他のMでもKでもいいんじゃないかみたいなところに多分触発されてのことなのかなと疑ったりするんですけれども。
まずね、複数形Sつきますよね。
これはですね、千年遡った古英語の時代でもSがついたんです。Sっていうふうに母音もあったんですが、基本Sがあったんですね。
だからそれがそのまま残っているっていうことで、古英語のSが何でそれで複数なのかっていうのはかなり難しい話で、
さらに遡った引用素語とかですね、そういうレベルの話になって英語詞の枠を超えちゃうんですね。
ただ英語詞の枠であれば、文献が残っている一番早くからもSがあったんです、複数形については。
なのでそこにも最初からありました以上のことはちょっと言えないんですが。
三単元のSの方ですね。これちょっと面白くて、これもともとSじゃなかったんですね。
なのでこれいいところついていて、他の音とか文字でもSじゃなくてもよかったんじゃないかっていうのが当たりなんですよ。
その通りで、1000年くらい前というか500,600年くらい前まで、実はTHが使われていたんですね。SではなくTH。
日本語耳には、日本語口にはSとTHって両方とも作業音で拾うっていうことになっているので、近い音だとみなされてますよね。
確かに音声学的にも遠くはないんです。近いんですけども。
英語ではですね、SとTHっていうのは、古英語から今の今に至るまで、やっぱり確実に違う音だっていう認識でずっと歴史は流れてきたんです。
この二つがミックスしちゃったり、こんがらがったりするってことはほとんどないんですね、英語の歴史の中で。
それぐらい英語耳、英語口的にはこの二つの音っていうのは異なる音だっていう認識なんですが、一つ興味深いのがこれ三単元なんですよ。
三単元は昔THだった。それが500,600年ぐらい前と言っておきましょうかね。中英語と言われる時代なんですが、その時代にSに置き換わった。
もうちょっと後かな、近代になってからSに置き換わったっていう感じなんですね。
これ、ポイントは置き換わったということです。つまり、混同して音が似てるからTHがなんとなくSになっちゃったということではないってことです。
置き換わったっていうことは、デジタルにTHだったものが、例えばPに変わるかのように大きくジャンプしてSに変わったという意味合いです。
なので、音が似てるからということで変わったわけではないですね。
これはちょっと方言事情とかいくつか英語史の講義の中でも扱っていくことになると思いますが、それが関わってくるんですね。
一つ目の問いとしては、なかなか面白くて、確かにSじゃなくてもよかったというか、実際にSじゃない音があったということで、
発音は勝手に変わっちゃう。
だけどスペリングは末置き。
こんなことで、どんどん乱れてきたっていう歴史があります。
そうすると、確かに我々学習者の立場からは、ここで質問をくれたように、
発音、すなわちつずりみたいな形に持っていく方が習得が絶やすいし、学びが楽になるっていうのは山々なんですが、
これ歴史を背負ってしまっている言語なんですね。
全ての言語はそうなんですけれども。
そうすると、英語はそこそこ長い歴史を持っています。
1600年ぐらいなんですけれども、発音は変わるけれども、スペリングは末置きということが何度も繰り返されてきちゃったんですね。
その流れの果てが今っていうことなんです。
だから歴史的にこうなっちゃってるんだっていうことですね。
もう一つの、じゃあこれに対する皆さんのツッコミ、違反論は、じゃあ変えればいいじゃないかと。
今の状態を基本にして、昔からの流れどうあったかわからないけれども、
学習しやすさのために発音イコールスペリングみたいなローマ字書きとか、
発音記号をそのままスペリングとして採用するみたいなことがあってもいいじゃないかと考えると思うんですね。
これ、スペリング改革、くつづり字改革という運動なんですけれども、
これですね、英語の歴史をたどっても同じことを考えるでしょ。
つまり英語のスペリングを改革してわかりやすくしようという、この運動は実は100以上、100以上、このキャンペーンが繰り返されてきてるんですが、
ただの一度も成功したことないんです。
これ、皆さん考えてほしいんですよ。
なぜだと、結果的に合理的になるわけでしょ。
学びが絶やすくなるわけですよ。
しかも、最も国際的な言語で、世界で一番学ばれてる言語だから、
これメリット大きいですよね、合理的にすることにより。
そんなこと、頭ではみんなわかってるんだけれども、全てのつづり字改革キャンペーンは失敗してるんですね。
これは多分、今後ますます成功しないっていうふうに私は思ってるんですね。
それ、根拠があるんですけれども。
じゃあ、なんで失敗するか、これ皆さん考えてほしいんですね。
例えば、ネイムっていうのはナメでしょ、どう考えても、そのままNAMEだから。
ナメなのに、本当はネイム。
じゃあ、NEIMにしようかっていうのは、一つの合理的な生き方だと思うんですが、実際こういう提案あったんですが、失敗してるんですよ。
絶対これうまくいった試しないんですね。
何度もやられてますけど。
つまり、非常にシンプルでナイブな問題意識だと思うんですが、これ実行するとなると、
このネイムを例えばNEIMみたいにするっていう、実行するとなると、ことごとく失敗してきた歴史があるんです。
じゃあ、なんで失敗するのかって考えるのが、英語詞で考えていくことです、実際に。
こんなにひどい状態になったのに、なんでまだ野放しにしておくのかっていう問題ですよね。
これすごく本質をついた質問だと思うんですが、解決しようとしてきた経緯はあるんです。
ですから、それがほとんど失敗してきた。
これ、なぜかっていうふうに、これ皆さんにお題を今から振っておきたいと思うんですね。
これ、やっぱりなんで失敗するか理由があるんですよ。
そうすると、成功するためにその失敗の原因を取り除いてあげることが重要でしょ、今後もし同じキャンペーンをするんだったら。
その失敗の原因を取り除くことっていうのが、むしろ21世紀、今後ますます難しくなるってことは自明なんですね。
なので、私はこの問題に関してはかなり否定的というか、非完璧です。
残念だなと思うんですが、うまくいかないんじゃないかなと思っています。
そのあたりの根拠も含めて、ちょっとここで話す、それだけで1時間経っちゃうので、そのぐらいにとどめておきたいと思います。
それでは、次。
発音しないHの存在意義。
これいいですね。
これ多分念頭にあるのは、例えばhourとかhourで、Hで綴っているのにあれ読まない。
だからこそan hourっていうにanという不定漢詞がつくとか、他に重要な語では3つぐらい同じようなものがあって、
1つはhonestとかhonestyっていう正直さ、それからhonor、名誉。
それからもう1個はheirっていう単語知ってますか。
これはheir、遺産相続人、女子遺産相続人だと女子なんでheir-lessっていうふうにESSがつくんですが、このぐらいなんですね。
あと日本語ではherb、herbって言ってますが、実はイギリス発音ではこれherbでH発音するんですが、
アメリカだとan herbっていうようにH読まないことが多いです。
だからhourと同じタイプっていうことなんですね。
例えばこういう単語を見ると、何のためにHあるんですかと。
これは突っ込みたくなりますよね。
これ、英語史上の実は最大の謎の1つなんですよ。
つまり解けないっていうことなんですね。
大枠はわかってます。大枠はどうしてこういうのが生じたかっていうと、
フランス語、これ勉強されている方はいるかと思うんですが、フランス語ではHっていうのは一切読まないんですね、書いても。
つまり英語どころじゃないぐらいおかしな言語といえば言語なんですね。
ロマンス系の言語はだいたいそうで、スペイン語などでもそうなんですけれども。
Hっていうのが読まない言語っていうのはそもそもあります。
フランス語なんかが代表なんですが、そのフランス語から英語はめちゃくちゃ影響を受けてるんですね。
本来の英語はちゃんとH読むんですよ。
だから今、大多数のHで始まる語は波行シーンで読み始めてると思うんですが、
一方で中英語という時期に、英語はフランス語の影響をめちゃくちゃ受けて、
一万というフランス語の単語が英語に流れ込んできたんです。
その時にフランス語の習慣、つまりH書くだけでも読まないという習慣も入ってきたんですね。
これ大変です。なぜかというと、英語はもともとHはちゃんと読む側の言語なんですよ。
一方、影響を受けた元のフランス語っていうのは、Hを書くのに読まないんですよ。
この二つの相反する言語が、ある意味英語という言語の中で混ざり合っちゃった感じですね。
そこでHをめぐる混乱が始まりました。
これ、七、八百年くらい前の話です。
すごくざっくり言うと、この七、八百年前に始まってしまったHどうするの問題っていうのが解決されずに今に至っている、
その一角がHourでありHonestでありHonor、こういったことなんです。
他の多くの単語も実は同じような状況で、例えばHotelっていうのは、今H読みますよね。
これ数百年前だと読まなくてHotelっていう、まさにフランス語ばりにHを読まない発音だったんですね。
なのでHourと同じ扱いだったんですが、だんだんと英語化してって言いますか、戻ってきて、
これまでの英語のHあるんだから読むよっていう方向に戻ってきたのがHotelなんですよ。
だからこの大きな波としてはH、ちゃんと読もうね方向なんですが、この波というのは二、三百年で終わんないんですよ。
五百年、場合によっては千年かかるかもしれないので、気長にこれからHourがHourに変わっていくのは、我々は待っているという状態なのかもしれないと。
たぶん我々生きている間にはHourにならないので残念なんですけれども、そういった問題として捉えることができるんですね。
なので、発音しないHの存在意義って一言で言うことは難しいですね。
よく私が例え出すのは、盲腸。盲腸っていうのは盲腸炎を引き起こす臓器なわけですが、人間には生きていく上で必要ないんですよね。
だから盲腸炎になったら取っちゃえばいいっていうことなんですが、じゃあ何であるのかっていう話で、
これ、昔は何らかの必要で臓器としてあったんだけれども、人間の生活環境によっていらない臓器になったと。
いらないからといって一夜のうちに亡くならないんですね。
遺伝、臓器ですから、これたぶん100万年とか200万年とか、それくらいそんなのはないかな。
かかるんですよ。今、過程にあるんで、ある。
だから存在意義っていうのは、我々の体的には存在意義ない。むしろ悪、盲腸炎を引き起こすんで。
だけれども、だからといってすぐに亡くなるかっていうと、ゆっくりとしか変わらないので、存在し続けているというのと近いかなというふうに思います。
もう一つ変な比喩なんですが、男性の乳首っていう比喩もありますけどね。
これは日本語でもなんでもそうですね。ちゃんとした手紙を書くときは会書でとか、それなりのTPOっていうのがあるもので。
逆に交互、話し言葉で非常にフランクなカジュアルな話なのに、I am とわざわざ二音節で言ってると、なんだ水臭いっていうか、なんか賢まりすぎだなっていう感じがあるので。
これはTPO、言語訳用語ではレジスターって言いますけど、このレジスターの差っていうことはあると思うんですよね。
ただこれですね、どう違うのかっていうのは、一言で言うとレジスターの差と言って、つまり I am はフォーマルで、I am はそれに比べると相対的にインフォーマルですっていうこと。
あと I am は二音節で、I am は一音節なので、例えば音節詞とか歌詞なんかで間を詰めたいときには I am を使うし、固い文脈でも詞のためであれば I am を使うし、逆に柔らかい文脈でも二音節を稼ぎたいという場合は I am を使うしとか、バリエーションあることによって選べるんですね。
状況にはめられるんで、いろんな状況に。やっぱりバリエーションあるってことは非常に言葉にとって便利なんですよね。
そういうことを言った後で、別のお題を投げたいと思います。
Are you a student? に対して、この答えは絶対 Yes, I am じゃないといけないんですよ。
Yes, I'm はダメだと。
言ったことないでしょ?って聞いたこともないと思うんですよ。
これわかります?何でか。
これは英語史というよりも英語学の統合論の話かなと思うんですけれども、あんまり考えたことないと思うんですね。
他もそうです。たとえば、You are っていうふうに二音節で言う場合と、Your っていうふうに一音節で、アポストロフィー、RE で書く。
これもそうですよね。
Am I a student? Yes, you are みたいな文があったとしたら、これ、Yes, you are。
ダメなんですよね。Yes, you are っていうふうにフルで言わなきゃいけない。
ということはここ、文法上何か違いがあるっていうことですよね。
さあ、何でしょうかっていう、これは皆さんへのお題としたいと思います。
どう考えますかね。
これフォーマリティは関係ないですね。
フォーマルなときにもインフォーマルなときにも、両方に関わる文法で、とにかくYes, I'm っていうのはどんな場合でも言っちゃいけないわけですよ。
理解はされると思いますが、文法的じゃないっていうふうに捉えられるわけですね。
これ不思議でしょ。
なので、やっぱりこれですね、どう違うのかっていうことで、意味の違いとかカジュアルさみたいなこと、フォーマリティはあるんだけど、
それよりもっと深いところに文法上の違いがあるんですよ、明らかに。
面白いでしょ。
これが英語学への入り口なんですね。
こういうほんと素朴な疑問から始まって、これとてもいい問いだと思います。
これは皆さんに考えてもらうことにして、ここでは明かさないことにします。
というかね、これもいくつか考え方、答え方はあるんだと思うんですが、考えてみてください。
次、複数投げてもらってますが、なぜ漢詩がわかりづらいのか。
確かに、これは漢詩、あ、あんっていう不定漢詩とあと座ですよね。
不定漢詩っていうのは、最も習得が難しい語類の一つと言われて、私も何十年も英語をやってますし、書いてますが、座はいつも添削されるわけですね。
この漢のところがいまいちわからないというところなんですよね。
日本語で言うところの和とがの違いっていうのが、外国語として日本語を学習する人はなかなか攻略できないって言いますが、
ただ、ネイティブスピーカーはこれを完全に解決しているっていうことなんで、やっぱりルールはあるわけですね、頭の中に。
だからそれを取り出したいっていうのが、英語学で漢詩とは何ぞや、どう使うのかっていうことを研究してるんですが、
まだズバッという答え出てないんですね。
厄介でわかりづらいっていうことなんですけども。
英語史の観点から言えることは、これも話せばきりがないんですが、一言言うと、千年前の後英語には今あるような使い方の漢詩、定漢詩はありませんでした。
不定漢詩もありませんでしたってことなんです。
徐々に今風の漢詩っていうのは中英語ぐらいから徐々に出てきて、今の状態になったのは近代になってからです。
1500年以降っていうことなんで、1600年の歴史を考えると、その直近の3分の1ぐらいに出てきた文法項目なんです。
種はあったんです。
山につながるような種は確かに千年前からあったんですが、今の使い方ね、我々が習得に苦しんでいる、あの使い方が出てくるのは近代英語記で、歴史の途中から出てきたっていうことなんですね。
実は他のヨーロッパの言語も多く漢詩を持っている言語の方が多いですが、もともと大元はなかったんですね、漢詩。
歴史の途中から獲得したっていうのが大体の言語なんです。
英語も例外ではなくてですね、歴史の途中で漢詩を、この複雑な用法の漢詩を獲得したということなんですよ。
これじゃあなんでもともとなくて途中から獲得するモチベーションが芽生えたのかっていうのはすごく大きな英語史上の問題で、これやっぱり簡単には解けないんですね。
いろいろな古英語にあった漢詩に相当するというか、割と近いような機能を持ったようなものが慕われたっていうことなんですね。
それを補うために、今度はザーみたいなものが持ってこられて、いわゆる漢詩、定漢詩ってものが発達したんじゃないかとかですね。
いろいろ考え方はありますが、歴史的にもわからないことだらけなんですね。
漢詩がわかりづらいというのは、そもそもの発生の経緯からしていろいろなぞに包まれているということですね。
日本語には漢詩がないので、とりあえず難しく感じるわけなんですけどもね。
次に行きましょうかね。
なぜ英語にはドイツ語やフランス語にはない現在進行形B-IMGってやつがあるのか。
これはとてもいい質問ですね。
他の言語を勉強していると、やっぱり相対的に英語を見る癖っていうのはついてきて、こういう角度からの質問ができるようになるわけですね。
ドイツ語、フランス語ではありませんと、B-IMGが。
だから英語にはなぜあるのかっていうことですね。
これも極めていい質問で、古英語にはやっぱりなかったんですね。
中英語にもなかったんですよ。
厳密に言うと、Bと現在分詞という組み合わせはあったんですが、それは必ずしも今しているところだっていうような進行形の意味合いを表していたわけではないので、
現代の我々が知っているところの機能の進行形が表れたのは、だいたい近代英語以降。
これも400年500年くらいの歴史しかないんですよ。
なので、1600年くらいに活躍したシェイクスピアですが、シェイクスピアは進行形を基本的に使っていないんですね。
つまり、What are you talking about?何話してるの?っていうところを、シェイクスピアはWhat do you talk about?と。
普通に現在形で言っていて、それはつまり二つの意味を用いるわけですね。
あなたは普段何を喋ったりする人ですかって意味と、今あなた何話してるの?っていう。
現代だったらWhat do you talk about?とWhat are you talking about?って違う意味ですよね。
違う意味なんですが、その区別、意味上の区別がなくて、一つの現在形にドッキングしていく。
その区別、細かい区別はまた別の方法でNowとか付ければ、現在進行形的な意味になるとか、そういうところで操作していたのであって、
シェイクスピアの時代にもまだ進行形みたいなものは発達していなかったんですね。
発達しつつある段階だったと思います。
それがどんどんこの300年、400年ぐらいで急成長して、今のようなものになってるんですね。
今も成長し続けてます。
どういうことかというと、進行形を勉強したときに皆さん学んだ記憶があるんじゃないかと思いますが、進行形にしちゃいけない動詞としていい動詞っていうのがある。
だいたいしていいんですけど、例えばNoとかLikeとかLoveみたいな状態を表すものは、あんまり使っちゃいけませんよっていうふうに習ったと思うんですよ。
ところが、MacのI'm loving itってありますよね。
ああいうのとか、いわゆる状態同士でもINGが付くようになってきているんですよ。
長さは別とすると。
ところが、いろんな単語でその後、バラバラに発音の変化が起こったんですよ。
ウだったものがアになってみたりね、ウだったものがユになってみたりね。
いろんな変化がいろんなところで起こって、単語ごとにユで書いてもその発音が違うっていうことになっちゃったんです。
ですが、先ほども述べたように、綴り字って保守的なので、昔定まったものがそのまま据え置かれることが多いんですよ。
発音は勝手に変わっちゃう。
というこの不幸な事実が重なり合って、今同じユという文字なのにいろんな発音になっちゃった。
これ、ユを例に出してくれてましたけど、最後のほうに他の文字はどうなのっていうことで、これ全部当てはまるんです。
ユだけじゃなくて、例えばエイの文字でもいろんな読みが対応しちゃってます。
これ母音だけじゃなくて子音もそうです。いろんな文字が対応しちゃってるんですよ、一つの文字に対して音がね。
この基本的なカラクリは、綴り字は据え置かれるんだけれども、時間とともに発音はどんどん変わってしまうっていう、この原理に究極的には結びつくことが大体多いんですね。
これからの問題を予告するような、これもいい問題だったと思います。
次ですね。これもよく聞かれることが多いんですけれども、なぜ英語には大文字と小文字があるのですかっていう質問ですね。
これ1系列だけで全然いいんじゃないかっていうところで、合理的にはそうなんですけれども、だから2系列用意されてますよね。
しかも文字の形が同じものの大小だったらいいんですけど、全然違うものがあるとかね。これ厄介ですよね。
これ本当に答え方いろいろあるんですけれども、まず大元は大文字しかないっていうところから始まってるんですよ。
大文字しかありませんでした。だから大文字っていう名前もなかったんですよ。
小文字が今あるから大文字って言い方ができるので、1系列しかなかったんですね。
それが簡単に言うと早書きするために、つまり走り書きするための弁として小文字が現れた。
基本的にはストロークの距離ですかね、手を動かす、指を動かす距離が少なければ少ないほど省力化して早く書けるので、
どんどん文字が使われるようになると、特に官僚的な事務仕様で文字が使われるようになると早書きしたいという欲求が出てきて、それが小文字につながったっていうことです。
一方で意見のあるね、例えばローマの秘文なんていうのは丘の上にものすごい大きい字で彫るわけでしょ。
あれやっぱり小文字だと意見がないので、大きい大文字の方がいいわけですよ。用途がそれぞれあったんですね。
早書きしたい時は小文字で、意見を見せたい時は大文字でっていう、そもそもそういう使い分け、用途としての使い分けから発達したのが、
近いものだったらthisで、遠くのもの指さしながらthatって言うわけですよ。それに対してitっていうのは実は認証代名詞なんですね。
つまり、he、sheとかI、you、they、weと仲間なんですよ。
だからそれと訳しちゃうと、日本語だとコスワード体系ってのがあるので、これはthisで、それはitって考えちゃう。
だけど系列違うんですよ。日本語と違うんで。英語はthisとthatは確かに仲間なんです、指示代名詞。
だからitはたまたまそれと訳すのが典型になっちゃってるだけで、this、thatと全然違うものだと思ったほうがいいです。
heとかsheくらいに思ったほうがいいですね。英語では2回目にある名詞句が現れたとき、名詞句っていうのは名詞そのものでもいいし、
こういうthisみたいなものでもいいんですが、2回目に現したとき、基本的にそれを繰り返すのはやめましょうねっていう言語なんですよ。
その代わりに対応する認証代名詞で置き換えましょうねっていう言語なので、thisとかthatはthe dogとかthis penとかと一緒でitで受けるっていうことなんですね。
なので、thisとthatと同系列にitを見ていると、なんでこんなめんどくさいこと?っていうふうに思うんですが、全然語類が違うんですね。
this、thatは指示代名詞、itは認証代名詞、むしろheとかsheとかI、youと近い、同じ仲間っていうことなんで、
これはちょっと文法的説明に終始した嫌いがあって、ちゃんと説明できてるかわかんないんですけど、理屈で言うとそう答える感じでしょうか。
次ですね。なぜget up, get in, get together, get overのように多くの決まった表現や一つの単語が多くの意味を持つのでしょうか。
これ、英語を学習の際に非常に厄介ですよね。
生字簡単な単語の組み合わせなだけに、だから意味はイディオムとして決まっちゃってるので覚えなきゃいけないっていう厄介さがありますよね。
しかも会話ではこういうのが品質しますので、書き言葉ではあんまり出ないんですが、会話ではガンガン出てきますよね。
なのでこれ、ちょっと違う前置詞を使っただけで意味が変わるので、映画なんか見ててもね、これどういう意味なんだろうと。
簡単なのにわからないっていう、このモヤモヤイライラっていうのが英語を学習につきもんだと思うんですよね。
これですね、英語史的に言うと、小英語にはなかったんですね、ほとんどなかった。
ところが中英語くらいから激増してくるんですよ。
つまりこの我々を苦しめている面倒くさいものは、中英語くらいから現れて我々を苦しめるようになったわけなんですが、
じゃあなんで中英語というタイミングでこれ出なきゃいけなかったんだと。
小英語ではなくて済ませていたわけなんで、ないならないでいいわけですよ。
じゃあなんでこれ現れちゃったのっていうところは英語史上の一つ大きな話題として、これいずれ触れることになると思います。
これ面白い理由ですね。
現代の英語学習における癌の一つだと思うんですが、なんでこんなものが現れてしまったのかっていうのは、
おそらく多くの皆さんが予想しないひょんな理由で現れてきているということで、その原因を知ったときにはそこを呪ってくださいということになりますね。
いくつ重複する疑問は飛ばしますが、これ何でしょう。
ドイツ語。ドイツ語では固有名詞の所有格にSをつけるだけなのに、なぜ英語ではアポストロフィーも用いるのか。
所有格のアポストロフィーは省略を表すわけではないため、疑問に思う。
なるほど。他の言語、ドイツ語では確かにSだけつけてアポストロフィーみたいな変な叩頭点、パンクチュエーションつけないんですよね。
それだけでも十分わかるじゃないかっていうことですね。
これはすごくいい質問。やっぱり多言語をやっていると、すごく相対化されていいですよね。
これですね、まず一つ答えは、もともと英語もアポストロフィーなんてつけていませんでしたっていうことで、つまりドイツ語ばりだったので正解っていう感じなんですよね。
なんでこのめんどくさいアポストロフィーをつけるようになったのかっていうことなんですけれども、これちゃんと考えたことなかったかもしれませんね、私も。
だいぶ長い間でついてないんですよ、Sが。
いろいろごちゃごちゃ叩頭点、パンクチュエーションをつけ始めるのは近代になってからなんですね。
16世紀以降で、アポストロフィーもこの辺りからガンガンつくようになったっていうのが一つです。
ごちゃごちゃさせたかったっていうか、当時のタイポグラフィーの趣味みたいなもんで、叩頭点が一気に開花したのが1500年以降なんです。
主に1600年くらいから、叩頭点大好き言語になっていったので、たぶんその全体的な流れの中で、このSっていうのも何々のっていう所有格を表すちょっとした語尾だっていうことで格好をつけてなんですかね、Sをつけた。
これね、例えば複数形の場合は同じSですけど、アポストロフィーはつけないってことになってますが、つく場合もあります。
例えば1990sっていう時に1990とあって、今アポストロフィーつけない方が流行ってるかなと思いますが、あってもいいんですね。
アポストロフィーSOKですし。
他には、例えばこの単語には2つのiが出てくるみたいなときに、there are two i's in、2つiがある単語っていう場合に、この場合、i'sっていうのにiにアポストロフィーSっていうのをつけて、複数形を表すのが一般的です。
これはiSとしちゃうと、isと読み間違えちゃうからとか、いくつか理由があるんですが、
実は古くは、複数形でもS、アポストロフィーつけるときもあったし、つけないときもあった。
所有格でもつけるときもあったし、つけないときもあったっていう、つまりつけてもいいですよ、つけなくてもいいですよみたいな、結構ルースな時代があったんですが、
後に多少整理されて、複数形の場合はつけません。
だけど所有格のときはつけましょうというふうな、バチッという、ある意味明確なルールに置き換わっていったっていうこと。
機能が異なれば書き方も違うというような発想に伴って、アポストロフィーS、所有格の場合にはつけるようになったということがありますね。
ただ古くは、そういうふうにつけてもつけなくてもよかったっていうところを反映して、
例えば店の名前でSで終わるもの多いと思うんですよ。
例えばロイズバンクですね、ロイズバンクとか、なんとかずって結構多いと思うんですが、
これは野後を表す何々のっていう意味に、後ろにショップとかバンクとかが省略されているということで、
それが省略されてSが残っている店の名前多いと思うんですが、
あれはだからアポストロフィー本来はいるんですが、多くの場合ついてないと思います。
これは所有格のアポストロフィーSがなくてもあってもいい時代の名残り、ないバージョンが取られたっていうような形ですね。
科学的に新しいものですということですね。
もう一つぐらいいきましょうかね。
なぜB動詞の現在形は3種類あるんですか。
いいですね。これも現在形が3つ違う形がある。
しかも似てない。I amでしょ。からYou areでしょ。からHe, she, it isでしょ。
I am, are, isっていう、まるで似ていないものが3種類あって、初めて現在形を構成しているみたいなとんでもなく珍しい動詞。
英語にはこの一語だけですね、動詞としては。
なぜこんなことがあるのかって言うんですが、これは、英語にはもう一個あったぐらいですね。
だから4つあったぐらいなんで、もっとひどかったんですけど。
一言で言うと、あまりに頻度の高い、つまり一番利用される動詞がB動詞なんですね。
これは予想つくと思うんですけれども。
このように、あまりに極端に頻度が高い語っていうのは、他の一般の語とは違う行動をします。
変態行動を起こすっていうんですかね。
これ典型がB動詞なんですよ。
他の動詞はですね、多くても現在形で2つしか形を変えません。
これは普通の形、無語尾の形と3単元のSの形って2つの形ですね。
例えばloveに対してlovesとかplayに対してplaysっていうのは、つまり最大2種類っていうか、これが大体の動詞なんですが。
do、doesとかhave、hasとか、イレギュラーもあってもやっぱり2種類でしょ。
それが3種類以上あるのはこの単語だけなんです。
この単語特有の事情を考えると、もうめちゃくちゃ信じられないぐらい他の単語に比べて頻度が高い。