2025-06-11 10:01

heldio #326. どうして古英語の発音がわかるのですか?

#英語史 #英語教育 #英語学習 #古英語 #比較言語学 #再建
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サマリー

古英語の発音がどのように理解されるかを探求し、発音を再構成するための証拠や理論が紹介されています。具体的には、名詞の例を挙げながら、音声学と歴史的資料を用いた推定手法が論じられています。

古英語の発音への疑問
おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が醜くラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回取り上げる話題は、
どうして古英語の発音がわかるのですか、という話題です。 この疑問は、実は新年度に非常によく聞かれる疑問なんですね。
というのは、英語史であるとか、古英語の授業を大学で始めるわけなんですけれども、その時に古英語の発音をするわけですね。 だけれども、1000年以上前のこの古英語の発音、スペリングでは残っていますけれども、本当にそういう発音だっていう証拠があるのか。
どういう風に古英語の発音というのが、本当にこういう発音だったかということがわかるのか、という質問が必ず来るんですね。 なので、これに対する答えを私は用意して待っているわけなんですけれども。
例えば一例を挙げたいと思うんですね。 ネイム、名前を表すこのネイムという単語で、現代語ではですね、NAMEと書くんですね。 で、これでネイムと読ませるわけなんですね。
1000年前の古英語ではですね、これがNAMAという綴りで記録されているんです。 明らかにこれは名前という意味、ネイムの意味で使われている単語で、つまりネイムの祖先、古英語での祖先の形っていうことが間違いないんですね。
で、これNAMAと書かれてるんですね。 じゃあこれはどう発音されたのかというと、おそらくNAMAだったと考えられます。 そのまんまですね、ローマ字通りNAMA。
ただ、現在ではですね、NAMEと書いて、NAMEと読まない、ネイムなんですよ。 つまり、アルファベットでそう書かれていたからといって、そのように読まれるとは、つまりNAMEとは読まれないという実例がまさに現実にあるわけですよ、現代に。
これNAMEと書いておきながらNAMEとある。 つまり、完全にアルファベットに頼ってはいけないという教訓がまさに現代にあるわけですよね。
とすると、語彙語でNAMAとあったところで、これが生である保証っていうのは100%はない。 きっと生に近いんだろうけれども、本当にそうだったのかっていうことで言うとですね、誰も約束してくれないわけですよ。
そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。 きっとそうだったんだろうなぁとか、そういう議論になっちゃうんですよね。 つまり、アルファベット読み、ローマ字読みというのは、おそらくは基本にはなるでしょう。
基本にはなるんですけれども、それがそのまま本当に読まれたという保証はない以上を、 近似的なスタート地点と考えるしかないということになりますね。
まずそこから始まるわけです。 つまり、語彙語ではNAMAと書かれている、この名前を意味する単語ですね。
これはNAMAという発音に限りなく近いに違いないと思いつつ、 100%それをNAMAと読むんだと信じるところからスタートするっていうのはちょっと危ういので、
NAMAに近いだろうというところから始めるんですね。 ただ大きくは違ってないだろうっていうのがせめての救いです。
おそらくですけれどもね。 全体がパズルですので、まずスタート地点というのを決めなきゃいけませんね。
NAMAであれば、生だったんだろうという仮定から始めるより他ありません。 そこからスタートして、その後いろいろやりくりして、
こねくり回して、矛盾があったらスタート地点を変えようという話になるわけで、 まずスタートはストレートにNAMAだったんだと信じて議論を始めるわけですよ。
それでいろいろと調べていくわけですね。 ここからなんですけれども、高音の推定、つまり古い音がどういう音だったのかっていうことですね。
これ録音などが残っていない時代。 録音機能というのは、そもそも1900年ぐらい、今からほとんど100年ぐらい前に現れたもので、それ以前は全く録音する技術というのがなかったわけですので、
全く音として、本当の音としては残っていないということなんですよね。 なので様々な理論的あるいは推定によって復元する。古い音はこういう音だったんだということを復元するしかないんですね。
その際にも、もちろん、ただ当てずっぽに復元するのではなくて、音声学の原理であるとか、様々な間接証拠ですね。文章に残っている音に対するコメントであるとか、そういうところから紐解いていくより他ないんですね。
そこで昔から音に関して、発音に関してあるコメントであったり考え方、そういうものを利用して再構成していくということになるんですけれども、どういうソースがあるか、エビデンスがあるかということについて、いくつか挙げたいと思うんですね。
まず一つ目は、言葉に関してあるいは言語に関して関心がある人っていうのは昔からいるもので、記述を残しているんですよ。こういう発音をするとか、発音するときは口構えをこうするとか、こういった原始的な音声学者というんですかね。
こういう人々っていうのはいたもんで、科学的な音声学者じゃなくても、昔からこうするとこういう発音が出るんだとか、そういうことを書いている人がいるんですね。これが大変参考になるっていうことがまず一つです。
そして二つ目なんですけれども、言葉遊びであるとか韻律ってことです。簡単に言うとシャレですね。ダジャレっていうのは同じ言葉を合わせて意味が違う二つの言葉ですね。だけども発音は同じだっていうのを組み合わせることで面白みを出すっていう、シャレっていうのは昔からあるものなんですね。ワードプレイってやつですね。
そうするとですね、今では全然この二つシャレになってないじゃないと。同じ発音ではないじゃないっていうものが、当時は同じ発音だった。だからこそシャレになったというような記録があるんですね。
言語学者の推定
つまり今から見ると全然何も面白くないというものが、当時はどうも面白がられているっていうことは、この二つの単語は同じ発音だった、あるいは近い発音だったとかいうことで推定できるんですね。音はどんどん変わりますので、現代ではシャレになっていなくても、例えば数百年前ではシャレになったということが、そういった記述からわかることがあるんですね。
同じように擬音語、擬態語みたいのがありますね。これを利用して、昔はこれは同じ発音だったんだとかですね、違う発音だったんだっていうことが推測できるっていう、かすかなエビデンスっていうのが擬音語とか擬態語みたいな、非常に限られた語彙ですけれどもね、そこから明らかになることがあります。
4点目、非標準的な綴り字ということで、昔はですね、綴り字が標準的に一つのものに決まっていない、ある単語であれば必ず一つの綴り字で書かれるっていうのは標準化がなされた後の時代のことなんですね。
それ以前には発音通りに、いわば発音記号のようにみながスペルアウトしていたっていうことなんで、発音がわかるんですよ、当時の。当時の発音がスペルから透けて見えるっていうことがあるんですね。
そうするとこれはですね、まさにかつての発音の発音記号を書いてくれているっていう証拠になるので、いろいろとエビデンスとして利用できるってことになりますね。
こうした複数のですね、間接的直接的エビデンスによって、いわば追い込まれていくんですね。
星が確定されていくっていう感じですかね。
こう書かれていたらきっとこういう発音だったろうということがかなり絞られてくると。
ということで言語学者、文献学者は95%ぐらいの確率で、この時代の発音はこうだったろうということを断言、ほぼ断言するに至ると。
そういうことなんですね。ではまた。
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