2025-08-25 15:22

heldio #401. 英語のスラングは誰がどのように生み出したのですか

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サマリー

このエピソードでは、英語のスラングがどのように生まれるのかを考察しています。社会言語学の視点から、スラングの発生や特定の集団との関連性についても触れています。また、スラングの社会的機能についても考察し、言葉の変化を生み出す重要な要素としての役割が強調されています。スラングは一般的に軽視されることが多いですが、実際には言語研究において注目されるべきテーマとされています。

英語のスラングの起源
おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 7月6日、水曜日です。
本日の話題は、ウェブ上で寄せられた英語に関する素朴な疑問、こちらにお答えしたいと思います。 その質問とは、英語のスラングは誰がどのように生み出したのですか、
という問いです。この質問が寄せられたのは、ウェブ上の指摘共有サービス、MONDというですね。
いわば、一般から質問が寄せられて、それに対して登録している専門の方ですね、もう様々な分野の専門の方ですが、自分が答えられると思ったものに答えていくというような、
そういうサービス、ウェブ上のものがあるんですけれども、こちらに私がたまにですね、最近あんまり答えてないんですけれども、たまに答えて文章を書くということがありまして、
4月にですね、寄せられた質問です。こちらの方のリンクも貼っておきますので、文章でも読めるかと思うんですが、これどこまで広く読まれているかということもですね、
一般の方々に分からないということもありますし、改めてこの問題について考えてみたこともありますので、このVoicyでも取り上げたいと思った次第です。
英語のスラングは誰がどのように生み出したのですかという素朴な疑問です。この質問には様々な答え方があるかと思うんですけれども、
まず質問の最初にいる英語のスラングはっていうところの英語のというのは取り除いても大体同じ答えになります。
つまり日本語でも中国語でもフランス語でも大体同じような原理でスラングっていうのは生み出されるもんだと思うんですね。
ただ誰が生み出したのかということと、なぜどのように生み出されたのかということ、
この辺りはですね、分けて考えてみたいと思います。
まずスラングは誰が生み出したんだろうかという風の問題ですね。これはかなり難しい問題です。
スラングの誕生というのは、いわば新しい語であるとか既存の語を新しい意味で用いるという意味で新表現の創出と言っておきたいと思うんですけれども、語彙における変化ですよね。
そしてこれ語彙であるとか単語の変化だけでなくて、発音だって文法だって変化をもともと最初に起こしたのは誰なのかという個人を特定するっていうことはほとんどの場合不可能です。
闇に包まれてるんですね。ちょうどですね、噂の出どころを確かめることが難しいのと同じような感じです。
言葉の変化ってだいたい噂と同じように考えればいいと思うんですね。誰かはスターターがいるはずなんですけれども、どんどん受け継がれていて広まっていくうちにその最初の誰かっていうのは大抵の場合無名の人なんで分からなくなってしまうってことなんですね。
非常に稀に芸能人であるとか政治家っていう有名な個人が新語を作り出してですね、それを流行らせて流行語となるっていう場合があります。
この場合は出どころがはっきりしてるんですが、これはほとんども稀中の稀、例外中の例外ですよね。
このように最初の人物が特定されるっていうことは基本的には言葉の変化の場合ほとんどないと考えていいと思うんですね。
ですのでスラングに限らないんですけれども、新しい表現を生み出した個人っていうのは特定できないことが多いっていうことです。
ただですね、社会言語学という分野の研究の進展によって、これも20世紀後半ですから、せいぜいこの60年ぐらいの話なんですけれども、
画期的な研究方法が生まれまして、個人は特定できなくてもどのあたりの集団、社会集団でそのような変化が生じたか。
今回の場合スラングですけれども、スラングが生じたかっていうのは突き止められる場合っていうのがあるままあるんですね。
例えば日本語で言えば渋谷の女子高生たちが発祥だということがあったりですね。
例えば言語学者のサークルであるとか、東京へ通勤通学する東海地方の人々が持ち込んだ語法だとかですね。
あるいは日英語のバイリンガルが持ち込んだんだであるとか、出どころの集団レベル、個人とは言わずともですね、
集団レベルでここあたりが出どころかなというふうに分かるっていうケースは、詳しく調査すれば分かるってことが出てきたっていうことなんですね。
英語でも同じで、例えばアメリカの軍隊が発祥だであるとか、イギリスの大学生が発祥だとかですね。
どこどこの労働者階級が発祥だみたいな、この程度の集団レベルということで言えばある表現であるとか、
今回の場合スラングに注目しているわけですが、スラングの発信地というのが特定できる。
少なくともそこら辺かなというような感じで分かってくることっていうのはあると思うんですね。
ただ、それも調査を尽くしてそこまでいけるっていうことであって、個人まで特定するっていうのは難しいですし、
集団を特定することですらですね、慎重に研究しないとなかなか答えが出てこないっていうのも多くの表現の場合ですね、こういう事情があるっていうことなんですね。
なので、質問の前半部分って言いますか、誰が英語のスラングを見出したのかっていうことはなかなか難しい問題で、
ある程度集団レベルまで絞り込めることもあれば、それすらも分からないこともたくさんあるっていうのが本当のところではないかと思うんですね。
スラングの発生と集団
なので、そこを完璧に解決するっていうことはちょっと諦めることにして、どのようになぜ生み出されてきたのかという後半の質問に集中したいと思うんですね。
そもそもスラングってなぜ生み出されるんだろうか。
全く新しい語であるとか表現がスラングとして生み出される場合もありますし、一方、既存の語や表現がその既存の意味、通常の意味とは別にスランギーな意味で初めて使われて、それがスラングとして見なされるようになるっていうこともあります。
つまり語、表現としては全く最初からない、ゼロから作られるものもあれば、既存のものがスラングとして流用されるっていうこともあるっていうことなんですね。
このようにだいぶ現れ方は違うわけなんですけれども、動機づけはおそらく共通です。
ある社会集団内で生み出されるっていうことが多いわけなんですけれども、例えば犯罪者集団とか学生集団であるとか、ある職業集団っていうことが多いと思うんですけれども、これは新しさ、親しさ、力強さって言ったような表現の、なんて言うんでしょうかね、このいわば表現力の追求ですよね。
同じことを言いたくても既存の語では十分ではない、弱すぎる。
なのでそこにビビットな力強い生き生きとした表現性というのを与えたいという悪なき欲求、ここから生まれるものだと思うんですね。
既存の標準的な語でそれを指す、指し示す言葉があったとしても、それではちょっと満足できない。
つまり新味がないし面白みもない。
我々はもっと強くこの指示対象を強く押し出して表現したいんだっていう時に制裁を放つようなしばしばショッキングであるほどの代替表現というのが生み出されるんだと思います。
つまりその語表現について思い入れが深ければ深いほど、単なるその語表現では飽きたりずに新しいショッキングな、そして人々を驚かせるような表現を言いたくなるという、そのあたりに基本的なスラングの動機づけがあるのではないかということだと思うんですね。
そのような強い動機づけっていうのは、その言語を喋る全体、社会集団全体に当てはまるわけではなくて、ある特定の例えば職業集団みたいなところに起きてくる欲求だと思うんですね。
なのでそこで新しいこの表現力の高い表現が生まれると、その内部では集団内部の結束を高めるという効果も持つわけです。
スラングの社会的機能
表現力が高いだけではなくて、内部の結束を保つというような社会言語学的な機能があるということですね。
一般の人はこの言い方を知らない。だけど自分たちは知っているっていうある種の優越感であるある種の合言葉みたいなものですね。
一種閉鎖的な性質を持つっていうのがスラングなんだと思います。
このような社会言語学的な旨味と言いますか、機能がしっかりと備わっているために、古今、東西のすべての言語において、このスラングというのは絶え間なく生み出され続けてきたものだと思うんですね。
私の考えではスラングというのは2つの社会的機能がある。
一つはその社会集団の中での表現欲求の季節。もう一つは同じ集団内での合言葉ということだと思います。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日はスラングという非標準的な語法について考えてみたわけなんですけれども。
一般的には貴族であるとか下品ということで煙たがられる。少なくとも敗訴な文脈ではこれはもう下品すぎというふうにスラングを切って捨てられるようなもので、非常に低レベルなものっていうような認識が一般的にはあるかと思うんですが、実はそんなことはなく言葉の変化を生み出す原動力である。
そして最も日常的で身近なものであるということだと思うんですね。
実際、言語の研究であるとか英語史でもこのスラングというのは注目されています。
一般的な標準的なきれいな英語語法にばかり注目が集まってきたという研究の歴史も長いんですけれども、いやむしろ原動力はこういうスラングにこそあるんじゃないのというような考え方からですね、非標準的なスランギーな言い方に対して熱い注目が注がれるようになったのが、現代の言語研究だなというふうに考えています。
逆に言いますと最も身近で実際的実用的なので、スラングって学ぶのが難しいんですよね。
一般に英語を学ぶときに単語帳とか教科書にはだいたい載ってないわけですよ。標準英語を勉強しましょうということになってるんで。
ですが生身の会話の中ではしょっちゅう出てきたりするわけですよね。
ここがなかなか言葉の厄介なところだと思うんですが、言葉そのものが生き物であるということを改めて認識させてくれるような現象。
それがちょっと非俗な、しかし言葉を動かす原動力として非常に重要な社会的役割を果たしているスラングという存在なんだということをお話ししました。
言語の標準化に関するお知らせ
さて、このチャンネル英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、ご意見ご感想ご質問、そしてチャンネルで取り上げてほしいトピックなどをお寄せいただいています。
ご一心のコメント機能あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています専用フォームを通じてご投稿いただければと思います。
最後にお知らせなんですけれども、この5月に私も編著者の一人として関わっています金鑑賞、高田博之、田中牧郎、堀田隆一編著、言語の標準化を考える日中英読普通対象言語史の試みという本が大衆館から出版されました。
この編者3人、高田、田中、堀田が今週金曜日に出版を初めて会うことになっておりまして、そこで対談をしようと、そしてこのボイシーにも収録して公開しようということになっているんですね。
この金曜日ということなんですけれども、それまで気はあまりありませんが、もしこの話題ですね、標準化、言葉の標準化であるとか、あるいは複数の言語の歴史を比べる対象言語史というアプローチ、このあたりに関心のある方はですね、この本をまだ手に取っていなくても、あるいは既に手に取ってみたよという方もですね、専門フォームを用意しました。
こちらのURLをこのチャプターに貼り付けておきますので、ぜひですね、何なりと自由にコメント、ご質問、ご意見等をいただければと思います。
この言語の標準化であるとか対象言語史というキーワードから思いつく、どんな質問、感想でも構いません。
その金曜日の変者3人の対談の際にですね、参考にさせていただきながら、それについて話題にするということですね。
こんなことを考えていますので、よろしくお願いできればと思います。
この本のどんなところが売りなのとかいう質問でもいいですし、そもそも標準語って何のことを言うのであるとか、英語の標準化っていつ起こったのみたいな疑問質問でも構いません。
その対談でズバリ取り上げることは、もしなかったとしても、今後のVoicenの放送のお題としてもですね、考えていきたいと思いますので、ぜひお寄せいただければと思います。
それではまた明日お会いしましょう。
15:22

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