リスナーからのコメント紹介
おはようございます。英語の語源が身につくラジオ、heldioのパーソナリティ、 そして英語の歴史を研究しています堀田隆一です。
8月2日、火曜日です。 本日は
まとめてコメント返ししますと題して、ここ1週間ちょっとですかね。 しばらくコメントいろいろいただいていながら、なかなかお返しできていないので、
今回まとめてリスナーさんからの反応を紹介しながら、英語の語源、 そして英語史について考えていきたいと思います。よろしくお願い致します。
このチャンネルではリスナーの皆さんから様々なコメントをお寄せいただいていますが、 そのお寄せいただく携帯がですね、このVoicyの直接のコメント機能を使っていただいている方と
Googleフォームズを使ってですね、Voicyのプロフィールに貼っていますリンクから、 Googleフォームズで投稿をいただいている方、それからちょうど昨日なんですけれども
427回ですね、偏者定談第2弾、言語の標準化を考える60分生放送を収録しました。 ということで生放送したものをですね、機能をアップしたということなんですが、
この生放送企画と関連づける形での別のコメントフォームもあったりして、 いくつかのソースが分かれてしまったんですけれども、それを合わせて今回はですね、取り上げさせていただきたいと思います。
順不動だったりしますが、その点はご了承ください。 まずはですね、7月26日にいただいていたコメントなんですけれども、みきまるさんからいただきました。
ありがとうございます。毎日楽しく拝聴しています。1週間ほど前のことです。 6カ国語を操る国際経験豊かな紳士にお話を聞く機会があり、語学習得のコツをお聞きしたところ、
まずはその言語の数字から入ると良いよ。 英語だって十進法ではなくて十二進法なんだ。
言語を形成する背景考え方は数字に現れるものだからね、とおっしゃいました。 数字十二進法ダース、まさにここ数日のホッタ先生のお話しされていた内容と重なります。
実は私自身、数字に言語が反映されるということがいまいち深く理解できません。 機会があればダズンズペアのお話を詳しく解説いただけると嬉しいです。
ということでコメント、そしてエピソードですけれどもね、ありがとうございました。 この1週間ぐらい確かにですね、数の話6ペンスという、これもですね、リスナーさんからいただいた質問をきっかけにして、
6ペンス、6がなぜ注目されるのかというような話から解き起こして、いろんな数字、数の話題を展開してきたんですね。
それを受けまして今回ですね、ポリグロットな方の話として、数字の表現の仕方っていうのはその言語に深く埋め込まれているので、
その言語の発想法みたいなものがよく表れているっていうような、そういうことですよね。
これ広い意味で、いわゆるサピアオーフの仮説と言ったり言語相対論ですね、というような話題にも近いと思うんですけれども、例えば数字の数え方ですよね。
数え方っていうのが言葉に色濃く当然反映されていて、それはその言語を母語とする話し方の思考回路も反映しているっていうような考え方なんですけれども、これ非常に魅力的な言語論ということですね。
言語と思考と文化みたいな話なんですけれども、これ古くからある仮説で、サピアオーフの仮説っていうことなんですね。
で、数字っていうのは非常に身近なものですので、そのように思考回路に反映されているとかいう可能性はですね、もちろん常にあり得ると思うんですね。
私のものすごく一般的なこのサピアオーフの仮説とか言語相対論に関する考え方はですね、半分は関係あるだろうと。
それは言語と文化、思考、これが全く無縁なはずではないという非常に直感的なというか、常識的な発想で関係はあるだろうと思うんですけれども、一方で言語の専門家としての立場からはですね、あまりに曖昧すぎて、この関係っていうのはですね、本当らしく感じるんだけれども、それを客観的に実証するにはどうなのか。
というこの問題に取り組むとですね、実は極めて難しいんですね。
で、その直感に反するかもしれませんが、言語と文化とか思考っていうものが切り離されている事例ですね。
こういったものも実はそれなりにあるんではないかという考え方をしているんですね。
ですので、私はどこからが言語と文化思考は関係なくて、どこまでは関係があるのかっていう、その辺の際みたいなところに関心があるんですね。
なので、前提として、この3者の間に関係がないわけはないと思っているんですけれども、どう考えてもありそうにないっていう事例が出てきたりすると悩んでしまうんですね。
この際を見極めたいという感じでやっています。
この数字の話もですね、私はやはり半信半疑で、確かに英語には基本は10信法という発想で、現代社会英語圏でもやってるんですが、数字に残されている、例えば11、12なんていうのはちょっと中途半端で、それ以降は13、14とか、TINをつけるわけですけどもね。
どうも12信法、12がベースになって、13以上はまた別というような発想があるっていうことですね。
これまたいずれこのボイシーでもお話したいと思うんですけれども、痕跡としては12信法のものがある、dozensもそうですよね。
ですが、これがどこまで深く、この思考回路にまで影響を与えているかっていうのはまた別問題のような気がしていて、
これは慎重に扱う必要があるなとは考えています。
数字の文化的な背景
この問題自体がですね、ボイシーの放送で言うと1、2回以上かなに相当してしまうと思いますので、このぐらいに今日は収めておきたいと思うんですけれども、コメントありがとうございました。
次にですね、60とか6の話をしていましたので、それに対するコメントをいただいたんですけれども、SNさん、5日前ですが、60という話題ですね。
これ私は中途半端っていう言い方を途中でして、だけど時計があるよねっていうような話し方をして、よく考えると身近なところに60っていうのはつきもんですよね。
そこで、日本の文化、東洋の文化と言いますかね、10巻12紙、ひとまわりの間歴という共通点があるという指摘をSNさんからいただきました。
人々の寿命のイメージも関係しそうですね、という古代中世の寿命というようなね、この60ひとまわりという発想は確かに東洋でもありますね。
そもそもが、これ60新法というのも一つ広く世界に見られるわけで、一つには365日1年というですね、太陽暦の発想があると思います。
ほぼほぼ360ということで、それとの関連で60という数もまた注目されるっていうことかと思っています。
大印歴月の巡りは30ですが、そことも神話性が当然60というのを倍数としてあって、いろいろとなかなか60の使い出があるっていうのはね、理屈の上からはそのように感じますね。
ありがとうございます。いろいろと60っていうのは身近にあるっていうことなんですが。
同じようにですね、ユキさんからもこの66に関してコメントをいただきました。
今はどうか分かりませんが、昔は和食器は5つでワンセット、洋食器は6つでワンセットでしたよね。
これも十二神法の名残でしょうかっていうことで。
そうですかね、和食器は5、10の半分である5という単位なんだけれども。
洋食器は6一組で出てくるということですか。
これはあんまり気にしたことなかったんですが、関係ありそうですね。非常に面白いですね。
次のチャプターでも続けてコメント返しということでいきたいと思います。
聖書の引用と解釈
これまでのリスナーさんからのコメントを受けてお話ししていたんですけれども、これ大元になったのは6ペンスという表現ですね。
これが価値のないものという意味であるというような指摘をいただいて、この数の話になってきたんですが、
これまでの放送でなんでこれ言ってこなかったんだろうって今思い出してしまったことがありまして、
6ペンスというのはですね、これ私も好きな作家の一人なんですけども、イギリスのサマーセットモームですね。
大衆的な作家だったんですけれども、が書いた月と6ペンスっていうのがまさにありましたよね。
これなんで今まで出てこなかったかなというのを今不思議に思うぐらいなんですが、The Moon and the Six Penceという作品です。
画家ゴーギャンの作品を描いた作品ですね。
1919年の小説ですけれども、
これですね、私は大学生の時に英文科の学生でしたけれども、今、英語学、英語史の世界に来ましたが、
当時学生の頃は英文学に行こうかどうしようかというふうに迷っていたですね。
小説、いろいろと近代小説ですね。イギリス近代小説が主だったんですが、いろいろ読んでいる中で、
空詞の聞いたサマーセットモームという大衆作家ですけれども、割と好きだったんですね。
この月と6ペンスより好きなのが、人間の絆っていう、これも代表作ですけれどもね。
1915年ですけれども、Of Human Bondage、これが大好きでですね、人生はペルシャ絨毯であるというようなことを言うんですけどもね。
痛く感銘を受けた作品なんですけれども、この月と6ペンスが出てこなかったっていうのは、ちょっと我ながらですね、信じがたい記憶の薄れということになりますが、ここで補っておきたいと思います。
では次のコメントに行きたいと思います。
421回の放送ですね、価値なきもの、一軸、遠藤、ピーナッツ、ネギ、豆、わらというようなお話だったんですけれども、のっこさんからコメントをいただきました。
毎日興味深くて楽しいです。一軸は聖書によく現れてきます。これはイスラエルのたとえと聞いていますが、その理由がわかり奥深いです。
私たちが思うマイナーは、神にはその真逆を捉えているのが心に染みます。ということで、フィグという一軸ですね、これ聖書に現れる表現ということで、ちっちゃいものの象徴としている。
それが聖書の文脈に置かれると、多様な眼用ともなってですね、解釈されるというようなご指摘かと思います。
非常に面白いですね。フィグ一つを取っても、あるいは小さいもの価値のないものっていうのは、確かに聖書の中ではむしろそれこそが大事なんだよっていう文脈で使われたりしやすいのかなということですね。ご指摘ありがとうございました。
数の表現の違い
これは関連するんですけれども、カミンさんからいただいたコメントです。とても興味深いコメントです。古フランス語にも類似の表現は数多あります。古フランス語、現代フランス語で多数を示すのにどのような表現があるか調べてみたくなりました。
ということで、こちらはですね、その翌日の422回、大きな数の象徴としての60という小さな価値のものから逆転して大きい数の話題を取り上げたんですが、このあたりもですね、英語独自というよりはフランス語であるとかラテン語であるとか大陸の言語で既にあった発想みたいなものをそのまま借りた。
あるいはそのままでなくても、いじった形で借りたっていう可能性は英語の場合非常に多くあるんではないかと思うんですね。これ一つ一つ本来は具体的に検証していく必要があるのかなと思っていますが、おっしゃる通り借り物と言いますかね、発想自体はフランスのものを受け継いでいるっていうことは十分にあり得ることなんではないかなというふうに私も思っています。
ご指摘ありがとうございました。
それからですね、過去の1000本ノックの回でですね、シャオに関する質問に回答しました。その質問をいただきましたKKさんから改めて最近いただいたコメントです。
コメントと言いますか、新しい質問ですけれどもね、特定の種類の英単語のスペルに関する質問をさせてください。
以下の動詞はスペルの構成が似通っており、かつ対応する日本語が擬態語や擬音語を伴うように思えます。これは何か理由があるのでしょうか。
ということで挙げていただいたリストがですね、クスクス笑うの意味のギゴ、ブツブツ言うマンボウ、キラキラ光るトゥインコ、ゴロゴロ鳴るランボウ、ヨタヨタ歩くワドウ、ベロベロに酔うファドウというような面白い例をいろいろ挙げていただきましたね。
いわゆる日本語の擬態語、擬音語に相当するものがですね、英単語としても音のリズムとしては何らかの擬態語、擬音語っぽい日本語のオノマトペに近いような振る舞いというか音の構成をしているっていう、この辺似てるんではないかという指摘だと思うんですね。
はい、ありがとうございます。この話題は実は言語学の領域と言いますか、英語史の領域でも割と人気で皆さん注目するんですね。とりあえず、日本語母語者はですね、英語を学んだときにこの辺に類似性を感じるっていうことだと思うんですね。私も感じますね。
英語の研究でもですね、やはりこの辺りっていうのはなかなか研究されていまして、逆に言うとこの英語母語者がですね、日本語を知るとこれ似てるというふうに共通点を指摘するっていうことがままあるんですよ。
なので、今回のKKさんのご指摘通りで、このGiggle, Mumble, Twinkleと挙げていただきましたが、この辺りはですね、英語における擬態語、擬音語なんだと言ってしまって差し支えないと私は思っています。
英語の場合には、このシーンを重ねたりですね、特定の、例えば今回もGiggle, Mumble, Twinkleで言うと全部LEで終わってるんですよね。このLE自体が実は一つポイントだったりするんですね。
住所と名前の順序
この辺りはですね、改めてここでちょろっとお話しするではですね、カバーできないぐらい、実は深い話題で様々に研究指摘がなされてきているという領域ですので、いずれ取り上げたいと思いますが、基本的には英語における擬態語、擬音語に相当するものなんだと考えていただいて間違いないと思います。
まずは結論だけ、大きな大枠だけですね、ここではお答えしておきたいと思います。ありがとうございました。
いただいていたコメント、そしてお返ししたいコメントがあと2件ありまして、今日は少し長くなりますが、もうワンチャプター加えたいと思います。
次はですね、コメントというよりも新しい質問ということで、対象言語詞的な質問という、そういう趣旨でいただいたんですけれども、もちべいさんからです。
住所の表記が日本語と英語とで順番が逆なのはなぜでしょうか。
頭から読み上げると日本語だとだんだん地図がフォーカスされるイメージですが、英語だと初めに番地を聞いても最後まで覚えておかないとピンポイントでわからないので不便だなと感じます。
欧米人は不便とは感じないのでしょうか。どういう感覚なのでしょうか。
ということで、これは確かに皆さん思い当たる縁があるという日英あるいは日本語と西洋語ですかね、の違いだと思うんですね。
おっしゃる通りで不思議だなと思ってきたんですけれども、私も音楽的に問うということはあまりしてこなかったんですね。
日本語の場合はだんだんとフォーカスされてきて広いところから狭いところへということですね。
英語や欧米英語の場合には逆で最初に番地っていう言われてもわからないとこから始まってだんだん広がっていくという順序の違いが全く逆であるということなんですね。
これ直接私答えられないと言いますか、どういう経緯でそうなったのかっていうのはこれ調べてみないといけないと思うんですけれども、以前にですね、これ住所だけでなく名前がそうなんですよね。
私ホッタリュウイチですけれども、英語で言う場合にはですね、今英語で言う場合、国際的に言う場合でも日本語では姓名の順番なんだからということでホッタリュウイチということはできるかもしれませんが、伝統的な日本の英語教育なんかで自己紹介を習うときに私も最初にですね。
I'm Ryuichi HotterとかMy name is Ryuichi Hotterと習ってきたので、これをなかなか変えるっていうのは習慣を変えるっていうことなので、そこまで強いモチベーションがないので、今もこれで通してるんですけれども、一般的典型的に英語の場合には名姓、日本語と逆のことが多いっていうか一般的だっていうことは受け入れられると思うんですね。
今様々な言い方が可能になってきてるとはいえですね、あると思うんですよ。
この名前の問題に関してはですね、結局これ統合論の話だと思うんですよ。
たとえばホッタリュウイチであるとホッタさんちのリュウイチ君っていうことなんですよね。他にリュウイチ君がいる際に鈴木さんのところなのか佐藤さんのところなのかっていう話でいやいやホッタさんのとこなんですよっていうような感じで言いますと、あくまでですね広いところが先に来て、で、のという格助詞をつけてで狭いところという順番なんですね。
英語の場合、これはご存知の通り、そして多くの西洋語ですね、ヨーロッパの言葉の場合、格助詞に相当するものが前置詞で表せます。英語の場合はofになりますね。つまりリュウイチofホッタホッタさんちのところのリュウイチという逆のことになると思うんですよ。
結局名前っていうのは、こののとかofに相当するものが本来あったのがなくなったというふうに考えるとわかりやすいんですね。英語でofが残っている名前ってほとんどないんですが、フランス語だとduとかドイツ語だとfonとかですね、こういうのはまだ残っているのでわかりますね。
なのでホッタさんちのリュウイチ君みたいな言い方が日本語でも西洋の言葉でもあったと思うんですね。この統合論の違いっていうのが基本的にポイントになっているのかなと。名前の場合はそういうふうに考えてるんですね。
これと比例して住所っていうのも、日本の場合は広いところから始めてのでつないでどんどん小さいもの、狭いところに入っていく。一方、例えば英語を代表にとりますと、ヨーロッパの言語では狭いとこから始まってofでつないでいくということで、全体の順序が反対になってしまうっていうのは。
これ一種の文化的な習慣という言い方もできますけれども、本来的にはシンタックス統合論の問題なのかなというふうに思っています。さて、今日の最後のコメントと言いますか質問です。
数字の単位の多様性
いつも楽しく学ばせていただいております。素朴な疑問なのですが、なぜ数字の単位、例えばビリオンはドイツ語では1兆、英語では10億と異なる意味を持つようになったのでしょうか。またなぜ未だに統一せずに使っているのでしょうか。
歴史的観点から理由付けできれば教えていただきたいです。不便ですよね。ということで全く同意します。同じ単語で単位が異なる、数が異なる。数っていうのは正確さが命なので、他のいわゆる一般の単語とは役割が異なるので、これ異なってもらっては大変困るんですよね。
なのでご指摘いただいた点は非常によくわかるので、これは何とか統一してほしいと私も思っています。これ、ただ結構複雑な事情があるんですね。この放送の姉妹編のブログと言いますかね、ヘログというところで、646番ビリオンの値と題して私、記事を書いているんですけれども、
詳しくはそちらを見ていただくと良いかと思うんですね。かいつまんで言いますと、英語的にはミリオンの上の単位がビリオンということで、ミリオン100万ですね。これ×1000ということなんですよ。
英語の世界では一応1000というのを単位として、その何乗かという発想で1000の1乗が1000ですね、1000で2乗がミリオン、そして3乗がビリオンという風に1000刻みで、そして数字、アラビア数字で表記する場合に、いわゆるカンマがついていく単位っていうことなので、そこと比例している感じで、英語は割と読みやすい形になっていると思うんですね。
ビリオンっていうのは、とにかく1000の3乗ということで10億ということです。ところが、これアメリカ英語でも間違いなくこの10億を意味するんですが、イギリス英語では、しかも古風なイギリス英語では、これご指摘いただいたようなドイツ語と一緒の1兆なんですよ。
1兆ってどういう数かというと、ワンミリオンミリオンっていうことで、ミリオン100万をベースとした2乗なんですよ。つまり、元とするのが1000なのか100万なのかっていうことで、何のべき乗なのかっていうことで、どうもヨーロッパの中でですね、揺れていると。
イギリスでも古くはビリオンっていうと、ミリオンの2乗って意味で、つまり1兆のことなんですよ。非常にややこしいですね。古いイギリスの英語といっても、20世紀半ばの話ですから、せいぜい7、80年前ですよ。それまで実際に用いられていたということで、結構注意を要するんですね。ちょっとだけ古い文献を読んだりすると、これ出てきちゃうので。
ことの起こりは、英語においてこのビリオンっていうのは、フランス語から17世紀の終わり頃に借りてきたものなんです。その時には、フランス語では実はビリオンっていうと100万の2乗なので1兆なんですよ。つまり、ドイツ語の今の振る舞いと同じっていうことです。
ただ、ややこしいということもあって、現代ではほとんどフランス語では使われずに、フランス語ではミルミリアっていうんですかね。つまり厄介なので避けているっていうことになってるんですけれども、当時はこの100万ミリオンの2乗ということで1兆をフランス語のビリオンっていうのは意味していた。それを英語が借りたわけです。
ですから、当然ビリオンっていうのは英語でも当時は1兆の意味があったっていうことなんですね。そしてこのフランス語をドイツ語も借りました。そしてイギリスからアメリカの英語にも入りました。すべてが一致してビリオンが1兆を指すということであれば話は分かりやすいんですけれども、その後ですね。
まず、アメリカ英語においてこれがですね、10億の意味になるんですよ。今に通ずる。つまり千のべき錠という発想に切り替えたわけですね。そしてこともあろうにオリジナルであるフランス語もそっちに切り替えたんです。
今や英独で1兆ですか。そして米仏で10億という分布になったんです。この時点ですでに混乱を極めてるんですけれども、ここで話は終わらなくてですね。後にイギリス英語はアメリカ英語を真似て10億の意味を一般化させました。そしてフランス語は元の木網、実は1兆に回帰したんです。もうめちゃくちゃですよね。
今日はこの1週間ほどで寄せられてきましたコメントがいくつか溜まっておりましたので、そちらに返信する形、声の返信という形でお届けしました。
朝日カルチャーセンター講座の案内
直接のコメント返しもありますしコメントという質問をいただいた形で、中は1000本乗っく風にお答えした形になって長くなってしまいましたが、最後まで放送を聞いていただきまして本当にありがとうございました。
このチャンネル英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、ご意見ご感想ご質問、チャンネルで取り上げてほしいトピックなどをお寄せいただいています。
今回のような形でまとめてお答えということもあるかもしれませんし、1回2回丸々かけて取り上げさせていただくということも話題によってはあるかと思うんですけれども、ぜひトピックお寄せいただければ幸いです。
ボイシーのコメント機能あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています。専用フォームを通じてお寄せいただけますと幸いです。チャンネルをフォローしていただきますと更新通知が届くようになりますので、ぜひフォローしていただければと思います。
番組の最後に今週末に迫ってきました、朝日カルチャーセンターでの講座のお知らせをさせてください。
今週末の土曜日、8月6日です。午後3時半から6時45分、朝日カルチャーセンター新宿教室にて全4回のシリーズ、英語の歴史と世界英語の第2回講座を開講します。タイトルは、いかにして英語は拡大したのかということです。
シリーズ講座ということではあるんですけれども、1回1回独立してはおりますので、前回の第1回の講座に出席されなかったという場合でも全く心配いりません。
前回の内容もざっと復習しながら、今回は近代期に英語がいかにして世界に拡大していったのか、そして現代に至るのかというような、最も英語の世界的拡大に関してはクリティカルな時代ですね。近代期っていうのを取り上げたいと注目したいと思っています。
形式としましてはハイブリッドを予定しています。新宿教室にて対面でというのも行いますが、同時中継としてオンラインで視聴できるという形にもなっておりますし、その時間が都合が悪いようであれば、収録しておいたものを後1週間見られるオンデマンドで視聴できるという仕様で開講することになっておりますので、
都合の良い形で関心がありましたら、ぜひ参加を検討していただければと思います。この第2回講座に関しましては、このVoicyでもですね、詳しい内容、導入的な内容を393回、6月28日に放送したものなんですけれども、こちらでお聞きいただくこともできます。
関連する情報と合わせて、このチャプターにURLを貼っておきますので、そちらから情報を入手していただければと思います。それでは本日も長谷さん最後まで聞いていただきまして、本当にありがとうございます。8月2日火曜日、今日も元気でいきましょう。それではまた明日。