英語表現の探求
おはようございます。英語の歴史を研究しています、慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、「なぜ as it were が「いわば」の意味になるの?」という疑問です。
この単純な3語から鳴るイディオム、フレーズですね。
as it were ですが、これは皆さん間違いなく学ぶイディオムだと思うんですね。
いわばということになります。
例えば例文としては、
のような文ですね。
人間の頭脳は、いわば生きたコンピューターだというような形で、
代わりにもう少し砕けた言い方をすると、
so to speak であるとか、so to say なんていう言い方がありますが、
少し固めにいいですね。
のように使うわけです。
これはこの3語でいわばなんだというふうに覚えて、
いちいち統合分析みたいなことはしないと思うんですね。
ネイティブだってしていないと思います。
ですが、あえてここを統合分析すると、
なんではなんだとか、いろいろと気になるところが出てくるわけですよね。
この表現も歴史的に生まれてきた、育まれてきたという表現ですので、
歴史を探ると、こうした疑問も解けるということが多いわけです。
それでは振り返ってみたいと思うんですけれども、
as it were, were という b 動詞の過去形なんですが、
主語は明らかにこれ it のはずなのに were ということは、
仮定法が関与しているなということは、これは勘でわかると思うんですね。
意味も言ってみればということですから、仮定法が関わっている。
だけどどこにも if がないということになるわけですよね。
この辺もどうなのということになりますが、歴史を遡ってみますと、
一番古くは1200年くらいにすでに出ています。
歴史は古いということですね。
当初の意味は、このままの形で出たというよりは、
当初出てきた形で考えるとよくわかるんですが、
これ as if it were so くらいの表現がどうも原型となっていると考えられます。
as if it were so とですね。
もしそういうことであったならば、そうであったかのように、
という持って回った言い方がどうも原型にあるらしいということなんですね。
歴史的背景の分析
この you are but というのもですね、
もしこういう言い方が許されるならば、
こういう言い方をすればこんな言い方になるんですけど、
というような挿入的な表現ですよね。
なので先ほど挙げた例文ですね。
a human brain is as it were a living computer ということなんですが、
これをあえて展開してですね、長く言うと、
a human brain is a living computer as it would be if it were so ぐらいでしょうかね。
もう一回言うと、
a human brain is a living computer as it would be if it were so というような表現です。
こんな言い方ができるのであれば、
こうして言えるかもしれませんが、というような、
ちょっと持って回った長い言い方を包めて、
as it were としたということなんですね。
長いので縮めたっていうのは分かったとしてもですね、
なんでこの重要な if の部分が、
これも含めて省略されてしまうのかというのはよくわからない。
as if であれば何であるかのようにと、
普通の表現として今でも残っているわけで、
この if が重要なわけですよね。
ところが今の短縮の仕方だとですね、
if まで含めて省略してしまっている。
これ大丈夫なのかということになるんですが、
実際にはですね、as が as if の意味で使われると。
あたかも if がですね、消えたかのように見えるわけなんですけれども、
as がそのまま as if として使われる用法っていうのは、
実は歴史的にも珍しくなくてですね、
近代語でも現代語でも普通に見られることは見られるんですね。
例えばですね、こんな例文をあげましょうかね。
She is lost as in a trance.
といったとき、彼女は方針していると。
as in a trance、
トランス状態にあるかのように、
ボーガの境地にいるかのようにということですよね。
そのように失望しているということで、
She is lost as if in a tranceということですよね。
意味的にはトランス状態にいるかのようにという解釈になりますので、
She is lost as if in a tranceというべきところなんですが、
この if はなくて as だけでも言えると。
She is lost as in a tranceということです。
これも長く展開すると、
She is lost as she would be if she were in a tranceということになります。
先ほどの as it were の例と同じような短縮の仕方ですよね。
なのでこの辺りは比例しているというか、
他の用法でも普通に見られるということなんですね。
なかなかこみ入った統合的な表現であり、
歴史も長いということなんですが、
使われるうちに、
これがイディオマティックになって、
この3語で統合分析などしなくても、
これはフレーズとして、
so to speak ぐらいの意味になるんだということで、
定着してきたということです。
一見すると、
現代の英語の統合規則、文法規則から見ると、
変だなというようなもの、フレーズみたいなものがたくさんありますね。
ですがこれを歴史的にひも解くと、
なぜこうなっているかというのも見えてきたりするということです。
変だな、妙だなと思うフレーズやイディオムがあったら、
おそらく何らかの面白い歴史的背景が隠れていると思って良いかもしれません。
それではまた。