書籍の概要と背景
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった
英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。 新しい英語の見方を養っていただければと思います。毎朝6時更新です。
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今回の話題は、最近出版されました、私も関わっております本ですね。 こちらを紹介したいと思うんですけれども、
「言語の標準化を考える。日中英読仏対象言語史の試み」 この本の読みどころを紹介したいと思います。
この本なんですけれども、この5月に大習館書店から出版されました。 編著者は、学習院大学の教授の高田博之先生。
ドイツ語史ですね。ドイツ語史がご専門なんですが、 明治大学の田中牧郎先生、日本語史がご専門です。
そして私、堀田隆一、英語史が専門ということなんですが、 この異なる言葉の歴史を専門とする複数名が集まってですね、
それぞれの言語史における、今回のキーワードは言語の標準化ということなんですけれども、 それぞれの言語がいかにして、そしてどのような時代にですね、
時代背景のもとに標準化されていったのかということを、言語をまたいでと言いますかね、 複数の言語での標準化のメカニズムであるとか、
家庭みたいのを比べてみるとどうなるかと、そういう関心から立ち上がった企画ということで、 先ほどの3名の返著者が最終的にまとめた形なんですけれども、
関わっているのは総勢10名ということになります。
研究の発端と重要性
さまざまな言語を専門とする研究者が集まってですね、 一緒に書いた論文集とか論考集のような形になります。
この本を作ろうと思った経緯と言いますか、背景について簡単にしゃべっておきたいと思うんですけれども、 かれこれ5年ほど前になるんですかね、
発端はですね、返著者の一人であります学習院大学の高田先生、ドイツ語史がご専門なんですが、 英語史、私が専門なんですが、しゃべっている中でですね、
一つ同じテーマでドイツ語史と英語史から話題を出して比較してみるというようなことをですね、 これをやってみたいということで、
研究会のようなものを一緒にやりまして、他に日本語史、その後他の言語のですね、 歴史の専門家も集まりながら、最終的になんとなくというわけでもないんですが、
話題として、ふさわしいだろうということで、 標準化、各言語がいかにして標準化していったか、標準語が出来上がっていったか、 というあたりをキーワードに比較してみるのは面白いのではないかということになったんですね。
各言語の特徴を比較対象するというと、対象言語学という、 Contrastive linguistics という分野は確立されています。
例えば、日本語と英語の文法を比べるとかですね、そういうことなんですけれども、 そのレベルではなくて、言語史レベルで、つまり日本語史と英語史を比べるとか、 英語史とドイツ語史を比べるというような形で、通常的な歴史そのものを比べてみるということですね。
これをやってみようというんですね。 考えてみれば、なかなか壮大な、無謀とも言えるような試みでして、 そもそも各言語史ですね、例えば英語史なら英語史の内部でも非常に問題が山積していてですね、 これだけで一つの大きな分野であると。
一方、日本語と英語を比べるような、文法を比べるような対象言語学、日英対象言語学みたいなものも一つ確立した分野としてありまして、 これはこれでやはり非常に大きな分野です。これをいわば掛け合わせるということですよね、この2つを。
そして言語史、動詞を比較するというのは、なかなかどこから手をつければいいかということになってですね、 壮大な企画だと思ったわけなんですが、面白そうだ、始めてみようということになったんですね。
その際にせめてキーワードと言いますかね、テーマは決めておかないと、ただでさえ膨大な2つの分野を掛け合わせるということで、テーマだけは一つに絞ろうということで、今回他の言語、様々な言語とですね、比べやすいんじゃないかという直感みたいなところもありましたが、標準化、スタンダザイゼーションということを考えてみようということになったんですね。
以前よりこの問題に関しては、とりあえず私自身は英語史の中でですね、どのように標準英語というものが出来上がってきたのかという問題には大変関心がありましたし、多少なりとも日本語の標準化についてやはり関心はありました。
ですが、それ以外の言語についてはどのような形で、主に近代かと思うんですが、現代に連なる標準語というものが出来上がってきたのかなと。この辺りを議論するだけでもきっと勉強になるだろう、面白いだろうということで、研究会を開いたり参加したりということでですね。
他の研究会や学会などでも、その成果を報告するということを積み重ねてきたんですけれども、それから4年、5年という時間が流れて、ようやくこれが形として実ったということなんですね。
そして、その各会の研究会ですね、これは大変楽しかったです。その研究会前後、今回の本を作るにあたってのいろんな議論もですね、大変楽しかった。というのは、私自身は英語史という分野で、その内部に関してはいろいろと学んできたつもりなんですが、そこで使ってきた用語とか概念みたいなものですね。
新しいアプローチとその意義
これを例えばドイツ語史とか日本語史を語るときに持ち出しても、だいたい通じないんですね。逆もまた同じで、例えばドイツ語史、日本語史で標準化を語るときに使っている用語とか概念というものは、英語史の研究者である私にとっては初耳だったり、全く異なる概念とか姿勢で標準化に対しているんだということが分かったんですね。
つまり、ある意味共通点は標準化というキーワード、テーマ、それだけで、あと多くのものがですね、実は違う。これぐらい違うのか。逆に言うと、本当に一つの言語の歴史を学んでいるだけでは、一種タコツボだというような気づきの機会が多かったんですね。
例えば英語史で言うと標準化というと、だいたい近代以降のスペリングであるとか書き言葉の標準化っていうことを考えることが圧倒的に多いんですが、日本語史においては、むしろいろんな標準化の側面はあると思うんですけれども、むしろ近代における話し言葉ですね、の話題にもだいぶスペースを割くって言いますかね。
なので標準化といっても、そもそもが注目する側面であるとか時代が異なるので、話が合わないっていうことですね。この紙合わなさ具合っていうのが非常に新鮮で、その中で、ただ同じ一つのテーマで本を作ったり研究していくとなるとですね、やっぱり擦り合わせも必要なわけですよ。
この対話ですね。これが大変刺激的で、話しているだけで勉強になる。新しい視点が得られる。そこで得た視点をですね、自分の専門である英語史に戻すというようなフィードバックですけれどもね。
こういったやりとりを通じて、だいぶこの標準化というテーマに関しても、それ以外のことに関してもですね、視野が広がったなというふうに思ってるんですね。
今回の本ですね。言語の標準化を考える日中英読普通対象言語史の試みと銘打ったわけなんですが、この対象言語史というのはありそうでなかったわけですね。壮大すぎて誰も本気ではやらなかったということなんだと思うんですね。
Contrastive Language Historyと銘打って、このアプローチそのものを売り出していこうと言いますか、広めていこうというような趣旨で本を作ったわけなんですけれども、口頭で議論してですね、気づきが多かったと述べたんですが、あの時の一種の知的興奮みたいなものを何とか本の上で伝えられないかということで、
客中を利用してその場の雰囲気を臨場感を再現するというようなレイアウトを初めて導入してみたっていうことがあるんですね。これが本書の最大の見どころだと思っています。ではまた。