2025-12-20 22:39

【再】#518. インド英語が終着点である英語史を想像してみる

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #インド英語 #英語史記述
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サマリー

このエピソードでは、英語の歴史の進化について、特にインド英語が将来的に最終目的地とされる可能性について議論しています。英語の起源や進化、政治史との関連を検証し、インド英語が世界の共通言語となるシナリオを描いています。また、伝統的な英語史の終着点がイギリス英語とされる一方で、アメリカ英語やインド英語が新たな視点として浮上していることについても考察しています。

英語の歴史の基盤
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
10月31日、月曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオheldio。本日は
【インド英語が終着点である英語史を想像してみる】 と題しまして、ちょっと変わった話題をお届けします。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。 変なタイトルの回なんですけれども、【インド英語が終着点である英語史を想像してみる】
ということで、私この手の想像を良くする妄想と言いますかね。 ブログを含めてあまりこのことはお話ししていないんですけれども、皆さんどのようにお感じになるかなとご意見を伺ってみたいと思いまして、お話ししてみようとそういう気になりました。
英語史というのは言葉の歴史ですね。特定の英語という言語の辿ってきた歴史、 昔から今までを記述するというそういう分野でして、この英語の語源が身につくラジオの背景となっている学問分野ということなんですね。
言葉の歴史ですから、ある国の歴史、例えば日本史であるとかイギリス史、アメリカ史みたいなものとは違って、言葉そのものが辿ってきた歴史ということなので、舞台、地理的な舞台っていうのは十分に変わり得るんですよ。
狭い意味での英語史はだいたい449年から始まるということで、大陸にいた西ゲルマンの一派であるアングル人、サクソン人、ジュート人、これ大陸にいたわけですね。今のドイツ北部あたりにいたわけなんですが、つまりその場合の舞台はドイツ北部ということになりますが、
彼らがゲルマン民族の大道の一環として海を越えてブリテン島にやってきたのが伝説によると449年ということですね。この時点をもって英語史を始めようということになっているわけです。その前夜、ブリテン島に渡ってくる前夜も同じ言語を彼らは喋っていたので、これも英語であるという言い方はできるわけですよ。
ドイツ北部にいた時代にもですね。ただ、どこからかスタートにしないと常に連続体になるわけですよ。そのドイツ北部にいたアングロサクソン、ジュート人ですね。彼らも西ゲルマンの人々だったんですが、さらに遡ればゲルマン祖母、そしてインドヨーロッパ祖母、そしてそれ以前もずっとですね、続きがあったというか前史があったはずで、そうしますとグッと飛んでですね、10万年遡ったわけですね。
アフリカの人類の言語が生み出された瞬間という、ここの起源にですね、究極的には戻るわけですよ。その意味では現在から遡るとどこまで経ってもですね、英語といえば英語なので、10万年前の人類の言語の起源、この瞬間も英語ということになっちゃうわけです。
その意味では、その10万年前の最初の言語っていうのは、日本語であるという言い方もできるし、ホニヘララ語であるという既存のですね、言語全ての起源でありますので、あると考えられますので、そういうふうに言えるんですが、そうするとあまりにですね、意味がないんですよね。
なので英語史って言ったときに、どこかでスタートをすると、そのスタート決めた時点の1日前だって本当は同じ言語なんだけれども、一応決めなければいけないので、仮にっていう言い方でですね、449年してるわけです。これが伝統的な英語史ということで、これは地理的なベースがブリテン島であるっていうところ。
そして結局ですね、現代にまで続く国家、イギリスという国家の起源と結びつける形で449年を、一応のところ仮の英語史のスタートということにしましょうねという取り決めになってるっていうことです。
政治史と絡んでるっていうことですね。言語史と純粋に100%言語学で見るんであれば、その前夜、ドイツ北部にいた時代だって全く同じ言語でしょうということになります。なのでこの年代区分とか時代区分、それから何々語っていうのがいつスタートするかっていうのは、こういった問題をはらんでるんですね。政治的なんです。
さて、現在書かれて出版されている英語史の本ってたくさんあるんですけれども、その大半がこの449年をベースとしまして、そしてその前史があるっていうことも一応語るわけですけどね。人類の言語の起源からインドヨーロッパ祖語、ゲルマン祖語、そしてニシゲルマンという系統を引いた449年に始まる英語みたいな流れでずっと描くんですね。
その後なんですが449年の後、主な舞台っていうのはイングランド。ブリテン島の中の一部であるイングランドなんですね。ここがベースになってずっと歴史が1600年ぐらいまで続くわけなんですよ。
そしてその後もですね、当然プラス400年、現代までイギリスで話されているので、イギリスが舞台であり続けて終着点はイギリスの、現代のイギリスの標準語ということで英語史が描かれることが多いんです。
ただこの際にものすごく重要な英語の編集としてアメリカ英語っていうのがこの1600年ぐらいからですね、初めて英語がアメリカに到達して少なくとも定着した、定住したっていうのが1607年のジェームスタウン建設ということなんで、
だいたいアメリカ英語の歴史も1607年にスタートということになってるんですが、このタイミングからの400年っていうのはこのイギリス英語の本流、一本の線で描かれるイギリス英語の本流から1600年の時点でちょっと枝分かれしてアメリカ英語なるものが現れて、分派として存在するみたいな、そんな描き方がほとんどの英語史の概説書っていうことなんですね。
アメリカ英語の影響
ところがですね、今私が大学などで教えています大学生であるとか、あるいは元若い世代は英語っていうのはアメリカ合衆国の言語であるっていうのがまず最初に浮かぶわけですよね。
そうしますと、もちろんイギリスで英語が喋られているっていうのも分かっている。そして歴史の勉強を通じてイギリスからアメリカという国になり、いわゆる植民地を経由して、そして独立した国だっていうことも分かってるんで、考えれば英語という言語もイギリスから派生した形でアメリカに渡って分派ですよね。
先ほどの正当な英語史の言うように、分派的にアメリカ英語に渡っていったんだと。つまりあくまでイギリスは本流だけれども、枝分かれしてちょっと横に反れたのがアメリカ英語だということは、説明されて頭では分かっても、やっぱり自分の中ではアメリカ英語というのがそもそもの英語の最たるものなんだっていう発想があるので、
英語史もアメリカ英語が終着点である、つまり歴史の終着点、現在のゴールである、そんな英語史っていうのを思い浮かべる可能性あると思うんですよ。
アメリカ英語がまず終着点ですね。別の言い方をすると、インドヨーロッパ諏訪からずっと直線でつながって、なれの果て、その直線の先がアメリカ英語という、こういう発想ってあり得ると思うんですよ。
このような発想、英語の歴史の見方の持ち主にとっては、このインドヨーロッパ諏訪からずっと続いてきて、ゲルマン諏訪、西ゲルマン、そして449年の重要なポイントですね。
そしてそこから確かにしばらく舞台としてはイギリスなんだけれども、1607年まではですね。その後1607年以降は主たる舞台がアメリカになる。そこから継ぎ来したように年表と言いますかね、時間を表す直線がまっすぐと伸びて、そして現代のアメリカ英語に至るっていう感じです。
そしてイギリス英語は1607年の段階で、この直線からですね、脇道に反れたと、分岐したっていう風な図で言いますとね、そこから分離して、ちょっと横に反れたところにあるのが今のイギリス英語だみたいに見えると思うんですよ。
さてここからは完全に空想妄想の話なんですが、50年後100年後、インドが非常に強力な世界的に影響力のある国家に成長し、そしてインドでは国内的は分かりませんが少なくとも国際的には英語を使う。
インディアンイングリッシュというインド英語を使って世界に大きな影響力を与えている。アメリカよりもイギリスよりもということになった場合ですよ。その時代の英語史っていうのは終着点がインディアンイングリッシュになるわけですね。
そしてみんながこここそが英語の終着点、現在っていうことですが、現在一番影響力のあるインド英語こそが歴史の終着点だというふうに見えるわけなんで、インドヨーロッパ諏訪からインド英語までまっすぐ伸びてるっていう線ですね。こんな図になると思うんですよ。
そして1600年前後にアメリカ英語もイギリス英語もニョキッと分岐するかのように分かれていくというそんな構図ですよね。コメント返しです。まずは515回英語に関する素朴な疑問1000本ノック宿広し&ほったりうち第2弾。
金曜日にお届けしました生放送回60分の1000本ノックの回だったんですけれども、こちらにアンナさんよりコメントいただきました。読み上げます。途中からでしたが生放送で楽しませていただきました。
思いつきでお送りした質問を取り上げていただいたり、自分も知りたかった質問にうなずいたり、聞く立場でも参加しているような気分でした。多数の質問が終わりだったとのことで、ぜひ3回目もよろしくお願いいたします。ということで大変ありがたい嬉しいコメントを寄せていただきましてありがとうございます。アンナさん。
生放送ですと特にそうかと思うんですが、聞く立場であっても一緒に参加しているという、そんな雰囲気が作り出せればいいなということでやっておりましたので、大変嬉しいコメントでした。
回答すると言いましても、いつも言っていますように、みんなで考えてみると、こんな質問が寄せられたのかということを楽しみながら、自分だったらどう考えたり、どう答えるかなみたいなことですね。そんなふうに聞いていただけると、多分一番面白いのかなという気がしますね。
実際に回答している陣営、今回だと矢度美先生であるとか菊地先生、そして私だったんですが、回答陣営もその場で最適解を出せるわけでもなく、そもそも調べている余裕もなく、本当に思いつきでと言いますか、今まで知っていることと思いつきでお答えするということなんですが。
私として本当に面白いなと思うのは、例えば矢度美先生が答えられたときに、自分はちょっと違う角度から行こうかなとか、あるいはサポートするような形でプラスアルファ補足しようかなという、この思考回路とあと実際に出てくる説明の言葉を通じて、理解が深まるっていうことがあるんですよね、私自身が。
これは生本番の打ち合わせなしで、しかも何か文献を参照するわけでもなく、本当にお互いがその場で既に知っていることとか、その場で思いついたことっていうのを戦わせることによって、新たな刺激が発生するっていう、それ自体が面白いということで、この刺激になかなかやめられませんので、ぜひ3回目も、
実施したいというふうに思っています。質問もたくさん残っておりますので、また生放送での投げ込みっていうのも、なかなか面白い醍醐味だと思いますので、アンナさんよろしくお願いします。そして他の皆さんも投げ込みも含めまして、この1000本ノックシリーズ応援いただければ幸いです。ありがとうございます。
それから昨日の放送です。517回、間接目的語が主語になる受動態は、中英語記に発生した。He was given a bookという回だったんですけれども、文法の変化に関する話題ですね。文法に関心のある方が多くてですね、非常に多く聞いていただきまして、嬉しく思ったんですけれども、その中からコメントいただきました。
センズ・オズさんからです。英語を見ているとややしっくりこないなと感じられる文、私の主観ですが、というのがありますが、そういうものは中英語以降にできた傾向があるのかなと、今回の内容を拝聴して感じました。ということで、センズ・オズさんありがとうございました。
英語史の変遷
このしっくりこないと感じられる文と言いますか、いろんな構造が英語本当にあるわけなんですけれども、現代に通ずる構造ですね。文法項目っていうのはおっしゃる通り、確かに中英語記以降に発生したものっていうのは多いんですね。
それがしっくりくるかどうかっていうのは、確かに主観と言いますか、学ぶ側、我々接する側の問題かもしれないんですけれども、いろんな文法項目が中英語記以降に発生したっていうのは私の実感としてあるんですね。そして昨日実際に取り上げた、このHe was given a bookの類の間接目的語は主語になる受動態っていうことなんですけれども。
これ、中英語以降になんでこういうものが多いかということなんですけれども、これやっぱり理由があるんですね。このヘルディオでもたびたび、そしてヘログなんかでも取り上げてきている問題で、そして英語史では非常にメジャーな問題、話題だったりするんですけれども、小英語から中英語記にかけて何が一番変わったかというとですね。
屈折語尾が衰退したっていうことなんです。その結果として語順が定まったりというような統合的な現象ですね。いろいろ新しいものが起こってくるんですけども、屈折って語尾ですね。
語の末尾を変化させることで主にですが、いろいろな文法関係を表すという、いわば形態論の話なんですよね。語の内部でいろいろ細かく操作することで文法を作り上げると。これが衰退するとここに頼ることができなくなるんで、今度は語の外、つまり複数の語の組み合わせ方とか語順っていうことで文法を作り上げるという言語に、いわば言語の類型がですね。
大げさに言うと180度変わったというような、そんな歴史を、歴史的変化を経験しているっていうのが英語なんですね。ですので、構造っていうとだいたい統合構造のことを言うと思うので、複数の語の組み合わせ方。今回の関節目的語が主語になるような受動体の文っていうのもそうなんですけれども。
こういったものはだいたい新しくですね、中英語機構にできるっていうことは確かに多いんです。そしてその背景には、小英語から中英語にかけての屈折語尾の衰退があるということなので、まさに指摘いただきましたね。中英語機構にこういうのはできてきたっていうそういう傾向があるんじゃないかっていうことなんですが、これはその通りなんです。
そしてそれには理由がある、理屈があるっていうことなんですね。もちろん、小英語の時からあった構文がずっと残っているっていう、そういう継続性っていうのもいくらでもあるといえばあるんですけれども、新しく生まれた構造っていうのはですね、じゃあその新しい、いつ生まれたのかという話になると、中英語機っていうことが割と多いなということです。
ですので、コメントで指摘されていることっていうのは、真理の一面をついているという、そういうことができると思うんですね。ありがとうございました。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日の本編のタイトルはですね、インド英語が終着点である英語史を想像してみるということで、本当に仮のフィクション的な妄想に近いものをお話ししてみたんですけれども、もちろん現実に起こるかもしれませんけれどもね。
英語史であるとか〇〇語史というのは、現代から遡ってこの言語の過去はどうなっていたかなということを考える、そういう分野ですので、現代の時点っていうのがどこにあるかによって、当然歴史の描き方、歴史の終着点といいますか、終着点、ゴールが現在なわけなんですが、ここが変わってくるわけですよね。
伝統的な英語史ではイギリス標準英語ということが終着点になりますが、ただこれは実感に合わないという、主に若い人も多いんではないかと、英語といえばアメリカでしょという話になると、終着点がアメリカ英語である英語史というのも十分に考えられる話で、実際にですね、アメリカ英語を終着点とする英語史というのは、もちろん出ているんです。
メンケンとかクラップという人々が書いた英語の歴史っていうのは、今はある意味アメリカ英語史の古典とされているんですが、その終着点、メインはアメリカ英語ということになっているわけですね。
インドヨーロッパ諏訪から直線的にまっすぐと年代の線ですね、が伸びてアメリカ英語に行き着くって感じです。そして1700年ぐらいににょきっとこの直線から分かれる形でイギリス英語が発生していくみたいな見え方になるわけですね。図の描き方になると、そういうことです。
まっすぐの数直線で現代に至るものっていうのは、文字通りストレートっていう感じで、正当っていう感じがします。なので、この直線の終着点にあるものがイギリス英語なのかアメリカ英語なのかインド英語なのか、はたまたなんとか英語って他のものなのかっていうことで、英語史全体の見え方がガラッと変わってくるっていうことです。
そして、いわゆる伝統的なメインストリームのこのカッコつきですけどね、伝統的なというのもカッコつきですが、メインストリームの英語史っていうのはイギリス標準英語が終着点になるっていうものが圧倒的なんですが、これもあくまで一つの描き方に過ぎないっていうことですね。この点を抑えておくことは重要なのかなというふうに思っています。
ただ、あまりに大多数で伝統的でメインストリームということになっているので、他の描き方はここからのズレというふうに見えてくるわけなんですけれども、本来は極めて相対的な話だということなんですね。
まさに世界英語ワールドイングリッシーズが論じられるような時代になってきましたので、このあたりも柔軟に図を頭の中で切り替えることができるっていうふうになると、この議論にもついていきやすくなるのかなというふうに考えています。
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面白かった、ためになったなどの回がありましたら、最近の回でも構いませんし、古い昔の回でも構いません。いいねであるとかコメントを寄せいただければ、私もできる限り反応していきたいと思います。
それでは新しい週間の始まりです。今日も皆さんにとって良い1日になりますように。ほったりうちがお届けしました。また明日。
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