ベンジャミン・フランクリンの紹介
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ、英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
9月23日、金曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオヘルディオ。本日の話題は、ベンジャミンフランクリンの13徳の第1条にある
Drink not to elevation の解釈についてです。 先日、同僚の先生とお話をしていまして、このベンジャミンフランクリンについての話題になったんですね。
そこで、私がかつて英語史ブログヘログの方で書いていた内容、こちらが話題になりまして、だいぶ前だけれどもこんなことを書いたなということで、読み返してみまして、改めて読み返してみても、面白い話題かなと思いましたので、
この話題については、後程にボイシンの放送で、後頭でもお伝えしたいなと思った次第です。 どうぞよろしくお願いいたします。
ベンジャミンフランクリンといえば、18世紀の啓蒙思想家ということですね。合理主義的な人物として、代表的アメリカ人とも言われる人物です。
この人の辞伝ですね。1818年に出ていますが、これはですね、世界で最も有名な辞伝の一つと言ってもいいと思うんですね。そして、とりわけ有名なのが、十三徳、実践すべき十三の徳、美徳ですね。
これが列挙されていて、この順番に日々鍛錬して習慣づけていくと立派な人物になれると、要するにそういう十三徳っていうものですね。
一つ一つ読み上げることはしませんが、タイトルって言いますかね、何についての徳かということのみ日本語で述べますと1から13条までですね。
11平成、12純潔、13謙譲ということで、まさに美徳をすべて並べたような感じですね。日本語にすると漢字二文字でですね、なかなか一つ一つ達成するのが難しいっていう美徳が十三並んでいるわけなんですけれども、これは順番に身につけていくと良いということなんですね。
そしてその第一課条、節制ということなんですが、この第一条について英語原文で読み上げたいと思うんですね。
Temperance, eat not to dullness, drink not to elevationという非常に端的な表現になってますね。
これを松本西川によるいわなび文庫の翻訳で言いますと、第一節制、飽くほど食うなかれ、酔うまで飲むなかれというこれが第一条なんですね。
もう私なんかはですね、これを聞いた瞬間にまず守れないと。これ順番に身につけていくと良いということなんですが、この第一条からですね、もう漕げてしまうんですね。節制っていうのはこれまでは良い、ここまでは良いと。
節制、確かに大事そうだなと。これ、飽くほど食うなかれという、まあ分かりますね。その次、酔うまで飲むなかれっていうのは、なかなか私自身には受け入れがたいので、もうこの段階で挫折だなと思ったわけなんですけれども。
ただですね、この日本語訳を見た時にですね、読んだ時に、そして原文と照らし合わせた時に、なんかちょっと違うんじゃないかなというような印象を受けたんですね。
酔うまで飲むなかれって、じゃあ何のために飲むんだっていうのは、まあ酒飲みの言い訳というか反論に過ぎないような気もしないではないんですが、原文をじっくり読んでみたいと思うんですね。
前半はまあ食べることに関してっていうことですので、eat not to dullnessということですね。つまり、dullnessになるほどは食べるなっていうことですよね。
それから同じような構文です。 drink not to elevation。エレベーションになるほどには飲むなというのが、この英文の解釈だと思うんですね。
そうするとdullnessというものとelevation、これを解釈すればいいっていうことになりますが、抽象的な名詞、1語、それぞれ1語ということなんで、確かにこれが何を指すかっていうのは立ちどころには分かりにくいんですね。
これをある種意味を取ってと言いますかね、言い訳に近いと思うんですが、飽くほど食うなかれ、酔うまで飲むなかれというふうに訳してあるんですが、ちょっとピンとこないですね、訳としてはやはり。解釈が入っているとしても、もうちょっと違うことを言いたいのではないかというふうに思ったんですね。
dullnessとelevationの対比
そこで、このdullnessっていう単語、dullですね。それからelevationですね。これはelevateという動詞が元になっている名詞なわけですが、この辺り少し細かく見てみようと思ったわけです。
dullという形容詞はですね、非常に多義で様々な語義があるわけですね。その中に、例えば、つまらない、面白くない、退屈な、飽き飽きするというような意味がありますので、あくまで食べるなというような意味にもなりうることはなりうると思うんですね。
ですが、ここでは本当にその意味なのかというのが私の疑問なんですね。一つ一つの条項には、ちゃんとですね、その後に説明書きがあるんです、フランクリンのですね。それを見てみますと、このtemperanceという部分ですね、節制の部分を見ていますと、こんな解説が与えられています。この部分は原文のまま読んでみたいと思います。
頭のクールさやクリアさを確保するために、節制が必要だと言っているんですね。そして、問題のdullness、dullという意味で、頭のクリアさを確保するために、節制が必要だと言っているんですね。
問題のdullness、dullっていうのは、頭の悪い愚鈍なという意味がしっかりあるわけですね。頭の働きが鈍いという意味です。
そうすると、非常に素直に自然に読めば、頭の働きが鈍くなるくらい食べるなと。つまり、食べ過ぎると当然頭がポカーンとしてくるわけですよね。ですので、馬鹿になってしまうと、頭の働きが鈍くなってしまう。そこまでは食べ過ぎないように気をつけなさいということだと思うんですね。
ですから、飽くまで食うなかれというのは、ちょっと違うんではないかと思うわけですね。そして、追句的な表現が後半のdrink not to elevationというわけです。このelevationという語の解釈は、今度は問題になってくるわけなんですけれども、翻訳では、酔うまで飲むなかれということになりますが、
先ほど言ったように、酔うまで飲むって、飲んだら酔うでしょというような、私としてはそう突っ込みたいですので、もちろん酷くグデングデンに酔うまではということであれば、わかるような気がするんですけどね。
Elevationというこの単語の解釈なんですけれども、Oxford English Dictionaryで調べてみました。そうしますと、elevateという動詞の意味がわかれば、それにionをつけて、elevationとして名詞化したんだろうということで、動詞の意味がやはり基本になっているだろうということが想定されるわけですね。
そこで、elevateという動詞で引いてみました。その7bの語彙として、お酒の効果によって、エレベートした状況のことを指すというような語彙が与えられているんですね。
ずばり、それはどういう影響、効果なのかということは解説されていなくて、ただ、1704年くらいの初出例があって、いくつか例文が挙がっているんです。一番最初のものは1704年、あるいはそれ以前という書き方ですかね、の例文が載っていたりして、
この例文をざっと読むとですね、はっきりとはわからないんですけれども、命定していると言いますかね、足がもつれるほどみたいな、つまり理性をなくすほどぐらいに考えても捉えてもよいのかなというところです。
ちょうど先ほどのdullnessとelevationというのはツイクになっているわけですから、改めて述べますと、英語ではeat not to dullness, drink not to elevationという非常にきれいなツイクですね。
リスナーの影響
レトリック的にはツイクになっているので、これは対比しているだろうと捉えるとdull、頭が鈍くなるほどと言っているわけですから、対比しているelevationというのもやはりですね、理性を失うまで、頭の働きが鈍くなるまで飲むことは避けなさいということなのかなと思うわけですね。
逆に言いますと、その手前までなら食べてもいいし、飲んでもよいというふうに身勝手に解釈して、この13特の第1条からずっこけている私でした。
この2日間でいただいたコメントを読み上げさせていただきます。
まずですね、ヤナモンさん、こちらは478回の英語バナキュラー談義岡本博紀&堀田隆一ということで、火曜日に生放送を行いまして、水曜日の朝にアーカイブとして配信した回だったんですけれどもね、立命館大学の岡本博紀先生と英語バナキュラーについて語りました。
実質的な中身はですね、11月25日に公開されます映画グリーンナイトの話が中心になりました。
岡本先生が字幕監修を務められているということで、主にその話になったんですけれども、これがですね、本案作品で、元の原作はサー・ガウェイン&グリーンナイト、ガウェイン卿と緑の騎士というタイトルのつけられている中英語の英文作品なんですけれどもね、緑っていうのがテーマになっています。
リスナーのヤナモンさんからいただきましたコメントです。
緑が変わり得る生命の象徴のようなもので、良い意味でも悪い意味でも使われたというのがとても学びになりました。
工業革命以降、人間が自然を支配した気になっている今では、緑の意味が歪象化されていますが、トルキンの指輪物語、今アマゾンで毎週金曜に新脚本のシリーズが放映されています。
における森やエルフの象徴のように、緑に対する恐怖、異風、強さ、再生といったものを過去の作品から感じるのは現代において意味のあることと思いました。
11月の放送も楽しみにしております。
ということでコメントいただきました。ありがとうございます。
対談の中でも、この緑が何を表すのかということですね。
これがまさにこの作品の中心的なテーマの一つでもあると思うんですね。
解釈は様々にあって良いですし、また映画を見ましたらどのようなイメージが湧いてくるかということですね。
まさにビジュアルカラフルな映画になるものと思われますし、私もどういうふうにこの緑が見えてくるのかなっていうのはとても楽しみなところですね。
中世英文学における色というテーマはですね、様々に取り上げられてきたわけなんですけれども、
当然文字として残っていて、言葉として例えばグリーンみたいなですね、あるいはブルーとか色彩語が出てきても、
これが果たして今我々が認識している現代人のグリーン、ブルーと同じ範囲の色を指すのかということはなかなか確認できないんですね。
確認するのが難しいということで様々な研究が行われているわけなんですけれども、
それだけに変えて想像力をかきたてるというのが文学作品における色というテーマなのかなというふうにも考えています。
映画楽しみにしたいところですね。ありがとうございました。
そして479回水曜日に生放送をお届けしたんですけれども、そして昨日木曜日の朝にアーカイブとして配信したのがですね、
479回の英語に関する素朴な疑問1000本ノック宿見広志&ほったりゅう1ということで、
これももう一つの生放送企画としてですね、1時間たっぷりでお届けしました。
リスナーの皆さんから事前に寄せられていた質問、英語に関する素朴な疑問に、
2人の英語史研究者がその場で答えていくということで、1000本ノックと呼んだ企画なんですが、
これ非常に盛り上がりまして、ライブで聞いていただいた方も非常に多くいてですね、
また第2回早速企画したいなみたいなことを宿見先生と話しているんですけれども、
これに対してですね、菊蔵さんからお便りいただきました。ありがとうございます。
1時間があっという間で大変興味深い内容でしたし、宿見先生、ほった先生の優しい口調も聞きやすく心地よく感じました。
お二人の先生が時にサポートし合い、さらに充実したご回答がいただけ最高でした。
レベルの高い質問もあり、先生方を悩ますものもあり、緊張感も伝わりました。
英語学習者のみならず、英語教育者のリスナーの先生方も興味深い放送なのではと感じました。
ぜひ1000本ノック生放送またお願いいたします。
ということで、菊蔵さんコメントありがとうございます。
本当にですね、緊張感と楽しさというのが同居しているような非常にいい時間でしたね。
私としても、そして勉強になることが多かったと言いますか、その場で考えなければいけないので、説明の仕方をまとめなければいけない。
短時間で整理しなければいけないということ自体が非常に頭を使う機会でしたし、何よりも思っても見ない角度から来る質問というのは本当に刺激的ですね。
その後も余韻が残るんですよ。
大してうまく答えられてなかったので、どうすればうまくできたかなとか考えたり、さらにこれ調べてみなければいけないなという課題みたいなものができますが、
これそのままリサーチクエスチョンになりうる話題なんではないかとか、いろいろ考えるとですね、本当に濃密な時間ということで、私たち自身が非常に楽しかったということもありますね。
一方でリスナーの皆さんに楽しんでいただけたと言いますかね、面白い企画だと考えていただけたようであれば、ぜひ第2回企画してもいいのかなというふうに早速思っています。
2回の生放送対談という形で連日お届けしたんですけれども、この2つに関しまして、他にもコメント、感想をいただけましたら、大変当事者として嬉しいですし、また次の企画対談につなげていくきっかけになるかと思いますので、どしどしご意見をお寄せください。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
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今週末はまた台風ですかね、日本は台風15号が来ているっていうことですけれども、本日金曜日、皆さんにとって良い1日になりますように、ほったりういちがお届けしました。
また明日。