらいと言われていますけれども、
この時代にあった言語から、枝分かれして、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語といった形で、どんどん分岐してきたということですね。
このような歴史ですね、実際文字に書かれる前の時代の話ですね、紀元前4000年。
それなのに、かなり詳しいことが分かっているのはなぜかと言いますと、比較言語学という分野の成果なんですね。
英語で言うとComparative Linguistics、比較言語学ということで、複数の言語を比較してですね、その共通の祖語を復元するというですね。
これを使命の一つに掲げた言語学なんですけれども、非常に高度な専門的な分野でですね、比較言語学とあるんですね。
これがですね、ある一人の人によって開かれたということなんですね。これが今日話題にするイギリス人なんですけれども、サー・ウィリアム・ジョーンズと呼ばれる18世紀後半の人物です。
彼の業績ですね、これがあまりに公明なためにですね、それ以前の言語に関する関心と分けて、それ以降のことを大体近代言語学と呼んでいますね。
とりわけ、この比較言語学という新しい分野をですね、開始した人物として名が記憶されていると、そういうことなんですね。
では、このジョーンズさんはですね、何をした人なのかということですね。ざっとジョーンズさんの人生を振り返ってみますと、ロンドンに生まれたんですけれども、家系としてはウェールズ系のようなんですね。
生まれながらの語学の天才ということで、ヨーロッパの各国語ですね、はもちろん東洋の諸言語にも親しんだということです。
オクスポード大学に入ったんですけれども、数々の言語を学んだと。大学でアラビア語とかペルシア語というような、いわゆるアジアの方面の言語をですね、学んで実際ですね、1771年にはペルシア語文法というのを書いてるんですね。
これ25歳ぐらいの話なんで、とんでもない語学の天才と言って良さそうですね。
その後、経済的理由からですね、言語学者ではなくて法律家を志した。そして1783年に法律家としてインドに赴任しました。
そこでカルカッタの上級裁判官となったんですね。
語学への関心というのは止まらずに、インドでも当然現地の学者についてですね、インドの古語です。サンスクリット語などを学ぶという形でですね、東洋学から東洋の言語を極めようとして、実際多くの文学作品というのを翻訳したんですね。
野望は実現しなかったんですけれども、実はマハーバーラタであるとかラーマーヤナという例のインドの二大序詞詩ですよね。
これの翻訳なんかも構想として抱いていたっていうわけですね。
さらにサンスクリット語の文法書なども書こうと、そういう構想も抱いていたようですので、非常に野心的なと言いますかね、本当に言葉というものが大好きだったっていう個人だったようなんですね。
さあ重要なのは、この学術研究に没頭する一方で、自らも学術協会、学会ですね、これを設立したんですね。
アジア協会、Asiatique Society of Bengalというものを設立して、会長になったんですね。
1786年に協会設立の3周年だったんですが、そこで講演を行ったんです。
これが後に非常に有名となる、On the Hindusというタイトルの講演なんですね。
ここで話されたこと、この内容ですね、これがいわば比較言語学の走りであり、しかも近代言語学の行使となったということなわけですね。
非常に重要な、言語学史上重要な講演となったっていうんですね。
言語間の繋がりの発見
そこから抜粋なんですけれども、最も有名な部分をですね、英語での講演だったわけですが、これを少し引用したいと思います。
というものなんですが、この比較的短い説ですね、これがもうその後ですね、
たくさん引用されるようになって非常に有名になったわけなんですが、ここで言っていることはですね、今となっては常識的というか、よく知られていることなんですが、とんでもない主張をいくつか含んでたんですね。
まず1つ目のポイントは、ヨーロッパの諸言語、これが互いに似てるという洞察は、これは中世の時代からあったんですね。
これは決して珍しいことではない。例えば英語とフランス語とか英語とドイツ語、いろんな意味で似てるねっていうような発想は、中世から近代にかけてずっとあったんですが、それからギリシャ語とラテン語であるとかですね。
ところが、アジアの言語である、インドの古語であるサンスクリット語、これとヨーロッパの諸言語も関係があるんだということですね。
これを名言したと。他にはですね、ペルシア語であるとかゴート語であるとかケルト語なんていうのも含めて、全部ある意味1つの語族のようなもので、似てる言語群なんだっていうことを明示的に指摘したっていうことは大きいですね。
ヨーロッパの枠を超えてですね、サンスクリット語までそうなのかという点で、かなりこれは度肝を抜かれたはずですね。聞いていた人は。
そして2点目重要なのは、諸言語間で似てるなというところは多く気づかれていたわけなんですが、文法が体系的に似ていると。
具体的には語形になるわけなんですが、そうしたものを集めた、いわゆる文法システム全体がですね、これらの言語間では共有されていると、遡ると同じものを辿り着くというような発想を、これまた名言した、明示したっていうところですね。
これが重要なポイント2点目っていうことになります。そして3点目なんですけれども、これもかなり重要ですね。
その様々な共有している、祖先を共有しているだろうと考える言語の、じゃあその大元の祖先は何なのかって言ったときに、それ以前のですね、研究者、学者はですね、それはヘブライ語であるとか、ギリシャ語であるとか、ラテン語であるとかですね。
既存の言語、いまだ生き残っている言語って言うんですかね。よく知っている言語のいずれかがその祖先という発想だったんですが、このジョーンズさんはそれをきっぱり否定してですね、その大元の言語は今では生き残っていない。どこ探しても存在しないということを名言したんです。
この3つのポイントですね、土着も抜かれたわけですけれども、人々はですね、これによって諸言語の間の繋がりに関する関心が高まり、このジョーンズさん自身はですね、そこまで遠大な言語学的研究には進まずに亡くなったわけなんですが、その意図と言いますかね、
死を引き継いだ言語学者たちが、この比較言語学をですね、開化させることになり、そしてこの3つのジョーンズさんが指摘したポイントが基本的に正しいということが後に実証されたということなんですね。それではまた。