対談の導入と寺澤先生のプロフィール
おはようございます。英語の語源が身につくラジオ、heldioのパーソナリティ、そして英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。
7月28日、木曜日です。 木曜日というのはですね、
なんでもない曜日といえばそうなんですけれども、どうもこのチャンネルに関する限りなのか、よくわからないんですけれども、週の中で一番
聴かれている、リスナーの皆さんがこの放送を聞いている曜日なんですよ。 これが月曜日とか土曜日とかだと、ああそうなんだという感じになるんですけど、
木曜日って聞くと、へーっていうか、だけどなんでっていう感じなんですよね。 いずれにせよ結果としてですね、そのような通知が出ているということで面白く感じるんですけれども、
この最もよく聞いていただいている、今週の木曜日ということなんですけれども、対談企画を久しぶりにお届けしたいと思います。
対談のお相手はですね、寺沢淳先生です。 この番組は英語の語源が身につくラジオということなんですが、背景にある学問分野ということで言いますと、英語史なんですね。
そして英語史といえば寺沢淳先生ということになっています。 この番組のリスナーさんの少なくない部分の方がですね、
すでに英語史という分野ですね、は何らかの形で知っている本を読んでいるっていうことかと思うんですけれども、
今、日本で最もよく読まれている英語史の本は何かというと、新書という形でですね、非常に入手しやすく、かつ読みやすい一冊の解説書ということで言うと、やはり寺沢淳先生の書かれた2008年に中古新書として出されました。
英語の歴史、副題は過去から未来への物語、こちらだと思うんですね。 私もまず一冊と言いますと、この中古新書の英語の歴史、これをお勧めしているわけなんですけれども、すでにリスナーの皆さんの何割かはですね、この本を知っている、読んだという方もいるかと思いますが、まだ読んでいない。
最近、この番組を聞き始めて、そもそも英語の歴史、英語史という分野があるんだというふうに初めて気づいた、知ったという方もいるかと思うんですが、まず最初の一冊としてお勧めしたいのが、この中古新書の英語の歴史です。今の今までコンスタントに読まれ続けています。
こちらURLを貼っておきますので、そちらから情報を得ていただければと思います。
その他、2014年には大週刊書店より、聖書でたどる英語の歴史という、聖書で古英語、中英語、近代英語、現代英語というふうにたどって、英語の歴史を見るという、二度おいしいと言いますかね、聖書も学べる、そして英語の歴史も学べるということで、実は私の慶尾義塾大学の今年度の春学期と言いますかね、
この今終わったばかりの4月からこの7月まで続いた授業の一つでテキストとして採用しています。
それから2016年には中古新書より、もう一冊書かれていまして、英単語の世界、こちら英語史の視点と認知言語学的な意味の話が融合したような、非常に読みやすい新書となっています。
今回の対談は、このボイシーでも何度も宣伝していますけれども、この5月に大衆館書店より、言語の標準化を考える日中英読普通対象言語史の試み、この本を出したんですね。
私も編著者の一人となっていますが、英語の歴史における標準化については、7章でですね、寺沢先生にご機構をいただいています。その前座を私が6章で勤めているんですけれども、この2章分でですね、割と英語の標準化の歴史はだいたいのところを問題点と言いますか、
論点は整理されているかなと思うんですね。そしてまさに英語っていうのは世界の標準語であるっていうのが20世紀、21世紀ですので、その歴史をたどるっていうことは、今の英語、そして未来の英語ですね、を考える上でも重要な知識になるというふうに考えています。
今日は寺沢先生との私の対談という形でですね、この英語の標準化という問題。前半はこの第7章の紹介なんですが、後半はですね、本に書かれていないような20世紀、21世紀の英語の標準化っていうのは改めてどういうことだったのか。
そして今、我々日本人が英語を学ぶにあたって、あるいは教えるにあたって、先生の場合ですね、教えるにあたって、この英語の標準化という問題をどのように考えていけばいいのか、このあたりについて議論しています。
前置きが長くなりましたが、早速聞いていただきたいと思います。収録はですね、昨日7月27日の水曜日に、寺沢先生の青山学院大学の研究室にお邪魔して対談いたしました。青山学院大学の心霊チャイムなんかも音として入っています。なかなか貴重な音源となっているかと思います。
英語の標準化の時代区分
それではどうぞ。こんにちは。ホッタリュウイチです。本日は対談企画ということで、寺沢淳先生と英語の標準化をめぐってお話ししたいと思います。寺沢先生、今日よろしくお願いいたします。
寺沢先生とは色々な形で学会であるとか、後ほど紹介します、言語の標準化を考えるという本にもご寄稿をいただきまして、いろんな形で、Zoom越しなんかでは本当によく連絡していたんですが、この数年間本当にお会いする機会がなく、本当に久しぶりに今日お会いできまして、ご無沙汰しております。
こちらこそご無沙汰しています。本当に2年ぶりぐらいにお会いする機会があって、青山のキャンパスに今来ていただいているんですが、本当に色々とお話をした後、この本題に今入ったところですね。
はい、今までの実は撮っていない話の方が面白かったかもしれないですけども、研究室にお邪魔して、非常に快適な見晴らしの良い研究室なんですけれども、こちらにお邪魔しています。
今日はですね、5月に大週刊書店から出版されました、言語の標準化を考える日中英読普通対象言語史の試みという本ですね。
こちらは対象言語史とあるように、様々な言語における標準化の歴史をそれぞれの専門家が書いているということなんですけれども、英語の歴史に関しまして、
寺沢先生が7章を書きになっています。
タイトルはですね、英語標準化の初層、20世紀以降を中心にということでお書きいただいているんですね。
私が前座を務めまして、6章で同じく英語史に関する標準化を書いているんですけれども、
併せてですね、私はどちらかというと比較的前の古い時代と言いますかね、焦点を当てまして、それを
ついでいただいた形でというのもあれですけれども、寺沢先生の7章では20世紀以降、20世紀、21世紀の標準化ということを論じていただいた形になるんですけれども、
そもそも英語の標準化っていろいろな見方、その歴史の描き方もあるんですけれども、
まず第7章の前半で寺沢先生がお書きになっているのは、
割と伝統的とされている時代区分に沿ったものとは異なる時代区分で、
特に標準化に焦点を当てた時代区分というのをご紹介いただいているんですが、
この辺り簡単にかいつまんで教えていただけますでしょうか。
はい、分かりました。
従来の英語史の時代区分というのは、基本的には、たとえばノルマン征服とかルネッサンスなどと、あるいはインサチスの発達、発明といった社会的な出来事と結びつけて英語を区分する、
古英語、中英語、そして近代語、そして現代語という区分が、多くの英語史の教科書に載っている区分だと思うんですが、
この標準化というテーマに沿ったものとして、ブレイクというイギリスの学者がいるんですが、
その方が英語を標準化という観点から7つの時期に区分するという、
そういう書物を書いているわけですね。英語史の解説書を書いているわけです。
それをまず出発点にして、この章は始まっているわけで、どういうふうに区分しているかというと、
450年ぐらい、つまり5世紀の半ばぐらいに、アングル人、サクソン人などが、エルマンの部族がブリゼントンにやってきたとき、そして定着した後はしばらくはおそらくそれぞれの部族がそれぞれの公言を発達させて、
標準的なものというのはなかったと考えられるわけです。
ですから9世紀半ばぐらいまでは、おそらく標準語がないという、そういう時期としてブレイクは最初の時期を設けているわけです。
ところがアルフレッド大王という有名な王様がいますが、その方が学問文化の復興のために、
ラテン語の書物などを英語に翻訳するという大事業を行ったわけですが、
アルフレッド大王はご存知のようにウエストサクソンという王国の王様であったので、
そのウエストサクソン方言をそういうときに用いて、それが他の地域でも標準的な英語として、
語彙語で使われるようになったということで、9世紀の後半からしばらくの間は、
最初の英語の標準化の動きがあった時期の2つ目の時期として、ブレイクは分類しているということですね。
1250年まででしたかね。本書の147ページに実は、この伝統的な時代区分とブレイクによる時代区分を
比較対照したような表が綺麗にまとめられていまして、
1250年までというのが今のお話でしたかね。
実はその1250年よりもだいぶ前に、つまり1066年にいわゆるノルマン政府という英国にとって大きな出来事があって、
フランス語、あるいはフランス文化が英語を、イングランドを席巻するということが起きたわけですね。
そうすると基本的にイングランドにおける
応用語というのはラテン語またはフランス語になるわけですから、
英語を標準化する必要性がなくなるわけです。英語はもちろん一般の民主の言葉としては話されていたんですが、
各地でそれぞれの方言で
話されていて、それぞれの方言で文献、
何か文学作品が書かれた場合は、その方言の
発音に従って作られた、そういう時代になっていくわけです。
ですから、方言の時代といわれるのが1250年から1400年、それが3つ目のブレイクの時代なわけですね。
この標準がないと言いますか、標準英語というものが存在しない時代が、
あるというのが英語史の一番得意な
他の言語と比べてもということかと思うんですよね。
標準化のさらなる推進と批判
それが1400年ぐらいまで、150年
プラスですかね、続いたということで、第3段階。
そうですね。第4段階は、今度は
14世紀から15世紀にかけて、
徐々に英語が復元してくるとともに、
ロンドン中心とした英語が標準英語として考えられるような時代に入っていくということですね。
具体的には大法官庁英語、公の公訳書の英語とか、
あるいはほぼ同じ15世紀の終わりぐらいにカクストンという人が印刷室を設立するために
英語が標準化するということを推進する動きがあったわけですね。
これは青岳の心霊ですね。これもみなさんお聞きください。
これ、先ほど話した学生が口ずさむというのが本当なんですか。
必ず授業の始まりと終わりにこれが聞こえる。
我々はまだ続けなくちゃいけないんですが。
それが再び標準化の動きがあって、それがさらに
17世紀から18世紀になると、さらに標準化がある意味では規則、規範として確立することになって、
1755年に有名なサメル・ジョンソンの辞書が出るわけですが、それ以降も文法書などが出て、
要するに英語というのが、これが正しい英語で、これが正しくない英語である。
そういう瞬別がなされる。英語の標準英語は規範化されるという、そういうフェーズに入っていくということですね。
これが17世紀後半から18世紀という感じですかね。
さらにその後、18世紀の終わりぐらいから、これはそんなに強い社会的な動きではないんですが、
皆さんご存知のワーズ・ワースとかコール・イチのような詩人は、当時の標準英語を批判したわけではないんですが、
地方の方言とかそういうものの重要性、その貴重な存在であるということに気づいて、
そういうものを詩の中で使っていくということを提唱する、ロマン主義的なテーゼを発表したわけで、
そこでその前の規範の時代に対する暗示・提説が18世紀の終わりぐらいから少しそういう動きがあったということですね。
英語の歴史的な分裂
これが、かたしとしては1914年というのがブレイクの、この時代の終わりのポイントですかね。
最後のフェーズの7番目の時代というのは、1914年、つまり第一次世界大戦以降ということで、
これは分裂と不確かな時代ということになっているわけです。
これはご存知のように、英国が世界に植民地を広げたために、英語という言語は世界各地に広がっているわけで、
それぞれのところで英語が発達するということがあったわけです。
はい、そのブレイクの比較的新しいと言いますか、目新しい時代区分だったと思うんですけれども、
こちらですね、最後のフェーズについて一言補っていただけますでしょうか、先生。
先ほど説明しましたけれども、分裂と不確かさの時代ということで、
世界各地に拡散した英語が、それぞれの英語の特徴を発達させるわけですね。
ですから標準化という観点から考えると、むしろ標準から離れていく英語がたくさん乱立するということを、
分裂と不確かさの時代というふうに、ブレイクはおそらく述べたのではないかと思います。
実際このことを象徴している言説があって、
例えば19世紀の終わりに、ヘンリー・スウィートという非常に有名な英語学者なんですが、
ヘンリー・スウィートがあるところで、次のように述べてるわけです。
つまり1世紀ぐらい経ったら、その時ですか、19世紀の末から1世紀ぐらい経ったら、
イギリスとかアメリカとかオーストラリアで英語を話してる人は、
お互いに発音が違いすぎて、お互いに通じ合うことができなくなるかもしれない。
まさに英語が分裂、解体していくことへの危惧を、英語学者であるヘンリー・スウィートは予言してたわけですね。
幸いその予言は、現代のところ当たっていないかと思いますが、
そういった分裂、解体への危惧というのは実際に感じられていたということが、
19世紀の末にはそういうものがあったということがわかるわけです。
なるほど。
そうすると、今よく話題になっているワールドイングリッシーズみたいな話って、
例えばインド英語とかナイジェリア英語とかっていうことなんですが、
ヘンリー・スウィートの時代には、基本は英語母語国の中でのことしかあまり念頭にはなかったっていうことなのかもしれません。
そうですね。
要するに、いわゆる英語を母語として話している地域の英語がお互いに通じなくなるのは困りますねって感じで、
インド英語などは、たぶんヘンリー・スウィートの眼中には英語としては入ってなかったということが考えられますね。
もっかの分裂の問題で、むしろインド英語であるとか、世界中のなんとか英語っていうものなどが注目されると思うんですけれども、
100年の間に現状も変わりましたし、いろいろ考え方も変わったっていうことなのかなと思いますね。
20世紀の標準化の試み
私の7章の趣旨っていうのは、これ以降が多分おそらく中心だと思うんですが、
ブレイクの7つの区分というのは、要するに7つ目の分裂と不確かさの時代で終わっているわけですけども、
実は20世紀の英語を見てみると、実際はいろんな標準化の試みがさまざまになされているってことがわかる。
分裂だけではない。
そうすると、標準化っていうのは、もう一度ブレイクの先ほどの説明を思い出していただくと、
最初標準英語がなかったところに、アルフレッド大学によってウェス・サクソン方言が標準的な英語になっていた。
そしてまた標準語が失われて標準英語が失われたということで、
非標準化と非標準化っていうのは何回か繰り返されている。
そのサイクルの問題は第7章で堀田先生が書かれた第6章で詳しく説明がありますけども。
まず最初に、いくつか繰り返されている英語の標準化には、
すべて同じような標準化が起こっているのではなくて、違う側面があるってことをまず話を進める前にちょっと確認しておきたいと思います。
はいお願いします。
一つは標準化っていってもいろんな所層があるわけで、一つは統一化ということですね。
統一化ですね。
ある一つの国とかあるいは地域において、経済的、政治的に有力な方言とか変種があって、それを基準としてその言語を統一していこうという動きで、
アルフレッド大王時代のウェスサクソン方言の標準化っていうのはまさにそれに該当するってことですよね。
じゃあ統一化という観点からの標準化ですね。
もう一つは規範化ということですね。
これは言語の形式を正しいとかあるべき形に調整しておこうという動きで、正しいと認定されたそういう方言変種は権威を持つことになるわけですけども、
もちろんそれ以外のものは間違ったものというようなレッテルが張られることになるということで、
これは先ほどのブレイクの区分から言うと、1660年から1798年のそういう規範化の起こった時代、辞書とか文法書が出された、その時代が名護士ではそれに対応するってことですね。
なるほど。じゃあ統一化よりももう一段先に正しいんだからこれを使わなければダメですよというような、そんな雰囲気ですかね。
その雰囲気の段階の標準化のことを細かく言うと規範化というふうに呼んでいるということですね。
もう一つは通用化ということで、これは例えば違う言語とか違う方言とか変種を話す人がいた場合に、コミュニケーションを円滑に進めるために、そういう言語を共通化あるいは簡略化していこうという動きがあるってことですね。
これはこれからお話しする20世紀以降の英語の標準化の動きに変種に見られる特徴であるというふうに考えられるということで、ここからは20世紀の英語の標準化っていうのがどういう形で具体的に起こっているのかっていうことをお話しできればというふうに思います。
最後の段階通用化、段階と言いますか3つに標準化をですね、細分化した場合に通用化っていうのがあったんですが、印象的に規範化っていうところはトップダウンで、誰か偉い人が決めてみんな守りましょうっていうのに対して、最後の通用化とか共通化はどちらかというとボトムアップと言いますか、誰かが決めるもんではないっていうイメージの異なりがありますかね。
そうですね。まさにそういうことだと思いますね。
統一化っていうのはまさにトップダウンということで、オカミがこの形にしようっていうことで、それが下のほうに行くということですけど、
通用化っていうのは、多くの人がコミュニケーションの中でいろんな妥協点を見つけながら、この形を共通的な表現として使っていきましょうっていう動きがあるわけで、まさにボトムアップということですね。
トップダウンとかボトムアップの話っていうのは、この標準化の本の中で、英語以外の詳細も割といろいろな言語で使われているトピックですね。
そうですね。そうしますと、20世紀以降はどうやら、この通用化というところにポイント焦点が当たっているらしいということで、ではチャプターを変えて、この辺りの事情、もうちょっと詳しくお話を伺いたいと思います。
それでは、この新しいチャプターでは、まさに20世紀以降における英語標準化、20世紀以降ということは、今も含めてということかと思うんですが、この辺りについてお話しいただけますでしょうか。
20世紀以降の英語の標準化を語る際に、そもそも20世紀以降英語がどういう状況であったかということをまず把握しておく必要があると思いますが、大まかに分けて2つの状況があったということですね。
一つは第二次世界大戦後、世界では社会文化経済におけるグローバル化が進行していて、その中で英語が国際共通言語、つまりリンガフランカとして広く用いられるようになっているという、そういう状況が一つあったわけです。
もう一つは、ポストコロニアルにおける元々植民地だった地域の多くでは、引き続き英語が使用されているところが多いわけですが、それらの地域で用いられている英語変種と言いますが、それはそれぞれ独自の特徴を発達させているという、そういう状況も一方であるということです。
なるほど。じゃあ英語が一つの国際共通語であって、リンガフランカだって意味での、ある種の吸収力みたいなものに対して、各地で独自の英語ができているという遠心力みたいな、ある種矛盾した反対方向の現象が同時に起こっていると、そういうことなんですかね。
その2つの現象が実は、2つの標準化の調理を生み出しているってことですね。
つまり国際共通語となった英語なわけですが、その場合は英語を非母語話者にも学習しやすくするために通用化・簡略化が行われているわけですね。
この場合、ターゲットは主に外国語として英語を話す人のために、英語を通用化する、標準化するという動きがあるということです。
もう一つは、先ほど述べた2つ目の点で、異なる地域で第一言語とか第二言語として用いられている英語の話者の間で、それぞれの英語編集が異なる特徴を発達させてるわけですから、
ときには円滑なコミュニケーションを妨げる可能性があるので、
そのコミュニケーションをスムーズに活かせるために、英語を通用化・簡略化していくということで。
この場合、ターゲット、標準化の恩恵を受ける人は、母語とか第二言語として英語を話す人であるってことになるわけですね。
簡略化の具体例
ですから、この2つの標準化の潮流があるということを、まず指摘しておきたいと思います。
そうすると、大方の、我々典型的日本人にとっては、第一のものに関心が向くっていうことになりますかね。
われわれにとっては、英語は多くの方にとっては非母語の話者なわけなので、
最初の標準化のほうに目が向くことになるかと。
最初の国際共通語として用いられる英語を標準化していく試み。
外国語として英語を学んでいる人にもわかりやすく英語を標準化・簡略化していこうっていう英語の動きとしては、
いくつかあるんですが、よく知られているものとしては、
いわゆるベーシックイングリッシュと呼ばれるものと、スペシャルイングリッシュと呼ばれるものと、
あとグロービッシュ。
グロービッシュというのは、グローバルという言葉とイングリッシュをいわばブレンドさせた混成語になってますが、
その3つが代表的なものであるってことですね。
全部を説明する時間はたぶんないと思うので、
例えばベーシックイングリッシュっていうのは、ご存知の方も多いと思いますが、
1930年に英国の心理学者・言語学者のオグデンという人が、
世界共通のコミュニケーションの手段として、簡略化した英語を提案したわけですよね。
ベーシックの意味っていうのは、基本的な意味もかけてはいるんですけども、
ブリティッシュのBとアメリカンのAとサイエンティフィックネスとインターナショナルのIと、
そしてコマーシャルのCを合わせた、そういう当時語になっているってことですね。
じゃあ具体的にベーシックイングリッシュってのはどんなものであるかってことですけども、
皆さんは英語を母語でない形で外国語として学習してる人は、
英語の難しさがどこにあるかっていうと、
おそらく多くの人は語彙がたくさんあって、覚えるのが大変だって感じられる方がいると思いますが、
語彙っていうのは英語学習者にとってものすごい負担になるわけですね。
大学受験のために何千語覚えればいいのかとか、
そういうことには常にいろんな参考書、学習、そういう単語帳が出てるわけですが、
ベーシックイングリッシュでは基本的に負担を減らすために、
使える単語を基本的に850に限りましょうということに、
大胆な語彙の簡略化を行なわないといけない。
これはしゃべれるんですかね、これで。
実際、しゃべれるというか、会話は十分できるみたいですね。
英語の名詞中心性
850語のうちさらに重要なのは、70%が名詞である。
非常に名詞中心の英語である。
例えば、恋人への告白として、英語ではI love youというのがあるわけですけど、
I love youはベーシックイングリッシュでは言えないわけですね。
動詞を使ってしまってるからっていう。
loveは基本的に名詞として登録されてて、動詞として使ってはいけないわけです。
そうするとベーシックイングリッシュでは何て言うかというと、
I have love for youっていう言い方になるんですが、
これはなんとなく言われても、あんまりピンとこないような気はしますね。
通用化だと思ってたんですけど、
これある意味規範化でものすごく制限されてる。
きつそうですね、これでしゃべるの。
そうですね、これでですね。
簡略化することは行われてるんですが、
その簡略化のために、かえって漢字絡みになっているので。
難しいですね、簡略化っていうのは。
語彙の簡略化って意外と難しいですね。
当初はかなり、例えばイギリスの第二次世界大戦中なんかは、
ウィストン・チャーチルとかアメリカの大統領のフランクリン・ローズベルトなんかは、
このベーシックイングリッシュは、今後英語が世界に広がっていく、
グローバル化していく中で非常に重要な役割を果たすというふうに期待はしてたみたいなんですが、
実際のところそれほど成功を収めてないのは、
簡略化というために、かえっていろんな規制があって使いにくいという、
そういったことがおそらくあったのではないかと。
理念としては賛同するけれども、現実的にはうまくいかなかったという感じなんですかね、結果的には。
標準化の潮流
なるほど、こういう試みがあったということですね。
もう一つの標準化の潮流についてお話しすると、
先ほど言ったように、旧植民地だったところでいろんな英語の編集が生まれていて、
そういう異なる英語編集を話す人たちのコミュニケーションを円滑にするために、
どういう英語にしたらいいかという標準化の試みもあったわけですね。
これは先ほど申し上げたように、基本的に英語を母語として話してる人か、
あるいは第二言語、公用語として話してる人を対象にした英語標準化ということですね。
一つ提案されているのがNuclear Englishということで核英語といいますが、
この核英語、核というのは原子核の核という字を書きますけども、
これを提案したのは英語学者で著名なランドル・フォークという比較者が提案して、
その方は英国とかアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで英語は母語として用いられているわけですが、
そこでの英語の編集を話す人たちのコミュニケーションがスムーズにいくために、
核英語っていうのを提案してるわけですね。
具体的にどんなものかっていうと、
例えばイギリスでは皆さんご存知の方も多いかと思いますが、
2週間のことをフォートナイト、フォーティーナイトが包まってフォートナイトっていう言い方をしますね。
僕はテニスが好きなので、ウィンブルドンのテニスを見たりとか、
イギリスで観戦したこともあるんですが、
ウィンブルドンが行われる6月から7月の2週間を英国ではウィンブルドンフォートナイトと呼んで、
ウィンブルドンの2週間と呼んで、英語でイギリスではわりとよく使われる表現なんですけども、
その他の演習では、フォートナイトはアメリカ人にとってわかりにくいし、あまり使わないので、
英語を母語あるいは第二言語として話している人の間で、
2週間ということをよりわかりやすく言うためには、単に2weeksという表現が提案されてるってことですね。
各英語の語彙の話をしましたけど、文法も少し簡略化が行われていて、
皆さん、深疑問文は中学の時代に勉強したこともあるんですね。
これは厄介なやつですね。
例えばHe knows youの場合だったらdoesn't heになるし、
I haven't seen you beforeだとhave Iになるし、
例えばおった先生にお聞きしますが、we ought to go thereの後は何になりますかね。
これビビる。oughtn't weなんてあるんですかね。使ったことないですし。
ないことはないみたいですが、shouldn't weとか、
非常にこの場合はネイティブにとってもいろんなバリエーションがあって難しくなるので、
実際に主語の認証とか、時制とか、本動詞が使われるとか助動詞が使われるとかによって、
この深疑問文は非常に難しいですね。
これはダメですね。
各英語ではこれを簡略化して、例えばすべてisn't that rightとか、
is that soっていうふうに、すべて統一してしまうっていう。
これはいいですね。非常に。広まってほしい感じですけれども。
各英語で重要なのは、クワークが提案してるわけなんですが、
それを継承してる人たちなんかは、
一応に各英語はナチュラルイングリッシュでなければいけない。
つまりネイティブスピーカーの話している自然な英語でなければいけないってことで、
アンイングリッシュ、英語的でない表現は許容されないってことなので、
標準化とは言ってますが、基本的には英語を母語として話している、
特に英米の英語に従ってくださいということなので、
先ほど通用化が20世紀以降の英語の強い特徴であるって言いましたけど、
各英語に関しては、統一化っていう、少し…
そんな含みが感じられますね。
英語の未来
この英米中心主義っていう形で、この考え方なんか、批判なんかもよくあると思うんですけどもね。
なるほど、そういうふうに位置づけることができるってことですね。
で、もう一つこの調理の中で提案されている標準英語があって、
クワークのお弟子さんであったDavid Crystalっていう著名な英語学者がいるんですが、
その人が提案したものは、
The World's Standard Spoken Englishっていうので、
世界標準語語英語っていうのを提案してるわけです。
これもですから、英語を主に母語、第二言語で話してる人がスムーズなコミュニケーションができるための英語として提案されてるわけですね。
で、このCrystalが主張してるのは、語彙に関してはやっぱり、
特定の英語編集の話者しかわからないような表現は避けましょうっていうことで、
例えばアメリカ人なんかは野球用語なんかを使ったりします。
野球っていうのはイギリスではまだまだ普及したスポーツとは言えないので、
そういう表現はやめましょうとか、
クリケットっていうのは今度は逆にイギリスでは知られてますが、
特にアメリカ大陸では知られてないので、
It's not cricketなんて言い方をしますけども、
それはこの場合のクリケットはフェアでないとか公平でないって意味で使われるんですが、
そんな表現もイギリス的なのであまり使わないようにしましょうっていうことを提案したりしてるわけですね。
なるほど、ちょっと癖の強い独自のものは国際的な場では使うのをやめておきましょうっていう。
これも理にかなってますね、確かに。
さらにクリスタルはもうちょっとクワークなんかよりはリベラルというか、
第二言語として使われてる英語に対して寛容であって、
第二言語の話者っていうのが圧倒的に多いので、
この世界標準口語英語の中にはおそらく第二言語の英語の特徴が取り込まれていくだろう。
具体的には例えばTHの発音なんかはやっぱり多くの第二言語として英語を話せる人、
もちろん外国語として話せる人も含めて難しいので、
そういうのはTHがTとかトゥとかドゥに置き換わっていく。
あるいは複数形なのに、例えば3personってことでSがつかないような形とか、
今度は逆に不加算名詞をファーニチャーズにするという、
そういうのも結構第二言語として英語を話されている地域ではよく見られる特徴なので、
これが多分世界標準口語英語に取り込まれていくんではないかっていう、
そういった見方をしているということですね。
これは英語の複数形研究者としてはかなり面白い状況がやってきているという。
ただ同じ師匠と弟子さんといってもだいぶ保守的、リベラル、違うんですね。向きがと言いますかね。
そのお人が活躍した時代がクリスタルの後なわけですから、
だいぶ社会的にリベラルな形になっているんではないかと思います。
およそ20世紀と21世紀の著名英語学者といってもいいのかもしれませんね。
なるほど。いろいろな形での標準化というか、20世紀以降も試みといいますかね、動きが見られるっていうことかと思うんですけれども。
これまでに寺沢先生がお書きになった第7章についてざっとご紹介いただいた形になるんですけれども、
この第7章には書いていない続きと言いますか、ポストスクリプトですね。
これ今後英語はどうなっていくのかであるとか、あるいは我々日本人英語学習者として標準化っていう問題をどう考えていけばいいのか、
付き合っていけばいいのかということなんですが、これについて先生どう考えられますかね。
まず英語は今後どうなっていくか、つまり英語の未来の姿、これはなかなか予想するのは難しいですが、
クリスタルが言っているような英語標準交互英語、世界標準交互英語のようなものは広がって可能性は少なからずあるのではないかというふうに思います。
例えば一つのイメージとして、今まででしたらイギリス英語を話してる人は、
自分の地域の方言と、比較的イギリスで標準的だと思われるものを使い分けてればよかったんですが、
このグローバルな時代になると、英語を第二言語、外国語として話す人とのコミュニケーションも必要になってくるわけで、
そういう場面では三つ目の英語の編集として、世界標準交互英語を使うということが求められていくということになるのではないかということですね。
そうすると、英語を使用するTPOというんですかね、それに従って三つぐらいの異なる英語方言ですかね、これをうまく使い分けていくのではないかというような。
複数の言語編集を使い分けるっていうのは、我々日本人でもごく普通に行っていることで、
私自身は比較的東京でずっと育ったので、そういう経験は残念ながらできないんですが、
地方で生まれ育った方ですと、自宅に戻ったときはそちらの方言を話して、
例えば東京の大学で友達と話すとき、公式の場では標準的な言葉を話すっていう、使い分けは皆さんしてるわけですよね。
ですから、二つ三つ使い分けるっていうのは、そんなにものすごい負担になるわけではないということですよね。
実際書き言葉なんていうのはまた一つの編集と考えられますし、そうすると一人で二つ三つ四つっていうのは割とあることなのかもしれませんね。
もう一つは、20世紀以降の英語の標準化を今まで述べてきたわけですが、
日本で我々は英語を学んだり教育に携わったりしてるわけですが、
その日本という文脈の中で英語標準化をどういうふうに捉えるかということですね。
一つ重要なのは、まず今まで述べた20世紀以降の英語の標準化っていうのは、
主に標準化の対象は話し言葉であるっていうことですね。
英語の標準化の歴史
特に20世紀以降の英語の標準化では簡略化・平明化が施行されていて、
クリスタルが述べている世界標準交互英語などでは、
母語話者以外の英語の特徴もどんどん取り込んでいこうという、
そういう寛容な視線が見られるってことですね。
したがってですから、これを受けて我々の日本における英語教育を考えると、
日本人の英会話は今まではたぶん、
英語のネイティブのレベルを目指してたっていう、ネイティブ信仰っていうんですか。
それがあったかと思うんですが、
ネイティブ信仰ではなく、話す英語に関しては寛容さがあるわけなので、
必ずしもネイティブと同じように話すってことを目指さなくてもよい、
っていうふうに考えてもいいのではないかって個人的には思うってことですね。
なるほど。
ただここで注意していただきたいのは、話し言葉において、英会話においてってことですね。
一方で書き言葉はどうかっていうと、
書き言葉ももちろん日本人にとって、世界にいろんなメッセージを伝えていく、
発信していく上でも貴重なツールということは言うまでもないですが、
ここで強調したいのは、公式の場で用いる書き言葉としての英語っていうのは、
やはり現在のところ、英米の正式な書き言葉が標準となっているってことですね。
ですから、そこから逸脱するような英文を書いた場合には、
その人に対する評価がもしかしたら低くなるとか、
そういう可能性もあるってことなので、
常に英語を学習する際は、話し言葉としての英語と、
書き言葉としての英語を分けて考える、あるいは教育するっていう、
そういう姿勢が必要になってくるような気がしますね。
やっぱり書き言葉と話し言葉っていうのは、メディアが異なっていて、
しかも目的が異なっているっていうところですかね。
ここを意識して、今書いているとき、今喋っているときはどちらが相応しいのかというような、
そういう発想かと思うんですけれども、標準化という今日のお話からすると、
書き言葉は割と伝統的保守的な、それこそ20世紀より前に定まったような、
書き言葉の規範というのに沿っておくのが無難だということですが、
一方、話し言葉はよりリベラルなと言いますか、
クリスタル風の世界標準交互英語的な、
世界の様々な英語の特徴を取り込んだ英語ということになじんでいくっていうのも一つの方向ではないかということですかね。
ネイティブ信仰と教育
あともう一つ、この本で触れることができなかったこととしては、
20世紀以降の標準化というのは基本的に通用化という特徴が強く見られるというふうに申し上げたんですが、
もう一つの重要な特徴として、20世紀の英語でも規範化の動きがかなり強く見られるということですね。
規範化というとどうしても18世紀の英語を我々は想像してしまう。
英語史では典型的な時代。
20世紀後半以降、多様性がもんじられるこの時代にあって、
英語という言語は規範化のホーペクトルも持っているということですね。
ああそうですか。
具体的には、例えば皆さんご存知の、
社会における今まで差別を受けてきた人々、マイノリティを含めて、
そういう人たちに対する言葉の使い、言語表現を差別的でないようにしていこうという動きが、
1980年代以降のアメリカを中心に、これはPolitical Correctnessという名前で呼ばれますが、
そういうふうな形で動きがあるわけですけども、
その中で例えば、手足の不自由な方を表すのに、
かつて英語ではcrippleという表現が使われたんですが、
これは今では差別的、オフェンシブと言いますけども、
侮辱的な表現として使うことはできないので、
例えばpeople with disabilitiesとか、
physically different peopleなどなど、
他の表現を使わなければいけない。
つまりある表現は使ってはいけない、そういうレッテルを張られて、
別の言葉を使わなければならないという。
なるほど、PCの運動っていうのは規範化だったんですね、一面から見ると。
そうですね、数少ない規範化の動きって成功したものと言いますよね。
ですからこの動きが結構、規範化の動きがある。
もう一つ規範化の動きとして重要なのは、
我々が英文を書くときとか、
皆さんが英語で作文するときに使われるワープロソフトで、
マイクロソフトワードとかありますけども、
そのワードの機能としてグラマーチェッカーっていうのが付いてますけども、
文法でおかしいっていうふうになると、
少し下に赤の線がついたりしますが、
例えば僕なんかが英語を書いたりすると、
関係代名詞でwhichっていうのを使うと必ず赤の線がついて、
下にthatっていうふうに言い換えをしたり。
あれうるさいですよね。
結局それはどういうことかっていうと、
アメリカ英語ではそういう場合にwhichよりもthatが好まれるっていうことなので、
マイクロソフトっていうのは当然アメリカで開発されたものなので、
デフォルトではアメリカ英語になってるわけですね。
なるほど、これアメリカ化って今マイクロソフトの陰謀みたいな。
そういう話ね。
寺沢先生にいろいろとお話を伺いましたけれども、
私はこの本の偏者の一人も務めさせていただいたんですけれども、
この本の面白いところは突っ込み合いっていうのがありまして、
他の著者がですね、例えば寺沢先生の書かれた第7章のキーワードであるとか、
そこに注をつけて、ドイツ語の観点からはこれについてこう言えるんですよとか、
日本語からはこうなんですよみたいな、それを対象言語史と呼んでいるアプローチなんですが、
これが実は面白くて、そしておそらく第7章、寺沢先生のお担当のところが一番突っ込みが多いですよ。
突っ込みどころが満載というところで、これはもちろんいい意味でということなんですが、
他の言語からも重ねて議論したいことが多いっていうことと、
その突っ込みに対して突っ込み返しっていうこともこの本では許されていて、
寺沢先生は非常に突っ込み返しを多く貢献していただきまして、
これを読んでいて面白いなと思って、私自身ももっと突っ込み返しすればよかったっていうふうに思ったんですけれども、
それぐらい他の言語の観点からも引っかかっていけるような話題が盛りだくさんだったということかと思うんですね。
まさに対象言語史の試みとしては、私第7章の寺沢先生の章っていうのが議論になっている、
みんなで議論している感じが一番したっていうところがあるんですね。
一方で、やはり英語にしかない現象って言いますか、例えば国際的な話っていうのはフランス語で多少あるとしても、
他の言語ではあまりないので比較できることがないであるとか、英語史のあるいは英語における標準化の特有の話題っていうんですかね。
浮き彫りになったりしています。
ですので、英語史に関心がある方は7章、それから6章ですし、
今後の英語学習
この寺沢先生は他の章にコメントしているっていうことですね。
私もそうなんですけども、そういう読み方ですね。
なので通読というよりは、むしろどなたかに注目してざっと読んでみるっていう、そういう読み方もできる本なのかなということで、
寺沢先生、作るのが難しいと言いますか、寄稿されるのも大変だった本に大変貢献していただきまして、ありがとうございます。
こちらこそ今日はこの本に寄稿させていただいたわけじゃなくて、このような機会を作っていただいてありがとうございました。
私もほとんど他の言語史っていうのはあまり知ることがなかったんですが、
やっぱり他の言語史のアプローチを知ることで大いに勉強になるということで、
新しいタイプの研究方法で、非常にプロミスイングなものだと思うので、多くの方に読んでいただければというふうに思います。
本日は寺沢先生貴重な時間をいただきまして、この放送の前に3段1時間ぐらい喋って、大変有意義な話をさせていただきまして、
いずれまたご参加いただけると、話にはことかかない、たくさんお話をお持ちかと思いますので、よろしくお願いできればと思います。
ありがとうございました。
はい、それでは青岳の寺沢研究室よりお届けしました。これで終了いたします。
対談いかがでしたでしょうか。寺沢先生に貴重な時間を割いていただきまして、英語の標準化に関するこれまでの歴史ですね、ざっと振り返っていただきつつ、
後半にはですね、非常に我々にとっても関係のある話題、20世紀、21世紀の英語の標準化、そして今後、我々英語の学習者としてあるいは教育者として、どのような点に気をつけてですね、英語を学んだり教えたりしていくべきなのかということについてですね、考えました。
これ、やはり英語の歴史、特に標準化の歴史というのを抑えていて初めて出てくる視点なんだと思うんですよね。その点では、この言語の標準化を考えるの中で、6章7章として寺沢先生、そして私が考えて論じた問題なんですが、改めて書き終わった。
そして本が出版された後でですね、こういう形で話し合うっていうのは、本当に最初の機会だったので、私自身が大変勉強になりました。非常に英語をめぐって論点多いですよね。
今、21世紀ですけれども、今後英語学習、英語教育がどうなっていくのかということにも大きな示唆を与えるような論点であるとか、話題が本当に多い分野なんですよ。この英語の標準化ということですね。これにフィーチャーした本ということで、5月に出版したわけなんですけれども、さあ、この本をめぐってこれまでもですね。
変者対談、比較してこのボイシーでも放送してきたんですけれども、今度の日曜日ですね。7月31日の日曜日です。午前11時から12時に改めて変者3人による対談、定談をこのボイシーで、今度は生放送で行います。
こちらの情報につきましては、このチャプターにURLを貼り付けておきますので、そちらから得ていただければと思いますが、改めてですね、英語の標準化も含めまして、今日の話を聞いていただけると、この日曜日の生放送の対談もより面白く聞けるかと思うんですね。
今度の変者は、それぞれ同一語、日本語、そして私、英語の歴史を専門とするものが集まってお話をしますけれども、そもそも言葉の標準化っていうのは何なのかっていうことであるとか、リスナーさんからいただいた質問に答えるような形でフリートークを展開したいと思っています。
そちらの生放送もお楽しみにしていただければと思います。
それでは本日、木曜日も皆様にとって良い一日となりますように、堀田隆一がお届けしました。また明日。