2025-04-29 1:12:41

#1430. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック --- 年度初めの生配信

▼パーソナリティ,堀田隆一(ほったりゅういち)の詳しいプロフィールはこちらの note 記事よりどうぞ.


- https://note.com/chariderryu/n/na772fcace491


▼heldio のビデオポッドキャスト版を Spotify で始めていますので,そちらのフォローもよろしくお願いします.


https://open.spotify.com/show/0xOyOIXBUrIZbnwSLeJsSb?si=zH5V2CjkS0ekqNz5ro7caw


▼helwa リスナー有志による月刊誌「Helvillian」が2024年10月28日に創刊しています.第4号まで公開されています.


- 創刊号(2024年10月28日):https://note.com/helwa/n/ne2b999d5af72

- 第2号(2024年11月28日):https://note.com/helwa/n/n94e9d9a74706

- 第3号(2024年12月28日):https://note.com/helwa/n/na7394ab1dc4c

- 第4号(2025年1月28日):https://note.com/helwa/n/nb6229eebe391


▼2024年12月30日に『英語史新聞』第11号がウェブ発行されています.


khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第11号がウェブ公開されています.こちらよりアクセスしてください


- 第11号:https://keio.box.com/s/kk0jss15l22pz1rpuysa0ys4nkpc3lwr


第11号公開については,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio (https://x.com/khelf_keio) を通じても案内しています.

リツイートなどを通じて「英語史をお茶の間に」の英語史活動(hel活)にご協力いただけますと幸いです.


▼2024年第3四半期のリスナー投票による heldio 人気配信回


- 第1位 「#1219. 「はじめての古英語」第10弾 with 小河舜さん&まさにゃん --- 「英語史ライヴ2024」より」 https://voicy.jp/channel/1950/6049608

- 第2位 「#1212. 『英語語源辞典』の「語源学解説」精読 --- 「英語史ライヴ2024」より」 https://voicy.jp/channel/1950/6052858

- 第3位 「#1139. イディオムとイディオム化 --- 秋元実治先生との対談 with 小河舜さん」 https://voicy.jp/channel/1950/1298775

- 詳しくは hellog 記事「#5645. リスナー投票による heldio 2024年第3四半期のランキング」をどうぞ http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2024-10-10-1.html をどうぞ


▼2024年9月8日(日)に12時間連続生放送の「英語史ライヴ2024」を開催しました.英語史界隈では前代未聞のイベントとなりました.詳細は以下の配信回,あるいは khelf の特設ページを! イベント後は,数ヶ月間かけて各番組をアーカイヴで通常配信していきました.


- heldio 「#1119. 9月8日(日)「英語史ライヴ2024」を開催します」 https://voicy.jp/channel/1950/1296042

- khelf 特設ページ: https://sites.google.com/view/khelf-hotta/英語史ライヴ2024特設ページ


▼2024年8月26日より特別企画「helwa コンテンツ for 「英語史ライヴ2024」」が始まっています.ぜひ特設ホームページに訪れて,ライヴ当日まで毎日1つか2つずつ公開される helwa メンバーによる英語史コンテンツをお楽しみください.


- http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/etc/helwa_content_for_hellive2024/


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Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のリスナーさんどうしの交流と情報発信の場です.heldio やそこで配信された話題を「待ち合わせ場所」として,英語史やその他の話題について自由にコメント・質問・議論していただければ.heldio が広く知られ「英語史をお茶の間に」届けることができればよいなと.今のところ承認制ですが,お気軽に申請してください.

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英語史の古典的名著 Baugh, Albert C. and Thomas Cable. *A History of the English Language*. 6th ed. London: Routledge, 2013. のオンライン講座です.毎回1セクションンずつゆっくりと進んでいき,内容について縦横無尽にコメントしていきます.シリーズについて自由にご意見,ご感想,ご質問をください.皆さんで議論しながら読んでいきましょう.1回200円です.

https://voicy.jp/channel/1950/570931


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「英語史の輪」にこめる想い


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3. また,収益の一部は,Voicy 以外でのhel活をさらに拡大・発展させるための原資とします.


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 ・ パーソナリティおよびリスナーさんどうしで,もっと交流したい方


以上,よろしくお願いいたします.

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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語詩ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語詩の著者のホッタリュウイチです。
英語の語源が身につくラジオheldio。英語詩をお茶の間にをモットーに、英語の歴史の面白さを伝え、 裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。
本日は4月29日火曜日です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日は1週間ほど前ですね。 4月21日月曜日に生配信しました。
英語に関する素朴な疑問〈千本ノック〉年度初めの生配信、 こちらですね。アーカイブ版をお届けしたいと思います。
目の前には70名ほどの大学生がおりまして、 その前の週にこの大学生たちからですね、素朴な疑問を募っていたんですね。
そしてそれに全てではないんですが、何せ100問以上ありましたので、 この中からですね、選んで17問について英語詩の立場から回答する。
回答するというよりもですね、少なくとも何らかの背景説明を英語詩の観点からするということですね。
必ずしも答えられていない問題も多かったので、あえてこういう言い方をさせていただきますが、 17問について65分間でですね、取り上げたんですね。
その70名ほどの学生を前にしながらの生配信でライブで聞いていただいたリスナーの方々は30名ほどでしたがね、いらっしゃったんですね。
ありがとうございました。 その様子はですね、もちろん録音もしておきましたし、
さらにですね、動画としても録画しておきました。ということでですね、動画版をですね、先日YouTubeの方で配信したんですね。
こちらの方も多く見られているということで、動画が見たいという方はですね、このチャプターにリンクを貼っておりますので、そちらからYouTubeでご覧いただければと思うんですが、
耳だけで十分という方は、そして実際ですね、ラジオ配信を念頭にお届けしている企画ですので、完全に耳だけでokです。
こちらで十分という方はですね、長尺でもありますし、お時間のある時にイヤホンなどを耳に刺してじっくり聞いていただければと思います。
今日お届けするのは、ボイシーヘルディオ版ということで、65分ほどですね、これいい質問が集まってきております。
4月ということで、なかなかウイウイし、両門ぞろいということでですね、楽しんでお聞きいただきまして、そして英語詞の魅力にどっぷりハマっていただきたいと思います。
03:14
17件の質問なんですが、その分秒リストですね、何分何秒のところでどの問題が扱われているかということにつきましては、概要欄に一覧しておりますので、そちらを参考に飛びながら聞きたいという方は、そちらから情報を得ていただければと思います。
そして本編のチャプターに貼り付けたリンクなんですけれども、この企画の後でですね、参加した70名の学生から感想、意見を募りました。いかがでしたか?ということでですね、聞いたんですけれども、いろいろな回答が寄せられてきておりまして、それを私の英語詞ブログの方で要約しておりますので、そちらもご関心のある方は覗いてみてください。
ということで、長尺ではありますが、お時間のある時にじっくりと腰を据えて聞いていただければと思います。それではどうぞお聞きください。
では、いきますね。
録音開始。
英語に関する素朴な疑問、1000本ノック。
はい、本日ですね、4月21日の1時20分午後、ちょっと回ったところで予定より数分遅れたんですけれども、ほぼほぼ予定どおり、英語に関する素朴な疑問の1000本ノックで年度始めバージョンということで、
契機付けに英語詞学び始めの方たくさんはいるかと思いますので、その面白さをどんぶりに味わってもらって、これからの学びに、モチベーションにつなげてもらいたいという趣旨でこんなイベントをやりました。
今ですね、状況はと言いますと、話している私の目の前に60人、70人ぐらいの大学生が座っておりまして、実は先週、1週間ほど前に、この今前に座っている学生の皆さんから英語に関する素朴な疑問。
これまで長らく英語を勉強してきたけれども、何か違和感を感じてきた語法とか文法とか発音とかつづりとか、いろいろあったなというところで、1人いくつでも可ですということで過剰書きであげてくださいというふうに疑問を投げてもらっていたんですね。
それを集計まとめましたら、100以上が詰まりまして、これは非常に答えがあるということで、今回この1000本ノックシリーズとして、60分ほどなのでどれぐらい取り上げられるかはわからないんですけれども、なるべく多く皆さんの疑問に英語詞の観点から答える。
06:19
これポイントですね。私、逆に英語詞以外の観点からだとなかなか答えられないという英語書を研究しているものですので、その観点から言えることを言おうと。
回答とちょっと偉そうに言ったんですけれども、やっぱり答えられない問いとか、まだわかっていない問いってたくさんあるんですね。
だからこそ英語詞という分野がまだ続いているといいますか、全部わかっちゃっていたら、もう分野として閉じることになりますね。その心配は全くないんです。
やっぱり謎が、いくら解いてもまだまだ謎が残っているということなので、今日の中でも割ときれいに説明できるというものもあれば、むしろ難問としてこれまで解かれずに残ってきたというものもあると思うんですね。
もちろん私自身の知っている範囲内ということで、本当は答えあるんだけれども、私がわかっていないということもあると思いますね。
なので偉そうに回答するというよりは、英語詞の観点からこういうふうに議論ができるのではないかという、せめてそこぐらいは提供したいなという趣旨ですね。
百問中、残ってしまうものもたくさんあると思いますが、これからいろいろな折に、この大石のヘルギーを通じてだったり、その他の機会でだったり扱ってはいきたいと思います。
それでは時間も限られていますので、どんどんいきたいと思います。
今、会場にはスクリーンが映し出されていて、そこに104ぐらいの質問が、何順でかわからないんですけど、上からとにかく並んでいますので、
これ、自分の出した質問が読み上げられたら、これはおめでとうございますという感じですので、より注目して聞いてもらえればと思います。
それじゃあ、投げたお題は本当に英語に関する素朴な疑問、何でもいいです。
馬鹿らしいものっていうか、これ聞いたらちょっと英語をわかってないみたいで恥ずかしいみたいな、思わずに何でも質問してくださいという言い方をしたので、
これ上から下まで本当に面白い問いが集まってますね。
それでは行ってみたいと思います。上から行きますね。
まずですね、なぜ複数や三単元ではSを使うのか、Sなのかっていうことですね。
AでもHでも良くないかっていう、つまり他の語尾だってあり得たんですかっていうことで。
続けていくつか質問がありますが、一個ずつ行きましょうかね。
これはですね、たぶん先週、その素朴な疑問のサンプルを出したときに、不定関心アとアンでなぜNがつくのかっていう話で、
09:06
他のMでもKでもいいんじゃないかみたいなところに多分触発されてのことなのかなと疑ったりするんですけれども。
まずね、複数形Sつきますよね。
これはですね、千年遡った古英語の時代でもSがついたんです。Sっていうふうに母音もあったんですが、基本Sがあったんですね。
だからそれがそのまま残っているっていうことで、古英語のSが何でそれで複数なのかっていうのはかなり難しい話で、
さらに遡った引用素語とかですね、そういうレベルの話になって英語詞の枠を超えちゃうんですね。
ただ英語詞の枠であれば、文献が残っている一番早くからもSがあったんです、複数形については。
なのでそこにも最初からありました以上のことはちょっと言えないんですが。
三単元のSの方ですね。これちょっと面白くて、これもともとSじゃなかったんですね。
なのでこれいいところついていて、他の音とか文字でもSじゃなくてもよかったんじゃないかっていうのが当たりなんですよ。
その通りで、1000年くらい前というか500,600年くらい前まで、実はTHが使われていたんですね。SではなくTH。
日本語耳には、日本語口にはSとTHって両方とも作業音で拾うっていうことになっているので、近い音だとみなされてますよね。
確かに音声学的にも遠くはないんです。近いんですけども。
英語ではですね、SとTHっていうのは、古英語から今の今に至るまで、やっぱり確実に違う音だっていう認識でずっと歴史は流れてきたんです。
この二つがミックスしちゃったり、こんがらがったりするってことはほとんどないんですね、英語の歴史の中で。
それぐらい英語耳、英語口的にはこの二つの音っていうのは異なる音だっていう認識なんですが、一つ興味深いのがこれ三単元なんですよ。
三単元は昔THだった。それが500,600年ぐらい前と言っておきましょうかね。中英語と言われる時代なんですが、その時代にSに置き換わった。
もうちょっと後かな、近代になってからSに置き換わったっていう感じなんですね。
これ、ポイントは置き換わったということです。つまり、混同して音が似てるからTHがなんとなくSになっちゃったということではないってことです。
置き換わったっていうことは、デジタルにTHだったものが、例えばPに変わるかのように大きくジャンプしてSに変わったという意味合いです。
なので、音が似てるからということで変わったわけではないですね。
これはちょっと方言事情とかいくつか英語史の講義の中でも扱っていくことになると思いますが、それが関わってくるんですね。
一つ目の問いとしては、なかなか面白くて、確かにSじゃなくてもよかったというか、実際にSじゃない音があったということで、
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今ある語尾みたいなものも、昔からその音でずっとやってきたわけではないっていうことを知るには、いい質問の仕方だったかな、結果的にですけどね、ということになります。
それからですね、一人で三つ挙げてくれたんですかね。なるべく多くの人のを扱いたいので、二人目のものをいきましょうか。
なんでアルファベットと発音記号を分けているのか。
日本語みたいな感じで、発音記号をそのまま文字にしたいのにと思うということですね。
これは英語の発音と綴りの関係ですね。
綴りを見てもそのまま読めないっていう単語が多いわけですよ。
であれば、もういっそのことですね。
発音記号ばりに、そのまま綴りと発音が一致するようなものに変えてしまえばいいではないかということですね。
これ一理あるんです。
これですね、二つの観点からちょっと答えたいと思いますね。
一つは英語史的な観点です。
では、先にそれいきましょうかね。
英語の綴りと発音の関係っていうのは、この後も多分いくつか質問で現れてくるのではないかと思うんですけれども、やっぱりかなりひどいんですね。
そのまま読めないっていうことが多いです。
例えば書いてあるのに読まない文字。
ダウトのBなんかが典型ですけれども、あとクライムのBとかね。
ああいうもので、なんでそうなってるんだということなんですが。
これ、実は発音ってよく変わるんですね。
なので、例えばクライムの話だと、語尾にBの文字を書くんだけど読みませんよね。
ですが、古英語ではこれ読んだんです。
クリン、ブっていう風に。
Bが読まれたからそこに文字があるわけなんだけれども、文字の方はスペリングの方は末置きで、現代までずっと流れ着いちゃったんです。
Bがあった時代のね、ちゃんと音として発音された時代の。
ところが、やはり中英語後期ぐらいですかね、近代の入り口までに、このBの音が発音として落ちちゃってるんですね。
落ちて、クリン、ブだったのがクリン、ム。
Mで終わるような単語になってしまったと。
ただ、スペリング、綴りの世界の変化と発音の世界の変化って一致しないんですよ。
緊密に連携をとって、両方とも同じ方向に変わるっていうことにならないことが多くて、発音は勝手に変わってしまった。
つまりBが読まれなくなったのに、スペリング、聖書法の方は、昔ながらのBの発音があった時代を反映したような通り字のまま残っちゃったってことです。
通り字はなかなか変わりにくい、保守的なんです。
だけど発音は変わっちゃうときは変わっちゃうので。
時間が経てば経つほど、歴史が長ければ長いほど、この機会が多くなりますね。
15:01
発音は勝手に変わっちゃう。
だけどスペリングは末置き。
こんなことで、どんどん乱れてきたっていう歴史があります。
そうすると、確かに我々学習者の立場からは、ここで質問をくれたように、
発音、すなわちつずりみたいな形に持っていく方が習得が絶やすいし、学びが楽になるっていうのは山々なんですが、
これ歴史を背負ってしまっている言語なんですね。
全ての言語はそうなんですけれども。
そうすると、英語はそこそこ長い歴史を持っています。
1600年ぐらいなんですけれども、発音は変わるけれども、スペリングは末置きということが何度も繰り返されてきちゃったんですね。
その流れの果てが今っていうことなんです。
だから歴史的にこうなっちゃってるんだっていうことですね。
もう一つの、じゃあこれに対する皆さんのツッコミ、違反論は、じゃあ変えればいいじゃないかと。
今の状態を基本にして、昔からの流れどうあったかわからないけれども、
学習しやすさのために発音イコールスペリングみたいなローマ字書きとか、
発音記号をそのままスペリングとして採用するみたいなことがあってもいいじゃないかと考えると思うんですね。
これ、スペリング改革、くつづり字改革という運動なんですけれども、
これですね、英語の歴史をたどっても同じことを考えるでしょ。
つまり英語のスペリングを改革してわかりやすくしようという、この運動は実は100以上、100以上、このキャンペーンが繰り返されてきてるんですが、
ただの一度も成功したことないんです。
これ、皆さん考えてほしいんですよ。
なぜだと、結果的に合理的になるわけでしょ。
学びが絶やすくなるわけですよ。
しかも、最も国際的な言語で、世界で一番学ばれてる言語だから、
これメリット大きいですよね、合理的にすることにより。
そんなこと、頭ではみんなわかってるんだけれども、全てのつづり字改革キャンペーンは失敗してるんですね。
これは多分、今後ますます成功しないっていうふうに私は思ってるんですね。
それ、根拠があるんですけれども。
じゃあ、なんで失敗するか、これ皆さん考えてほしいんですね。
例えば、ネイムっていうのはナメでしょ、どう考えても、そのままNAMEだから。
ナメなのに、本当はネイム。
じゃあ、NEIMにしようかっていうのは、一つの合理的な生き方だと思うんですが、実際こういう提案あったんですが、失敗してるんですよ。
絶対これうまくいった試しないんですね。
何度もやられてますけど。
つまり、非常にシンプルでナイブな問題意識だと思うんですが、これ実行するとなると、
このネイムを例えばNEIMみたいにするっていう、実行するとなると、ことごとく失敗してきた歴史があるんです。
じゃあ、なんで失敗するのかって考えるのが、英語詞で考えていくことです、実際に。
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こんなにひどい状態になったのに、なんでまだ野放しにしておくのかっていう問題ですよね。
これすごく本質をついた質問だと思うんですが、解決しようとしてきた経緯はあるんです。
ですから、それがほとんど失敗してきた。
これ、なぜかっていうふうに、これ皆さんにお題を今から振っておきたいと思うんですね。
これ、やっぱりなんで失敗するか理由があるんですよ。
そうすると、成功するためにその失敗の原因を取り除いてあげることが重要でしょ、今後もし同じキャンペーンをするんだったら。
その失敗の原因を取り除くことっていうのが、むしろ21世紀、今後ますます難しくなるってことは自明なんですね。
なので、私はこの問題に関してはかなり否定的というか、非完璧です。
残念だなと思うんですが、うまくいかないんじゃないかなと思っています。
そのあたりの根拠も含めて、ちょっとここで話す、それだけで1時間経っちゃうので、そのぐらいにとどめておきたいと思います。
それでは、次。
発音しないHの存在意義。
これいいですね。
これ多分念頭にあるのは、例えばhourとかhourで、Hで綴っているのにあれ読まない。
だからこそan hourっていうにanという不定漢詞がつくとか、他に重要な語では3つぐらい同じようなものがあって、
1つはhonestとかhonestyっていう正直さ、それからhonor、名誉。
それからもう1個はheirっていう単語知ってますか。
これはheir、遺産相続人、女子遺産相続人だと女子なんでheir-lessっていうふうにESSがつくんですが、このぐらいなんですね。
あと日本語ではherb、herbって言ってますが、実はイギリス発音ではこれherbでH発音するんですが、
アメリカだとan herbっていうようにH読まないことが多いです。
だからhourと同じタイプっていうことなんですね。
例えばこういう単語を見ると、何のためにHあるんですかと。
これは突っ込みたくなりますよね。
これ、英語史上の実は最大の謎の1つなんですよ。
つまり解けないっていうことなんですね。
大枠はわかってます。大枠はどうしてこういうのが生じたかっていうと、
フランス語、これ勉強されている方はいるかと思うんですが、フランス語ではHっていうのは一切読まないんですね、書いても。
つまり英語どころじゃないぐらいおかしな言語といえば言語なんですね。
ロマンス系の言語はだいたいそうで、スペイン語などでもそうなんですけれども。
Hっていうのが読まない言語っていうのはそもそもあります。
フランス語なんかが代表なんですが、そのフランス語から英語はめちゃくちゃ影響を受けてるんですね。
本来の英語はちゃんとH読むんですよ。
だから今、大多数のHで始まる語は波行シーンで読み始めてると思うんですが、
一方で中英語という時期に、英語はフランス語の影響をめちゃくちゃ受けて、
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一万というフランス語の単語が英語に流れ込んできたんです。
その時にフランス語の習慣、つまりH書くだけでも読まないという習慣も入ってきたんですね。
これ大変です。なぜかというと、英語はもともとHはちゃんと読む側の言語なんですよ。
一方、影響を受けた元のフランス語っていうのは、Hを書くのに読まないんですよ。
この二つの相反する言語が、ある意味英語という言語の中で混ざり合っちゃった感じですね。
そこでHをめぐる混乱が始まりました。
これ、七、八百年くらい前の話です。
すごくざっくり言うと、この七、八百年前に始まってしまったHどうするの問題っていうのが解決されずに今に至っている、
その一角がHourでありHonestでありHonor、こういったことなんです。
他の多くの単語も実は同じような状況で、例えばHotelっていうのは、今H読みますよね。
これ数百年前だと読まなくてHotelっていう、まさにフランス語ばりにHを読まない発音だったんですね。
なのでHourと同じ扱いだったんですが、だんだんと英語化してって言いますか、戻ってきて、
これまでの英語のHあるんだから読むよっていう方向に戻ってきたのがHotelなんですよ。
だからこの大きな波としてはH、ちゃんと読もうね方向なんですが、この波というのは二、三百年で終わんないんですよ。
五百年、場合によっては千年かかるかもしれないので、気長にこれからHourがHourに変わっていくのは、我々は待っているという状態なのかもしれないと。
たぶん我々生きている間にはHourにならないので残念なんですけれども、そういった問題として捉えることができるんですね。
なので、発音しないHの存在意義って一言で言うことは難しいですね。
よく私が例え出すのは、盲腸。盲腸っていうのは盲腸炎を引き起こす臓器なわけですが、人間には生きていく上で必要ないんですよね。
だから盲腸炎になったら取っちゃえばいいっていうことなんですが、じゃあ何であるのかっていう話で、
これ、昔は何らかの必要で臓器としてあったんだけれども、人間の生活環境によっていらない臓器になったと。
いらないからといって一夜のうちに亡くならないんですね。
遺伝、臓器ですから、これたぶん100万年とか200万年とか、それくらいそんなのはないかな。
かかるんですよ。今、過程にあるんで、ある。
だから存在意義っていうのは、我々の体的には存在意義ない。むしろ悪、盲腸炎を引き起こすんで。
だけれども、だからといってすぐに亡くなるかっていうと、ゆっくりとしか変わらないので、存在し続けているというのと近いかなというふうに思います。
もう一つ変な比喩なんですが、男性の乳首っていう比喩もありますけどね。
24:03
これ、何の役割があるんですか問題っていう。
これ、なかなか有名な問題で、言語にもこういう残ってしまって、今衰退して亡くなっていくんだろうけれども、
簡単に一夜には亡くならないので、今残存しているんです、みたいなことでしか説明できないものが結構ありますね。
そのうちの一つなんじゃないかなって思ったりします。
存在意義っていうのは、なかなか説明難しいですよね。そんなところです。
次ですね。なぜ過去形とかにしたとき、短い母音の後のシーンは重ねて書くのか。
これ、みなさん習いましたよね。
例えば何ですか。スウィムって言ったときに、INGつけるときに、スウィミングっていうときにMMって重ねたりしますよね。
とかET、そうですね。典型的にSITとかSITTINGとか、他にINGじゃなくてもEDでもありますかね。
語尾がつくときに、田んぼ音の後のシーン時はもう一回書かなきゃいけないみたいな変な規則があって、
これ明治的に習ったかどうかは別として、みなさん例えばスウィミングみたいなのを書くときに、これを適用して覚えてきたっていうことだと思うんですね。
なんでこんな面倒な規則があるのか、問題っていうのがあって、これ私実は探ってるんですよ、英語史の研究で。
簡単に言うのであれば、言えないですね。近代語、中英語ぐらいまで遡ると一応の並一通りの説明ができるんですよ。
だけど私自身も納得できない点が残ってるんで、後英語まで遡りました。
さらにいくと、後英語よりもっと前のゲルマンソ語とか、そこぐらいまでですかね、引用ソ語まではいかないんですけど、そこまで遡らないと、
これ究極的に納得いく答え、得られないぞと自分で思ってですね、そこで止まってるタイプの問題なんですよ。
つまりですね、ざっと二千数百年の歴史があると、これを説明するには。
ということで、この問題に関わりたい人はぜひ大学院に入ったりして研究してもらえればと思いますね。
それぐらい厄介なんですが、すごく簡単に言うと、単母音足す詩音字というのは、逆に言うとですね、詩音字が一個しかないと、その前の母音は短く単母音で読みましょうねっていう規則があるんですよ。
これは綴り字の規則として覚えてるかもしれませんが、本来は発音の規則で、後ろに一つだけ詩音があったら前は単母音になりますよっていう。
失礼。
27:00
二つだ。
二つ詩音字がちゃんとあると、間違いなくその前の母音は短いですよって保証できるんですよ。
二つ繋がってる。
TTみたいなね、sittingとかswimmingみたいに。
MMってあると、その前の母音はiではなくiと読みますよっていうことが保証される仕組みが。
これは綴り字のシステムなんですが、その背後には対応する発音のシステムがあって、その発音のシステムができたのが母英語より前の時代なんですよ。
だからそこまで遡らなきゃいけないっていう理屈になるんですが、ここちょっと口幅ったくて簡単に説明できる自信がないんですが。
つまりこれ、二千数百年くらいの極端に言うと歴史があるという、なかなか悠々しい問題だっていうことなんですね。
逆に言うと、死因字が一つだと前に来ている母音は短いこともあれば長いこともあるみたいな、そんなことになりますかね。
大体長くなることもあるのかな。
ちょっと混乱してきましたが、非常に複雑な発音とすり字の関係の歴史を紐解かないと解けないということで。
これ、今日の中で多分最難関の問題なんじゃないかなと既に思います。
今の私には適切に答えられないということなんですが。
次。なぜ英語は左から読むのか。
これいいですね。
これはいいですね。
当たり前だと我々は思っているかもしれませんが、なんとなんと、後英語の一番最初期はどっちからでもOKだったんです。
右からもあります。
という事実を知ると、これ全然バカバカしい問題じゃないっていうふうにわかってくると思うんですよ。
英語史の面白さはこれで、バカバカしい質問の方が、実は全然バカバカしくなくて、本当にバカバカしいことが起こっていた時代があったっていうことが往々にしてあるんですね。
これ、後英語だけじゃなくて、西洋の古代では割と右から左あります。
両方あります。
左から右もあったりするので。
じゃあ、何でいつから左から右っていう決め打ち一方向になったのかっていうのは、後英語期が進んでからですね。
これ何で逆じゃなかったのかっていうのがかなりいい質問で、これ難しいですよね。
ご存知の通り、右から左に書く言語、文字っていうのはこのように普通に存在していますので、英語とかアルファベットが、だってそうなっていったとしてもおかしくない。
両方あったんだからね、最初は。
両方あったんだから、いずれどっちかに統一するにせよ、二つの可能性があったんじゃないか。
じゃあ何で、よりによって左から右になったのかっていうのは結構、これ深い問題ですし、簡単に答えられないですね。
日本語も縦書きが伝統的で、上から下に書きますね。
これちなみにですね、下から上に書く言語っていうのはさすがにないんですよ、縦書きで。
30:01
これやっぱり重力に反するみたいな、ユニバーサルなんですかね。
数例、極めて稀な例が、洞窟なんかにですね、壁面に書かれているもので、下から書いた逃亡式ものがあったりするんですが、極めて稀で、事実上上から下なんですね、縦の場合。
日本語は上から下で、ただ行移りは右から左じゃないですか。
右から左にどんどん移っていく。これはなぜか問題っていうのはありますよね。
日本の場合、日本が文字、日本独自の文字を作ったということではなく、そもそも中国語の文字体系を入れて、そこからカナみたいなものを生み出しましたけど、基本的には中国の書き言葉の伝統っていうのを受け継いでいるっていうことで、
ある意味この問いはですね、中国語に持ち越されるっていう、そういう話題になるわけなんですが、
横書きする場合に、日本語も英語をバリに左から右ですよね。
これ何でか考えたことあります?
つまり右から左でもいいわけですし、しかも右から左の流れっていうのは決して日本人に慣れていなくない。
つまり行移りが右から左だから。
あくまで慣れの問題なので、今右から左に書かれたらね、横書きで。
確かに違和感あるけど、これは本当に慣れの問題っていうことなんですよね。
そうすると、じゃあ日本語は何で左から右なんでしょうかって。
これも面白い問題なんですね。
これ、戦時中右から左っていうのも結構書かれていたので、やっぱり両方あったんですよ。
この辺りはですね、この慶応大学の文学部の国文の名誉教授、柳池先生がですね、横書き登場という素晴らしい新書を書いておりますので、
これ読むとスッキリします。
ただ日本語の話なので、今回英語の今回もらったですね、なぜ左から右なんですかっていうのは結構難しいですね。
両方あり得たんで、なんでっていう感じですよね。
書きやすいから読みやすいからっていうのは説明になってないんですよ。
当時じゃない言語があるんでね。右からの言語がある以上。
昔は両方書いてたんだからっていう。
これなかなか難しくていい問題だと思います。
ちゃんと解けてないですけどね、次行きます。
I am と I'm っていう省略形、これはどう違うんですかっていうことで、形は省略して短くなっているので形は違うんですが、意味上どう違うのかっていうことですかね。
これはですね、皆さんどんな実感ですかね。
I am と I'm。
省略するっていうことはインフォーマルで交互的で、例えば書き言葉では I am っていうのがふさわしいことが多いんではないかと思います。
今書き言葉と話し言葉がごっちゃになったようなSNSの文章みたいなのがあるんで悲しいものではないんですが、いわゆる伝統的な優秀正しき書き言葉では I am と言っておいたほうが無難だろうなっていう感覚は分かると思います。
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これは日本語でもなんでもそうですね。ちゃんとした手紙を書くときは会書でとか、それなりのTPOっていうのがあるもので。
逆に交互、話し言葉で非常にフランクなカジュアルな話なのに、I am とわざわざ二音節で言ってると、なんだ水臭いっていうか、なんか賢まりすぎだなっていう感じがあるので。
これはTPO、言語訳用語ではレジスターって言いますけど、このレジスターの差っていうことはあると思うんですよね。
ただこれですね、どう違うのかっていうのは、一言で言うとレジスターの差と言って、つまり I am はフォーマルで、I am はそれに比べると相対的にインフォーマルですっていうこと。
あと I am は二音節で、I am は一音節なので、例えば音節詞とか歌詞なんかで間を詰めたいときには I am を使うし、固い文脈でも詞のためであれば I am を使うし、逆に柔らかい文脈でも二音節を稼ぎたいという場合は I am を使うしとか、バリエーションあることによって選べるんですね。
状況にはめられるんで、いろんな状況に。やっぱりバリエーションあるってことは非常に言葉にとって便利なんですよね。
そういうことを言った後で、別のお題を投げたいと思います。
Are you a student? に対して、この答えは絶対 Yes, I am じゃないといけないんですよ。
Yes, I'm はダメだと。
言ったことないでしょ?って聞いたこともないと思うんですよ。
これわかります?何でか。
これは英語史というよりも英語学の統合論の話かなと思うんですけれども、あんまり考えたことないと思うんですね。
他もそうです。たとえば、You are っていうふうに二音節で言う場合と、Your っていうふうに一音節で、アポストロフィー、RE で書く。
これもそうですよね。
Am I a student? Yes, you are みたいな文があったとしたら、これ、Yes, you are。
ダメなんですよね。Yes, you are っていうふうにフルで言わなきゃいけない。
ということはここ、文法上何か違いがあるっていうことですよね。
さあ、何でしょうかっていう、これは皆さんへのお題としたいと思います。
どう考えますかね。
これフォーマリティは関係ないですね。
フォーマルなときにもインフォーマルなときにも、両方に関わる文法で、とにかくYes, I'm っていうのはどんな場合でも言っちゃいけないわけですよ。
理解はされると思いますが、文法的じゃないっていうふうに捉えられるわけですね。
これ不思議でしょ。
なので、やっぱりこれですね、どう違うのかっていうことで、意味の違いとかカジュアルさみたいなこと、フォーマリティはあるんだけど、
それよりもっと深いところに文法上の違いがあるんですよ、明らかに。
面白いでしょ。
これが英語学への入り口なんですね。
こういうほんと素朴な疑問から始まって、これとてもいい問いだと思います。
これは皆さんに考えてもらうことにして、ここでは明かさないことにします。
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というかね、これもいくつか考え方、答え方はあるんだと思うんですが、考えてみてください。
次、複数投げてもらってますが、なぜ漢詩がわかりづらいのか。
確かに、これは漢詩、あ、あんっていう不定漢詩とあと座ですよね。
不定漢詩っていうのは、最も習得が難しい語類の一つと言われて、私も何十年も英語をやってますし、書いてますが、座はいつも添削されるわけですね。
この漢のところがいまいちわからないというところなんですよね。
日本語で言うところの和とがの違いっていうのが、外国語として日本語を学習する人はなかなか攻略できないって言いますが、
ただ、ネイティブスピーカーはこれを完全に解決しているっていうことなんで、やっぱりルールはあるわけですね、頭の中に。
だからそれを取り出したいっていうのが、英語学で漢詩とは何ぞや、どう使うのかっていうことを研究してるんですが、
まだズバッという答え出てないんですね。
厄介でわかりづらいっていうことなんですけども。
英語史の観点から言えることは、これも話せばきりがないんですが、一言言うと、千年前の後英語には今あるような使い方の漢詩、定漢詩はありませんでした。
不定漢詩もありませんでしたってことなんです。
徐々に今風の漢詩っていうのは中英語ぐらいから徐々に出てきて、今の状態になったのは近代になってからです。
1500年以降っていうことなんで、1600年の歴史を考えると、その直近の3分の1ぐらいに出てきた文法項目なんです。
種はあったんです。
山につながるような種は確かに千年前からあったんですが、今の使い方ね、我々が習得に苦しんでいる、あの使い方が出てくるのは近代英語記で、歴史の途中から出てきたっていうことなんですね。
実は他のヨーロッパの言語も多く漢詩を持っている言語の方が多いですが、もともと大元はなかったんですね、漢詩。
歴史の途中から獲得したっていうのが大体の言語なんです。
英語も例外ではなくてですね、歴史の途中で漢詩を、この複雑な用法の漢詩を獲得したということなんですよ。
これじゃあなんでもともとなくて途中から獲得するモチベーションが芽生えたのかっていうのはすごく大きな英語史上の問題で、これやっぱり簡単には解けないんですね。
いろいろな古英語にあった漢詩に相当するというか、割と近いような機能を持ったようなものが慕われたっていうことなんですね。
それを補うために、今度はザーみたいなものが持ってこられて、いわゆる漢詩、定漢詩ってものが発達したんじゃないかとかですね。
いろいろ考え方はありますが、歴史的にもわからないことだらけなんですね。
漢詩がわかりづらいというのは、そもそもの発生の経緯からしていろいろなぞに包まれているということですね。
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日本語には漢詩がないので、とりあえず難しく感じるわけなんですけどもね。
次に行きましょうかね。
なぜ英語にはドイツ語やフランス語にはない現在進行形B-IMGってやつがあるのか。
これはとてもいい質問ですね。
他の言語を勉強していると、やっぱり相対的に英語を見る癖っていうのはついてきて、こういう角度からの質問ができるようになるわけですね。
ドイツ語、フランス語ではありませんと、B-IMGが。
だから英語にはなぜあるのかっていうことですね。
これも極めていい質問で、古英語にはやっぱりなかったんですね。
中英語にもなかったんですよ。
厳密に言うと、Bと現在分詞という組み合わせはあったんですが、それは必ずしも今しているところだっていうような進行形の意味合いを表していたわけではないので、
現代の我々が知っているところの機能の進行形が表れたのは、だいたい近代英語以降。
これも400年500年くらいの歴史しかないんですよ。
なので、1600年くらいに活躍したシェイクスピアですが、シェイクスピアは進行形を基本的に使っていないんですね。
つまり、What are you talking about?何話してるの?っていうところを、シェイクスピアはWhat do you talk about?と。
普通に現在形で言っていて、それはつまり二つの意味を用いるわけですね。
あなたは普段何を喋ったりする人ですかって意味と、今あなた何話してるの?っていう。
現代だったらWhat do you talk about?とWhat are you talking about?って違う意味ですよね。
違う意味なんですが、その区別、意味上の区別がなくて、一つの現在形にドッキングしていく。
その区別、細かい区別はまた別の方法でNowとか付ければ、現在進行形的な意味になるとか、そういうところで操作していたのであって、
シェイクスピアの時代にもまだ進行形みたいなものは発達していなかったんですね。
発達しつつある段階だったと思います。
それがどんどんこの300年、400年ぐらいで急成長して、今のようなものになってるんですね。
今も成長し続けてます。
どういうことかというと、進行形を勉強したときに皆さん学んだ記憶があるんじゃないかと思いますが、進行形にしちゃいけない動詞としていい動詞っていうのがある。
だいたいしていいんですけど、例えばNoとかLikeとかLoveみたいな状態を表すものは、あんまり使っちゃいけませんよっていうふうに習ったと思うんですよ。
ところが、MacのI'm loving itってありますよね。
ああいうのとか、いわゆる状態同士でもINGが付くようになってきているんですよ。
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つまり何かというと、400年ぐらい前、シェイクスピアグラインのときに徐々にビータスINGが進行形として発達してきたんですけど、急に現れるわけじゃなくて、少しずつ進行形とってもいいよ系の動詞が増えてきてるんですよ。
今どんどん増え続けてるんですが、まだ全ての動詞にOKではなくて、まだ進行形になれない動詞の一画が残ってるんですね。
これぐらい、例えば進行形みたいな一つの文法項目って、完成するのに場合によって500年、600年とか経つ必要なんですよ、時間が。
今、だいぶ最終段階に近いと思うんですが、差し掛かっている。
ただ、今もゴールにたどり着いてなくて、進行中なんです。
英語が動いてるんだというふうに考えると、すごく面白くなってきますよね、現代語も。
これ英語詞的に見ると、現代語めちゃくちゃ面白いんですね。
I'm likingとかI'm knowing itみたいな言い方っていうのが、これから違和感なく使われるような日っていうのが、数十年後か百年後かわかりませんが、来る可能性はあるっていうことです。
まだ進行形の歴史が始まって、たかだか500年ぐらいなんで、完成しきってないっていう、そういうふうに捉える必要があるんですね。
そもそも、なんで英語に進行形が芽生えたのかっていうのはとてもいい質問で、これもいろんな説があります。
ケルト語の影響説であるとか、やっぱり英語から種はあったんで、それが自然発達したんだっていう説とか、いろいろあって、何が一番有力になってますかね、今。
学会でもどれが有力な説かって揺れるんで、時代によって、時代の潮流によって。だから学説いくつかあります。
次ですね、発音の問題でしょうか。
言うで語れる、つづり字を言うで語れるんだけれども、これに対応する音っていっぱいありますよね、単語によって。
例えば、pull、pushっていうときは、うと順当なんですが、much、busなんていうと、これ、あになりますよね。
それからuniversityだと、ゆになりますかね、とかですね。
他にはbusyなんていうのが典型ですかね。
いうと書いてこれいって読むんですよ。
これなぜかっていうのは、いずれお話しする機会があると思うんですが、なんでこの一文字に対していろんな発音が対応しちゃってるの問題っていうのはあって、これ厄介ですね。
これは先ほども触れた問題と関係するんですが、もともと小英語ではこれはうとしか読まなかったんですね。
それ以外の読みになかったんです。
もうちょっと正確に言うと、タンボインとチョーボインの違いはあったんで、うかウー、この2種類しかなかったんですよ。
短いか長いかの違いぐらいで、音の質そのもので言うとウーしかなかったっていうことなんですね。
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長さは別とすると。
ところが、いろんな単語でその後、バラバラに発音の変化が起こったんですよ。
ウだったものがアになってみたりね、ウだったものがユになってみたりね。
いろんな変化がいろんなところで起こって、単語ごとにユで書いてもその発音が違うっていうことになっちゃったんです。
ですが、先ほども述べたように、綴り字って保守的なので、昔定まったものがそのまま据え置かれることが多いんですよ。
発音は勝手に変わっちゃう。
というこの不幸な事実が重なり合って、今同じユという文字なのにいろんな発音になっちゃった。
これ、ユを例に出してくれてましたけど、最後のほうに他の文字はどうなのっていうことで、これ全部当てはまるんです。
ユだけじゃなくて、例えばエイの文字でもいろんな読みが対応しちゃってます。
これ母音だけじゃなくて子音もそうです。いろんな文字が対応しちゃってるんですよ、一つの文字に対して音がね。
この基本的なカラクリは、綴り字は据え置かれるんだけれども、時間とともに発音はどんどん変わってしまうっていう、この原理に究極的には結びつくことが大体多いんですね。
これからの問題を予告するような、これもいい問題だったと思います。
次ですね。これもよく聞かれることが多いんですけれども、なぜ英語には大文字と小文字があるのですかっていう質問ですね。
これ1系列だけで全然いいんじゃないかっていうところで、合理的にはそうなんですけれども、だから2系列用意されてますよね。
しかも文字の形が同じものの大小だったらいいんですけど、全然違うものがあるとかね。これ厄介ですよね。
これ本当に答え方いろいろあるんですけれども、まず大元は大文字しかないっていうところから始まってるんですよ。
大文字しかありませんでした。だから大文字っていう名前もなかったんですよ。
小文字が今あるから大文字って言い方ができるので、1系列しかなかったんですね。
それが簡単に言うと早書きするために、つまり走り書きするための弁として小文字が現れた。
基本的にはストロークの距離ですかね、手を動かす、指を動かす距離が少なければ少ないほど省力化して早く書けるので、
どんどん文字が使われるようになると、特に官僚的な事務仕様で文字が使われるようになると早書きしたいという欲求が出てきて、それが小文字につながったっていうことです。
一方で意見のあるね、例えばローマの秘文なんていうのは丘の上にものすごい大きい字で彫るわけでしょ。
あれやっぱり小文字だと意見がないので、大きい大文字の方がいいわけですよ。用途がそれぞれあったんですね。
早書きしたい時は小文字で、意見を見せたい時は大文字でっていう、そもそもそういう使い分け、用途としての使い分けから発達したのが、
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それが後に用途の使い分けではなく、文の中で目立たせたい頭の部分、文頭の部分とか人の名前とか目立たせたい時にあの大きい文字を使い、
その他の場合には書きやすい小文字にするっていう、その使い分けに切り替わっちゃったっていうことですね。
これが大文字、小文字の違いっていうことで、極めてプラクティカルな理由から小文字ができてきたっていうことですね。
これはもともと大文字しかなかったんですっていうところからスタートして説明できると思うんですよね。
次、曜日の問題で、なぜ日本語とちょっとずれているのか。
日曜日のサンデーはいいですよね。月曜日のマンデーもムーンなのでいいんですが、それ以降はちょっとずれてますよねっていうところですね。
これはそもそも語源が違うので、この日本語の曜日セットと英語や西洋語の曜日セットを一覧して付き合わせたところで、
うまくいかないところから出てくるっていうのは、もともとの起源が違うっていうことを考えれば、がてがいくかなと思うんですが、
生字は日曜日とか月曜日で重なっているので、こういう質問になるのかなと思いますね。
これについては、基本はギリシャ神話、ローマ神話の天体イコール神という漢字だったので、そこから持ってきたっていう、天体を取ってきたっていうところですね。
英語の曜日は本当にめちゃくちゃでですね、一個は本当にサンとかムーンみたいなのは天体から持ってきてる。
別のところは、チューズデイとかウェンズデイとかですね、これはその天体と紐づけられた神様の名前ね。
神様の名前から持ってきてるというように、ちょっといくつかの異種なものがこんがらがって7つの曜日になってるんで、
それぞれ語源の由来と言いますかね、由来自体は異なっているものが、余生集まって曜日という、この一世帯を構成している、そんな感じになってますね。
一貫していないっていうのはそうですね。
それから、なぜシスターという言葉には姉と妹を分ける単語がないのでしょうか。
ブラザーも一緒ですよね。ブラザー・シスターは上と下がないっていうのは、これ私も初めて英語を学んだときに、兄とかね、弟とか姉とか言いたいわけなんですが、直接訳せない。
シーデイはエルダー、エルダーブラザーとかヤングラー・シスターとか言うんですけど、英語ではあまりそういう言い方をするのは一般的にないので、年は関係なくブラザー・シスターでいいんだよ、みたいなことになってますよね。
これはですね、昔からそうと言っちゃえば、英語史的にはまずそうなんですね。
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古英語から年齢の上下の区別はありませんという点では、どこまで遡っても英語ではこうなんだというしかないんですが、これはどちらかというと社会言語学とか人類言語学の話題ですね。
古年齢が重視されるような社会言語共同体では、別々のご兄弟姉妹みたいに分かれる傾向があるし、そうでない場合は、必要なときはエルダーブラザーとかヤングラー・シスターって言い方はあるけれども、特に必要でない場合はそれを明示しないというような文化があったりしますよね。
家族文化、家族の捉え方の関係で、文化人類学的な話題でよく出てきますね。
世界をどう分析するかっていう話で、逆の例を言いますと、日本語のほうが細かく分ける例で言いますと、米、稲とかご飯っていう言い方、これ英語ではライス全部になっちゃうんですよね。
米の成長段階とか、料理されてきた田舎みたいなのを全く無視して、ライスで表されちゃうと。あえて言うときはCooked riceとかね、成長段階を言う表現はあるんだけど、ちょっと持って回った言い方になっちゃうという。
この世界の切り刻み方っていう問題で、世界の分節の問題っていうんですけどね、これ文化人類学的な話題になってくことが多いかなと。
無数にありますよね、これ英語と日本語のみならず、いろんな言語を比較すると、なんでここで分けないのっていう。
逆になんでこんなに妙な分け方をするのを細かくみたいなのって、もう外国学習するときにはこれの連続だと思うんですよね。
それでは次ですね。
英語を話せる人をなぜ我々は無意識にクールだと感じてしまうのかという、英語という言語に対するある種の憧れかっこよさ、響きみたいな問題ですよね。
これみんなに完全に当てはまるかは別として、少なくとも多くの日本人と言っときますか、日本語母語話者はこんなイメージを持っているのかなと思いますが。
これ簡単で一言で言えます。英語に威信があるからっていう。英語が偉くて強い言語だからっていう。これは個々の東西に繰り返されてきています。
威信がある言語ね。言語自体に優劣はないんですが、社会的な位置づけ、威信、プレスティージですけれども、どれくらい偉いのかですよね。
かっこつきの偉いですけども。偉いのかによって、下にある言語は上の言語を崇めます。かっこいいと思います。ファッショナブルだと思いますっていうことは、五本東西の歴史で繰り返されているので、
54:10
決して日本人が英語を見るときだけの話ではないので、ご安心くださいと。ご安心というか、もうこれ繰り返されてきました。
英語は中世の時期は偉い言語としてフランス語を大きく見てたんですね。さらに上にあるラテン語。これをちょうど今我々が、日本語母語話者が英語話者をクールかっこいいと感じてるのとほぼ同じ。
なり変わったことはありませんが、たぶんほぼ同じだと思うんですね。感覚を千年ぐらい前の、もうちょっと後かな、七八百年ぐらい前の英語話者はフランス語に対して抱いてたんですね。
ほぼ同じ心持ちだと思うので、ここはたぶん当時の人と話せたら会うと思いますね、話が。このクールさ、なんでかっこいいと感じるんだろうねっていうところですね。
英語が美しいからとか、ある種の特徴、文法的特徴、語彙的特徴、発音的特徴を持っている言語だからというのは後付けです。
後からそう思い込んで、それゆえに威信があってかっこいいんだって思ってるんであって、大元にあるのは威信がある言語だから、簡単に言えば強い言語だからっていうことなんだろうと思います。
そこに魅力を見出して、アバタモ・エクボじゃないですけれども、一旦威信を認めたら、その発音は美しいとか、この文法構造は日本語よりも優れてるっていうふうに思いがちだっていうことなんだろうと私は理解しています。
もう50分ですね。もう少しいきましょうか。たくさんくれましたけど、次。
これ面白いですね。
Is this a pen?とかIs that a pen?みたいな質問に対して、答えはYes, it is.とかYes, they are.ですね。
こういうふうに答えて、Yes, this is. Yes, that is.みたいな答え方はしないと。Thisとかthatはitに置き換えなきゃいけないっていうことですね。
これは確かに、最初にこういう文を学んだときにこう思った人いますかね。
これ最近私、中学生あたりからこの問題が上がってきたというのを聞いたりしたので、割とあるのかなと思いますね。
Is this a pen?だったらYes, this isってストレートでいいじゃないですか。それをitで言い直さなきゃいけない。なんでこんなめんどくさいことをするんですか?問題ですよね。ありますね。
これはどう答えますかね。
んーとですね、thisとかthatって指示代名詞って言うんですよ。同じ代名詞なんですけど指示代名詞って言って、要するに指さすわけですよ。
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近いものだったらthisで、遠くのもの指さしながらthatって言うわけですよ。それに対してitっていうのは実は認証代名詞なんですね。
つまり、he、sheとかI、you、they、weと仲間なんですよ。
だからそれと訳しちゃうと、日本語だとコスワード体系ってのがあるので、これはthisで、それはitって考えちゃう。
だけど系列違うんですよ。日本語と違うんで。英語はthisとthatは確かに仲間なんです、指示代名詞。
だからitはたまたまそれと訳すのが典型になっちゃってるだけで、this、thatと全然違うものだと思ったほうがいいです。
heとかsheくらいに思ったほうがいいですね。英語では2回目にある名詞句が現れたとき、名詞句っていうのは名詞そのものでもいいし、
こういうthisみたいなものでもいいんですが、2回目に現したとき、基本的にそれを繰り返すのはやめましょうねっていう言語なんですよ。
その代わりに対応する認証代名詞で置き換えましょうねっていう言語なので、thisとかthatはthe dogとかthis penとかと一緒でitで受けるっていうことなんですね。
なので、thisとthatと同系列にitを見ていると、なんでこんなめんどくさいこと?っていうふうに思うんですが、全然語類が違うんですね。
this、thatは指示代名詞、itは認証代名詞、むしろheとかsheとかI、youと近い、同じ仲間っていうことなんで、
これはちょっと文法的説明に終始した嫌いがあって、ちゃんと説明できてるかわかんないんですけど、理屈で言うとそう答える感じでしょうか。
次ですね。なぜget up, get in, get together, get overのように多くの決まった表現や一つの単語が多くの意味を持つのでしょうか。
これ、英語を学習の際に非常に厄介ですよね。
生字簡単な単語の組み合わせなだけに、だから意味はイディオムとして決まっちゃってるので覚えなきゃいけないっていう厄介さがありますよね。
しかも会話ではこういうのが品質しますので、書き言葉ではあんまり出ないんですが、会話ではガンガン出てきますよね。
なのでこれ、ちょっと違う前置詞を使っただけで意味が変わるので、映画なんか見ててもね、これどういう意味なんだろうと。
簡単なのにわからないっていう、このモヤモヤイライラっていうのが英語を学習につきもんだと思うんですよね。
これですね、英語史的に言うと、小英語にはなかったんですね、ほとんどなかった。
ところが中英語くらいから激増してくるんですよ。
つまりこの我々を苦しめている面倒くさいものは、中英語くらいから現れて我々を苦しめるようになったわけなんですが、
じゃあなんで中英語というタイミングでこれ出なきゃいけなかったんだと。
小英語ではなくて済ませていたわけなんで、ないならないでいいわけですよ。
じゃあなんでこれ現れちゃったのっていうところは英語史上の一つ大きな話題として、これいずれ触れることになると思います。
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これ面白い理由ですね。
現代の英語学習における癌の一つだと思うんですが、なんでこんなものが現れてしまったのかっていうのは、
おそらく多くの皆さんが予想しないひょんな理由で現れてきているということで、その原因を知ったときにはそこを呪ってくださいということになりますね。
いくつ重複する疑問は飛ばしますが、これ何でしょう。
ドイツ語。ドイツ語では固有名詞の所有格にSをつけるだけなのに、なぜ英語ではアポストロフィーも用いるのか。
所有格のアポストロフィーは省略を表すわけではないため、疑問に思う。
なるほど。他の言語、ドイツ語では確かにSだけつけてアポストロフィーみたいな変な叩頭点、パンクチュエーションつけないんですよね。
それだけでも十分わかるじゃないかっていうことですね。
これはすごくいい質問。やっぱり多言語をやっていると、すごく相対化されていいですよね。
これですね、まず一つ答えは、もともと英語もアポストロフィーなんてつけていませんでしたっていうことで、つまりドイツ語ばりだったので正解っていう感じなんですよね。
なんでこのめんどくさいアポストロフィーをつけるようになったのかっていうことなんですけれども、これちゃんと考えたことなかったかもしれませんね、私も。
だいぶ長い間でついてないんですよ、Sが。
いろいろごちゃごちゃ叩頭点、パンクチュエーションをつけ始めるのは近代になってからなんですね。
16世紀以降で、アポストロフィーもこの辺りからガンガンつくようになったっていうのが一つです。
ごちゃごちゃさせたかったっていうか、当時のタイポグラフィーの趣味みたいなもんで、叩頭点が一気に開花したのが1500年以降なんです。
主に1600年くらいから、叩頭点大好き言語になっていったので、たぶんその全体的な流れの中で、このSっていうのも何々のっていう所有格を表すちょっとした語尾だっていうことで格好をつけてなんですかね、Sをつけた。
これね、例えば複数形の場合は同じSですけど、アポストロフィーはつけないってことになってますが、つく場合もあります。
例えば1990sっていう時に1990とあって、今アポストロフィーつけない方が流行ってるかなと思いますが、あってもいいんですね。
アポストロフィーSOKですし。
他には、例えばこの単語には2つのiが出てくるみたいなときに、there are two i's in、2つiがある単語っていう場合に、この場合、i'sっていうのにiにアポストロフィーSっていうのをつけて、複数形を表すのが一般的です。
これはiSとしちゃうと、isと読み間違えちゃうからとか、いくつか理由があるんですが、
実は古くは、複数形でもS、アポストロフィーつけるときもあったし、つけないときもあった。
所有格でもつけるときもあったし、つけないときもあったっていう、つまりつけてもいいですよ、つけなくてもいいですよみたいな、結構ルースな時代があったんですが、
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後に多少整理されて、複数形の場合はつけません。
だけど所有格のときはつけましょうというふうな、バチッという、ある意味明確なルールに置き換わっていったっていうこと。
機能が異なれば書き方も違うというような発想に伴って、アポストロフィーS、所有格の場合にはつけるようになったということがありますね。
ただ古くは、そういうふうにつけてもつけなくてもよかったっていうところを反映して、
例えば店の名前でSで終わるもの多いと思うんですよ。
例えばロイズバンクですね、ロイズバンクとか、なんとかずって結構多いと思うんですが、
これは野後を表す何々のっていう意味に、後ろにショップとかバンクとかが省略されているということで、
それが省略されてSが残っている店の名前多いと思うんですが、
あれはだからアポストロフィー本来はいるんですが、多くの場合ついてないと思います。
これは所有格のアポストロフィーSがなくてもあってもいい時代の名残り、ないバージョンが取られたっていうような形ですね。
科学的に新しいものですということですね。
もう一つぐらいいきましょうかね。
なぜB動詞の現在形は3種類あるんですか。
いいですね。これも現在形が3つ違う形がある。
しかも似てない。I amでしょ。からYou areでしょ。からHe, she, it isでしょ。
I am, are, isっていう、まるで似ていないものが3種類あって、初めて現在形を構成しているみたいなとんでもなく珍しい動詞。
英語にはこの一語だけですね、動詞としては。
なぜこんなことがあるのかって言うんですが、これは、英語にはもう一個あったぐらいですね。
だから4つあったぐらいなんで、もっとひどかったんですけど。
一言で言うと、あまりに頻度の高い、つまり一番利用される動詞がB動詞なんですね。
これは予想つくと思うんですけれども。
このように、あまりに極端に頻度が高い語っていうのは、他の一般の語とは違う行動をします。
変態行動を起こすっていうんですかね。
これ典型がB動詞なんですよ。
他の動詞はですね、多くても現在形で2つしか形を変えません。
これは普通の形、無語尾の形と3単元のSの形って2つの形ですね。
例えばloveに対してlovesとかplayに対してplaysっていうのは、つまり最大2種類っていうか、これが大体の動詞なんですが。
do、doesとかhave、hasとか、イレギュラーもあってもやっぱり2種類でしょ。
それが3種類以上あるのはこの単語だけなんです。
この単語特有の事情を考えると、もうめちゃくちゃ信じられないぐらい他の単語に比べて頻度が高い。
1:06:02
頻度が高いものがだいたいイレギュラーなことを起こすっていうのが、これ言語の原則なんですね。
これ日本語でもそうです。
何語でもそうです。
頻度が高いものはイレギュラーで暗記しなきゃいけないんです。
なので、どの語学も一番最初の初年度っていうか、最初は大変なの。
日常的で頻度が高いものから勉強するでしょ。
それが一番ハードルが高いんですね。
覚えなきゃいけないことが多い。
これは言語のある意味宿命で、頻度が高いものがイレギュラーなことを起こすという一つの典型ですよね。
じゃあ何でそうなのかって考えてみると面白いと思います。
何で頻度が高いとイレギュラーなんでしょうか。
頻度が低いとレギュラーなんでしょうか。
ここ、理屈あると思うんですね。
リードしほどの頻度の高さということで、とんでもないことが起こってきて、もう一種類ぐらいずつあったので、それに比べれば楽になってきている。
現代語ね、ということになります。
1時間超えましたね。
これで十数問はいけましたかね。
みなさんの投げた問いは読み上げられましたでしょうか。
答えられましたでしょうか。
私、答えられないという問題もありましたし、あえてこのタイミングでは黙っておいて、今後の英語史の学びの中で解決していくというところはとどめたりしたんですが、
いずれにせよ歴史的に考えて、何か考え得る、とっかかりはあるなという感覚をつかめたと思うんですよ。
どんな問題でもそうです。
完全に解くことはできないにしても、英語史的に考えるとっかかり、鍵みたいなものはあります。
それは最初に述べたように、この馬鹿らしい問いであればあるほど実は面白くて深くて本質的です。
その疑問を今後も大切にしていっていただきたいと思うし、きょう聞きながらまた新たに問題がどんどん生まれてきたんじゃないかと思うので、
それはまた随時寄せてもらいたいと思うんですね。
その好奇心から生まれた、本当に知りたいという、そこがやっぱり学びの全ての原動力だと思うんですね。
知りたいからそれについて学ぶという、これを大事にしていきたいということで、今回は特別編みたいな形で60分の素朴な疑問1000本ノックをやってみました。
ということで、また機会があったらやりたいと思います。
多くの方にですね、30名くらいの方にライブで聞いていただきまして、目の前にはその倍ぐらいの学生がいるということで、皆さん盛り上げてくださいましてありがとうございました。
それではこれで終わりたいと思います。イベント終了ということでありがとうございました。
1:09:00
エンディングです。きょうも最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。17問のういういし、そして極めて本質的な質問が多かったと思うんですけれども、うまく答えられていないものもあったなぁ、などと聞き返して反省しているところです。
この1000本ノック企画ですね、もう始めて、もう何回というか何十回目になりますかね、結構やってきたんですね。
最初やるときはですね、本当にドキドキしてですね、勇気を持って始めたんですが、最近はだいぶ億面もなくなってきました。
ただですね、一つ申し上げたいのは、これですね、来る質問というのが鋭いものが多くて、回答する、答えるなんというですね、大それたことなかなかできないんですね。
カッコはつけて答えますとか言ってますけれども、実際のところは先々恐々としておりまして、英語紙の観点から私が知っている限りにおいて、その問題にどう対処するかという、ある意味あたふたぶりも含めて聞いていただきたいというのが私の思いなんですね。
というのは、だいたいの質問に対して本当にズバッと答えられる本当の回答というのはないんです。
これを知っていただきたいんですね。これは確かに半分はですね、言い訳と言いますか口述的な含みがあってこう言ってるんですが、もう半分はですね、これ本当なんです。
わからないから研究してるんです、私も。ということを伝えられればなということでですね、恥を晒してこの1000本ノック企画やっているっていうことなんですね。
うまく答えられなかったりすることもかなりあります。しかもですね、答えると言っておきながら全然答えてないじゃないかという反応をいただいたりですね、もやもやさせるなみたいなですね、反応あったりするんですね。
これは私の勉強不足ということで認めざるを得ません。これは本当に素直に認めます。
答えられるようにますますですね、精進していきたいと思っているんですが、それでもわからないことがある。だから研究しているんだということをですね、セキュララに示しておきたいという趣旨もあります。
ということでしょうこりもなくですね、これからも1000本ノック続けていきたいと思っております。
なにせですね、本当に100問以上の多くの質問が寄せられておりまして、今回扱っただけでもまだ17なんですね。しかも昨年度からの積み残しというのも少なからずあったりするんで、とにかくですね、算積してるんです。
これをですね、一つずつ対処していきたいというふうにも思っておりますので、また近々にですね、1000本ノック企画開催することになるかと思います。ぜひそちらもお楽しみにと言いますかね、批判の目で見ていただいても結構です。お楽しみいただければと思います。
1:12:18
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、あなたからのご意見ご感想をお待ちしています。Voicyのコメント機能を通じてお寄せいただけますと幸いです。SNSでのシェアもよろしくお願いいたします。
それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように。英語詞研究者のほったりうちがお届けしました。また明日!
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