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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史、英語語源ハンドブック、言語学ですっきり解決英語のなぜの著者の堀田隆一です。
去る6月10日、NHK出版新書、英語史で説く英文法の謎、なぜ三単元のSをつけるのかが発売されました。
発売前増殺がかかりまして、今、第2釣りが全国、つつうらうらの書店の書棚に並んでいることと思います。大変ご好評をいただいています。
Amazonデビューなど書評も多く出てくるようになりました。
英語の語源が身につくラジオヘルディオ、英語史をお茶の間に思ったように英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は2026年7月29日水曜日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
本日お届けするのは、おとといの回の続きとなります。
英語史の古典的名著、ボー&ケイブルを読む65-2 with たくさん。ヘルは北千住オフ会より。
と題して、先日土曜日の午後にオンラインで開催されました勉強会、読書会の様子、こちらの音声をお届けします。
この英語史の本の第65節に入っております。
The Application of Native Words to New Conceptsというセクションでして、これがまたエキサイティングな話題なんです。
ですので読書会でも大盛り上がりするだろうという風に踏んでいたんですが、実際その通りになりました。
土曜日の勉強会1時間半ほど続きまして、白熱した議論、そして精緻な読み、これが展開されたわけなんですけれども、
全体としては長くなりましたので、3回に分けてこのヘルティオでも配信することにしました。
今回はそのパート2、真ん中部分ということになりますね。
今回は不況と土着語仕様の問題、さらには意味の狭めという問題が中心的な話題となっております。
前回と同じように司会は定境科学大学の金田拓先生、拓さんです。
他にギャラリーの方も数名、ヘルメイトさんですけれどもお立ち会いいただきまして、本当に深い読みを探ることができたと思います。
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まさに勉強会、読書会のいいところが今回よく出たなというところですね。
一人の読み、いくら精読しても一人の読みでは至ることができないほどの深い領域に立ち入ることが、
今回も議論を通じて可能となったと思っております。
皆さんもぜひテキストを開きつつ、この第2回お聞きいただければと思います。
テキストをお持ちでない方のために、テキスト画像という形でこのリンクを貼り付けております。
それからですね、本日の英語誌ブログの記事ともこのヘルディオ配信会連動しておりますので、
そちらにジャンプして関連する内容を合わせてお読みいただければと思います。
それでは行ってみましょう。
英語誌の古典的名称ボー&ケーブルを読む、65-2withたくさん。ヘルは北千住オフ会よりです。どうぞよろしくお願いいたします。
Patriarch was renderedという風に続くんですが、ちょっとここは古英語や現代英語が混じるので、音声ではちょっとわかりにくいかもしれないんですが、
Patriarch was rendered literally by Heir Father,High Father, Prophet by Witega, Wise One, Martyr,often by the native word Thro'were, One whosuffers pain, and Saint by Harga, Holy Oneということで、
いろいろな意味が現代だとついてますが、文脈的に人類の祖先たる、アダムからノアに繋がる祖先たちのことを指していると思います。
これがHeir Fatherという風にされたらしいんですが、これはHigh Father、現代英語でいうHigh Fatherなので、高い高位の父である。
Prophet、これ預言者ですね。預言者が何で表現されたかというと、Witegaという風に言うんですが、これがWise One、賢き者ですかね、という風に言われたと。
Martyr、殉教者ですね。これがoften by the native word Thro'wereということで、こちら殉教者はThro'were、これがOne who suffers painということで、
痛み苦しみに苦しむ、苛まれるもの、苦しみを受けるものということですね。
And Saint、聖人、これがby Harga、Holy Oneということで、聖なるものという風に、土着の元々英語にあった単語を使って表現したんだということがついてます。
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この辺りはそのままラテン語を採用するというよりも、本来語であった、ちょうど対応する単語、翻訳と言ってもいいと思うんですけどね、一番近い本来語で置き換えられたということですよね。
Faithful Arkはパトリーの部分なんです。Fatherと同じ語源なんですけどね。Arkのところが高いということで、Hi Fatherと、順序は逆になっていますけれども、そのまま英語に持ってきたらFatherに。
ProphetはWiitega、MotherはProvere、SaintはHargaという対応する語で置き換えた、いわゆる翻訳という風に簡単に考えていいと思いますけどね。
このような形でラテン語そのまま形を持ってくるのではなく、一回やっぱり英語側に引き寄せてローカルな英語の言葉で表現するという、これが結構あったんですね。
例えば、我々PatriarchとかMartyrみたいな単語、現代ではProphetももちろんそうですが、こういう単語を知っているわけですが、その我々から見てWise OneというのとProphet、賢き者と預言者の間には結構開きがあるように感じるんですが、ここが多分前の前の文ですかね。
3つ前の文だと思いますが、Slight Adaptationという風に言ってたところの、このSlight Adaptationの指すところがこの意味のちょっとずれている、直接Wise OneですとかHyperbaみたいなものが指しているものが、直接は言及しないんだけど、大体カバーするということで、このアダプテーションの中身がここのことを指しているのかなという風に読みますね。
はい、今の解説いただいて適切な気がしましたね。
今、預言者と賢き者という、日本語にも要するにあるわけじゃないですか、預言者というと漢字3文字で音読みで肩苦しい、賢き者というとドワゴンなのでスッと入ってくる漢字、指すものは後者の方が広そうな感じはしますけれども、前者は狭いというか専門的な意味。
このあたりの感覚というのは日本語に移し変えられるので、感覚わかりますよね。やっぱりラテン語のままだとちょっと肩苦しいし、教養学もみたいなことを感じさせる、一個前の説で扱ったような、やっぱり難しい雰囲気を出すわけなんですが、それを賢き者というとスッと入ってくるじゃないですか。
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こういう技でやっぱり選挙団を切り裂きを広めていこうとしたんじゃないかなというところがありますね。受け入れやすいアダプテーションというか、受け入れやすく、むしろネイティブな技を使う。
ここはちょうどペトリーアークが私見たときに、訳語といいますか、何を指しているのかということをちょっぴり瞬順したんですけれど、教会の総大司教みたいな人たちの可能性もあると最初思ったんですが、
次の文のところで、specific members of the churchっていうことで、教会組織の人のことが出てくるので、ここは旧約聖書の中の人類の祖先アダムからノアハゼのことなのかなというふうに読んで、ハイパーターというふうに考えるのかなというふうに。
現代の歌風帳みたいな意味もあったりするので、いくつか意味のある単語ですけれど、そんなことも思ったので補足しておきたい。
これは主に聖書からの用語ということで、聖書でラテン語版ではペトリーアークが使われているところに、語彙語版、語彙語訳聖書なんかではペアハデルと対応があるみたいな、その文脈を聖書の中で確かめれば、今の声も解決するんではないかと思うんですけどね。
私もちょっとそこまで追いかけていませんでした。
これが、SaintとかMartyrとかなんでしょうね。もちろん受け入れている単語ではあるんですけれど、Wise Oneみたいな言い方も結構魅力を感じると言いますか、これで表現できれば楽だなという気持ちも一方で感じますね、確かに。
新しい単語を組み合わせて、なるほど、スッと入ってくるっていうのは、さっき和語を例に出されましたけれど、確かにこれは新しい単語をやるよりも、ちょっと否定に感じすぎる節もあるかもしれないんですが、なるほどと思わされますね。
SaintとHallがHoly Oneですよね、というふうにする場合に、Holy Oneというのは、Holyというのはもっと広かったわけじゃないですか。
キリスト教が入る前は、もっといろんな意味で神聖なという、広く伝えたのが、今やラテン語由来のSaintに対応する、いわゆるキリスト教の聖人という意味に、グッと狭まったという意味では、見方によれば意味の狭めが起こっているというふうにも読めますよね。
こういった、ウィーテガンを、本当に賢い人という村の長老みたいなね、そんなイメージで広かったのに、今では、プロファスというキリスト教の文脈での賢き人、つまり預言者みたいに、意味が狭まってくるということがありますよね。
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先ほどからも言っている、宣教団の戦略というね、宗教のための戦略という観点からすると、目指しているのは、ローカルなネイティブな単語の意味を狭めて、キリスト教側の意味にグイグイ引っ張っていくという作業のようにも思えています。
なるほど、確かにウィーテガンを、例えばプロフェットの文脈で人々が使い始めると、他の用途でウィーテガンって多分使えなくなってきそうなので、なるほど、それは何かその発想はなかったですね。
最初に出た三語も全部そうじゃなくて、ゴッド、ヘヴン、ヘルムをキリスト教的な意味の狭い意味での対応物に、どんどん狭めようと思ってくるっていうのが、ある意味宣教団が結果として成したこと、目的だったかを意思として結果として成したことと考えると、
ネイティブワーズをうまく利用して布教する際には、信号を急に外から持ち込むのではなくて、既存の対応するものを狭めていくという戦略、これ一般的に戦略として考えられませんから宗教だけで。
何でもいいんですけど。気づいたらその第一義というかが、キリスト教の宗教の用語になっていて、第二義以降でそういえばそんな言い方もあるみたいな、第一義の部分がのっとられると言いますか、そうすると宗教に関しては特に恐れ多くなってくるので、乱れに他の意味で使いにくくなってくるな、みたいなことがありそう。
戦略として2つあって、新しいものをドカーンと入れて、新しさで目立つということで受け入れさせるというのが、前の説までやってきた俗説の作用、それに対してじわじわと、時間はかかるかもしれないけどじわじわと、結果としてすっかり中身を置き換えちゃうので、強力なやり方が今回のアプリケーションみたいなやり方なのかなとか。
これ2つ影響の与え方っていうのはあるのかなと、ここを読みながら感じたことですよね。
【佐藤】もうすでに結構考えさせられると言いますか、頭を殴られた衝撃のような、そんなところが来てますけれど、まだもうちょっとその先も読んでみたいと思いますが。
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【佐藤】ここはセミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
セミコロンを挟んでちょっと長めのところですけれど、
【佐藤】これも味わい深いですよね。全体を表すクラウジーは取らなかった。
【佐藤】これも味わい深いですよね。全体を表すクラウジーは取らなかった。
キリスト教の文脈、つまりクラウジーの意味に当てたということで、
意味を狭めることがどこでも行われている。
結果としてそういうことになります。
ここの取得については、キリスト教特有のものなので、
さすがに英語の中には見当たらなかった。
構造的なもののメンバーは、構造自体が入ってこない限り、
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確かにローカル、ネイティブでは立ち打ちできなかったというのも分かることはあります。
ただ上の単位である、上位の単位である、もっと広いところは、
ビューリック対応するものはあったので。
【佐藤】ここ、「Ghastly to Faults」というふうに声が割れているんですけど、
現代英語で言うとGhostlyにあたる単語だと思うんですけど、
結構意味が変化しているというのを、朝ヒカルチャーセンターでそんな講座が、つい最近。
【佐藤】はい、前回でしたね。
そうですね、ビッグワードなんですよね。90分語れるビッグワード。
幽霊ではなくて、当時の意味はスピリットという精霊とか妖精も含みますし、
その妖精、スーパーナチュラルの存在の一つが人々を怖がらせる幽霊という。
これも意味がものすごく狭まって、現代のゴーストの意味、幽霊の意味になったんですが、
小英語ではものすごく広い。
ここではキリスト教以外のものも含めた、魂、霊魂、精神世界全体を指すので、
これめちゃくちゃ広いですよね。だからガストリーチェ・フォルクっていうのはね。
どこまで指すのかわからないくらい広いです。
【佐藤】精神的なことの人々ということで。
現代英語の人からすると、ゴーストリーっていうのに随分開きがあるなというのをここでも改めて感じますね。
スピリチュアっていうふうにちゃんとつけてくれていますが、それでもガストリーチェっていうのがゴーストリーに対応しているのを見るとちょっとびっくりします。
English had no equivalenceっていうところが、NOっていうのが入っていて、
このNOも結構意味が全くない。もともとNOはそういう性質は持ってますけれど、
ここもやっぱり後ろと対応しているのかなっていうのをちょっと感じまして、
何か対応するものが、類似点があるものがあればアダプテーションの可能性があったけど、
NO Equivalenceっていうふうに言っているので、このNOは結構やっぱり強い、本来のNOの意味のNOなんだなということを読んでいて思いました。
面白いなと思ったのが、クラルジーっていう単語も、時代は後半になると思うんですけれど、
これ以降の時代だと思うんですが、結局クラルジーっていう単語自体も釈用したわけですよね。
だからどちらの時代にもクラルジーっていうこのもっと広い概念を指す単語も結局借りたけれど、
この時点では使わなかったということで、これイタリックにクラルジーがなってないんだなというふうに読みましたけれど。
そうですね。これまでの例も、例えば上の1個上の部分で、プロフィットなんかも今では入ってきているわけじゃないですか。
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むしろウィイテガとは言わなくなったわけで、なので、現代に至るまでにはちょっとまた別の仮定があって、中英語以降の仮定があってということなんですが、
今読んでいるのが、この母英語の世界の住民の気持ちになって読むことが自由に読むんですかね。
そうすると、ラテン語そのまま取ってくるんではなくて、自分のネイティブな言語に訳してこようとか、既存のものを適用しようみたいな発想に。
なっていたんですよね。
先生が今まさに母英語の当時の住民と言いますか、話してのことを出されたんですけれど、この特にセクションを読んでいると、英語が借りたっていう言い方もしてるんですけど、
同時にやっぱり英語を話す人々っていうのが、The Englishという時にこれ両方取れるなみたいな箇所が何箇所か出てきてですね。
The English have no equivalenceというところとかも、
The Englishという言い方、どっちどうとも取れるなという、ちょっと曖昧な言い方になっていると思うんですが、
やっぱり英語を話す人々っていうことが前提にあるので、物語的にも語っているなっていうことをすごい感じるんですね。
英語という言語がこれを借りた、何という言語から借りたっていう事実だけではなくて、
それに根付いた人々がいて、その人々が何を使ったみたいなことが想定しているから、
たぶんThe Englishみたいな書き方とかをしているのかなっていうのは結構全体を読んでて感じます。
なので、人を人にして食べている気がします。
そこはすごく重要なポイントで、ここのThe EnglishはやっぱりThe Englishpeopleということで、
ざらつくとね、基本的にはそういう意味だと思うんですよね。
一方で、今回の第65節の最初はOld English Borrowということで、
後英語が借りた、後英語という言語、あるいは時代を死語にしている、両用の見方ができるんですが、
これは意識的に、やっぱり最終的には人々が借りたんだっていうところを強調するのが、
このTheだけで、The 一つで出るわけですよね。The Englishっていう。
これは英語話者たちが、当時のイングランド人たちが訳す必要があるThe English。
非常に重要な説だと思いますよね。
全体としては、これ言語の話をしてて、釈応したっていうことなので、我々やっぱり言語の話だなっていう風に感じるんですけど、
英文を読んでいると、The Englishっていう表現がそこかそこに出てくるせいで、
人々の物語なんだっていうことを感じるので、ちょっとそこは行ってみたかったなと思います。
ただ、釈応って言うと、やっぱり英語を話す人々というよりは、英語が釈応したっていう風にどうしても引っ張られてしまいがちなんですけど、
英語自体の表現はThe Englishという人のことが書かれているなという、そんな気持ちです。
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これはちょっと脱線しちゃうようなんですが、今、ものすごく重要な点をたくさんお話ししてくださったので、
言葉の話って言語学の用語が主語になりやすいんですよ。
例えば、英語が借りたとか、今のお話もそうですし、
例えば、この文とこの文では動詞が異なりますっていうような、通常の英語のメタに文法を話すような文脈。
言語学っていうのは基本的に、言語を主体として見て、言語学に属する用語、動詞はただ言語はとか、この文はとか、
こういう風に言うディスコースというのを確立しているんですけど、
本当は全てはやっているのは人間なので、話者が主語なんですよね。
言葉が変化するという言い方は、あくまでショートカット。
言語学のディスコースの中で使われるだけで、人が言葉を変化させるということで、言語学では人が見えなくなっちゃうんですよ、常に。
用語の使い方、ディスコースで。ここは常に思い出す必要があるなというふうに思っていて、
言語学は人外しなんですよ、基本的に。
伝統的な構造言語学、構造主義であった場合ですね。もちろん人を重視する認知的なとか、社会的なというのもあるんですけれども、
伝統的な用語使いでは、人じゃないものが主語、主体になる言説というのが、
言語にメタな話の中では、当たり前になってきているんですが、常に思い起こす必要がありますよね。
借りたり、アドプトしたり、アテアクトしたり、アプライしたりするのは全部、
今日の話だと、アングロ-サクソン人、当時のイングランド人たちだったとか、その背景には宣教団がいたとか、
今日のいろいろな話に流れるんですけれども、キリスト教はではないんですよね。
キリスト教を持ち込もうとした宣教団は、みたいなところが本当は主語だったりとか、
そういう文脈だと思うんですよね、本来。
ただ、いちいち人を出していると、あれなんて言語学の言説としては、
そうではなく言語を主語に立てたり、文を主語に立てたり、動詞を主語に立てたり、
という言い方が広まっていることかなと思うんですよね。
すごい大切なことを思い出したような気持ちになりますね。
制徳の良さとして、これからもアピールしていきたい。
このThe Englishのたくさんの指摘から始まったんですけど、
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思いがですね、そう考えると、すごく面白いんだですよ。
実際、この後もThe Englishという表現が何回も出てくるんですけど、
イングランド人というふうに広く取るというよりは、
これは多分でも宗教のことをやっているのは、もっと宗教に関連した、
多分当時でいうエリート層と言いますか、
例えば教会の人々とかが実際にはやっているんだろうなと思いつつ、
でもこれはThe Englishという書き方自体は英語を話す人全般のことを指しているから、
イングランド人というよりは英語を話す人で、
英語を話す人の中で誰がやっているのかみたいなことを、
ちょっと制徳の時はやっぱThe Englishというのが何を指しているのかみたいなことは、
ちょっと立ち止まって考えると、考えるようにするのが制徳だろうね。
そうですね。素晴らしいですね。
これ、だがつまり、なくても全然通用するし、
むしろそっちの方がスーッと入ってくるかもしれないんですよ。
そうですね。言語の話にした方が分かりやすい。
これはこだわりのポイントというか、物語にしようとしているというのは感じました。
そうですね。それを受けて、Howeverの後はSayですからね。
このSayというのは集合名詞のThe Englishを受けているということなので、
全部しっくりしますよね。
これはボーアンドケーブルがあえて人の顔をここに戻した、
言語の話なんだけど、人々を連れ戻したという文脈なんじゃないですかね。
そんなクラウジーにあたる単語、ガスリーチポークのことで言われてきたんですが、
次の単語もなかなか引きがあって面白いんですけれど、
The word Easter is a Germanic word taken over froma pagan festival,
likewise in the spring, in honor of Eostre, thegoddess of dawn.
The word Easterという単語がありますけれど、
この単語はGermanic wordということで、ゲルマン系の単語だと。
Taken over from a pagan festivalということで、このEasterという単語ですが、
異教の、Pagan festivalということですね、異教の祭りから取られているんだと。
Likewise in the springということで、この異教の祭りです、Easterですが、
春のもので、in honor of Eostreということで、
Eostreを祀る祭りで、このEostreというのが何かというと、
Goddess of dawnということで、夜明けの女神にちなんだ祭り。
この単語からEasterという単語が来ているということなんですが、
これなかなか英語の意味自体は通るのは簡単なんですけれど、
なかなか癖があるところだなというのが思いまして、
特に一番最初のここまで英語のネイティブとかオールドワールドとかというふうに言ってきたわけなんですが、
ここ突然Germanic wordという表現を使っているのが、
まず親と思わせされるところですね。
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Englishの話ではなくて、Germanicということで、
ゲルマン系全体の漢詩の話、全体の単語のことになってきたというところで、
なんかちょっと親と思わされる、そんなことです。
鋭いですね、確かにこれEnglishじゃなくてGermanicということで、
さらに広いゲルマンの世界であるとか、
さらに深い伝統とか歴史みたいなのを背負っている単語だということをGermanic一語で見事に表現していて、
英語の射程を超えるというかね、そこにまで話が及んでいると考えると、
味わい深いですね。
私はなんかこれ、広い世界を感じさせるつもりでここを書いたのかなとも思いつつ、
なんでGermanicっていうふうに考えたのかって考えたときに、
英語以外の言語でももしかしたらこういうことがあるのかという可能性と、
あともう一つですね、ちょっとEnglish word、なぜEasterっていうのが、
結果的にEasterという単語が入ってますけれど、
ここが何かちょっと慎重になったからGermanicぐらいにぼかしたの、
要するにEnglishっていうふうに定めるんじゃなくて、
Germanicで広い表現を使うことで少し慎重さを取ったのかなというふうに感じもしまして、
OEDを気になったので調べたんですが、
Easter側のビードがそれについて書いていて、
このペイガンフェスティバルが由来であるというふうに書いているのが、
ビードが唯一のソースであるというふうに出てきたので、
もしかすると何か慎重さを取ったのかなというふうにもちょっと感じました。
ここを見ていて。
いや、面白いですね。
Germanicな祭りと、それがGoddess of Dawn、そこにさかのぼるということで、
基本的にはGerman文化の中から生まれ出た祭りであり、
それにつけられたということなので、
ここはイングリッシュと限定せずに、
さらにさかのぼる広さをやはり示したかったということはありそうですよね。
語源もそうですし、文化の段階の深さ、
より深い歴史、長い歴史があるんだということは、
正確に表現しようとしたのかなということは確かに感じられますよね。
突然Germanicになったので、
単語選びのこととかを考えつつ、
ビードみたいな、ビッグネームがここでも出てきたらみたいなことを、
OEDなどを引くと。
すでにこのWordTableでも何回も出てきたビードですけれどもね。
33:03
これもね、もともとペーガンな祭りにつけられていた名前を、
今ではすっかりイースター復活祭というような、
キリスト教を完全に想起させるものにまで、
意味を狭めるのに、キリスト教擁護にするのに、
宣教団としては成功したという言い方もするし、
受け入れたThe Englishですよね。
英語話者たちも、こういうクッションを通じて、
キリスト教を受け入れてきたというところはあると思うんですよね。
徹底的にないわけですからね。
イースターという単語を使い続けることは知っている単語なんで、
ただ中身は徐々にじわじわと入れ替えられていったところだったなと思うんですね。
これOEDによると、イースターの元にあたるビードが書いているものは、
エオステルモナスという風に書いていたらしいので、
月のこと、だからこれもっと広い範囲のことだったはずなんだけれど、
かなり局所的なものになったんだなというところもちょっと見たりしました。
そうですね。やっぱり意味の狭めが起こっているっていう。
今回は、
アプリケーションと言っているんですけれども、
もうちょっと言ってしまうと、
セマンティックナローリングという意味を狭めという風にも取れますね。
ちょっと変えるという意味でアダプテーションもあるんですけど、
ナローリングのケースが結構多い気がしますね、今まで。
特殊化とも言えますよね、これは。
特殊化という言い方でもいいですね。
キリスト教専門用語化と言ってもいいですよね。
これは面白いですね、これは。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ボアンドケイブルの超誠読回、たくさんにリードしていただきまして、
65セクションのパート2と言ってもですね、
まだ序盤のセンテンスいくつか読み進めたに過ぎないわけなんですが、
誠読の深さ、これがお分かりいただけたのではないかと思うんですね。
この短いテキスト、今回読み進めたこの短いテキストだけでも
十分にこれだけ議論できるということなんですね。
今回もいくつかの論点が挙がりましたが、
キリスト教の布教ということと、
布教する際に用語をラテン語そのまま使うのか、
それとも現地語、今回の場合、公英語が話題になるわけですが、
公英語に翻訳した形、あるいは公英語っぽい形で導入していくのか、
36:05
どちらが効率が良いのかというような
宣教のテクニック、スキルみたいなこととの関係で議論いたしました。
この議論、まだまだ次回にも続きます。
ぜひ皆さんにおかれましては、
今回の部分で気になった箇所等ありましたら
コメント欄にご意見、ご感想、ご質問等いただけますと、
さらに皆さんと一緒に誠読しているという雰囲気になって
良い読み、良い理解が得られるのではないかと思います。
ぜひお寄せいただければと思います。
そしてこの誠読会、勉強会、関心をお持ちの方は
ぜひテキストを入手していただければと思うんですね。
今第7版が世の中に出回っているんですが、
この誠読会では1個前の第6版で読み進めていますので、
その点ご注意いただければと思います。
また、この誠読会、音声でお聞きになるだけではなく、
立ち会いたい、居合わせたいという方は
ぜひヘルワにお入りいただければと思います。
そうしますとご都合さえ合えば、いつでもご参加できるという
そんな機会を用意しております。
絶賛発売中の新刊書、なぜ3単元に関連しまして、
目撃マップ企画を展開中しておりますのでご案内です。
全国のリアル書店で本書を見つけましたら、
なぜ3単元が置いてありましたよとお知らせください。
町と書店の名前を添えていただきますと、
私がGoogleマップにピンを立てていきます。
日本地図をなぜ3単元で埋めていき、
英語紙をお茶の間に広めていきたいというのが企画の趣旨です。
毎日コメント欄より皆さんのご報告をお待ちしております。
また、独領された方はAmazonレビューなど各種のプラットフォームで
本書のレビューやご感想もお寄せいただければ幸いです。
それでは、今日も皆さんにとって良い一日になりますように
英語史研究者のホッタリウイチがお届けしました。
また明日!