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おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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スペースの歴史と日本語の特性
ぜひフォローしていただければと思います。また、コメントやシェアの方もよろしくお願いいたします。 今回取り上げる話題は、英語の単語間にスペースを置くことを当たり前だと思っていませんか?
という話題です。 この話題を選定するにあたって、私もこのVoicy始めてもうすぐ1年が経つんですけれども、
参加したことのなかったVoicyの企画があるんですね。ハッシュタグ企画というもので、毎週Voicyが2つお題といいますかね、キーワードを挙げて、それについてみんなで同じキーワードをめぐってパーソナリティーが話をすると、そういう企画があるんですけれども、
私、やったことがなかったんですね。というのは、Voicyのパーソナリティーもいろいろな方がいると思うんですが、全体としてビジネス系であるとか、あるいはライフハック系みたいなものがありまして、私のこの放送は英語の歴史とか語源というかなり限定的な話題なので、あまりキーワード、ハッシュタグに引っかからないなと思って参加していなかったんですが、
今回、子どもたちから学んだことというのが1つキーワードですね。もう1つは告白しますということなんですが、この2つだったら強引に英語の歴史の話題に絡められるのではないかと考えたところがありまして、今回参加してみる、初挑戦してみるということにしました。
この子どもたちから学んだことというハッシュタグに引っ掛けてお話しするんですけれども、それは英語の単語間にスペースを置きますよね。皆さん手書きでも、あるいはタイピングするときにも、当然英語の場合には単語間にスペースを置くということになっていて、それを当たり前のように習ってきたし、実践していると思うんですね。
ところが英語の歴史ですね、あるいは広く言語の歴史を見渡すと、必ずしもスペースを置くわけではないという事実が出てくるんですね。
そもそも日本語を書くときに、語と語の間、というか文字間にスペースを置かないわけですよ。中国語なんかもそうですよね。これは漢字とかかなという文字の、ある種の特性というのはもちろん関与しているんですけれども、いわゆるアルファベットですね。ローマ字であるとかキリル文字とかギリシャ文字もそうなんですが、このアルファベット文化圏では普通単語間にスペースを空けるわけですよ。英語のように。
ですが、これとて歴史を見てみると当たり前ではないんです。スペースを置かずに、だらだらと書き続けるというやり方も実践されていた時代があるということなんですね。
この事実について、私は英語の歴史を学ぶ中で知ったわけなんですけれども。
それプラスしてですね、私自身の子育て、子供が言葉を習得したり文字を書くようになった様を、我が子を見てきたんですけれども、その中でおっと面白いなと気づいたことがあるので、そのあたりを引っ掛けてですね、今日はお話ししたいと思います。
まず、日本語という言語の書き方を見てみますと、漢字、金混じり文というのが一番普通の書き方なんですが、縦書きでも横書きでも基本的にスペースを空けないわけですよね。
いわゆる続け書き、英語の分かち書きに対して日本語は続け書きをすると。こちらの方が少数派です。非常に稀な方です。日本語の方がですね。どんどん続けてだらだらと書いていく。
だけど、俺俺読めるし、そのように書くという習慣があるわけですけれどもね。そうなんですけれども、あえて分かち書きをする、日本語なのに分かち書きをするというシーンはないわけではないですね。
例えばですね、小学校1年生の国語の教科書を見ると、Cなんかがですね、ひらがなで書いてあるわけでしょ。まだ漢字は難しいのでやらないので、まず最初に、カナですね、ひらがなというのを勉強し、ということでひらがなをとりあえず覚えれば読めるように単語感をですね、切って分かりやすく表示している。
そうでなくても、詞っていうのはあるところで分けたり、つまり5、7、5であれば、それぞれの句ですね、の後にスペースを入れるという工夫でレイアウトで読みやすくしてますよね。あんな感じで分かち書きするっていうケースも日本語の中にもたまにあるわけです。
他には、1単語1行とかワンフレーズ1行というような、いわば過剰書きというもの。これ、我々日常的にも非常によく利用するんじゃないかと思うんですね。買い物リストなんかが典型ですね。丸ポチぐらいをつけて、1項目書く。次に行を変えて、また丸ポチして、次のキーワードを書くっていうような形で非常に見やすいメモとして整理されているということで、
我々もよくやってると思うんですね。やはり、普段デフォルトでは続け書きをするのが日本語なんですけれども、用途によっては、目的によっては分かち書きをするということもよくあるということが分かると思うんですね。
では、デフォルトでは日本語を喋れる人が書き言葉を覚えたときに、デフォルトではどっちで書くんだろうかと。続け書き、分かち書き。基本的に続け書きで書くんですよ、日本語は。国語の授業で教わるからそう書くんであって、そのような教育が始まる前、直前と言いますかね。
だけど、かなぐらいは書けるというときに、人間はどういう行動をして書くのかということですね。これなかなか実験はできないんですが、子どもたちの文字を覚えていく過程、書き方を覚えていく過程っていうのを観察すると、これ見えてくることがあるんじゃないかと。
私は英語史の研究者ということで、英語歴史言語学であるとか英語文献学っていうのが専門エリアなんですね。一般の理論的な言語学のバリバリのところをやっているわけではないんですね。
特に言語学者の方で、習得、言語がいかにして習得されるか。これは母語であれ、第2言語であれですね。こういう研究をする方で、とりわけ第1言語、母語の習得に関わる人は、そういう研究者は自分の子どもっていうのが格好の題材になるんですね。
どのように言葉を習得していくかっていうことを、まさに記録していくというような仕事をする方もいらっしゃいますが、私はそこまでのバリバリの言語習得に関する言語学者というわけでは全くないので、そこまで注目しなかったんですが。
子どもたちが赤ちゃんのときですね。少しずつ言葉を覚え、そして幼稚園、学校に入る頃には書き言葉も少しずつ覚えということを、その過程をですね、もちろん身近に見る機会があったわけです。
とりわけ一番上の子っていうのは何かにつけて注目度が高いと言いますかね。親にとってはそうなので、いろいろと細かいところまで見て気づいたことあるんですが、その中で1つエピソードが面白かったが、幼稚園で一番上の娘なんですが、ひらがなは覚えたんですね。
ひらがなのセットはとりあえず何とか書けるようになった。書くっていうのが面白いという時期なんでしょうね。ですが文をしっかりと書くようなことはまだまだそこまでは習ってないっていう、そんな段階でのことなんですけれども。
切り方の技術と発展
じゃあこれ書いてっていうふうに言葉、単語だったりフレーズなんかですね。これを言うとですね、その娘が書くんですね。ただし続け書きなんですね。つまり教えない場合、何も教えない場合はどうも続け書きでダラダラとひたすら書くと。
これは不思議なことではなくて、そもそも喋り、喋っているこの音声発音ですよね。発音に関しては区切りがないわけですね。ないと言いますが、きっちり単語ごとに言い分けてそのネイティブの言語を話すってことをやらないわけですよ。
例えば、日本語を喋りますって言ったときに、日本語を喋ります、なんていう話し方はしないで、切れ目がないかのように日本語を喋りますと流れるように話すわけですよね。これ書く言葉でも結局同じことなんだろうと。
話し言葉で切っていないものは、書く言葉でもどうも切るという発想がないので、一応かなっていうのは、音をぶつ切りにした一つ一つの単位がかなっていうことなので切ってはいるんですけれども、文章に流れるような文章を与えたときにどう書くか、ディクテーションして書くかというと、
どうもそんなに分けない。ずっとダラダラ書く。これがどうもデフォルトのようなんですね。ところが少し書き慣れてきたところですかね、その娘が知恵がついてきた。ちゃんと書き方を習ったわけではないけれども、少し知恵がついてきたという段階で、
何のリストか私は忘れたんですが、買い物リストとか好きな動物リストとか作ってみてというときに、その娘が書き出したんですね。そのときに今までは例えば犬猫像というふうに切れ目なく犬猫像のように書いていただろうと思われるんですが、
あるときに私が気づいた瞬間なんですが、犬って書いて横書きだったんですけどね。犬と2文字書いた後に縦の線で区切ったんですよ。そこから猫みたいな。これは例で具体的に何の単語だったのか実は覚えてないんですが、はっきりと覚えているのは単語間に縦線を入れていくということをやってたんですね。
そうすると、一つ一つの単語は当然際立つ。全部ひらがなですから、筒形書きだったら読みにくいところを縦線を入れるだけで急に読みやすくなったわけです。丸をつけたり、あるいは過剰書きにするという、そういう高度な技はまでは至ってなかったんですが、十分に役に立つ方法、つまり切れ目がはっきりわかる方法、縦線を入れて書いていくという方法を、
どうもある時に思いついたのか、実践してたんですね。これはおおっと思いましたね。デフォルトとしては筒形書きをするんだけれども、ある目的ですね。今回の場合は本当に過剰書きっぽいリストアップしてという目的だったので、それに合わせてわかりやすいように線を入れて区切るという技をどうやら編み出したということになるわけですね。
ここまでいけば、あとは縦線の代わりにどういう方法を使うかという方法の問題になってきて、それは空白かもしれませんし、行を変えて過剰書きのように持っていくということかもしれません。分かち書きの最も重要なステップはここでクリアしたということになると思うんですね。
単語間に区切りを入れるというのは、実は高度な技である。つまりデフォルト、オリジナルではそんな発想は起こらない。オリジナルでは話し言葉と同じように流れるように続け書きするんだということですね。
それからある種の知恵がついたり工夫を施して初めて分かち書きの段階に達するんじゃないかという仮説と言いますかね。ことを子どもが縦線を入れるところを目にしてですね、そういうことかもしれないと気づいたという次第です。
さて、この放送は本来は英語の語源であるとか英語の歴史について語る放送なので、英語の話題に1回戻したいと思うんですね。英語は現在当然分かち書きをするというのが一般的になってますね。普通です。単語と単語の間に空白を入れるということなんですね。
これは英語の歴史の最初からそうだったのか。あるいはアルファベット文化圏、英語だけに限らずですね。例えば古代ギリシャで書かれた古代ギリシャ語であるとかローマ帝国で書かれたラテン語このあたりも含めまして広くアルファベット文化圏ということで考えますと、実はギリシャもローマも続け書きだったんですよ。
単語と単語の間に空白を入れない。実はさらに遡ってアルファベットの原初の形、紀元前1700年頃の北西セム諸語を表した文字ですね。これがもう最古のアルファベットということになってるんですが、その北西セム語なんかでは実は分かち書き書いてたんです。
本当の昔はですね。それが数世紀という紀元前1000年期の後半と言いましょうかね。このあたりのギリシャ、ローマという時代になると続け書きになっちゃうんですね。スペースを置かないという書き方になるんです。
現代英語への影響
これがずっとその後の西洋世界で、中世の前半ぐらいまで続いて、続け書きが普通だったということで、5世紀6世紀ぐらいにこのヨーロッパの末端の島であるイギリスとかアイルランドにもアルファベットですね、ローマ字というものが初めて導入されたんですが、
その頃はですね、基本的に入ってくる文献、つまりラテン語を読んだりするんですが、それ全て続け書きで書いてあるんですね。当然ネイティブの言語ではないので、つまりアイルランド人はアイルランド語を喋っていたし、イギリス人はゲルマン系の英語を喋っていましたが、ラテン語とはだいぶ遠い、実は完全なる外国語ですので、ただでさえ外国語。
それなのに、続け書きでダラダラとスペリングが続いているわけですよね。これ読みにくくてしょうがないわけです。外国語学習者として。そこで、この5世紀6世紀7世紀の僧侶ですね、ティリスト教の僧侶はイギリスあるいはアイルランド出身なんですよ。僧侶はラテン語を勉強するにあたって、当然文字を勉強するわけなんですけれども、
その際にラテン語原点を読みやすくするために、単語と単語の間をまず切りたいわけですよね。分析したい。そこでいろんな方法でですね、単語と単語の間に区切りを入れるという方法を考えついたんです。
一番簡単なのは点を打ったりですね、それこそうちの娘がやったように縦線を引いてみたりというやり方で、とにかく語と語の境界が分かるような方法を編み出して、それを書き込んだわけです。
ちょうどイメージで言うと、我々が英語の文を分析して公文を読解するときに、下線を引いて矢印でここからここにかかっているんだよとか、関係代名詞でここまでだよとか括弧をくくったり、いろんな技で読み解けるようにメモを書き込むじゃないですか。
あれと同じような要領ですね。イギリス人、アイルランド人当時は、ラテン語を読みやすくするために、つまり外国語学習を要因にするために、語と語の境界に記号をつけたということですね。
そしてこれが非常に便利だと学習にあたって、外国語学習の一つの技だということになると、自らがラテン語を書くときも、そういった記号を入れて単語をきっちりと識別できるようにしていったと。
さまざまな記号があると思うんですよ。多かったのが中点ですね。ちょこっと打てばいいし、そこそこ目立つので単語境界がはっきりする。そこから小さい丸だったりもしますけどね。こういった方法から始まり、やがてスペースを空ける。
これはこれで非常に目立ちますので、単語境界本当によくわかりますよね。いろいろな技を試してみた後に、最終的に固まっていったのが、このスペースを空けるということですね。
1000年くらい前の小英語でも中点を打っているものもありますし、比較的スペース取りというのは定着してきましたが、必ずしもではないですね。常に今のように、現在のように必ず単語界にはスペースを入れることというよりは、わかりにくいところにはきっちりスペースを入れるぐらいの感じだったんですけどね。
だから必須では必ずしもなかったんですが、それに続く中英語の時代にはだいぶこの漢口、分かち書きをするという漢口も定着してきた感があり、そして近代、現代に至るということなんですね。
つまり英語あるいは前紙であるラテン語なんかの書き方はですね、そこから振り返ってみると、実は続け書きのほうがデフォルトだったと。ちょうどうちの娘の書き始めスタートと同じことです。
ところがその後で知恵がついてきてと言いますか、目的によっては切ったほうが便利だぞというふうになってきて、点を打ってみたり縦線を引いてみたり、最終的にはスペースを空けるというような漢口が生まれ、そして定着してきたということですね。
その結果が今我々が英語を読み書きするときに見ているあのスペースだということなんですね。ですので歴史的に言って分かち書きがデフォルトでもないし当たり前でもないということです。この漢集自体も歴史の中で生まれてきたものであるということになります。それではまた。