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おはようございます。英語の歴史を研究しています。 慶應義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった 英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回取り上げる話題は、
イギリス英語は方言差が激しいのに、アメリカ英語は比較的一様、 という話題です。
英語、世界で話される英語の2大変種といえば、イギリス英語。 これ、本家の英語ですね。
そして、近現代になって勢力を伸ばした、 と言っても近現代と言っても本当に20世紀、そして現在21世紀ですね。
勢力を伸ばしたアメリカ英語という、この2つの英語変種というものが、最もよく聞かれるし、 そして学ばれているという現実がありますね。
イギリス英語は、イギリスで話されている英語なわけなんですけれども、 非常に実は多様なんですよね。
標準イギリス英語という言い方をすると、一つのものを思い浮かべるんですが、 実際にはですね、イギリスには様々な方言があります。
日本よりも狭い島国なわけなんですが、非常に細分化されている、 方言化されているということですよね。
一方、アメリカは大陸国家です。非常に広い。カナダも含めてですが、北米ですね。 それから、実は同じく大陸国家であるオーストラリアなんかも同じなんですけれども、
広いにもかかわらず、実は比較的ということですが、英語が一様なんですね。 方言差がイギリスほど激しくない。
これほど狭いイギリスで多様化している。一方で、これほど広いアメリカ、カナダ、オーストラリアで、 全体的には一様な感じがするというのは、不思議なような気はしますよね。
先日の放送で、日本語を引き合いに出して、日本も島国です。 比較的狭い国なわけですけれども、その中にも非常に多様な方言が話されている。
ということで、こうした事実を突き合わせると、島国であるイギリスとか日本は、 狭い割には妙に方言化が進んでいる。
一方で、非常に広い国であるアメリカ、カナダ、オーストラリアは、 言語的に一様であるというのは、不思議だけれども面白いという話をしたんですね。
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この分布自体は、島国であれば方言が激しくて、大陸国家であれば方言が少ないという言い方をしたのは、
何かそこに原理的な、法則的なものがあるという意味で述べたのではなくて、 実際現状を見てみると、そういうふうになっているということを指摘したに過ぎないんですね。
誤解があったかもしれませんので、今回の放送で少し補足というか、歴史的な考え方を示したいと思うんですね。
島国だから何かやたらに細分化される。
これに対して大陸国家であると、全体的に一様というのは、結果論ではあると思うんですね。
というのは、比較しているのは、まずイギリスにおける英語の細分化ということがありますね。
それから日本における日本語の細分化、方言化という話があります。
一方、それに対して比較しているものは、アメリカとかカナダとかオーストラリアという、 いわゆる近代になって持ち込まれた、西洋諸国から持ち込まれた一つの言語、この場合英語なわけですけれども、
これがいかにして植民地化された大陸国家に持ち越されて、そして広がっていったかという問題で、
これは扱う時代とか時代幅も全く違いますので、簡単に比べることはできないと思うんですね。
実はアメリカでも、北米大陸でも、あるいはオーストラリア大陸にしても、近代になってイギリスから英語が持ち込まれる以前は、
それぞれ、いわゆる土着の言語、無数に多様な言語世界が広がっていたわけですよね。
方言どころか、異なる言語が広がっていたという意味では、大陸であろうが島国であろうが、言葉というのはどんどん細分化されて、
方言化あるいは全く異なる言語として展開していくというのが、北米大陸でもそうですし、そしてオーストラリアのアボリジンの言語ですね。
これも無数にあります。お互い通じないような言語がたくさんあるという意味では、多様化というのが一つのですね、人類史における言語の流れだと思うんですね。
あくまでアメリカとかオーストラリアを引き合いに出して、大陸国家における言語の一様化というのは、ある意味では英語的な視点と言いますが、
西洋言語の視点から見た、本当に近代的な話題ですよね。ここせいぜい400年ぐらいの話なわけですよね。
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それに対して島国国家である日本とかイギリスの話っていうのは、少なくとも1500年とか2000年ぐらいの歴史があるっていうことなので、
単純に島国だからこういう性質がある、大陸国家だからこういう性質があるというのですね。
結果として分布があるというだけで、実際には扱っている時代幅も違いますし、言語状況といいますか、社会状況も違うわけなので、簡単には比較できないことだと思うんですね。
一言で言いますと、イギリスなり日本なりっていうのは歴史があるわけです。2000年。時間があれば、その間に様々なことがあって、一つの言語が分かれていく。
つまり、分化していくのに十分な時間があるっていうことでもありますし、一方、近代のアメリカやオーストラリアに英語が持ち込まれた近代の歴史っていうのは、
せいぜい400年。オーストラリアなんかですと、約数十年という歴史ですので、要は方言化するだけの時間がないという。
言ってしまえばそういうことであって、島国とか大陸っていう問題では、そこに直結することではないのかもしれません。
ただ、それにしても、アメリカ英語であるとかオーストラリアが比較的不思議なほど一用であるっていうことは、やはり説明を要すると思うんですね。
アメリカ英語を例に考えますと、これは実は18世紀、19世紀という段階から、実際に同時代のコメントがあります。
アメリカ英語はイギリス英語に対して非常に一用である。全く方言がないとは言わないわけですが、比較的一用であるっていうことが、
すでに18世紀、19世紀あたりからいろいろコメントが上がってるんですね、同時代の。
結局その理由は何かということなんですけれども、いくつかあると思うんですね。
まず大前提として、先ほども述べたように歴史が浅いので、言語的にも文化していくに十分な時間がないっていうことはあると思いますね。
それは大前提として、他に4つぐらいあると思うんですね。
1つ目、まず人々の国内の移動であるとか移住が頻繁であることですね。
同じところに留まってないんですね、アメリカ人ですね。
生まれたところで死なないなんていう言い方があるぐらいですね、非常によく動くっていうことなんですね。
そうするとコミュニケーション活発だと、そのある地域に土着の方言であるとか、そういったものが根付きにくいっていうことですね。
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そして2番目、種々の言語的文化的歴史的背景を持った人々により構成される国である。
簡単に言えば移民が多くて、そしてるつぼであるっていうことですね。
3番目、共通の国家的同一性という意識が比較的強いっていうことです。
そして4番目、合理主義的な言語感って言いますかね。
一言で言えば標準英語を主行する傾向があるということです。
こうした点がイギリスに比べればずっと強いと。
逆に言えばアメリカに比べるとイギリスではその傾向が少し弱いというところで、最終的にイギリス英語は方言化が非常に目立つけれども、
アメリカ英語はそれに比べれば一様であるということになります。
ではまた。