ノルマン征服の影響
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる素朴な疑問は、
ノルマン征服がなかったら英語はどうなっていたでしょうか? という歴史のifの話ですね。
ノルマン征服1066年ですね。 この年はイギリス市において、最も大きな出来事が起こった年として記憶されています。
英語史でも同じでですね、このノルマン征服というのは、やはり英語史上の一大事件、おそらく最大の事件の一つと言ってもいいと思うんですね。
これによってフランス語の影響がですね、英語側にドドドッと入り込んできたということです。
この1066年の事件というのは、ノルマンディですね、フランスの北部です。
イングランドから見ると、イギリス海峡を挟んですぐの突ですね。
このノルマンディ地方一帯を取り仕切っていたのが、ノルマンディ公、ギオーム、英語名ウィリアムということですね。
ウィリアム一世征服王ですが、1066年にこの海峡を逆側に渡って、ブリテン島側に渡って一気に征服した。
アングロサクソン王朝を消滅させたという事件でした。
この後ウィリアムと突き従ってきたですね、貴族たちによってイングランドは治められることになるわけですが、これらの人々ですね。
ウィリアム一世本人も含めてフランス語話者です。
少しノルマン並のフランス語ではありましたが、フランス語話者だったということですね。
これによっていわゆるフランス語の支配、フランス語による支配というのが始まって、向こう3世紀ほどは対外的には、公式にはイングランドの公用語がフランス語になったということです。
庶民によって英語はずっと話し続けられていましたので、その意味では全体として言えばイングランドは英語の国と言い続けてOKなんですけれども、
ただ書き言葉においてはですね、フランス語が優勢となって英語は一時ほとんど書かれなくなったということすらありました。
こうして話し言葉の世界に閉じ込められた英語はですね、後に少しずつ復元していきますけれども、その過程で上位言語であるフランス語から大量の単語を借り入れたということでしたね。
語彙とつづり字の変化
さあこのフランス語からの釈用語については、これまでの放送でもいろいろと取り上げてきたんですけれども、語彙だけでなくてですね、
例えば文法であるとか発音、つづり、こういったところにも何かフランス語からの影響があったのかという興味深い問題があるんですけれども、
逆にこの問題を考えるのに、逆にですね、ノルマン制服がなかったら、じゃあ英語はどうなっていたのか。
英語の状況がかなり持続して維持されていたのだろうかどうかということですね。
もちろんこれは思考実験ですので、はっきりしたことは何も言えないといえばそうなんですけれども、一度考えてみると面白い問題ではありますね。
さあまず語彙についてです。先ほど述べたように、このノルマン制服後にですね、主に13、14世紀あたりなんですけれども、フランス釈用語がものすごい勢いで流れ込んできたんですね。
その数は数千から1万に近いというふうにも言われています。
これは当然ノルマン制服の結果としてですね、フランス語による支配がイングランドに広まったということが原因ですので、ノルマン制服がなければこうしたフランス釈用語というのはゼロではなかったかもしれません。
結局は隣国ですから、何らかの交流というのはあったでしょう。その中から釈用語もフランス語側から流れ込んでくるということもあっただろうと思いますが、このノルマン制服がなければその数であるとか規模はずっと小さいものになっていただろうと予想されます。
そして現代の英単語の語彙ですね、比較的よく使われるものに限りましてもフランス語からの釈用語というのはざっと2割ぐらいを含まれていますので、この部分がごっそりとなくなっていたという可能性があるわけです。
小英語に由来する単語がもっと多く現代英語にまで生き延びていた可能性というのが考えられますね。だいぶ英語語彙は異なった要素を呈していた可能性があるということになります。
次につづり字についてスペリングについて言いますと、例えばハウス家を表す単語ですね。これ小英語ではふーすという発音で書き方としてはhusと書いたんですね。ふすみたいに書いて、これでふーすと読ませていた。
後に発音が変わってハウススペリングもちょっと変わりましたけれども、こうしたふーすばりのhusばりのスペリングが残っていたという可能性があります。
というのは現代ではハウスこれはhousdですね。ouとつづるわけですが小英語のuに対して母音部分がouにつづりかえられたことになりますね。
これは実はフランス語のつづり字の影響なんです。ですのでやはりノルマン制服がなかったらいまだにhusのような見栄えになっていた可能性もあります。
同じように例えばchild現在ではchildでしたが小英語ではcildというふうにchの代わりにcだけを使っていたんですね。
これもですねchにしたというのはフランス語のつづりの影響ということが考えられますのでノルマン制服がなければ小英語ばりのcildなどとなっていた可能性があります。
同じような理屈でですねquickなんていうのも小英語ではcwicと書いたんですね。今ではquickですね。これもフランス語の実は影響です。
そしてloveこれはloveというのが現代のつづりですが小英語ではlufuここでluvuと読ませていたんですね。
こんな現代風ではないつづり字ですね。つまり小英語のつづり字が現代まで生き残っていた可能性があるということです。
発音と文法の比較
ノルマン制服がなかったらということですね。
発音そのものですが英語はフランス語からの影響によって発音が大きく変わったっていうことは実はあまりないんです。
新たな母音が加わったとか子音が加わったとか影響みたいなものがあったとしても非常にわずかだというふうに言われています。
ところが一つ重要なのは強制ストレスです。ストレスの位置が本来の英語小英語ですね。小英語では基本的に頭に置くですね。
多音節語であれば第一音節にアクセントを置くっていうのが基本なんです。
ところがフランス語というのはどちらかというと後ろの方にアクセントを置きたがるという言語なのでこのアクセントパターンですね。
フランス語的なアクセントパターンは英語は吸収することになったんです。ノルマン制服以降ですね。
ノルマン制服がなかったらという話なわけですがこの後ろにアクセントを置くっていうパターンは英語に根付いていなかっただろうと考えられますので
小英語的なアクセントのままあるいは現代ドイツ語なんかを考えるといいと思うんですけれども
ドイツ語風のやはり頭にアクセントを置くというこのルールが徹底していたと考えられますね。
最後に文法に関してです。文法に関しては屈折が非常に激しかった小英語から
それがあまり屈折しないタイプの言語へという風に中英語で変わって
そしてほとんど屈折がないという近代現代英語につながっていくということなんですが
この大きな流れとしては小英語末期からつまりノルマン制服以前から始まっていた流れですので
ノルマン制服が起ころうが起こるまいがこの流れとしては変わってない変わらなかったという風に考えられますが
小英語から自然発生的に始まっていたこの屈折がなくなっていくという方向
この潮流にワンプッシュを加えたぐらいの役割はフランス語はあっただろうと考えられます。
ですのでノルマン制服がなければもう少し緩やかに屈折の衰退が起こっており
そして現代でも実際の現代英語に比べればもうちょっと屈折が多かったということもありますね。
ではまた