2026-02-27 18:49

【再】#587. 「母語」をめぐる諸問題

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #社会言語学
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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして、英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語の語源が身につくラジオheldio。英語史をお茶の間におもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は1月8日、日曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 本日お届けする話題は、【母語をめぐる諸問題】です。どうぞよろしくお願いいたします。
本題に入る前に、新著のお知らせです。 京都大学の家入陽子先生と、私堀田隆一医の教授、文献学と英語史研究が、
今月12日以降に開拓者より出版発売されることになります。 英語史研究のガイドブックという趣旨の本で、
英語史を研究する方、そしてこれから研究してみたいなと思う方ですとか、 英語史で卒業論文などを書くという場合に、テーマ探しにも使える本になっていると思います。
過去40年ほどの英語史研究の動向をまとめ、 そして今後の英語史研究の展望を整理して示すという形でですね、
実際の本文、メインボディーはですね、 音声・音韻綴り・形態・統合というふうに伝統的な言語学の区分に従って、
英語史の研究がですね、この40年ほどどういうふうに展開してきたかっていうのを、個々の問題についてですね、
参考文献を付しながら解説すると、そういう体になっています。
レファレンスとしても使えますし、それほどものすごく分厚い本でもありませんので、通読するということをお勧めしたいと思います。
英語史研究に関心がある方はですね、必ず参考になる本に仕上がったのではないかというふうに考えています。
もう1週間後には出ていると思いますね、開拓者より、文献学と英語史研究、こちらが発売となります。
このチャプターに本書を紹介する記事へのリンクを貼っておきますので、そちらから詳細をご覧いただければと思います。
以上、お知らせでした。
今日の本題なんですけれども、昨日586回コメント返しだったんですけれども、そこでですね、放送の中で紹介した過去の放送回346回、母語と母国語は違います。
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これをぜひ聞いてくださいと。
これはですね、一昨日の放送でウクライナ人がウクライナ語を学び始めているというような話題をお届けしまして、そことの関連でですね、母語と母国語、これは似て非なるものなんですよという趣旨のことをですね、話している回346回をぜひぜひお聞きくださいというふうに強くお勧めしたんですね。
そしてそれを聞いていただいた上で、リスナーさんから大変重要な議論に値するコメントが寄せられまして、今日はですね、それに反応する形で母語をめぐる諸問題と題してお話ししようと思っているんですね。
まずは、いただいたコメントの紹介から始めたいと思います。
ピーマンさんです。
346回を聞かせていただきました。母語と母国語の定義について、両親が日本人でアメリカで生まれ育ったバイリンガルの人の母語は日本語で、母国語は英語ということなんですが、例えば和尾石黒氏の場合はどうなんだろうと思います。
彼は5歳で両親と共に投影したと書かれています。
そうすると少なくともそれまでは母語は日本語のはず。ところが今は日本語が不得意と了解しています。
それでも母語は日本語なのでしょうか。母語というと自分が最もよく使える言語と私は思っていましたが。
ということで、大変鋭いポイントをですね、指摘していただきました。
続けてですね、カミンさんからもコメントをいただいています。似たような問題意識からのコメントかと思いますが。
日本人とルーマニア人がベルギーで出会って恋に落ち、2人の共通言語はフランス語。その後、2人はイギリスに移住して結婚し子供を産み、家庭内の言語は英語が徐々に中心になっていく。
子供は英語が第一言語で、日本語、ルーマニア語は全くわからない。フランス語はほとんど話せないし理解できないという場合とか。
これほど極端でなくても移民社会では類例はあると思いますが、このような場合、この子の母語が日本語ないしルーマニア語に礼儀上はなるのでしょうか。
ということでピーマンさん、カミンさんからのコメントですけれども、母語って一体何なのかと。
346回では母語と母国語は違いますというふうに母国語に対するものとして全く異なるものとして母語があるんだというふうに母国語との違いに注目して説明といいますか定義したという形なんですが、
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実際この母語というものその中身を見るとですねコメントいただいたように実はこれ自体が安定しない相対的なものなんではないかという見方になってきますね。
そしてまさにこのあたりにですね次議論を進めたいなと思っていたところなので非常にナイスコメントということでいただきました。
ではチャプターを変えてお話し進めたいと思います。
346回の放送で母語と母国語は違いますと題して母語というのは生物学的なあるいは反生物学的な概念、そして母国語というのは国が入っていますのでその分だけ社会的あるいは政治的な概念であり、
この2つが一致しないつまり異なる言語になるっていうそういう個人が世界にはたくさんいるというお話をしました。
その時には主にですね母語というものを母国語とは違うものなんだよという言い方でですねいわば母国語の概念に照らすことで母語という概念を浮き彫りにしようとしたそういう放送会だったんですね。
ですが母語それ自体の内部と言いますか内部的に定義しようとするとこれ実は難しくてですね様々な捉え方がありますし実は母語こそ相対的なんではないかというような議論もですねあり得るんですね。
ということで今回はですね母語これが実は言うほど絶対的安定的なものではないかもしれないというようないくつか論点を出してみたいと思います。
まずその定義からなんですが母語って何なのかといった時に考え方は2つあると思うんですね。
1つは時間的先行性というふうに言っておきましょうか。
つまりある話者個人ですね人間が生まれて最初に習得した言語ということで文字通りの第一言語firstlanguageという見方です。
人生のその後にですね複数の言語を覚えていくっていうことは十分にあり得るわけなんですがやはり何といっても最初に覚えた言語典型的には親であるとか世話をしてくれる人ですよね。
から赤ちゃんの頃に最初に接しそしてやがて習得した言語ということでこれ自体は非常に自然な定義のように思われます。
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時間的先行性つまり文字通り第一に習得した言語っていう観点ですね。
もう一つは心理的内在性と言っておきたいと思います。
自分が心理的に何を一番重要な人生において一番重要な言語とみなしているかという心理的な定義です。
つまり母語が何であるかっていうのは他人は決められなくて自分がこれが母語だと言ったらそれがもう母語なんだという心理的主観的な定義っていうことになりますね。
大多数のケースではこの時間的先行性という観点と心理的内在性という観点この2つ考え方はだいぶ違うんですけれども結果として同じ1つの言語に行き着くっていうか一致するっていうことが大半です。
ですのでこの基準自体観点自体がそんなにクローズアップされないことが多いと思うんですね。
このチャンネルを聞いているリスナーの大多数が日本人で日本で生まれ育ち日本語を最初に習得した。
その意味で第一の言語なんで日本語が母語であるって言い方もできるしそして普段常用する言語そして心理的にも最も重要な自分の言語だと認識しているものはやはり日本語だと思うんですね。
つまりその点ではどっちの基準をとってもですね結局日本語になってくるということであまり問題が起こらないんですね。
ですが世界にはこの2つの基準に照らすと異なる言語が母語になってしまうというそういうケースがあり得るわけですね。
一つは第一言語ある言語を習得したけれどもその後例えば別の言語圏に移って人生が長くなりむしろですねその第一言語の方は使えなくなってしまうというケースがあります。
そして移り住んだ先の言語ですねこれを習得してこちらの方が流暢になったという場合時間的先行性ではもうすでにその能力を失ってしまっている言語が母語ということになりますが心理的内在性という点では今生活で常用している移民先のですね移住先の言語が普通ですね母語という風に考えるのではないかと思います。
いわば母語の乗り換えというか母語の移行ということが個人としては十分にあり得るということなんですねこれは非常に珍しいケースと思われるかもしれませんが必ずしもそうではありません。
例えばそもそもが多言語仕様の伝統を持っているような文化圏国ですねスイスを念頭に置きますと母語っていうのは自分が一番よくわかっていると信じていてかつそれでもって普段の思考を行うところの言語という風に母語ですね捉えているだろうと思われるんですね。
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もしかしたらその言語はですね時間的先行性の観点からは第一言語でなかったという可能性もあり得るわけですよ。
このように時間的先行性の原理と心理的内在性の原理がバッティングしてしまうようなケースがあるということ。
これは母語の定義にですね問題を投げかけることになります。
おそらく妥当な定義は心理的内在性に基づくものなんではないかという風に私自身は考えていますけれどもこれは主観的な定義ということになりますよね客観的には定義できないものだという風にある意味客観的な定義を諦めるという立場にもなります。
ここまで話したことがまず第一の論点ということです。次第2の論点に移りたいんですけれども今までの話では個人にとって母語っていうのは一つであるということを大前提とつまり言わずもがなということで言ってこなかったんですが
一つの母語を持つというのが大前提で暗黙のうちにですね話を進めてきたと思うんですけれどもこれは本当かという問題です。
ほぼ完全なバイリンガルにとって2つの言語あるいはマルチリンガルの場合3つ以上ですけれどもこれが同じくらいの資格を持って自分の真の言語だという個人がいないということは言いきれないわけですね。
しかも先ほどの論点1で論じたようにもし母語の定義が心理的なもの主観的なものということで考えるんであればですねその本人が心からこの2つの言語が自分の母語なんだと言ったときに誰もそれをですね否定することも却下することもできないわけですよね。
ではそういう個人が本当にいるのかという現実的な問題なんですが私自身は分かりませんそういう立場に自分はなかったですし経験もないということなんですが一つ考えるべき大きなポイントはある言語を母語としてしゃべる人間それがいわゆるネイティブスピーカーということで母語という概念とネイティブスピーカーという概念は非常に密接です。
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そしてそこには母語は一つであるという発想も前提とされているように思われるんですね。これは言語学者クルマスに言わせるとこの前提こそが実は一つの言語イデオロギーなんではないかそしてこのイデオロギーを支えているのはまさに西洋近代国家ではないかということなんですね。
世界には多言語社会というものがですねたくさんあってそこでは何が主要な言語なのかという感覚が必ずしもない。
つまりどれか一つが最も重要な言語という認識それ自体が西洋の近代国家的な考え方なんではないかということですね。
母語というものが必ず各個人について一つの母語が紐付けられているというその発想こそが絶対的に一対一の関係なんだというこれこそが西洋流の考え方に過ぎないんではないかということなんですね。
つまり裏を返せば母語というのは本当は相対的なものなんじゃないっていうことです。
さっきの放送会では私は母語は生物学的あるいは反生物学的なものであるというふうに絶対性を匂わすような言い方をしましたがこの母語間自体も批判的に見る必要があるんではないかということです。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日はリスナーさんからのコメントを受けて母語という概念について深掘りしてみました。
非常に鋭い指摘をいただいたおかげでですね。
深く議論することができたと思うんですけれどもこの10分では議論し続けない様々な問題がまだ残っていると思うんですね。
改めましてリスナーの皆さんこの母語をめぐる議論にコメントをいただく形で参加していただければと思います。
具体的なバイリンガルマルチリンガルの方の事例であるとか例えばこういうケースはどうなるのかであるとかそもそも母語について皆さん自身がどう考えるかあるいは母国語ということについてですね。
この周辺の議論はですね実は非常に豊かで面白くかつ難しいテーマなんです。
ですので今後もですね何らかの形でこのような話題になっていくことって少なくないんではないかと思いますのでこの機会にですね様々な問題点を掘り起こして洗い出しておくっていうのも面白いかなというふうに思っております。
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たまたまタイムリーだということでウクライナにおけるウクライナ語というテーマでお話ししたことがきっかけになったわけなんですけれどもこの機会を捉えてですね是非皆さんにこの議論盛り上げていっていただければと思います。
あなたからのご質問ご意見ご感想お待ちしております。
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それでは今日の放送これで終わりたいと思います。
今日も皆さんにとって良い1日になりますように。
ほったりうちがお届けしました。また明日。
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