黒死病の概要
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
10月15日土曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオheldio。本日の話題は、【The Black Death】
黒死病についてです。 どうぞよろしくお願いいたします。
もっか、コロナ禍というパンデミックがですね、世界中を接見しているわけなんですけれども、
最もひどい流行病として名前が挙がるのが、14世紀半ばにヨーロッパを接見したペスト被害、黒死病というものですね。
これは英語では、The Black Deathというふうに言います。 非常に大きな事件だったということもあってですね、
Black Deathの最初の大文字はそれぞれ大文字ということになっていますね。いわば小夢史のように扱われている歴史上の大事件、大疫病だったということになります。
当時のヨーロッパ社会にとってはですね、本当に一大打撃というべき事件だったわけですね。ヨーロッパだけではなくて、発症はアジアなわけですけれども、アジアヨーロッパで
5000万人以上が死亡したというわけですから、当時14世紀という時点ですね、5000万人というのは相当大きな規模だったということがわかります。
ヨーロッパに限っても、このペスト化によって人口の3分の1ほどが死亡したというわけですから、大変すさまじいですよね。
そしてイングランドに限っても、人口の3分の1からもう少し多いくらいですかね、200万人ほどが死亡したとされています。
それくらいですね、インパクトが大きかった。それ以前のヨーロッパ市においては、戦争であるとか他の疫病もあったわけですけれども、ここまで大規模なものはなかったということで、歴史上名を残す病ということになったわけですね。
時は今から650年ちょっと前ですね、1347年、中央アジアにこのペスト化、ペスト菌ですね、これが発生したと、そしてこれがですね、貿易船に乗り込んで、おそらく媒介したのはクマネズミというネズミなんですけれどもね、
このペスト菌に侵されたクマネズミが船に乗り込んで、貿易船に乗り込んで、それがイタリアの港などに着いたわけですね。着いたのが1348年です。そしてこの年の間にイタリアからものすごい勢いで広がって、フランス、そしてイングランドの南部、ロンドン辺りまでも達してるんですね。
そして続く1349年、50年とかけてヨーロッパの内陸部や東諸部、北欧大当たりまで届いています。これが第一波ということでですね、第二波、第三波と数年刻みでですね、続いていったわけなんですけれども、ものすごい感染力、そして死亡率なわけですね。
したがって当時のヨーロッパ社会の人口はもちろんなんですけれども、経済、政治、社会、文化、あらゆる点でダメージを受けたっていうことなんですね。
語源の探求
人口規模で言いますと、この疫病が流行る直前の段階のヨーロッパの人口ですね、ここの段階に再び回復するのに数世紀を要したということでですね、著しい人口の消失を伴ったということがわかると思います。
実はこの国死病という一大事件、減少ですけれども、これによってですね、言語状況、ヨーロッパの言語状況というのも大きな変容を迫られます。実際イングランドにおいて、英語のチーですね、これがですね、低かったものが高まるという結果になったんです。
もちろんこの国死病だけが原因なわけではないんですけれども、他にたくさんの原因、理由があるんですけれども、そのうちの重要な一つというふうに考えられます。したがって国死病は英語史においてかなり重要なテーマ、話題ということになるんですね。
これについては改めて触れる機会があるかもしれませんけれども、実は英語史上も国死病という事件はとても重要な鍵となる事件だった。このように議論することが可能です。
さて、今日はこのBlack Death、国死病と訳されるBlack Deathですけれども、こちらの語源を探ってみたいと思うんですね。実はこれはですね、当の国死病が起こっていた14世紀、この当時使われていたわけではないんです。
そうではなくて、かなり新しい、近代に入ってからの用語のようなんですね。それまではですね、他の言い方としてThe PestilenceとかThe Plague、Great Pestilence、Great Deathのような言い方がなされていたんですけれども、Black Deathという言われ方はですね、あまりされてこなかったんです。
それが16世紀にですね、まずスウェーデン語でSwarte Dördenという言い方、それからデンマーク語でDensorte Dördのような言い方が出たんですね。これ、The Black DeathとかThe Dark Deathぐらいの言い方なんですけれども、そしてこれがですね、ドイツ語に入りましてDer Schwarze Todという言い方になりました。
まさにThe Dark Deathという言い方ですね。そしてこのドイツ語のDer Schwarze Todをなぞった形で英語でもThe Black Deathという言い方が1758年というタイミングで初出しています。そんなに古い話ではないですよね。今から250年ほど前のことということで、だいぶ新しい用語ということになります。
その後1833年に医学書の中で使われ出したということですので、一般に言われるようになったのは随分と最近だなということなんですね。
これを現在も私たちは使い続けているということになります。ただ、この大元のスウェーデン語のSwarte Dördenという言い方ですけれども、そこに始まる一連のなぞりですね。各言語に大体そのまま訳されたわけなんですが、
なぜ黒なのか黒いとか暗いとかその辺の形容詞がついているのかというとですね、これが実はよくはわかっていないようなんです。
一つ割とストレートに考えられていることはですね、この病気にかかると体が黒くなる。黒いコブみたいなものができるというところからついたのではないかと。これは確かにストレートな解釈のような気がするんですけれども、
もう一つの解釈と言いますか、説としては、ラテン語のアトラモルス、これをなぞったものではないかと。このアトラモルスの、モルスっていうのはdeathっていうことなんで死ですね。
そしてアトラという部分なんですが、これが本来はひどい terrible ぐらいの意味でアテルという形容詞があるんですね。ひどい死つまり terrible death ぐらいの意味で名付けたものがアトラモルスのように名付けたものが、
このアトラっていうのがですね、実は同音異義語でひどい terrible の意味のほかに黒い、暗いという別の意味も持っていると。タギ語と言いますか、同音異義語ですね。
なのでこれをですね、terrible の方の意味ではなくて、black dark の方の意味で解釈した翻訳者が、いわば black death のように訳してしまったんではないかということですね。同音異義語の勘違いと言いますか、誤解という説です。これはありそうな話ではないかなというふうに思うんですけれどもね。
ということで、現在日本語でコクシビョーと訳されているものはですね、英語の black death これを訳したものなんですが、それ自体はドイツ語の der schwarze tot そしてそれ自体はスウェーデン語 swarte töten であるとか、デンマーク語 den zwarte tört という the black death に相当するものなんですけれども、これが近代になって
使われ始めたということですね。14世紀のコクシビョーが起こっていた当時は使われていなかった。むしろ近代から振り返っての歴史用語、医学用語のような位置づけで始まったということなんですね。そしてその背後にはおそらくですけれどもラテン語の atramorus の atra という部分の誤解が絡んでいるということかと思います。
現代との比較
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今から650年以上前のヨーロッパの話ですから、時間も空間も私たちからだいぶかけ離れている話題なんですけれども、現在世界を接見していますコロナ禍との対比ということでしばしば持ち出されるのがこのコクシビョーというものですね。
black death というわけですが、この語源を探ってみました。わからないことも多いようなんですけれども、一つの説、二つぐらいですか、紹介してみたという次第です。
さてこのチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、あなたからのご質問ご意見ご感想をお待ちしています。Voicy のコメント機能を通じてお寄せいただければ幸いです。
それでは本日土曜日、皆さんにとって良い1日になりますように。ほったりういちがお届けしました。また明日。