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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語の語源が身につくラジオheldio。 英語史をお茶の間におもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、
すそのを広げるべく日々配信しています。 本日は1月5日、木曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする話題は、【旧ユーゴの言語事情】です。 どうぞよろしくお願いいたします。
本題に入る前に、新著のお知らせです。 毎日のように、
年末からですね、毎日のようにお知らせしているんですが、 実はまだ出ていないんですね。
今月12日以降に発売予定なんですけれども、新著が出ます。 開拓者より文献学と英語史研究というタイトルの本です。
京都大学の家入陽子先生と私堀田隆一がの協調という形で書いております。 こちら開拓者から出されているシリーズものなんですね。
最新英語学言語学シリーズということで、全体で22巻あるんですけれども、 全てがまだ出ているわけではないですね。大半が出そろっていますが、その第21巻となるのが、家入先生と私が執筆したこの文献学と英語史研究という本です。
英語史研究の新しいガイドブックとなることを目指した本でして、 この40年ほどですね、1980年代以降の英語史研究の動向を振り返り、そして今後の展望を示すという趣旨の本です。
実際の中身はですね、割と細かくてですね、音韻論、つづり字、形態論、統合論という伝統的な英語史、英語学の区分に沿って、それぞれの分野において、英語史上何がまだ問題として残っていて、これからですね、さらに研究していく必要があるか、どこまで分かっているかというような問題点の整理をしていこうとしています。
ですので、これから英語史を研究しよう、してみたいと思う方にとってのガイドブック、ハンドブックというような位置づけ、そういう本になります。
目次や作員からレファレンス的に使うこともできますが、それほど分厚い本でもないので、そのまま通読するということをお勧めしたいんですけれども、いろいろな使い方ができると思います。
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開拓者より、この1月12日以降に発売となります。文献学と英語史研究、こちらよろしくお願いいたします。
このチャプターに本書を紹介するページへのリンクを貼り付けておきますので、ぜひご覧いただければと思います。
以上、お知らせでした。
今日の話題なんですけれども、ウクライナとロシアの戦争、これが終わらないままにですね、新しい年2023年を迎えることになってしまいました。
ウクライナ語はですね、ロシア語と同じ東スラブ語派に属するんですね。
広い意味ではインドヨーロッパ語族です。その中のスラブ語派、さらにその中の東スラブ語派、ここにウクライナ語もロシア語も属しているという、そういう関係、非常に近い関係なんですね。
このウクライナ語につきましては、このヘルディオでも271回でお話ししています。
ウクライナ語についてということで、戦争が始まった直後だったということもあるかと思いますが、多く聞かれています。
改めてですね、ウクライナ語の位置づけについて、271回の放送を聞いていただければと思います。
昨年の2月26日放送でした。
さて、スラブ語派には東スラブ、西スラブ、南スラブという3つの派閥があるんですね。
先ほど述べたようにウクライナ語とかロシア語というのは東スラブに属します。
今日はですね、同じスラブ語派の中でも、南スラブの言語群について、やはりですね、政治絡み、そして戦争絡みの話という、少し重たい話なんですが、戦争、政治、言語、この絡み合いについて、歴史言語学というよりも社会言語学の話になるんですけれども、
ぜひですね、この機会に皆さんに知っておいていただきたい事実がありますので、お話ししたいと思います。
バルカン半島を中心とする南スラブですね、これをスラブ語で言いますと、ユーゴスラブということで、まさにユーゴスラビアというのは南スラブという意味なんですね。
およそバルカン半島に収まっているこの地域、南スラブ語派の諸言語、諸方言が話されている、そして歴史的に話されてきたこの地域は、民族紛争が多発する地域としてよく知られています。
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第一次世界大戦の時に、世界の火薬庫と言われたほどで、これについてはよく知られていることかと思います。
この地域は民族的、文化的、宗教的に、本当にですね、歴史的にいろんなものが絡み合って複雑に展開してきた地域なんですけれども、言語の観点から言いますと、長い間南スラブ語派の諸言語、諸方言が中心的に話されてきた地域なんですね。
さまざまな民族、人々が入り混じってと言いますか、入り乱れていた地域なんですが、今からおよそ100年前ですね、1918年にユーゴスラビアという一つの国としてですね、まとまったということなんですね。
まとめてみようという意思の実験と考えてもいいですね。
これがユーゴスラビア社会主義連邦共和国、現在では旧ユーゴと呼ばれている国なわけですね。
もともと本当にさまざまな民族が入り乱れた地域を、ある種の実験、政治的実験でまとめて連邦共和国として建国したということでしたので、当然ですね、統治は簡単ではありませんよね。
実際、周辺地域にはさまざまな少数民族、少数言語っていうのが存在したんですね。
中心的になるのは南スラブ語派の言語群ということで、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語、スロベニア語等があったわけですね。
これらはそれぞれですね、方言という関係です。南スラブ語派の互いに似通った言語群、あるいは方言群というべきものですね。
ただ、北東部ではですね、例えばハンガリー語が話されたりしています。
これはインドヨーロッパ語族ですらなくですね、フィノウゴール語族と呼ばれる全く異なる言語だったりします。
さらに南西部ではアルバニア語、これはインドヨーロッパ語族の一員ではあるんですけれども、語派が違います。
スラブ語派ではなくてアルバニア語派に属するアルバニア語ということで、お互いに全く通じないような言語ですね。
こうした南スラブ語派の言語を中心としつつですね、周りには様々な言語があるという少数言語、少数民族も含んだ非常にある意味不安定な連邦共和国ということで建国したわけです。
この国の共通語はですね、公用語は英語ではSerbo-Croatian、セルボクロアチア語というふうに呼ばれました。
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これはその名の通りセルビア語とクロアチア語を一括りにしたような名前ですよね。
実際セルビア語とクロアチア語は非常に似た言語でお互いにほぼ完全に通じ合います。
政治的にはセルビア語あるいはセルビア人、セルビア民族の方が優勢だったんですけれども、クロアチアもですね、ある意味反目し合いながらも一緒になったという経緯がありますので、名前は譲りたくないということで、この国の公用語はですね、名前を分け合ってと言いますか、セルボクロアチア語というふうに呼ばれたわけです。
どっちかの名前だけ採用してしまうと、それこそですね、紛争になってしまいますよね。ということで、このような名付けになったわけです。
さて、様々な少数民族、少数言語がありつつ、基本は中心的にはミナミスラブ民族、ミナミスラブ語派の話し手がタス派だったわけなんですが、この中でも3つぐらい大きく派閥が分かれていたんですね。
1つはクロアチア語です。西側ですね。西側のクロアチアはカトリック教徒なんですね。そして言語の表記に打点文字、いわゆるローマ字です。ローマ字を使うということなんです。そして経済的にも比較的豊かという地域です。
一方、東にはセルビアが控えています。政治的にはむしろ強い方です。セルビアの方が。そして宗教的にはギリシャ政教なんですね。そしてその流れを組んでギリシャ文字に由来するキリル文字、ロシア語の文字ですが、あれを使うんですね。
つまり、クロアチアとセルビアという2つの勢力は話せば全く通じ合えるのにも関わらず、宗教が違う、キリスト教の中での派閥が違うということと使う文字が違う。そして経済的にはクロアチアの方が豊かで、政治的にはセルビアの方が優勢という、これはですね、反目し合わないはずがないという関係なわけです。
さらに中部にはボスニアヘルツェゴビナ、内戦紛争で有名になったボスニアヘルツェゴビナですが、ここは歴史的にイスラム教徒が多いんです。話す言葉はセルビア語やクロアチア語と同じように南イスラブ語派の言語ということでお互いに完全に分かり合えるわけですが、イスラム教を授与しているということで独自の文化を持っているということなんですよね。
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このように普通に考えればなかなかまとまりようのなさそうな三民族プラスアルファですけれどもね、これがまとまってユーゴスラビア社会主義連邦共和国が作られたということなんです。
そしてその公用語は一応名前としてはセルボクロアチア語だったというわけです。
しかし1990年代初頭、この国は分裂することになりました。
チャプターを変えます。
1990年代初頭、セルビア人の政治的優勢と先制を嫌ってユーゴ内の他の民族が次々と独立運動を始めました。
セルビアの最大のライバルがクロアチアだったわけですけれども、1991年にクロアチア、スロベニア、マケドニアがそれぞれ独立します。
そして翌年1992年にボスニアヘルセゴビナが独立を宣言しました。
セルビアは隣のモンテネグロと共に残って、シンユーゴスラビアと呼んでユーゴスラビアの名前を残そうとしたわけなんですけれども、
2006年モンテネグロもついに独立しました。
これによってユーゴスラビアは完全に解体されたということです。
そして2008年にはセルビアからコソボが独立するという分裂過程も経ています。
このコソボの独立についてはセルビアは未だに認めていないのではないでしょうかね。
元々が民族的、言語的、文化的、そして宗教的にバラバラだったものが、ある意味合意にまとまったのが旧ユーゴの一つの政治的実験だったわけですが、
残念ながら1990年代以降に解体して分裂し、元の木網ということになったわけですよね。
さて言語問題はここからです。
旧ユーゴ時代には国語はセルボクロアチア語という名前で、
全体をまとめ上げる一つの国語、公用語として機能していたわけです。
ですが今このように政治的に分裂し、それぞれが独立国となった今ですね、
例えばクロアチアはですね、当然自分の国の言語をセルボクロアチア語とは口が裂けても呼びたくないわけです。
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独立したわけですからクロアチア語と言いたい。
一方セルビアも同じですよね。セルボクロアチア語とは言いたくない。セルビア語であると言いたいわけです。
そしてボスニアの人々にとっては今までセルボクロアチア語という名前でとりあえず容認していたけれども、
今ではですね、どちらの名前も呼びたくない使いたくないセルビア語もクロアチア語もましてはセルボクロアチア語とも言いたくないので、
ボスニア語という新たな故障、名前を作り上げたわけです。
これらは事実上ほとんど同じ言語なんですよ。
そもそも分裂前、優吾解体前は一つのセルボクロアチア語という名前で収めていたぐらいですからとっても近い言語なんです。
ですが今や政治的にそれぞれ独立したわけですからセルビア語とかクロアチア語とかボスニア語というふうにそれぞれが呼ぶようになったわけです。
旗から見ればちょっとした方言の違いぐらいなわけなんですが、3つの言語に分かれたっていうことです。
つまり優吾解体以前では1言語というふうにカウントしていたものが解体以降は3言語というふうになったわけです。
地球上に2つ言語が増えたということになるんですよ。
これはある意味言語学的にはバカバカしい話のように聞こえますが、社会言語学的には極めて重要なポイントなんです。
世界における言語、言葉の数というのは言語学的には数えられません。
政治が絡むからです。
さて、セルビアとクロアチアの両友ですけれども、政治的に分裂してからはお互いに相手の言語あるいは方言というべきですかね、を想起させる語彙を新聞や教科書から排除するという言語計画を進めてきています。
つまりセルビア語はあくまでセルビア語純粋なセルビア語の語彙で賄う。
クロアチア語色のちょっとこもっているような語彙は公的な分野から排除するということです。
そして同じことはクロアチアもやっているということなんですね。
お互いいがみ合っているからこそ言語的に近づかないようにしているという反目の仕方です。
一方、ボスニア、こちらは宗教的にイスラム教ということでしたが、その歴史的背景からトルコ系の語彙を大量に受け入れているんです。
そしてそれをボスニア語としてはトルコ系語彙を前に押し出すことで、セルビア語ともクロアチア語とも違うよというふうに自己主張していると、アイデンティティをアピールしているということなんですね。
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政治的に距離を置きたい三国、言語的にも距離を置くという言語政策を取るということになっています。
言語、政治、戦争、これは多くの場合、切り離すことができないほど密接に絡み合っているということを示す一つの比較的最近の歴史の事実ということなんですね。
この辺りを踏まえながら、ウクライナとロシアの戦争についても考えてみる必要があるかもしれません。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
戦争に絡む少し重たい話題ではありましたけれども、戦争、政治、言語、この関係についてつい30年ほど前の事例ということで、旧融合をめぐる言語事情についてお話ししました。
いかがでしたでしょうか。
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それでは、今日も皆さんにとって良い1日になりますように。
ホッタルユイチがお届けしました。また明日。