英語史と英語教育の接点
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 新年度の始まりのこの時期、皆さんの英語史の学び始めを応援するために、英語史スタートアップ企画を実施中です。
このチャンネルでも同企画に沿って、普段とはちょっと異なる風味の放送で英語史の魅力を伝えていきます。
本日は対談ということで、東洋大学文学部英米文学科の古田直肇先生にお越しいただいています。
古田先生、おはようございます。
古田直肇先生おはようございます。よろしくお願いします。
本日はよろしくお願いいたします。古田先生とか古田さんと普段呼んでいる口調でいきたいと思うんですけれども、
我々と言いますかね、だいぶ長い知り合いというか付き合いということになりますかね。
学生時代、机を並べていたことも一時期あったということで、
それ以降も古田先生は英語史、英語学、そして英語教育のあたりに関心があるということなんですが、
英語史絡みでも比較的最近にも様々なお仕事を一緒にする機会がありまして、
例えばですね、古田先生が編集されたアステリスクという雑誌での特集ですね。
あの節に私もお呼びいただきまして、お世話になりました。
ありがとうございました。
あれは英語教育と英語史の接点みたいなことを話して、論文化したというような機会でした。
ご専門は多岐に渡ると思うんですが、英文法に関しては著書も出版されていまして、英文法は役に立つ。
英語をもっと深く知りたい人のために、旬風車より2015年に出ているということで、幅広くご活躍されています。
ありがとうございます。
今日の対談ということで、先生も東洋大学で英語史の授業であるとか、英語学の授業をお持ちだと思うんですね。
そして先ほど述べたように、我々英語教育と英語史ということの接点に関心があるんですが、この接点の問題について古田さんはどのように考えていますかね。
どうもありがとうございます。
たぶん古田さんも同じようなことを思っていらっしゃると思うんですけども、とりあえず英語教員になる人は英語史を受けといていいんじゃないのかなと思いますね。
やっぱり英語教員になった時に一番必要なのは英語力なんですけども、ただ英語力だけで競ろうと思うと結構厳しい。
そうですね。
最近は特に特別生の学生もいるので、英語力だけだと正直、特にスペーキング・リスニングとかに関しては、学生のほうができるねっていう場合が結構ある。
あるあるですよね。
これはもうどうしようもない。
その時にじゃあ一体何を持って自分は英語を教える立場でいられるのかっていうことを少なからず考える人はいると思うんですね、英語研修校の中に。
そういう時に僕は体験的に英語史と英文法の知識は英語教員が自分が教える立場なんだって思えるためには結構役に立つんじゃないのかなっていう気がしますね。
だから自分の大学でもとりあえず英語教員になりたいんだったら英語史はやっておこうか必修じゃないけどねっていう風に話してますね。
具体的にやはり教師の方々、英語教員になってから英語史をもっと勉強しておけばよかったであるとか、そういうことを気づくっていうパターンがかなりあるというのは、これも本当にあるあるでよく聞く話なんですけれども。
標準英語の幻想
この英語史の知識という言い方をしたときに、私も常々2つ大きくあるなと思っていまして、この大石でもよく私が話すのは、いわゆる素朴な疑問というのを取り上げて、英語の文法とか発音とかつづりとか、いわゆる個々の小さな雑学的問題ですね。
これはきれいにスッと解けると、英語史を利用するという側面のもちろん、知識としての使い方もあると思うんですが、もう1つ非常に重要な役割、英語史が教えてくれることってあると思うんですよね。この辺は多分共有してると思うんですが、古田さんどのように考えますでしょう。
そうですね。一番はやっぱり標準英語というものを絶対王権の王様のように扱わずに済むようになるということですかね。中学高校とはずっと正しい英語はこうだよっていうことを教わってきてるので、どうしても英語学習者であれ英語教員であれ、標準英語というものをある種やっぱりあがめ立て祭りじゃないんですけどね。王様みたいに扱ってしまう節がどうしてもある。
そのときに、僕は別に標準英語の価値は否定しませんし、標準英語を学ばなくていいとは絶対言いませんけど、ただ歴史的に見て、ある程度偶然そういうバラエティが標準になっただけなんだなという意識を持っておかないかは、それこそ英語教員だけじゃなくて英語学習者の人にとっても大事なんじゃないのかなと。
でないとやっぱり僕たちノンネイティブって英語を使えない。
そうですね。
ネイティブスピーカー様の使う標準英語に絶対従わないといけないという、英語局のネイティブスピーカー話みたいなこと言いますけど、ネイティブ元素みたいな。そういうネイティブ元素を打ち崩すって言っても簡単じゃないわけですよ。
そうですね。
だって染み付いてますからね。本屋行けばネイティブはこう言う、こう言わないみたいなのがあふれ返っていて、正しい英語っていうものがどっかに必ずあって、それに従わないといけないというマインドセットが深く根差しているときに、それを崩すって相当厳しいと思うんですけど、英語史は全然、例えばアボイドナーとかイングじゃないといけないっていうのは割と最近決まったことですしね。
トゥーフテーシャって昔はあったし。だからといって今はトゥーフテーシャを使っていいわけではないですけど、たまたまイングっていうようなルールはある程度、最近になってたまたま決まったもんだなぐらいの気持ちを持って英語を学んでほしいし、英語を教えてほしい。
でないと啓発みたいな感じで英語を学習したくないし、とっても反対に教えるのも個人的には好きじゃないです。
【佐藤】とってもよくわかりますね。この幻想というのが非常に固い定まったもので、これを打ち崩すのが難しいということも全て私も同意しますし、それを打ち崩す際の道具立てとして、かなり英語史っていうのは、他にも英語学の様々な分野があると思うんですが、取り分け強力な道具になるのかなという、いわば相対化っていうことだと思うんですけどね。
ただ思い返してみると、私自身も英語学習者として、ネイティブ進行でしたよね。今だってもちろん喋ろうとする英語は標準たろうとしているという意味では、そのまま延長線上にあると。
ただガチガチのマインドセットではなくなったと言いますかね。一歩引いて考えるべき時は一歩引いて考えられるというようなことになったのは英語史のおかげかなというふうには私も思いますね。
完全に標準英語の価値を否定するのはまた違うので、うまいことバランスを取りましょうっていうところだと思うんですけど、どんな英語でもいいよっていうふうに何でもあり気にしてしまうんでもなくて、かといって絶対にこうじゃないと英語はいけないんだっていう。
ちょうど真ん中をバランスを取るのに歴史はやっぱり役立ちますね。結局その維新がある標準語ということと、維新がなくとも人々に使われてきたものって両方の側を見てその歴史が英語という言語が変化してきたということを、それをまさに見ていくっていうような分野ですからね。
ワールドイングリッシュズの重要性
相対化という視点は育まれるのかなと思いますね。最後にそれと関係するんですけど、最近ワールドイングリッシュズっていうのもかなり人気が出てきているエリアで、これなんていうのも一種相対化の良い教材といいますかね、題材になると思うんですけれども、これについていかがでしょうかね。
いわゆるワールドイングリッシュについても、やっぱり英語史で積極的に触れていくべきじゃないのかなと思っていますし、学習者の皆さんにもいろんな英語に触れていってほしいですね。
そして、やっぱり英語史ってどうしても標準語だけがピックアップされるはずですけど、それ以外のものも含めて英語史はやっていっていいんじゃないかと思って、僕は秋々とかは国際共通語ですね、英語っていうものを中心にすべて英語史を教えてたりします。
今日の話の流れと完全に通ずるね、ワールドイングリッシュが盛り上がってきているというのは、とても私もいい傾向だなというふうに思っております。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。