キリスト教の重要性
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶應義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、キリスト教伝来は英語にとっても重大事件だった、です。
一般に歴史では、外来の宗教が自分の国に入ってくるというのは、一大事件なわけです。
イングランドの場合、キリスト教が大陸から伝わったのは594年と言われています。
これはイングランドの歴史文化に、はかり知れない衝撃を与えて、そして今に続くわけです。
同じように、ユーラシア大陸の逆の果てですが、日本でも大体同じ頃、6世紀の半ばですが、外来の宗教、仏教が入ってきました。
538年とも552年とも言われますが、6世紀半ばに入ってきた。
これは非常に大きなインパクトを日本の歴史文化、その後の伝統に影響を与えたわけです。
そして未だにその影響が色濃いということですね。
たまたまユーラシア大陸の両端の島国で、およそ同じ時期に大陸から新しい宗教が入ってきた。
この歴史的なタイミングはもちろん偶然ですが、比較すると非常に面白いですね。
いずれも歴史、文化、影響を与えたにとどまらず、言語にも直接的な非常に大きなインパクトを与えたということなんですね。
では、このイングランドにおけるキリスト教伝来の英語史上の意義は何なのかと言いますと、
私は3点ほどあるのではないかと思います。
1点目はローマンアルファベット、いわゆる26文字の普段英語で使っているアルファベットですね。
あれが導入されたということ。
そして2点目はラテン語の英語語彙の影響が本格的に始まったということ。
そして3点目は聖書翻訳の伝統が開始されたということですね。
英訳聖書の伝統が作られたということです。
この3点にあるのではないかと私は考えています。
イングランドへの伝来
まず前提となるキリスト教伝来、イングランドにキリスト教が入ってきたきっかけと言いますか、大雑把に解説しておきたいと思います。
まずイングランドに入ってきたのは先ほど述べたように597年のこととされています。
聖オーガスティンがケントにて、ケントというのは南東部ですね。
イングランドあるいはブリテン島の南東部で一番大陸に近いところですね。
ここから布教が開始されたということですね。
ですが実はイングランドのみならず、他も含めたブリテン諸島全体で考えますと、もっと早くですね、1世紀半ほど早くキリスト教は入っているんです。
むしろ5世紀半ばにまずアイルランドで布教が開始されましたし、それから560年代にもスコットランドの方で布教が開始されています。
つまりどちらかというと大陸から直接というより遠回りでアイルランドとかスコットランドという形でですね、イングランドをあたかも回避しながらですね、先に布教が始まったと。
そしてその後にようやく597年にセイントオーガスティがローマから布教に訪れてケントで布教を開始したということですね。
この後したがってですね、早くから布教が開始されていたアイルランドとかスコットランドみたいな北部ですね、北部系のものと、そして597年に海峡を越えてですね、一番大陸に近いところで始まった597年の布教とかですね、上下から、北南から布教をしたことになるんで、このイングランドの真ん中あたりでですね、これが出会うことになりますね。
そして北方系と南方系とでは多少周波が異なっていましたので、衝突、出会うというよりも衝突に近かったですね。
ここでフィットビーという街ですね、宗教会議が開かれてキリスト教2派の対立を収集するための会議が開かれます。
結果として南方系と言いますかね、いわゆる主流派です。主流派のローマから直接来たものがですね、受け入れられて、このイングランドの全体のキリスト教の周波となっていくという形です。
これ、フィットビーの宗教会議というのが664年のことですね。この後、7世紀、8世紀、9世紀とかけてですね、順調にこの国イングランドがキリスト教化していくということになりました。
英語への影響
宗教というのはですね、文字通りの宗教であるにとどまらず、文化であり学問であり、そして文字なんですね。言語に大きな影響を与えるものなんです。
そして実際にこのキリスト教の伝来が英語に及ぼした影響の強さ、著しさというのは凄まじいものがありまして、先に述べた3点において英語史上非常に重要な意義を持つと考えています。
1点目はローマンアルファベットの導入ですね。もともと古英語の和社、アングロサクソン人はルーン文字というゲルマン民族の間で用いられていた文字、ルーン文字を持ってはいました。
ただその文字文化というのは限定的なものでした。594年キリスト教が入ってくるとともにですね、聖書が入ってくるということですから、聖書というのは当時ラテン語で書かれた聖書が入ってきたわけなんですが、
このラテン語を書き表す文字、いわゆるラテンアルファベットとかローマンアルファベットというものですが、これを学ぶことになったんですね。もともとルーン文字を使用していたとはいえ、その文字文化は限定的だった。
ところが、今度は大きな宗教、そして大きな文明ですね、ローマの文化文明ですと結びついたローマンアルファベットが一気に学ばれて、そしてそれで英語も記されるようになったということです。
これで英語が書き表されていなかったら、当然英語史という学問領域もですね、成り立たないわけなんで、英語史上重要な契機だったということは、これは言うまでもない話ですね。
2点目、キリスト教導入によってラテン語が入ってきたということなんですが、文字だけではなくラテン語の単語、これが大量に英語の中に入ってきました。
多くのものが予想されると思いますが、キリスト教用語です。
例えばですね、いくつか読み上げていきます。この頃に入ったラテン語の単語で、そして今でも生き残っているものですが、
このキリスト教導入記にですね、数百語が入ってきました。今読み上げたものの中には、確かにアボットとかですね、アンセムとか、
ヒム、マーター、ミンスターとかですね、まあ確かにキリスト教っぽいものもありますが、一見するとそうでないものもありますね。
例えば、グラマー、スクール、ヌーンなんていうのは、特にキリスト教用語という感覚はないと思います。
これ今でこそキリスト教風味が消えていますけれども、これ元々文法ってのはラテン文法のことで、つまり聖書を読むための道具立てです。
なのでキリスト教と密着した用語だったんですね。
それからスクールというのもそうです。新学校のことですね。
それからヌーンっていうのは、今は12時正午ということですが、これは9つの時、9と実は同じ語源になっているんですが、9つの時の礼拝ということで、
1日の中での礼拝のある意思を指しているということで、まともにキリスト教用語だったんですね。
そして3点目は聖書翻訳の伝統の開始ということです。
この頃から聖書が英語に訳されるようになり、中英語にはあまり聖書翻訳多くなかったんですが、近代英語気候にですね、一気に聖書翻訳がなされることになる、その取っ掛かりを作ったということになります。
ありがとうございました。