2025-10-20 26:31

#457. 中英語の言語資料と方言

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サマリー

中英語時代の言語資料や方言についての考察を通じて、ノルマン征服後の英語の変遷が明らかになります。特に、英語の復活と地域方言の影響が、英文学の発展に寄与したことについて詳しく議論されます。また、中英語の時代における言語の標準化と印刷技術の影響についても探求されます。特に、ウィリアム・キャクストンの活版印刷によってもたらされた英語の一様化の進展が強調され、その背景には多様な方言が存在しています。

中英語期の概要
おはようございます。英語の歴史の研究者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
8月31日、水曜日。もう8月も終わりですね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
この数日、少し涼しめですかね。少なくとも東京地方は曇りがち、雨が降ったりしてですね、気温が少し落ち着いたんですけれども、
今日あたりから天気が回復して、また30度超えという夏海に戻りそうな感じなんですけれども、いよいよ8月も終わり、そして明日から9月ということでですね、早いなという感じがします。
本日の英語の語源が身につくラジオヘルディオ。お届けする話題は、中英語の言語資料と方言についてです。
リスナーの方から寄せていただきました質問に回答する形のお話となります。本日もどうぞよろしくお願いいたします。
リスナーのカミンさんからお寄せいただきました質問です。
近代以前については、言語の変化、標準語化の過程の確認のための資料はもっぱら書き言葉になると思いますが、
中英語では方言的特徴を示すテキストが数多く残り、14世紀以降はテキストから方言的特徴が徐々に消えていったので、14世紀以降は初期言語としての英語の標準化が進展していったと判断できるということですか。
中英語の主な言語資料としてどのようなものがあるでしょうか。交渉文学として伝えられた文学的テキストでしょうか。
ということで、中英語の言語資料というやや専門的な話題になりますね。
それから中英語の方言の話、そして中英語後期から少しずつ書き言葉に標準が出来上がってきて、そしてまさに我々が今使っている英語の標準というものに直接つながるわけなんですけれども、この辺りの事情について少し詳しくお話ししたいと思います。
中英語期というのは、1100年から1500年ぐらいのこのイメージで捉えていただきたいんですが、1100年というのは丸めて1100年にしているだけで、基本的には重要な景気としては1066年の例のノルマン征服ですね。
ここがスタートと考えて大体間違いありません。
この年にアングロサクソン王国が消滅するんですね。
永遠に消滅します。今まで復活していないということなんですけれども、その1066年、この年にイギリス海峡の南側ですね、フランスの北西部、ノルマン地方を支配していた、統治していたノルマン人たち。
このリーダーであるギヨーム、英語名はウィリアムですね。ウィリアムがアングロサクソン王国を征服したという、そういう大事件が起こったんですね。
このノルマン人というのは何者かと言いますと、ルーツとしてはバイキングなんです。
ノルマンというのはノースマンということなんで、北方から来た人々ということなんですね。
それがこのフランス北西部、今ではノルマンディ地方と呼ばれていますが、ここを統治するようになってフランス王に侵入するようになったということですね。
そしてもう数世代経つうちにですね、身も心もというか、身はバイキングのままなんですが、心はフランス化しまして、すでに2066年のノルマン征服の頃にはですね、すっかり文化的言語的にはフランス化していったということなんですね。
ただまあ、ナマッタ、ノルマンナマリのフランス語というのを話していたことになります。これがウィリアムとそのお月の者たちということなんですね。
彼らがイギリス海峡を北側に渡ってイギリスに攻め込み、そしてすっかり征服してしまったということなんですね。
そしてですね、1066年のクリスマスの日にロンドンのウェストミンスター寺院にて、ウィリアムは大冠式をあげます。そしてウィリアム征服王、ウィリアム一世としてイギリス王として君臨することになったわけですね。
これがイギリスにおけるノルマン朝の始まりということになります。
そして100年ほど続いた後ですね、プランタジネット朝に変わるわけなんですけれども、これも同じくフランス系ですので、しばらくですね、ノルマン征服1066年以後、3世紀以上にわたってフランス語を母語とする王が統治する国というふうにイギリス、イングランドですけどね、イングランドはなったわけなんですよ。
大多数の人々は何も生活は変わりませんので、アングロサクソン時代からずっと英語をしゃべり続けています。
しかし統治者であるノルマン系の人々ですね、これは人口比で言うと本当に5%ぐらいのもので、大変少数なんですけれども、やはり統治者ですからやはり影響力がありますね。
この王公貴族がノルマンディから渡ってきて、大変少数ですがロンドンの宮廷で政治をとっていたということです。
したがって外向きには、王と貴族がフランス語話者なわけですから、英語話者ではないわけですね。英語なんかしゃべれないわけなんで、いわばフランスが公用語であるという国にイングランドは一時になったということです。
95%の人々が英語話者ではあり続けましたが、少なくとも公的な地位は奪われたということなんですね、英語は。そしてフランス語こそが偉い言語、国を統治する公式な言語ということになったわけです。
こんな時代が3世紀以上続くということになります。そしてイングランドにおいて書かれる言葉というのも、圧倒的に公的なもの公式なものはフランス語に当然なるわけです。フランス語で政治が行われているわけですから。
今まではアングロサクソン王国で、1066年まではちゃんと英語が当然のことながら公用語であり人々の言語であったということで、それで法律も書かれていたし公的な文書も全て書かれていた。文学も書かれていたんですが、一気に公的な地位を奪われて英語はほぼ書かれなくなるっていう時代が1066年から数十年少なくとも続くんですよ。
このノルマン征服から数十年の間はほとんど新しいものが英語で書かれなくなります。古くからのつまり古英語のものを映したコピーしたようなものっていうのは細々と続くんですけれども、新たに英語で作文されるという機会はほとんどなくなったわけですよね。
英語を書く伝統っていうのが一時、費やることになります。イングランドの地においてちゃんとものを書くって言ったら、基本的にフランス語で書くっていうことになったわけです。書けるっていうのは大変な特権ですよね。教育を受けてないと書けないわけなんですが、今や教育を牛耳っているのも当然異性者であるノルマン人っていうことになりますし、何を教育するかというと当然フランス語なわけですよ。
なので英語が教えられるとか書く、書かれるというようなそういう機会がなくなるっていうのは、この状況に鑑めると当然のことだったわけです。王公貴族はノルマンディからやってくるノルマン人、いわばフランス人ですよね。ロンドンの宮廷はそんな人ばっかりということになります。
そして宮廷文学も当然フランス語で書かれるっていうことになるんですね。実際、ウィリアム制服王の奥さんはフランス語で詩を書く詩人のパトロンだったんですね。
さらにウィリアム一世の息子で、ヘンリー一世ですね。ヘンリー一世の二人のお嫁さんも同じようにフランス語の詩人のパトロンだったということで、いわばフランス文学がイングランドで書かれたということは、この12世紀あたりでは非常に多いことなんですね。
フランス文学がイングランドで書かれているという、そういう状況です。ですから、英語で物を書くなんていうのも本当におよびでないというか話にならないっていうぐらいにまで、一気に英語はですね、地位が低い、そういう言語になり下がるわけですね。
ノルマン制服の後数十年から100年ぐらいはそんな状況だったんです。イングランド生まれ育ちの喫水のイングランド人でも物を書こうと思ったら、ちゃんと教育を受けて書けるようになるといったら、これはフランス語で教育を受けて物を書けるっていう話なんですね。
英語文学の復活
ですから、英語は当然母語ですからペラペラで、家に帰ったらずっと英語を喋っているにもかかわらず、物を書けと言われたら公的なフランス語で書くということが前提だったっていう時代ですから、それは英語がですね、書き落とされたり書き落とされたものが残るっていうことが、中英語の初期はないわけですよね。そもそも。
まずこういう時代があったっていうことが重要です。とはいえ、ノルマン制服から100年ぐらい経つとですね、さすがに再び英語も書かれるようになってきます。そもそも95%の人々は英語話者なわけですよね。数の力ということは当然あるわけですね。地位としては低い言語かもしれないけれども、やはり需要があると言いますか。
ただ、もちろん高尚な文学であるとか書き物っていうのは残されていません。よくあったのは、説教集の類ですね、キリスト教の。説教集というのは人々にキリスト教を説くっていうものなので、当然これは母語を出ないとですね、何を言ってるか通じないわけですよ。
なので、説教の言語というのは必ず英語なんですね。そして説教に関連する文章も英語で書かれるというような、そういう状況が現れてきます。
ノルマン征服から100年ぐらい経った後ですね、つまり1150年からの1世紀、1150年から1250年ぐらいというイメージなんですが、この時代には英語が少しずつですね、復活してきます。ただ本当に少しずつです。
そしてその時代に書かれるようになったものっていうのは、説教集の類ですね。それから修道場のための戒律集、ルールっていうアンクレーネルイブレンなんていう書物がですね、英語で書かれるようになってきます。これも生活と密着した、つまり人々、英語話者である人々が読めるようにというような意図で書かれたものだと思われます。
この時期にこの類の宗教的なものが書かれ出すようになるわけなんですけれども、イングランド各地からちょろちょろと現れてくるものを見ると、それぞれがものすごい鉛を示してるんですね。つまり各地の英語の方言、耳で聞いたら明らかに鉛っているっていうものが、そのまま鉛がですね、スペリング上に現れた形で目に見える鉛みたいな形で、
各地からなまったスペリングがどんどん出てくるんですね。それがテキストに反映されるということで、各地に方言がたくさんあったんだなということがとってもよくわかる状況になってくるんです。これが12世紀後半から13世紀前半というような時期なんですね。
この時期は宗教的なもの、説教宗的なものが多いと言いましたが、例外的にですね、フクロウとナイチンゲールというタイトルの論争詩みたいなものがですね、長編の詩ですけれども、これが英語で現れてきます。
これは土着の発想の上に、おそらくフランス語的な印立テクニックであるとか、発想も含み込みながら成立したそういうものなんですけれども、この時代としてはかなり異色な早い段階で英語化されたものということですね。
そして次の100年、1250年から1350年ぐらいにかけてなんですが、この時代はそれまでの説教宗的なものも続くんですけれども、新たに英語の文学といえるものがだんだんと出てきます。
大体ロマンスが多いですね。英語の文学といってもフランス語ですでに書かれていたロマンスに反をとってですね、英語化したもの、翻訳作品みたいなものも非常に多くありますけれども、少なくとも英語で書かれるもの、英語に翻訳されるものっていうのがかなり多く出てきます。
そしてやはりイングランドの各地から出てくるんですが、それぞれがもう本当に生まれているですね。スペリングからしてたくさん方言があったんだなということがよくわかります。
このように徐々に英語が復元していくと言いますかね。公的な言語としては未だにフランス語なんですけれども、下の方から徐々に湧き上がるようにして英語文学が復活してくるっていう感じです。
したがって英語で書かれたテキストとかドキュメントっていうのもどんどん増えてくるというのが、この1250年から1350年あたりっていうことになります。
そしてこの1350年あたりを過ぎると、いわば中英語も後期なんですけれども、中英語文学の花と呼ばれる時代に入っていきます。
その代表選手がジェフリーチョーサーです。1340年代に生まれ1400年にいなくなっているんですけれども、その晩年ですね。1390年代に書き上げたと言われるカンタベリ物語というのは非常に有名です。
中西文学の大傑作と言われているようにですね。このチョーサーはフランス語もペラペラフランス語で書けるぐらいだったんですが、あえて英語で書くことを選んだというのは、すでにこの時期には英語がほぼ完全に復活しつつあったということを物語っています。
ほぼ同じ時期にですね、農夫ピアスの夢という作品を書いたラングランドであるとか、さらにイングランドの北西部の方言で書かれたガウェイン卿と緑の騎士という、いわゆるアーサー大物なんですけれども、このような作品も英語で書かれるようになりました。
チョーサーの活躍した14世紀後半というこの年代はですね、いまだに各地の方言というのがたくさんあって、その方言で書かれていたんですが、一方でロンドンという街がですね、完全に大都会化しまして、商業産業が非常に発達してロンドンが経済上、そしてもちろん政治上もそうなんですが、の中心地となっていくんですね。
そしてそこに、そして大法官庁チャンサリーと言いますが、いわゆる官僚ですね。官僚が公的な文章を書く際のある種の標準的なものっていうのが出来上がってくるんですね。
中英語の標準化の始まり
いまだ方言で各地では書かれていたんですけれども、このロンドンの官庁ですね、ここで書かれる英語っていうのがそこそこ標準的なものだよねというふうに一目を置かれ始めるっていうのが、このチョーサーの時期、それからチョーサーの次の世代ぐらいの時期っていうことなんですね。
ここからゆっくりと英語の綴り字が標準化し出すということになるわけです。
15世紀に入りますと、ロンドンのギルドですね、商業組合なんかも多くのドキュメントを残すようになるんですね。商業的な会計的な文書であるとか、それもすべて英語になってきまして、そして比較的標準的な綴り字で、ロンドンだということもあるんですけれども書かれるようになってきて、
このロンドンベースの標準語というものが存在感をだんだん増してくるっていうことですね。そしてこの15世紀中に標準がある程度の威信を持ち始めるということになりました。
ただ、これもものすごくスピーディーに起こったわけではなくて、15世紀中でもやはり地方に行けばそれなりにこう生まれたもので書かれたっていう状況は続いてはいましたので、徐々に標準化が進んでいったというぐらいのものなんですけれどもね。
そしてこの15世紀の後半、中英語期も本当に最末期という時期なんですが、1475年、ウィリアム・キャクストンという人が初めて、活版印刷術で英語をプリントする、印刷物に付すということを行ったんですね。
これ以降、もちろん手書きも続いたわけなんですけれども、大量に印刷された一つの綴り方ですね。これが何千部、何万部とすられて、そして英語国民の目に一様なスペリングが焼き付けられるようになると、つまりみんな慣れてくるっていうことですね。
ただ、これとで完全に標準的なスペリングになるのは、やはり数世紀先だったりするんですけれども、手書きの200年ぐらい前の中英語のめちゃくちゃな方言綴りという、そのような状況からは出しつつあったっていうことですね。
こうして中英語、最末期に印刷術が入ってきて、混乱のスペリングの時代、混乱の方言綴りの時代というのは幕を閉じつつある中で、次の近代英語期に突入していくと、そういうことなんですね。
さて、最初にいただいたカミンさんからの質問に戻りますが、英語の標準化が朝鮮の生きていた14世紀後半あたりから、そして15世紀にかけてだんだんと進展していった様子っていうのは、確かに言語資料を見ているとわかるんですね。
めちゃくちゃに多様だったものが、15世紀ぐらいになると、だんだんと標準的なものに修練していく様子がわかると言いますが、そもそも残っているものをかき集めてみると、明らかに一様化していくっていうことがわかってくるんですね。
そして最末期は本当に印刷物ということになっていくので、これが余計に目立つと。ですので、話し言葉としては、結局どの言語、どの地域でもそうだと思うんですが、常に方言状態があるわけなんですけれども、書き言葉だけですね。
今に残されているのは結局書き言葉だけなので、それを見る限り、どんどん多様だったものがグングングンと一様化していくように見えるという状況が、中英語の400年を通じて見られると、そういうことなんですね。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
リスナーのカミンさんからのご質問に答える形でお話ししましたけれども、結果としては言語資料の話、中英語期の言語資料の話であるとか文学史という話に近づいてきたかと思うんですが、
言語研究、英語史研究の場合は本当に残っているものが全てということなので、残っているものがどんな分布なのか、そこに残されているテキストや言語っていうのがどのぐらい多様性があるものなのか否かみたいなことでしか判断できないっていうことはありますよね。
残されている資料は書き言葉ということなので、どうしても書き言葉に関心の中心がぐっと寄せられていってしまうということなんですけれども、話し言葉、その背後に隠れているだろう話し言葉で言いますと、実は昔から今まで多分ほとんど何も変わってないと思うんですよね。
昔から方言っていうのは様々だったし、そしてその方言の多様性っていうのは変わらずに現代にまで続いているということですね。
今私、いろいろなシリーズとして世界英語みたいな様々な英語が世界で話されていますよっていうようなことをやっているんですが、これは主に話し言葉の世界なんですよね。
話し言葉の世界の話題っていうことになります。これは今に始まったことではなく、実は本当に英語史の最初からですね、古英語、中英語、近代英語、現代英語、そして21世紀もだと思うんですけれども、様々な英語が話されていたというこのこと自体は実は何も変わっていないんだろうと思います。
ただ英語史研究、史的研究となりますと、どうしてもですね、1900年以降はレコーディング技術っていうのが録音技術というのが発達しますが、それ以前にですね、頼りになるのは書き言葉として、しかも現存しているものしかありえないので、
偶然に現在まで残されているものに左右される、そういう英語史ということになりがちなんですね。これはしょうがないことでもあるんですけれども、このことを十分に認識した上ですね、得られた文献証拠というのを解釈する。
時には補正しながら解釈するという、こういうことが必要なのかなと。これが文献学、フィロロジーという分野なのだと考えています。
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、今回のようにですね、皆さんからのご質問、それからご意見、ご感想をお待ちしています。チャンネルで取り上げてほしいトピックなどもいただければ幸いです。
Voiceのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています専用フォームを通じてお寄せください。こちらの専用フォームの方はですね、Googleフォームズを利用しているんですけれども、これは長い長文でのご質問をいただく場合であるとか、あるいは匿名希望という方もいらっしゃるということで設けてあります。
ただ、最近嬉しいことに非常にたくさんコメントといただいているんですけれども、Voiceのコメント機能の方は皆さんにオープンになるという意味で、こちらからなるべく優先してですね、皆さんに共有できる形でのやり取りっていうことでオープンになっておりますので、Voiceのコメント機能の方を優先させていただければというふうに思っています。
寄せられてきましたコメントには全て毎日目を通しておりまして、いただいた質問などもですね、簡単には答えられないということで、答えあぐねているものもあれば、今調べ中ですというものもあれば様々な形なんですけれども、
いずれのコメント質問もですね、大変刺激を受けていることは確かです。
お一人お一人に感謝の言葉を述べることはなかなかできないわけなんですが、この場をお借りしましてコメント、質問等をお寄せいただいている皆さんに本当に感謝しています。
いつもこれで話題を探しているということになりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
さて本日は8月最後の日ということですね。
この最後の日も皆さんとって良い1日になりますように、明日から9月です。
頑張っていきましょう。
堀田隆一がお届けしました。
ではまた明日。
26:31

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