生放送に寄せられた疑問
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語の謎に答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
9月22日、木曜日です。いかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオヘルディオ。本日の話題は、
以前より予定していました、生放送。 こちらの収録した模様をお届けすることになります。
昨日、9月21日水曜日の午後4時から5時に、 英語に関する素朴な疑問〈千本ノック〉〈矢冨弘&堀田隆一〉という題で、
1時間生放送を行いました。 こちら、非常に多くの方がライブでお聴きいただきまして、公開収録という形で、
実はゼミ合宿の一環として、バックに30人ぐらいの学生がいる状況で、 事前にリスナーさんからいただいていました、英語に関する素朴な疑問に対して、
矢冨弘先生、熊本学園大学ですが、英語CEをご専門とされています。 そして、同じく英語史を専門とする私、堀田と2人で様々な質問に答えていくといいますか、
千本ノックという感じで、ノックを受けていくということで、 普段、レギュラー会でもやっておりますが、それよりもテンポよく、
多くの質問に60分間答えることができたかなと思っています。 こちらの様子をお届けしたいと思います。それでは、どうぞお聞きください。
こんにちは。KELF会長の森田マストです。 KEOHISTORY OF THE ENGLISH LANGUAGE FORUM、略してKELFとは、
慶応美塾大学の英語史ゼミ、堀田隆一研究会をベースとし、 現役の学生に加え、卒業生、通信教育部の英語史専攻の学生などからなるフォーラムです。
英語史の学術を通じて互いに学び合い、さらにはそれらを発信し、 英語史の面白さを広く伝えるということを目標としています。
4月、そして7月に発行した英語史新聞はツイッターでも広く拡散され、 多くの方々に楽しんでいただきました。
このKELF公式ツイッターでは今後も様々な発信をしますので、 フォローがまだの方は是非こちらもよろしくお願いします。
そして、この度KELF Conference 2022ということで、 こうして複数の大学を含む様々な方々に参考していただけること大変嬉しく思います。
それでは、今回のKELF Conference 2022の目玉企画のお時間です。 宿見先生、ホッタ先生、今日はよろしくお願いします。
宿見 宜しくお願いします。 宿目 宜しくお願いいたします。
KEO技術大学のホッタリュウイチです。 本日は今紹介がありましたように、
熊本学園大学の宿見宏先生にお越しいただいてですね、 実際にはZoomで繋いでいるという形なんですけれども、
この状態でですね、我々がこれまでに予定、 事前に寄せられてきました英語に関する素朴な疑問に、
主に英語史の観点からお答えするということで、 最初から言い訳なんですけれども、
我々はちゃんとお答えできる保証は全くなくてですね、 1000本ノック、タイトルはですね、
英語に関する素朴な疑問、1000本ノックということで、 我々ノックを受ける側ですかね。
なので、エラー前提みたいな感じで、 もちろん最善は尽くして、
答えることを、みんなで考えることを楽しむ みたいな企画として、ご了承いただければと思います。
宿見先生、よろしくお願いいたします。
はい、熊本学園大学の宿見博士と申します。 どうぞよろしくお願いします。
本日は面白い企画に呼んでくださって、 楽しみにしております。
ボイシーにはすでに一度ですね、 参加していただいたことがありまして、
改めまして今回こういう機会を設けましたが、 事前にフォームを用意しまして、
リスナーの皆さんであるとか、私のブログとか、 いろいろな手でですね、
素朴な疑問を送ってくださいというふうに、 少し前から述べていたんですね。
そこで数十件ですかね。
今確認しましたらもう50近く集まった。 かなり注目度な感じがします。
ということで、私もヤドミン先生も全く打ち合わせもなく、 見てもいないっていうことなんで、
どんなものが来るかっていうのは、全てにはお答えできない 質問数という感じかと思いますが、
どんな感じでいきましょうかね。
早速かなり来てますので、早速1問目。
リズムよくっていう感じですか。
分かりました。
では早速1問目です。
これは中学生、中学英語に触れたときに、 みんなが疑問に思ったことがあります。
なぜ、ウィルノットの短縮形はウォントンなの?
これはヤドミンさん。
後退できますか原則。
その辺も打ち合わせてないんですけども。
ゲスト、ファーストみたいな感じで。
先生、どうですか。
バトンタッチをいきなりして。
これは私、書いたことがあるので、 ある程度言えそうですかね。
ウィルノットがウォントンなのはなぜか。
短縮形はなぜウォントンなの?
これは中英語期。
1100年から1400年くらいですよね。
今から600年くらい前のイメージですけれども。
その時代には様々な方言が英語ありまして、
ウィルに対して母音が生まれて、
ウルとかウォルとかいろんなのがあったんですよ。
ウィルにノットつければもちろんウィルントっていう感じなんですけど、
ウォルにつくとウォルントとなったりして、
Lが消えちゃうことが多いんですね。
L、Nとなると。
なのでウィルっていう肯定形は、
ある方言から取られて標準形になったんだけれども、
どういうわけか否定形は別の方言のウォル、ノットに由来する、
ウォルントの系統が標準に選ばれてしまったということで、
後から肯定形と否定形を合わせてみたらミスマッチだったねというような、
一種の悲劇っていうことです。
よろしいでしょうかね。
今のを聞いて、すいません、よろしいですか。
今のを聞いて思い出すのが、先生も記事で書いていらっしゃると思うんですけど、
例えば現代英語でBusyとBuryですね。
続いで言うとUになるんだけれども、
発音はEの音であるっていう。
これも確か中英語の方言が関係していて、
それが論論でミックスしていった結果、今チグハグが起きているというのと、
同じ流れなのかなというふうに聞いておりました。
そうですね。補足情報という感じで。
不規則動詞の起源
これいいですね。
そんな感じでいきたいと思いますが、いかがですかね。
続いての質問です。
これも同じく、英語を学び始めて、
学び始めの頃にかなり疑問に思った記事がありました。
このアポストロフィーというのは、
そこに文字が省略されていることを示しているのでしょうか。
という質問です。
そうですね。
基本的に私の認識よりではそうだと思ってます。
このアポストロフィーはどうかな。
シェイクスピアの頃だと結構使われてたと思うんですけれども、
例えば、オグとかオンですね。
昔はこれが交互であまり発音されていなかったと。
なので、オグとかオンとか書く代わりにオ、
アポストロフィーで省略を表していたりとかですね。
私もともと助動詞のドゥを専門的に勉強してたんですけれども、
ドンとという形が生まれたのも、
確か17世紀のことだったと思います。
はい。
先にですね、
それぞれの2人の専門というか、
簡単に述べておきますと、
ヒロ君はもちろん英語史ということなんですけれども、
ヤドミ先生は主に近代英語期、
1500年以降ということなんですけれども、
社会言語学、歴史社会言語学あたりということでね。
よろしいでしょうかね。
私は専門的なところといいますと、
中英語の先ほどの方言みたいなことをやっておりますので、
中英語の方言みたいなことをやっておりますので、
その辺に質問が振り分けられると良いなというか、
考えたりしてるんですけれども、
はい、すみません。
次お願いします。
はい、では次の質問ですね。
なぜ主語が単数である家庭法の文章のB動詞に、
和図ではなく和が用いられることがあるのでしょうか?
という質問です。
はい、
私で、
いきますか?
じゃあこれいいですか?
時代的な家庭法とか。
英語において、
家庭法と直接法というものが、
現代でもあるんですけれども、
特に小英語の頃には色濃く残っていて、
その過去形の形がですね、
今では和と和と分かれているんですけれども、
小英語とか昔の英語においてはですね、
ひとかそういった単数の場合でも、
和を元々用いていたという名残で、
和の代わりに和が今でも使われているということだったと思います。
はい。
はい、ありがとうございます。
次の質問です。
じゃあこれ私が、
どう答えましょうかねということなんですけれども、
こう、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
ということなんですけれども、
一般にはどういう風にいわれたりして、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
例えば、
古英語ですね 古英語というのは 11世紀以前の
だいぶ古い 1000年ぐらい前の英語のことなんですけれども
この時代でもですね 既にで意図があると
で なくてもいいんです ない場合はつまり 死後の意図がないっていう形なんですけど
つまりレインズみたいな言い方で 雨が降る 降っているみたいな言い方があって
ある意味では英語史どこまで遡っても文献がある
時代からですね この構文になってしまっているので
なぜっていうのを英語史の範囲内で答えるっていうことは 必ずしもできないんですが
さらに遡ったところのですね 理論的な比較言語学っていうのがありまして
そのような分野ではですね 一般に非認証構文
なんていう言い方をして あるいは非認証動詞ですかね
一つの説明上は逃げなんですけどね あまり説明になってないっていう感じなんですけれども
そもそも主語を要求しない動詞
だったりするんですよね 天候関係の動詞とか 時間関係のものですね
なんだけれども 主語あったほうが
座りがいいだろうっていうことに 英語は投稿的に後になりまして
一番無難なって言いますかね 当たり障りのない意図 無色透明の意図を
ダミーで立てるみたいなことになったので なかなか英語史でも
分かったようなことは言えないっていうのが 現状なんではないかなと思っています
英語の変化として全体の流れの中で やはり主語を必ず置くっていう
流れになってきたっていうのが 一つ大きなことかなとは思います
そうですね 他の現象にもいろいろ当てはまると思うんですよね
主語を置かないでよかったところに 何としても置くんだとなってしまって
ダミーの意図ぐらい置くかっていう話ですかね こういうことが多いんじゃないかと
やはり屈折語尾が衰退してきて 語形変化がなくなってきたっていうところから
流れで大きく挟まっていくのかなと思います
そうですね
では 次の質問です
過去形 過去分詞形で不規則活用する動詞が あるのはなぜでしょうか という質問です
あるのはなぜか
あるのはなぜかっていうのは なかなか難しいですね
ヤドミ先生だったら どのように 考えるっていうか 議論
そうですね まず 古兵法の時にはもうありました
なので なぜあるかっていうことに関しては 多分それより前を考えなくてはいけなくて
ちょっと手に負えない部分はあると思うんですけれども
難しいですね これ
不規則な過去か 過去分詞があるのはなぜですか ということですかね
なぜ形が違うのかということもありますかね
そうですね 規則的じゃないのは なんでなのかっていう感じですかね
そうしますと 例えばなんですけれども
やっぱりこれ遡って インドヨーロッパ祖語とか ゲルマン祖語っていう
特にインドヨーロッパ祖語なんですが 遡る話で
もともと イレギュラーなものって だいたい母音を変えますよね
シング セング サングとか 母音を変えるようなタイプが
むしろインドヨーロッパ語の段階では 普通の過去形の作り方って言いますか
時勢変化のさせ方だったっていうところに
どっちかというと 今は規則的と言われてるEDが
後から入り込んできて 規則的の座を奪ってしまったみたいな
英語の方言の形成
大きな流れですので もともとある意味 イレギュラーだったというところに
むしろ われわれが規則的と思ってるものが 後から入ってきたと
死んだものであるっていう 文法を ものすごく増やしてしまったっていう
そんな流れなので 答えられないんですけど
いわゆる見方 この問題の問いの見方が 変わるようなことにはなるんではないかと
少なくともっていう そんなふうに考えています
次の質問です イギリスにおける さまざまな方言 例えばロンドンにおける方言など
こうした方言に見られる さまざまな特徴というのは
いつ形成されたものなのでしょうか という質問です
最初からですかね
そうですね 英語史の蓋を開けた瞬間から もうさまざまだったっていうのが事実なんですよね
なので それ以前にどうやって 方言のメイキングがなされたかっていうことは
それ以前の文献的な証拠のない時代の話なので あくまで推測といいますか
はっきりと言えることはないというのが 一つの答えかと思うんですけどもね
イギリスでということであれば 一般的には449年に
アングロサクソン柔道族がやってきた っていうふうになってるんですけれども
それが英語の元だっていうふうになってるんですが
その頃にすでに今あったように アングロ族とサクソン族 柔道族っていう
こういう違う民族が入ってきたわけなんですね
彼らは同じような言語は喋っていたとしても 全く同じではなかったと
彼らがそれぞれブリテン諸島の 違う地域に移住しましたので
入ってきた時からある程度の差異はあった
それが今まで変化したり同化したりしながら 変わってきているので
本当に最初からあったっていうのが 英語に関しては言えるのかなと思います
そうですね もう大陸時代から結局 アングロサクソン柔道とか
あとフリジア語とかフランク語とか いろいろもうすでに方言状態にあったっていうことなので
もうどんどん遡っていって ついには人類の言語の最初みたいな話になって
なかなかはっきりとは答えられないわけですけれども ありがとうございました
不定冠詞の疑問
ではお次の質問です
単数形の名詞につく不定漢詞はあるのに 複数形の名詞につく不定漢詞がないのはなぜでしょう
不定漢詞っていうのは不定のものを表すわけだから 別に一つに限らないんじゃないかっていうことですかね
他の外国語ですね インドヨーロッパ系でも 複数のいわゆる不定漢詞に相当するものを持っている言語があるということを考えると
確かに英語はないっていうか SAMとかね そのぐらい補ったりするくらいかなと思うんですが SAMは必須ではないですからね
だから漢詞っぽくはない
これどうですかね 何か加えていただける
はっきりと答えはちょっとわからないですけれども 昔の英語を見てみると
現在英語では確かにこの定漢詞不定漢詞っていうのは かなりはっきりすみ分けられてますけれども
小英語や中英語 ちょっと失礼します
大学からチャイムですかね 音が今止まってる状態で
不定漢詞の話ですよね 他の言語にはあったりするもんね フランス語でもそうですし
英語でそれが発達しなかったのはなぜかっていうのは なかなか面白い問題かもしれませんね
すいません 失礼いたしました
小英語や中英語を見たときに 必ずしも漢詞の使い方とかが一貫されていなかったりだとか
これは現在英語で言うと 何か漢詞を付けなきゃいけないところに付いてなかったりということで
初期においてはかなりルールとしては そんなにかっちりしていなかったのかなっていうふうに思うんですけど
先生いかがでしょうか 中英語など
はっきりはしてないですね まだ形成途中という感じで
もう少し遡りますと 簡単には今風の漢詞というものは小英語にはなかった漢詞の使い方ですね
漢詞の種みたいなものはあったんですが 少し今みたいな義務的な使い方はなかったのが
だんだんと中英語 そして近代語記ぐらいにかけて発達して今に至ると
定着してきたっていう全体の流れなんですけどね
その際に複数の不定漢詞に相当するものが 芽生えたことがあったかというと
あんまりはっきりと私は記憶にないと言いますか
これは面白いですね
フランス語ではでとかが明らかにありますので
ロマンス系の言語とゲルマン語系の言語で
この漢詞に対する考え方っていうのが少し違うのかもしれないなとは思いますね
インドヨーロッパ系の言語であるとか 特に今の英語付属とか
この辺り漢詞っていうのがあるもんで 我々習得難しいわけですよ
なのでこういう言語にはあるんだと思っているケースが多いかと思うんですが
この漢詞というのもインドヨーロッパ語の中でもですね
おそらく歴史的に培われてきた 発展してきて今こんな形になっているという
その大きな流れの中で見ると
いただいた質問は実は非常に大きいリサーチクエスチョンというか面白いですよね
理論的にも面白いということでいただいてありがとうございました
副詞的目的格の歴史
次の質問です
継承のミスもしくはミセスに対応する日本語は
おそらく女性の女に歴史の詩と書いて女子だと思いますが
普通に生活している限りまず目にすることはありません
これはなぜなのでしょうか
そもそもなぜ英語の継承は男性用と女性用に分かれていて
かつ女性だけ未婚と既婚で分かれているのでしょうかというご質問です
どこからいきましょうかね
最後のなぜ未婚か既婚で分かれているかっていうことに関しては
やはり歴史的には女性が結婚しているかどうかっていうのが大事なことだった
ところが歴史的にはあるんじゃないかなとは思います
そうですね
それから
男性と女性で分かれているのはなぜかっていうそこからそこもあります
これも例えば日本語でも
君さんだったものは最近はもうさんっていうのは割とね
一般的に男女問わず使われるように子供なんかでもですね
学校の状況なんかを見ますと
でもさん付けが多くなってきていると小学校なんかで
そういうふうに時代とともにその男女と女性の
関わってくるという文化的側面はかなり大きいとは思いますね
はいはいはいはいそうですね
やはり今よりも
昔の方が昔っていろんな昔がありますけれども
過去のほうが
今のほうが
今のほうが
今のほうが
昔のほうが昔っていろんな昔がありますけれども
過去のほうがよりこの男女っていうことに社会的な
重要性があったっていうところで
おそらくは分けないっていう選択肢はなかったのかな
その時代の人からするとはですね
ふうには思いますね
日本でも今では男女問わずさんって呼んだりすることありますけれども
ちょっと日本語の歴史は詳しくないですけど
おそらく分けていたほうが
その時代は自然だったのではないかなとは思います
そうですね
世界の言語を見渡せばもともと分けていないであるとか
いろんな例が出てくるかと思いまして
これは通識的にも類型的にも
なかなか調べ始めると奥が深そうだね
問題かなというふうに思いました
では次の質問です
彼女を表す代名詞シーハーハーは
所有格と目的格が両方ハーであるのは紛らわしいと思うのですが
別の単語が使われなかったのはなぜなのでしょうか
まず導入としてはシーハーハーっていうのの
シーとハーが違いすぎるっていうところから
少しお話したほうがいいと思うんですけれども
もともと英語の時には
シーとかヒーエみたいな
HIEみたいな形で
割と男性も女性も似たような形で
使われていたんですけれども
そこでやはり紛らわしいと思われたのか
おそらくスカンジナビアの北の方の
北欧の言葉だと一応言われてると思うんですけど
シーという言葉
同時に全員もその時入ってきたんじゃないかって
言われてると思うんですけど
その言葉からシーを取ってきて
その代わりハーハーっていう部分は
昔の形のままなので
ヒーとかヒズとかとちょっと似ているというか
Hがついていて
同じ系統の言葉が残っているというところが
前提としてあると思います
で 紛らわしいから変えなかったのかというのも
やっぱちょっと難しい質問にはなると思うんですけれども
もともとあったものを変えるときには
多分何かしらのパワーが必要だと思うんですね
もう本当にこれじゃ理解できないとか
区別できないとか
もしくは何らかの大きな理由があれば
というところだと思うんですけど
それがたまたまというか
そこまではなかったということなのかなと
つまりハーの後に名詞がくれば
所有格ですし
そのなければ目的格だろうということが
だいたいわかりますので
そこまでの不便さ
我々が思うほどの不便さというのは
なかったんじゃないかなというのが
予想ですけど
言えるかなと思います
補足と言いますか
略例ですかね
今 二人称では
主格も優 目的格も優ということなんですが
これは歴史的にはむしろ違ってたんですよね
違ってたのに優にまとまってしまったので
紛らわしい方向に来ちゃったという
そっちもあるぐらいですから
というようなね
これもお答えになっているかわからないんですが
そんな感じですかね
さらにこれも理論上の
比較言語学上の話なんですけれども
ハーと一緒になっている部分も
さらに遡ると
やっぱりどうも違う形だったようなので
優が一緒になっちゃったのと同じような
経緯なんですよね
なのでむしろご質問はですね
紛らわしいのに
なんで一緒になっちゃったのというほうが
なんか面白い問題になるのかもしれませんね
では次の質問です
名詞の副詞的目的格は
前置詞の省略と説明されることが多いですが
歴史的には前置詞が追加されたと考えるのか
だととの記述を読みました
手元の参考書を見ますと
そのような説明がなされていました
こちらの参考書では
副詞的目的格というのは
時 距離 方法 程度の
4つに手元の参考書では分けられていまして
こうした副詞的目的格の使用が
時 距離 方法 程度
この4つの場合に多いというのは
何か歴史的な理由があるのでしょうか
最初の部分
つまり I go home とかのことですかね
そう思われますね
他にと例としましては
どういうことを念頭ですかね
例えば I'll wait 3 hours とか
そういう副詞的目的格みたいなやつですかね
副詞的目的格というんですかね
これはドイツ語とかをやると
確か第4格で
予格ですね
予格なんですけれども
例えば今のドイツ語でも
4格で予格
つまり目的語の種類が2つあって
対格と予格という
間接目的語の方なんですけど
間接目的語を使うことで
何々Aとか何々Bっていう
こういう場所へ表すことが
今のドイツ語でもできたりすると記憶してます
なのでもともと英語も
このドイツ語とかゲルマン語の系統ですので
そういう使い方がもともとあって
小英語の時にもあって
それがどんどん予格とは目的語とは
意識されなくなってしまって
結局普通の目的語の形で
副詞的に働いているっていう
そういうことだと考えてます
はい ドイツ語の△になるんですかね
△ですかね レイティブですかね
レイティブっていうことで
そうですね これはやはり小英語から
そういう使い方があったということではあるので
さらに遡って考えなければ
いけない話なのかなというふうには考えています
ラテン語であるとかでも
いわゆる対格とか予格って言われるような
今でいう目的格と呼んでいるものが
単独で副詞的な役割を果たすと
その場合に 今なんですけど
時間とか場所とか方法とか
そんなふうな使い方になるっていうのは
英語の統治と語順
わりと広くインドヨーロッパ系の言語には見られる
ということで 単純に言えば
その名残というふうに考えることができますし
副詞的 実は目的格だけではなく
副詞的続格とか 所有格っていうのもあるぐらいで
主格以外のものは副詞的に何でも使えるというのが
どうもインドヨーロッパ系の傾向であって
英語ではそれだいぶなくなったんですが
やはり化石的に小英語から残っているものが
あるっていう そんな感じですかね
はい
ありがとうございます
では次の質問です
これもかなりなかなか私も疑問に思っておりますが
統治って何で起こるのですかという
広い質問ですけれども
なるほど 統治
強調ですかね
統治ですね
強調っていう
強調が一つあるのかなとは思います
例えば英語においてはSVOっていうのが
基礎的な語順であって
それをあえて統治でするっていうことは
普通とは違うぞっていうことが明らかにあるわけなので
普通と違う言い方をしていますよってことは
それを何かしら強調したい 何かしら
普段の表現と違うニュアンスを持たせたい
っていうことはあるので
一つは強調かなとは思います
例えばNeverを文頭に置いたときとか
強調するってよく言いますけど
Neverはもちろん強い否定ですので
そういうのは一つはあるのかなとは思います
そうですね 強調に近いですけれども
対比であるとか
あと専門用語では
情報構造なんて言ったりするんですけどもね
古い情報が前の方に来て
新しい新情報は後ろの方に回したいっていうのがあって
時に語順をいじることによって
この欲求 求心という情報の流れに乗るように
統治を行うっていうのも
これも割とユニバーサルな
統治の動機づけっていうんですかね
になるのかなとは思いますね
あと何かありますかね
前置詞と動詞の結合
関連してこういった質問を寄せられています
ifを消すと何で統治の語順になるの
これは
難しいですね
確かに家庭法とかね
if it were not for
まさに今ゼミ合宿の途中なんですが
このif it were not forの話をしていて
言い換えてwhat if not forとすることもできるわけですよね
こんなifの話ですけれども
これは
英語式的にはいくつか
説があるんですね
どれが正しいかというのを
よく分かっていないところなんですけれども
一つは
仕事同士の統治ですかね
ifが省略される場合には仕事同士が
統治されるという形になるんですが
この仕事同士の統治というのは
典型的には疑問文の時に
我々はよく知っているわけですね
are you a studentみたいな
この疑問という言語行為と
仮定という言語行為ですかね
仮定するっていうのが
意味的論理的っていうんですかね
何的というかリンクするんじゃないかというような
一つ有名な説があったりしますね
ただ
やはり他のインドヨーロッパ系の言語ではあると
同じ状況が同じ文法があると思うんですけれども
これも遡って
ある意味推測するっていうね
大体そういうことになってしまうことが多いですけどもね
いろいろ言われてるとは思いますね
難しいですよね
ひっくり返すんだよと言うと省略したらと言われて終わりですもんね
英語学習の時
これは答え見出したいんですけどね
そうですね
私はそこまでって感じ
これはちょっと正直唸っちゃいますね
確かになんでなんだろうって
考え続けたいと思うんですけどね
では次の質問です
アウトドゥやインカムといった
前置詞と動詞が合体して1語になったように見える語は
前置詞が前で動詞が後ろに来るようになっている
なぜそのように前置詞が前で動詞が後ろに来るようになっているのでしょうか
そうだとするとなぜこの順番なのでしょうか
同じ前置詞と動詞の組み合わせであっても
例えばいわゆる苦動詞と呼ばれるものであれば
前置詞もしくは副詞に見えるものがくっついているようになっていますが
このあたりよろしくお願いしますということです
そうですね
いわゆる複合名詞とか
複合動詞動詞句っていう言われ方をしていましたが
この場合に前置詞とか副詞に相当するものが
手前に来るのか後に来るのかっていう問題ですかね
はい
これはいかがでしょうかね
そうですね聞いていて一番パッと思いついたのは
中高生の時に同じような疑問というか思い浮かべて
オーバーカムっていう動詞ですね乗り越えるっていう動詞と
カムオーバーっていう表現がありますよね苦動詞として
この2つを見た時に何でこれ意味が違うんだと
前に来た時と後ろに来た時で意味が違うし
しかも片方は一語で動詞で片方は苦動詞でって
これどういうことなんだっていうのをすごい思ったのを
思い出しました
どうなんですかね
ちょっと詳しくわからないですけれども
英語の語形性的に今のオーバーカムとカムオーバー
もうそうだと思うんですけれども
一語として成り立たせるには
後ろの方が格となる要素だと思うんですね単語の
ブラックボードとなんだっけ
ブラックボードですかね
ブラックボードのよく言われたり
グリーンハウスって言われたりすると思うんですけど
英語において単語を作る時に
前との要素と後ろの要素があった時に
後ろの要素がメインとなると思うんですね
なのでオーバーカムにしても
インカムにしても
オーバーカムだったら
メインの方がカムでそれにインがくっついていると
くっついているなら英語だと付けるのは前になってしまう
そういうことかなとは思います
そうですね小英語を振り返りますと
名詞の場合やっぱり
副詞に相当するものがきてその後に
動詞に相当するものがくるというような
組み合わせですかねこれが
普通と言いますか形態論的には
こちらは規則と言っていいと思うんですけれども
これが動詞になるとまさに区動詞なので
ドイツ語などだと分離動詞とかいくつかあるんですが
英語の場合は後ろに副詞に相当するものが回ると
前詞とかということでつまり
名詞と区動詞の対立になるわけですよね
ところが面白いことに動詞区が
そのまま近代語だと思うんですけれども主に
そのまま名詞になってしまうという品詞転換ですよね
これになってしまうと動詞副詞
という形になるので
小英語由来の順番とおそらく近代以降の
新しい順番というのが入り混じっちゃっている
というようなところではないかなと
私もちゃんと調べたわけではないんですが
例えば考え方一つの見方として
候補にはなるんじゃないかなと
なるほどですねちょっと用例をいっぱい
集めてきて分類してみたりすると
語源というかいつから生まれたかを
OEDで調べたりすると
もっとはっきりしたことが言えるかもしれないですね
そうですね我々
ノックを受けながら新しいリサーチクエストを
もらってるじゃないですか
非常にありがたい話です
ノックに関する質問
今のノックを受けながらという話題がありましたけど
ノックにまつわる質問があります
では次の質問です
なぜノックの前にKがつくのですか
これはありがたいタイムリーな質問ですね
専門ノック
そうですね
ノック含めこのK
KNそしてGNという綴りは
例えば他には騎士という意味の
ナイトであったりとか
いろいろあると思うんですけど伝統的には
英語では発音されていたと言われています
ですが
それがこのKNGNというのが
発音しづらかったのかなということで
徐々にもこのKGとNが
つながった時にはこのKとかGを発音しない
というふうに歴史的になってきました
ですのでナイフとかもそうなんですけれども
一貫してこの綴りは英語では発音しないようになっている
ということだと思います
そうですね
確か16世紀17世紀くらいに
KNという場合のKが
だんだんと薄れて消えてしまったという
そのぐらいのタイミングだったと思います
ではここでこの生放送ということで
今まさに質問いただきましたありがとうございます
ファーザーといったのが
FATHERとFURTHERがありますが
この使い分けを習うことがあるのですが
綴りが似ているように思います
なぜでしょうかという質問です
これはですね
私のほうで
これ今でもやっぱり学校の英語教育の中で
習うことが多いんですがこれいかがでしょうかね
そうですね私自身も
中高で教えていましたけれども
これを例えば定期テストで問うというほどではない
気はしますね最近そこまで教育されることはうつるかもしれない
ただ必ず適切に乗っていますよね
なるほど一般的には
物理的な本来の意味ですかね
ファーファーダーファーデストっていうね
あれですけど遠いっていうことで
物理的に距離が遠いっていう場合が
FARと大体言われるんですかね
そっちの方でURの方はちょっと比喩的な使い方で
程度が大きい場合にさらなるとかね
さらにみたいなやや比喩的な意味の場合にはURっていう風に
私なんかもなんか受験の時に
学んだことがあるんですが
実際には必ずしも割とネイティブの方も
混同することも多いっていうようなことで
これはスズリが似ているように思いますっていうことですね
確かに似ていまして
これ一つはですね
そもそもFARなのになんでTHが入るんだと
普通にPRじゃなくてっていう問題がありまして
それはちょっと置いておきます
これもいくつかあるんですが
一つはですねこのFAR
まさに遠いというFARに
由来する直接のTHは置いておいているんですが
直接のものがFAR THERと
こっちの方なんですね
URの方はこれも一説によりますと
FORとかねFORTH
前にっていう
B4の方なんでFOR自体も前にって意味があるんですが
この前にでさらにっていう感じがするので
このFARの方は
それが近い音であるUの音に化けて
スペイン語に化けてっていうことで
この二系列がどうも生じたんだけれども
両方とも一応FARの比較級という理解になってきた
というような
そんな流れがあるということかと思うんですが
FARの方が
FARの方が
FARの方が
近いっていうことかと思うんですが
これもいくつか多分説はありますね
次の質問です
最上級の強調表現についての疑問です
最上級を強調する際には
VERY MATCH BY FAR FAR AND AWAY
などを用いるとかつて習いました
しかしその際これらの強調表現を挿入する位置に
注意するようにと言われました
最上級を強調する際には
VERYを用いるならばTHE VERY TORRES
それ以外を用いるならばMATCH THE TORRES
そこで疑問なのですが
VERYはともかくそれ以外の強調のための副詞を
THE最上級の前に置くのはなぜなのでしょうか
私の感覚としてはMATCH THE TORRESよりも
THE MATCH TORRESの方がむしろ自然と感じます
とのことです
おだしょー 面白いですね
これはどうですかね
一つ思うのは
VERYだと形容詞
例えばTORRESというのがそのまま結びつきますよね
そうですね
MATCHの場合は基本的にこれを副詞として
使われることが多いと思うので
英語の副詞と文法
TORRESと直接的には結びつかないのかなと
副詞と
VERY TORRESとは言うけれど
MATCH TORRESとは言わないということですかね
というよりも
THE VERY TORRES
これは
何と言いますかね
VERY TORRESと
MATCH TORRESの結びつきの強さというか
そういうことも関係があるのかなとは思うんですが
VERYの場合は
基本は
言っていて分からなくなりますね
そうですよね
最初何か思いついた気がしてしゃべり始めたのに
気づいたのに
THEの前に強調の副詞を置くという方が
VERYは別にしては多いわけですよね
強調の副詞であれば
例えばTORRESTにかかるわけですから
THEの後だって
前でもいいかもしれないけど後だっていいじゃないか
というような感じですかね
そうすると多分私の感覚で
THEというのが
最上級で使うTHEというのが
そもそもどういう働きなのかということに依存しているような気はしますね
これは一体副詞なのか
形容詞なのかとか
歴史的にどう迫れるか分からないんですけれども
面白いですね
考えたことがなかった
そもそも文法書とか中古で
今おっしゃっていただいた
いろんな形がありますよと言われるんですけれども
でもそれが
全て頻繁に使われるというのは
世には思えないので
そもそも今どれくらい本当に使われているのかというのと
歴史的なアプローチをするのであれば
昔はどういう語順だったかというところも含め
アプローチするならそういうことができるかなとは思います
そうですね
これは面白い
統合的にも理論的にもちょっと面白いかもしれませんね
完全にノックを受けられるような
アルファベットの起源
文法書を使っているような
完全にノックを受けられない形
でしたが
次の質問です
なぜ英語はアルファベットを使うのですか
またアルファベットの起源はどのようなものなのでしょうか
という質問です
ひらがなを使ってくれればいいのに
ということですかね
これもどうお答えしましょうかね
アルファベットといったときに
おそらくローマンアルファベット
ローマ字のことを
おっしゃっていると思うんですけど
それはもちろんローマ字ですので
ローマで確立した
もちろん起源はもっと前になるんですけれども
ローマで確立した文字で
それがヨーロッパ中に広がっていったということだと思います
例えば
ローマだとイタリアなので
そこからイギリスはかなり距離がありますけれども
例えば
もちろんフランスやドイツ語なんかも
今ではローマ字を基本的に
ベースにして使っていますので
多少例えばウムラウトとかアクサンのマークとか
ついたりはしますけれども
基本的にはローマ字を使っていると
それはやっぱり昔のローマの影響力と
あとキリスト教の広まりですね
この影響が強かったというふうに思います
イギリスでいうと597年に
アウグスティヌスがやってきて
カンタヴェリー
ケントに修道院を建てて
布教を行ったというのがありますので
そのタイミングぐらいで
もちろんその前にも入ってきてはいると思うんですけど
大きくそのタイミングぐらいで
ラテン語も入ってきたし
ラテン語で使われているローマ字も入ってきて
それまでブリテン島で使われていた
ルー文字ですね
ちょっとずつローマ字が変わっていったという
そういう流れがあります
そうですね
歴史文化というまさに英語詞で
説明できるって言いますかね
導入経路みたいなものかと思いますね
無関詞の使い方
では次の質問です
以前Tip to Tailという表現に出会いました
参考書などを見ますと
他にもHead to Toe
House after House
Against Friend
こうした例文が載っているのを見ました
その参考書によると
姿形や働きなどに起因して
無関詞で使われることがあると説明されていましたが
こうした表現において
無関詞に使われているわけですが
これについて歴史的な説明があったりするのかなと思いました
とのことです
そうですね
確かに無関詞
いわゆるフレーズですけれどもね
フレーズには無関詞で使われるものが非常に多いですかね
数えられるものでも無関詞単数形って言いますかね
確かに多いですよね
一つは
先ほどの話題とも関連するんですが
関詞がそもそも未発達だった時代があって
そういう早い段階で
フレーズとして確立してしまったというのは
一つあり得るかなと思いますね
そうするとフレーズというのは
一回固まりますと
中の文法分析等語分析をしないで
暗記の対象になるわけですよね
ということで現在まで続いてきているというのが
一つの回答の仕方かなと思いますね
そうですね
音っていうのも一つあるのかなとは思うんですね
今聞いていると
ヘッドトゥトーとかっていうのは
これに関詞を付けてしまうと
音としてまとまりが失われてしまうような
口で言いやすさっていうのもあると思うんですね
もちろん昔の表現がそのまま
関詞なしで残っているっていうのと
あと音としてもやっぱりそれのほうが成り立つからっていう
そういう部分もあるのかなと思います
そうですね
隠立的な理由っていうよく言われる
語呂がいいっていうことなんですけどもね
それもあると思いますよね
つまり関詞を付ける付けないの理屈よりも語呂であるとか
伝統監修みたいのを重視するみたいなことの結果という
感じでしょうかね
日本の英語の授業では割と文法イコール正義という
絶対的なものっていう感覚ですけれども
実際に英語を使っている人っていうのは
もちろん文法はあれど
他のことも音とかですね
重視して使っているのかなっていうことはあると思います
そうですね
では次の質問です
英語史の勉強をしていますと
現代英語のdeerというのは
昔は動物という意味で使われていて
それが今では鹿という意味になったと習いました
このように意味の変化が起こるということですが
古英語の時代から意味が全く変わっていない単語はありますか
との質問です
認証代名詞とかですかね
文法的なあれですかね
もちろん
たくさんあるというか
そちらの
今数えたこともないですけれども
そのままのもののほうが
多いのではないか
あるいはちょっとした拡張ぐらいはあったとしても
大きく異なるならないものもありますよね
なので変わったものが目立つ
例えばdeerみたいなものがよく話題にされるということなので
興味深い例がいくつかあるんですけれども
だからといっても
全部が全部そうじゃなくて
むしろ変わらないもののほうが圧倒的に多いのではないか
ということですね
ストーンでもボートでも何でもいいですけど
一般の名詞形容詞
動詞ですね
やっぱり簡単な身近な
物質的なものが多いんですかね
今のを聞いていると
例えばストーンとかっていうのは
変えなくてもいいような気がしますし
ボートとかもおっしゃる通りだと思うんですけど
例えばよくわかるのがマインドとか
そういう概念的なものは
どちらかというと変わりやすいのかな
一方でストーンとか
ボックスとか
トリーとかそういう基本的な語彙は
割と変わらないのかなという印象があります
そうですね
deerがなんで歯科になったかというのは
意味の縮小とかね
これはまたいろいろ議論できるところなんですけれども
ここでは
これらの違いって何でしょうか
また語源は一緒でしょうか
これを使う人たち日本人でも英語話でも
これを使う人たちは使いこなせているのでしょうか
という質問です
少なくとも私は使いこなせてませんね
調べないとあれなんですが
フェスティバルとフェスト
フェストとかフェスタ
英語には入ってきているんですかね
入ってきてそうですね
イタリア語からという感じですかね
あまり英語でフェスタというイメージはなくて
逆に日本でフェスタって聞くことはあっても
英語でなかなか聞くイメージは
あまりないかもしれない
辞書にはどうも載っているようですが
一般的かさらに使い分けとなると
我々も使い分けられていないということですかね
フェスティバルですかね
語源的には
ちゃんと調べなきゃいけませんが
基本的には重なっているということは
推測はできますね
ラテン語だと思います
次の質問です
不可疑問文はなぜ肯定文なら否定形に
否定文なら肯定形になるのですか
英語史上いつから始まったのですか
また命令文の場合は
clean your room will you
let'sの場合はlet's go out shall we
などという表現もありますが
こちらについてもよろしくお願いします
詳しい歴史的な経緯はあれですけれども
日本語でも何とかじゃないという感じで
否定になりますよね
なので逆の方に行く
不可疑問文で逆の方に行くというのは
かなり一般的なことなのかなというのが
一つあります
あと不可疑問文って
例えばご丁寧に
あんちゅーとかどんちゅーって付けるイメージがありますけど
例えばヨーロッパの人とかと話すと
おそらく彼らの母語ではそうなんだと思うんですけれども
なんとかなんとかのーとかですね
最後にのーって付けたり
これで不可疑問文としたりとかですね
あとフランス語だったら
確か私の記憶では
どんな場合でも否定文であってもねスパっていうのを付けたりとかですね
そういうことだったと思います
なので英語において確かにこの肯定文の場合っていうのが
ちょっとイレギュラー
他の言語で他にも見られるかわかんないんですけど
この肯定文でなんとかじゃないとかだよねっていうので
否定を付けるっていうのはかなり言語的に
一般的なことなのかなと思います
そうですねこの問題なかなか難しくて
ちょろっと調べようかなと思ったことはあるんですけれども
肯定に対して肯定の不可疑問っていうのもあって
その場合には皮肉とか驚きとか
特別なニュアンスが出るっていうことなんですが
なのでこっちのほうが当然マイノリティなんですが
歴史的に見ると割とこの肯定に対して肯定っていうのが
少なくも今よりは使われていた時代があったりとか
この辺の変動も長く広く見てみないと
全容はわかんないのかなっていうことで
一言での回答っていうのは
私もできないかなと思っています
そうですね
あっという間に残りもあと2分ほど
早いですね
そろそろあれですかね
締めということで
どれくらいの疑問に答えた感じになるんですかね
そのくらい来ました
割とじゃあテンポよくっていう
1000本ノープということで
事前に質問したんですけど
なかなかこうやって突然出された質問に
すぐ答えるのはなかなかエネルギー
エネルギーは使えますね
答えられてないもののほうが多いかと思うんですけど
英語史の本当に最初に述べましたが
英語史の考え方というか見方みたいなものを
英語史の考え方というか見方みたいなものを
英語史の考え方というか見方みたいなものを
英語史に関する質問
英語史の考え方というか見方みたいなものを
英語史を研究している
我々がどういうふうに回答するかみたいなところを注目して
本当の答えはどうかっていうことではなく
割とそっちのほうに注目していただけると
面白いかなという趣旨での企画でした
趣旨での企画でした
20本としても1000本までまだまだですので
またご出演いただきまして
倒れてしまいますね
ご一緒にこの企画
またあの機会がありましたら
よろしくお願いできればと思います
あっという間の1時間でもこの1時間でも
かなり英語史の意味がギュッと伝わったんじゃないかと思います
ぜひまたこの企画お願いしたいと思います
あっという間の1時間でしたが
本日はヤダミ先生ホッズ先生ありがとうございました
ありがとうございました
英語に関する素朴な疑問1000本ノックと題してお届けしました
有意義な対話の振り返り
英語に関する素朴な疑問1000本ノックと題してお届けしました
熊本学園大学のヤダミ博士先生
そして私ホッターが2人で
どれくらいですかね
20問近くにはなったかと思いますが
リスナーの皆さんから寄せられた
そしてライブで投げ込んでいただいた
質問もあったかと思いますが
これらを含めまして比較的
いつもよりは通常回の1000本ノックよりは
多くの質問に答えられたのではないかと思っています
多くの質問に答えられたのではないかと思っています
大変様々な角度からの質問があって
本当に面白いなと思ったんですけれども
ノックですけれどもね
ショートの教習ライナーみたいなのもあるかと思えば
サードのバントみたいな
脱力系のほにゃっとなるような質問も
様々な角度からあって
本当に面白かったなというところで
問題をリスナーの皆さんから寄せていただいて
この回が成り立ったということで
本当に感謝しております
ありがとうございました
そちらから選ぶ形で
司会のケルフ会長のマサニャンが
選びながら20問近くになるんですかね
それにお答えした形になります
その後ですね
矢野実紀先生とも改めて
今回の対談といいますか
生放送を振り返りまして本当に面白かった
いい緊張感なんですね
お互いに打ち合わせもなく質問も見ていなかったということで
緊張感はあったんですけれども
とっても良い面白い
そして放送の中でも述べましたけれども
実は素朴な疑問をいただいたものが
そのまま英語史という学問分野の
リサーチクエスチョンになっているというような
ケースも何回かあったと思うんですが
これは大変に
やっている我々としてもメリットが大きい
ということですね
お話しをして
Zoomで接続していたんですがお別れして
大変実りのある
対談会になったかと思っています
皆さんもどのように聞いていただいたか
生放送あるいはアーカイブで聞かれている方の方が
多いと思うんですけれども
コメント等をお寄せいただければ
またそれを
受けまして
企画することもあるかもしれませんので
ぜひどのように聞いたか
ということも含めまして
リアクション反応いただけますと幸いです
こんな感じで初めての企画ということで
行ってみまして
私としては大変面白く
1時間話すことが
お答えすることができたと思っています
改めまして質問を寄せていただきました
リスナーの皆さんそして
ライブあるいはアーカイブでも聞いていただきました
皆さんに感謝いたします
引き続きこのHeldioをよろしくお願いいたします
それではまた明日