ワールドイングリッシーズの紹介
おはようございます。英語の語源が身につくラジオヘルディオのパーソナリティ、そして英語の歴史を研究しています堀田隆一です。
8月8日、月曜日です。 8月もですね、1週間ほど過ぎましたけれども、東京地方は本当に鬱陶しい日々が続いております。
今日もですね、かなり暑くなるんではないかなと思いますけれども、暑い暑いと言っててはしょうがないので、頑張って過ごしたいと思います。
今日も昨日に引き続き、世界英語、英語の世界化っていう話題に焦点を当てたいと思うんですけれども、タイトルは、意外と知られていない世界中の英語の種違いという話題でお届けします。
本日もよろしくお願いいたします。今ですね、この放送ではワールドイングリッシーズ、世界英語、世界諸英語というふうに訳されたりしますけれども、複数形のイングリッシーズですね、世界中で様々な英語が話されている。
つまり、我々がやる教育学ぶですね、英語とは異なる、標準英語とは異なる英語が世界中で行われているっていうことはですね、いろいろなところで目にしたり耳にしたりするっていうことなんですけれども、多くの日本人はですね、ビジネスであるとか国際コミュニケーションの現場でですね、
まだまだやはり標準英語、いわゆる英米の標準英語っていうことに触れる機会が多いっていうことで、それほど、それ以外の世界の様々な英語、ワールドイングリッシーズにですね、触れる機会っていうのはどんどん増えてきてはいますけれども、まだ少ないんではないかと、いわゆる伝統的な英語に触れる機会が多いんではないかと思いますが、
ただですね、やはり現実には様々な英語が行われているっていうことは事実なわけですよね。ワールドイングリッシーズの時代にもう突入しているっていうことなんです。
そしてなぜこのような異なる英語編集が世界中で展開しているのか、この21世紀に展開し得るに至ったのかという背景を押さえておく必要があると思うんですね。
そこでですね、多くの日本人と言いますかね、日本語母語として、そして英語をあくまで外国語として、リンガフランカとして勉強するっていうのが、ほとんどの日本語母語とするものの英語に対するスタンスだと思うんですね。
国際語だから英語を勉強するっていうことだと思うんですよ。
私自身もそうですし、多くの日本人の皆さんもですね、そのような目的で英語を勉強しているっていうことだと思うんですね。
その割には世界に出ると様々な英語が展開しているっていう、ちょっと裏を描かれるようなですね、ことが起こってくるわけですよ。
じゃあ、この英語のバリエーション、多様性、豊富さというのは何によるんだろうかというと、これは歴史を見ないとわからないわけなんですよね。
そして世界史であるとか西洋史のですね、一般的な知識を得るとですね、当然イギリスから英語っていうのは始まって、そこから派生したんだっていうこと。
このことについては知っている方が多いと思うんですね。
その後、アメリカに移って、そしてアメリカが合衆国としてイギリスから独立してというような流れはありますけれども、基本的にはイギリスベースでそこから派生していったんだということ。
この辺の基本の基本の知識っていうのはある方が多いと思うんですね。
ですが、実はここにこそ落とし穴があってですね、イギリスから例えばアメリカに英語が移植されますよね、あるいは例えばインドであるとか、アジア地域、アフリカ地域に英語がどんどんダイヤ帝国、イギリス帝国の力によってですね、世界に拡散されるっていうことがあるわけです。
この拡散されるっていうのを種巻きに例えると、どんどん英語の種が巻かれたっていうことになるんですが、ここで実は意外と知られていないことは、多くの世界中に巻かれた種はイギリスの標準英語だと、イギリスのロンドンベースの標準英語だと思っている方が多いんではないかと思います。
つまり種は一つで、そこから様々なところに移植されて、つまり巻かれて、その土地土地でちょっと変わったりはして、変な英語が、ワリエーションが出てきたなというふうに認識されている方が多いんではないかと思います。
ところが事実は全く違うんですね。既に1600年時点ですね、そこから例えばアメリカとかインドとか世界中にイギリスが展開していくことになるんですが、そのスタート地点を象徴的に1600年ぐらいに起きたいと思うんですね。
そうしますと、その時にイギリスの英語が一様だったか、つまり種が一つだったかというと全くそんなことはないんですね。イギリスは歴史上って言いますかね、英語の歴史が始まってから、そして今の今に至るまで方言だらけなんですよ。標準語というのはあったりした時代も確かにありますが、なかった時代もあるっていうことで。
そもそもが英語がイギリスにおいてすらですね、一枚はではなかったっていうことです。世界展開する直前の時代に一つの種ということであれば話は分かりやすいんですが、そこからして実はですね、種は複数あった。複数どころか無数にあったと言っていいと思うんですよ。
そしてアメリカに行ったのはこの種、オーストラリアに行ったのはこの種というふうに種が異なってるんですね。
ですので、世界中に英語が散っていって移植された時に違うという場合ですね。
それは土地が異なれば、いろいろと異なる発展を遂げて違ったものになるでしょうというのは、それは一つあるんですが、それ以前の大前提の問題として、実は巻かれた種が違かったっていうことがあるんです。このことが理解されていないと思うんですね。
つまり、アメリカに持ち込まれた英語も、オーストラリアに持ち込まれた英語も、他にインドであるとかナイジェリアに持ち込まれた英語も、スタートはイギリス英語だったんだ、イギリスの標準英語だったんだというふうに考えると、これ間違いなんですね。
最新の英語の多様性
一つの英語が種として外に巻かれて、そこから土着化していろいろ変わっていったんだっていうのは単純な話じゃないんです。最初に巻かれた種自体が実は複数あって、それのどれが巻かれてアメリカに土着化したかとか、オーストラリアに土着化したか、ナイジェリアに土着化したか、インドに土着化したかというような、ここ自体が違うんですよ。
なので、今現在様々な英語が話されていて、なんとかイングリッシーズっていうふうに異なるっていうふうに認識されてるんですが、これは巻かれた後に変わったというよりも、巻かれた瞬間からそもそも違っていた異なる英語の、イギリス英語の方言なり何なりが異なるところから持ち込まれたっていうところに依存するっていうことですね。
これが意外に多いんですよ。
このポイント非常に重要だと思いまして、現代ワールドイングリッシーズといって、世界には様々な英語が展開しているっていうことなんですね。
そしてその含みは各地で英語が移植された後に、その各地でいわゆる土着化してローカライズされて独特の英語が生まれてきたというような、そういう文脈で捉えられることが多いんではないかと思うんですよ。
ですが、それ半分は当たりなんです。確かに。ですが、もう半分は最初から実は種巻きの段階から、違う英語が種として巻かれていたんだということ。これが意外と認識されていないっていうことなんですよね。
要するに、イギリスにもこの英語が世界化、偉い言語になる前段階から、イギリス内では様々な方言があったんですっていう、ある意味当たり前のことなんですよ。
だからこれが英語があまりに大きすぎる、巨大すぎる言語って認識されているために、認識されないというか、帰り見られないっていうことがあるんではないかっていうことを私は危惧しています。日本語だってそうですよ。共通語っていうのはありますけれども、無数に方言があるじゃないですか。
こんな、例えば日本語は世界化したっていう時に、ある地域にはここの方言が入ったけれども、別の地域には別の方言が入ったっていうことっていうのは十分あり得るんですよ。そもそもそのような英語が歴史的に世界展開した時代というのは、まだ標準英語、いわゆるロンドン別の標準英語っていうのが100%は固まっていなかった時代です。
他の様々な方言ですね。地域方言というのも入り混じった形で、イギリス国内で標準化が策定されつつあった時代っていうことで、まだされていなかった段階で種が様々に世界に巻かれたっていうところがポイントです。
エンディングです。本日も最後まで放送を聞いていただきまして、本当にありがとうございます。
英語がこのように今ですね、世界展開して様々なホニャララ英語というのが生まれているというのは、現代の行理的な拡散なんであるというふうに捉えるというですね、そういう向きがあるかもしれませんが、そういうわけでもないんですね。
英語はそもそもが多様性を帯びている帯びていたっていうことですね。そして様々な種があったところにその様々な種が世界中に巻かれたと。
そしてそこで発芽した種がやはりその土着の栄養を吸って、イギリス本国あるいはアメリカとは異なった成長を遂げたっていうことで、つまりですね、多様に多様を重ねたっていうところで本当に今多様化してるっていうことなんですね。
これが世界英語現象ワールドイングリッシュの本質だと思うんですよ。つまりこの数十年とか百年で多様化したわけでは決してないんです。もうイギリスにあった時代からですね、もう種がそもそも複数あったっていうことなんですね。
英語の歴史と文化的背景
そこが歴史を学ぶ意味だと思うんですね。英語の歴史ということですが、現在の多様性っていうのは決して近現代に生まれたものではない。確かにそこに増殖された部分もありますけれども、そもそもが種は複数であった多様だったっていうことです。
これは古代中世ですし、英語史の始まる5世紀以前の大陸時代からそうなんです。そもそも方言状態として存在していたのが英語なんだっていうことです。ですから英語を一つのエンティティとして捉えるという、これ自体が問われなければいけないというか、考え直す必要があることなのかもしれません。
我々日本人は英語というと一つのやっぱり世界標準語ということですね。一番トップの部分を見てそういう存在なんだというふうに見るという傾向がですね、どうしても強いかと思うんですけれども、その背後にはその歴史文化背景には実は無数のものが集まって、それを大雑把に束ねてイングリッシュと呼んでいるに過ぎないんだっていうこの認識が非常に重要だと思います。
この認識が非常に重要になってくるのかなっていうふうにこの21世紀思うんですね。
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それでは本日もホッタリウッジがお届けしました。また明日お会いしましょう。ではまた。