2026-02-15 22:07

【再】#575. 英語諺辞典を A から読み始めています!

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に
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サマリー

本放送では、年末年始のインプットとして英語のことわざ辞典をAから読み始めるという試みが紹介されます。ことわざの歴史的背景や、時代による受容の変化、そして疑問詞「who」の発音に関するリスナーからの質問とその解説も含まれています。

新刊のお知らせと年末年始のインプット計画
英語の語源が身につくラジオ heldio。 英語史をお茶の間におもとに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。
本日は12月27日、火曜日です。 いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする話題は、ボイシーの今週のトークテーマの一つに参加しようと思います。
それはですね、年末年始のインプットというお題です。 これに乗る形で、
今日は、英語ことわざ辞典をAから読み始めています、です。 どうぞよろしくお願いいたします。
本題に入る前に、新著のお知らせをさせてください。 京都大学の家入洋子先生と、私堀田隆一とで教授として執筆しました。
文献学と英語史研究という本が、 新年、来月ですね、1月中旬に開拓者より出る予定になっています。
英語史研究のガイドブックという内容の本です。 英語史そのものの入門というよりは、英語史研究の入門、必ずしも研究の入門という感じじゃないですかね。
ガイドブック、参考書という風な趣旨なんですけれども、英語の歴史を研究している方、あるいはこれから研究したいなと思っている方にですね、
過去40年ほど、1980年代からの英語史研究の動向、 これを振り返って説明してですね、
その上で今後の英語史研究の展望も示すという趣旨の本となっています。
というと一般的な内容なのかなと思われるかもしれませんが、各章はですね、
音韻論とか形態論、統合論といった伝統的な区分に従って、それなりに細かくですね、一つ一つ参考文献を付しながら、
具体的な英語史上の問題に深く分け入っていくためのですね、様々な情報が載っているという、そういうレファレンス的な使い方もできると思いますので、
研究テーマを探している方であるとか、あるいはすでに研究テーマはおよそ決めたけれども、もっと専門的な参考文献を知りたいというような方にもお勧めとなっています。
この40年ほどの英語史研究の動向といいますと、いろいろあるんですけれども、一番大きかったのはやはりですね、技術的にITCE 技術の発展によってコーパスという道具が英語史研究で使えるようになったということが何よりも大きいかと思います。
実際このあたりはですね、1章2章あたりで、かなり突っ込んで詳しく議論していますので、このあたり関心がある方はですね、面白く読んでいただけるのではないかと思っています。
ということで、文献学と英語史研究開拓者より1月中旬に一般発売となります。
Amazon では1月12日から販売ということで予約できるようにすでになっています。
このチャプターに本章を紹介するヘログ記事へのリンクを貼り付けておきますので、そちらからぜひご覧ください。
以上お知らせでした。
英語ことわざ辞典を読み始める理由とことわざの歴史
今週のVoicyのトークテーマの一つ、年末年始のインプットというお題が与えられまして、今日はそれに参加する形でですね、英語ことわざ辞典をAから読み始めていますと題してお話しします。
年末年始、少しまとまった時間が取れるという方が多いわけで、そして
つんどくしていた本をですね、ちゃんと読んでみようと、そういうふうに思い立つ方も多いんではないかと思います。
私もできればそういうことをしたいんですね。
ただですね、この年末年始もそれほどゆっくりとしていられない事情があったりしてですね、実際年から年中ゆっくりと本を読む機会っていうのは本当に少なくなってきてですね、
長編を読むということは機会減りましたね、減りましたし、長編でなくてもですね、本を読むのが本来仕事なわけなんですけれども、それでもどうもですね、他の仕事に傍作されて、なかなか本に手が届かないというようなこともあったりするわけです。
この年末年始もですね、つんどくを片付けたいという気持ちは山々なんですけれども、なかなかそうもいかないかもしれないということで、作戦を変えてですね、小刻みに読める本、これをですね、少しずつ読んでいくということを考えてですね、そこで辞典を読もうと思い立ちました。
何の辞典がいいかということで、普通のですね、辞書、ディクショナリーというのも、もちろんこれはこれで面白いんですけれども、もう少しですね、読み応えのあると言いますかね、内容もあって面白いだろうということで、これは前々からアイディアとしてはあったんですけれども、英語のことわざ辞典をAから順に読んでいくっていうことを小刻みにやっていこうと。
もちろん、この年末年始に読み終えるということは全く考えていませんで、これからですね、何ヶ月か何年かちょっとわからないんですけれども、少しずつ読み進めていこうかなと思っています。
このヘルディオでもことわざの話って何回か取り上げてきているんですね。
実はことわざというのは英語史とですね、神話性があるんです。
というのはことわざって古いものが多いですよね。
ですので、場合によっては古英語から連綿と唱え続けられてきたことわざっていうのもありますし、あるいは中英語とか近代英語、さらには現代になってからですね、作られて受け継がれてきたっていうことわざもあります。
それから外から入ってきたもの、主にラテン語、ギリシャ語とかフランス語辺りから入ってくるものが多いと思われるんですが。
短くて人生の知恵が詰まっているというものですよね。
そして古い語法が残っていることが多いというので、英語史にも関連するし、読んでいて人生の知恵、教訓をも得られるということなので、きっと面白いんではないかと。
そこで様々な英語のことわざの辞書ってあるんですけれども、私が手に取ったのはというか手元にたまたまあったからということなんですが。
Oxford Dictionary of Proverbsというペーパーバック版でですね、第6版、決して新しいものではないと思います。
前から本棚に置いてあったようなもので、必ずしも最新版を読む必要もないという、そういう趣旨、目的ですので、まずは手元にあったものですね。
このオックスフォードのことわざ辞典、こちらを読み始めていこうと思っています。
というかもう少し読み始めたんですけれども、ですのでこれからですね、ヘルディオであるとか、ヘログブログの方でもですね、たまにことわざについて取り上げたりするということもあるんではないかと、これまでより増えるんじゃないかなという気がしているんですけれどもね。
ということで、この年末年始は小刻みにことわざ辞典、英語のことわざ辞典を読み進めていくということに決めたというお知らせなんですけれども、これだけだと本当にお知らせで終わってしまいますので、英語のことわざの歴史と言いますか、英語のことわざがいかに英語社会で受容されてきたか、その歴史を簡単に振り返ってみたいと思うんですね。
ことわざの受容史:古英語から18世紀まで
まず英語であるとか英語社会に全く限らずことわざというのは、どの言語社会にでもですね、古くから存在して新たに作り出され、知恵としてその社会の中で共有され、受け継がれていくということですね。
この点では古今東西、変わりがないわけなんですけれども、英語の場合で言いますと、最古の英語ことわざ集はですね、古英語末期に書かれています。宗教的道徳的な教訓を集めたものなんですけれども、Proverbsof Alfred、アルフレッドのことわざ集というもので、1150年から80年ぐらい、古英語の最末期ですね。
時代区分の括り方によると、もう中英語の始めというようなタイミングなんですけれども、これが当時の写本で保存されているっていうことですね。
それ以降、中英語期を通じて、そして次の初期近代英語期くらいまでですね、17世紀くらいまでは、ことわざっていうのは非常に遠飛ばれていたんですね。議論などで用いられて、いわば議論をバックアップする、サポートするための一つの賢い知恵としての役割を担っていたっていうことです。
議論というのは、物事の筋道であるとか理屈ということと結びつけられることが多いと思いますが、中世の議論などではですね、むしろ理屈もあるわけなんですけれども、一方でそれまで人類がと言いますか、その社会で培われてきた育まれてきたことわざというのが論拠となったんですね。
それぐらい非常に議論の場、弁論の場では遠飛ばれていたっていうことなんです。
実際ですね、16、7世紀の初期近代英語期くらいはですね、ことわざはいわば、優弁術の花、文学の花というような存在だったんですね。
ジョン・ヘイウォッドという人がですね、1546年にことわざで議局を表したということもありますし、16世紀の下院議会ではことわざによる演説もなされたほどなんですね。
ところが18世紀になるとですね、ことわざはクリセイディアル、特に知識人の間ではあまりに使い古された表現、つまりチープな表現として軽蔑されるほどになったんです。
グッと地位が落ちたんですね。そのあたりの様子をよく伝えるのはジョナサン・スイフトです。ガリバー旅行記を書いた17世紀後半、そして18世紀にかけて活躍したスイフトがですね、かなり的厳しくことわざというのをこきおろしているんですね。
言葉を飾る豊かな話し方、カンファセーション、会話というのがある一方で、その対極にことわざがある。この2つをはっきり分けなければならないというふうに言ってるんですね。
そして知的な会話からはですね、ことわざを排除してしまおうということを提案しているほどなんです。それぐらい当時はことわざはチープなもの、クリセイとして取り扱われたということなんですね。
これは英文学史でも英語史でも18世紀というのはですね、理性の時代、age of reasonと言われたことと関係すると思うんですね。
理知的なもの、もう少し議論っぽいものです。今風の議論っぽいものこそがとうとばれて、古くからのいにしえの知恵というもの、これはですね、議論にはならない、議論の道具にはならないというような考え方が出てきたということです。
さらに、相反する意味の教訓、これがことわざに乗っかったものっていうのがありますね。
例えば、absence makes the heart grow fonder。
absence、不在ですね。人がいないと、その人のことをますます好きになってしまうということわざが一方であり、そして他方には、out of sight, out of mind。見えなくなれば、いなくなれば、心から離れてしまうという。
このように相反する、矛盾するものが同じことわざとして取り上げられてるっていうのは、やはり理知的でないっていう、そのような発想が働いたんだと思います。
ただ、18世紀以降にことわざの地位が落ちたといっても、それはあくまで文学であるとか知的な会話の中で落ちたということで、英語の歴史を通じて一般民衆の口には常に昇ってきたし、愛され唱えられてきたということ、これは間違いないことだと思います。
リスナーからのコメントと質問への回答
コメント返しとリスナーさんからの質問に答えるコーナーです。
まずはですね、573回のノウエルのコメント返しの回に、後藤のみしおさんがコメントをくださいました。
フランス語の分野でも、実用重視の語学教育に疑問を呈する先生がおられておった先生も心強いのでは、ここ数日のコンテンツで50年ほど前の英語教育大論争を思い出しました。
かっこ知ったのは数年前。保守派の重鎮渡辺正一氏の登場などもあり、お蔵入りしたようですが、今でも色褪せない平泉渡る氏の論に魅了されたことを覚えています。
あれから50年、そろそろ飢餓ということでですね。
はい。英語教育の大論争ですね。平泉渡辺大論争に触れていただきましたが、この渡辺正一先生というのは上士大学の名誉教授でですね、何年か前にお亡くなりになりましたが、専門は英語史なんですね。
英語史の本もたくさん書かれているということで、私自身ですので、同分野なんですね。
もちろんご存知の通り、途中からはですね、この英語史の研究というよりも、別のところでますます活躍、活動をされるようになったということなんですけれども、この大激論、大論争っていうのがかつてありましたね。
渡辺先生、書くことはですね、かなり激しいわけなんですけれども、実際に講演などでお見かけしますと、山形弁バリバリでですね、何とも聞いていて面白いっていう、そういう住人の先生だったと思います。
語学が実用化、教養化っていうのは、本当に何遍も繰り返し現れてきた議論でですね、今に始まったわけではないとはいえ、やはり繰り返されるということは、多くの人がですね、関心を持つ永遠のテーマということなのかもしれません。
【佐藤】後藤のみしおさん、コメントありがとうございました。
そしてリスナーのわらしべさんより一つ、英語に関する疑問をいただいています。
質問させていただきます。
疑問詞、what, when, where, whoのうち、whoだけが、うーのように、hなしで発音されるっていうことがあります。
これは、whoが他の疑問詞よりも短い語だからでしょうか。
これは趣旨としましては、what, when, where、hが頭についた発音上ですね、whatという発音と、hがないwhatというふうに、hが頭についたバージョンとつかないバージョンの2通りの発音が可能です。
ですが、whoに関しては、hがある発音しかないのはなぜですか。つまり、うーという、hのない、母音でいきなり始まる発音がないのはなぜですかと、そういう質問かと思います。
これはですね、おそらくかつての放送会で253回なんですけれども、なぜwhoはこの綴り字でwhoと読むのかという回、こちらを聞いていただくと、だいぶ解消する問題なんではないかと思うんですね。
このチャプターにリンクを貼っておきますので、ぜひその253回も聞いていただければと思うんですけれども。
疑問詞はですね、小英語の時代にはすべてhで始まるっていうのが基本だったんですね。ですから、what、when、where、who areなんて言ったんですね。この最後のwhoというものがwhoになっていくものなんですが、すべてですね、whoという詩音が頭にあったんです。
つまり音で言うと、hwのような発音記号で書くのがふさわしい、そういう発音だったんですね。綴り字は今ではむしろひっくり返ってwhなんですけれども、発音としてはですね、hwだったんです。
そして、このhwという繋がりが近代になってですね、この詩音連鎖、hとwという2つの詩音が続く場合には、hが脱落していく、つまり次にwが来る場合には、hが消えていくという変化が起こったんですね。
ですので、今多くの英語社会ではwhatのようにwで始まるかのような音になっています。古い発音としてのhのある発音、whatというのも同時並行的に続いてはいますけれども、基本的にはwだけの発音なんですね。
これは、hwというもともとの繋がりからですね、hが脱落するという音の変化が起こったためです。ところがですね、whoに関しては、小英語でふわーと言ったんですけれども、続く母音が変化した都合でですね、wの方が消えてしまうということが起こったんですね。
つまり、hwという繋がりだったのが、hが消えるのではなく、wの方が消えてしまうという特別な音環境にあったんです。すると、hの後に直接母音が来るということになりますね。他の疑問詩は、hの後にwが来て母音っていうことなんですが、whoに関しては、h母音というふうに音の環境が違うんですね。
音の環境が違うと、一方の環境ではある発音変化が起こるんだけれども、他方では起こらないみたいな条件分岐みたいなものがありまして、先ほど述べたように、hwで始まる語群は、のきなみそのhを脱落させたということなんです。
ですが、whoに関しては、h母音という繋がりですから、ここではhの脱落っていうのが起こらなかったんですね。このように音の変化っていうのは環境を選ぶっていう特徴がしばしば見られまして、これがまさに起こったのが疑問詩という語群だということになります。
ということで、簡略版の回答ではありましたが、お答えしました。リンクを貼った過去の放送会、ぜひ聞いてみてください。
村瀬さん、ご質問ありがとうございました。
エンディング
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
ボイシーのトークテーマに乗る形で、年末年始のインプットをお話ししてみた次第です。
皆さんの年末年始のインプットの予定はいかがでしょうか。もうすでに長編を読み始めているとかですね、いろいろつんどくを片付け始めているとか、いろいろな方がいるのではないかと思いますが、本当にじっくり本を読んでみたくなるっていう、そういう季節ですよね。
皆さんも素敵なインプットライフを過ごしてください。
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、あなたからのご質問、ご意見、ご感想をお待ちしています。ボイシーのコメント機能を通じてお寄せいただけますと嬉しいです。
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それでは今日も皆さんにとって良い一日になりますように。ほったりうちがお届けしました。また明日。
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