文法用語の重要性
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。 本日は11月7日月曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
英語の語源が身につくラジオheldio。本日は、【他動詞】transitive verb っていったい何と題してお届けします。どうぞよろしくお願いいたします。
昨日524回の放送で、dealとpartのイメージは分け与えて共有すると題してお届けしました。
その中で最後の方だったんですけれども、participle、文詞ですね。現在文詞、過去文詞の文詞という文法用語ですが、なぜ文詞、分ける言葉と書くのか。
これについて英語の用語であるparticiple、これが分けるという意味を持つからなんだと。 そしてどういう意味で分けるのかということを解説したんですね。
いわゆる文法用語の解説みたいなことになったわけですが、これに対しましてリスナーの後藤の海塩さんからコメントをいただきました。
読み上げます。本当このチャンネルの新骨頂の内容でした。同時に中高生にぜひ聞いてもらいたい内容だと思いました。
これを聞いていたら私も英語学を目指したかも。とりわけ文詞がparticipleの訳で、動詞と形容詞に片足を突っ込んでいる意味とは、気になりながらも素通りしていた言葉の意味を知り、それをひっそり味わう貴重な時間をいただきました。
ということで嬉しいコメントをいただきました。ありがとうございました。
英文法用語というのは英単語としてあるわけなんですが、そしてそれを大体直訳で訳したものが日本語になっているんですね。
昨日のこの文詞というのもそうなんですけれども、それから今までも用語に関する話題っていうのは色々とご質問いただいたりすることが多いんですけれども、
例えば家庭法とか直接法とかもそうですし、加算名詞、不加算名詞とか様々な文法用語ってあるわけですよ。
そしてそれだけ聞くと意味がわからないものが多いです。そのまま英語の直訳であることが多いっていうことがまず一つ理由なんですが、ただこれ英語で聞いてもやっぱりもっとわからないんですよ。
英語そのものが例えば英語ネイティブに聞いて、これどうしてこんな用語になってるのと聞いてもですね、うまく説明できないことの方が多いんじゃないかと思うんですね。
なぜかというとこの文法用語ってものすごく長い歴史があって、特に西洋語の場合ですね、ギリシャ語文法、ラテン語文法、
そしていわゆるバナキュラーと呼ばれています、現代一般的によく知られている言語ですよ、英語であるとかフランス語、ドイツ語、こうした言語の文法にも同じ用語がそのまま脈々と受け継がれてきているんですけれども、
ただ同じインドヨーロッパ諸語といってもですね、ギリシャ語やラテン語と今の英語とではだいぶ違うんですね。
相当分かれて久しいですし、そもそもが英語というのはだいぶ変化してきた言語なので、例えばラテン語にあった文法項目が英語ではもう失われているのに、
惰性で同じ用語が使われているというようなことも多いんですね。そしてそれがですね、また乱学であるとか英学を通じて日本語に訳された状態で、今の今まで現代英文法の用語としてですね、日本語ですよ、受け継がれているので、これ訳わかる方が不思議なんです。
ざっと古典ギリシャ語の文法を表したアレクサンドリアのですね、ディオニュースユーストラックス、紀元前2世紀の話です。ここに端を発するということでですね、2100年ぐらいですか、この間流れた時間、これがですね、そのまんまの形でそのまんまというのも大げさではありますけれども、
少なくとも受け継がれる形で概念とか用語というものがですね、今の英文法を表す日本語の用語なんかになったりしてるっていうことがあるわけですよ。これなかなか無茶な話なんですよね。その間にもちろん言語学というのも近代にかけてどんどん発達してきてですね、様々な知見、角度というのが出てきてその立場からですね、
様々な用語が作られてきたわけなんですが、なので言語学関係の用語っていうのは本当に錯綜してるんです。私の実感としては言語学用語というのはなかなか争えない。争うと一種の宗教戦争になるというふうにすら思ってるんですね。
例えばsubjunctiveという用語に対してですね、日本語では接続法と仮定法という訳語がありますけれども、これは英語の歴史の中のどの時代を念頭に置いているかで変えるっていうこともありますし、さらに英語だけではなくてですね、例えばフランス語とかドイツ語では何と呼ぶのかという、いわゆる言語ごとの派閥の問題もありますし、そして非常に面白いことに、
日本語の中でですよ、東と西、つまり東日本と西日本でですね、これ実は接続法と呼ぶか仮定法と呼ぶかという争いというほどでもないんですけれども、関与の違いみたいなものもあると聞いたことがあります。
ですので、これはですね、用語の問題って、しかも一人一人持論があるわけですよ。長い間英語学習とか英語文法をですね、勉強してきたっていう人が日本の中にも多いわけなので、特に英語学者とかだともちろんそうですけどもね、そうするとですね、なかなかこれ争えないんですね。
指示対象、指しているものが同じであれば、とりあえず話は通じるので議論ができるので、あまりそこに立ち入らないみたいなことが出てくる。これがですね、文法用語のややこしさというかですね、大げさに言いますと宗教戦争、もうちょっと抑え気味に言っても政治的派閥ぐらいの意味合いはちょっと持っていたりするんですね。
なので、ここはなかなか争えないかなというところがあったりします。
文法用語の歴史というだけでですね、もう本の1、2冊本気でやると欠けてしまうんではないかということなんですね。そもそも古代ギリシャの紀元2世紀ですからね、ディオニューシウストラークスの時代から2000年以上に渡るものなので、ネタはたくさんあるわけですよね。
さて、前置きのつもりで文法用語についてちらっと話そうと思ってたんですが、7分近く話してしまいました。
多動詞と自動詞の違い
今日の本題は、そんな英文法用語の1つである多動詞と日本語では訳すんですけれども、英語ではtransitive verbというものですね。
これどんな意味なのということについて、次のチャプター本編になりますがお話ししたいと思います。
英文法を勉強していますと、必ず出てくるのが多動詞と自動詞という区分ですね。
動詞は大きく分けて2つあるんだ。
目的語を取る多動詞というものと目的語を取らない。
つまりそれだけで自立することができるって意味で自ですね。自動詞ということなんだと。
多立的、自立的というような見方なのかもしれませんけれどもね。
統合的に言えば、今述べたような区分なんです。非常に分かりやすいんです。
目的語を取るか取らないかということで多動詞と自動詞が決まる。
ということで、とりあえず決着はつくんですけれども、なんでそんな名前なのということなんですね。
特に英語で考えた場合、多動詞っていうのがtransitive verbって言うんですね。
そしてそれに対するところのintransitive verb、自動詞ということなので、英語ではですね多動詞というのが基本にある。
そしてそうでないのが自動詞というふうに否定的に定義されるので、まず多動詞って何なのというところから問う必要があるわけですよ。
そしてこのtransitiveという形容詞なんですが、これ何なのかということなんですね。
これは1個前のチャプターで概論をお話しましたけれども、英語の文法の用語って多くは英語の中で作られたというよりは、それに先立つ西洋の非常に著名な言語ですね。
古典語と言われるギリシア語とかラテン語に由来するものが多いんです。
そしてそれがある意味、惰性的に近代になってからどんどん発達してきたバナキュラーと言われる英語だったりフランス語だったりドイツ語だったりにも適用されているっていうことなんです。
おおよそ発想は変わっていないですし、現象としても言語上にあるので、そのまま適用してもよかろうということで、惰性で繋がってきているということなんですね。
このtransitiveという用語なんですけれども、これはラテン語の文法用語transitivusに遡ります。
そしてこの単語はどういう作りかと言いますと、まずtransの部分ですね。これは英語で言うとoverぐらいの前置詞です。
何々を超えてっていうことです。
そしてewsという部分のeというのが、これが行くという意味、to goという意味ですね。行くという意味です。
そしてそれに形容詞語尾がewsという形容詞語尾がついたっていうことで、他動詞のという形容詞になるわけなんですが、全体を合わせますと、向こうに超えて行くタイプのというぐらいの意味になるわけですね。
何が向こうに超えていくのかというと、動詞の表す動作っていうことなんです。
例えば、生きるという意味の動詞だったら、これで完結するので、さらに展開しないんですよ。
生きるとか死ぬもそうなんですけどね。それに対して、例えば叩くという動作。これはですね、この叩くという動作が及んでいく、いわば相手、目的語に相当するものが、是非とも欲しいってことになるわけですよ。
叩いた結果、誰がどうなるのかっていうところに関心があるっていうことで、この叩くという動作の結果とか影響ですよね。これがgo over to 誰々というようなイメージです。
誰々に影響を与える。叩かれたら痛い人がいるわけですよ。傷つく人がいるわけですよね。このように相手が必要、叩くという動作が及ぶ相手が必要ということで、この及ぶっていう日本語のニュアンスなんだと思います。
これがgo over、ラテン語で言うとtransit withということなんですね。そしてこの及ぶ相手がいないって意味で否定字のinをつけたのがintransitiveという英単語になるわけですね。
英語の統合論で考えますと、つまり動詞を言い終わってもまだ終わらない。その及ぶ相手がその次に現れないと完結しないっていう雰囲気になるわけですね。そうすると、統合上は次に目的語が来るタイプの動詞のことをtransitive verbと呼ぶんだと、そういう解釈になるわけです。
多動詞の歴史的背景
動詞の動作が何々に及ぶという別のものに及ぶ。ですから、この別のものが是非とも動詞の後ろに来てくれなきゃ困るというような、そんな意味合いとして解釈することができます。
この他動詞、そしてそれの暗示である二動詞ですね。この二つの区分、動詞を二つに分けるという発想自体はいつ生まれたかと言いますと、先ほど紀元前2世紀にディオニフィオス・トラークスのギリシャ文法ということを紹介しましたが、
この後に、紀元2世紀なんですけれども、西暦2世紀にトラークスのギリシャ文法を受け継いだもう一人の文法家がいました。アポロニオス・ディスコルスという人なんですけれども、この人が後に爆発的な人気を誇るプリスキアヌスのラテン語文法にも大きな影響を与えることになったんですが、
ある文法書を書いたんです。これ自体も非常に影響力のある文法でしたが、このアポロニオス・ディスコルスという人が、古代ギリシャ文法を表した人なんですが、この人が動詞の用法をいくつかに分けたんですね。
その中にこのtransitiveとintransitiveという分け方も含まれていたということなんです。ですので、これだけ見ても2世紀の話ですからね。今21世紀ですね。なのでざっと19世紀ですか。この時間を超えて未だに発想が受け継がれている。
そして用語もですね。英語としてはtransitive、intransitive。これを日本語では多動詞、自動詞と訳してきたわけですが、その発想とインスピレーションみたいなものはずっと19世紀間受け継がれてきているということで、これはですね、驚くべき長期間ですね。
目が眩むほどの長期間、この発想が受け継がれてきたということですので、この重みをもって我々英語の授業の時にですね。これは多動詞ですよ、自動詞ですよと言われてきているわけですから、これ2000年背負ってきたわけですからね。さすがって感じがしますよね。
結局、日本語の多動詞という言い方も、たのものに、つまり主語であるものを自分と考えるんですかね。あるいはまあ典型的に愛っていう主語を考えてもいいんですが、その動作が他のものに及ぶっていう意味合いを汲み取ってたとか、あるいはその暗示である字というふうに訳したのかなと想像するわけですけれどもね。
日本人の英語学習者の先人たちは、このような用語を考えたんではないかというふうに想像するわけです。やはりですね、19世紀間受け継がれてきたっていうことは、半ば惰性だったとしても、やはり何らかの有用性があるのかもしれないなと思わせるところもあって、そこそこ分かりやすい区分ではあると思うんですね。
ただ、この用語の解説の回だったわけですけれども、今日ですね、一つだけ述べておきたいことは、多動詞という動詞があるわけではない、あるいは自動詞という動詞があるわけではないというふうにも考えられるという一つの見方を述べておきたいと思うんですね。
確かに、絶対に自動詞でしか使われないと言い切ることができるタイプの動詞はあります。
exist、for、matterのような単語はですね、基本的に自動詞としてしか使われないので、こういうものを指して自動詞であるというふうに分類することは確かに理にかなっているような気がします。
同じようにhaveであるとかgreet、挨拶するですね、このような単語は必ず目的語を取るわけなので、こういったものを称して多動詞であるということ、これは問題なさそうな気がするんですね。
ただ非常に多くの単語が、例えばeat、write、moveのような単語は、いわゆる両方の用法を持つわけですよね。
つまり多動詞とか自動詞というのはカテゴリーではなくて多動詞的用法、自動詞的用法ということなんではないかと。
範疇ではなく用法と理解しておくのがいいんではないでしょうか。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日は前半に文法用語という一般的抽象的な問題ですね。
そして後半に具体的な一つの文法用語である多動詞transitive verbの由来についてお話ししました。
このように文法用語そのものに歴史があるということで、つまりその文法用語の歴史書を書けるというぐらい深いものなんですね。
用語の相対性と解釈
そうすると例えばsubjunctiveを英語では接続法と訳すべきだとか仮定法と訳すべきだとか、あるいは助走法と訳すべきだとかいろいろ議論があるんですよ。
それは教授的には大変面白い議論論争であって、いくらでも議論できる楽しめるっていうところではあるんですが、
一方でこの用語そのものに歴史性があるということ、これがとても重要なことだと思うんですね。
学問領域の名前として、例えば言語理論と言語学習と言ってもいい問題なんですね。
この用語に関する論争っていうのは、いろいろなところで行われていますが、私としては性格的なところもあるんだと思うんですけれども、
あまり深く参入したくないといいますか、しないタイプなんですね。
もちろん用語っていうのは概念を規定したりしますし、その理解を変えるっていうような重要な役割を持っていますので、
そこはとても重要なポイントかなとは思っているんですけれども、このように論争の歴史も長いですし、
さまざまな用語が飛び交ってきたと、そして時代時代で同じ用語でも解釈が異なってきたみたいなところ、
それから言葉の見方には、行事的な見方と通事的な見方っていうのが常に、少なくともこの2つはある。
その中でもいろいろと分かれているっていうことを考えると、非常に相対的なものなんだなということは思うんですね。
なので、用語も含めて相対的といいますか、結果的にそれが多様化するわけなんですけれども、それもやむを得ないことなのかなと。
これほど複雑な現象、人間の能力に関する考え方とか、それを呼び表すラベルというものは、
多様であらざるを得ないのかなと、そしてそうであってもいいのかなという、半ば諦めのようなところですね。
半ば面白みも感じるというのも事実です。この用語の論争、それからそれが何を指すのかということですね。
この辺りも語源的に探ることができそうな話題がありましたら、今後も取り上げていきたいと思います。
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ほったりういちがお届けしました。
また明日。