2025-07-02 25:38

#1493. 知覚動詞構文と知覚の直接性について --- 名古屋オフ会で村岡宗一郎さんと対談

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英語史の古典的名著 Baugh, Albert C. and Thomas Cable. *A History of the English Language*. 6th ed. London: Routledge, 2013. のオンライン講座です.毎回1セクションンずつゆっくりと進んでいき,内容について縦横無尽にコメントしていきます.シリーズについて自由にご意見,ご感想,ご質問をください.皆さんで議論しながら読んでいきましょう.1回200円です.

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「英語史の輪」にこめる想い


1. レギュラー放送は,これまで通り,最大限に良質な内容を毎朝お届けしていきます.プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」のための課金の余裕がない方々(例えば中高生や英語史を真剣に学びたい苦学生など)は,無料のレギュラー放送のみを聴き続けていただければと思います.レギュラー放送では,皆さんに最良の放送をお届けし続けます.


2. プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」で得た収益の一部は,レギュラー放送の質を保ち,毎日円滑にお届けするための原資とします.


3. また,収益の一部は,Voicy 以外でのhel活をさらに拡大・発展させるための原資とします.


4. ときに khelf(慶應英語史フォーラム)やプレミアムリスナーにも協力していただき,hel活の新機軸を打ち出していきたいと思っています.企画本部としての「英語史の輪」です.

5. ぜひとも「英語史の輪」のプレミアムリスナーになっていただきたい方


 ・ hel活を応援したい方(資金援助,広報支援,盛り上げ係りなど.研究者,学生,一般の社会人など職種や専門は問いません.)

 ・ 毎日もっともっと英語史に触れたい方,レギュラー放送では足りない方

 ・ 私(堀田隆一)の話をもっと聴いてみたい方

 ・ レギュラー放送のような一般向けの話題にとどまらず,もっと専門的な英語史の話題も聴いてみたいという方

 ・ レギュラー放送で言えない/配信できないような「低い」話題(対談のアフタートークや飲み会での雑談など)も聴きたいという方

 ・ パーソナリティおよびリスナーさんどうしで,もっと交流したい方


以上,よろしくお願いいたします.

サマリー

名古屋オフ会で村岡総一郎さんとの対談では、知覚動詞構文とその直接性について考察されている。特に、英語におけるザット説と直接的な知覚の表現の違いに焦点が当てられ、実際に見たこととの関連性について詳しく解説されている。対談では、知覚動詞構文とその直接性についての歴史的な調査や、英語とドイツ語の関連性も探求されている。また、過去における文法の違いや現代英語における用法の変遷についても深く考察されている。さらに、ザット説と直接的な表現の違いや、目で見たことの表現に関する興味深い文脈が示されている。

名古屋オフ会の開催
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語詩ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語詩の著者、そして6月18日に研究者から刊行された英語語源ハンドブックの著者のホッタリウイチです。
英語の語源が身につくラジオheldio、英語詩をお茶の間に思っとうに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。
本日は7月1日火曜日です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
暑い日々が続いております。そしてついに7月に突入ということですね。夏真っ盛り。これからですね、ますます暑くなってくるだろうと思われますので、皆さんぜひですね、熱中症等お気をつけいただければと思います。
さて7月も始まりましたが、まず今日1日ですね。
前週末名古屋に出かけておりまして、学会に参加したりオフ会を開催したりと非常に充実した週末を過ごしたんですね。
そこでですね、いろいろな収録を行いました。生配信もありましたが、生では流していない収録したんですね。こちらをぼちぼちとアーカイブでお届けしていこうということで、その成果物を今週はお届けする機会が多くなるのではないかと思います。
今回はですね、日曜日に開催されました名古屋オフ会。こちらにご参加いただきました日本大学の村岡総一郎さん。対談させていただきました。今回は最近のご研究の内容をですね、対談形式でなるべく分かりやすくお話ししようと。
そして会場に数名のヘルメイトの皆さんもいらっしゃいましたので、聞いている方々を意識したトークとなっています。なかなかこれ面白い深い問題ですので、じっくりとお聞きいただければと思いますね。
近く動詞構文と近くの直接性について名古屋オフ会で村岡総一郎さんと対談と題しましてお届けいたします。本題に行く前にですね、今日は久しぶりにVoicyのトークテーマ載っていきたいと思います。
私のおすすめプレミアム放送というものですね。7月になったのでこのような企画が立っているんだろうなと思われるのですが、そちら少しお話ししてから本題に行こうと思います。
チャプターを変えていきますね。Voicyのトークテーマ、私のおすすめプレミアム放送ということなんですけれども、こちらお聞きのヘルディオにはプレミアム版がございます。
プレミアムリスナー原点配信チャンネル英語しのはヘルア。こちら初めてから2年ほどになりますね。2年前、2023年の6月2日に開始しております。毎週カーモク堂の3回、午後6時に配信するのが原則となっております。
最初のうちは週2になったんですが、途中から週3となりまして、このようなカーモク堂での配信となっております。原則ということでですね、週末のように学会、オフ会などがありますと少しイレギュラーになったりはするんですけれども、
基本的にはですね、これを守りながら2年間プレミアムの方も配信し続けることができております。これもですね、一重にお聞きの皆さんのおかげだと思っております。ヘルアにお入りの皆さんはヘルアメンバーであるとか、ヘルメイト、さらにはヘルビリアンといろいろ呼び方があるんですけれども、
今回の名古屋のヘルアオフ会なども、そのようなヘルメイトさんが集まって、そして有志で企画していただいたものなんですよね。本当にお世話になっております。今のところですね、このヘルアは309回まで会が進んでおります。
本日火曜日ですので、今晩6時にですね、310回が配信されることになっております。名古屋オフ会よりヘルア生配信、括弧後編としてお届けする予定です。よろしければですね、7月、月も変わったということですので、ぜひヘルアにお入りいただければと思います。
入ってみたいけれども、どんなところなんだろうというふうに気になる方はですね、とりあえずですね、初月無料となっておりますので、ぜひ覗いてみていただければと思うんですね。そして1ヶ月後に続けたいなと思ったら、本入会していただければ幸いです。
月額800円ということでですね、お入りになる際には、ぜひWeb経由で入会いただければと思いますね。ご一心のアプリ経由ですと、手数料がお高くなってしまいますので、ぜひですね、Webブラウザ経由でお入りいただければと思います。
さて、309回お届けしてきた中でですね、私のおすすめプレミアム放送ということで、これ選ぶの大変なんですけれども、初期の頃から一つですね、おすすめしたいものがあります。初期といえば本当に初期ですね、第2回なんですね。
こちら2023年の6月6日ということで、ほぼ2年前開始直後の回ということなんですが、言語は暗号であるというお話しているんですね。いろいろな意味で、司査的なお話になっているんではないかと思います。
あまり一般には私も展開していないような議論なんですけれども、こちらお聞きいただけますと、言語は暗号である、この意味がわかるんではないかと思います。
パーソナリティである私自身の推しということなんですけれども、力を込めて語っている回です。ヘルアも始まった直後ということで緊張感も感じられるかもしれませんね。よろしければこの過去回聞いていただければと思います。
ということで、Voicyのトークテーマ、私のおすすめのプレミアム放送でした。それでは次のチャプターから本題に行ってみましょう。
こんにちは。
こんにちは。
今日はですね、名古屋オフ会というのをやっておりまして、収録したものを今お聞きいただいているんですが、このオフ会にですね、村岡総一郎さん、日本大学の村岡さんにもお越しいただいております。
今日よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今日はですね、名古屋オフ会の前日にちょうど名古屋大学で近代語協会という学会がありまして、それの事務局で忙しい中ですね、翌日なんですが来ていただきまして、だいぶ遅くまでやっていたようで。
そうですね。ちょっと喉の調子があまりよろしくないので、よろしくお願いいたします。
今日はですね、お話をいただきたいと思うんですが、ちょうど何週間か前になりますけれども、日本英文学会というところでですね、村岡さんが発表されて、たまたま私が司会という役回りだったので、その時のご発表の内容について紙砕いてお話いただければなと思うんですが、
その時のお題はですね、ザット説を伴う知覚動詞構文に関する通じ的考察ということだったんですね。
これはですね、例文からどういう話題を扱うのかということを教えていただけますか。
まず現代英語では一般的に知覚動詞、日本語で言うと見るとか聞くとかそういったものになるんですけれども、原型とか現在分詞といったものが来るパターン。
そして、I saw that he worked…みたいな形、was workingでもいいんですけれども、そういったザットが来るパターンという2つ、大きく分けて2種類の知覚動詞がある。
そのザット説の意味って何なんだろうっていうのを深掘りしていくような発表になったかと思います。
はい、こちらに今数名の他の参加者がいるんですが、この収録の前に、さあ、違いは何でしょう?みたいなことを述べたんですが、
I saw him walk…だから、I saw him walking…もう1個は、I saw that he walked…とか、he was walking…とか、ザット説を使うものということで、
これ一般にはですね、I saw him walk…と、I saw him walking…っていうのは英文法の中でやるんじゃないかと思うんですよね。
これ、この辺りからちょっと確認しておきますかね。まず、ザット説じゃないやつなんですけど。
原型とか現在分詞って言われるものは、実際にその人が見たものを表すっていうことが言われてます。
で、原型だと、まあ簡単に言えば、その行為が終わったこと、例えば彼がどこどこ歩いてて、その歩き終わったところまでを見届けたとか、
現在分詞だったら、歩いてるところを見たっていう進行形みたいな意味で使われることがあるかなと思います。
それがまず、I saw him walk…と、I saw him walking…の違いだと。
いわゆる直接近くって言われるような表現になるかなと思います。
で、それに対して、I saw that he walked…とか、I saw that he was walking…というのは、
先ほどのそれぞれの文と対応してほぼ同じ意味かなと思いきや、これは違うんだということですね。
どう違うんですか、ザットは。
直接性と間接性の区別
先ほど原型不定詞とか現在分詞は直接近く、実際にその人が見たとかっていうような、聞いたでもいいですけれども、
そういったことを表すのに対して、ザット説っていうのは、どうやらこれこれのようだっていうような意味で使われると。
推量に近いような意味ですね。
あるいは、新聞で見てこういうことが分かった。
誰々から聞くところによるとこういうことが分かったっていうような、自分の目で見たっていうよりかは、
第三者による情報源であるっていうことを表すような場面で使われるかなと思います。
これはあんまり意識したことがない。
そのまま見たんだから見たんじゃないのっていう感じなんですが、
見て分かったとか、分かったに近いのかも分かんないですね。
そうですね。
それぐらいの意味のCになるっていうことですが、間接近くと直接近くの違いっていうふうに、
とりあえず言っておいてよいわけなんですが、
知覚動詞構文の違い
ここからこういう違いがあるということをまず認識した上で、
これを歴史的にやるっていうのは面白いですよね。
この違いだけで十分お腹いっぱいっていう感じなんですけど、
これを歴史的にどういうご研究されたんでしょうか。
発表の中では、ドイツ人の言語学者の一人が、さっきの発言とは全く違うことを言い出したんですね。
ざっと説は、実際に見たっていいんじゃないの。
実際に見て、原型不定詞とか現在分詞と同じ意味で使ったっていいんじゃないかっていうことを、
その研究者が言い出したんですね。
本当かなっていうことを、まず最初に現代英語でいろんな実験をしてみます。
例えば、官僚系って入れるのかなとか、
I saw him、官僚系でhaveプラス過去分詞とかっていうのが来たら基本的に使えないと。
過去のことって見れないので、見ることよりも前のことっていうのは、
バックトゥザフューチャーとかタイムトラベル系じゃないと見れないんですけれども、
例えばざっと説だったらそれができるよと。
過去のことを直接見るってどうしても無理なので、
服装が乱れてるから、彼は急いできたんだろうなっていうことを、
思ったとか分かったっていうような意味でもしかしたら使われるんだろうと。
そういった直接の意味で本当に使えるのっていう情報を、
まず現代英語のデータを集めて、とりあえず現代はダメと。
直接の言い方は多分しないだろう。
でもそのハイダっていう人は何でそういう、
ハイダっていうのが先ほどのドイツ語の研究者なんですけれども、
何でこの人は現代の英語のざっと説が直接近くを表すなんて言い出したんだろう。
ということでドイツ語を調べてみたら、
ちょうどそうざっとのざっとに近い、
ドイツ語だとDASSって書くんですけれども、
それがどうやら直接も間接も両方とも表せちゃうんだと。
英語と全然違うんですね。
同じゲルマン語なのに何でこんな違うんだろう。
同じでもいいじゃんっていうことを色々調べてみたら、
小英語でもドイツ語と同じ現象がどうやら起きてるんじゃないのか、
っていうことを簡単に言うと説明した発表だったかなと思います。
歴史的視点からの分析
はい。ドイツ語寄られている川畑さん、
意識したことはこの点は?
意味は全然なかったです。
英語でもドイツ語でも区別したことなかったです。
そうするとドイツ語ではちゃんと目で自分で見たっていう直接のことも、
ざっと説に相当するのでちゃんと言えるということですね。
ただし、できなくもないけどあんまりしないっていうような、
直接ドイツ人の母語話者に聞いてみたんですけれども、
できなくもないけど別の表現を使うかなっていうような
意見が多くありました。
このような違いが英語、現代英語においてあるとすると、
じゃあ昔はどうだったんだと小英語に遡ったら、
どうも今のドイツ語風味があるぞと、
今の現代語とはちょっと違う使い分けが、
現代はあるんだけどもそんなに強くはなかったんじゃないかということですよね。
そうすると次に、なかなか既に複雑なんですけれども、
どうしてあるいはいつ英語ではそういうふうに変わっていったか、
みたいなことになりますかね。
この辺を小英語のところまで見て、
例えば聖書を比較してみようと、小英語の聖書で
雑説が使われているところは、
現代だとどういうふうに解釈されているのか、
そのまま雑説で解釈されているところもあれば、
現在文史に解釈されているところがあって、
さっきの意味とは全然意味が違うって言ってたのに、
もともとは雑説が使われて、
その文章がそのまま現在文史に変わっていると。
小英語には違いはなかったんじゃないのかなっていうので、
いろんなデータを調べてみて、
小英語だけだと足りないってあんまり出てこなかったので、
他の言語どうだろうか。
スカンジナビア書法とかオランダ語とか、
そういったデータを見てみると、
どうやらドイツ語に近い。
ゲルマン語の中でも英語だけちょっと仲間外れになっているのは
何でなんだろうなっていうことを見てみたら、
今はそういう言い方はしないですけど、
古い英語に、古いって言っても100年前ぐらいなんですけれども、
そういうのがあって、今は使われないですけれども、
何で使われなくなったかというと、
雑説に吸収されちゃったっていう。
これもまた去年に発表したような話になってくるんですけれども、
昔はいろんな近くの表し方があったんですが、
いろいろごちゃごちゃしてきちゃったんですね。
なので再統一しよう、まとめようと、
現代英語の変遷
なるほど、とすると、いくつかの言い方、
I saw の後にいろんな補文を取ることができるというものが、
ちょっとややこしくなってきたので、
いくつかの決められた、3つぐらいですか。
I saw him walk.
I saw him walking.
I saw that he walking.
He was walking とね。
そんな感じで、
その辺りの大きく3系列にまとまってきたみたいなところまでお話を伺ったわけなんですが、
続けますと、
はい、で、ごちゃごちゃし始めたのが、おそらく近代英語ぐらいになって、
統一しようという動きがあって、近代英語は終わると、
現代英語のみが始まって、
その後、その後も、
おそらく近代英語ぐらいになって、
統一しようという動きがあって、近代英語は終わると、
現代英語みたいに、実際に見ましたよっていうのであれば、
あるいは、直接見ても、これこれこうだと思ったっていうような、
あるいは他の人から聞いて、こうだと思いました、
なんていうような表現であれば、
ざっと説を使うというような表現が一般化したのではなかろうか、ということで、
一応歴史的なところは終わりました。
なるほど。
少し複雑に、歴史の過程でいろんな言い方が出て複雑になってきたのを、
再整理した際に、
このざっと使うバージョンと、そうでないバージョンとで、
間接直接みたいなものが、
芽生えたのではないかという考え方ですね。
そうですね。
おそらく他のゲルマン諸語では、
ざっと見たところでは、英語のような区別はなさそうだみたいな。
そうですね。
ということですね。
再統一の際に変なことが、
今までなかった区別が持ち込まれちゃったという、
そんな感じなんですね。
そうですね。
これもう一つ議論として面白いなと思ったのは、
with my own eyes みたいな形だと、
直接近くしかない読みになりますよね、
コロケーションとして。
この辺りの分布はどうなっているのか。
実際にこのデータについて、
さっき言ったハイダーというドイツ人の人なんですけれども、
何でそう思うのかということを聞いたら、
彼曰くwith my own eyes, I saw that...
というような表現ができると。
もちろん原型不定詞も現在文詞にも
with my own eyes, I saw him walking...
ということが言えるので、
じゃあこの違いは何になるんだろうかということで、
コーパスを調べてみました。
原型の場合にはどれぐらいの確率で
with my own eyes が来るのか、
現在文詞にはどれぐらい来るのか、
ざと説にはどれぐらい来るのか、
調べてみたんですけれども、
圧倒的に原型とか現在文詞に
with my own eyes とか
with my own ears みたいな表現が来ると。
この目で見ましたよっていうぐらいなので、
やっぱり直接近くを表す表現が多いんだと。
じゃあ30%か20%ぐらいなんですけれども、
ざと説とwith my own eyes みたいな表現が
一緒に使われることがあると。
じゃあこの子たちは直接近くを表しているんですか?
ということでデータを見てみると、
あんまり直接見れないような現象が
ざっと説の中に入っていたりとか、
例えばこれこれしないのを見たって言えないですよね。
とか、例えばすごいヘナレになりますけれども、
彼が頭がいいことを見たって言えないですよね。
頭の中パカッて割って、
この人はこれ90点取れるんだっていうのを
頭の中見るわけにはいかないので、
実際に頭がいいかというようなものは
推量に過ぎないので、
そういった直接見ることができないようなものが、
例えばwith my own eyes I saw that
以下に続いているっていうことから、
知覚動詞構文の探求
仮にそういった自分の目でっていうような表現があっても、
おそらく直接近くを表す表現として
使われているんじゃないかということで、
発表はまとめてっていうようなことになります。
こういう非常に微妙なコンテクストから
分かる時もあれば分からない時もあるので、
難しいような問題なんですけど、
コロケーションを工夫するといいますか、
こういうのと一緒に出るかな、出ないかな、
みたいなところを利用するっていうのが
一つのアイディアとして面白いなという。
あとは苦しい場合はネイティブに聞いてみるとか、
この違いは何?って言った時に、
例えばwith my own eyes, I saw…
なんとかかんとか原型とか現在分析であれば、
例えば裁判のシーンで、
私はこういうのを見たんですって
証言をしたい場合、
原型と現在分析、ザッと説に
それぞれwith my own eyesとかって
来ると思うんですけども、
ザッと説を使った場合は、
ちょっと証拠として弱いと、
証言として弱いんじゃないと、
エレガントではないよねっていうような言い方を
ネイティブの方はされて、
実際にこの目で見たんだ、
その内容が実際に起こったことなんだ
っていうことを表す原型や現在分析だったら、
裁判でも言っていいだろうと。
でもザッと説使うと、
本当に守れるかって言ったら微妙だよね
っていうような、
発言と言いますか、
回答があったっていうのも。
なるほどね。
意識したことがなかった。
ないですよね。
僕もないんですけども。
すごく一般的な理屈としては、
ザッと説というのは
別の説が埋め込まれるので、
一方その目的語として、
Cの目的語としての間接性が高い
というようなことは言われたりしますかね。
もともとザッと自体指示詞から来てるので、
あのとかっていうような、
ちょっと遠いものを指すっていうことから、
直接見たものよりちょっと遠い、
一歩引いたような表現になる。
今のめちゃくちゃ分かりやすいですね。
ザッとは確かに近いものではなく、
遠いものを指すということが、
なぜ実質説じゃなくザッと説なのか
っていうのはちょっと分かりますね。
村岡さんとの対話
間接性が一歩強くなるというところですかね。
なので間接的な表現、
実際に自分の目で見た場合でも使えるので、
見た上でこれこれこういうことが分かった
っていうような表現でも使われたり、
あるいは新聞で見てこういうことが分かった。
友達から聞いてこういうことが分かった。
っていうような場合に、
ザッと説が使われやすいんだなっていうのは。
なるほどね。
ざっくりとその意味の違いで言うと、
Cにも2つあって、
文字通り目で見るっていう意味と、
目で見るなりなんなりして、
最終的に認識したとか、
理解した、分かった、
みたいな比喩的な意味っていうんですかね。
そことの連動、
後ろに何が来るか、
そのあたりと連動してるんじゃないか、
ということですよね。
これ深いですよね。
訳す時も、
日本語としては違いが出なくても、
解釈する時に、
そのあたりを意識すると、
面白い読みになるっていう、
正しい読みになるっていうことが
あり得るってことですよね。
さらにそういったものを続けていくと、
高校生の時に多分皆さん疑問に思ったことに
繋がるんですけれども、
原型が繋がるような表現を
受け身にしたら、
なぜガッツリが出てくるとか、
っていう話にも、
今後発展していけるんじゃないのかな
っていうことは今思ってます。
なるほど。
このあたりが村岡さんの
一番本丸といけないところになっていくかと思いますので、
当日の学会発表の時も、
活発な質問が、
なかなか鋭い質問もあったと思うんですよ。
司会をしながらね、
間接資格と直接資格、
そもそもそれはどういうことなのか、
定義を与えてください、
みたいなところもあったりとか、
いろいろ考えるところはあると思うんですが、
着眼というか発想面白いですよね。
こちらは、
先日発表はされたんですが、
論文みたいな形、
これからっていう形ですね。
ということでお聞きの皆さん、
論文が出ることになると思いますので、
まとめたいと思いますので。
また発展形といいますかね、
どういう形になるか期待したいと思います。
村岡さん、本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
25:38

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