2025-09-29 17:07

#436. 英語史の始まりの瞬間から英語はすでに多様だった

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #英語変種
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サマリー

英語の歴史は5世紀に始まり、当初から多様性を持っていました。アングル人、サクソン人、ジュート人などの異なる部族がそれぞれの方言を持ってブリテン島に移住し、英語の多様性の基盤を築きます。英語は歴史的に常に多様であり、21世紀においてもその傾向は変わらないと考えられています。また、英語に対する認識や期待が変わる可能性についても触れられています。

英語の歴史の始まり
おはようございます。英語の語源が身につくラジオヘルディオのパーソナリティ、そして英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。
8月10日、水曜日です。 今日の話題は、昨日、おとといの話からですね、関連しているんですけれども、
さまざまな英語が、今ですね、世界中で聞かれるわけですけれども、この種は一つではなかったということですね。
これが、おとといの放送ということで、434回、意外と知られていない世界中の英語の種違いということでお話ししました。
そして昨日、それを受けてですね、435回、世界小英語の種、米、カ、ゴ、シン、インということで、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドの英語の種がそれぞれ異なっていたという話をしたんですね。
この2日間の放送を受けて、さらにですね、今日、それを受けて、英語史の始まりの瞬間から英語はすでに多様だったという、つまり英語史のスタートからして複数の種が巻かれていたということなんですね。
じゃあその大元は、とか、さらにその大元はというと、キリがないわけなんですけれども、少なくとも5世紀、紀元5世紀の英語史の始まりから、もうすでに英語は多様だったという話なんです。
つまり、今の現在の世界英語という問題ですね、World Englishesの問題にも光を当てる1500年とか、それ以上前の話、当時からもうすでに多様だったんだ。つまり英語は歴史を通じてずっと多様であり続けたんだということを主張する回ということになります。どうぞよろしくお願いいたします。
昨日の放送ではですね、アメリカ英語とかカナダ英語、オーストラリア、ニュージーランド、そしてインド英語の種は一つの種ではなかった。つまり一般的には想像しやすいですね、イギリス標準英語、これが世界に巻かれて、その土地土地で多少発展して変化しただろうけれども、というような、そういうですね、イメージを抱いていた人っていうのも多いと思います。
実は、巻かれた種そのものがイギリス標準英語ではなかったっていうケースが多いんですね。イギリス標準英語だったっていうケースもあります。ただ、それも含めて他に地域方言、例えばスコットランド英語だったりアイルランド英語だったり、これが種となって巻かれた海外の植民地ですね。
巻かれたということもありますし、同じ、例えばロンドンの標準英語と結びつけられるロンドンという大都会ですけれども、そこでも縦方向の方言というのがあって、いわゆる社会方言です。例えば労働者階級の方言というのはエリート階級の方言とは全く違うんですね。いわゆるコックニーと呼ばれる労働者階級のロンドン英語ですけれども、これがベースとなった方言というのは、
例えばオーストラリア英語なんかはこの辺りが中心となっているというふうに考えられています。つまり、スタートからですね、巻かれていた種が違うんだというのが昨日の放送だったわけなんですが、今日はですね、さらに時代を遡って、いわゆる英語の歴史のスタートと呼ばれる5世紀、これ文献も残ってないぐらいの時代なんですけれども、
この英語史の始まりの瞬間から、実は英語は多様だったんだ、異なる種が複数の種が巻かれていたんだということを示したいと思うんですね。英語の歴史は伝統的には449年に始まるっていうふうにされています。
これはですね、中場伝説、中場本土ということらしいんですけれども、この449年という年に大陸にいたニシゲルマンの諸部族、これはお互い兄弟関係、いとこ関係の部族ですね。アングル人、サクソン人、ジュート人というふうに言われていますが、プラスフランク人とかフリジア人とか、その辺りも混じっていたんではないかと考えられています。
いずれにせよ、みんな仲間です。仲間とはいえ、それぞれ言葉はですね、すでに大陸の時代から方言はあって、ちょこっとずつ違うなっていう、お互いおそらく通じた程度ですけれども、違うなっていう感覚はあったと思うんですね。
その諸部族が、いわば結託してブリテン島に攻め入ったんですね。これが5世紀半ばということです。当時のブリテン島はローマ帝国の族国だったんですけれども、そして先住民のケルト人もですね、その族国としての賃に甘んじてローマの支配を受けていたんですけれども、ローマが撤退し、そしてケルト部族が対立していたっていう時代です。
そこに、この混乱ですね、ブリテン島内で起こっていた混乱に目をつけたゲルマン人が、いわばですね、そこに殴り込みをかけたということなんですね。
結果としてケルト人を一掃し、ゲルマンの国、島になったという、そんな戦なんですけれども、その本格的な信仰征服のスタートが449年だったというふうに伝説的に語られています。
実際にはですね、その同じ5世紀の前半ぐらいからゲルマン人はこの島に渡って、徐々に渡っていたらしいわけなんですが、まあ象徴的な意味でですね、5世紀半ば449年ということで英語がこの西ゲルマンの一人とともに持ち込まれたんで、英語史の始まりとしているわけなんです。
ただ、その時に持ち込まれた英語というのも一様であったわけではなくて、アングル人、サクソン人、ジュート人、少なくともこの3部族は関わっていたんですが、それぞれ異なる英語方言を喋ってたんですね。
英語の多様性の確認
そしてジュート人はイングランドの南東部ですね。ケント州であるとか、あるいは今のワイト島と呼ばれているところ、ここを植民したっていうことですね。征服して住み着いたっていうことです。そしてサクソン人はイングランドの全体的に南部ですね。
に陣取った。そしてアングル人はイングランドの東部とか北部に陣取ったということなんです。それぞれつまりですね、故郷の大陸内での位置関係とゆるく対応する形でですね、イギリスのブリテン島内に移ったと。そして別々に暮らしたということなんです。
その後、実際に文献が現れる7世紀末ですね。700年ぐらいまではどういう言語状態だったのか。ブリテン島はですね、同じ英語といってもそこにジュート族の方言の英語、それからサクソン族の英語、それからアングル人ですね。
アングル族の英語というふうに、それぞれ生った英語がおそらく各地で話されていただろうと思われるんですが、その後の200数十年とか300年ぐらい何が起こったかっていうことは文献上はっきりと残っているわけではありません。
ですので、その後ですね、蓋を開けてみると、古英語ですね。700年以降に文献が現れてくるんですが、そこで確認できる古英語の形はやっぱり方言化した状態で各地からですね、少しずつ生った方言が出てきてるんですよ。
それが449年とかそれぐらいの時期に、アングル人、サクソン人、ジュート人というそれぞれ異なった英語方言を携えた人々がブリテン島にやってきて、そして根付いたわけですが、そのままの方言区分の形で300年後もですね、現れたのか。
それともこの暗黒の300年の間に、実はかき混ぜられて、1回そのもともとのアングロ、サクソン、ジュートっていうような3つの方言区分っていうのはご破産になった上で、改めて地域性が出たのかっていうのは、これはよくわからないところはあるんですが、とにかく700年ぐらいに蓋を開けたら、もう既に様々な方言が古英語の段階であったんですよ。
その前の時代との関連っていうのはですから、なかなか分かりかねるところもあるんですけれども、とにかく英語の歴史の始まりから既に多様だったっていうことがポイントですね。
それ以降、その700年で多様な姿で初めて文献上姿を表すんですが、それ以降、今の今まで英語というのは1つの方言って言いますかね、標準的なものにまとまったという歴史はありません。
標準語っていうのは確かにできましたけれども、標準語がある一方で常に地方の方言とか階級方言っていうのが存在し続けて今に至るっていう意味では、常にですから多様だったっていうこと、これはもう間違いないんですね。英語は歴史上スタートからそして現在に至るまでずっと多様であり続けていたっていうのがこれが事実です。
そしてこの事実が非常に重いと言いますか、重要なのは今ですね、21世紀の今、英語は世界的な言語である。なので標準的な英語っていうものを1つ定めて、それに向かってみんな学習してですね、それを世界の共通語とするっていうことが大事だ。
その背後にしかし様々な英語が現れてきている。イギリス英語、アメリカ英語が違うっていうのは当然のことながら、昨日話しましたが、カナダ英語とかニュージーランド英語、オーストラリア英語、インド英語、他にですね、ナイジェリア英語とかシンガポール英語、無数の英語ができてきている。
英語の多様性
つまり1つの言語に定まるべき時代にですね、どんどん英語がバラバラになっていっている。これはどういうことなのかというようなですね、問題意識があって、World English is 世界英語、世界諸英語という問題が都民に注目され、そして話題になってきているんですね。これ昨今です。
ですが、この英語の歴史を見ますと、こういうふうに考えられるんですね。
現代の問題意識は英語は世界標準語となるべき存在で、その有力語法なのにも関わらず、様々なお互いに理解できないくらいの諸英語に分散されてきているということですね。
英語は標準一つ持つべきだ。しかし実態は多様だというふうに語られることが多いんですが、この命題の前半部分、英語は標準の一つがあるべきだ。これは一つの考え方だと思いますね。あり得ると思います。
ですが、後半の英語はしかし多様なんだっていうのは、これ今21世紀に限った話ではないっていうことなんですね。改めて述べますけれども、21世紀、英語が世界標準語の役割を担うべきだという考え方は非常に広くあるだろうと思います。
これに反対する人もいるかもしれませんが、一つ大きな要求として、これは世界中にあるというような事実です。一方で、それなのに英語はちりじりに様々な形、多様な形で存在してしまっているという、こういう嘆き方があったりするんですけれども、前半部分は確かにこれ20世紀、21世紀的な現象です。
今こそ世界で通用する一つの言葉が欲しいという要求は、世界中、地球上に確かに存在していますね。ここは分かります。ですが、後半部分、それなのに英語はちりじりになっているという部分なんですが、実はこれは歴史的に見ると21世紀のみの現象ではなくて、英語の歴史のスタートから英語はちりじりって言いますか、多様なんです。
ここは事実として、昔から今まで何にも変わっていないということ。ここは抑えておく必要があると思うんですね。
英語が一つの標準に収まってほしい、この時代にちりじりになっているのは悲しいというのは、分からないでもないんですが、後半部分の英語はちりじりになっているっていうのは、別に21世紀に限らずとも常にそうだったということです。
これを悲しむというような言い方、言説があるとしたら、これは21世紀特有の言い方、悲しみ方ということになります。事実としては常に多様であったということ。これを抑えると、やはり現在の英語に対する見方とか英語に求めることというのも変わってくるかもしれません。
少なくともそれに対する英語に対する見方っていうのは、やはり変わってくるんだろうと思います。やはり歴史的な事実っていうのをしっかり抑えた上で、現代の英語論というのを議論する必要があるんではないかと思います。
昔から今まで英語は一枚岩になったことが一度もない。これは完全に言い切りたいと思いますけれども、このような歴史を背負った英語を今、我々21世紀どういうふうに扱うかというふうに議論している。そういうことなんだと思うんですね。
さて、3日連続で様々な英語の種みたいな話をずっとしてきたことになります。リスナーの皆さんからの質問をいただきまして、このような3日連続の展開になったんですが、実はこれ今、朝日カルチャーセンター新宿教室で行っているシリーズはこの話題なんですね。
なので、やや熱くなってこの3日間お話ししたという次第なんですけれども、今後もこの朝日カルチャーセンターの講座シリーズはもう2回続きます。1回は次の第3回になるんですが、これは10月1日に開講することになっています。
またお知らせいたしますが、関心ある方は、ぜひ情報を追っかけていただければと思います。さて、今日もリスナーさんからの質問を受けて、それに触発されてお話ししたんですけれども、この番組は基本的にそういうふうに運営しているといいますか、常にネタがない状態です。
なので、皆さんからお寄せいただいているということなんですね。このチャンネルは英語の語源が身につくラジオヘルディオということで運営していますけれども、いつでもご意見、ご感想、ご質問をお受けしています。
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それでは、8月10日水曜日ということですけれども、本日も皆さんにとりまして良い1日になりますように。ほったりゅう1がお届けしました。ではまた明日。
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