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英語史の著者の堀田隆一です。英語の語源が身につくラジオheldio、英語史をお茶の間におもとに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は2月14日火曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 本日お届けする話題は、「沈黙の言語学」です。
どうぞよろしくお願いいたします。本題に入る前に一つお知らせです。普段ですね、今日もそうなんですが、冒頭でですね、
英語のなぜに答える初めての英語史という著書をですね、紹介させていただいています。毎日のようにタイトルコールで読み上げているわけなんですが、
こちらは2016年に研究者より出版された本ということで、私の英語史に関する本ですね、教科書的な本としては、
もっとも読んでいただいているということで、ありがたい限りなんですけれども、その背後にですね、実はもう一冊、
もっとわかりやすく書かれている本というのを出してるんですね。 そしてこのヘルディオのリスナーの方もですね、様々な方がいらっしゃいますけれども、
英語のなぜに答える初めての英語史が少し難しいというふうに感じられる方がいましたら、ぜひですね、その一つ前の本、
こちらを読んでいただくといいんではないかなと思いつきまして、あまり宣伝しないんですけれども、今日はですね、こちらの紹介をさせていただければと思いました。
タイトルは、英語史で解きほぐす英語の誤解、納得して英語を学ぶためにというタイトルで、中央大学出版部より2011年に出ています。
つまり初めての英語史よりも5年前に出ているんですね。 こちらはですね、中央大学が125周年となった年ですね、2010年だったんですけれども、
この125周年を記念して中央大学出版部で125ライブラリーという、いわば記念企画を始めたんですね。
その企画シリーズの中に入った1冊ということで、私がこの英語史で解きほぐす英語の誤解という本、こちらを出版させていただいたんですけれども、この企画ものだということでですね、ものすごい助成金がついて、
なんとですね、定価が新書よりこれ安いんではないかという880円なんです。 これはですね、昨今の出版事情を考えるとなかなか信じられない話なんですけれども、
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ご愛読いただきまして何回か増撮もしているんです。 ただですね、この値段なので私のところに入ってくる印税はほとんどゼロに近いと思いますね。
久しぶりにチェックしたところAmazon等ではまだ入手可能ということで、ものすごく在庫があるわけではないと思うんですけれども、こちらですね、
2016年の初めての英語史と比べますと、少しですね、今思い返せばということで荒削りではあったりするんですけれども、勢いはあるかなと。
若かっただけにという気がします。 そして何よりもですね、一気に読めるサイズということとこの値段です。
いつ在庫が切れてしまうかというのもですね、最近は私もチェックしていないんですけれども、そんなにいっぱいあるはずはないと思いますので、
ぜひですね、英語史の入門書としてはおすすめの本となっていますので、ぜひ関心のおありの方はこちら読んでいただければと思います。
関連するリンクをこのチャプターに貼っておきます。そちらからアクセスいただければと思います。
10年以上前に出版された本なんですけれども、書き手である私はですね、その時に考えていたことといいますか、英語史、英語感みたいなものは全く変わっていません。
もちろん英語史に関する知見は増えたと思いますし、そして深まったと思いますが方向性はこの10年、11年ですか間、全く変わっていないということがざっと見返して分かりました。
ということでですね、このヘルディオンのリスナーの皆さんにもぜひ読んでいただければと思います。
ということで、慎重ならぬ窮地のご案内でした。よろしくお願いいたします。
今日の本題は沈黙の言語学です。沈黙、サイレンスですね。
これについて言語学しようと思っているわけなんですけれども、このサイレンス、沈黙を言語学するっていうのはなかなかですね、難しいんですね。
というのは言語形式、言語化されて外に出る形式としてはゼロだからです。発音されないんですよ。
音声的実現がゼロというのが沈黙の定義なわけなんですが、この音声的実現がゼロのものをどうやって調べたり、その意味ですか。ゼロなのに意味がある。
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ここが何よりも面白い点なんですけれども、これをどういうふうに料理していくかっていう、まずですね、その方法論、どういう観点から見るかっていうところからしても面白すぎる話題なんですよね。
当然ながら音声学的に何らかのコメント、沈黙についてすることもできます。
それから形態論、統合論的にもできますね。
単語と単語の発音する際にその間にですね、休止、ポーズを入れるっていうことがありますが、これ一緒のサイレンスなわけですよ。
時間が短いのでこれは休止、ポーズといった方がより適切ではありますけれども、広い意味ではサイレンスということになりますね。
ですので音声学はもちろん、それから因律論ですね。これはもちろんなんですが、形態論、統合論にも関与します。
そしてさらに面白いのは沈黙ほど饒舌なことはないというですね、矛盾したいわばフレーズがあったりしますね。
沈黙っていうのは実は喋る以上に実は意味を持つことがある。意味を用るっていうこと、これ我々も経験上知っているわけですよ。
これはいわゆる意味論的な意味というよりも、語用論的な意味っていうことですよね。
沈黙っていうのは時に饒舌だということです。
この観点から言うと沈黙には意味があるんだ。音声形式としてはゼロなわけなんだけれども、そこに意味があるっていうのはなかなかこれは面白い話だと思いませんか。
そしてさらに大きいレベルになりますとレトリックです。
数字学における沈黙、あえてこれは戦略的に使う沈黙っていうのがあるわけですよね。
とするとですね、形式的にはゼロなんですけれども、これは言語学的にいろいろと考察する余地があるっていうことになるわけです。
今日はその一部ということになりますが、何点か考えてみたいと思います。
まず広くとった場合の沈黙、サイレンスという、この中にはですね、いろんなタイプの沈黙があると思うんですけれども、その一つとして先ほども触れました休止、ポーズっていうのがありますね。
これなどは身近なタイプの沈黙ですので、ここあたりから考えてみたいと思うんですけれども、
まずですね、生理学的に和者はですね、無限にずっと喋り続けることはできないんです。
息継ぎしなければいけないんで。なので必ず息継ぎという一瞬の沈黙、ポーズですけれどもね、これが入るというのは人間にとってやむを得ない。
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ひたすら喋り続けたいと思ってもですね、やっぱりどこかで息継ぎしなければいけないので、その一瞬だけでもですね、休止するわけですよ。
私の知り合いのおしゃべりの中でもですね、本当にこれ息継ぎしないで大丈夫かなこの人っていうぐらい喋り続けてる人はいますけれども、それでもですね、最後のほうゼーゼーしながら息継ぎしてるんですよね。
なので、これ休止、これ息継ぎのためにまず生理的に必要だという、これは言語学的というか言語学以前の生理的な問題なんですけれども、
この休止というタイプの沈黙っていうのは、つまりですね、言語にとっても避けられない、人間にとって避けられないことであるという、そのまず大前提がありますね。
これは沈黙の機能というよりも、沈黙はないわけにはいかないという生理学的な観点からのまず一点議論ですね。
さあ、次から本当の意味で言語学的な観点になっていくんですけれども、一つ言われているのはですね、沈黙あるいは休止とは、話し手にとってプロミネンスと連動して効果を上げるためのものであるということです。
あるいは聞き手の立場に立ちますと、聞き手にとって聴取した内容を整理し、記憶を強化するために必要な時間というふうに考えられます。
どういうことかと言いますと、休止を置くのって普通はですね、単語と単語の間とか、ある一定のフレーズとフレーズの間という統合的な区切りみたいなところで切るわけですよね。
ここで区切りを入れることによって、つまり連続させないことによって、両サイドが浮き立つということです。
統合的なあるいは語としてのプロミネンス卓越性ということはですね、沈黙によって休止によって強調されることになる。
簡単に言えば休止があるからこそ、両側のちゃんと音声化されている部分というのが引き立つということですね。
これは話し手にとってですね、きっちりと相手に意図を伝えるためにある意味必要な戦略だというふうに考えられます。
そして聞き手にとってはやはりですね、この休止があるために統合的な区切りみたいなものが認識されやすくなるということもありますよね。
お互いにとってこれはコミュニケーション、スムーズに進めるためになかなかいい方略ということになります。
ただの行き継ぎだけではなくて、行き継ぎだけでは終わらせず、コミュニケーションがうまく行き渡るように、どこが統合的な区切りかということがお互い分かるようにですね、休止を使うということです。
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これが沈黙の持っている役割と言いますか特徴の2点目なんだろうと思います。
そして3点目はですね、それと密接に関連するんですけれども、語というものを定義するにあたって沈黙というのが活用されるということです。
実際の発話では一語一語の間にきれいに休止を入れて読んでいるわけではありません。むしろつなげて読む方が多いわけですよね。
ですが潜在的にはということです。実際の会話とは別にですね潜在的論理的にはどこで切り得るかということですね。
この切り込みを入れる役割というのがまさに沈黙、休止ということなんですが、これによってポテンシャルっていうことですが、語の境界っていうのは定まる。
語の境界をある意味定めるポテンシャルを持っているのが休止だと考えると、語とは何か、言語において単語とは何かという抜き差しならない大問題にですねヒントを与えてくれるのが実はこの沈黙ということになります。
言語学的な役割と言いますか重要性は非常に大きいと思います。
最後に4点目なんですけれどももう少し大きい単位で習字学の技法としての沈黙です。
黙説と言ってもいいですね。黙って説明すると書く黙説です。黙説というのは語らないことによって何らかを語るという言葉のあやですね。
しかし最初から何にも語らないというのではさすがに話にならないですね。語っている途中で突然に黙ったりするからこそ何か意味が生じるっていうことなんですね。
要するに聞き手はサスペンス状態に置かれるわけですよ。あれ今までずっと喋ってたのに何でここ喋ってくれないんだろうというサスペンス状態ですね。
そしてそのサスペンスが大きいと単に余韻や余剰では済まなくなってこれ穴を埋めなければいけないという責任感を聞き手が感じる。
そうするとそこを何とかして補わなければならないメッセージの穴を埋めなければならないというプレッシャーになるわけなんですが頑張ってそのメッセージを埋める保管する。
そうすると自分で作り出したある意味メッセージなのでこれ記憶に残るんですね。
メッセージ性が高いということにもなります。
相手に直接言われるよりも自分の中で育て上げたメッセージということなのでインパクトがあるということになるわけですね。
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ですから話し手としては一番いいところで止める目設するということが大事になってきます。
ということで今日のお話をまとめますとエンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
本編の最後目設数秒で止めてみましたがいかがでしたでしょうか。
今回の話題と関連しまして一冊ご紹介したい本があります。
佐藤信夫著レトリック認識という講談社から1992年に出た本です。
こちら名著なんですけれどもね。
この中で目設について41ページで次のように佐藤氏は述べています。
読み上げます。
優れた目設表現は表現の量を減少させることによって意味の算出という仕事を半分読者に分担させる。
受動的であった想像力に能動的な活動を求める。
聞き手が謎解きに参加することによって初めて言葉の意味は活性化するという原理は何も目設の場合だけのことではなく、
そもそも言語による表現が成立するための根源的な条件であるが、
レトリックの目設はその原理を極端な形で表現しようとする冒険に他ならない。
私たちはとかくメッセージとは相手から受け取るものだと考えがちである。
が目設は優れた目設はメッセージをその真の正体である問いかけに変えるのだ。
2問分ばかりが問いかけなのではない。
すべてのメッセージが問いかけなのである。
いかがでしたでしょうか。
目設、沈黙、そして休止ですね。
音声的実態としてはゼロなわけなんですが、
そこに意味がある役割があるということがよくわかったのではないでしょうか。
沈黙、サイレンスはこのように言語学できるということが今日のポイントでした。
リツナーの皆さんも沈黙について考えることいろいろあるのではないかと思います。
ぜひコメントいただければと思います。
そしていただいたコメントに反応する形でぜひ議論までしていただけるともっと面白くなると思います。
このヘルディオの英語語活動ということですが、コメント盛り上がってきています。
私もなるべく参入するようにしたいなというふうに思っています。
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皆さんの迷惑でなければということなんですけれども。
比較的新しくこのチャンネルを聞き始めていただいているという方も少なくないかと思います。
ぜひ初コメントという形で勇気はいるかもしれませんが、初コメントを大歓迎しております。
ぜひこの英語字の和に加わっていただければと思います。
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それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、ほったりうちがお届けしました。また明日。