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おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
新しい英語の見方を養っていただければと思います。 毎朝6時更新です。
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本日は第6弾になりますけれども、英語に関する素朴な疑問 千本ノックーをお届けします。 私が大学の授業その他で、過去数年間にわたって、ひたすら集めた
英語に関する素朴な疑問。 これが千本どころではなくて、数千本集まっています。
これを片っ端にやっつけていくと言いますか、答えていく。 必ずしもうまく回答できるかわからないんですけれども、英語に関する
皆さんの知的好奇心に答えていきたい。 そのように思います。
HAVEの過去形について
一つ目。 なぜ、HAVEの過去形はHAVEDではなくHADなんですか。
そのような動詞の過去形、過去分詞形に関する 不規則の話題というのは
いつでも注目されます。 なぜ単純にEDをつけてくれないのかという話ですよね。
そうすれば合理的で規則的で覚えやすい。 それなのに不規則なものが
英語では、どう言いますか。多くの言語。 言語というものがこの不規則というもの。これ付物なんですけれども
英語ではこのように不規則であるが故に覚えなければいけない。 暗記しなければいけないっていうものの代表格がこの過去形っていうものだと思うんですね。
しかもやたらと頻度が高いんですよ。HAVE。 であるからこそHAVEDと
規則的にDをつけてくれるだけで済めばいいんだけれども、むしろこのように頻度が高い日常的な単語こそ不規則なことが起こりやすいんですね。
実際にHAVEはHADとなるわけです。 これに答えたいと思うんですけれども
古英語、1000年前の古英語では実はですね 過去形はHAVEでっていう形だったんです。
つまり基本的には規則的なんです。HAVEにEDですね。 今だとEDなんですけれども、古英語の時にはDEというのが付いたんでそのままですね
HAVEでとなったんです。まあ十分に規則的ですよね。 でこれがどういうわけで現代
HADになってしまったかというとこのHAVEDとなるとVとDの音がですね
くっついて現れますよね。HAVEDみたいなことになるわけなんですが これはですね現代英語で他の単語をいろいろ考えてみるとVDという
VとDの音がですね一緒に現れる、つまり隣り合って現れる例って基本的にないんですよ。 これは
音韻配列っていう問題なんですけれども つまりVって音とDって音、単体ではもちろん英語には存在するとたくさん出てきます。
しかしこの順番で隣り合ってVDという風に続くというものは実はですね 英語の単語は無数にありますけれども
探してもですねないんですよ。VDって言う。 言えないことはないですね。ちゃんと言えます。HAVEDで実際古英語にあったわけですから。
ですが古英語から中英語を経て近代英語、現代英語と変化していく中でですね この音素配列のルールというのも変わってきまして
VDのこの組み合わせっていうのは無しっていうことになってきたんですね。 そして結果としてですねこのVD無しっていうことになるとこのVの音が消えるっていう形で
この死音連続を回避するということが起こったんですね。 直接VDでなくても実はですね
Vの音っていうのは色々な環境で消えやすいんです。 特に母音に挟まれた環境
別の言い方しますと音声学的にはですね有声音に挟まれた環境と このように言った方が正確かと思うんですけれども
このようなVはですね消えていくという音の変化が起こったんですね 非常に多くの単語でこれが起こっていまして
結局ですねVが消えたので現代までにそのVが残っていないっていう意味では 聞かされてもですね
昔Vがあったんだということになってですね ポカンとする一方なんですけれども一応そういう例があるんだということであげてみます
主を意味するlord主とか主人っていうことですね これlordとなっていますが実は英語的には
クラーヴォールドっていうにVの音があったんです ところが母音に挟まれているので後に消えてlordになって
今現代語のlordという単語だけを知っている 多くの皆さんとってはですねここにVっていうのがあったんだ
そうだったんだということで終わってしまうんですけれどもあったんですね それがなくなったためにlordとなっているっていうことなんですね
もう一つはですねlordの対義語なんですけれどもこれは実はレイディンなんですね 女主人っていうのが本来の意味なんですが
小英語的にはですねフラーフディエという風にやはりVの音が出たんですね これが優勢王に挟まれているんでなくなって今ではレイディ
Vなんか出てこないっていうことです 他に非常に非近な日常的な単語で言うとheadがあります頭ですね
これは小英語ではヘアボード と言いまして部位があった
しかし母音に挟まれているんでなくなって今やヘッドということです このようにかつてはうっという音があったんだけれども
優勢王に挟まれているためにこの v の音がですね消えてしまうと言いますか 母音化してしまうんですね
典型的には母音V母音というような音環境でVが 周りに母音に挟まれていることでですね
自分自身も母音化してしまうそうすると母音母音になっちゃうんですね こうするとあまり長すぎるんで短くなったりいろんなことが起こって結果的に
Vは痕跡を残さずに消えていくっていうことが多いんです とりわけ今挙げたロードレイディ
ヘッドそしてハブの過去形のヘッドですね いずれも非常に好頻度ですよく使われる単語だったっていうこともこれも関係すると思うんですけれども
ハブなんてまさにそうですよね ということでハブでだったもののこの v が消えてハッドとなったっていうことで本来的には
規則動詞だった ちゃんと d e をつける普通の動詞だったんだっていうことがわかります
土砂降りの表現の由来
2つ目の質問です なぜ
土砂降りが降っているは it's raining cats and dogs というのですか
という素朴な疑問です これはですね非常によく質問されるんですね
どういうイメージで cats and dogs というのが土砂降り激しく降る雨というイメージと重なるのか ということなんですね
実はこれは諸説あって未解決なんです何が定説かっていうのははっきりしていない ということなんですがざっとですねその説
いくつかの説っていうのを見てみたいと思うんですけれども 一つは犬と猫互いに仲が悪いということになっているわけですね
ということで激しくいがみ合う激しく喧嘩するというその激しさというところと 土砂降りの雨が降る激しさ
これが関係付けられているのではないかというのが古くからある説の一つです もう一つはですね
昔は排水が劣悪で土砂降りの後に野良犬 野良猫が主体となって浮いていたということから
cats and dogs このように言うんではないかというこれ一種の文化的メトニミっていうんですかね
それに関係する説ということになります 他にはですね北欧神話に遡る説なんですけれども
魔女が猫の姿をして嵐に乗って現れるということがあるんですね 一方嵐の神であるオーディンが犬を連れていた
この辺りから 2つの動物が引っかかって cats and dogs
これで土砂降りになったのではないかということですね なかなか決めがたいんですけれども様々な説がありますね
そしてどれが先で後かっていうのはよくわからないんですけれども it's raining cats and dogs の他にですねやはり激しさを表す表現としてこんなのもあるんですね
fight like cats and dogs 猛烈にいがみ合う
つまり猫と犬のように戦うということですね それから cats and dogs have different natures
のようにやはり犬と猫というのは本性が違うということでですね 対立する存在として捉えられてきたっていう伝統はあるわけですね
フレーズの文化的背景
今のところ未解決と言って良いと思うんですけれども 私が関心があるのは実はこの
it's raining cats and dogs がどういう理由で出てきたのかというよりも実はもっと強い関心はですね なんでこの順番なのか cats and dogs
というこの順番ですね日本だと犬と猫犬猫という言い方で逆の順番なんですよね ですが英語ではこのフレーズに
代表されるように it's raining cats and dogs となっているわけですね
と思い込んでいた時に 実はコーパスで調べてみたらですね最近の言い方としてはペットの2大ペット2大ペット代表格と言えると思うんですけれども
実は dogs and cats という言い方も かなり多く使われてきているっていうことがわかったんですね
もちろんこの土砂降りというフレーズに関しては完全に固定されたフレーズですので 順序が変わることはないんですが一般に犬と猫とか猫と犬
で言いたい時の英語の語順はですね cats and dogs もちろん普通なんですが最近は比較的 dogs and cats も出てきている
これは単なる 統合の問題ではなくておそらく文化的背景があるんではないかと睨んでいます
少し話はずれましたが it's raining cats and dogs の話題でした
3つ目の素朴な疑問ですサムエニーの使い分けはどのように考えれば良いのですか ということですね
英文法で必ず学ぶ項目の一つにサムというのはいくつかのという意味なんですけれども 基本的に肯定文で使う
ところが疑問文や否定文ではサムは現れてはいけない 基本的にはエニーを使うんだというふうに言われるんですね
肯定文のサムに関して否定文疑問文ではエニーを使うべきだ というような英文法項目があります
これはなかなか難しいんですけれども英語学としてはですね ポラリティ曲性の問題というふうに捉えられていまして
肯定文ですね肯定的な文脈に対して 対応するのは
否定である こういうふうに考えますよね
ですが英語学の考え方では特に意味論の考え方では 肯定と言いますかね
アサーションという表現を使うんですけれどもそれに対してノンアサーション というこの対立が重要だというような考え方があるんですね
アサーションというのは普通に考えて肯定と考えて結構です ノンアサーションというのは否定と疑問をひっくるめた言い方です
この対立の軸は何かというとアサーションというのは主張するということですね ある命題を肯定的に主張するということがアサーションなんです
これをひっくり返して指定するというと肯定的なことは何も言ってないことになります のでこれはノンアサーションということになりますがもう一つですね
疑問文っていうのも自分としては何も言ってないんですね 相手に最終的に答えてもらおうということで自分としては何か強いことを主張しているわけではない
その意味ではノンアサーションということなんですね つまり否定と疑問というのはノンアサーションとしてまとめられるっていうことなんですね
もう一つ言いますと典型的にはifという条件文の中なんですが条件文で何々ならばということでこの何々に相当する部分は何か主張しているわけではなくてあくまで仮定の部分ですよね
ifの後の何々ならば何々であるというこの後半部分に関してはもしかしたら主張かもしれないんですけれどもifの中身に関する限りはまだ何もイエスともノーとも決まっていない主張していない部分ということなんであくまで仮定ですよね
ということで否定文や疑問文なんかと同列にifの中条件文の中もノンアサーションということになります
このアサーションとノンアサーションという対立ですねこれ日本語にあるのかよくわからないんですがはっきりと区別されているものではないので感覚がよくわからないと思うんですけれども
英語のみならず他の引用語にもあるかと思うんですけれども英語に関する限りはですね
肯定文に対して 指定プラス疑問プラス
ifの中身ぐらいの形でですねノンアサーション つまりアサーションとノンアサーションという対立があって
どちらかによってサムとエニーが使い分けられるっていうことがあるんですね これサムとエニーだけでは実はありません他に例えばあと
のようなアットですねこのような区はですね ノンアサーションの文脈でしか基本的には現れないということになっています
それから already yet という対立も同じです
already はアサーション yet はノンアサーション というようにどうもですねこのアサーション対ノンアサーションという対立は英語の中では結構重要なようでですね
いずれかにのみ使われる語というのがあってそれがペアで揃っているケースがあるんですね サム対エニーであるとか
already たいいえっとであるとかといったもんですね 他にもあると思うんですけれどもこのようにどうも英語においては
アサーション vs ノンアサーションという対立があるようだということになります 本日の1000本ノックは3つのみとなりましたなかなか1000にたどり着くには何十年時間がかかるんだろうという感じがするんですけれども
本日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました ご意見ご感想ご質問などがありましたらボイシーのコメント機能あるいはチャンネル
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では皆さん良い週末をお過ごしください