英語学習の動機
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回取り上げる話題は、なぜ世界の人々は英語を学んでいるの
という、大変素朴な疑問を取り上げたいと思います。 リスナーの皆さんも、なぜ英語を学んでいるのか聞かれたら、どのように答えるでしょうか。
いろいろな答えがあると思うんですね。 世界中の人々と交流したいということもあれば、映画を生で見たいということもあるかと思いますし、
はたまた資格試験のために勉強しているのだ、大学の単位を取るために仕方なく勉強しているのだとか、いろんな理由があって英語を学んでいるかと思うんですね。
最もジェネラルな答えとしては、英語が世界語だから、世界的な言語で最もよく通じる言語だから、学習しておいて損はない。
この辺りが最もジェネラルで、当たり障りのないと言いますかね。 確かにそうだというような答え方だと思うんですね。
世界の人々によって学ばれている言語なわけですけれども、この学ぶ動機づけというのは、実際にはかなりいろいろなものがあると思うんですね。
普段、我々が日本で主に生活をしていて、英語を勉強している。その動機づけとは全く異なる予想もできない動機づけ、理由で英語を勉強している。
そういう人々も世界の中にはいるようなんですね。
この人々が英語を学ぶ理由、これを大雑把にですが分類してみたいと思うんですね。
これは様々な論者が挙げていますが、当面6つぐらい指摘しておきたいと思います。
まず1つなんですけれども、これはですね典型的な日本人にはあまり思いもよらない動機づけだと思うんですけれども、歴史的な理由ということなんですね。
どういうことかと言いますと、英米の帝国主義、植民地主義の遺産として、英語という言語がその地に社会的に重要な言語として根付いているという国がたくさんあります。
例えば典型がインドであるとかシンガポールのような国で、その国の人々はみんながみんな母語として英語をしゃべるわけではない。
むしろ少数派ということも、例えばインドの場合は英語母語としてしゃべる人というのはほとんどいないぐらいですね、地元の言語をしゃべっている。
ですが社会的に英語というのが重要な言語ということに、歴史の遺産ですね、歴史的背景を持っていて英語が行政の言語であるとか公的なサービスの言語になっていることがあって、
教育の早い段階から英語に接することになる。ですので外国語として英語を学んでいる、例えば日本ですね、典型的な日本人とは英語との付き合い方が違うということになりますね。
歴史的に染み付いている。だからといって決して母語ではないので、やはり学ばなければいけないということになりますね。
この場合もある意味ではその国、社会に生まれ落ちた瞬間から、第二言語として英語に接することを余儀なくされているということで、必ずしも積極的な理由ではないかもしれません。
歴史的な遺産として英語がその地に有力な言語として存在している。だから学ぶんだという歴史的な理由ということですね。
いきなり日本人にとってはあまり縁のないところから一つ目入りましたけれども、二つ目、これも実は縁がないんですが、世界の非常に多くの人々がこの理由で英語を学んでいるし、実際英語を使っているということで、この二点目はですね、国内政治的な理由ということです。
これは何かと言いますと、この典型は例えばナイジェリアのような国なんですけれども、多民族国家です。そして多言語国家でもあります。
このナイジェリアという国で人口のですね、半分程度がみんながわかるという一つの言語というのは存在しないんですね。
その場合に有力な土地の言語を使うことになるんですが、その土地の地元の言語、ある言語を選んでしまうと、そのライバルである別の言語がですね、嫉妬するということになります。
結果的にはこれが民族紛争につながるということも実際起こりました。
この苦い経験から、むしろ誰にとっても外部の言語であるという意味で中立な、いわゆる植民地創出国の言語である英語、これが外から持ってこられて、これが国内でのコミュニケーションに使われるということですね。
他民族国家における中立的な言語としてということです。改めて言いますが、中立的なというのは外から入ってきたということで、中のしがらみに歴史的に関わってこなかった言語ということで、西洋列強の言語ということになるわけですね。
ナイジェリアの場合には英語ということになります。
このような紛争をある意味回避するためにですね、外の言語を持ってきて、それを国内で使うということは日本の状況からは想像できないので、こんな理由で英語を学ぶ人々がいるのか、こんな理由で英語を使う人々がいるのかというのは驚きかもしれません。
経済的および実用的理由
この最初に挙げた2点はですね、日本人にとっては比較的異質なものが多かったと思うんですが、それ以降は思い当たる詞がいろいろあるんじゃないかということですが、3点目、これは経済的理由ということで、例えば企業がですね、国際市場の獲得を目指す場合に当然英語で国際的に最もよく通じる英語で広告を打ったりですね、ビジネスを進めていくということはありますね。
経済的な理由からも英語は無視できない存在になっているということです。
そして4番目、これは一般的になんですけれども、実用的な目標でということですね。
これ、実用的というのもかなり広いんですけれども、例えば国際的な交通ですね。
例えば航空会社のアナウンスであったりいったものがですね、やっぱり国際的に最も通じる英語でなされるというのが一般的ですね。
国際的な会議、それから観光旅行という業界では、当然何か一つ言語を選ぶとなったら、どうしても英語というものはですね、第一候補に上がってくるといったような、国際交流の一般的な実用目的で英語を学んだり使ったりする、これは非常によく分かる話なんではないかと思います。
そして5番目、これは知的理由とでも広く言っておきましょうかね。これも非常によく分かると思います。
学術、技術、テクノロジーの分野では英語が一つの国際共通語になってますね。論文を書くといった場合に、英語で書くと世界の最も多くの人が読むことができるということで、学術上の共通語になっているということですね。
このようなインテレクチュアル、理由ということで、知的、広い意味で知的情報をやりとりする媒介言語となっている。だからみんなこれを学ぶんだということですね。
6番目、これはエンターテインメントということです。音楽、映画を含めた大衆文化ですね。ネット上でのゲームなんかもそうかもしれませんが、これも国際的に楽しまれる限りですね、一つ何か代表的な言語を選ぶといった場合に英語が第一候補として上がってきやすいということですね。
6点挙げましたけれども、いずれか1点のために英語を勉強しているという人はむしろ少ないのではないでしょうかね。複合的に英語が有用な言語である。あるいは最初に挙げた第1点目、第2点目に関しては、有用云々というよりは社会的にですね、その国、地域では学ぶことが、あるいは英語を使うことが義務付けられていると言いますかね、ある程度です。
そういった消極的な理由っていうこともあるかもしれませんが、複合的な理由、動機付けで学んでいることが多いのではないかと思います。このような6点がよくものの本には上がってくるんですけれども、私としては第7点目も挙げておきたいと思うんですね。
これは個人的なアドバンテージ、あるいは威信を求めてという動機付けです。英語をしゃべれるっていうことはステータスである。つまりステータスシンボルとして英語を学ぶであるとかですね、日本人にはこれも多いのかなと思ったりしています。それではまた。