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2025-04-04 07:28

hellog-radio #30. なぜ仮定法If I WERE a bird?

#英語史 #英語学習 #英語教育 #仮定法 #動詞形
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サマリー

仮定法における「If I were a bird」の使用について、言語の歴史や文法の背景を探っている。特に、古英語から現代英語にかけての動詞の活用の変遷と、仮定法の特異性に焦点を当てている。

仮定法の基本概念
英語に関する素朴な疑問。 なぜ仮定法ではIf I WERE a birdのようにWEREを使うのですか。
この問題もよく質問されるんですけれども、まずそもそも、いわゆる仮定法、仮定法過去ですね。
非現実の仮定を表すのに過去形を用いるという問題があります。 これはこれで一つの考えなければいけない問題なんですが、
ここでは不解理せずに、非現実の過去に関しては過去形を用いるんだということは、一応受け入れることにしましょう。
そうだとしても、ではなぜIf I WAS a bird、もし私が鳥ならばという非現実的な仮定をするときに、
過去を用いるということであれば、If I WAS a birdでいいはずなのに、なぜこの場合にはIf I WERE a birdになるのかという問題について今回は考えたいと思います。
仮定法でない、通常の言い方ですね。 これは逆に直接法というふうに呼んでいますが、もちろん私は鳥だったという文化ですね。
あったとしたらI WAS a birdなわけですが、仮定法を使う場合には、同じ過去形でもIf I WERE a birdというのが標準的な決まりになっています。
昨今では、特に口語ではですね、If I WAS a birdと言ってもおかしくないというくらいに広がってきてはいるようですが、
形式的にはですね、そして標準的には今でもですね、If I WERE a birdが規範的であると、正しいというふうにはされています。
これはなぜなのかという問題です。
歴史を振り返ってみたいと思います。 このIf I WERE a birdのような文は、実は中英語にもさらに遡って古英語、1000年前の古英語にもきっちり存在しています。
やはり非現実的な表現ではですね、If I WERE a birdに相当する表現をしっかり使っていたわけです。
それに対して直接法ではI WAS a bird。つまりこの状況はですね、古英語から何も変わっていないということになります。
ではなぜWEREなのかということですが、今述べた直接法、現実のことを語るモードですね。
に対して架空のこと、空想していること、非現実的なことを語るモードというのがありまして、これを仮定法と呼んでいるわけです。
古英語の文法では仮定法という言葉はあまり使わずに接続法と言ったりするんですが、事実上、用語の問題で同じものを指すと考えてよいです。
そしてですね、その古英語ではこの接続法ですね、仮定法に相当するものと直接法とではですね、
b 動詞に限らずすべての動詞において全く異なる活用語尾を取っていたということなんです。
そもそも古英語では現代以上に活用語尾が非常に複雑でした。
例えば現在の直接法においては3人称単数現在でsを取ります。
それ以外は1人称であれ2人称であれ語尾を取らない、原型のままというくらいの大した変化を示さないわけですが、
古英語ではですね、実は1人称単数に特別な語尾が付き、2人称単数にも特別な語尾が付く。
そして3人称単数ですね、いわゆる3単元にも別の語尾が付き、
さらには複数合集語の時も別の活用をするというふうに非常に複雑な活用でした。
これ今は直接法の話ですね。
その裏にもう1系列接続法、いわゆる仮定法ですがの系列があって、やはりそれぞれに特別な活用語尾というのが付いたんですね。
1人称単数の時とか複数の時みたいに、それぞれが別系列でしっかりとした特有の語尾が付いたというくらいはっきりしていた。
過去形もそうです。過去形も直接法の場合で1人称単数の場合であるとか、さらに接続法の複数の場合とか、それぞれにとにかく違う語尾が付いてたというのがポイントですね。
語尾はそれぐらい活用が激しかったということです。
それが千年の歴史のうやむやになってと言いますが、異なる活用尾が付くということではなくて、修練してくるんですね。
1つあるいは2つ、3つぐらい乗せずに変化に修練してくるということがありました。
その中でもB動詞というのはちょっと特殊で、非常に頻度が高いということが1つの原因なんですが、古い状態を古英語の非常によく活用した状態を現代まで保っている最後の唯一の動詞だということです。
そしてそのB動詞においては、仮定法においてはとにかく一人称、二人称、三人称、関わらず単数形で和という形を使ったんです。
これは直接法とは全く違います。直接法では和ずだったり和だったりということなんですが、接続法の活用においては全く別物として考えた方がいいと思うんですね。
これはIはであり、UだったらYouはであり、それからHeだったらHeはであったということです。
このように直接法の世界と接続法の世界では別の活用が展開していたということなんですね。
それがたまたまこのB動詞という非常に高頻度な動詞でのみ、昔の形をそのまま変えずに伝えているというところがポイントです。
他のすべての動詞に関しては基本的に直接法と接続法の区別というのはなくなってしまいました。
なのでB動詞だけが浮いて見えるということなんですが、なぜIf I were a birdなのかといえば、
小英語ではしっかりと直接法と仮定法の区別があったという、その時代の名残はそのまま引き継いでいるからということになります。
この話題に関しては、ヘログの2601番、それから3812番あたりの記事をご覧ください。
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