対談の趣旨と背景
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 7月9日土曜日です。
本日は特別企画としまして、 編者鼎談 言語の標準化を考える日中英読普通対照言語史の試み
と題しまして、この本の編者3名が対談します。 この5月なんですけれども、大衆館書店よりこの本、言語の標準化を考える
日中英読普通対照言語史の試みという本が出版されました。 11名の執筆者からなる言語の標準化、様々な言語の標準化を論じたものなんですけれども
編者の3人、高田博之、田中牧郎、堀田隆一が出版後初めて対面で会う機会を設けまして
この本を紹介しながら対談すると、そのような企画を立てました。 対談自体は7月8日金曜日に行われまして、そちらを収録した
ものをこれから聞いていただくことになります。 リスナーの皆様には言葉の標準化という話題、そして新たなアプローチ
新アプローチの提案ということになるんですが、対照言語史という見方ですね。 これについて関心を持っていただければと思います。
それでは対談をお聞きください。
みなさんこんにちは。今回は特別対談企画ということになっておりまして、既に予告していたとおりなんですけれども
今年5月にですね、大衆館書店より言語の標準化を考える 日中英読普通対照言語史の試みと題する本を出版いたしました。
偏者の3人がですね、今回集まりまして、対談、提談を行うということで、偏者のまずですね、1人目が
学習院大学の高田博之さんです。 こんにちは、今日よろしくお願いいたします。
それから2方目が明治大学の田中牧郎さんです。よろしくお願いいたします。
そして3人目は私ですが、慶應義塾大学の北田隆一です。
この3人が偏者となりまして、執筆者としては11人ですかね、ということで、日中英読普通の標準化を考えるということですね。
そしてアプローチは対照言語史という聞き慣れないキーワードかと思いますが、アプローチ。
こちらを今日は対談しながらご紹介したいと思います。
まず高田さん、ちょっと全体の偏者のリーダーという役を務めいただいたんですが、この本、一言、二言でも結構ですが、どういう本でしょうか。
そうですね、今まで日本においては様々な言語の歴史についての研究がたくさんあったんですね。
英語史、日本語史、そして私がやっているドイツ語史、フランス語史という話があったんですけれども、その人たちが言ってみたらお互いに知らない顔をしていて、
つまり自分たちは日本語史ではきちっとしたものを渡していると誇りがあって、それで本当にとてもよかったんですけれども、
しかし日本語史で常識である言語史の流れというものが果たしてユニバーサルであるのかなんて言われると、途端にその日本語史の先生もうーんと止まっちゃうんですよね。
つまりやっぱり日本語史の先生から見ると英語の知識があまりないし、ましてやドイツ語史、フランス語史だということがさらになくなるということなんですよね。
ですから、それをある種研究上の漏れ穴と言いますと、私たちのアプローチというのは、今までそれぞれに頑張ってきたお城があるんだけれども、
城同士の連携が少なかったので、城同士に少し関連付けをしましょう。そうするときっとそれぞれのお城から見た風景が全く違ってみるんじゃないかというメタファーですけれども、そういう形で思っているわけです。
実際に、例えば、英独というとゲルマンの民族大移動から始まっているので、もともとは同じルーツであって、そこから必然的に考えると普通は同じような歴史を辿るはずですよね。
しかし、英国の場合は島に移っていったアングロサクソン族がある種立てていった国であって、後にフランス語によって侵されてしまうということがあるんですけれども、
ドイツの場合は、案外と大陸にいて、そんなに激動することはなかったので、つまり言いたかったのは、英独のような近い元々帝都の言語の歴史でも、お互い見てみると全然発想が違う。
その意味では、お互いの発想を崩す。崩されたところから逆に自分の言語史を見ると、兆候が変わってくるという発想ですね。
大正言語学というのは、確立した分野としてあるんですけれども、今回、大正言語史という、Contrastive Language Historyというような訳語を当てたわけなんですけれども、この違いと言いますかね。
そうですね。それは、要するになっているでしょうね、視点、パースペクティブの持ち方を指してるんであって、ある種流派、例えば、歴史語彙論とか、歴史社会言語学、そこまでエスタブリッシュしたもんじゃ全くなくって、
言ってみると、誘い水であって、例えば、この名前のもとに、大正言語史という名前のもとに集結してみて、そこから眺め直しませんかっていうような意味のある種キーワードみたいな感じであって、
決してディスプリンを名乗ってるって感じではないと思うんですね。
ディスプリンというよりは、アプローチというか、見るパースペクティブとか、そういう捉え方の方が良いという感じですかね。
ありがとうございました。この本章、日中英読普通ということで、さまざまな言語を比較しているから、大正言語史ということなんですが、
全体的な構成といいますか、育てといいますかね、ざっとということにはなりますが、こちら、中さんにご紹介お願いできますでしょうか。
はい。第一部、第二部と大きく分かれているんですけども、第一部は総論で、第二部は各言語の標準語に関わる歴史ということになります。
第一部はですね、大きく二章に分かれていて、標準語の形成詞を対象する、これを高田さんと太田さんと私で分担して書いていて、その後、各言語の歴史をごく簡単に、
ご言語の概略を書いているという、こういう構成ですね。
見開きですね、ベースで簡潔に書かれているということですね。
そうですね。第2部は各言語、日本語史が3章、そして英語史が2章、そしてフランス語史、ドイツ語史、中国語史が1章ずつ。
そしてですね、最後に全体の世界の言語史を見渡すような感じで、言語学の大科の田中和彦先生に執筆していただいているという、こういう構成になっています。
はい。全11章ということで、先ほど申し忘れましたけれども、高田さんはドイツ語史の構成になるということで、田中さんは日本語史、
私、高田が英語史ということで、日本語史、最も多く、そして関心を持たれる標準化という話題で、3・4・5章なんですが、
どのような構成というか、全体として標準化、日本語の標準化については書かれているというふうに理解すればよいでしょうか。
じゃあ、日本語史の3章分のところ、ごく簡単にポイントを紹介しますね。
まず最初の第3章、ボトムアップの標準化。これ渋谷勝美さんが書いておられますけれども、標準化というと、かなり強い国とかですね、公的な機関が定める、こういうイメージがあるんですけれども、
日本語史の場合は、そういった強い政府ができる明治時代より前にですね、江戸時代ぐらいから、一般民衆も含めた言語の話者がボトムアップの形でだんだん共通の形を作っていった、それを実証的に明らかにする、こういう研究なんですね。
それから次の第4章、スタンダードと東京山手、野村隆さんが書いてますけれども、これはですね、標準語というと日本語史では、明治時期の国定教科書などを通した標準語の制定、そして方言を統一していくようなことがイメージされやすいんですけれども、その時は東京語が標準語の元になったと言われてきたんですが、
野村さんの研究は、それは違うということなんですね。そうではなくて、江戸時代までに通じ合っていた言葉があって、その江戸時代までに通じ合っていた言葉が東京が形成されたときに、そういう言葉を使う人たちが首都東京に集まってきて、それが標準語になったという、今までの見方を大きく転換する、こういう議論をしている研究の成果が書かれたそうです。
それから次の第5章、書き言葉の変遷と言文一致、これは私が書いてますけれども、これは書き言葉については、日本語史では標準化という概念では言われてなかったんです。
でも考えてみたら、書き言葉では、もっと前の奈良時代ぐらいから統一的な書き言葉が日本語には形成され始めていて、そこも含めて言語の標準化というふうに見たときに、今一つの流れが見つかる。
特に大きく標準語に向かう流れができたのが、西洋語の影響を受けた江戸時代の欄学、オランダ語を学ぶところから始まった欄学、そして英学と続いていく西洋語との接触が大きな契機になったという点で、今回西洋語史の人たちと一緒に研究するときも、ちょっと考えてみる価値があるなと思って取り上げた章になります。
司会 ありがとうございました。次に英語史について2章ありますので、簡単に解説したいと思います。
第6章は私が書いたんですけれども、英語史における標準化サイクルというタイトルです。
古英語から近代英語にかけて英語史では標準化が一回起こって、その後非標準化、脱標準化が起こり、そして再び近代現代にかけて標準化が起こったというようなジグザグで進んでいるこの点に焦点を当てまして、さらに標準化、脱標準化に関するモデル化を行いました。
モデル化の意図、目的としましては、日本語の先ほどご紹介がありました言文一致の話ですね、ここの動きと実は英語史における近代の標準化、ここが比較すると面白い点があるということにインスピレーションを得まして、ここをうまく比較する方法はないと考えた結果のモデル化でした。
そして次の第7章は寺沢潤氏による英語標準化の初層、20世紀以降を中心にということで、6章が大体19世紀ぐらいまで扱ったのに対しまして、20世紀、そして21世紀、まさに現代の世界化した英語の世界における標準化ということを扱ったものです。
いわゆる伝統的な標準化とは違って、リンガフランカ化と言いますかね、統一化といったようなまさに現代的なタイムリーな話題を扱っています。
6章7章を合わせて、最も古い時代から最も新しい時代までの標準化の話題をカバーしている、このような章になっています。
ドイツ語の標準化について
さあ次に第9章に飛びますけれども、ドイツ語に関する章で、近世におけるドイツ語文章語、言語の統一性と柔軟さという題で、高田博之氏、そして佐藤恵美氏による執筆となっております。
こちらについて解説をお願いできますでしょうか。
ドイツ語紙の文章語の標準化というものを考える場合には、2つのファクターが外せないんですね。
1つは漢調、お訳書、言葉、漢調語というもの、堅苦しいイメージがありますね。
一方でルターの聖書翻訳、ルターですね、この2つの要素が大事である。
どういうことかと言いますと、まず漢調語で言いますとですね、都市ができていく中で、様々な諍いが起こった時に裁判が起こります。
その時に裁判の記録を書く時に、それまではラテン語だったのが、ドイツ語にシフトしていきます。
そして大学が14世紀の中ぐらいに出来始めていきますと、そんな風に初期をする人たちが、プロフェッショナルの人たちが出始めて、大学で学んだ人が書き始めます。
そうしますと彼らにはある種の誇りがあって、きちっとしたものを書きたい、つまり綴りを書く時は統一的に書きたい。
また語の形もできるだけ超地域的に書きたい、みたいな要求がありましたから、確かに書かれたところの漢調語の言葉というのは統一的であって、規範的なものだったわけですね。
しかしそれだけでは言葉って堅苦しくって仕方ないんですけれども、
タホーレ・ルターが16世紀の前半に出てきてですね、母国のドイツ語に神様の言葉、神の言葉を訳します、つまり聖書をドイツ語に翻訳しました。
その時の言葉はですね、彼自身が言ってるんですけども、自分はどんな方針で翻訳したかと言いますと、
街に出てですね、街の子供の遊ぶ時の言葉とか、また市場で働く男たちの言葉、また家で子供と語るお母さんの言葉、こんな言葉を私は逐一メモをしながら訳した。
こんな風な彼のエピソードがわかるようにですね、とてもわかりやすいドイツ語であって、堅苦しくって長々しい漢調語というものでなかったわけですね。
ですから柔軟と言いますか、堅いところは漢調語的なきちっとした形式性のあるもの、軟という意味ではわかりやすいドイツ語ですね。
こういうものが相まって文章語が醸成されていって、その結果18世紀の後半になると、全ドイツ語圏に統一的な言葉ができまして、それをきちっと使ったのが、いわゆる芸手、詩人で呼ばれる古典作家たちなんですね。
彼らがそんな風な言葉を使って詩を作ったり、小説を書いたり、ドラマを作ってた、そういう形でもって、いやましにドイツ語の標準語というものの力がついてきた、それぐらいのところを書いたわけです。
フランス語の植民地における変容
はい、ありがとうございます。このほかですね、フランス語と中国語の標準化についても取り扱われているんですけれども、
第8章は西山修之によるフランス語の標準語とその変容、世界に広がるフランス語としてですね、現代のフランス語、世界における標準語を扱ったものなんですけれども、
これについて、偏者3人からコメントということで簡単にいきたいと思うんですが、田中さんいかがでしょうか、この章を。
はい、この章はフランス語が植民地の各地でどのように変容を遂げたか、そしてそれぞれの地域でどんな風に新たな標準語が生まれていったかということを扱っています。
こういう現象は植民地を持った他の言語にもあるはずで、日本語についても第二次世界大戦、太平洋戦争の頃に日本が半島を広げたときに、日本人が移住したり、日本語を現地で広めたりしてですね、日本語が使われて、今も残っているわけです。
ただ、そういう研究はずっとなされていなかったんですが、ここ20年ぐらいようやく始まってきた。その日本の研究を見ていると、このフランス語について西山先生が書かれた、これと対比してみると面白い、あるいはまだまだ未解明なことが多いということに気づかされました。
具体的に言うと台湾、朝鮮半島、それからカーラフ島、あるいは南洋諸島ですね、そういうところに残る日本語についての研究をもっと進めていく。そしてそのような形になった植民地にしていた当時から現在までの歴史などについても見ていく必要があるなと思って勉強になりました。
高田さん、ドイツ同士の立場からいかが読みましたか。
ドイツとフランスと言いますと隣国同士なんですけれども、やはり植民地を持つ持たないというところで大きな差があったわけですね。
ですからドイツ語史から見たときに植民地もしくは社会言語としてのドイツ語の発想はなかなかできないわけですね。
だけれども私自身実は中高審証というところでヒットラー演説という本も書いてあるんですけれども、その上でもう一度見直しますと、実はこれ本には書けなかった、書くのを忘れてしまったんですけれども、
ドイツ語史の中でほんの十数年間だけですね、世界言語のあるものが、ドイツ語としてのそれが語られた時期があるんですね。
それがナシズムの時代であって、彼らは自分たちが世界帝国の王者になったときに、ドイツ語をどう普及するか、どんなふうに文字を改革して世界の人が学びやすくするかということを考え始めたというところにおいては、
それが世界言語としてのドイツ語が語られたという歴史はですね、ドイツの負の遺産と言いますかね、そういうところを背負っているという意味でも逆に面白く見えてくるというところかと思いますね。
私の英語史の立場から見ましても、非常に面白い比較に値するという言語だとフランス語は思っていまして、特に世界化した国際語としてのフランス語、英語というのを比べるにあたって、
現代より一つ前の近代ですね、近代の標準化の傾向がそのまま20世紀、21世紀にも続いて、英語とフランスそれぞれの特徴を持った世界化っていうのを遂げているように思うんですね。
それがだいぶ異なるということで、この英仏の比較っていうのは私自身も大変関心を持っていますので、もっともっと掘り下げて考えてみたいなとは思っておりました。
中国語の標準化の歴史
第10章は中国語に関する標準化の話題で、邦国薬氏による中国語標準化の実態と政策の手話、システム最適化の時代養成という論考ですが、こちら日本語史ご専門の田中さんいかがでしたでしょうか。
はい、この章は中国語の4千年の歴史が書いてある、スケールの大きさという点で大変面白く、そして勉強になる章です。
中国は王朝が王国に対して、そして異民族の支配を受ける、そういう時期もあるので、政治と標準化ということが関係付けられて述べられている、そういう意味でも大変面白い章なんですね。
日本語史から見ると、日本語が一番影響を受けた言語である中国語の歴史が書かれていて、私日本語史の立場から中国語から受けた影響として知っている知識が、実は中国語史の流れの中では標準化というこの流れに関係することが多かったということが分かりました。
いろいろなことが書いてあるんですけれども、中国語史のスケールの大きさということで言うと、日本語の言文一致にあたるものが中国語ですと白話が次第に近代の文章に入ってくる、その入り方が非常に長いスパンで、長い時間軸で徐々に進行していくということが分かりました。
日本語の言文一致が比較的短い江戸末期から明治期に進むんですけれども、その大きな文体改革のスケールも大きいということも、これも大変面白くて、やっぱり中国語史ってすごいなというふうに思ったんですね。
はい、ドイツ語史の立場からいかがでしょうか。
それは本の最初のところで私に書いてあると思うんですけどね、こういう勉強会を続ける中で、各人がコペルニクス的発想の転換を迫られた瞬間があるという形で言ったんですね。
その最大のものはこの章からの部分でして、つまり方先生がこんなことをおっしゃったと記憶するんですね、研究会では。
中国語の歴史ってのは文字の歴史であるということなんですね。だから文字の規範化とか文字の統一性なんてところが最大限重要であるということをおっしゃった部分ですね。
私みたいなヨーロッパの言葉、ドイツ語史をやっている者から見ると、日本人なんだけれどもヨーロッパにかぶれてしまっていて、なかなか文字の歴史であるという発想が100%できなかったところがあるんですけれども、
確かに標語文字であるというところからした点において、やっぱり標語文字に過ぎないアルファベットを使っているドイツ語と当然の間違うという意味ですね。
ですから、今回日中読仏という形で語言語をやった意味の一つの大きなところは、この中国語の発想転換、足元をすくうようなところがあったというところが、とても自分にとって勉強だったところでしたね。
はい、ありがとうございます。私も英語史の立場から、やはりドイツ語と英語は同じ西洋の言語なので、これを専門としている者からしてほとんど同じ印象でした、感想を持ちました。
この文字そのものが標準化の対象、話題になるんだということが一つ驚きだったということですね。
英語やドイツ語の場合は文字を組み合わせた綴り字のレベルでは問題になるんですけれども、やはり標語文字という特徴がある漢字の場合、字そのものが標準化の対象になるんだということと、あとスケールの大きさですね。
4000年ということと、英語史では1500年ということですので、やはり比較にならないぐらいですね、タイムスケールが違うというところで圧倒された。
この語言語の比較対象だったわけなんですが、この中では中国語というのは非常にその点ではいろんな意味で特徴的で、この中国語に関する標準化の論考がこの本に含まれていたということは、
非常に本全体としてもとても良い効果があったのではないかと、園長の一人として考えています。
さて最後なんですけれども、第11章、締めの章です。田中克彦先生による漢文とヨーロッパ語の狭間でという論考ですね。
これまず私からお話ししたいんですけれども、最初に原稿を受け取ったときに、強烈な印象といいますか、ガツンと殴られたような気がしたんですね。
というのは、なぜこの本は標準化ということをテーマに掲げて論考を集めているのか、どういう目的でこのような本を編むに至ったのかということについて、前提といいますかね、これを疑ってかかるといいますかね、そのような論考だったんですね。
田中克彦先生にとっては、日本語の標準化という問題は生身で経験したリアルなものであって、なかなか客観視することができないというような言い方を最初にされています。
つまり、10章までで語言語の標準化ということを論じて、各スペシャルが論じているわけなんですけれども、これを比較対象をするということは、そもそもどういうことなのかということですね。
言語の標準化の考察
本当に前提の前提に問いかけるような、そのような論考だったので、最初ショックといいますかね、一方で全体をまとめる役割も果たしている氏名の章にふさわしい論考にもなっていると同時に思いました。
こちら、田中さんいかがでしたでしょうか。
はい。11節にもわたって、本当に多岐にわたる話題が取り上げてあります。どの節から読んでも本当に勉強になるんですけれども、日本語史の立場からいくと、最後の方に克彦先生がおっしゃっていることが特に重要だなと思いました。
それは、西洋語の歴史というのは、古典語であるラテン語の要素をできるだけ排除して、それぞれの言語の持つ土属性という言葉を使っておられますけれども、土属性を上位につける。これが標準化の流れだった。
それなのに、日本語の歴史は、土属性、各地の方言を消滅させて、中国語、西洋語から影響を受けた、そういったものを上位につける。単的に言うと、漢字という中国語から受け入れた、漢文から受け入れたものを未だ使っている。そういうものを残しているという、こういう違いがあるということをおっしゃっています。
日本語史がなぜ、そのような土属性を上位につけずに、むしろ階につけるような歴史を辿ったのか、そこをもっと究明すべきだという、こういう課題を投げかけてくださって、これは日本語史の研究者としてよく考えていかなきゃいけないと思いました。
田村さん、どのように思われますか。
私は、田中先生はさすがだと思ったところは、ご自身の一生の中に対象言語史などのものも既に示されているという形ですね。先生に言わせるとおそらく、その対象言語史なんて僕は既にやっているよという形で、そんなふうな言葉が返るような形を見ていましたね。
もう一つは、ラテン語からの独立というところが、ものすごく私にとって重要だと思ったところなんですけれども、先生も増えているんですけれども、つまりラテン語でしか学問ができなかった時代が、ドイツ語は長くて、その証拠には哲学者のライフにつつも、自分の論述を書くときに、書こうと思ったらラテン語、もしくはフランス語でしか書けなかったという形で、悔しい思いをしたわけですね。
ですから彼は後世に向けて、ドイツ語はぜひこれからは国民が読み書きができれば全てわかるような、国民を啓蒙できるような形でのドイツ語の実語の充実というものを語ったわけですよね。
それで、そういう形でですね、純化というものがいかに言語そのものの近代化、モダンにできるかというところを、田中先生の最後のまとめのところによってすごく強調されてわかってきたというところが大事だと思います。
はい。
はい。それでですね、田中勝彦先生と言いますとね、私たちが社団法人の昭和会館というところから研究資金をもらって行った研究会の様子を思い出すんですけれども、先ほどコペリニクス的発想を言ったんですけれども、田中勝彦先生が様々な議論をした後で、最後まとめるのでもなく、しかしもちろん挑発的な発言をされるわけですね。
それがある種怖くて、しかしそれがある種楽しみみたいな形で毎回研究会に参加した思いがあるんですけれども、ですから、大衆言語史というものの醍醐味というのがあるとすればですね、やっぱりキーワードが何回も、高田のキーワードがですね、発想の転換というところですから、田中先生が最後に現れて、研究会でですね、田中節を炸裂させるようなところがあるんですよね。
ですから、そんなふうにその議論の様子をですね、私たちはこの紙の中で白熱した、もしくは足を救われたようなところの議論をですね、どうやって再現するのかというところが、編集上の一つの課題だったんですけれども、一瞬とても風変わりな提算になっていまして、普通のところは普通に書いた論文なんですけれども、場合によってページの半分近く、もしくは半分以上がですね、コメントなんですね。
コメントなんですよね。例えば英語誌から、例えばフランス語のところについて堀田さんが英語誌からの試験を書かれているし、また日本語誌のところについて高田が書いているとか、もしくは中国語のところに田中さんが書いているという形で、また他の方々、他の執筆者の方々ですね、書いているという形で。
ですからこの下のところの部分にツッコミっていうんでしょうかね、コメントが書いているというところが全然違っていて、これが言ってみたら、それぞれの研究会で行われた質疑応答とか、途中に割り込んだ質問とか、そういうものが入っているという形だと思うんですね。これが臨場感を持っている構成という形で思ったところでして、またなかなかこれ語言語がありますから、どの人もが語言語そのもののすべてに興味があるわけじゃないので、
つまみ食いでいいと思うんですね。また場合によって本文をあまり読まなくて、下のコメントを見たところを読むだけでも割と相場的なんだけれども、それぞれやっぱり違った観点があって、そうなんだ、そうなんだというところがある。そういう形ではつまみ食いが推奨されるようなものであるということも言えるかなと思っているところがありますね。
そうですね。本当に口頭で議論していたものをなるべく忠実に市場で再現できないかということで、かなり編集上は手間がかかったというのがありますけれども、いろんな読み方ができると思うんですね。本当にコメントのみ読んでいくとか、例えば高田コメントだけ選んで読んでいくとか、いろんな楽しみ方ができるのではないかと思うんですけれども。
この企画本を出して終わりというわけではありません。実は学会のシンポジウム等も既に対象言語史という話題でアプローチで行うことが決まっていまして、日本歴史言語学会、12月10日土曜日の午後になるかと思うんですが、ハイブリッド形式で行われると聞いております。
新刊書の紹介と今後のイベント
そこで、この本の著者何名かが各言語から集まってシンポジウムということを行う、このような企画があります。
こちらは話題としては標準化ということではなくて、第2のトピックですかね。近代における語彙の拡大と言っていいんですかね。拡大拡張といった正式なテーマというのは送ったんですけど、まだ。
ホームページに書いてありますね。ちょっと細かいところ、拡充だったかもしれません。
ホームページへのリンクもこちらに貼っておきますので、これ参加は登録みたいなものをすれば参加できる、自由に参加できるという形でしたがね。
オープンですね。
そちらの方、もう少し先にはなりますけれども、この話題にご関心のある方はぜひ参加を検討していただければと思います。
会場はちなみに学習院大学で対面で行うということですね。
対面で行った場合はそれを中継するという形のハイブリッドを考えていますけれども。
それでは今回は定談という形で、この新刊書言語の標準化を考える。
日中英読普通対象言語史の試みの紹介を、偏者3人で行ってきました。
まだ手に取っていない、あるいは読んでいないという方の方が大半かと思いますが、この放送を聞いてですね。
面白そうだなという方がいましたら、ぜひ手に取っていただければと思います。
本日はご参加ありがとうございました。
田中さん、高田さんありがとうございました。
ありがとうございました。
偏者定談いかがでしたでしょうか。
偏者の高田、田中、堀田の3人が、大週刊書店から出ました新刊書言語の標準化を考える。
日中英読普通対象言語史の試みについて、ざっとですね狙いであるとか、各章の概要というものをご紹介いたしました。
言葉の標準化という話題、それ自体は決して新しいものではなく、
むしろ各言語の歴史で議論されてきた話題ではあります。
ただこれをですね、多言語、複数の言語を比較しながらですね、対象言語史というアプローチを使って読み解こう、考え直してみようというのが今回の新しさです。
そしてこの対象言語史というキーワードもそうですけれども、この新しいアプローチを提案するということが今回の出版企画の非常に重要なポイントだったんですね。
このことは今の対談でも伝えることができたのではないかと考えています。
既にこの本を手に取って読んでみたという方は、実際にはまだ5月に出版されたばかりですので、それほど多くはないかと思われます。
この対談を聞いて少しでも関心を持たれた方、言葉の標準化の問題、あるいは対象言語史というアプローチですね。
このいずれかあるいは両方に関心を持たれた方は、ぜひ手に取って中を覗いていただければと思います。
今回の提談をお聞きになってですね、関心を持った、そしてご意見、ご感想、質問があるという方は、ぜひぜひコメントをお寄せいただければと思います。
通常通りにVoicyのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています専用フォームを通じてお寄せいただければと思います。
その専用フォームには、こちらのチャプターからもリンクを貼り付けておきたいと思いますので、そちらを利用していただいても同じところに飛ぶことができます。
偏者としましては、フィードバックをいただけると大変嬉しいですし、そこで得られた新たなご意見、知見等ですね、次の企画に生かすこともできるかと思います。
実はこの1週間ほど、対談について予告しておりまして、そのために既にご意見、ご質問を受け付けておりました。
寄せていただいた方に感謝申し上げます。
こちら実はですね、お答えするあるいは対談の中で取り上げるというつもりで対談に臨んだんですけれども、既にお聞きの本書の紹介だけでですね、規定の時間といいますか予定していた時間を使い切ってしまいまして、これはまた別の日に収録しようということになりました。
ですので、すぐに今回お答えしたり反応するということはできなかったんですけれども、今回の対談を聞いて新たに生じた疑問等、それからご意見等ありましたら、引き続きお寄せいただきまして、
改めて近日中に同じメンバーで対談を行おうというふうに話し合っておりますので、その点を含んでいただきつつコメントをお寄せいただければと思います。
それではまた明日。