2026-02-07 20:48

【再】#567. 外来語か借用語か?

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #借用語
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サマリー

本エピソードでは、外来語と借用語の使い分けについて議論が行われます。日本語の語源や歴史に基づき、漢語との違いや専門的な立場からの用語選択についても言及されています。外来語と借用語の違いに関する議論が進められ、日本語における用語の使い方や文化的背景が考察されています。特に、日本人のメンタリティが外来語の受容に与える影響についても触れられています。

外来語と借用語の概念
著者の堀田隆一です。来月1月には、京都大学の家入洋子先生との共著、
文献学と英語史研究が開拓者より出版発売されます。 英語史研究のガイドブックという内容の本です。こちらもよろしくお願い致します。
さて本日は12月19日月曜日です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオheldio。
英語史をお茶の間に、おもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。
本日お届けする話題は、外来語か借用語か、です。 どうぞよろしくお願い致します。
562回、外来語言い換え提案は古今東西のデジャビュ現象と題する回についてですね、リスナーのカミンさんより質問いただきました。
読み上げます。 質問ですが、外来語と借用語というタームはどう使い分けるのが適切でしょうか。
日本語については外来語と言われることが多いように思います。 借用語はもあんぱんてーを想起しますので、西洋語についてよく使われるのかなという気がしますが、
動詞で借用するとは言えるけれど、外来すると言えないというのもありますが。 ということで、
用語の問題ですね。外から入ってきた単語を外来語と呼ぶか、借用語と呼ぶかという問題で、私自身もですね、こちら使い分けについてですね、揺れていたり、ある種の基準はあるんですけれども、
外来語ってかなり通っている名前なので、こっちを使いたくなるっていう日本語の文脈ではですね、そんなこともあったりして、なかなか難しい問題だなと思っていたところ、
このようなご質問いただきましたので、この問題について私の見解をお話ししたいと思います。
日本語学の伝統
まずですね、ゆるく言えば基本的に同義語というふうに考えていいと思うんですね。 外来語と言ってもいいし、借用語と言ってもいい。
要するに外から入ってきた単語を呼ぶ語称であるっていうことですね。 そうなんですけれども、私はですね、専門家としての立場からは基本的に借用語という表現を極力使うようにしています。
一般的に外来語の方が学術色が薄いと言いますか、一般的に使えそうな感じがしますので、TPOに応じて使い分けはしますけれども、外来語と平たく一般的に外来語ということもあります。
ただ少しでも専門的な立場を意識する場合には、外来語っていうのはあまり使わないようにしていて、借用語という表現で通すということにしています。
この使い分けがちょっとややこしい問題を含むっていうのは、日本語学の文脈とか伝統というものと英語学の文脈伝統、あるいは英語学を含めて一般の言語学というふうに言ってもいいと思うんですが、つまり日本語学って特殊なんですね。
これは国語学とも言われたりしますけれども、これとより一般的、ユニバーサルなと言ってもいいんですかね、言語学の考え方とは完全に一致しないっていうところで、その用語遣いにも差が現れるんだろうと思いますが、
まず、日本語学の伝統、あるいは国語学と言われる学問の伝統の中での話からスタートしたいと思うんですけれども、まず、大和言葉っていうのがありますね。これが本来の和語ということで、和語、大和言葉という語彙があります。
一方で、6世紀以降に中国語から入ってきた、いわゆる漢語ですよね。これは外から入ってきたという意味では、これも外来語には間違いないんです。そして釈用語でもあるわけなんですけれども、これは歴史の中でかなり早く入ってきた、日本語の歴史の中で相当早く入ってきて、そして平安時代ぐらいまでにはもう自らのものとしていた。
日本語が完全に同化吸収していたというもので、釈用語、外来語ではあるんだけれども、現代の感覚からすると、もう日本語の一部というふうに捉えているっていう、つまり通じ的には釈用語であるんだけれども、教授的な感覚で言うと、もう日本語の一部だというこのギャップと言いますか、
通じ的、教授的で位置づけがちょっと異なるっていう、この感覚を表すのに漢語という言い方をするんですね。外来語とは呼ばずに、あるいは釈用語とは呼ばずに、漢語っていう中間段階を作るんだという発想なんだと思います。
それに対して、せいぜい室町以降、そして多くは明治維新以降に入ってきた、いわゆる西洋、ヨーロッパの言葉です。
これはあまりに歴史がまだ浅いので、せいぜい百数十年とか、室町まで遡っても400年です。漢語の千年という、千年じゃ聞かないですね、千数百年という時間とは比べ物にならないので、やはり最近の外から入ってきた単語っていう感じがするので、外来語という表現、あるいは釈用語という表現がぴったりくるんですね。
なので、漢語というのは確かに考えてみれば外からの単語が入ってきたということには違いないんだけれども、あまりに歴史の早い段階に入ってきたので、今や日本語の一部として同化している。
なので、境地的に言うと外来語とか釈用語とは見なしにくいっていう中途半端な存在なので、そこに漢語という名称を与えるわけですよ。
そうすると、もともとの和語あるいは大和言葉っていうのが大元、最も古い層としてあって、そしてその次に漢語っていうのがある。この漢語は本当を言うと釈用語だったり外来語だったりするんですが、これはもう既に入って久し、そして日本語化しているということで、釈用語外来語っていう言い方は馴染まないということで、漢語という独特の位置づけがあるわけですね。
そして、近世以降に、主に近代ですけれども、西洋の言葉が入ってきたあるいはその他の世界の言語ですけれども、これを釈用語とか外来語と呼ぶということで、この三段構えというのが基本的な日本語の語彙を構成しているというそういう考え方なんです。
つまりですね、日本語の語種って言いますか、語の種類とかですね、大和言葉、漢語、そして外来語、釈用語、西洋からのっていうことがメインなんですけれども、最後の3つ目はですね、この辺りが一種の了解事項になっているので、外来語、釈用語という言葉は広く言えば漢語だって外来語、
外来語の特性と課題
そして釈用語でしょという言い方はあるとしても、考え方はあるとしても、日本語学、国語学の文脈では、この漢語の部分は含まないという取り決めになっているということなんですね。
これは科学的合理的な用語使いではなくて、どちらかというと監修的、日本語学、国語学の文脈における監修的な使い方と言うべきだと思うんですね。
さらに言うとですね、では外来語という言い方と釈用語という言い方、これは同じなのか違うのかということなんですが、外来語という言い方、これが多分最も一般的に日本語で流通している外から入ってきた単語の呼び方だと思うんです。
ただこれはですね、やはり日本の文脈、日本語の文脈において使われているかなり特殊な言葉なんではないかというふうに思っています。
外来というのは日本語史であるとか日本史の文脈で言いますと、迫来っていうこととかなり近いんですね。
つまり島国ですから、外からということは迫来、船で渡ってくる、海の向こうにあるところから来るっていうニュアンスが強いんです。
なので、これ一般的に世界の言語を考えようとするときに、この資生学的関係、日本が島国であるっていうことは他の国には必ずしも当てはまらないので、極めて制限された用語なんだろうなというふうに思ってるんです。
外来とか迫来っていうことなんですけれども、ですから日本語の感覚とすると外来とか迫来ってすごくフィットするんですよね。
とにかく外から入ってきたものを外来迫来と呼んでおくととても分かりやすい。
海によって隔てられているので、入ってくるもの、外から入ってくるものは海の向こうに決まってるっていう発想があるからです。
ですが、ヨーロッパであるとかアフリカであるとか、いわゆる大陸の場合ですね、外から入ってくるイコール海を越えて入ってくるっていうことにはならないわけなので、この迫来とか、そしてそのイメージを色濃く残す外来っていう言葉もですね、なかなか一般言語学的には馴染まないっていうところがありますね。
チャプターを続けます。
このように外来語という言い方は、どうもですね、日本語学であるとか国語学の伝統の中で育ってきた用語という感じがするんです。
一般に流通していますし、やはり最もよく通じるので、これを私自身も分かりやすさということを念頭に置く場合に使うっていうことはあります。
ただ、言語学的に専門的な立場から外から借りた言葉という意味で使う場合にはですね、この外来語は極力使わないようにしています。
釈用語というより一般的、味気ないと言えば味気ないんですけれども、借りた言葉というそれ自身を表すですね。
ある意味無味感想ではありますが、非常に三分的な表現、そしてそのものをですね、的確に表している表現を使うっていうことを一応ですね、私自身は監修としています。
つまりこの立場から日本語を見ると漢語、これも釈用語の一種に違いない。
ただ、かなり古くから借りられていてですね、日本語の中にすっかり定着しているという特性はありますけれども、やはり通じ的言語学的な関心観点から言いますと、やはりこれもですね、最近入ってきた横文字語、ヨーロッパからのものと何ら違いはない釈用語であるというふうな捉え方をしています。
釈用語の中の内訳で、そのソース言語が中国語であるとか英語であるというそのレベルで分けるのがいいんではないかということですね。
日本語学の文脈では、和語、山戸言葉、そして漢語、そして外来語、これは西洋からの釈用語のことをですね、指して外来語という言い方になっていますけれども、これはややこしいので、
私本当はですね、使いたくないっていうことです。本来語、山戸言葉に対して、あとはすべて釈用語、ただそのソース言語が中国語であるとか英語であるとかフランス語であるとか、そういうふうに分けるのがおそらく合理的なんではないかと思っているんですけれども、
日本語の長い伝統と言います、日本語学、日本語史、学の伝統で三段構造として山戸言葉、そして漢語、そして外来語という言い方がある程度定着してしまっているので、仕方なくこれに乗っかるっていうことはあるんですけれども、あまりですね、気持ちいい感じはしないで使っているっていうのが正直なところです。
外来語と借用語の違い
そして英語史の話に戻りますけれども、日本語学から離れて英語の語彙の歴史ということを考えますと、やはり本来語か、それとも外から来た釈用語かという肉文が一番いいんだろうと思います。英語の文脈では外来語ということはあまりしないですね。英語で言うとですね、いろいろ言い方は確かにあるんです。
例えば一番普通なのはローンウェーツですかね、釈用語っていうことです。あるいはボロードウェーツ、借りられた単語たちという言い方ですね。それからフォーリンウェーツという言い方もあります。このフォーリンウェーツっていうのは外来語という感覚に一番近いかなと思うんですが、この外来語とかフォーリンウェーツっていう外来っていう言い方がですね、
問題となるのはですね、実は語の釈用って完全な外国語、次元語と異なる言語ですね、喋っても通じないようなものから来るだけではなくて、自分の言語の異なる方言から来るっていうケースがあるんですよ。その場合、やっぱり外来という言い方はですね、ちょっと微妙にですね、違和感があるんです。異なる言語じゃないからっていうことです。
異なる方言に過ぎない。次元語の異なる方言から来たものも釈用語という言い方であれば、これ統一できるんです。外来って言うとちょっと抵抗がある。本当に外なの?うちなの?っていう問題が生じるからです。
ですが、相手言語のあるいは相手方言ですね、編集が自分とどういう関係であるかということを問わず、とにかくですね、別のところから借りてきたというこの操作って言いますかね、仮定、これに注目する釈用語という言い方。
釈用そのものはBorrowingっていうふうに英語では言っていますけれども、ここに注目する用語っていうのが一番中立的なのかなとは思っています。
ですので、私自身もですね、いろんな用語を入り乱れて使うっていうことは現実的にはあるんですね。やはり外来語って日本語の文脈で非常に通用しているので、広く使えるので、思わずですね、分かりやすいということを第一に考える場合に使ってしまうっていうことがあるんですけれども、
専門的な立ち位置からしゃべる場合はですね、釈用という表現をなるべく使うようにしています。そして外来という表現はなるべく使わないように意識はしています。
あとはですね、釈入っていう言い方もありますね。これは外からうちに入ってきたっていうことを強調するときにたまに使うことはあったりしますけれども、ほぼ同義です。釈用と釈入ですね。借りて持ち入るっていうのと借りて入れるっていうことですけれども、ここの差はほとんどないかなというふうに私自身は理解しています。
まとめますと釈用という言い方が一番三分的で面白みはないかもしれませんが、その分学術的には適切な用語なんではないかというふうに考えています。一方、日本語の文脈では外来語という言い方ですね。
日本文化と外来語の受容
これが広く流通しているっていう事実自体は認識して、そしてそれを用いることもあるっていうことも事実です。ただここにはですね、日本語史独自の用語遣いの伝統っていうのがあるということと、
あとやはりこれはですね、否定しがたく日本人のメンタリティとして外から入ってきたものっていう表現が非常にしっくりするっていうこの島国根性、島国文化っていうのがあるんだと思います。なのでこの外来語という表現を完全に使わずに済ますっていうことはなかなか難しい、そんな事情はあるのかなというふうに理解しています。
もっと言うとですね、外来とか迫来っていうものは、日本人の島国根性みたいのをちょっとくすぐるところがあるんですよね。これは日本のですね、あるいは日本人の独立性であるとか、プライドに関わる問題で、ただ言葉のみならず、まさにですね、最近大陸諸国との摩擦が多い中で、
極めていろんな意味のこもった用語なのかもしれません。
いわば内と外ということなんですけれども、これをですね、もうちょっと相対化したと言いますか、冷静な目で見た用語である釈用語、あるいはblowingですね、あるいはloanwordsという言い方ですが、こちらの発想、これを理解することはとても重要なんではないかというふうに思っています。
用語の背景にある考え方、用語体系の裏にあるイデオロギーみたいなもの、そういう話題に実はなっていく大きい問題なんではないかというふうに私は思っています。
改めまして、今日のお題、外来語か釈用語かについて皆さんも考えてみてください。
エンディングです。
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それでは、今日も皆さんにとって良い1日になりますように、ほったりうちがお届けしました。
また明日。
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