今回もいい質問がたくさん集まってきております。 A単語のアクセントは必ず守らないと通じないのか?
という疑問から始まりまして、なぜ w の文字はフランス語では double v つまり wv というふうに表現するのに、英語では wu なのか?
までですね。 全7問の問題を取り上げております。
日曜日ということですので、皆さんも肩の力を抜いてまったりとお聞きいただければと思います。
それではどうぞお聞きください。
これいいですね。A単語のアクセントを覚えるのが大変でしたが、必ず守らないと通じないのですか?ということですね。
これはいかがでしょうかね。英語経験豊富な方もいらっしゃると思うんですが、 実際のところはですね、生った英語とかアクセントの位置が、例えば二音接語だったら後ろに来るって
いうのが標準なんだけれども、前に置いたところで通じなくなるかという問題ですね。 これ単語によると思うんですよ。あるいは聞き手にもよりますね。
なので一概にですね、アクセントの置き場間違えたからといって通じなくなるとは言えないんじゃないかと思いますね。
特に今ですね、いわゆる英米のネイティブだけが話す英語ということではなくなって、むしろあの英語話者
全体を100%とすると、母語字でなくてもですね、英語でコミュニケーションをとれる人の人口を100としますと、その75%
4分の3がですね、非ネイティブなんですよ。
ネイティブは4分の1しかいないということなんですね。 しかもネイティブっていうのは、多く国民、人口が多いのはアメリカ、ラッシュ国とイギリスが多いですね。
あとオーストラリアとかカナダありますけど、人口少ないんで、結局英米ぐらいが英語ネイティブの人口としては多くを占めるんですが
このアメリカは移民の国なんで、どんどんこれからもですね、人口増える可能性はあるんですが、イギリスは減ってきています。
一方その4分の3ですね、非ネイティブには南アジアの国々、それからアフリカの国々が多く含まれています。
人口をこれから増加していくっていう国ですので、この割合は今だから3対1っていうことで非ネイティブ対ネイティブなんですが、もっと開いていくことは間違いないですね。
今後10年20年。そうしますとネイティブの方が圧倒的に少なくなるといった場合に、非ネイティブが話す、いわゆるブロークンな英語と言いますか、アクセントの
置き方もですね標準と異なっているという方が耳にする機会っていうのが多くなってくる可能性はあるわけですよね。
そうした場合にそのアクセントの位置へのこだわりっていうのをどう考えるかというところはありますね。
これ皆さんどうでしょうかね。日本の大学入試などでアクセント問題も出なくなってきてるんですね。
つまりもう世界の英語ということでどのアクセントにも、どの位置にもアクセントが落ちる、落とす人がいるっていうことで何が正しいかっていうことを判断できなくなったので
丸罰をつけるか試験には適さないっていう発想なんだろうと思います。 このあたり正しいアクセントって何なのかと。
日本語でもアクセントの問題、方言も含めてありますけれども、これ
面白いですよね。 ちなみに英語の単語はアクセント、伝統的にはどこかに落ちる、どこかの音説に決まって落ちるっていうのが標準的な見解っていうことなんですが
これもですね、実は他の言語と比べると英語の特徴として面白いのは
英語は初見で見た単語、 日本説以上あった場合にどこにアクセントが落ちるかっていうことの計算予測がですね
あんまりできないタイプの言語なんですよ。 と言ってもある程度のルールはありまして、6、7割はいけるかなっていうところなんですが
やっぱり例外が多くてちゃんとルール化できないんですね。 かなりその点不安定なんですが、1000年前の古英語では100%のルールがあったんですね。
つまり覚えなくていいんですよ。 単語の形を見ればここにアクセント落ちるっていう、もっと言うと後頭にアクセント
一番最初の音説にしかアクセント落ちないっていうのが英語だったんですね。 それが本来の英語のあり方だったんですが
後ろにアクセントを持ってきてもいいよっていうルールが中英語という時代に導入されちゃったんですね。
それで大混乱という。 その大混乱起こってからですね、もうかれこれ7、800年経ってるんですが
混乱収まらずというのが今です。 なので、古英語の時代にはそもそもアクセント問題っていうのはなかったと思いますし
決め打ちでも分かってるんでね。 テストの問題にもならないんですよ。
し、今回いただいたような問いも起こり得ないはずだったんですよね。
なんでこのアクセントの大混乱が起きてしまったのかっていうのは、これも英語史のなかなか面白いところです。
一言で言うと1066年のノルマン征服と言っておけばいいんですが、そういうことがあるんですね。
はい、すごく歴史につながっていく話題ですね。
それから
はい、これいきましょうか。英語の否定の形容詞のノーですね
ノー、コニャララっていう時にその後に来る名詞が場合によって単数になったり複数になったりすることが理解に苦しみます
確かに
ノーっていうのはゼロなんで後ろに 逆に言うと単数でも複数でもないのでどっちでもいいっていう発想なんですかね
ゼロなんで単数形でもない 複数形でもない
じゃあどっちでもいいかっていう発想なんでしょうかね これはですね
これちゃんと調べたことないんですけれども 理屈上はノーっていうのはですね
どういう語形性かと言いますと語形性というかこれ2つの文からなってるんですよ
ノーってあまり考えたことないと思いますが これは分けるだったら n と o の間しかないですよね
そういうことなんですがこれあのねっていう否定字がありまして これが否定を表すんですね
いろんなものにつきます その後ろに
これなんと1なんですよ でね1でこれがあの n o n e と書く何っていうのはこれですね
でここから n が 死因の前で落ちたんですよこれあのちょっとデジャブ感あると思うんですがここに
あのいらっしゃる方はですねあんの話と同じでですね 1のあの末尾の n が落ちちゃうということが起こりましてこれがノーなんですね
なのでこれ理屈上語源的にはノーワンなんですよ ノーブック there is no book っていう場合には
there is no one book っていうことなんで まあワンとのつながりを考えると
まあブックでいいのかなという感じはありますよね ただもちろんこんな風に分析してですね
ノーがあのかつては実はネタ数ワンなんだっていうのは意識にありませんので
もともと複数であることが前提とされているものが 1個もなかったっていう時はもともとの前提の複数性というのを
こうと捉えてノーブックスみたいな つまりたくさんの本があるべき場所なのにここにはでラーノーブックス
on this shelf みたいな言い方っていうのはあると思うんですよね なんでこれはあの単数か複数かっていうのはもちろんあの意味上は
there is no book on this shelf というのと意味は全く変わりませんし日本語訳には違いが出ないと思うんですが
このあたりは割と前提が関わっているのかなって気がしますね 1個あるはずのものがない場合には1
だけどいろいろ複数あるはずなのに1個もないっていう場合に s
ということかなぁと思っておりますね 語源的にはですからまあ1ではあるんですけどもね
これあのちょっと歴史的にもいろいろ調べてみたいなぁと思いました あのこれ厄介ですよね単数って1のことで複数点に以上って習うんですけど
じゃああの1.5っていう場合はあのなんていうかとかですね 0.8とかどうなのかみたいな問題であるんですよ
そうするとあのゼロってのはどうかとかあとマイナスはどうなんだとかいろいろ数学の 話題になってしまいますが
単数複数っていうのは非常にまあある意味大雑把な分け方だということにもなりますよね 本当はあの中間点があるって言うような
ことですよね
はい それからですね
同じ綴りで発音が違うものがありますがこれどうなっているんですか これ確かに全く同じ綴りの単語なんだけれども読みが違うっていうのっていくつか
ありますかね まああのえっと
思いつくところではですねまずあの read red red っていうのはあれはの書き方は同じREAD なんですが
これあの 現在形と過去形
違うのでこれ読み間違えたらちょっと誤解生じますよね 話している時だったら I read なんか I read なんかわかるんですが
読んでいる時は文字では I read も I read も同じ形になっちゃうので 時勢で勘違いが起こるってことあり得ますよね
なんでこういうことが起こっているのかっていうこともありますよね ちなみに
RL に変えた導くの意味は read red red で同じ活用なんですがスペリングの方はちゃんとですね
led と過去形はやってくれているのでこれわかりやすいですよね なんでこうしてくれなかったのか問題ってのがありますよね
でまぁあの赤いっていうレッドと重なっちゃうからっていう説明があったりするんですが ある意味こういう重なりってどこにでもあるので他にも
それを避けるためにっていう理由はですね まあ一つの弱い理由であるかもしれませんが必ずしもあの説得力ないかなぁとは思ってるんですけどね
他に何かありますかねあの例えばあの bow なんていう時に
弓の前はボウですかね だけれども
お辞儀するときにはバウ になったりしますかね
というのとか厄介な引っ掛けポイントみたいのが英語学習の際にありますよね あいうのは本当にあのやめていただきたいという感じはしますけれどもね
他にあのいくつかあのやっぱり引っ掛け的なものがあると思いますね 通りと発音のもので本当にあの
と不可思議でですねいろんな理由であの乱れてくるんですね関係がストレートになってない 単語が英語には多いんですがこれですねあの
このま英語子を通じていろんな時代に異なる理由で発音と綴りって噛み合わなくなって くるんでしょう
大きなその理由をリストアップするだけでも私中ぐらい上がりますね 異なる時代にその中のうちのいくつかの理由でもって一つ一つの単語が影響を受けて
あの単語と発音発音と通り時の関係がですねちょっとバラバラになっていくと遠ざかって いくっていうのがあってこれ一つ一つの単語にちゃんと歴史があってなんで
発音と通りがずれたのかについても一つ一つの歴史があるんですよ あまりまとめてこういう一つの理由があるから全体がおかしなことになってますと言えないん
ですね それぞれ独自の
ご歴史を持っていてまさにあのこれあの 英語に限らずですねこういう言い方があるんですね
Every word has its own history
人もですね一人一人人生があるわけなんですが同じことでワードもですね それぞれのあの人生と言いますか後の人生があって今の形になっているっていう
言い方があるんですねこれ本当驚くほどに一つ一つが物語を持っていて 続いと発音が噛み合わないっていう問題を一つとってもですね
この単語の場合にはこういう理由がこの時代にあったから そうすると似たようなあのずれに見えても別の単語だとですね全く違う時代にですね
異なる理由でこんな風にずれてきたんだっていう風にもう一個一個調べなきゃいけ ないっていうような独自性がありますね
ここがあの単語の厄介なところでもあり面白いところでもあると思います はい
次ですね
私の高校生の息子がエモイとかチルイとかいう英日ミックスの形容詞を最近よく使います このようなことは昔からあるようなことなのでしょうか
ですね エモイチルイチルイチルイですかね
ゾッとするとかですかあまり使ったことないのでチルイどういう意味ですかチルイ エモイはなんかよく聞くようになりましたかね
エモーショナルっていうこれはですね日本語史の話題になりますけれども 日本語ではですねこういう風なミックス
ハイブリッドという一応専門用語がありまして 複数の言語の要素から持ってきて一語を作っちゃうというハイブリッドっていうんですけど
ハイブリッドはあの やはり明治以降ですししかも数が出てきたのは
やはり昭和以降だと思いますね こういう形容詞だと何でしょうナウイっていうのがありましたよね
今それこそ全くナウくなくなって死後になってるかなと思うんですが 最近エモイであるとか新たなものが現れてきているっていうことですね
これ日本語の古くからの歴史であったかというとそれなりにポツポツと事例はあると思います
ちなみにこのハイブリッドという現象を引っ掛けて英語を考えますと 英語は大得意です
複数のつまりエモイ 地類系ですよね これは非常に多くありまして日本語よりあるんじゃないですかね
このようなミックスするものに これ例えばエモイとか地類も聞く人によってはなんか
変な言葉だな嫌な言葉だな嫌な日本語だなと思う人もいれば 何気なく使っている若い人もいるっていうことで
意見が分かれたりっていうかね ちょうど変化が起こっている 新たに出だした頃っていうのは反感を持ったり
いろんなその声の思いっていうのがあるのが普通なんでしょう 英語の場合もそれが別に皆無ではないんですけれども
一般的にですねチャンポンにしたりハイブリッドにしても すっと受け入れられてくるんですね
そのスピード早い気がしますね これハイブリッドにやっぱり慣れている
日本語も慣れている方だと思うんですが それ以上に慣れ親しんできた歴史があるっていうことですよね
ハイブリッドになるためには前提が必要で前段階が必要で 例えばエモイの場合エモーショナルなんで英語ですよね
英語にまず慣れ親しんでいないといけないんですよ 先に英語とか英語から入ってきたカタカナ語に慣れ親しんできて
すっかり慣れ親しむとその後ハイブリッドが起こるんですよ 日本語と混ぜてみようみたいな
この順番以外には多分ハイブリッドで起こらないと思うんですね 最初に慣れて慣れたところで混ぜてみるっていう順番なんですけれども
英語はですねまず大量に外から取り入れるんですね 外国国からで慣れた後にそのハイブリッドを作り出すんですね
というのをいろんな言語で繰り返してきた歴史があるので 多分日本語以上にそのスピード感早いですし受け入れられる
数も多いと思います ちゃんと数えたことはないですけど
ハイブリッドの次どこ行くかわかります まず外国語慣れますよね慣れたその外国語とじゃあ日本語
母語を混ぜて作ろうというのがハイブリッドですよね これ終わりじゃないんですよ次の段階あるんですが
これ想像できますかね これ日本語も英語もその段階に実は歴史上行ったことがあるしこれからも起こるかもしれない
また繰り返し起こるかもしれないですが 第3段階があって
これはですね和製英語みたいなものなんですよ つまり本家本元にはない単語をそれらしく英語っぽく作ってしまった
日本でしか通じないカタカナ語みたいなですね これやっぱりですねあのこの3段階多分続きものシリーズなんだと思うんですね
最初外国語になれる混ぜてみようと思う その次に混ぜるというよりは完全に見栄えは外国語のまんまなんだけど
日本でしか通じない言葉を日本側で作ってしまうっていう ステージですねこれあの英語もこれやってきたんですよフランス語とラテン語で
英勢ラ語って言うんですか 英勢仏語みたいの結構ありまして
日本語と英語を比べるとこのステージ3段階 この順で減ってるんですよ順番的には
まず大量借入で慣れるからハイブリッドを作ってみる その後和製英語みたいな
ガラパゴス単語ですよね作り始めるっていう この次第4段階いくとしたら何かなって考えてるんですが
皆さん想像つきますかねわかんないですけど終わるのかもしれませんが ここまで行く第3段階まで行くっていうのもあの
言語にとって当たり前ではないと思うので割と面白い 比較英語と日本語になるんじゃないかなと思ってますね
このステージですね なのでエモい地類はなかなか面白い
流れだと思って見ています
もう少しできますね なぜSVO、SVOCなどの文型になっているのか教えてください
いやそうですねこれは動詞が先に来るっていうことなんですけども これは語順の問題で色々と英語史でも研究がありまして
古くはかなり自由だったんですね SVOのこの3つの要素の並べ方は論理的に6つあるんですけれども
6種類全部英語では可能でした それが今では基本的にはSVO一択
ここから外れてはいけないっていうような言語になってきているんですよね ここはいろいろと問題
問うべき問いとしては何で自由だったものが一つ決め打ちになったんですかっていう 大きな問題がありますね
それからじゃあもし決め打ちするんだとしても6通りある中の なぜよりによってSVOというあの組み合わせになったのかっていう質問ですね
これ2つ一応分けて考える必要があると思うんですが 自由ではなく固定語順になったってこと
固定語順になる際に6分の1の確率でSVOになったのはなぜかっていう問題ですね
これいずれも英語史上の大問題で
一つ目のまずなぜ固定化したのかということについてはですね 文法の在り方が大きく古英語っていう時代から中英語にかけてですね
その境目が先ほどから述べている1066年っていう ノルマン征服と考えていいんですが
ここを境にですね大きく言語の在り方が英語変わってしまったんですね その文法の大変化と関連して
語順が固定したということは言えます これについてはまた詳しく
述べていく機会あると思うんですが より難しいというかよりピンポイントにはじゃあなんでその6通りある中のSVOに決め打ちになったのかっていう
こちらの問題なかなか難しくてですね 古英語では6つの語順があったとは言ってもやっぱり一番よく現れる
語順っていうか基本語順っぽいものはありまして それはSVOとそれが同じぐらいSOVこの2つがですね
メジャーだったんですね これ多分足し算すると全体の
7、8割っていうかマジョリティになると思うんですよ ですがSVOとSOVは同じぐらいだったんですね
SOVってつまり日本語的な語順ですから それに英語がなってくれてたらものすごく楽だったと思うんですよね
ですが残念ながら逆の方にSVOの方に固まったんですが これがなぜかっていう問題は結構面白い問題ですね
つまりもともとパーセンテージ高かったものが勝ったんだっていうことであれば ギリギリもしかしたらSOVだったかもしれないっていうぐらい
競ってたんですよSVOとSOVが なのでその中でSVOがなぜ勝ったのかっていうところになりますけどね
これなかなか深い問題があると思います いろいろ理論的にも研究されていたりするんですけれども
なぜとりわけSVOになったのか問題っていうのは
未解決と言ってもいいかなというふうには 私は見ていますね
なので結果としてこのSVOになっているのが なぜかは歴史的にもまだ謎の状態であるということですね
ちなみにですね世界の言語 何千もありますけれども6千とか7千と言われてますけど
ある調査によると一番多い基本語順は 日本語型のSOVなんですね
その次に英語型 中国語型のSVOが続いて その次にVSOですかね 動詞が生き抜きちゃうっていう
この上位3つで事実上9割ぐらいの 世界の言語を覆うっていうぐらいで
ある程度偏りはあるっていうことはわかるんですが 英語についてなぜっていうのは難しいですね
そんなところですかね
興味深い話題たくさんありますね
いろんな言語を勉強されている方からの質問も多くありまして 例えばWの話もありましたね
これ英語ではWって言ってますが フランス語でWVという言い方をしますかね
これはUとVの違いは 下が丸いか尖ってるかの違いなんですよね
これ実はルーツが一緒で 文字通り尖らせるか丸めるか問題で割れたんですよ
どうでもいいような気がするんですが つまりですね 古くはVと書いていてもこれをUとして扱ったり
あるいはUのように丸めてても これはVですよということになったり
あるいはどっちで書いてもどっちにも使えるっていう文字だったんですね
つまりUって読む場合と詩音のVって読む場合が混用されているっていうか
一つの文字 あるいは二つの字形ですけどね
どっちをどっちで使ってもいいっていうような状況が長く続いておりまして
なので辞書なんかもですね 古い時代の中英語近代あたりの辞書だと
UとVが一緒になってるんですよ つまりABC順に並んでるわけなんですが
UとVの並びが同列なんですね OPQRSTの後ですね
Tの後に今の我々の発想でいうと UとVで始まる単語が見栄えなく
その一つの項目に並んでるって感じです
だから例えばなんでしょうね usualとかvisualってだからUとV書き分けないとですね
非常に混がらがるんですよ これが同じUの項目に立ってるっていう感じです
UとV分けてなかったんですね 一つの文字の尖ったバージョンと丸まったバージョンぐらいにしか見ていなかったと
例えば我々もAの文字を書くときに いろんな書き方皆さんすると思うんですよ
ブロック体的に書く人もいれば小文字もですね
いくつかバリエーションがあって 好みによって皆さん書き方違うと思うんですが
あれと割と似てますね UとVは我々の発想では全然違う文字っていうことになってるんですが
それはバリエーションに過ぎない どっちでも好きなように使っていいんだよと
いうような時代が英語史の大半の時代 それでずっとやってきたんですね
ようやくこの2つは分けた方が良いんじゃないという風になったのが 18世紀半ばに出た辞書
そこでですね ドクター・ジョンソンという有名なイギリスの文人がいますけれども
その人が作った辞書でですね UとVは伝統で分けないっていうことになっているし
分けない方がいいかなと自分も思うんだけれども やっぱり機能は違うし分けときましょうっていうような
すごく歯に何か挟まったような言い方で ようやくUとVを分けるっていう方向になって
からまだ250年ということなんですね
なのでUとVって同じ文字って考え方なんで 呼び方は2つ合わせたあの文字はですね
WUでもいいしWVでも良いっていう発想になるのは 自然なことだったわけですよね
それがアルファベットを使う文化では大体一緒で フランス語でも同じような状況で
ただ最終的にどっちの呼び方をするかっていうところで 英語とフランス語で違う呼び方を取っちゃったっていうような形になりますね
UとVが同じ文字だからこそ隣に並んでるんですね あそこの位置にあった1つを2つに分けたんで隣だったんですよ
同じようにIとJも一緒で IとJも全然違う文字っていう認識だと思うんですが
これ同じ文字と認識されてたんですね 違う形 Jなんかは下にフックがついた形
フックがつくかつかないかの字形の話っていうことで 長らくI1文字の異なった書き方っていうことだったんで
先ほどのUVと一緒です 辞書でもIの場所になぜかJで始まる単語が出てくる みたいな発想だったんですよね
だからアルファベットの並びでもIのすぐ隣にJを置いてるっていうのは そういうわけっていうことですね
なので驚く話 私はのIですよね これは今では大文字で書きますが 昔は小文字も普通にあってですね
Iみたいに書いていたんで IっていうのはJと同じだから Jとも書いてたんですね これIと読ませるんですよ
すごく違和感ありますね これ中英語あたり読んでると いきなりJって読むんですけど これはIなんですよね
文字の話についても面白い話題はあります