2025-07-28 18:44

heldio #373. みんなのお金の話≒みんなの言葉の話!?

#英語史 #英語教育 #英語学習 #貨幣 #言語学
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サマリー

ポッドキャスト「heldio #373」では、お金と言語の関係について詳しく掘り下げています。具体的には、貨幣と言語の形式や意味との関連性に焦点を当て、社会的流通の観点から両者の共通点や違いを探求しています。言語記号と貨幣の関係について、ソシュールの考えを通じて、恣意的な契約関係の本質が明らかにされます。言語は自然的対象を持たない一方で、貨幣は経済的な価値を伴い、両者の違いが深掘りされる内容となっています。

お金に関する基本的な考察
おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。 本日も、Voicyのハッシュタグ企画に参加したいと思います。
今週のハッシュタグ企画の2つ目のお題ということなんですけれども、 こちらは、みんなのお金の話というお題なんですね。
うまくいくかなと思いつつ、これでお話したいと思います。 タイトルとしましては、みんなのお金の話≒みんなの言葉の話。
これでいきたいと思います。 おそらく、今週のVoicyのハッシュタグ企画である、みんなのお金の話ということで、期待されそうな話は、各家庭でどのようにお金を管理していますか?
どのようにお金を育てていますか?っていうような、そうした話題がですね、Voicyなんかではよくあるタイプの放送内容かと思うんですけれども、
私はこの話とは無縁なので、あまり何をこれに引っ掛けて話せばいいのかなというところがあるんですけれども、
お金には基本的に疎い人間でして、儲けも損もですね、あんまり気にしないと言いますか、
もちろん家庭人でもありますので、お金は欲しいんですね。必要な分のお金は欲しいということで、人並みにお金に関して関心が全くないわけではないんですけれども、
あまり追求心っていうのは、強い追求心っていうのはないタイプなのかなと思っています。
さほど裕福な学生時代を過ごしてもいませんので、さほどと言いますか、かなり、特にイギリス留学時代はスカスカでして、本当にお酒が好きなので、飲まないわけにはいかないということで、
1缶20Pとかですね、何十円かの缶ビールをひたすら冷やして、味がわからないようにしてガブ飲みするみたいなことをやったりしていまして、節約生活の経験はあるんですけれども、
基本的には無頓着ですかね。そもそも財布を開けるのがあまり好きじゃない。好きな人はあまりいないのかもしれませんけれども、財布を持つのもあまり好きじゃないということで、家族と出かける時なんかはですね、完全に預けてしまって、私は一切財布を開かないみたいな、財布を出さないみたいな、そんなこともあるぐらい、
お金に関しては本当に夢中になったっていうこともありませんかね。ギャンブルの素質もなく、あまり関わらずに生きてきたっていうのも、言い方も変ですけれども、欲しいのは山々ですけれども、そんなふうな無頓着な生活を送ってきたということで、じゃあこの今回のハッシュタグ企画、何に参加できるのかということになるんですけれども、強引に何か話したいと思います。
貨幣と言語の共通点
となると、お金の話を言葉の話に引っ掛けるぐらいしか脳がないんですね。お金と言葉という問題、これについて考えたいと思うんですが、お金といってもですね、いろんな側面がありますけれども、今回は貨幣ですね。コインであるとか紙幣も含めてですけれども、貨幣とお金、この関係に思いを巡らしたいと思います。
実は一度、この問題について数年前ですかね、まともに考えたことがありまして、この2つ何が同じで何が違うんだろうというようなことを真面目に考えたことがあるので、それを今日はですね、思い起こして話題として提供する。それぐらいで許していただければなと思っているんですけれども。
皆さんが貨幣と言語というふうに2つ並べられた場合ですね、示された場合、何が共通点で何が違うか、あまり考えたことないかもしれませんが、一度考えてみるとなかなか面白い問題だっていうことがわかるんですね。
共通点は間違いなくあるんですよ。まず、いずれも社会に共有されているっていうことです。そして流通してなんぼ。貨幣もそうですね。言葉も通じてなんぼということで、流通してなんぼということで、流通しているからこそ価値がある。そういう点では一緒ですよね。
さらに、これは近代以降の話ですけれども、権威というのが、例えば国家により権威が付されている、お墨付きを与えられていると安心、より広く流通するというような特徴もあります。貨幣もそうですね。国家のお墨付きがあるからこそ広く国中に、あるいは場合によっては国境を越えてもですね、非常に強い通貨であれば流通するということですし、言葉もまたそうですね。
国内においてしっかり標準語が定まっているであるとか、あるいは世界的に力を持つと、英語のようにリンガフランカとして広く流通しているっていう。このように社会性であるとか公共性という点でいうと、意外と全く別ドメインの2つの独立したものですけれども、貨幣と言語って共通点があるっていうことが分かるんですよね。ここまでは一緒です。
そして次がなかなかクリティカルなんですけれども、買えっていうのは物品やサービスという別のものと交換できる。言い方を変えれば対応するものがある。対応する価値がある。それをお金で買うっていうわけなんですけれども、何かに対応するっていうことなんですね。
一方、言葉もですね、言語形式であるとか簡単には単語です。単語には対応する意味がある。対応する価値があるという言い方できますよね。そうすると、この点においても貨幣と言語ってやっぱりパラレルだなと思ったりもするわけですよ。ここは実は非常に面白いところなんですけれどもね。
もう一つ面白い共通点は、貨幣も言語も古来、呪力のあるものとして、まじないの力です。呪力のあるものとして神聖使されてきた、あるいは魔術的な用途で用いられてきたという意味で、何か神聖なもの、おそらくこれは直接的じゃないからだと思うんですね。
つまりそれに対して対応するものがあるという、間接的にその対応物を指すというようなところが、この間接性、見えそうで見えないっていうようなところがですね、ある種の魔術性であるとか神秘性みたいな感じさせるんじゃないかっていうふうに私は考えてるんですけれども、いろいろと似てる点があるっていうことがわかるんですね。
こんなことを3年半ぐらい前なんですけど、取り留めなく考えてたことがあるんですね。貨幣と言語ってどこが同じでどこが違うんだろう。
これとても知りたくなって、その3年ぐらい前に東京の日本橋にあります日本銀行金融研究所、貨幣博物館っていうのがあるんですが、ここ行ってみようと思い立ったんですね。
貨幣のことを勉強すると、何か言葉の性質であるとか機能ということも、少し新しいことが見えてくるんじゃないかっていうことも期待を込めてですね、全く専門外でもありますし、先ほど述べたように普段はお金に比較的無頓着なタイプなんですが、貨幣って面白いかもしれないと思ってですね、足を運んでみたんです。
そこでですね、おそらく経済学の教科書なんかで当たり前のように最初のページに載っているようなことなのかもしれませんが、私学んだことないので、最初の大きいパネルにですね、博物館入ったとき、3つ貨幣には特徴、大きな特徴があるって書いてあったんですよ。
これをメモってきたんですけどね。これ今もちゃんと残ってますので、読み上げると、1、様々な人の間で誰でも使うことができる。なるほどと思って、これ言葉と一緒じゃないかと。ここは納得したんですね。
2番、様々なものと交換できる。これは確かに貨幣、お金っていうのはそういうものですよね。ただ、言葉に当てはめた場合、様々なものと交換できるってどういうことなんだろうな、微妙だなと思いながら、これをメモっていた。
3番目、使いたいときまで貯めておくことができる。貨幣によって財の蓄積っていう話ですよね。これ言葉の場合どういうことなんだろうな、ボキャブラリーを貯めるとか、言語能力を蓄積しておくとか、ピンとこない。直接パラレルに対応するものって何なんだろうっていうことですね。
この辺がよくわからないなと思ったのが事実ですね。このように博物館に行って、貨幣について初めていくつかの特徴っていうのを学んで、帰ってからなんですけれども、それと言語の特徴っていうのを照らし合わせてみる。同じところもあるうち、違うのもある。
そして、いわば比喩的にパラレルに結びつけるにしても、比喩が途中でうまくいかない、とんざするっていうところがあるんですね。ちょっと強引になりすぎちゃう、比喩。比べようとするとですね。これをどういうふうに考えればいいんだろうな、みたいなことを頭が悩ませていたときに、先ほどの対応物っていうんですかね。
貨幣は何か物であるとかサービスと交換できるっていう性質があります。それを指して対応物という言い方をすると、言語の場合何なんだろうと。真っ先に思い浮かぶのは言葉の形式、単語の形ですね。に対して意味というものが結びついている、対応している。
買うとか売るっていう比喩にはうまく当てはまりませんけれども、対応するという言い方をすると、貨幣対物品サービスっていうのと、単語の形式対単語の意味というのは、そこそこパラレルなんじゃないかなと、こういうふうに思い当たったんですね。
その方向で考えていたときに、そしていろいろな文献を漁っていたときに、ソシュール、近代言語学の祖ですよ。20世紀の近代言語学、現代まで続く言語学の祖とされるフェルニナンド・ソシュール、これの研究者である日本人の丸山圭三郎先生ですね。
ソシュールによる価値の違い
本を見まして、ソシュールが価値という話をしている。そしてこのソシュールの言う価値というのを考えると、どうもですね、丸山圭三郎先生によると、貨幣でいうところの対応物、貨幣の価値というものと言語形式の価値、つまり意味に相当するわけですが、これは根本的に違うんだ。
ソシュールによると全然違うんだというような、ズバリですね、私が探し求めていたような、この議論の足しになりそうなようなですね、ことを言ってるんですよ。で、驚いて、この部分、引用しますけれども、これ書き止めたっていう次第です。
ここでチャプターを変えたいと思います。ソシュールは、その第3回の講義で、こういうふうに言ってるんですね。丸山圭三郎先生による解説を引用することにします。
ソシュールによれば、言語記号は他のどのような記号、どのような制度にもない、根源的な二重性を持っている。例えば、ある広さの土地に付けられる貨幣的な価値などは、時代を追ってその変化を調べることができるだろう。
これは貨幣という一種の記号が、近々の土地という普遍の自然的対象をその外部に持っているからで、そういう意味でこの記号は本質的に単一なのである。
ところが言語記号には、こうした自然の支えはどこにもないのであり、あるのはただ聴覚映像と概念の2つの項、言語の位置状態が生む、束の間の関係によってしか保障されていない2つの項ということになる。
これらの項は、それを測定するどのような尺度もないところで、根底からの変化をこむる。変化を説明できる支えは状態のうちにはないし、ある状態を求めた理由も変化のうちには見出せない。
こうしたことはすべて言語記号が、事物の自然的関係に基づかない恣意的契約であることから来るので、教授言語学と通じ言語学を別々に打ち立てる必然性も実はここに目指しているわけである。
引用を終わりますが、このように述べているんですね。
ずっと私が求めていた、歌兵と言語、似ているところは多いけれども、パラレルに考えることができることも多いけれども、根本的に何が違うのかということを一言で言い表してくれたんだと思います。
今の一言という一節、長めの一節でしたけれども、ポイントは歌兵は自然的対象を持っている。
一方で言語は自然的対象を持っていない。
自然的関係に基づいた対象を持っていないという意味で、恣意的であるという、ソシウルの言語学の新骨頂ともいえる言語の恣意性、アービトラリネスというものがですね、歌兵を鏡として非常によくわかった。
私にとっては歌兵と言語、同じところもあったけど違うところは何なのかというのを追い求めていたところで、改めてソシウルの教科書的な一種のルールと言いますかね、最も重要なポイントである言葉というのは恣意的なんだよということを、歌兵を鏡にして初めて真にわかったという気がしたんですね。
歌兵には例えば土地であるとか物であるとか人間とって非常に大事なものと必ず交換可能である、そういう関係があるんだけれども、言語記号は言語の意味っていうのは、それを表現したいときにはあったら便利だなぐらいの重要さはありますけれども、基本的に一言にもならないというものですよね。役に立たないというもので、そこは根本的に違う。
当たり前の話ですが、歌兵は換金制、何に変えられるかであるとか、何に価値があるからこそこれとこれは変えてもいいというような経済的なと言いますかね、そこの計算というのが常に関係してくる。
一方、言葉の場合は、そこにお金であるとか価値というような、人間にとって必要な価値って意味での価値ですね。便利さと言い換えてもいいかもしれませんが、そういうものとは結びついていない。
歌兵と言語、そこそこ似ているところもあるんだけれども、違うところもある。そして違うところもあるという、その最大のポイントの少なくとも一つはここにあるのではないかということですね。
自然の支えのある対応物、これを持っているのが歌兵であり、自然の支えのない対応物しか持っていないという、ちょっと残念な存在が言語ということです。
お金に関係があるのが歌兵、お金に関係がないのが言語とでも言いましょうかね。
最初の話に戻りますと、私はお財布を持ったり開けたりするのがあまり好きではないということなので、歌兵的というよりは言語的な人間なんだろうなと改めて話しながら思った次第です。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。ご意見ご感想ご質問などがありましたら、Voicyのコメント機能あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています専門フォームを通じてお寄せください。
Voicyを始めて1年ちょっとが経つんですけれども、今年度に入ってから比較的最近この数週間にこのVoicyを聞き始めていただいたという方が少なくないというのがほぼから伝わってきまして分かりましたので、改めてここで宣伝をしておきますと、
Web上でもこの放送というのは聞けるんですけれども、専用のVoicyアプリを利用していただきますと様々な機能利用できるようになります。さらにフォローしていただくことによって更新通知が届くようになるなどメリットがいろいろありますので、ぜひこの番組関心を持ったということであればフォローしていただければと思います。
そしてコメントやシェアの方も今後ともよろしくお願いいたします。
実際この数日間なんですけれども、コメントや質問いただきましてそれに反応する形でお題を選んでですね、放送収録したりコメントバックしたりするという形で大変面白くなってきておりますので、リスナーの皆さんも一緒にこの放送を通じて英語子ライフを盛り立てていただければと思います。
それではまた。
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