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おはようございます。英語の語源が身につくラジオのパーソナリティ、 そして英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。
7月20日、水曜日です。 日本列島は梅雨が戻ったかのような、妙な天候になっておりますが、皆さんお元気でしょうか。
今日は、この数日の間にリスナーの皆さんから寄せられた質問であるとか、ご意見を基に、 久しぶりに英語に関する素朴な疑問 千本ノック ー Part 10 第10回となりますが、こちらをお届けしたいと思います。
今日もどうぞよろしくお願いいたします。 ここ1週間くらいでですね、ボイシーのコメントなどを通じて、様々なご質問であるとか、 意見というのをいただきまして、なかなかお答えする機会がありませんでしたので、
この機会を利用してですね、千本ノックの一環としてお寄せいただきました質問、意見に対して、私がリアクションしていきたいと思います。
助動詞shallの使用と歴史
まずは、KKさんより、いつも楽しく拝聴しています。ありがとうございます。 英語に関する素朴な疑問ということで質問させてください。
助動詞shallはshall Iやshall weのような形で使われるのがもっぱらで、 その他は行政や法律関連などの硬い文章を除くとあまり目にしないと思うのですが、これは歴史的にもそうなのでしょうか。
それとも何かの契機に、shall の用法が今の形に落ち着いたということなのでしょうか。
ということなんですけれども、このshallという助動詞、法助動詞というふうに言われますが、ご指摘のとおりに行政や法律関連の硬い文章で、これは昔からそのような使われ方なんですね。
基本的には硬いレジスターで使われてきた、何人も何々すべからずであるとか、何々すべきであるみたいな言い方ですね。
法律のような文章では非常に典型的で、shall、これが義務ですねとして使われた。
義務の用法ですと、今であればmustであるとかhave to、ought to、shouldとかいろんな形があるんですけれども、本来的に最も古い形と言っていいでしょうね。
古英語から続く形としてshallがあったんです。
なので、法律の文章などで使われるというのは、歴史的には非常に自然なことで、これが現代まで残っているということなんですね。
そして古くは法律以外でも、本当に対人関係においてもですね、お前は何々すべきだ、彼は何々すべきだというような言い方では通常shallが用いられたんですね。
ところが近代になって、とりわけ近代後期、19世紀、20世紀ですかね。
そしてまさに21世紀もそうなんですけれども、このshallの義務としての用法、とりわけ人に何々すべきだっていう時の用法としてはですね、激減してるんです。
20世紀中に、もともとものすごく頻度が高かったわけではないんですけれども、20世紀中に激減しています。
そして21世紀の現在はですね、基本的に人に何々すべきだという意味では使われない。
おっしゃる通りの法律の文章であるとか、限られた文脈で伝統的に使われるものっていうふうに非常に縮小された使い方になってきてるんですね。
これはなぜ20世紀、21世紀に激減しているかということは、いろいろと社会言語学的、歴史言語学的に話題となっているんですけれども、
有力な意見としては、shallっていうのは非常に権威主義的なんですね。
You shall do itって言うと、本当に上から目線で、力関係、これが上下がはっきりしている時にのみ、上から下の人に対して用いる。
法律なんかも結局そういうことですね。国家という権力から人民というし文字ものものに、上から下に加持するっていう感じですよね。
同じようなことが対人関係、一対一の関係にも用いられていたんですが、20世紀の英米ですね。
いわば平等主義であるとか民主主義というものが発展しまして、権威主義的な響きを帯びているshallというのが使われる機会、使うと良くないという機会が増したっていうことだと思うんですね。
なので別の言い方でhave toとかmustも結構きついですけどもね。他の言い方が様々に発達した結果、shallというのは使う機会がどんどん現実的だっていうことです。
shall I、shall weに関しては、イディオムとして、いわば申し出の表現として既に確立しているので、ほとんど元々の原理である義務という、
しかも強い上下関係を意識させる義務というふうには感じられないので、いまだに使われてはいますが、ただ使われているといってもやはり高頻度ではないっていうことから、
shallは20世紀以降ですね、完全に間違いなく衰退期に入っている。このように法助同士っていうのは、ある種の社会関係、人と人ですね。
法助同士を使う際の人間関係というのが、半ば埋め込まれた形で使われるので、この人間関係の在り方っていうのは社会の中で変わってきたりすると、
途端にあまり使われなくなったり、あるいは逆に頻度を増したりっていうことが多いので、この法助同士、法っていうのはまさにこの上下関係であるとか、
思いを、話者の思いを伝えるっていう役割がありますので、割と歴史的に移り変わりが激しいって言いますかね、そういう語類なんですね。
shallと同じような形で使用がぐんと減ってきているのが20世紀、21世紀です。もう一つありまして、これmayです。
mayっていうのも、しても良いっていうような意味がありますが、これもしても良いっていうのは、上から下に許可を与えるっていうことなんで、
shallと同じぐらい権威主義っていうのを前提としてるんですね。
ですので、20世紀には一気にこのmayの使用っていうのが激減しています。
せいぜい、やはりこれも固定フレーズとなっているmay Iとかmay weみたいな形で使われることはありますが、これですら最近は好まれなくなって、
can Iとかcan weという言い換えですね。権威主義を感じさせない、もうちょっと民主的になっていますかね。
こんな言い方が増えてきているということで、まさに今回ご質問のshallっていうのがあまり目にしなくなってきているっていうのは、
現代的な社会の在り方を反映して、shallの衰退ということが、今観察されてきているのではないかと、そのように考えます。
The Lion Kingの称号問題
次のご質問です。407回の放送だったんですけれど、Mr. Smithさん、称号は前後どちらに置くか問題というですね、この放送に対してコメントをいただきました。
のぶ英語さんです。称号からそれますが、ふとThe Lion Kingについて考えてみました。
定冠詞プラス一般名詞プラス一般名詞なので、先の名詞ライオンが形容仕様法となり、ライオン種である王の意味。
これは動物全体をすべる王を表していて、ゾウでもハイエナでも多い継承権はあったけど、今回はライオンが王になったと。
試しに名詞を逆転させてThe King Lionにすると、ライオンたちの王であるライオンに見えます。他の動物にはそれぞれ彼らの王がいるという前提ですね。
そこで物語上は前者が適当だったと思うのですが、いかがでしょうかということですね。
この問題はあまり考えたことがなかったんですけれども、この称号問題、Mr. Smithの問題とThe Lion Kingの問題が似てはいるんですが、どこまでパラレルなのかというのが、このコメントをいただいて考えたことなんですけれども。
おそらくこれ実はかなり難しい問題で、例えばですね、川の名前を表すのにナイル川っていうのを英語ではThe Nileっていうのが普通ですが、あえてriverという一般名詞をつけるのであればThe Nile Riverというふうに言うんですね。
ちょうど日本語のナイル川と同じ語順。ところがイギリスの中にあるハンバーガーは普通The River Humberなんですよ。
両方あるという意味では、なかなかこれ歴史的にも難しそうだなということで、407回の放送ではですね、アルフレッド王というのが、小英語では大抵アルフレッドキングだった。
ところが今としてはですね、例えば今のエリザベス女王はQueen Elizabeth IIというふうに言うわけで、順序が逆なんですよね。この辺はなかなか一筋縄では行かないぞということで、私もブログなんかではこの話題記事にしてないんですよ。わからないんでまだ。
わかったら何か書こうかなと思ってたんですけれども、したがって今回のThe Lion Kingの話もそうなんですけれども、これどういう理屈でこの順番になっているんだろうなというのは、私も何とも考えているんですけども、わからない状態で。
ただ話題を振っていただきまして、考える素材をいただきましてありがとうございます。これについてはもう少し調べたり考えたりしていきたいなというふうに思っています。
リスナーからの質問と感謝
リスナーの皆さんからいただいた質問に色々答えていこうと思ったんですが、2つで終わってしまいました。だいたい10分って言ってもですね、こんな感じでそんなに答えられないことが多いんですけれども、あすも引き続きこの1000本ノックと題しまして、リスナーの皆さんからいただいた質問にお答えしたいと思うんですけれども。
本日はですね、プラスアルファということで、ちょうど昨日の放送なんですけれども、414回、声でも英語詞の話題を広く長くお届けしたい。私がVoicyを始めた理由ということで、Voicyのハッシュタグ企画、私にとっての声というお題で、このVoicyのチャンネルを私自身がどのように始めて、そして続けているのかという話題になっております。
長めの放送だったんですけれども、聞いていただきましてありがとうございます。放送後にリスナーの皆さんから非常に温かいお言葉をコメントをいただきまして、大変元気づけられまして、痛み入りました。こちらでもお言葉を紹介させていただければと存じます。
まず、のっこさんです。こんにちは、私もラジオ派です。コロナ禍で学校授業がオンラインと聞いて、すぐに視力が心配になりました。
ほた先生の声はクリアで聞きやすいです。ありがとうございます。貴重なお話に感謝です。いろんな英文を読むには、やはり言葉の歴史は不可欠ですね。
当時の作者の言葉遣いにおいて、その作者の意図や感情の紐解きに役立つこともあって、より深く楽しく読むことができます。
最近、旧約聖書でタガヤスがCultivateではなくTaleが使われていることに気づき、濃厚も未発達で、しかも文化がこれからという時代だったからでしょうか。
ということで、コメントをいただきまして、さらに旧約聖書からのタガヤスを意味する単語についてのご指摘、ご質問もいただいた形なんですけども。
このご質問、大変面白くて、私もこのコメントをいただいて、ちょこっと調べてみたら、Cultivateというタガヤスという意味で、今一番普通の単語かと思うんですけれども、
こちらは書質が近代英語記の初期、1620年ということで、つまり近帝約聖書に間に合ってない釈用語なんですね。
そうすると、タガヤスというのは基本的には、それ以前にはTaleという古英語からあった土着の言葉、ゲルマン系の言葉をずっと使ってきたということで、その伝統が聖書などには残っているのかなというふうに勘ぐった次第なんですけれども。
これは私自身も詳しく調べていたわけではなくてですね、語源辞書を引いただけですので、なかなか面白い問題になっていきそうな気がします。ご指摘ありがとうございます。
音声メディアの重要性
そして、このラジオ派ですというご意見なんですが、コロナ禍で学生の視力ですかね、いろいろと視力が心配になってきている。すべてオンラインでパソコンの画面を見る、スマホの画面を見るということになってきているわけですよね。
そのような視力問題ということだけというわけでは全くないかと思うんですけれども、このVoicyをはじめとした音声メディアが近年、改めて注目されてきている。改めてというのはテレビ時代の前にはラジオ時代だったんですよね。つまり耳、音声時代だったわけなんですけれども、これがソフトウェア、ハードウェアの発達によって改めて復活、復元してきているということなんではないかというふうに、
私は考えているんですけれども、いかがお考えでしょうか。そして、ミーさんからもコメントをいただいています。
私も先生の声は聞き取りやすくとても好きです。ヘログも拝見していますが、やはり目がショボショボするときは通読できず、音声がありがたいです。これからもずっと学ばせていただきたいと思います。よろしくお願いします。ということでありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
私自身もこのVoicyで1年1ヶ月前に放送を始めて発信する側になったんですけれども、やっぱり音声っていいなというふうに思って、リスナーとしても他のVoicyであるとか、あるいは一般のAM FMラジオなんかも改めてよく聞くようになったんですよ。音っていいなというふうに感じまして。
学びに音を活用するっていうのは、特に語学番組、ラジオ講座なんかでも一定の評価があって定着しているかと思うんですが、学術ということになると、やはり書いたものがすべて論文ですから、学術と音声ということですね。これはなかなかまだ距離があるんではないかなというふうに感じているんですけれども。
逆に言うと、学術をもうちょっとですね、一般の人々に近づける方法として、メディアとして音っていうのは優れているんじゃないかというところに私自身は注目しています。
学術研究が単に学術仲間であるとか、そのような世界だけに留まっているんじゃなく、どんどんどんどん日本のあらゆる層であるとか、あらゆる職種の人々に広まっていくということがとても大事なことなんではないかと思っているんですね。
とりわけ英語史というような、非常にマイナーな学術的な度合いの高いと一般に思われるような、そういう領域の場合、専門の中で閉じこもっちゃうんですね。
ですが、英語学習者であるとか、英語に接する機会のある人ってめちゃくちゃ多いんですよ。日本でも。あるいは英語を学んでいる人とか、英語に関心がある人ということで言うと、かなり多くの日本人の割合が関わっている。
にも関わらず、このような専門知識が生かされないということに私は危機感を感じています。その一つの試みとして、ヘログであるとか、このヘルディオラジオという少しでも親しみやすい形でお届けできないかということで始め、そして続けている次第です。
内容が内容だけになかなか難しい話になってしまうっていうこともやむを得ないっていうか、そういうケースも確かに多いんですけれども、それをなるべく分かりやすく、正確さはなるべく確保しつつという非常に難しいところですが、これを目標にしていきたいなというふうに思っております。コメントありがとうございました。
ヘルディオラジオの影響
そしてカミンさん、いつもありがとうございます。コメントをいただきました。
ホタ先生の著作や英語詞ブログは前から読んでいましたが、ヘルディオで英語詞が日常したことは私にとっては大きなことでした。
通勤時の隙間時間が英語詞の時間になりました。私はフランス語を教えていますが、語学教育やフランス語詞についてもヘルディオからいろいろな示唆を得ています。
結果的に自分の専門領域について考えることもヘルディオにより日常的になったというか、英語詞ブログの音声化の恩恵は私にとってはとても大きなものです。ということでありがとうございます。
大変嬉しいです。この放送でも何度か広告しているんですけれども、この5月に対象言語詞のアプローチを取った初めての本が出ているんですね。
これ私自身が英語詞だけでなく日本語詞であるとか、それから西洋の言語ではとりわけフランス語地に関心があるということで、この2、3言語あたりを縦に比較するということがこれから大きな目標になっていくかなというふうに思っているんですね。
そんなところでフランス語をご専門とされているカミンさんからこのような温かいお言葉をいただきまして大変力になります。ありがとうございます。
通勤時間の隙間時間にお聞きということで、どうもこの放送がどういう時間帯とか曜日に聞かれているかみたいなデータっていうのが多いし、取られていて、それをチェックする機会ってあるんですけれども、朝の6時に更新しているっていうこともあるんでしょうけれども、6時台、7時台、8時台がピークなんですよ。
明らかに通勤時間に相当するという感じなので、ここで聞いておられる方が割合としては比較的多いのかなということです。
ですので、あまり長すぎるとあれかなと思って10分ということなんですが、最近いろいろとお話したいことがあって、15分とか20分とか、今日もそうですけどね、そんな感じになりますが、ぜひこれからも朝の時間にお聞きください。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
リスナーの皆さんからお寄せいただきました疑問に答える形ということでしたが、2問しか実質的には答えていませんので、明日も続けてこの話題でいきたいと思うんですけれども、
普段私自身が設定したお題で話すおよそ10分間ということが多いんですけれども、それよりも楽しいと言いますか、お話ししやすいんですよね。
やはりリアルタイムでのやりとりではないんですけれども、コミュニケーションという感じでやりとりが行われているという実感があるからなんでしょうかね。
あと、私自身の頭では絶対に思い浮かばないような質問と言いますか、全く違うところから発想が飛んでくるという感じがして、これに答えるのにどのように返そうかなというのを考えるのも面白いですし、非常に刺激になるという意味で、大変嬉しく、そしてありがたいことだと思っています。
普段より、このチャンネル英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、皆さんからのご意見、ご感想、ご質問をお寄せいただいています。
チャンネルで取り上げてほしいトピックなどを寄せいただきますと幸いです。
Voicyのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています。専用フォームを通じてお寄せいただければと思います。
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それでは、週の中日、水曜日ですが、お元気にお過ごしください。
ほったりうちがお届けしました。また明日。