2026-02-09 22:36

【再】#569. 「やり切る」よりも「やり続ける」あるいは「ブレない」 ---

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に
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サマリー

本エピソードでは、「やり切る」ことよりも「やり続ける」ことや「ブレない」ことが重要であると論じられています。また、グリットやパシステンスの概念を通じて、目標設定とその達成に向けた持続的な努力の重要性が考察されています。特に「grit」という言葉を通じて、これらの概念の関連性が探られています。

やり続けることの重要性
英語史をお茶の間に、おもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。
本日は12月21日水曜日です。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする話題は、【やり切る】よりも【やり続ける】あるいは【ブレない】
グリットとパシスタンスです。どうぞよろしくお願いいたします。
本編に入る前に、新著のお知らせをさせてください。
京都大学の家入洋子先生と私、堀田の教授となる【文献学と英語史研究】という本が、来月2023年1月中旬に開拓者より発売されます。
英語史研究のガイドブックという趣旨の本です。
英語史を研究する方、あるいは研究を志す方に、過去40年ほどの研究の動向と今後の展望を整理して示すという、そういう本です。
やや専門性が高い書籍では確かにあるんですけれども、ぜひですね、この分野にいい関心をお持ちの方は手に取っていただければと思います。
【文献学と英語史研究】というタイトルです。開拓者より1月中旬に一般発売となります。
このチャプターに本章を紹介するヘログの記事へリンクを貼り付けておきますので、そちらもぜひご覧ください。
以上、お知らせでした。
今日はですね、Voicyの今週のトークテーマの一つに参加したいと思います。
そのテーマというのはですね、「やりきる力」という、こういうお題なんですけれども、このテーマで考えたことをお話ししたいと思います。
年末ということだからなんでしょうかね。このテーマ、「やりきる1年何をやりきりましたか?」のようなことが念頭にあるのかもしれませんし、
このやりきるっていろいろ表現ですけどね、考えたんですけれども、嫌なことだけれども引き受けてしまったからにはやりきるというような、そういう文脈で使われることももちろんありますし、
一方で割と積極的に自分からこれやるぞと決めたこと、例えば1年の抱負みたいなものですよね。
今年の元旦に立てた抱負とか計画みたいなものを1年間やりきりましたかとか、そういう意味合いでVoicyもお題を設定したのかなというふうに想像するわけなんですけれども、
はっきりした文脈が与えられないままにやりきるという、これだけで独立してですね、
グリットとパシスタンスの概念
お題をもらったとするとですね、何を思い浮かべるかというと、やりきるとかやり抜くという類義語がまず思い浮かぶんですね。やり抜く。
そしてやり抜くと言いますと、これはですね、数年前にビジネスショーでですね、話題になった本がありまして、
やり抜く力、グリッと人生のあらゆる成功を決める究極の能力を身につけるという本で調べましたら、これ2016年のことだったんですね。
これ書店にあったのを見てですね、私も買いまして、ビジネスショーですけれども、私、まあまあ読むので買って読んでみたんですよね。
その時は、なるほど、なるほどと言ってメモもいろいろ取ったと思うんですけれども、ビジネスショーの常でですね、ほとんど中身が残ってないんですね。
今でも何を覚えてるかなというと、やり抜くことが大事だよっていうことが書いてあったということぐらいしか覚えてないんですね。
具体的ないろいろノウハウとか、Tipsとかあったんでしょうけれどもね。今も本壇のどこか奥にですね、眠っているはずなんですけれども。
ただこの時に、これはですね、英語の本の翻訳だったんですね。
グリットというやり抜く力というふうに訳されている、こんな英単語があるんだということを初めて知ったんですよ。
それからグリットという表現ですね。意識しだしたということはありますが、やり抜く力、やり抜くという英単語を覚えたんですけれども、では中身は?というところではありますね。
いろいろ話していますけれども、今日の本題に戻りますと、やり切る力ということですね。
これを聞いたときに、私はやり切るとかやり抜くという発想よりもですね、もっと大事なのはおそらくやり続けるということなんではないかっていうふうに、
まずこのフレーズやり切るとか、あるいはそこから連想したやり抜くというこれを聞いてですね、連想したのは、
いやそうじゃなくて、多分やり続けるっていうことが大事なのかなというふうに思ったんですね。
これは先ほど述べたように、文脈がないでこの単語を切り取って何か喋ろうとすると、そういうことになってしまうというだけのことでですね、文脈が与えられればまた別なのかもしれないんですけれども、
やり切るとかやり抜くって終わりがあるんですよ。ゴールがあるんですね。
やり切るという複合動詞、これをですね、国語辞典で引いてみると多くの辞書がないんですね。やり切れないっていうのが出てきちゃうんですね。
やり切れないっていうとまた別じゃないですか、意味がね。我慢できない、耐えられないというようなことですよね。
そこで類義語のやり抜くの方を調べてみますと、こちらはですね、載っているものがあって、例えば甲子園第6版ですと、やり抜く、物事を終わりまでする、やり遂げる、やり通す、例文で最後までやり抜く覚悟というふうに、まあよくわかる語義ですよね。
語尺になっていると思うんですけれども、一般的な語幹としてやり切るとかやり抜くというのは、ゴールが決まっているっていうこと、そしてそのゴールに達するまでは諦めずにずっと続けるっていうことだと思うんですね。
これはこれでもちろん、とてもよくわかるって言いますか、意義があるし、物事をやり切ろう、やり抜こうというとですね、一つの道徳的なことをですね、言っている気がする、そんな感じにはなるわけなんですけれども、多くの場合、そのゴールっていうのはあくまで中間的なゴールなんではないかというふうに思うんですね。
中間的なゴールを定めて、それが終わったら次のゴールを設定してというふうに、どんどん前に前に進んでいくっていうことが、おそらく多くのケースなんではないかなと思うんです。
確かに、高校3年間の部活をやり抜くとかやり切るというふうに、次元的なもの、時間が決まっているものっていうのはあると思うんですよ。それはそれでとても大事で、ただですね、それがより大きな人生の目標ではなかったりすることが多いわけですよね。あくまでステップで。
そして次元が決まっているものって、やはり人生の中ではそれなりにあってですね、学校なんかはそうですし、さらに医者会議士になって勤めてもですね、定年退職っていうのがあるので、とりあえずそこがゴールになったりするわけです。
そしてもちろん究極的には人生の最後という、死というものがあって、そこはゴールって言い方もあれですけども、最終的にそこに到達することになっているわけなんで、そこをめがけてどんどん進んでいるっていうことではあるんですけれども。
これは私が属している世界と言いますか、職業のある意味特殊事情なのかなということもあるかもしれませんが、学問って終わらないんですね。私研究してるんですけれども、例えば今勤めている大学で定年退職の次元っていうのは決まっているわけですけれども、そこが来たからといって多分ですね、関心と言いますか、やっていることは止まらないんですね。
そして体とか頭が働かなくなってもできなくなるっていう自然の終わり方っていうのは十分にあり得ると思うんですけれども、そうでない限りはおそらくずっと続くんですね。つまり、完全な人生の終了まで続くんだろうなと思うので。
その究極の終わりというところを除くとですね、全てが途中経過というか途中のチェックポイントみたいな捉え方なので、やり切るとかやり抜くっていうのがふさわしいのは、多分人生の最後まで行った時というようなことなんですね。なので、あまり使わないというか考えない用語なんですよ。
やり抜くやり切るというのがですね。なので、やり続ける力というお題だとすごくスッと入ってきてですね、いろいろと話せそうだなと思うんですけれども、やり抜くやり切るっていう感覚があまりないと言いますかね。
常にやり続けるということなんだろうというふうに思うんですね。もしかしたら人生の最後にやり抜いたなとか、やり切ったなということを思うのかもしれませんが、そこが最初で最後の機会なのかもしれません。
語源と日常の価値
もちろんですね、1週間の特間工事的な仕事があったりして、やり抜いたみたいな表現、やり切ったみたいな表現はもちろんありますよ。ただ、やり切るやり抜くみたいなものを独立して提示されたときに思い浮かぶのってかなり大きい話で、私の連想ではということなんですけれども、そんな感じになるんですね。
それよりも日々日常的にやっていくことというか、割と大事にしていることは、やり続けるっていうことなんだろうと思うんですね。やり抜くやり切るためには当然、それに至るまでの過程でずっとやり続けてなければいけないので、そういうことを言ってるだけなのかなという気もしてきたんですけれどもね。
これ前にもボイシーでお話したかもしれないんですけれども、私旅行が好きでバックパッカーもやっていましたけれども、ある目的地を定めてそれに近づくとちょっと悲しくなるんですね。ゴールしちゃうと終わってしまうような気がして。なので、ゴールに着きそうになると、次の目的地、簡単にはたどり着けなさそうな目的地を設定するという癖があるんですね。
ついてしまうことによる喪失感って言いますかね。普通それついて満足だと考えそうなもんなんですが、喪失感が感じられてしまうというちょっと不幸な性格の持ち主なので、次を設定しちゃうというところがあるんですね。
なので、やり抜くというよりもやり続けるということに価値を感じるっていう、そういうタイプなんだろうと思います。
今日はボイシーのトークテーマに引きつける形でお話をするという、ある種制限のかかった中での話だったので、私自身の話に終始してしまいましたけれども、前のチャプターでは。
ですが、このチャンネルは英語の語源が身につくラジオということですので、何らかの形で英語の単語に引っ掛けて終わりたいということで、先ほどもちらっと述べましたが、gritという表現があるんですね。
gritと書いて、これがやり抜く力であるとか、根性とかですね。
そういうふうに訳されることがあるんですけれども、アメリカ英語の交互的な表現ということなんですね。
いくつか例文を辞書等から拾ってあげてみたいと思うんですけれども、例えば、
彼女の根性を称賛しなきゃね、というような言い方でしょうかね。
それから、いじめに立ち向かうというのは、本当のgrit、決意とか勇気を必要とするというような言い方ですね。
困難に対して決然として立ち向かう勇気とか根性、そんなようなことをですね、念頭に置いた交互的表現ということらしいんですね。
他に類義語としてはガッツというのもありますね。これは日本語にもガッツとあるので、だいぶわかりやすくなるんじゃないですかね。
やはりガッツとか根性とか決意とか強い意志というような、このあたりのですね、概念をひっくるめたような表現としてgritという交互があるということなんですね。
こちらの語源を調べてみますと、かなり新しい、といえば新しい表現なんです。交互で俗語ということですね。
アメリカの俗語で19世紀前半、1825年が初例というふうにOED調べるとなっているんですね。
定義としてはfirmness or solidarity of character, indomitable spirit or pluck, staminaなんていう表現があります。
もともとこのgritっていう単語は古くてですね、古英語からある単語なんですね。
どういう意味かっていうと、砂とか砂利とか歴ですね。
グリッドの意味と重要性
いわば細かい石の粒のことをgritというふうに言っていました。
古英語ではgraotという形だったんですけれども、これが縮まってgritとなってるんですね。
大元はインドヨーロッパ祖語に遡りましてgraeuという動詞語根に遡るということなんですね。
擦るとか引くってことですよね。
粉を引くみたいな砂とか石をですね、引いて細かくするというようなことが本来の語源的意味らしいんですね。
ここからgrit、砂、塵、このような意味が出ますし、他にはですね、例えばgrautsっていう単語があります。
grots、複数形で使うんですけれども、これが穀流、穀物の粒ですね。やはり引いたような小さな粒のことを指します。
他にはですね、grautっていう単語もありますね。
grautという発音で、粗粉、引き割りっていうことですね。
やっぱり引いてですね、細かくしたものっていうのが基本的な語彙にあるっていうことです。
そしてですね、最も重要なのは実はgreatっていう単語です。
g-r-e-a-t、偉大なとか大きなという非常に頻度の高いあのgreatをですね、
引いた結果、粒が粗いっていうことから粗い、大きいという意味になって、現在のgreatの意味にどうも発展したっていうことで、
この辺りからこの重要な単語greatも生まれているっていうことですね。
なかなか重要な語魂ということになります。
さて、このgreatに話を戻しますけれども、砂とか塵とか小さな歴ですよね。
石のことを指したわけなんですが、これがどうしてですね、19世紀のアメリカで、
これスラングですから、どういう比喩、連想でそういう意味になったのかっていうのはですね、本当に想像するより他ないんですけれども、
初期の使い方はですね、clear gritみたいな言い方をしてるんですね。
clear gritということで、明白なとか綺麗なということなのかもしれませんが、
砂の粒ですね、おそらくこれ私の考えなんですけれども、石、岩を引いてですね、あるいは擦ってどんどん小さくしたときに最後に残る角みたいな部分、
これがですね、clear gritのように呼ばれたのではないかと。
どうしてもこれ以上は引けない、あるいは擦れない、擦っても落ちないというような角、芯の部分ということで芯があるというような表現ですね。
ぶれない、そしてそれだけぶれない意思を持っている人っていうのはですね、
何に対しても継続力がある、やり抜く力があるっていうような、そんな連想というか意味のつながりなんではないかというふうに想像はしています。
これがアメリカ英語の口語ではgritというですね、日本語に訳せばやり抜く力であるとか根性であるとかそんなふうになると思うんですが、
もうちょっと口語でない標準的な英語で言うと、じゃあ何になるのかなと言うとおそらくパシスタンスくらいかなと思いますね。
もうちょっと強くなるとperseveranceということになりますが、持続力とかしつこさとかそういうことになります。
とても重要な力だと思うんですよね。
ただgritと言ったほうがやはりですね、この口語的な響きもあるということで根性っていう日本語となかなか相性がいいのかなと、そんな感じはしているんですけれどもいかがでしょうかね。
やり続ける力の意義
昨今ですね、根性論というのはあまり流行らなくて、合理的にいいものを進めるものを考えるということが尊ばれるようになっているというそういう風潮はあると思うんですね。
根性論は確かに良くないこともかなり多いと思うんですね。根性論っていうのは何でもかんでも合理的なところではなくて、意思の力、我慢する力なんだということで押し通す、そういう議論主義ということかと思うんですね。
確かにいろいろと弊害の多い考え方主義だとは思うんですけれども、それはですね、根性論で何でも押し通すのがおそらく間違いなんであって、根性っていうのはやはりですね、ものによっては必要だということ、これを否定するものではないだろうと考えています。
実際何か成し遂げるにはやっぱり根性って絶対に必要だと思うんですよね。グリッドであるとかパシスタンスと今日述べてきたものなんですけれども、それで全て押し通すというのは理にかなわない。この辺りは大変同意するんですけれども、ある目標、特定の目標に対してはやっぱりどうしても必要なものがグリッドでありガッツでありパシスタンス。
あるいは日本語で根性とか持続力とか今日のトークテーマであるやり抜く力やり切る力あるいはやり続ける力というものだと思うんですね。
ですので私は根性論の問題点は分かっていますけれども、根性それ自体は否定しないっていう考え方をしています。
このボイシーも初めて1年半になりますが、これ続けられているのは明らかにこのグリッドのおかげです。根性論で動いているわけではないんですけれども、根性は入っていると思います。
今思ったんですけどボイシーは年末にこういうことを言わせたいんですかね、パーソナリティーになんて思ってきたんですけれども、今日はそんなところで終わりたいと思います。ありがとうございました。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日はボイシーのトークテーマに乗る形でやり切る力というお題でお話しさせていただきました。
結局ですね、やり切るよりもやり続けるとかブレないということ。これが大事なのかなということで、これを表すズバリのアメリカ英語の口語がグリッドという表現。
あるいはより一般的な普通の用語で言うと長くなりますがパシスタンスということなのかなと思っています。しつこさというふうに訳してもいい力かもしれません。
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さらにボイシーには差し入れの機能、いわば投げ銭の機能ですね。そちらも用意されておりまして、いただく機会も少しずつ増えてまいりました。ありがとうございます。
静かに歓迎しております。
それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、ほったりういちがお届けしました。また明日。
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