00:00
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史、英語語源ハンドブック、言語学ですっきり解決英語のなぜの著者の堀田隆一です。
8日前のことになりますが、6月10日、NHK出版新書、英語史で説く英文法の謎、なぜ3単元のSをつけるのかが発売されました。
発売前増殺となりまして、さらにその増殺文も大幅増量がつい先日決定いたしました。
全国つつ裏裏にてご好評いただいております。 英語の語源が身につくラジオヘルディオ、英語史をお茶の間におもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え
すそのを広げるべく、毎朝6時に配信しています。 本日は2026年6月18日木曜日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
さあ本日はこのヘルディオでもおなじみのシリーズです。 英語史の古典的名著、ボー&ケイブルを読むと題するシリーズなんですけれども
始まってから3年ぐらい経つんですかね。
ゆっくりと読み進めておりまして、まだまだ序盤、前半なんですよね。
もっか、第63節、ベネディクタイン・リフォームというところを読んでおります。
この1節を読むためにですね、 実はヘルディオにして7回分ですかね。
収録してきたことになります。 それぐらいの超精読をしているということなんですね。
仲間と一緒にこうして一つのテキストをめぐって 精読会を開くこんなに贅沢なことはありません。
今回も提供科学大学の金田拓先生、 拓さんとお呼びしておりますが
ヘルアのオフ会にてこの精読会を開いております。
こちら収録したのは
もう3週間以上前のことなんですけれども、ようやくですね。
オンエアの準備ができました。 テキストをお持ちの方は第63節をお開きください。
そうでない方のために、今日読む部分に関して 画像、テキストという形でですね、
03:02
貼り付けておりますので、そちらを眺めながら お聞きいただければと思います。
また合わせまして、今朝アップしましたヘログ、 英語紙ブログの方もこの配信会と連動した記事となっておりますので、
そちらからもテキストにアクセスすることができます。 40分ほどの本体部分となりまして長めではありますが、
お時間のあるときにじっくりとテキストを 睨みながらですね、お聞きいただければと思います。
それでは行ってみましょう。 どうぞ。
週末、週末、そして午後、そして冷たい飲み物がくれば、 もうあとは精読をやるんじゃないということで、
週末に欠かせないものといえば時間と冷たい飲み物と、 あとやっぱ読み物ですよね。
ということで、精読戻ってまいりました。
4回目ですか先生。 4回目じゃないですかね。
ボー&ケイブルの63節のW&T リフォームというところを読んでおりますけれども、
進んだ方だと思うんですよね、今回。 特に前回ぐらいでしたね。
前回の回ではそれなりに授業とかね、 もうちょっと進んだと思いますので、
何回かに分けてはいますが、それだけ濃く議論しているということで 時間かかってるんだと思うんですよね。
味わいを続けると、味わうとやっぱ少しの量でも 続できるでもないんですけれど、
十分やろうとすると、量をこなすよりも 多くを引き出すということを主眼においてやっておりますので、
これだけいろいろなものを引き出したということで、 これは喜ぶべきことで、
それにしてもこの量で4回目は史上最高かもしれません。
どんどん議論が濃くなっていっているので、
本当に超制毒になってますよね。
こういう読みのあり方を広めると言いますか、 こういう読み方もあるんですよということをね、
この美味しいヘルピーを通じて、 こんな形で読み換えをやっているわけなんですが、
今日はさすがに終わりそうな感じですよね、このセットは。
残すところ数センテンスなので、 64セクションの63ですね。
ベネディック・タイム・ウィッグ・フォーラムですが、 ついに残すところ数センテンスというところまで来ましたので、
こちらをついに最後まで。
これまでの流れですけれど、ちょっと後輩気味だった、 文化的にも教育的にも後輩だったイングランドで、
リバイバルが起きたということで、 宗教的復興、復活のようなものをもたらした。
06:02
そんなところまでちょうど来ておりまして、
教育の改善みたいなことが話題として、 最後に出たあたりまで来ていたと思います。
ですので、今日はOne of the Objectsというところから、 数行まずは早速カバーしていきたいと思います。
音読をしながら内容と、 意味と内容を広げてまいりたいと思います。
はい、いきましょう。
ちょっと単位で終わりますので、 少し文脈などは適用儀ないながら、
まいりたいと思います。
One of the Objectsということなんですが、
こちら、of special concern in this work ofrehabilitation,
ちょっと、thisとかは少し補わなければいけないかなと思うんですが、
この構成、rehabilitationというふうに言っていますが、 再建のため尽力がなされる中で、
One of the Objects of special concernということで、 特に関心を持たれていた、そんな対象の一つには、
improvement of educationということで、 教育の改善があるということですね。
ここまでの流れは、宗教的復興、そして宗教が復興すると、 学問というところにもつながっておりましたが、
その中で教育、教えることですね。
こちらにも、特に関心を持ってなされたというところですね。
まだセンテンス続きがありますので、 続きを見てまいりますと、
The Establishment of Schools and the Encouragementof Learning among the Monks and the Clergyということで、
Establishment of Schools、学校の建設、The Encouragementof Learning、 そして学ぶことが推奨されること、
誰が学ぶことかというと、 Among the Monks and the Clergyということで、
僧侶たち、そして聖職たちが、僧侶たち、聖職たちに学ぶということが推奨されたということですね。
リハビリテーションというと、リハビリという言葉があるので、
フィジカルな感じが、日本語では、カタカナ語ではなっちゃうわけですが、
これはむしろ、モラルというか、あるいは政策ですかね、ポリティですかね。
そうですね。直前のことで、General Reformation of Moralsというのがあっておりましたので、
ここをですね、広く道徳が改善したというようなところと、
ちょうどやっぱ、abusesみたいな単語がこのパラグラフの最初の方に出てきておりましたけれど、
それがダメージのような、そこからの復活、回復、再建のようなこととして、
この単語を選ぶのはすごいなっていうのは。
いいですよね。
This work of rehabilitationなので、
カタカナがおっしゃったように、前からの流れで受けて、
09:00
Thisということをですね、一連の、まさにthe benediction reformのところなんですが、
こういう言い換えもできるということですね。
これ、救うという単語が出てきていますけれど、
我々が今想像するような、各国にあるような学校というよりは、
これはやっぱり、修道院とか、そういったところに付随しているようなものを想像するのがいいんですかね。
そうですね。新学校ですよね。学校といえば基本的には新学、
中学、それから、
among the monks and clergyですね。
これ、誰が学ぶのかということでたくさん解釈いただいて、
このamongというのも、自分が英作文をするときに、
パッと出てくるかどうかというかね。むしろ、
ラーニングの主体みたいな感じで捉えたくなってしまうというかね。
日本語に引き付けるとそんな感じになりますが、
これは間にという。
そうですね。
修道とたちの間に学問、学問、学びが広まってほしいという。
そんな願いですかね。
ちょっとこの辺から、階を跨いでいるので何なんですけれど、
この辺からだいぶ文体が、名詞的な構文が多くなって、
締まってきている感じが非常に興味がありますね。
そうですね。
今回、ダッシュがありまして、
この文の途中で、
ダッシュで、the establishment of the school
などと聞いていますが、
これは直前のthe improvement of educationという、
かなり一般的な言い方をしているものの内訳といいますか、
具体例というようなことですかね。
一方、抽象度が低くなって、
その後に学校の建設、学びの推奨ということですね。
こういう使い方のダッシュ。
コロンでもいいところかもわかりませんが、
ダッシュが伝わるということの意味、役割といった感じですね。
はい、そしてその次の文が非常に短いんですけれど、なかなか印象的で、
the results were distinctly gratifyingということなので、
the resultsというふうに、結果はというふうになっているんですが、
これは直前のものを受けていて、教育の改善の、
もっと言うと、今先生がこう指摘されたように、
この教育の改善の結果は、はっきりと申し分のないものだった。
とても満足のいくものだったということですね。
そうですね。これもgratifyingなんて自分でなかなか使ったことないので、
12:02
出てこないわけなんですが、どんなニュアンスだろうかなということですよね。
日本語ではそのまま満足のいくものだったということなんですけれども、
こちらA時点などを引いてみますと、例えば類語がありますよね。
satisfyingというのもありますし、fulfillingとかrewardingみたいな
類語が上がってきましたね。
それも類語間の微妙な使い分けの違いみたいなところを考察しているものがあって、
いくつかの文章を見たんですが、どちらかというとgratifyingは、
個人的なものというよりも、まさにここを打ち付けなんですが、
社会的な、より後半に効果が現れる。
それに対して先ほどのsatisfying、fulfilling、rewardingというのは、
重なるところもあるんですが、どちらかというと個人的に、
自分にとって満足いったとか、ある人にとって満足いったみたいな匂いがするので、
もうちょっと社会的な意味合いをgratifyingは、他の類語に比較すると強く進むということで、
まさにここ、満足いくでもgratifyingが良さそうなんですよね。
類語群の意味の微妙な違いを見る。
この辺りを考察すると、逆としては違いは出ないんですが、
満足いくものだったという、この3つぐらいの類語ですね。
味わいが変わってきますね。
そうですね。こういうのをまさに、例えばティソーラスとかを見て、
一番、一つ一つのそこに出ている単語の定義なんかを見て、
今回はこれが一番良いなというようなものが選べたりすると、
とても満足がいく。これはsatisfyingだったんですけれど、
とてもやったという感じになるんですが、こういうのを見つけると、
隠れた宝石を、hidden gemを見つけたような気分になるんですね。
そうですね。一つ思うんですけど、これ前にも申し上げたかもしれないんですが、
成読の一つポイントとして、なんでこの単語、類語いっぱいあるのに、
なぜ著者はよりによってこの単語を使ったのかっていうのを考えると、
やっぱり深くなりますよね。結局成読って能動的なんですよ。
他の考えられる単語、自分だったら何を使うかみたいなことも裏に、
印字されていない部分も想像しながら読むということになるので、
かなり能動的な読み方だと思うんです。これがあるから議論になるというか、
深く議論できるというところですよね。書かれているものだけ議論、
これしか議論対象にならなかったら、やっぱりこれ何十分もかからないところですよね。
15:07
書けちゃってますけど。
今頃最後の節まで言ってるかもしれない。
可能性はあります。
いいですよね。学びましたね。グラティファインですけど、こういうとき使うの。
どこかでかっこよく使ってみたいですね。
買いたいですね。
Distinctly gratifying
この形状も合わせてですね。
あるいは、ちょうど次のBy the close of the centuryとかのあたりとかも、
印象的なフレーズはやっぱりちょっと頭に残ります。
Close of the centuryみたいな言い方とか結構前にも出てきたと思うんですけれど、
やっぱこの言い方はいいなと思ったものだとか、こういうふうにこれ表現できるんだみたいなものとか、
精読ぐらいをするとちょっと頭に残りますね。
情報だけだとどう言ってたかまでは、
あまり頭の中で混濁して取り出せないことが多いですけど、
やっぱこれぐらいで読んでると、こういう言い方が前にも出てきたなみたいなことが出てきますね。
そうですね。かなり能動的なというか、アウトプットも意識しながらも、
精読っていうこともありますよね。
今はいいんですけど、どんどん使っていかないとね、あっという間に抜けていくんですよね。
確かに。
なので、いいなと思ったらその日中に使うとか、それぐらいの勢いじゃないと。
グランツーファイトかもしれない。狙ってまいりましょう。
というわけで教育の改善、宗教的な復興が起きて、そして教育の改善というものがそれに起きたわけですが、その続きですね。
By the close of the century, the monasteries wereonce more centers of literary activity ということなんですが、
by the close of the century, the centuryという言い方をしてますが、ちょっと今日の回をまたいていますが、
だいたい10世紀のことを指していると思います。
10世紀のby the close ofということなので、終わりに差し掛かる頃には、
これは先ほども申しましたが、どこかで出てきてた表現だと思います。
その頃には、the monasteries were once more centers ofliterary activity ということなので、
修道院は再び学問的な活動の中心となっていたと。
流れ的にダンスタウン、3人の聖人の名前がオーズワールドなんかがその前の方に出ていたと思うんですけれど、
こちらがちょうど10世紀のことですが、by the close of the centuryということなので、
こちら10世紀と解釈するのがまたどうだろう。
難しいんですよね。世紀をまたぐときに、closeとか言うと、どっちのことだっけ?
endとかbeginningとかが一番それだと思うんですが、
あとturn of the centuryという言い方もありましたね。
ちょうど変わる頃に。
18:03
このmonasteries were once more centersみたいなふうに、
こういう秘道詩の使い方とかも定期的に出てくる。
all England were Christianみたいなのがどこかに出てきて。
そこと結びつけるあたり、さすがですね。
記憶力と観察力と。
印象深い。
心に残っている本だなというふうに思いますね。
こういう秘道詩の使い方。秘道詩が随分党的に感じるものがあるなというような。
そうですよね。通常であればbecameというのは使いたくなっちゃうじゃないですか。
再びなったわけですからね。
でもこの時にはなっている状態だったということなので、
確かに触れてみるとこれはなるほどというようなところですね。
そうですね。had beenでもいいところでしょうね。
いろいろオプションがあるところなんですが、
この過去形、単純過去形で表しているというところは、
やっぱり状態が意識はされているんだと思います。
それでは続けて残り少しですが、
Works in English for the popularizing of knowledgewere prepared by men,
who thus continued the example of King Alfred,
and manuscripts, both in Latin and vernacular,were copied and preserved.
ということですね。
Works in Englishというところから始まります。
Works in English for the popularizing of knowledgeということで、
こちら知識を広めようとする目的、popularizingという風になっていますので、
こちらの英語の著作Works in Englishということなので、
英語の著作は、
Were prepared by men, who thus continued theexample of King Alfred
というところですね。
By menということなので、こういう次のような人によってなされたと。
Who thus continuedということなので、
このようにして続いた者たち、何に続いたかというと、
The example of King Alfred、アルフレッド大王の、
Exampleもたびたび出てきておりますが、模範ですかね。
模範に続く者たちによって、この英語の著作というものがなされたと。
And manuscripts, both in Latin and the vernacularということで、
そしてラテン語の写本、
Manuscripts, both in Latinということで、
ラテン語の写本、そして土着言語での写本、
The vernacularということですので、
Were copied and preserved.
写しとして作られ、保存もされたと。
これ、1回目がWorks in Englishというふうなところから始まるんですけど、
後半はThe vernacularという言い方になっている。
これ英語のことですよね。
そうですね。ラテン語と英語っていう。
21:03
The vernacularについては、この制作会でも何回かすでに出ていたと思うんですが、
中世のヨーロッパの文脈では、
ラテン語っていうのが基本的にThe languageであって、
それ以外の土着の言語という言い方ですから、
イングランドの場合には英語ですよね。
フランスの場合にはフランス語だし。
それのことをThe vernacularというふうに表現する発想がありますよね。
ラテン語よりも下の土着のという言い方で、
日本語にするとあまり馴染みないんですけど、
土着のという言い方も、固有のとか、
vernacularの訳法もかなり揺れているんですが、
英語で制作するときの感覚としては、
The vernacularというのはまんまっさんのEnglishと言っていいぐらいに、
自然に多分入ってくるものだと思うんですよね。
そういう意味合いで使われている。
ラテン語じゃない、普通の言語のことを、
一般にvernacularと呼びながらず、伝統というか習慣。
この発想が、日本語だと対応するものはあんまりないですよね。
半分は偉い言語だったわけなんですが、
じゃあ日本語のことを土着言語という言い方をするかというとしないので、
この感覚がないんですけど、
ラテン語とそれ以外の言語という、
なんか二分法が西洋にあるかもしれない。
ラテン語じゃない方を、
The vernacularという、
そういう習慣がある。
なんかね、こう、
かしこまって土着語とか固有語とか言うとよくわかんないんですよ。
ここはまさにEnglishとか、
The English languageと、
完全に読み換えていいぐらい。
ずいぶん、ここを読んでいてもやっぱり、
名詞的だなというふうに構文が。
Works in English for the popularizing of knowledge
みたいな言い方から始まってますけど、
とても名詞的で、
前置詞と名詞で多くのことを表現、
動的なものも前置詞と名詞で表現するみたいなところ、
文体の固さみたいなこと、
セクションの最後に来てる感が、
ひしひしと。
そうですね。
まとめに入ってるなっていうところですよね。
Abusiesのあたりとか、
ずいぶん物語調だったんですけど、
なんか少し離れて、
年代というか、
いろんなことを著述するようなモードに入っているなという、
そんな印象を受けますね。
そうですね。
この知識を広めるためっていうと、
やっぱりバナキュラーであるEnglishのみになるんでしょうね。
ラテン語だと広がらないんで、
国中の人々に。
ちょうど。
できる人にしか広がらない。
遺産として、
マニスというか、
社本を残すということになると、
当時はまだラテン語で語られることも多かった。
24:00
かつ、非常に得意なことなんですが、
この時代、10世紀では、
バナキュラーで社本を残すというか、
物を書くということも、
ここで復興したことになっているんですね。
イングランドではこれが可能。
同じくらいの年代で、
バナキュラーで物を書いている国というのは、
ヨーロッパでもほとんどなかった。
その意味では英語は非常に古くから残っている。
それはまさに今回のリハビリケーションなり、
リフォームなりということですよね。
やっぱりバナキュラーで、
社本を残すとか、
価値のあるものを残すという発想そのものが、
なかったと思うんですよね。
当時のヨーロッパ全域に。
アングロ作品は非常に早かったというところは面白い。
日本では同じ頃、
バリバリ日本語で書いて、
女流文学も含めて、
思いっきりバナキュラーで残しているというのは、
これはなかなか経由ですよね。
時代的には。
日本に行ってもアングロ作品。
この辺りは思いをはてると、
いろんなことが出てきそうですね。
楽しく読むと。
出てきますね。
私はやっぱり島国だと思っているんですけど、
ラテン語の影響はもちろんとうとう受けているんですけど、
ちょっとラテン語の模範から離れちゃってもいいかな、
ぐらいな発想が出やすいんだと思うんですよね。
中心から離れている。
大陸ではむしろラテン語の引きが強すぎて、
どうしてもバナキュラーにならないというところが、
イングランドとかアイルランドもそうなんですけど、
早いんですよね。
バナキュラーで書かれるというのは。
あると思うんです。
簡単に言えば、ラテン語力がないとか、
漢文読む能力がないとか、
英語読む能力が低いとか、
語学が苦手なことによって、
あるいは言語的に離れていることによって、
次元語への乗り換えと言いますかね、
が早い乗り換えというのかな、
次元語で表現することが早まるというのは、
ありそうな気がするんですよ。
確かに日本の出版業が強いみたいなのが、
日本語とまず語られているのがよくありますね。
シェイクスピア。
日本語を守りたいと思ったら、
英語力を低めていく。
この解読会でこんなこと言うべきだと。
東大のようになる人が、
導き手になる人と一般のものが、
両方必要ということでね。
そんな時代の、
次のところに写本の話が、
マニスクリプトの話とかが出てきておりますけれど、
その次の。
27:02
あれですね、
Who thus continues the example? ということなので、
キングアルフレッドの時代からは、
少し時代的に離れているんですが、
アルフレッドの努力の継続性というのを、
積極的に認めているという、
書き方ですよね。
これ時代的には、
少し離れているので、
一回断ち切れたようになっているんですが、
ある種の歴史観として、
このゴーアンドケーブルは少なくとも、
連続性がある。
アルフレッドを追断だというような、
見方。
実際に、
そうだったと思うんですけど、
この thus あたりに、
ちょっと思いが込められて、
上に述べてきたから、
もうわかるでしょうが、みたいな。
そうですね。
ページ的には、
これの一番上ぐらいに当たりますけど、
アルフレッドを指して、
His efforts bore little fruit っていうのが、
ありましたね。
でも、ここで繋がった人たちによって、
よりしっかりとした復興がなされたっていうのは、
確かにこれは、
そうですね。
ドラマチックに書いてると思うんですよ。
繋がらなさそうなことを、
実は繋がってたんだ、
みたいなことで、
このリフォームの価値を、
ちょっと持ち上げて、
終わろうとしてるっていう感じですね。
はい。
次のセンテーションは、
今のマニュスクリプトの話が出てたんですけれど、
そこの話ですが、
It is significant that the four great codices
in which the bulk of Old English poetry
is preserved date from this period.
ということなんですが、
It is significantだと。
次のことは、あまりにも重要なことである。
何かというと、
The four great codicesということで、
四大冊子冊本ですね。
in which the bulk of Old English poetry
is preservedということなんですが、
その四大冊本の中では、
多くの古英語詞が保存されている。
そんな冊本たちが、
date from this periodということなので、
作られた年代が、
この時期のものと定められている、
ということですね。
ちょっと公文が取りにくかったんですけれど、
dateがこれがDATの中の動詞ですかね。
この時期に、
from this periodということですかね。
このペネディクタリーリフォームのあった
10世紀のものと
定められているということですか。
そうですね。
この10世紀後半に書かれた、
古英語で残っている、
文に詩が書かれているものですね。
これがFour Great Codicesという、
The Vercelli Bookというのと、
The Exeter Bookというのと、
The Junior Codex、
それから有名なThe Beowulf Codex、
Beowulfが収まっているものということで、
30:01
この4つが非常によく知られた、
詩の印文の写本という、
全て本当に10世紀後半ですよね。
見かけて、
これが語れ、
そして今の今まで伝わっているということで、
この時代が一種ピークになるわけですよね。
今から振り返ると、
現物も残っているという、
これは偶然ではないということを
言いたいのかと思うんですよね。
テクニティカントというのは、
この動きと連動していて、
相関関係が十分にある、
というようなことを強調したい。
はい。そして、
いよいよ最後のセンテンスに行きました。
We Doubtless Owe Their Existence
to the Reform Movementということで、
We Doubtless Oweということなので、
我々は間違いなく、
追っている、言えると、
何かというと、
Owe Their Existence to the Reform Movementということで、
このベネディクト会の改革運動のおかげで、
これらのマニュスクリプトが現存している。
そのことを、
ベネディクト会リフォームのおかげである、
というふうに言えると。
そうですね。
これ、Weというのが主語になっているというのがいいですよね。
読者を含めて現代人ですよね。
現代人。
これも日本語にはなかなかどう出せたでしょうね。
Weの雰囲気を読者と合わせてね。
我々がこれで恩恵をこむっているんだというか、
ということですよね。
歴史の遺産というのを目にしているんだという。
これ、Weはどういうふうに訳すればいいか、
埋め込むか。
そうですね。
面白い問題だと思います。
英語、このテキスト自体が英語で書かれて、
今読んでいるものが英語で書かれているので、
英語という文化と言いますか、
言語と文化みたいなものをある程度共有しているということが前提なので、
書き手ももちろんそう思うし、
読む人もあなたもそうでしょう。
いい読みですね。
語りかけている感じが。
そうですね。
ここだから、翻訳する場合には、
憂いが光るところなんじゃないですかね。
Weの雰囲気は出したいですよね。
オウグとかもね、ちょっとここだけ呼びかけるような感じになって、
基本的にはこれ三人称でずっと書かれて、
客観的に記述をしているんですけど、
ここは語りかける。
確かにそうですよね。
普通に言えばね、
33:00
Their existence is owing to the reform movementとか、
それぐらいでWeが入る余地がなさそうなんですが、
ここでね、Weをしごに立てて、
語ることの意義みたいなものは、
今たくさん議論された通りなのかなと。
なるほどなと思いました。
面白い。
ですね。
ここら辺でまとめに入ったんだけど、
一番最後にちょっと語りかけて、
こうでしょ、と呼びかけて終わるという感じですかね。
そうですね。
その辺りの文体科の工夫は間違いなくなされていて、
それがうまいんですよね。
それで自然と次のセットにつながるような形になったり、
一節は一節、全体として簡潔感があるみたいな。
これがやっぱりうまい作品なんだろうなという。
文体は非常に読んでいても、
もちろん間違いなく文体っていうのはあると思うんですけれど、
なかなかこれが象徴とか、
どこからその文体を感じるんだみたいなことって、
なかなか語りにくいんですけれど、
確実にこれを狙ってるなみたいな、
意図を考えながら読むみたいなことと、
単語のレベルみたいなことを考えながら、
非常に文語的なところと呼びかける、
今みたいな最後のセンテンスみたいなところがありますけれど、
これはどこかな。
文体って難しいなといつも教えたり感じたりするのは、
難しいですね。
すごい指摘しにくいんですが。
そうですね。文体ってかなりゆるい概念で、
文体論っていう学問分野があるので、
ゆるいって言うと怒られそうなんですが、
確かに難しいんですよね。
軽量的にやる文体論もあれば、
もうちょっとレトリカルにしないといけない。
多分この本が長く読み砕かれていて、
今回もこういう説読会の最初に取り上げたのは、
物語性と教科書的なきっちりした記述っていうのが、
いい塩梅で結びついてるんですよね。
それがどこから来るんだろうっていうのは、
流して読んで好きな文章だなっていうことはあるんだけども、
今やってるようなこのたくさんとの、
この制度で文体みたいなのを意識したことは、
これぐらい時間かけてやらないとわからないので、
今の最後の方、締まってきている。
だけど最後の最後の部分は、
Wiiで教官を誘うとか、
この辺りまではちょっと読めていないはずなので、
普通には。こうやって読まないと、
文体の良さがよくわかってきますし、
なんで古典的名誉という風に
表されることが多いのかっていうのはわかっている。
36:00
やっぱり読みやすいですし、
やっぱり物語性がありますよね。
教科書風でもあるんだけれども、
教科書ほど三分的でもない。
やっぱり読ませますよね。
まあやっぱバランスよく、
今回読んできている、
この外面詩みたいなところとか、
本当にお話ししっくり。
いや、お話ししっくりしなかったら、
たぶんアルフレットのこと、
his efforts bore little fruitみたいな書き方は、
あんまり知らそうだなと思う。
ひとまとめにしようと思えば、
もっと圧縮はできると思うんですけれど、
非常に苦労が垣間見えるみたいな、
そんなところとかを余さず捉えながら、
でもちゃんと締めるところは締めていて、
現代に戻してっていうようなところとかが、
やっぱりいいですね、これは。
いいですよね。
これで最後まで、
セクション63の最後まで来ましたけれど、
ずいぶん今日分かっている、
古英語の姿といいますか、
ベオルフコーデックスのこととかは、
本文の中では個別のコーデックスの話は、
出てきていなかったですけれど、
今日よく引かれるテキストが、
いよいよ出始めた感じですか。
そうですね。
このコーデックスっていう単語、
専門用語と言えば専門用語なんですが、
基本的には写本のことなんですが、
マニュスクリプトって言うと、
もともと手ですよね、
手書きっていうことで、
手書き以外のものは当時ないんでね。
基本的に書き残されているものっていうのは、
マニュスクリプトなんですが、
形式が2つあって、
要するに我々が知っている冊子体の本と、
あと巻物があったわけで、スクロールですよね。
スクロールとかボリュームっていう言い方をするんですが、
それに対してスクロールじゃない、
あの形態でねっていうときに、
コーデックスという表現を使いますね。
コーデックスで書かれるのが、
この時代以降は普通になっていくので、
マニュスクリプトと言えば、
基本的にはコーデックスを念頭に置いて良いと思うんですけれども、
なのでマニュスクリプトを細分化して、
専門用語を当てたのがコーデックス。
写本、いわゆる冊子体の、
我々がイメージする中世の冊子のことですね。
難しく言ったのがコーデックス。
これを見ても、
一時期、後輩がしていた時期があって、
また現代に残っているようなものが出てきたということで、
やっぱり小英語の姿と、
キリスト教のレンズを通した状態の小英語しか、
我々は実質見ていないみたいな感じなのかもしれませんね。
キリスト教が入ってきたことによって学問が起こり、
39:03
そして小英語の色んなことが出てきたっていうのが、
今回64に次行きますけれど、
64のところ以前にも、
ラテンインフルエンスという話の大枠の中では、
ラテンインフルエンス オブ ザ セカンド ペリオードの後の話で、
サードと呼んではいないけど、サードみたいな時期だと思うんですけれど、
やっぱりキリスト教を通しての姿を見ているような気がするので、
たまに小英語とかのもので、
宗教色の強いものが多いなっていうような印象を受けることがあるんですけれど、
やっぱりそれは必然だったのかもしれないですかね。
その間の時期にももちろん何かいろんなものはあったんでしょうけれど、
現像は、そもそも書かれたものがないのかもしれませんし、現像もしていないとあると。
何かいいですね。
宗教と学問というのが切り離せないものなので、
その学問はだいたい文字で残るということで、
今に伝わっているわけで、
宗教一色、キリスト教一色のように見えてしまうというのはその通りですよね。
あまりに結びつきが強くて、一心同体みたいなものになってくるわけですよね。
言語というのはそのあたり、特に書き言葉、構成に残るものは、
その時代の中で何が最も重要視されているか、
みたいなものがもろに反映するという側面はありますよね。
現代は逆に世俗色が非常に強くなって、宗教的なものはむしろね、
専門的でない限りあまり見られないわけで、
構成に残るものは色がついちゃいますよね。
確かに、現代が散漫とも言えるのかもしれないですね。
現代が特殊だというのも大いにありますね。
重要でないものももちろん。
構成に残るものも選別されて残っていくので、
だいたい朽ちてしまうことが多いですね。
今、電子的に情報が残る時代でどう残していくのか、
これもかなりね、初心学的にはかなり重要な問題なんですが、
重要じゃないものって残らないんですよね。
例えば、中生の英語を研究していて、
私は買い物メモとか、自分のためにのみ書くメモがあったら、
めちゃくちゃ研究として面白そうなんですけど、
それ残らないんですよ。
今でも買い物メモって残らないわけじゃないですか。
捨てちゃうし、裏紙に書いて、別の用途でまた使っちゃったりするので、
42:07
残らないわけです。
でも、音声とかをやる人にとっては、そういうのがあったら、
もう水前の的ですよね。
いや、もう本当に。
中立理学の方もそういうメモだから。
やっぱり構成に残るものは何なのかっていう、
どういう特徴を持っているものが残るのかということで、
歴史研究も制限されますし、
それをまさにレンズとして過去の時代を、
現代の人も見るということにならざるを得ないわけですよね。
一回、どこかで議論したことがあって、
化石の学問、化石生成学っていうのかな。
化石がいかにして生成できるかっていうのとの
類似点を感じたことがあって、
化石って、後世まで残るカルシウムって、
骨ぐらいしか残らないわけですよね。骨と歯。
それ以外の部分とか、皮とか、内臓とか、
当然残らないんですよね。
だけど本当は、化石っていうか、古生物学者とか、
その辺りが直接知りたいんだけれども、
もの凄くもどかしくて、骨からしか分からない。
骨とか歯しか分からないというところで、
それだけが全てではなくて、ちゃんと肉が付いていたはずなんだけれども、
骨しか結局残ってない。それしか見られない。
だから、骨ベースの研究にしかならない。
一つ近いなというふうに歴史研究を持っている。
たまたま条件に合ったものしか残ってこない。
現代の。伝わらない。
この中世ヨーロッパの場合も、きっとそれがキリスト教と
紐づいたものでないと法定に残らない。
実際に書かれることも少なかったんだと思いますが、
ただキリスト教以外のものだってあったはずなんだ。
ただ残っていないということ。
なので化石だけ見て、化石を調べるということは大事なんですけど、
それに肉付けしたらどうなるんだろう、みたいな構造力。
というのも重要かなと。
具体的には分からないんだけれども、
他にこんな書き物もあったんじゃないかな、という想像は強まっています。
今みたいなディスカッションがセクションの最後にできるのはちょっと嬉しいですね。
いいですね。面白いですよね。
この一節だけで本当にね。
相続にあってもこういう話はなかなかなりにくいと思うので、
やっぱこういうテキストを一通り、同じテキストを見た後で
ディスカッションができるととても深まっていくな、というのも。
45:00
これいいですよね。
はい、瀬戸夫さんの最後になります。
はい。
ここでベネディクタイン・リフォームの歴史的な出来事の話があったんですが、
次のセクションはインフルエンス・オブ・ザ・ベネディクタイン・リフォーム・オブ・イングリッシュということで、
これから英語の話になっていきそうです。
ということで続けてまいりたいと思いますので、
ぜひ堀田先生にはよろしく。
そして聞いてくださっている皆さんはぜひお楽しみにということで。
はい。これまさに連続性がありますからね。
いよいよということで、これ英語シーンの本なんで、
63はもちろん背景なんですよね。
これを受けて、じゃあ英語どうなっちゃったんですかっていうのが次なんで。
英語の語彙に聞くらしいもんな。
そうそう。ここに乗っていかないといけないんですよね。
まさにそういう話がセクション64ではそんな話をしたいと思いますので。
次回またよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
さあ7回かけまして
ベネディクタイン・リフォームの部分、
第63節をじっくりと読み終わったことになります。
ぜひですね、過去の6回分、この節に関する精読回を聞きになってですね、
気になった箇所をまだ残っているようであれば、
ぜひコメント欄等でお寄せいただければと思います。
10世紀後半のベネディクト改革。
これはアングロサクソン時代の文化史としては非常に重要な出来事なんですが、
これが英語史上に持つ意味、意義ですね。
これについては次回から第64節でじっくりと見ていくことになります。
予習などもされながらですね、期待してお待ちいただければと思います。
さて、絶賛発売中の新刊書なぜ三単元と関連しまして、
なぜ三単元目撃マップという企画を実施しています。
全国のリアル書店で本書を見つけましたら、
なぜ三単元が置いてありましたよというふうにお知らせください。
町と書店の名前を添えていただきますと、私がGoogleマップ上にピンを立てていきます。
日本地図をなぜ三単元で埋め尽くす。英語史をお茶の間に広めていく。
48:00
これが企画の趣旨です。
毎日コメント欄より皆さんのご報告、書店で目撃したという報告をお待ちしております。
このチャンネル英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、
あなたからのご意見ご感想をお待ちしています。
Voicyのコメント機能を通じてお寄せいただけますと幸いです。
SNSでのシェアもよろしくお願いいたします。
それでは今日も皆さんにとって良い一日になりますように、
英語史研究者のホッタリウイチがお届けしました。
また明日!