2025-05-03 10:00

heldio #287. 英語の方言差別の歴史

#英語史 #英語教育 #英語学習 #方言 #社会言語学
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サマリー

英語の方言差別の歴史を通じて、方言と標準語の関係について考察しています。グラスゴーでの留学経験をもとに、方言差別がどのように形成されているか、そして社会言語学的な視点からその影響について述べています。

英語の方言差別の背景
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。 このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回取り上げる話題は、英語の方言差別の歴史、です。
井上一平さんと一緒にやっておりますyoutubeですね。その第5弾が昨日公開されました。
グラスゴーvsエジンバラ、方言のイメージはどのようにできる?というタイトルでおしゃべりしたわけなんですが、この話題になったのは、私自身がですね
学生時代に留学したグラスゴーですね。 イギリス北部のスコットランドの都市グラスゴーですね。
首都はエジンバラというところなんですが、そこから1時間ぐらいの電車バスに乗って行くぐらい近いところなんですが、このグラスゴー大学に留学してたんですね。
そこで話されるスコットランド英語の中でも、さらにグラスゴーの鉛というのがイギリス国内ではですね、かなり評価の低いと言いますかね、方言としては近く見られるタイプの方言であるって言うんですね。
さまざまに方言がある中でも、ランキングというのがあるんですね。これは方言差別という話ですので、本来はあってはならないことなんですが、多くの言語共同体、これは日本も含めてですが、方言別の階層と言いますかランキングみたいなものは、現実にあるというのは事実なんですね。
なぜこのような格差がそして差別が生み出されるのかっていうのは、社会言語学であるとか、歴史社会言語学の一級のテーマになっているところで、私もこういう話題について考えることも多いわけなんですけれども、そのグラスゴー鉛っていうことについてですね、YouTubeではお話ししました。
このVoicyではですね、話題を引き継ぎ言いつつですね、その英語のさまざまな方言がありますね。その差別、方言差別というものが生まれてきた経緯、概要を大雑把にですが、紹介したいと思うんですね。
これはどの言語共同体でも同じなんですけれども、方言差別があるっていうことは、必ず一方で標準化、言語の標準化というものが強まってきます。標準化の圧力が強くなればなるほど、標準語こそが偉い言葉なのであって、それ以外の方言っていうのは格下だっていう上下関係が生まれます。
つまり標準ということと、方言上の格差、そこから方言差別とか方言コンプレックスみたいなのが生まれてくるっていうのは、これは連動した現象なんですね。なので標準化ということを合わせて考えていくと、分かり良くなってきます。
では英語の歴史の中では、この言葉の標準化というのがどれぐらいのタイミングで起こってきたかと言いますと、一番早い標準化の種みたいなところを探ると14世紀後半あたりですかね。このあたりに書き言葉が少しずつ標準化を始めていくっていうことなんですけれども、その流れが軌道に乗ると言いますが、ある程度形になって現れてくるのは、
1600年前後ぐらいですかね。このぐらいになると標準というものがだいぶ意識され確立されてきていて、それに対するその他の方言というものですね。格下の方言という序列構図のようなものが大体出来上がってきているっていうのがイメージとして1600年、16世紀後半ぐらいと考えていいと思うんですね。
それがわかるのはですね、資料があるんですね。ジョージ・パトナムという人がですね、The Art of English Poetryという英語の詩の作り方です。つまり言葉に関することですね。いろいろと書かれている本なんですが、これが1589年に出版されています。
その中で、正しい言葉遣いと言いますか、推奨される言葉遣いは基本的にロンドンの宮廷で話されていることは、これが一番偉い、そして綺麗で正しい英語なんだと。それに対してその他の地方の名前を上げながらですね、例えば北部とか西部とかの方言というのは推奨されない、良くないというような言い方で、
一種の方言格差みたいなものがすでに存在するということを示唆しているんですね。
これ非常に重要で、しかも有名な文章で、このパトナムからの一節なんですが、少し読み上げてみたいと思います。現代風の発音に直しながらですが、
このパトナムからの発音に直しながらですが、
ということで、最後のところが特に重要なんですが、コートですね、宮廷で通常使われている言葉を使うようにしなさい。ロンドンの言葉です。
さらに面白いのが、シャイアーズラインアバウルロンドンウィディンシックスティマイルズ、これは非常に有名なんですが、ロンドンから60マイル以内にあるシャイアー州ですね、地域のこのロンドン付近のものが一番正しい、いわゆる標準的な英語なんですよということで、
他のノーザンマンとか北部出身の人々が喋る英語であるとか、ウェスターとかですね、この辺りは使うべきじゃないというふうに推奨していないということで、この辺りからどうもですね、方言の中にも序列があって、ロンドンの宮廷で話される言葉、これが一番序列として高いものなんだというような、明示的にパトナムが述べているわけですよね。
さあ、この後17世紀後半ですね、王政復興の時代になると、この序列みたいのがもっと激しく明確になってきてですね、方言を使用すると嘲笑の的、笑われるというような雰囲気が出てくると。
さらにですね、18世紀になると、笑われるぐらいではされずにですね、方言使用は嫌悪の対象になるということですね。この18世紀にかけては、ジョナサン・スウィフトであるとか、ジョン・ジョライデンであるとか、サミュール・ジョンソン、ドクター・ジョンソンと呼ばれる、こうした文人たちですね、彼らは標準化を推進する人々だったんですね。
20世紀の言語教育と方言の影響
なので正しい英語をしっかり使いましょうと。それ以外の言葉っていうのは非常に程度の低い、鉛に過ぎないっていうことをどんどん押し広めたって言いますかね、人々だったわけです。こうした方言使用が嫌悪の対象にすらなったと。
さらに18世紀、19世紀にかけては標準英語というよりも規範英語、標準英語よりも一歩強く正しい英語を使いましょう、使いなさいというような、規範的なものを守りなさいというような圧力がますます高くなりますね。
そうするとその標準英語、規範英語というものを推進すればするほど、その下の側のですね、方言というのはやはり地位がどんどん落ちていくと。笑われるだけでなく嫌悪の対象になるし、忌避されるということになりますね。
19世紀後半には教育法、学校教育が始まります。それから20世紀前半になってBBCができますね。これで規範的な標準的な発音というのが一斉に国中に聞かれるということになり、さらに標準語教育が押し進められる。
その反面、方言使用は外すべきものというですね、負のイメージが固定化したという流れがあります。このように方言使用に関するですね、差別であるとかコンプレックスのようなものは、そのアンチである標準語、この標準語が強まれば強まるほど方言差別も起こってくるという関係ですね。ではまた。
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