2025-08-09 23:48

heldio #385. 「標準英語」とはどこの誰が話す英語のことなの?

#英語史 #英語教育 #英語学習 #標準英語 #英語の標準化
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サマリー

このエピソードでは、標準英語がどの地域の誰によって話されているか、その定義や歴史的背景について掘り下げています。また、フランス語の標準語との対比を通じて、英語の標準の不明瞭さやその重要性が議論されています。さらに、英語の標準化の歴史やその特徴について考察され、特に英語とフランス語の標準化の違いや、異なる言語の比較の重要性が強調されています。

標準英語の疑問
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語に関する素朴な疑問に英語史の観点からお答えしていきます。
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またコメントやシェアの方もよろしくお願いいたします。 今日の話題はリスナーさんからの質問になります。
標準英語とはどこの誰が話す英語のことなの、という話題です。 先日リスナーのカミンさんからいただいた質問です。
カミンさんはフランス語の教員をなさっているということで、このようにコメントをいただきました。
ボイシーのように気軽に隙間時間に英語史についての知識が得られることの功用は思いのほか大きいものでした。
フランス語の授業でも学生にも紹介していますということですね。 ありがとうございます。
これ非常に嬉しいコメントをいただきまして、私もフランス語が好きでして、好きとうまいというのはまた別なんですけれども、いろんな意味で私はフランス語にとても愛着を感じていまして、
英語史を専攻して研究していますと、英語とイギリスの英語ですね、とお隣のフランスのフランス語というのは様々な点でですね、
歴史的に関係が深いということですね。ある意味、英語にとってフランス語は腐れ縁なんですね。
味方でもあり、敵でもありというようなところがありまして、常に英語史の大部分の時代ですね、英語はフランス語始と仰いで、そこから
栄養を得てきたということなんですね。これは言葉そのもの、語彙であるとか発音であるとか通り字であるとかだけではなくてですね、
言葉に対する考え方であるとか、言葉に対する態度、そして政策ですね、ポリシーみたいなものも、
隣のフランスで行われていることを英語は真似して取り入れて、なんとか大陸のフランスに追いつけ、追い越そうというふうにやってきたんですね。
それでうまくいったこともあれば失敗したこともあるということを繰り返しながらですね、近代を迎えて18世紀になるとひょんなことでと言いますかね、植民地戦争でイギリスがむしろ優位に立ってしまったと。
そして結果的に世界的な言語に英語が成長して、いつの間にかフランス語を追い抜いていたっていう形になるんですけれども、この際に立場は結果的に逆転していながらもですね、中世以来のフランス語へのある意味執着と言いますか憧れみたいなものが消えていないのが英語という言語で。
この英語とフランス語の関係あるいはイギリスとフランスの関係ですかね。これはやはりですね、一言で言い表せないほどの隣国ってのはいろいろありますね。日本と韓国もそうです。日本と中国もそうですけれども、さまざまな歴史的な関係を背負って現代に至るという意味では、世界的な言語となった今もですね、フランス語の影響力というのは英語に対する影響力があるんですね。
これは決して小さくないということで、この2つの言語がいかにしてお互い付き合ってきたかと。時には仲良く、時には仲悪くということもあったんですが、この点で英語とフランス語をやはり比較してとても面白い言語であり言語史であるというふうに思っているんですね。
すみません、私のコメントの方が長くなってしまいましたが、カミンさんからいただいた質問はこういうことなんです。英語は世界中いろいろな場所で話されていますが、現代の英語における標準語とはどの地域のどの階層が話している英語だと考えられているのでしょうか。
標準語の歴史的背景
イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダなどの英語話者が多数を占める地域には地域ごとにそれぞれの標準語があるのでしょうかということですね。つまり英語の標準語っていうのは一体何なのかという質問だと思うんですね。
これはカミンさんがフランス語を専門とされていてフランス語の先生をなさっているということからですね、考えるととても比較するにはやはり面白い問題で、というのはフランス語っていうのはフランス語の標準語何と聞かれると簡単なんです。
パリで話されるフランス語であり、しかもアカデミーフランセーズというですね、フランスにアカデミーがあるんですね。このアカデミーが定めたフランス語、これがとにかく標準なんだという非常にわかりやすい構図になっているんですね。
ここで決められたフランス語は標準語であり、これはフランスという国だけではなくて、世界中にあるフランス語を第一言語、第二言語として用いる国々、地域、そしてその人々にとって模範となるということがわかりやすく決まっているんですね。
これは歴史的にアカデミーというものが出来上がったから、このようにわかりやすい構図になっているんですね。大陸ではまずですね、16世紀1582年にイタリアでアカデミアデラクルフスカというアカデミーができました。ここがイタリア語の規範を定めるというような、そういう場所、機関ができたんですね。
ついで17世紀前半です。1635年にフランスにアカデミーフランセーズという機関ができました。その後、このアカデミーフランセーズで定められたフランス語が標準フランス語なんだよという理解ですね。これが周知されていくわけですね。
そして、こうした大陸での動きを横目にして、イギリスも16世紀後半ですね、17世紀にかけて同様の組織の設立っていうのを目指していたんです。
イタリアやフランスに続きたい、この思いはあったんですけれども、それが最終的には飛んだしてしまうんですね。そのピークは18世紀の最初、1712年にですね。
ジョナサン・スウィフト、ガリバー旅行記を書いた大文豪ですけれども、この人がですね、アカデミーをイギリスにも作ろう、英語のアカデミーを作ろうということを言ったんですが、様々な政治的な理由があってですね、飛んだしてしまうんです。
これを最後にイギリスではついぞアカデミーができなかったということなんです。いわば政治的な理由でついにフランスの真似ができなかったという、ある種の偶然ですね、政治的歴史的な偶然でフランスと同じ道は歩まないことになったっていうのが英語、イギリスだったわけですよね。
皮肉なことに、その後英語は世界的拡大を遂げて、19世紀、20世紀、そして21世紀にかけて世界的な言語に成長していきます。このように世界的になって、今こそ求心力が必要、中心、標準というものが必要にもかかわらず、それをまとめ上げる期間っていうのが18世紀のジョナサン・スウィフトの失敗というところから、
始まってですね、現代まで響いているというふうに考えることができるんですね。私たち日本人は、だいたい日本語母語話者としてですね、義務教育から英語を勉強するということになっているわけなんですが、勉強する英語の対象はですね、対象となるターゲットですね。ターゲットは一応標準英語と呼びならされています。
スタンダードイングリッシュですね。これが最初からあるものだという前提なんですが、実はスタンダードイングリッシュって虚構なんですよ。あるように思い込んでいながら、フランスのアカデミーのようにそこで何か決められているわけでもなく、そういう期間もないわけですから、なんとなくですね、スタンダードイングリッシュ、標準英語と呼んでいるものがある。
なんとなくだと心もとないので、一応、英米の標準的な英語の使い方、これを標準語としておこうということで言ってるんですが、英米とそもそも2カ国にわたってますよね。イギリスと英語では英語が違う、発音なども違うということはよく知られています。
しかもイギリスの中でもですね、様々な方言がある。アメリカの中でもあるということで、本当はまとまらないものをですね、形状を英米標準英語、これを標準英語とするという形で、一種のフィクションとして学ぶべき対象として設けているっていうのが現実なんだと思うんですね。
これをバシッと固めた文法書なり、例えば語法書なりっていうのがあるわけではなくて、それを作ろうとしている人もいるんだと思うんですけれども、逆にここまでですね、世界化してしまうと、むしろ様々な英語が出てきてしまって収集がつかないと言っているんですね。そういうことになっている。
つまり標準英語ってなんだかわからないっていうのが本当の本当のところだと思うんですね。このままだとあんまりですので、標準英語、スタンダードイングリッシュ、これスタンダードイングリッシュとSとEですね、これを大文字にしてスタンダードイングリッシュという一つの固有の英語編集だというように表現することが多いんですけれども、S、スタンダードのSが大文字ですね。
イングリッシュももちろん大文字。スタンダードイングリッシュ、これをですね、定義しないとやはり気持ち悪いという人もですね、多いので、では仮の定義をしておこうかということで、社会言語学者のトラッドキルという人がですね、つけている定義というか説明みたいなものがありますね。
これを私の節約と言いますか、要約に近い表現で日本語にしたいと思うんですけれども、こういうことになります。標準英語とは印刷するときに普通に用いられる英語編集であり、大抵学校で非英語母語話者に教えられることになっている英語編集である。
また通常、教養ある人々が話し、放送などで用いられる編集でもある。標準と非標準の違いは格式言語と略式言語の違いとは別物で、汚い言葉遣いといった概念とも無関係である。標準英語は格式略式の両方であり得るし、それによって汚い言葉遣いがなされることもある。
そういう編集であると言うんですね。いろいろと思って回った言い方でよくわからないと思うんですね。アカデミーがあればアカデミーが定めたこの項目集が標準英語であるというふうに言って終わるんですけれども、それがない。
もとじめがないというのが英語の一つの問題であり、ネガティブに言えば問題であり、ポジティブに言えばおおらかさということになるんですけれども、例えば教育上はですね、やはりバシッと決まっておいてもらわないと困るというのも現実でですね、標準とは何かという問題、標準英語って一体何なのという問題は常に議論されている問題ということなんですね。
フランス語とは少し状況が違うということです。したがって21世紀の現代でも標準英語って何なのか、そしてどこの誰が話すものが標準英語なのかというものについては考え方が人によって揺れています。
一般的には特に日本人の多くにとっては、これは英米で話される、教養人が話す標準的な英語のこと、これをターゲットとして英語を勉強しているので、そのあたりが一番わかりやすい定義かとは思います。しかし、英米だけではない。
カミンさんがおっしゃったように、カナダであるとかオーストラリア、ニュージーランドという英語を母語として話している国における各国の標準英語というものもあってですね、その国民はそれを標準とみなして話しているというものですね。
英米と比べてオーストラリア、カナダは一歩をとるのかどうかという問題はなかなかセンセティブな問題ですね。いや一歩をとるんだという人もいるかもしれませんし、いや英米と同列に一発の独立した国語、公用語としての標準語なんだということも可能だと思います。
さらには現在では英語を第一言語ではなく第二言語として重視する国々、いわゆるESL、English as a Second Languageの地域っていうのがあって、インドであるとかシンガポールであるとかフィリピン、ナイジェリアのような国々があって、それぞれが自分の国の英語、英語編集っていうのを策定してそれを標準だというような空間を作っています。
そうすると標準語は何という問題に対する質問に対する答えですね。これも今もなお揺れ動いている。そして答えの選択肢って言いますかね、選択肢の幅が広くなっているっていうのも事実ですね。
言い方を変えると英語は歴史的に最も古い時代からそして最新の21世紀に至るまで常に標準とは何っていう議論を繰り返してきた。あるいは標準化の常に最中にあるとゴールにたどり着いてないっていう言い方もできると思うんですね。
標準語の歴史と特徴
これは元締めであるとかアカデミーみたいなものがお隣のフランスと違ってですね、できなかったっていうところに問題があり、面白さがあるっていうことなんだと思います。たまたま世界的な言語となって最も注目される言語となっただけに、これはある意味ではとても皮肉な状況でもあるし、ある意味では最もエクサイティングな状況でもあるっていうことなんですね。
今後何が標準になっていくのか、それともついにですね、ゴールにはたどり着かずに常に標準化の最中にある標準化を常に繰り返しているって言いますかね、標準化に向けて動き続けている立体、そのような言語と捉えることもできるのかもしれません。
21世紀のこれからの数十年ですらですね、見通しがはっきりと立たないっていうようなダイナミックな時代に差し掛かっていると。英語史はだから面白いっていうふうに私は考えています。エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
フランス語を教えられているカミンさんからのご質問に答える形で、今回は英語の標準とは何か、あるいは標準化の歴史について触れることになりましたけれども、英語とフランス語だいぶ異なる道をこの標準化という点からするとですね、歩んだということになります。
このように比較対象があると、やはり特徴が浮き彫りになるんですね。その目的で対象言語史、contrastive language historyという分野の重要性、この見方の、このアプローチの重要性というのを主張したいと思うんですね。
私はとりわけ英語史、フランス語史、そして母語である日本語の日本語史、この辺りを比較しながら、同じ言葉の歴史でもですね、異なる点がたくさんある。そしてもちろん似ている点もある。こういった比較対象することはとても面白いというふうに考えてきました。
今回の話題はとりわけ標準語であるとか、言葉の標準化ということだったんですけれども、まさにこの話題で先日、複数の言語のですね、異なる言語の歴史の研究者の方々と一緒に組んでですね、本を出しました。
高田博之、田中牧郎、堀田隆一編著の、言語の標準化を考える。日中英読普通対象言語史の試みという本です。大週刊書店より先月出たばかりなんですけれども。
言葉の歴史って、やはり一つの言語だけ見ていてもですね、視野が狭くなるんですね。そこで、お隣の言語であるとか、あるいは全く異なる言語の言葉の歴史と比べることによって、そういうことだったのかと。
同じような話題を扱っていても、見る視点が全く違うであるとか、あるいは視点が同じでもですね、扱うテーマが違うであるとか、様々な異なる点、そしてたまにクロスして面白い点っていうのが出てきて、非常に本作りをしながらですね、刺激的な時間を過ごすことができました。
皆さんにもこの知的興奮みたいなものを味わっていただける本かと思います。
実際にですね、市場でお互いの言語の歴史に対して突っ込みを入れてるんですよ。客中で。場合によっては突っ込み返しという形もあって、SNS的なですね、レスポンスを従来の媒体である本の中で、どこまで追求できるかっていうのを試してみた、ある種実験的な本でもありますので。
言語比較の重要性
ぜひですね、その観点から突っ込み合いっていうのを楽しんでもらえる、そんな本になっているかと思います。多少専門性は高いかもしれませんが、今日の放送であったような言葉の標準化、標準語って何だろうっていうことが根底にある、そんなテーマで一貫した本ですので、ぜひ皆さん手に取っていただければと思います。
さて、このチャンネルでは、いつでもですね、ご意見、ご感想、ご質問をお寄せいただいています。チャンネルで取り上げてほしいトピックなどがありましたら、Voiceneのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています専用フォームを通じてお寄せいただければと思います。なるべくですね、取り上げてフィードバック、放送の中でしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それではまた明日。
昨日の放送についてのコメントをいただきましたので、紹介しておきたいと思います。
昨日の質問をくださった唐揚げ好きの直之助さんからの直接の反応なんですけれども、モーリングとモーリングについて早速聞きました。
今回のような偶然に同音になってしまった事例も面白いですね。質問に回答いただけて本当に嬉しかったです。ありがとうございました。ますます英語集に興味が出てきます。
ということで、こちらこそ面白い質問ありがとうございました。
偶然に同音になってしまったという単語のペアですね。これ意外に多いんですね。
6月14日の放送だったと思うんですが、379回、同音意義語と多義語は紙一重でも紹介しましたが、例えば軽い、重い軽いの軽いを意味するlightと明るいを意味するlightというのは、これ全く別語源の別の単語だったんですね。形も違かった。
ところが音の変化の都合で両方ともlightに合一してしまった。こんな例を紹介しましたが、今回のモーリング、モーリングなんかと同じですね。結果として音の変化の都合で一緒になってしまっただけで、もともとは全然違う単語ということです。
他にはよく知られている例はbankですね。これ土手の意味と銀行の意味があるわけですよね。
実は究極的には同じ語根に遡るんですけれども、ただ歩んだ道のりはだいぶ違ってですね、完全に違う単語と捉えているんですね。
土手の方は高ノルド語からの借用語ということで、そして銀行の方、こちらはフランス語からの借用語。異なる時代に入ってきて、たまたま英語の中で出会って同じ音になって、同音異義語ということになっているわけです。
他には小英語から続くものとしては、例えばsewっていう単語がありますね。これ種をまくって意味ではSOWと綴りますかね。一方で縫う、縫い物をする。これはSEWというふうに綴りますね。
通り字が違うことからも予想される通り、小英語ではこの母音部分が違っていて、完全に別の単語ということだったんですが、音の都合で両方ともSEWになってしまったという点では今回の例と一緒ですね。たまたま音が一致してしまったということです。
このような例を集めて語源をたどっていくというのも、英語詞の楽しみ方、英語の語源の楽しみ方だと思います。それではまた。
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