生放送の概要
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
10月28日、金曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオheldio。
本日は、英語に関する素朴な疑問〈千本ノック〉〈矢冨弘〉&堀田隆一〈第2弾〉をお届けします。
昨日、10月27日木曜日の午後1時から2時ですね。 数分遅れたんですけれども、生放送を行いました。
事前にリスナーの皆さんから寄せられた英語に関する素朴な疑問、これにですね、20本近く答えられたのではないかと思うんですが、矢冨先生と私堀田、
そして第3の英語史研究者がそこに現れてですね、皆さんからいただいた質問に答えていくと言いますか、それを話題にして議論したり盛り上がって話していくということをやりました。
司会は前回第1弾に引き続き、まさにゃんということだったんですけれども、非常に1時間盛り上がりまして、
Voicy の仕様で1時間60分経つとプチって切れてしまうんですけれども、最後のさよならというのを間に合わずに切れてしまったというところで、最後の10秒ぐらいはつながってない感じで終わってしまったんですけれども、
大変聞き応えのあると言いますかね、第1弾にも増して、いろいろと盛り上がった部分のある、おそらく聞いていてですね、楽しめるような回になったのではないかと思っています。
そして生放送終了後にですね、10分多くを繰り広げました。これが今回の放送ではチャプター3ということになってますので、こちらのほうもお聞き逃しなく、全体として非常に盛り上がりました。
それでは早速その生放送の様子を次のチャプターにします。本日もよろしくお願いいたします。
こんにちは、ホッタリュウイチです。今日はですね、英語に関する素朴な疑問、千本の句ということで、第2弾なんですけれども、熊本学園大学の宿見ひょうし先生と私、ホッタでお届けします。
前回は9月21日に行いまして、第1弾ですね。翌22日のVoiceのアーカイブに上げたということなんですが、大変ご好評いただきまして、第2弾を実施するという運びになりました。よろしくお願いいたします。
それでは宿見先生、まずご紹介ということなんですが、今、Zoomでつないでいるという形なんですが、こんにちは。
こんにちは、ホッタ先生お招きいただきありがとうございます。熊本学園大学の宿見ひょうしと申します。
私の専門はですね、ホッタ先生と同じ英語史ということになるんですが、特に私は初期近代の時期ですね、例えばシェイクスピアのあたりの時代の英語が専門で研究しております。
さらに言うと、社会言語学ですね。社会との結びつきから言葉の変化などを捉えていくということをしておりまして、歴史社会言語学という分野を自分ではやっているということになっております。
今回宣伝をということでしたので、私はホームページをやっておりまして、そこで研究や教育に関することを載せていたりとかですね、ホッタ先生のものに比べるべくもない規模でなんですけれども、ブログを少し始めようとしていたり、
あとはYouTubeのチャンネルがありまして、そこで動画を対外的に、もしくはオンライン授業のために内部の人に向けて動画を載せていたりということをしております。本日はよろしくお願いいたします。
はい、ブログであるとかYouTubeなんかもですね、後ほどですがリンクを貼らせていただきたいと思いますが、非常に活躍されていまして、今日もほとんどアドリブというか打ち合わせもないままにお付き合いいただくということでお忙しい中ですが、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、そして司会なんですけれども、前回に引き続き、前回の司会ぶりが素晴らしかったということで、こちらもほぼほぼからご好評いただいているということで、ケルフの会長も務めています、マサニア。
どうもこんにちは、マサニアです。よろしくお願いします。
司会はこの間初めてやっていただいて、実は非常に専門職なんですよね。
いやいやいや。
専門職なんですよ。寄せていただいた質問ということで、これどれくらい?
前回は50近かったんですけど、今回は120を超えてます。
すごいですね。
もう来すぎて来すぎて。そんなにこれは期待されているのは。
これはじゃあこの中からまさにゃんチョイスでいくつか選んでもらいながら、時間の許す限り1時間、最大1時間ということでリズムよくいければと思うんですが、まさにゃん自身もいろいろと活動を英語誌に関連して。
僕自身も研究活動をしながら、同時にYouTubeでの発信もしてまして、YouTubeのまさにゃんチャンネルというところでシリーズ企画の毎日小英語という、小英語をゼロから学ぼうと。
小英語まだ学んだことがない人でも順にナンバー1からナンバー2見ていただいて、小英語がわかると。
そういうゼロから学ぶ毎日小英語というのをやっております。
これ順に見ていただければ、中間テストなんかも準備してましたので。
小英語模式みたいな感じで、そんな企画も楽しみながら学べたらなと思って、そういった活動をやっています。
よければ見ていただければと思います。
こちらも後ほどですけれども、リンクを貼っておきたいと思います。
それから、私のブログヘログでも、最近まさにゃんタグを新設したんですよ、カテゴリー。
驚きました。
ヘログで検索するときに、キーワードを入れたらタグがあるわけですけど、そのタグの中にまさにゃんという謎のタグがあったのに驚きました。
ありがとうございます。
今回のこの1000本ノックの生放送も、KELF、KOエゴシフォーラムの主催という形で、
第1回が実はKELFの合宿と言いますかね、ゼミ合宿ではあるんですが、そこでやったという流れで、
このKELF主催で今日も開いておりまして、その会長でもあるということですね。
いろいろと、前回第1弾も本当にリスナーの皆さんから好評いただきまして、
とりわけまさにゃんのお父様にも好評をいただいております。
知事も楽しんでいるようで、先ほどツイッターで生放送開始しますと言ったら早速いいねがついておりました。
ありがとうございます。
そんなことでですね、質問も本当に多数寄せられてきまして、ありがとうございます。
リスナーの皆さんも数週間ぐらい前から呼びかけていたんですが、
これほど集まるとは思っていなかったんですが、その分ですね、面白い質問がいろいろ、
我々もまたたじたじになるのではないかと思いますけれども。
生放送ということは、生放送中も質問を受け付けているということで、
ボイスもアプリからにはなりますけどね。
アプリをダウンロードしていただければ、生放送で質問も募集しています。
はい、ぜひご投稿ください。
さあ、それではいきますか。
早速1問目いきます。
1問目です。
比較級最上級でER、ESTが付く語とMORE、THE MOSTを前に付ける語がありますが、
これはなぜなのでしょうか。
なるほど、これは現代英語で確かにね、必ず文法で勉強するということかと思いますが、
これ、矢泊先生。
はい、なぜなのかということですけれども、やはり言いやすさというものが一番重要な要素かなとは思います。
MORE、もしくはTHE MOSTを付ける場合っていうのは、多音節の語に多いということですので、
例えばBEAUTIFULなんかっていうのは、BEAUTIFULERっていうのは少し一単語として長くなりすぎてしまうというところがありますので、
他で別の前に付けるという形の方が言いやすいと。
一方で、短い単語であれば、CLEARERとかですね、そういった形で一つの言葉で言ってしまう方がむしろ言いやすいというようなところがあると思います。
あと歴史的に言うと、このERを付けるか、前にこの無限的って言うんですけれどもMOREとか、語尾を付けるんじゃなくて前に単語を付けるっていう形で比較級最上級を作るっていうのは、
結構揺れがあってですね、今でも両方付けるパターンっていうのもありますし、両方許容されているパターンもありますし、
過去には二重比較級といってMORE BEAUTIFUL、MORE CLEARERみたいなものが、例えばシェイクスピアで出てきたりっていう、そういう時期もあったんですね。
そうですね、なんかいろいろ歴史を見るとバリエーションがあったっていうのが面白いですよね。
小英語まで遡ると基本的にはER、ESTのタイプしかなかったものが、中英語期以降にゆっくりと、おそらくラテン語あるいはフランス語からの影響というふうに言われることが多いんですが、
MORE、MOSTみたいな無限的な両方がどんどん勢力を伸ばしてきたんだけれども、今はどっちつかず両方が共存しているっていうような状況ですかね。
バリエーションは今でもあれに続いていると言えると思うんですけどね。
では次の質問です。
英語には未来時世がないと聞いたことがありますが、これはどういうことですか。
未来時世ですね。
これは今どうやって習ってるんですかね。
WILLとかBE GOING TOで未来のことを表す表現というのはあるってことになってますよね。
未来表現とか言うことが多いんですかね。
ただやっぱ中高で教える際には未来系といって、未来系WILL、BE GOING TOって教える先生も多くいるような印象も受けますね。
そうですね。
時世っていうとまた言語学的な観点では、表現とか系っていうのとまた違って、
これは立場によって未来時世っていうのは認める立場と認めない立場っていうのもあると思うんですけどね。
要するに一単語の屈折か活用ですかね。
活用で未来系というものは英語では存在しないわけですよね。
過去形はEDをつけるとかいうことなんですが、その意味では形態的という言い方なんですが、
合変化させて何か未来を作るっていうことは英語ではできない。
WILLみたいなものを持ってきて統合的にっていうことなんです。
統合的に未来表現を作ることはできるっていう。
このあたりをどう見るかによって未来時世ありますよという考え方と、厳密にはないっていうような言い方あると思うんですけどね。
この辺どうですかね。
そうですね。やっぱり何とか時世って言っちゃうと言語学の中では厳密にはこの単語自体の形を変えてですね。
例えばフランス語とかであれば、単語の語尾に特定のEDみたいな語尾を加えることで未来を表すことができたりしますけれども、
英語ではそれがないということで、未来時世と呼んでしまっていいものかっていう、教育の現場でもそうだと思うんですけども、
そういうところから未来を表す表現っていうふうに、
例えば文法の参考書とかにも書いてあると思うんですけど、
例えばそのwillとかbe going toですね。
なのでちょっと定義の問題というか、厳密にはそう呼べないんじゃないかっていうのが一般的にあると思います。
そうですね。
will、be going toを例えば未来時世みたいに考えるとしても、歴史的には割と出てきたのが新しいんですよね。
その意味で英語史的には英語の長い間基本的には未来の表現というか特別な表現というのはなかったと言ってもいい感じなので、
そんな歴史の流れを組むとやっぱり未来時世ってずばり昔から今まであったということは言えないわけですけどね。
その辺との絡みでね、現代をどう見るかという話なのかなと思っています。
英語文法の進化
次も時世に関わる質問です。
英語は現在過去や過去完了、過去完了進行形など様々な形で過去の時世を表しますが、
このように複雑な形式というのは昔から使われていたのでしょうか。
そうですね。過去形にもいろんな過去があると。
過去完了進行形。
まず完了形自体がそれほど古い形ではないというのと、進行形もそれほど古い形ではないというふうに私は認識しています。
歴史の中で分化してきたというか、いろんな過去が現れてきたというようなところはあると思いますね。
古くは一つしかやっぱりなくて、過去というものしかなくて、今だったら使い分けるようなところを過去でやっちゃってるとか。
例えば過去完了ってよく大過去の用法で過去よりもっと前の過去だっていうあれがありますけど、
語彙語なんかだと別に普通に過去形を使って、
earlierとかbeforeにあたる副詞をつけて、結局今で言うところの過去完了に相当する表現。
読脈で読み取るっていう。
そうですね。それこそ語源的にというか、
言葉を継いで、副詞みたいなものを継いで過去の様々な段階を表すみたいのはあったんですが、
今のように文法的に文法上のセットとして過去完了とかいうようなことが分化してきたのはだいぶ後になってからですかね。
整備されてきたのは近代以降だと思いますね。
そうです。私もそのくらいのタイミングだと思いますね。
ハブプラスPPで現在完了とかですね。
あとは進行形っていうのも、例えばシェイクスピアの中でよく言われるのがハムレットで
What do you read, my lord?っていうふうな大臣がハムレットに対して言うんですけど、
進行形の発展とジェンダーの話題
これは今の現在形の普段何を読んでるんですか?というのじゃなくて、
今何を読んでるんですか?っていう進行形が実は意図されているというところで、
まだこの進行形が完全に定着していない発達の過程だっていうのも例としてよく出される部分なんですけれども、
進行形自体もまだその時は定着していないような感じだったので、
英語の中の歴史を通して、例えば今みたいな完了進行形というのも発達してきたということが言えると思います。
かなり複雑化してきたっていうのは言えると思いますよね。
ではシェイクスピアの話題もありました。そんなシェイクスピアにまつわる質問です。
はじめまして。30数年ぶりに英語の学習を再スタートしたアラカンです。
前々から疑問に思っていたことなのですが、英語で性別を区別する話し方はあるのだろうかということです。
シェイクスピアの時代は少年が女性を舞台で演じていたと聞いたことがあります。
言葉遣いを聞いただけで、話者が男か女か分かる、そのような表現はあるのでしょうか。
はい。ジェンダーの話題となりますね。
なるほど。言葉遣いだけでですね。
これは特定の語法であるとか、特定の語文法事項、何でもいいんですけれども、男女で見てみると明確な差があるとか、そういうことは個々にはありますかね。
この辺りは、これは助っ人を呼びたいなと思っているんですけれども、助っ人がですね、たまたまこの場に強力な助っ人が一人、
専門家がおりまして、専修大学の菊地翔太先生がこの場に祝わせていただきまして、このシェイクスピアあたりの話題についてお詳しいということで、
この問題にズバリということかは分からないんですが、一言、一言でも二言でも。
すみません。専修大学の菊地翔太と申します。
この質問にどのように答えるか。
ヤドミさんにもちょっと助けていただきながら、何か一言、二言言えたらと思うんですけども、歴史社会言語学の研究で、三単元のSの形態、伝統的なTHの形態が廃れて、Sが普及していくという変化があったと思うんですけど、
それって確か女性が先導したという結果ありませんでしたっけ。
そうですね。私がメインの一つで行っているのが、この三人称単数形のゴミがTHからSに変わっていったという流れがあるんですけれども、
それで言うと、一つは女性が最初、この新しい形を多く使って、それで男性の方がそれについてきたというか、そういう流れがあったというふうにはありますよね。
同時に喋って、例えばセリフとか単語だけレベルで、これは男女だっていうのって、ちょっと私は思いつかなかったんですね。
ヤドミさん、ちょっと記憶が確かかどうかちょっと怪しいんですけども、
生計大学の田辺晴美先生が、シェイプスピアのロミオとジュリエットを取り上げて、三単元ゴミの男女差というのを研究されていて、
それで女性のキャラクターの方がSの方を多く、高い割合で使っているという結果を報告されていて、当時のその社会を反映したようなパターンになっているんじゃないかということを指摘されていましたので、
もしかしたら、シェイプスピアのような偉大な劇作家であれば、当時の文法の男女差なんかも見て、それを登場人物のセリフの特徴付けに活用していたという可能性があるのかなというふうに思いました。
今、一つの事例なんですけども。
おだしょー 面白いですよね。
特定の社会集団という言い方をあえてすれば、ジェンダーも男集団、女集団とか、あとは階級によっても上の集団、下の集団とか、あるいは当時のイギリス英語とアメリカ英語。
17世紀くらいだと、この差なんかもS化をどういうふうに誰がリードしているかみたいな研究がいろいろあったかと思いますので、ジェンダーのみならず、いろんなカテゴリーでの社会集団との複合的なパラメーターで動いているということのほうが大体多いのかなという気がします。
そうですね。この単語が来たら絶対にっていうところではなくてですね、もっと複雑に絡み合っているというのが絶対かなとは思いますね。
これはかなり専門的な話になってきちゃいますね。
単複同型と専門用語の起源
これは別枠でやったほうがいいかもしれないですね。
思いがけず専門的な話になってしまいました。
専門家がいらっしゃったのでそういうことになったということですね。ありがとうございました。次いきますか。
フィッシュやシープといった単語はなぜ単服同型なのですか?
はい、これは私の専門に近いので一言、そうですね。
これフィッシュとシープの例が今挙げられましたが、2つまた別の理由なんですよ。
シープから言いますとこっちの方が簡単なんで、シープは複数形のシープということになっているんですが、これは古英語からそうなんですね。
昔からそうで、中性名詞っていうニューターですかね。
英語にも昔、文法的な性っていうのがありまして、中性名詞は典型的に複数形で語尾を取らない。
あるいは本当は何かあったんだけれども消えてしまったというパターンが多いんですね。
それで結果的に単数形と同じ形になってしまったというその名残です。
他にももっと中性名詞ってたくさんあって、シープと同じタイプももっとあったんですけれども、歴史の過程でSをつけるっていういわゆる規則的な複数形にどんどん乗り換えていったんで、
シープがある意味乗り換え損なったと言いますかね、今の今まで残ってしまったという感じです。
フィッシュは実は男性名詞なので、今のシープの話の流れには本来は乗らないんですね。
今でも種類を表すときにはフィッシーズと、例えばアジとサンマとあったらこれトゥーフィッシーズっていう言い方ですよね。
はあるので、本来的なSの使い方で複数形を作るっていうのもあったんですが、こういう群れをなす系の動物でたまに起こるんですけど、シープも結局そうですけどね。
群れをなす、普通1匹とか1匹っていうのかな、考えないフィッシュみたいな群れをなす動物の場合には単複動形が使われるっていう傾向も一方で中英語キーコー現れてきたっていうそんな流れがありますね。
ただまあ今から見るとやっぱりその2つですかね、この辺りっていうのは他に何ですかね。
ディアとかもそうですかね。取り残された例外的なものが残ってしまっているので、少数派ではありますけどね、そんな流れです。
私、複数形の専門ということをやっているので、まさに今の質問、答えさせていただきました。
では続いて同じく複数形に関する質問です。
アンテナの複数形にはそのSをつけたアンテナ以外に、そのアンテナにAというスペル的にはAEという発音になりますが、この2種類があります。
この校舎のような複数形の起源はどのようなものなのでしょうか。
じゃあこれも一言私ので、これは語源的にはラテン語なんだと思うんですけれども、おそらく近代以降に入ってきたというもので、
今でこそアンテナって日常用語の一部みたいに考えられますが、本来はかなり程度の高いっていう言いますか、専門用語で、
例えば触覚なんか今もありますよね、動物の触覚みたいな、ある意味動物学用語みたいなので、ラテン語という高級な言語から借りてくることが多いんですが、
そうした専門用語っていうのは、ラテン語からの専門用語は、ラテン語での複数形の作り方っていうのはあって、これがアンテナに対してアンテナAなんですが、
英語もそのまま借りてくると、複数形も含めてその専門性みたいなのが感じられるからだと思うんですけどね。
ラテン語の複数形の形で借りてくるっていうことが起こって、アンテナAと。
ただ馴染んでくると、さすがの英語も英語化してるんでね、英単語ということなので、普通にSつけておこうよという発想も出てくるので、
アンテナAというような使い方も出てきて、最終的にはこの規則的なSの方にだいたい寄っていくことが多いと思うんですけれどもね。
今、共存状態にまだあるっていうような、そういうふうに捉えてもらえればと思います。
近代英語におけるDAUの存在
では次の質問です。英単語を勉強していると、多義語というので、一つの英単語でありながら複数の意味を持つものというのを勉強したきっかけで、
多義語を勉強した記憶があります。こうした複数の意味を持つ語を誤解することなくネイティブは理解できているのはどうしたと思いますか?
はい、私が考えるところでは、多義語っていうふうにあるんですけれども、その多くっていうのはやはりもともとのコアミーニングがあって、そこから派生していったっていうところだと思うんですね。
例えば、動詞で言えばtakeとかgetとかありますけれども、同じような頭の中で行動のニュアンスがあって、そこから意味を派生させてできているっていうところがあると思います。
堀田先生の教科書にも載っているように、例えばcraneという名詞ですね。あれは確か名詞で鶴だったと思うんですけれども、そこから工事現場にあるものを運ぶために、クレーンのように、クレーンですね、日本語でクレーンと呼ぶものを意味する。
でも、やっぱりここでは鶴がこういう鳥が餌を食べるときに、クレーンみたいな動きをするっていうところと機械の動きっていうところが関連させられている。
どうしてもこの多義語といっても、その多くはもともとのニュアンスから派生していると思いますので、そういう意味で大きく違った意味だって認識してるわけじゃなくて、もっとイメージ的に言葉を理解してるんじゃないかなっていうふうに思います。
なるほど。クレーンの話だと、私は温泉好き、銭湯好きなんですが、皆さんカランってありますよね。
知ってます?蛇口?あれカランって言いますけど、あれオランダ語で、英語のクレーンが生まれたオランダ語なんですよね。
やっぱ蛇口の形ですかね。カランもそうなんですよ。
ただ、この辺絶対知らないと繋がらないですよね。多義語。
多義語は日本語でもやっぱり無数にありまして、文脈によっても区別できるっていうことがほとんどですよね。
例えば、本当に作ったような状況でなければ、どの意味で使われてるのかわからないっていうことは実はそんなに多くないっていうか、現実ではですね。
I'll give you a ringっていう例がありますけど、これ指輪をあげるよというのか、あるいはただ電話するようなのかだいぶ意味が違って、これが間違えられる現実的なシチュエーションって普通ないだろうなっていう感じはしたりするんですよね。
漫才のコントみたいな。
作らないと作らないとできないっていうシャレみたいなもんですけどね。感じますね。
では次の質問です。現代英語では伝わってしまったZAUですが、近代英語記になってもこのZAUというのが用いられていたのはなぜでしょうかという質問です。
これは近代の専門家ということで。
私がお答えしてですね。近代でも、すいません質問ですけど、近代でも残っていたのはなぜかという質問ですか。
そうですね。はい。
今質問にあった通りですね。英語には昔ZAUという言い方がありました。
これは二人称ですね。あなたという意味で使われていたんですが、今では英語ではYouのみですけれども、これが昔は単数に対するあなたと複数に対するあなたを使い分けてたんですね。
もともとYouというのは複数のあなたという意味で、実は単数に対してはDAUを基本的には使っていました。
ですが、これが近代英語の頃にですね、DAUは使われなくなっていくという流れがあって、単数であってもYouを使うという流れが発生したんですね。
近代英語でもまだ残っていたのはなぜですかという質問ですけれども、おそらくこの質問が一部としているところは、
DAUというものが今ではほぼなくなっているんですけれども、なぜスッとなくならずに少しは使われるよという状況が結構英語では長く続いていて、
これがなぜかという質問だと捉えてお答えするんですが、やはりDAUというものは便利だったんですね。
例えば今でもフランス語やドイツ語でもこの単数と複数のYouにあたるものがあって、
特にこの単数の場合というのは親近感を表したいときに使うことができるし、英語でもできたわけですね。
なので同じ相手だとしても、DAUを使うときとYouを使うときというのはイメージが違うわけです。
ですので例えばまたシェイクスペアの話に移りますけれども、ロミオとジュリアットが初めて会うときは、ジュリアットはロミオのことをYouと呼びます。
しかしバルコニーシーンでロミオが恋しくて、オーロミオというときはこれ、Why are thou RomeoというふうにDAUを呼びするわけですね。
なのでここで親近感というものをですね、さらに詰めたということが表現できるわけですね。
今は劇機の例ですけれども、実際の生活でもそのような使われ方、相手の親近感によって呼び方を変えるということができたわけですね。
なので有用であったために初期賃財においてですね、かなりの期間が残ったということが言えるんじゃないかなと思います。
では次の質問です。
これは付け加えることとして、後ろの方にいらっしゃいました菊池先生に改めて。
DAUはなぜ近代にもまだ残っていたのかという質問だったと思うんですが、現代でも実はまだ使われているという地域があるみたいで、
英語の方言と歴史
今世界英語というのが話題になってますけれども、広く世界を見渡してみると、
例えばブリテン諸島では、スポットランドとかウェールとかイングランドの北部で、まだDAUを起源に持つ形態が使われているということが言われていまして、
さらには海を渡って北米大陸のニューファンドランドにもDAUのナンホリと見られる、そういった形態があるということが報告されています。
なるほど、カナダ沖ですね。
標準英語の話だけしているとすっかりなくなったと言っていい感じなんですけど、まだ方言を掘ると残っているということですね。
これは面白いですね。歴史の過去のことかと思ったら、歴史が生きている、どこか探せばという。
これが英語史実は面白いところで、時間を空間に寝かせるというか、横に90度ひっくり返すというのが英語史の一つの見方で、
現代の方言のことと英語の歴史ってかなり近い関係にありますよね。
なので、私も方言学をやったりするんですが、方言学とそもそも英語史が非常に近い関係にあるということですね。
ここは面白いポイントかなと思っています。
今、英語の様々な方言の話題も出ましたけれども、現在の世界で話されている様々な編集にまつわるワールドイングリッシズにまつわる質問です。
ワールドイングリッシズは、やがてそれぞれ違う言語になるのか、多少差があっても英語として残るのか、この辺りの先生の方のお考えをお聞かせください。
みるがいのことについての質問というのもよくあると思うんですけれども、
そもそも言語と方言がどこで区別されるのかというところがそもそも難しいところですよね。
すごく特徴的には近いんだけれども、別の言語として扱われている場合もあるし、
逆にすごく遠いのに同じ言語の中の方言とされているという場合もあると思うんですね。
だからまず言語と方言という捉え方ですね、これからちょっと難しい問題かなとは思います。
私が個人的にどうなるかって考えたときに、多分何百年スパン何千年スパンってなるとちょっと色々とわからないので、
数百年先だとするとですね、やっぱり英語なんじゃないかなとは思うんですね。
簡単にこのイントリッシュっていう言葉がなくなったりはしないだろうと、概念がなくなったりはしないだろうと。
英語の変化
その上で各地域の英語なり特徴なりがですね、よりそういうのってあるよねっていう形で受け入れられていくっていう流れはあると思うんですが、
これは完全に未来のことなので、私の予想ですけれども、イントリッシュっていう言葉自体は残るんじゃないかなというふうに思います。
はい、これについていかがですかね、菊池先生は。
この問題を理解するために重要なキーワードは遠心力と求心力じゃないでしょうか。
はい、私もよく使ってるんですけど。
本当に何が方言で何が言語なのかって、今泉先生がおっしゃったような点なんですけど、
これも本当に予想なので、我々もう歴史屋さんなので予想はできないんですよね。
歴史の教訓をもとに予想できるのかっていうと、私はあんまりできないっていうふうに考える立場なので、
予想はあくまで予想ということでしかないので、かなり皆さん関心はあるし、私だって個人的には関心のある問題ではあるんですが、
何かそれを英語史の観点から言えるかっていうと結構難しいかなと思ってるんですよね。
ただ、個人的にはいろいろ考えはあります。
温めているっていう感じなので、お話しするような時もあるかもしれませんが、今ちょっと考えている最中っていう感じですね。
先生のおっしゃる通り、私も英語語学的知見から意見したわけではなくて、
本当に単純に聞かれたら私はこう思うかなっていう、本当に予想なだけでそういう知見ではないかと。
もう一度言っておきます。
それは多分同じような立ち位置だと思います。すみませんが、はきれいが悪いかもしれません。
英語の未来の話もありましたけれども、次の質問ですが、
ここ数十年における英語の特に大きな変化と言われたらどういった変化なのかという質問になります。
これいい質問ですね。これ何かありますかね。
例えばよく言われていて、そうかなと思うのは、
助動詞の頻度が少なくなってきているということが言われていると思うんですね。
ここ50年くらいですかね。
例えばコーパスですね、オンライン上でデータを調べてみると、
明らかに特にマストなんかが顕著なんですけれども、明らかに頻度が下がっているというのがあると思います。
他の助動詞なんかも割と下がっているものが多いですので、
助動詞の頻度全体が下がりつつあるというところは、私が気になっているところでもありますね。
交互化というのも進んでいるとよく言われていると思いまして、
書き言葉に話し言葉的な特徴がどんどん取り入れられるようになっています。
例えば学術論文では縮約形なんていうものは昔はほとんど使わなかったと思うんですが、
今はたまに見ることはあります。見る機会が増えていると思うんですけど、
交互化というのもキーワードかなと思います。
外的な英語の立ち位置ということで言うと、
先ほどのワールドイングリッシーズみたいな問題がそもそも英語自体が変わっているというか、
英語の内部の文法とか単語とかいう話ではなく、
英語の社会的位置づけが変わっているっていうのなんかは、
本当にこの50年と言っても、100年ですけどね、この数十年と言ってもいいと思いますし、
あとはポリティカルコレクトネスによる言葉遣いとか、
確かに1点面白いところを挙げてと言われたら、これを挙げるかなっていうのが、
短縮、特にアクロニムっていうものですかね、
頭文字を集めて、長い単語を一つにするとか、
ネイトとか、何でもいいですけど、AIDSだってそうですし、EUだってそうですよね。
例外の多い英語
こういったものが今あふれていますが、実はこれって数十年なんですよ。
英語の長い歴史の中で、
こういうのってほとんどなかったんですね。
この100年、しかも加速度的に増えてきているのは、
この数十年と言っていいので、この質問に私が答えるのであれば、
その辺りが一番著しいかなというふうに、私は思っていますけどね。
はい、いろいろあると思いますけど。
加番号も関係しますね。
加番号もそうですね。
広く短縮って言いますか、短くするっていうのも、
現代人大好きですよね。
英語でかなり顕著になってきているかなというふうに思っています。
できるだけ多くの情報をコンパクトに伝えたいという、
そう、もう社会的欲求とか要求とかニーズですよね。
忙しい世の中になっちゃったっていうことだと思うんですけどね。
これは良いことか悪いことかっていうと、忙しいからなんだと、
はい、思っていますけどね。
では次の質問です。
先生方の教え単語を教えてください。
あるんですかね、それみなさん。
好きな単語、表現とか言うことじゃなくて、
モットーとかではなくて単語。
単語ですね。
ありますか?
ちょっと多いですね。
どうですかね。
教え単語ですかね。
教え単語というか、自分の研究対象なのはやっぱり、
私の起源は助動詞の流なので。
そういう観点から。
そういえば完全に推しですね。
そうですよね。
二重体を捧げたみたいなことがありますね。
そういう意味でね。
そういう意味で言うと、
私はもう単語とかじゃなくて、
設備字。
Sですから私の研究。
二重体を捧げて、三重体もちょっと。
トコマの教え単語ありまして、
まさには。
レッドです。
レッド。
レッド多いのときはレアなんですけども、
レッド、やっぱり詞彙動詞僕なんか好きなんですよね。
ずっと詞彙やってますもんね。
詞彙好きで、
パナソニックで、
パナソニックで、
中高で英語を教えた時期もあるんですけど、
高校の詞彙動詞のとこだけテンション上がって、
詞彙動詞、メイクアップレッド、
プラスオープラス、
原型不定詞、
毎回テンション上がって、
あそこすごい楽しいんですよね。
何かマニアックですね。
詞彙動詞も三つあって、
そこでもなぜレッドかと言うと、
レッド、レア単は小英語でも頻繁に使われてるんですね。
小英語を読むと詞彙動詞で、
今はなくなった、
ドイツ語で、
ドイツ語では残ってるんですけど、
英語では今は使われなかった、
ハータンという詞彙動詞も小英語では
広く使われていたんですけれども、
一方で現代語でよく見るメイクとか、
ハブの詞彙動詞は小英語を読んでますと、
それよりもやはり今はなくなった、
ハータンであったり、もしくはレッド、
レア単も広く使われている。
そういう意味で詞彙動詞の現代語の残り三つの中で、
小英語の時から広く詞彙動詞として使われている、
レア単、レッド、
これを教え単語として。
なるほど。
これは一回別に対談ね、
やらなきゃいけないぐらいの厚さだったので。
レア単は原型不停止とって、
メイクとかですと、
現代語詞彙動詞のメイクも
Bメイドって受け身になった場合は
Bメイドトゥードでトゥー不停止になったりとかしますよね。
あとメイクも原型不停止を現在は取りますが、
通常的に見るとトゥー不停止も取っていたりとかして、
メイクが原型不停止とバチッと相性がガチッとなるのは、
実はそれまで揺れがあったんですね、
トゥー不停止も取ってた。
一方でレア単は小英語の時代から今に至るまで
原型不停止を取り続けて、
今でも現役バリバリレア単、レッド。
すみません、ちょっと熱が入りすぎました。
そうですね。
ちなみに私の推しのZoomも小英語の時には
主役動詞として使われていたということで。
そうだ、そうですよね。
レッドね。
レッドならみんな納得するんだけど、
レッドできたんだ。
レッドですね。
ヤドミさん、ヤドミってあだ名ありまして。
ヤドミ、そうか。
ヤドミさんね、ルーの研究。
ヤドミ。
僕もなんか、
主役動詞が昔、
例えば主役動詞メイクもメイクザットとかも
昔はありまして、
主役動詞が取るザット説とか、ザット説好きで、
ザット説好きだって言い続けて、
僕下の名前マサトって言うんですけど、
マサットって呼ばれる。
すべりました。
マサットって。
すみません、すべりました。
カットでお願いします。
推し単語ね、
用意してないと出ないので、
考えておこうと思いましたね。
これぐらいサッと出てこないと。
菊池先生、あります?
推し単語。
私も研究分野の関係代名詞ですかね、
推し単語、特定の名詞とか動詞ってのはないんですけど、
やっぱりフとか、
そういうのを見ると興奮しますかね。
確かにね。
菊池さん、関係代名詞の中ではどれが推し単語ですか?
これは実は結構興味があって、
かつ今も苦戦しているのが、
俗に言う関係代名詞の省略っていうものですね。
ゼロですよ。
ゼロ関係詞、見えないものを探すっていうのが
個人的に好きです。
なんか言語学者っぽいですね。
教え単語はゼロです。
教え単語はゼロです。
省略された。
Sとかも出たし、いろいろですね。
やっぱりこれちょっとここだけで盛り上がってないといいんですけど、
また面白い質問だったと思いますね。
では次の質問です。
英語はなぜ例外が多いのですか?
例外っていうのが、
本当にいろんな英語はいろんなレベルで例外っていうのがあると思うんですけれども、
例えば発音とか、例えば文法とか、
例えば単語とか、
いろんなレベルで活用も含め、
例外が多いと思うんですけれども、
それぞれに理由があるとは思いつつ、
やはり英語は他の言語とのコンタクトですね、
介入がやはり多かったっていうのが一番の理由なんじゃないかなと思うんですね。
まず最初にアングロサクソン、
ブリテンのところにやってきて、
5世紀の話ですね、
そこからバイキングに攻められ、
今度は南からフランスというか、
ノルマンディですね、
ノルマンディのフランスに今度は王が取って変わり、
それからもいろんな人の行き来っていうものがあったために、
やはりいろんな要素が入ってきて、
この例外が多く生まれていったっていうところが、
英語の例外と特徴
全体的な話としてはあるんじゃないかなと思います。
【佐藤】そうですね。
例外って言葉にはつきものっていうか、
どの言語でもあると思うんですね。
その割合っていうんですか、
例外が多いか少ないのかっていうのは、
実はどういう基準で測るかにもよりますし、
やってみないと分からないかもしれないなと思ってるんですよ。
我々は英語を特別視するっていうか、
要するに日本語のほか外国語として、
多くの人が英語を対象として勉強するということで、
英語を見る目がすごく大きくなってしまうっていう感じなんですが、
さまざまな言語をいろいろと比べてみると、
本当に果てしなく英語が例外的なのかっていうのは、
これは私は割と慎重で、
もちろん英語学習者としてめちゃくちゃ例外が多いなと、
暗記しなければいけないことが多いなっていうのもそうなんですが、
逆に例外って規則から外れるものなんで、
規則をどこに置くかっていうことによって、
例外の測り方も違って、
規則とは何かっていうのは、
それこそ言語理論さまざまあって、
安定していないというか、一定していないので、
そこの見方なんですけどね。
ただ、もちろん直感的というか、
主観的な一英語学者としては、
他の言語なんかも勉強している中では、
確かに多いよなと思うのは事実ですね。
そして、そこの点を例外が多いんだということの、
仮に本拠とするのであれば、
私もさまざまな歴史を背負ってきたといいますか、
言語と接触してきたという矢野美先生の意見と、
大筋では一緒といいますか、私も同じ意見です。
イギリス英語とアメリカ英語
次の質問です。
イギリス英語とアメリカ英語の大きな違いは何ですか?
この質問です。
これは、はい、矢野美先生から。
一番大きな違いはやっぱり、
この音のリズムですよね。
私が思うのは、
もちろん個別の要素で、
個別の発音とか単語とか、
よく言われますけれども、
やっぱりいつも前腰の授業の一環で、
Varieties of EnglishとかWorld of Englishの話を
作るときには、まず聞いてもらうんですね。
イギリス英語とアメリカ英語、
まず聞いてみてくださいと。
とりあえず違いますよね。
音の響きとか、そういうところが、
全然リズムが違うと思うんですね。
一番大きなところはそこだと思います。
あと、個人的に好きなパターンはですね、
Tの発音ですね。
これはよくウォーターで言われるんですけれども、
伝統的なウォーターに、
今、このグロッタルストップのウォーターというのが
流行っている。
一方でアメリカでは、
みたいな感じで、
みたいな音がですね、
タップの音が響いてくるっていう、
この違いが私は一番好きです。
分かりやすい特徴の一つではあると思います。
なるほど。
これはそうですね、
私も単語とか、
単語の発音とか、
つづり字もね、
よく英米さっていうこと言われますし、
文法語彙についてもそれぞれあるんですが、
あえて違う立場から英米の英語ですか、
を述べると、
こんな角度からどうでしょうかね。
地域方言。
地域方言は、
イギリスは狭い国なのに、
めちゃくちゃ方言が分かれていると。
日本みたいな感じですよね。
日本と同じような感じ。
一方でアメリカももちろん地域方言はあるんですが、
とてつもなく広いじゃないですか。
大陸国家の割には、
一応ということですかね。
この辺の対比ということが、
一つね、
社会言語学的なというか、
方言学的な観点ですけれども、
そんな点を一つ指摘しておきたいなと思った次第です。
ジャパニーズイングリッシュの位置付け
【佐藤】はい。
今、生放送ということで、
今まさにお便りいただきました。
日本人が話す英語の特徴も、
方言の一つとして認識されているのでしょうか。
外国英語の方言の特徴として認識されているのでしょうか。
外国映画に出てくる日本人の話し方のように。
この質問です。
はい。
いわゆるジャパニーズイングリッシュって、
一つの変種って言いますかね。
認知されているようなものなのか、
それとも、
そういうわけではないのか、
みたいなね、話ですけれども、
菊池先生、
ワールドイングリッシュの観点から、
あんまりジャパニーズイングリッシュって、
いわゆるインディアンイングリッシュとか、
ナイジェリアンイングリッシュとか、
いうのと同列で言われるような表現には、
まだなっていないという感じがね。
そうですかね。
インド英語やナイジェリア英語と違いまして、
伝統的な一般的な区分でいうと、
EFLになるんですかね。
外国語としての英語として、
日本人英語というのがあると思うんですけれども、
そうですね。
日本人英語を真似する動画などを、
YouTubeで見たことがあるんですが、
なんかこう、
メリハリがない感じで、
平坦な感じで発音しているような方が、
結構多かったので、
それも特徴の一つとして見られているのかなと。
あとは、
文法名なんかで見ると、
加算、不加算の区別が、
標準的英語と異なるということも、
解説書などでは書かれていますね。
はい。
いわゆる編集として認められているのかというと、
そんな感じではないっていうのが、
印象ですし、
いわば、英語の映画なんかで使われている場合には、
役割語的なね、
一種のステレオタイプっていうことで、
それから実態として、
ジャパニーズイングリッシュなる編集がですね、
広く認知されるというところが、
広く認知されるというところまでは、
言っていないような気はしているんですけど、
これも結局グラデーションなので、
どこからが境目っていうことはね、
先ほどの方言、言語の境目も一緒ですけど、
この場合、方言なのか、
それより小さなっていうか、
イデオレクトとか言いますけど、
個人語とか、
そっちに近いものなのかっていうところは、
考え方一つ、見方一つっていうことではありますね。
ヤルミン先生。
すみません。
少し関連してですけれども、
例えば、有名なデイビッド・クリスタル先生の、
The Cambridge Encyclopedia of the English Language
っていう、
よく私、引用してるんですけど、
例えば、このワールドイングリッシュのところには、
こういうよく見る表があってですね、
世界の英語をいろいろ区別していて、
その中には一応、
日本語とジャパニーズ・イングリッシュって、
載ってはいるんですね。
載ってはいるんですけれども、
他の先生方がおっしゃったように、
例えば、最近まで私、イギリス住んでましたけれども、
ジャパニーズ・イングリッシュとか、
ジャパニーズ・アクセントって言ったときに、
相手がピンとくるかって言うと、
全然そんなこともないような気がするんですね。
一方でインディアンとかですね、
そういったアクセントで言うと、
みんなピンとくるだろうと思うので、
それはあまり一般的ではないのかなというふうに思います。
おっしゃるとおり、
やっぱり区分の仕方はあると思います。
これもグラデーション、連続体っていうね、
言葉の問題って大体これになっていくことが多いですよね。
線引きできないっていう考え方一つっていうことなのでね、
このタイプのご質問には大体歯切れ悪くなりますよね。
【佐藤】ありがとうございます。
また今まさに質問をいただきました。
東京の人は青森の方言を理解できないということがありますが、
例えばイギリス英語においても、
イギリス英語のそれぞれの方言の人同士で、
同じイギリス英語でありながらも、
互いに理解ができないと、
そうしたことはあるのでしょうかという質問です。
【佐藤】はい、これはですね、
たまたま、
ここにいる皆さん、
3人ともですね、
スコットランドはグラス豪で留学してた経験者で、
たまたまですね、よく考えたという。
で、きつい発音、アクセントの代名詞みたいなのが
グラス豪発音です。
【宮田】戦慄を受けたといって。
【佐藤】そうですね。
この質問、宮田先生いかがでしょうかね。
【宮田】おっしゃる通り、
例えば、ロンドン出身の人が、
スコットランドの英語の発音が聞き取れないということは、
往々にしてあると思います。
例えば、私が授業でよく見せたりするのが、
議会ですね、
ロンドンにある議会で、
もちろんスコットランド代表の人も、
そこに来てしゃべっているんですけれども、
この、
鉛がきつかったりとか、
聞き慣れないというか、
どうしても聞き取れないみたいな動画があったりですね、
そういうエピソードもありますし、
例えば、スコットランド英語をしゃべっている、
映画に字幕が必要だというのが、
半分冗談かもしれませんが、
かなり言われているということが、
イギリスでもありますので、
おっしゃる通り、
理解ができないということは、
往々にしてあると思います。
私自身も、
英語が結構得意で留学に行ったんですけれども、
実際、スコットランドに行くと、
ローカルの言葉を伝われたら、
ご飯を買うのも精一杯という最初の状況で、
すごく興味深い体験をしたと思っています。
【佐藤】歯が立たないですよね。
3年いましたけど、まだだめかなという感じで、
ちょうど、
私とホッタと、
ヤドミ先生の
コミュニケーションを
ご紹介させていただきました。
ヤドミ先生の
指導教員が共通なんですよね。
留学していた時期は全然違う。
ヤドミ先生の方がずっと若いんですけど、
その先生はイングランド人なんですよね。
グラスゴー大学という
スコットランドの大学に
教員として就職したときに、
初めてグラスゴーの駅に降り立ったときに、
これは本当に英語か、みたいな印象を抱いた
というのをよくお話しされていました。
中はネタというか誇張もあり、
だけど、
まんざら嘘ではないというような、
そんなところなのかなと。
そうですね。
私も先日、
イギリス人のネイティブから聞いたんですけど、
やはりイギリスでは地域差が激しくて、
特に母音の地域差が大きいので、
コミュニケーションをするときは、
死因を頼りにして、
その単語が何かということを判断する。
かなりミスコミュニケーションが。
イギリス人ですら、
実際に単語一つを誤解するとか、
そういうことはよくあるみたいですね。
死因の組み合わせを見て、
おそらく複数の選択肢からこれじゃないか
ということを推測しているようです。
そういうことが日常的に行われている
という話を聞きました。
なるほど。これすごい視察的ですね。
死因に注意しろっていう。
これ新しい教訓みたいな感じですけどね。
残すところあと2分となりましたが、
最後のラスト1問です。
最後の質問です。
ラヌキ言葉のような文法的に誤りとされていたものが
許容されていくのはなぜですか。
これは広い質問ですね。
英語に限らないのかもしれませんけれども、
ラヌキ先生いかがでしょうかね。
許容されていくのは、
そもそも私のスタンスでは何が間違いだっていうのが
あまり私の意見と違うというか、
どんなものがあってもいいんじゃないかとは思うんですけど、
もちろんフォーマルな場所とか、
フォーマルなライティングでは伝統的な使い方、
誰でもわかるような書き方、
しゃべり方をしないといけないよねっていうのは
わかるんですけれども、
例えば若者同士が新しい言葉遣いをしているのに対しては、
私はもうそれでいいじゃないか、
英語の表現と世代交代
面白いっていうふうに思うんですが、
それが許容されていくっていうのは、
やはり人は歳を取りますし、
世代が変わっていく。
世代が変わっていくにつれ、
昔、例えばある新しい表現を使っていた世代が
高齢になっていって、
どんどんそれに対して、
これはまずいよねって思う人がいなくなってしまうっていうのは
一つあると思います。
世代が変わっていくっていうところが一つポイントかなと思います。
はい、私も同じですね。
英語の歴史を勉強していると、
ここにいる皆さん、集まっている皆さん、
そうなんですけど、
許容的にならざるを得ないんですよね。
変わり続けてきたことばっかり見てるんで。
そんなバリエーションはいくらでも見たことがある。
そういうことになっちゃうんですよね、考え方としては。
大事なことではない。
はい。
あと残すところも20秒っていう、
ギリギリまで使って、
今日1時間お届けしましたけれども、
たくさん寄せていただきまして、
本当に質問ですね。
生も含めましてありがとうございました。
まだ本当に1000本。
生放送終了後の楽屋トーク。
このままですね、
宿見先生にもお残りいただいて、
それから司会の正にゃんと、
今日ギャラリーとして、
大学院生に来ていただいたんですけれども、
青木くん、
それから慶さんと、
お呼びしておきますけれども、
楽屋トークと言いますか、
反省会と言いますか、
今日の公表みたいな感じですけど、
どうでしたかね、
今日は、第2弾でした。
そうですね。
今日も緊張しましたし、
前回もですけれども、
何かもう少し答えればよかったなとか、
そういえばだったなとか、
そういうものもありつつ、
次回に活かせるかな、
自分の授業を含めですね、
勉強になったなという感じです。
正にゃん、いかがでしたか、司会。
本当に今回120を超える質問だったんですけど、
これ本当にびっくりしましたね。
何をピックアップするかというところで、
1時間通信を見ると、
1時間の中で英語誌の考え方というか、
本当にこの1時間を聞けば、
英語誌のエッセンスが詰まったというか、
すごい充実した時間でした。
歯切れ悪いところって、
やっぱり同じですよね。
同じですよね。
そうですね。
そこがやっぱり考え方が近かったりするのかな。
どうしても区切れないところとかですね。
あとは人によって区切り方が全く違うというようなところもありますもんね。
そうですよね。
ケイさんいかがでしたか、
今日の1時間のセッションですか。
はい。
多様でしたよね。
やっぱり選び方っていうかね。
募金はババアでしたね。
そうですね。
自動的に何かをせずにダメージを受けていただけだったんですけど、
ビスの音とかを聞いてるので、自分だったらどうだったか分からないけど、
今度こそは、人生だったらどうだったか分からないけど、
ちょっと上に乗ってみる?
押しタンボ?あれ、もし聞かれたらあわせます。
あんな暑く立たれないですよ、他のバスにあったほうが暑いからね。
僕も暑くはね、立たれないのでね。
あそこの変な熱量出てしまったら、反省するんでしょ。
あそこ反省するんでしょ。
けいさん、押しペタンゾー。
なんかさ、みんな抽象的なんだよね。
ズバッと言うよりも通貨とか関係者とか。
そういう連中が集まってきているっていうところですけどね。
私もね、今回の対応だなっていうところと、
やっぱり印象に残っているのは、
矢野先生がおっしゃったグラデーションのところで切れないという問題が、
問題というか、回答がいくつも出てきましたよね。
これは本当に言葉の本質で、研究すればするほど、
どこで分けるのかっていうこと、
それ自体を研究者が決めないといけないというか、
ある程度定めちゃわないと研究できないということで、
ある意味では一般に言われている区切りをあえて外して、
そこを変えてみるっていうのが、
言語研究所の作業だったりするので、
多くのリスナーの方は既存の、
既におよそ了解があるような区切りを前提として、
質問をくださるというところなんですよね。
どこまでそれに寄り添う形で答えるかというところとか、
そんなところが、これって本当に本質的な問題なので、
単に素朴な疑問に答えるというようなところよりも、
すごく革新に迫っている議論になるんですよね、必ず。
そうですね。研究者がどう考えるかっていうところと、
それは結構しっかりした区切りで考えると思うんですけれども、
一般の方とか英語学習者の方が求めているような答えっていうのも、
またちょっと違ってくるのかなと思うので、
それをどのようにして相手が聞いてくれた人が納得しつつ、
自分たちとしても嘘をついていないというか、
こう思うというのを伝えられるかというところが結構難しいところですね。
質問の意義と反省会
そこですね。いわばカテゴリー化っていう言語学上の
最もモヤモヤした問題っていうか、そこに今回何回も行き着いたなというところで、
いただいた質問もそこに行き着くようなタイプのものが、
投げられてきたっていうこともあったと思いますし、
面白いですよね、やっぱりこうやってみると。
例えば質問の中で一つ思い出すのは、
日本語アクセントっていうのがどれだけ一般的なものですかっていうような質問の中で、
例えば私がその時考えたのは、
例えばNグラムで、例えばJapanese EnglishとかJapanese Accentみたいなものと対比させて、
他のIndian EnglishとかIndian Accentみたいなものをずらっと並べて、
どれくらい出てくるか、実際にヒントで見ちゃうので、
私の考え方としてはですね。
ヒントがあるっていうことは実際に人々の認識の中にある、
実際にあり得るものだって言えるかなっていうところが思ったので、
そういうアプローチも研究者っぽいですね。
データドリブン的な話。
イギリスでの経験で身の回りではこうでしたっていうのも一つあると思うし、
そういうふうに話したんですけど、
思い返せばそういうのもあったかなっていう意味で、やっぱり勉強になりますね。
皆さんどの質問が印象に残っているというか、
これ難しそうだなとか、私ならこうかなみたいなので、
何か一つでも二つでも。
けいさんいかがですかね。
方法が広がっていくんですかっていう、
日本語であらゆる聞き言葉とかされてると思うんですけど、
その質問がすごい印象に残った。
なるほど。
謝ったっていうとね、
謝ってないよって言いたくなっちゃうんですよね。
これは職業病ですかね。
変化の最中なんだよとか、
そういう視線でしか見られなくなっていってるんですね。
そうですね。
もちろん一個人としてはね、日々日本語を使っていて気をつけようとか、
その感覚もまた事実なんですけどね。
服装と似てますよね。
若者とか好きな服装をしてきたりして、
それ間違ってるわけじゃないじゃないですか。
すごいパンキーな格好をしてきたとしても、
間違ってるんじゃなくてそうしたいからしてるわけで、
ただそれで中学校に行くのは間違ってるよねっていうだけで。
なるほどね。
ここは難しいですね。
青木くんいかがかって知ったかね。
一番印象に残ったって言われたらやっぱり教え単語じゃないですかね。
ほんとね、スッと出てくるぐらい良い人がないとね、
教えフレーズとか教えことわざとか英語で言えますかみたいなね。
ギョッとしましたよね。
いい問題だったんだね。
まさにあんは?
全体は同士ですけど、やっぱり問いの立て方が、
いただく質問が面白いなっていう。
僕はどうしても英語字を学んでしまうと、
ある程度質問を考える時に、
僕が思い浮かぶ質問とそれとは全く違う角度なんですけど、
もしくは全く違う言い回しの、
ほんと素朴な質問の立て方というか、
すごくいろいろな種類があって、
本当に勉強になりました。
それありますよね。
どの角度から来たかみたいな。
先ほど述べたようにね、
我々は一つのある英語詞をやっていると、
その角度からものを見るってことに慣れて、
割と問いの立て方を忘れてしまっているというかね、
そのいわゆる純粋な。
なのでこれは、
ハッとさせられることって意外と多いなっていう。
そういう点でも面白いなっていうふうに思いました。
楽屋トークももう10分になりつつあって、
話してるともうあっという間ですね。
ということで、
今日はありがとうございました。
楽屋トークでした。
ありがとうございました。
第3弾もお願いします。
やりましょう。
エンディングです。
今日も最後まで聞いていただきまして、
ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
生放送の本番1時間、
プラス楽屋トークということで、
生放送からいろいろと喋ってきたわけなんですけれども、
まずですね、
イベントの振り返り
事前に質問をたくさん寄せていただいたわけで、
そしてこの生放送が成り立ったということですので、
このVoiceお聞きのリスナーの皆さんも、
たくさんお寄せいただいたと思いますが、
本当にありがとうございました。
たくさんの疑問をいただきましてね、
これがないと本当になりたたないという、
そういうイベントでしたので感謝いたします。
それから突然の登場だったんですけれども、
中央大学の菊地翔太先生にも、
飛び入りという形で回答者として参戦いただきましたので、
私も大変心強かったわけなんですけれども、
宮富先生と3人でですね、
そして途中から司会の正にゃんも、
暴走し始めたわけなんですけれども、
おかげさまで議論が盛り上がったということですね。
そして生放送を聞いていただいた方、
60名の方に入っていただきまして、
そしてその場で投げ込みの質問もいただきまして、
それでまた盛り上がったということもありますので、
このちょっとしたイベントといえば、
イベントなんですけれども、
こちらを盛り上げてくださいまして、
皆さん本当にありがとうございました。
英語史の魅力を広げたい、
英語史の裾野を広げたいという思いで、
このVoicyでも日々放送をお届けしているわけですけれども、
今回もそのような趣旨でですね、
他の英語史研究者の先生方であるとか、
大学院生も動員してですね、
一緒になって同じ問題について考えていくっていう、
なかなかこれは本当に貴重で面白く、
そして勉強になる機会だったと思いますし、
もう第3弾、この話も出ていますので、
ぜひ今後も皆さんこのシリーズ、
盛り上げていっていただければ幸いです。
こちらに本日の私のブログ、
ヘログにアップした記事へのリンクを貼らせていただきます。
そこから矢泉先生、菊池先生、
そしてまさにゃんのお持ちのホームページ等々に、
あるいはYouTube等々に飛べるようなリンクを貼っておきますので、
ぜひそちらからアクセスしていただければと思います。
さて、今回の1000本ノックの生放送、
こちらについてリスナーの皆さんがですね、
どのように聞いていただけたか。
これ大変関心のあるところですので、
コメントなりご意見なりありましたら、
こちらのVoicyのコメント機能を通じて、
お寄せいただければ幸いです。
さて、Voicyでは昨日からVoicyFest22のイベントが開催されています。
私も登録しまして、
これからバリバリとパーソナリティの対談というのを聞いていきたいなと思っております。
リスナーの皆様も関心がありましたら、
ぜひぜひ登録してフェスに参加していただければと思います。
それでは、今日も良い1日になりますように、ほったりうちがお届けしました。
また明日。