今回はですね、さっき出たばんちゃんの出した本、ジャパナス経営の後編になっていきます。
はい、よろしくお願いします。
前回は本の紹介と、あとクラウドファンディング今やってるので、今このタイミングだと終了してるかな、6月末なんですけど、
それの紹介させてもらった中で、ちょっと後編はココアとの重なりというか、繋がりみたいなものを見出していきたいなというふうに思っていて、
どうやって繋げようかなとかを考えた時に、やっぱ一番ココアと手放す経営で繋がってるのが私だなという。
まあ間違いないよね。掛け橋よ。
当たり前のことをね、気づいてしまった。私だって思って。
じゃあ私がこの手放す経営、ないしは手放す経営ラボラトリー、もっと言うとラボ。
ラボってね、あの呼ばれてるんですけど、このラボと私は関わらせてもらって、
今はポッドキャストという形なんですけど、一時期はそのコミュニティドライバーみたいなところもやらせてもらっていたし、
それをやる前はそのコミュニティの中で意志を発揮するみたいなことでちょっとトライもしてみたりもした中で、
そこからすごく感じるラボの凄みみたいなものもあったりするので、そういうものもシェアしたいなというふうに思うし、
あとはやっぱりディクソーっていうものが、私はすごく組織とか共同体みたいなものを語っていく上でやっぱすごいものだなというふうに思っているから、
なんかそのラボ自体のすごいなと思うところと、あとはそのディクソーのすごいなと思うところを、
なんか私からちょっとシェアさせてもらいつつ、それはそのココアにもつながっていることなので、
ちょっとそこから緩やかにつながりのことも話せたらなというふうに思っていて、
なんかシンプルに言うと、ココアはラボから結構感化されて形作られてきていて、
いるっていうのがまず大前提にあって、やっぱやればやるほど感化されてるからさ、
同じようなことを辿っていくのかなと思ってたのよね、最初は。
だからラボと同じようにココアでもこういうことをやっていくのかなって考えると、ココアをやる意味ってあるのかなみたいな、
そういうこともちょっと考えたりしたこともあったんだけど、やればやるほどそれぞれ違うものが生まれていくなとか、
違うものになっていくなっていうのはすごい感じていて、だから後を追っているっていうわけではないんだけれども、
ただ作っていきたい世界観とか、こういう世界いいよねみたいなところにはかなり大きく重なりがあるなと思っているので、
そういう意味で先を行く先輩だなというふうに思っていますと。
なので、私が感じているラボだったりとか、リクソーのすごいところみたいなのをまずシェアしていきつつ、
ふくみからレッスンをいただきながら、もらいながら、後編は話を進めていきたいなと思っています。
ということで早速入っていくんですけど、まずそのラボのすごいなと思うところは、
もうなんかこれに尽きるなと思っていて、実践や体験をベースに自立について学べるっていうところがすごいなと思っています。
実践や体験を通じて自立について学べる。
なんかさ、いろんなところで自立って言葉使われるじゃん。
20歳になったんだから自立しなさいとかさ、自立型組織って言ったりさ、
なんか自立って言葉ってさ、なんか知ってるじゃんみんな。
自立した方がいいみたいなものを思うじゃん。
でもじゃあ自立って何なのかっていうことをさ、体で感じるみたいなことって体験で感じれる機会ってあんまりないんだと思ってて。
確かにね。
組織の中において自立するってどういうことなのか。
なんかさ、自分で仕事をとっていくとかさ、個人事業主でやっていくとか独立してやっていくみたいなのはすごく自立っぽいじゃん。
なんかこう、じたともに。
でもラボでやろうとしてるのってやっぱり組織において人々が自立していく。
ないしは組織そのものが自立するってどういうことかっていうことをテーマにしているから。
あくまでも組織の中で人が自立するっていうことをテーマに扱っていて、なんかそれはすごく私としても結構何だろうな、その関心があるところで。
やっぱ会社員をやっていた時もそうだし、コーチングを一生懸命やっていた時もやっぱ会社員の中、会社員をしながらもやっぱり営業だったからさ。
いつまでもマネージャーにオンブに抱っこじゃダメだしさ。
とはいえ、自立していくためには何が必要なのかとか、自立ってどういうことなのかっていうことってそんなに分かってなかったなって思うし。
特に周りを見た時にすごく、その時依存とか自立とかを感じてたわけじゃないんだけど、すごく自立的だなと思うシチュエーションってあんまりなかったりしたんだよね。
だったりとか、コーチングをやっていた時も、やっぱクライアントさんが自立していくにはっていうのはやっぱすごい考えていて、
やっぱコーチがいないと成果が出ないって本当の意味での成果ではないなって私はずっと思っていたから、
コーチがいなくても大丈夫にするのがコーチの仕事だと思ってたから、やっぱクライアントが自立していくっていうことにすごく関心があったし、
それをやれないと一人前ではないみたいな感覚も結構強くあった。
コーチとして一人前ではない。
支援者として人を依存させることにあまり良いとは私は思わなかった。
結構コーチって依存しやすい関係性になっちゃうよね。
すごい閉鎖的だしね、コーチとクライアントの関係って。だからできることもあるけど、だから起きやすいことでもあるなっていうのはすごく。
確かに。
ラボっていうのは組織の中で人が自立するっていうことをすごく意図していて。
なるほど、確かに。
ラボって何を指してるかっていうと、コミュニティみたいなもので、特にその中でも研究員っていうお金を払って、
より実践をできるとか探求ができるメンバーの枠みたいなのがあって、
それになると何ができるかで言うと、DIXOの中にもあるリンゴプロセスっていう意思決定のプロセスがあって、
このリンゴプロセスっていうものをやれるよっていうのが一つ研究員になるとできることなんだけど、
この意思決定っていうのがすごいポイントで、そのラボの中でね。
自立って何を指すかっていうと、自分で決めるっていうことなんだよ。
で、めちゃくちゃシンプルじゃん。
でもさ、よく考えてほしいんだけどさ、ラボで研究員になるじゃん。
で、あるわけよ、このみんなのお金が。
その研究員が払ったお金が予算というかさ、使えるお金としてプールされてるのよね。
これは私一人が貯めたお金じゃないわけよ。
みんなから出したお金で何百万みたいな感じであって、
このお金を意思がある人は意思決定して使っていいよってなってるのよ。
そのラボの場自体が。
で、それが何でもかんでも使っていいよというわけではないんだけど、
ラボのWWHっていう真ん中に置いてるミッションビジョンみたいな言葉があって、
それと自分自身の意思っていうものが重なるところでリンゴをあげるっていうんだけど、
意思をあげてそれをみんなに出す。
みんなの場に出してそれに対して意見をもらうのよね。
意見をもらっていいねっていう意見もあれば、
それちょっとどうなの?とか、こういうふうにした方がいいんじゃないの?みたいな否定的なものもあれば、
否定ではないんだけどもアドバイス的なものもあったりとか、
みんなの意見をぐるっともらって、それを受けて否定的な意見とかもらうとさ、
なんかやっちゃダメなのかなと思うじゃん。
でもリンゴプロセスはそれでもやりたいならやっていいよっていうものなのよ。
だからその否定されたっていうのがやらない理由にはならない。
あくまでもあなたの意思がやると決めるならやるだし、
やらないと決めるならやらないだし、
やらないといけないではないが、
その否定されたからやらないは通用しないのよ、リンゴプロセスの中では。
私はこれがめちゃくちゃすげえパワフルだなと思ってて、
なんか私も実際ラボの中で、
なんかラボで活動したいけど、うまく活動できないとかきっかけがつかめないってなったときに、
そういうのを出してみたのよね、場に。
そしたらそれを解決しようみたいな感じになって、
自分でラボに入ってきた人たちが体験できる場を作るみたいなところでリンゴをあげたのよね。
めちゃくちゃなんかね、別に否定する人いないのよ。
いないんだけど、すごい怖かったの。
それはちなみにお金かかってないの。
なるほどね。お金をかかることだけじゃなくて、怖いことやりたいみたいなところもリンゴを出すみたいな感じのところだろうね。
そうそうそう。だからなんか会社とかさ、想像するとさ、これをやっていいかどうかって上司が判断するじゃん。
まあそうだね。
で、その時点で意思決定権が上司に移情されてるわけよ。
だからその部下からすると、上司がOKって言ったんだから自分はやったんです。
もしくはこれがうまくいかなくても上司の責任ですってなるじゃん。
でも意思があるのは部下の方でしょ。
この時点でちょっとなんかおかしいの分かる?
まあまあまあ、そうね。
意思決定って意思がある人が決定するから意思決定。
なのにこの会社組織の中だとこの権限が意思のある人から剥がれて、上司に行って責任だけ取るみたいな、上司が形になってしまうっていうのが結構そのいびつだよねっていう。
まあそれは本当に嫌だよね。
上司からしてもね。
だしなんかこれを結構バンちゃんとのポッドキャストの中で結構会社っていうのは人が自分で意思決定する機会を奪ってしまっているんだなって思ったんだよねっていう話をしていて。
そうかそうか、経営者の目線からするとそういうふうにも捉えるんだなと思ったんだけど。
確かにね。
でもなんかやっぱ責任を取るっていうことと自分で意思決定をするっていうことはやっぱ背中合わせだなと思ってて。
だから責任を持って自分で決めていく、自分で決めたことに自分で進んでいくっていうのはすごく育ててくれる感覚があって、なんかこうどしっとできるというか。
だからやっぱよく考えるようにもなるし、いろいろこう思いも巡らせるし、いろんな人との関係性もやっぱ真面目に取り組もうとするし、なんかすごく人として育ててもらえる感覚があったんだよね。
なるほどね。
で、それをやっぱ頭で理解はできないなって思ったの。
うんうん。
だからラボの中でやってみたい、で、もちろんそのお金を返するものもあれば返せないものもあるけど、なんかこれをみんながどう思うのかってわからない中掲げるわけだから、ちょっとその矢表に出るみたいな感覚にもなる中で、
でもそれを自分がやるんだって決めたらやり切っていいよって組織がそうなってるっていうのはなんか私はすごいなと思っていて。
うん、すごいと思う。
すごいよね。ちょっともう少し。
なんかそもそもさ、その責任を取るっていうことに対して、それは違うよねって話なわけじゃない。なんかそこが普通じゃないなってまず思う。
だってさ、一般的なさ、サラリーマンの上司の仕事は責任を取ることとか言われるわけよ。それがそもそもさ、ちゃうでっていう話なわけじゃない。なんかそれはえ?ってなるし。
そうね。
でも今みたいな波の話を聞くと、確かにそうだなみたいな自立を妨げてるなみたいな。
だからさ、なんかこれ会社で例えた話だけどさ、例えばその親子の関係でもさ、その大人になったら、親の元離れたらさ、まだ変わってくるかもしれないけどさ、親と一緒に住んでるとさ、なんか自分のやりたいことって結構親の承諾があって自信持ってきたりとかさ、なんか夫婦の関係でもさ、
例えばその旦那さんがすごいさ、お財布握ってるとしたらさ、なんか奥さんはさ、その旦那さんの許可がないと何も決めれないみたいな感じになってくる。どんどんやっぱその依存関係になっていく。
そうだね。
親子にせよ、夫婦にせよ、上司、部下にせよ、なんかそういうものってすごくその自立とちょっと対極にあるというか。
確かにね。
でも、よく考えたらさ、自分の生き方とか人生ってさ、誰も責任取れないわけじゃん。その人以外。
ってなったら、その人が責任を持って自分の人生の生き方とか選択を決めていくっていうことにはさ、なんかすごく美にかなってるというかさ、だって誰も責任取れないんだからっていう。
そこを愚直に組織の中でどうやったらできるかっていうことを、一人一人がやっぱ責任を持って自分のそれぞれの人生を全うしていきつつ、組織としても機能していくためにはどうしたらいいんだろうかっていうことを一生懸命やってるなっていうふうに思ってて、そりゃ大変だわっていう。
そりゃ大変だよ。でもなんかそういうのができる環境っていうのがまず素晴らしいよね。
やるかやらないかはあなた次第かもしれないけど、環境としてはできるよって話したもんね。
そうそうそうそう。だからなんか、ある意味言い訳できないなっていう感覚だったのね。私はなんかでは。だって誰も止めてないし、誰の許可もいらないし。
でもやっぱそれをやれる環境、やれる環境とかやれる感覚になるにはやっぱいろんな一つの関係性を育んでいくっていうこともすごく大事だったりとか、
なんかそのラボってどういうものなのかって知っていくっていうプロセスも大事だったりとか、なんかそういうのってなんか意思決定の仕組みがあるから何でもかんでもやれっていう話ではないんだけどもちろんね。
その段階っていうのがあるんだけど、ただなんか条件としては誰も止めてないよっていうのはあるわけよね。
でも実際さ、そのラボの中ではさ、そういう環境っていうか条件は整っているわけじゃん。だからといって全員が自立できてるわけではないんでしょう。
なんかそのちょっとすげえ角が立つさ、コメントになっちゃうなと思うけど今のどう返しても。
ただなんか自立できてるできてないみたいなものを図るというよりは意思が芽生えたらそれを応援するみたいなことを大事にしてる人が集まってるなっていう感じはあって、
でそこに対してやっぱ情報量が多かったりするから、そのキャッチアップできてませんとかちょっと離れてましたとか、
なんか私も今そのコミュニティの中がね、随時どうなってるかってすごく細かく知っているわけではないけど、
でもやっぱなんか自分自身がこうトライした過去みたいなものがあるから、なんかそれをいろんな人が順番にって言うとあれだけど、
なんかそのそれぞれのタイミングでこのラボという土壌の中でその意思を発揮していく中でやっぱいろいろ気づいていくものとか、
取り戻していくものとかがなんかあるなって思うと、なんかすごい尊いなと思う。
いやそう、だからなんかさっきの問いかけで何を言いたかったかっていうと、それだけ自立するっていうのは難しいことなんだなって思ったわけよ。
マジむずい。
その環境とかさ、場とかが整っていたとしても、なかなかこう前に踏み出せないみたいなさ、人ってやっぱいるわけじゃない、県に。
でもその人が何かこうやりたいってなった時にやれるっていうのはなんかめちゃくちゃいいよね。
なんか例えば俺の話を言うと、やりたいってなった時もダメって言われるわけよ。
言われてた。
言われてたから。それでどんどんさ、やっぱいいやる気とかがなくなってっちゃうこととかもあるわけよね。
そうだね。
そのやりたいってなった時にいいよって言ってくれる、まあいいよとも言わないのか、やりたいならどうぞっていう風に。
誰も止める権利がないっていう感じだよね。
だからそういうのはやっぱこう、人としての尊厳というかさ、なんていうの、この事故みたいなところをすごい尊重してるよなって感じするよね。
そうなんだよね。なんかその、同じくその手放すけラボでその竹光三さんっていうね、竹ちゃんっていう人がいてね、彼がよくそのモラル、倫理観みたいなのはなんかこの3つだみたいな。
なんか嘘をつかない、傷つけない、奪わないみたいな、なんかこの3つがちゃんと守られていれば大丈夫だみたいな、その人の尊厳はちゃんと守られるっていう話をしてて。
で、めちゃくちゃ当たり前だけど、でもよくよくその今の社会を観察していくと、傷つけられているシチュエーションだったり、奪われているシチュエーションだったり、
なんて言ったっけあと忘れちゃったけど、なんかその、なんかそういったすごく大事なんだけど、遵守されてないシチュエーションってなんかあるよねっていうのも、あるからダメっていうことを言いたいというよりは、あることを認識することで、
より優しい選択ができるというか、その尊重する尊厳を守るみたいなことに自分自身の行動とか、一個一個のやっていることがひも付いていくっていうことができると、なんかすごく分かち合う社会につながるよねっていうのはすごく感じていた。
そういうことに対してやっぱ自覚的になりたいなっていう気持ちもあってさ、なんか偉い、なんかすごい偉そうなことを言いたいわけじゃないんだけどさ、すごいこと言いたいわけじゃないんだけど、人を傷つけて生きてるって思うの嫌じゃん。
だから、なんかそういうこう実はわかりやすく目には見えてないんだけど、なんかそういうものってあるよねっていうのを、なんかこう自覚的になっていった先には、やっぱ自分自身が自立していくっていうことにヒントがあるような気がしていて、
だからそれをすごく環境としても、こうみんなでやっていこうねという、それを大事にしようねって言ってるのがラボであり、なんかそれはすごくなんかいい、すごいなと思っているから、なんかこの私が好きなのは、なんかこう頭じゃなくて体験とか体で学ぶみたいなところがやっぱすごいいいなと思ってて、なんか本当にしみるというか体に。
そうね。やっぱさ、人間ってさ、なんかやっぱ自分で体験したこととか経験したことじゃないとさ、理解できないじゃん。
いや、ほんとそうなのよね。
だからその体で感じるみたいなところはすごくやっぱね、大事だよね。
そうだよね。なんかね、ふくみんが関わってるマイジーニアスとかもね、ほんとに体全身で体感するみたいなところだし、やっぱここはもうなんかそういうのを大事にしているなと思うから、なんかそれがこう仕組みとしても形としても、なんか実践が私はそこでできたから。
それがね、仕組みとしてあるのは素晴らしいと思うよ。なんかやっぱ人の手を離れてるみたいな感じじゃない。
でもこれ面白いのが、やっぱその仕組みっていうけど、でもその中にはやっぱ人がいてさ、その中でいろんな人がいろんなふうに関わっているから、オートマチックなわけじゃないよ。
やっぱその、それを動かしているのも人の意思だから、なんかそこはやっぱさ、なんか結局人だなみたいな。もちろんAIでできることもたくさんあるけど、やっぱ人の意思が人を動かすなみたいなのはやっぱすごい感じるところかなっていうのが一つ思いました。
素晴らしい。
ちょっとそろそろ次のリクソーのすごいところに行きます。
なんか今のリンゴプロセスの話だったりとか、体感で学ぶ、自立について学ぶみたいなところも含めつつなんだけど、なんかやっぱ私がリクソーのテキストとか実際に話を聞いて、なんか涙が出そうになったのはさ、
リクソーは組織デザインをするプログラムなんだけども、ポリシーみたいなものがあって、リクソーは人を変えるっていうアプローチはしませんっていうのを言っていて、
あくまでも人がその意思を発揮しやすい仕組みを整えるっていうことに即したプログラムですよっていうのを言っていて、
なんかいろんな問題、会社の問題もあれば人間関係の問題とかいろいろあるんだけれども、そういったいろんな問題って人と人の間にあるよっていうことを書かれていて、もうジーンときてさ、
っていうのもさ、ココアで言うと人間関係を特に身近な人との関係性を扱おうっていう話をしていてさ、
なんかやっぱ人間関係のトラブルってさ、なんかこう自分自身に起こったこととかも思い出してもらうとわかると思うんだけどさ、
私が悪いか、あいつが悪いか、俺らが悪いかみたいなさ、なんかそのさ、誰かが悪い感じになれへん?
そうね。
これはあいつが悪いとか、これは私が悪かったとか、これは私もあいつも悪いみたいな、
なんかその悪い部分を探そうとしちゃうというか、特定しようとするというか、誰に原因があるのかっていうのを探そうとするんだけど、
さっきの人と人の間に問題はあるんだよっていう考えに基づくとさ、どっちかが悪いとかどっちが悪いとかじゃなくて、
私とあなたの間に何が起こってんだろうねっていうことを見つめるっていうことだと思うのよ、問題が間にあるっていうことは。
これってめちゃくちゃさ、なんか救われるなというかさ、いろんなやっぱ人間関係の難しさとかさ、トラブルって、
悩みの8割人間関係って言うけどさ、なんかやっぱそれに直面するたびさ、自分の何がダメだったんだろうとかさ、
自分は何が足りてないんだろうって、やっぱ自分を悲観する方向に行ったり、相手を避難したりとか攻めたりとか、
攻めてる自分を攻めるみたいなさ、なんかもう器用なわけよ、ネガティブになるのが。
だけど、なんかこう間を見ましょうっていうメッセージって、すごくそれこそフラットになれるなっていう気がしていて、
もちろんそのね、一緒に作っている関係性だから、もちろんお互いを見ていくことで大事なんだけど、
なんか誰かを攻めるということじゃなくて、間にあるものを一緒に見ていきましょうっていうスタンスは、
すごくそのディクソは組織っていう単位だけど、なんかココアにおいては人と人の間を見るっていうことを、
なんかこう身近な人からやっていきたいなっていう思いがあるから、なんかすごくそのココアの中でそのフラットコミュニケーションを通じて、
なんかやっていきたい、みんなで探求していきたいこととすごく通ずるなっていうのをすごく感じていて、
なんかそこもやっぱディクソすごいわっていうところになります。
なるほどですね。いやでもなんかちょっとこの人と人との間にあるってなんか認知できるのかなってちょっと思った。
なんかやっぱさ、衝突する時とかってさ、なんだろうな、認識のズレみたいなものが結構起因することがあるじゃない。
なんか俺はこう思ってたみたいな。でももう一方でいや私はこう思ってたみたいな。
変な話俺とナーミンでもあるわけじゃない。そこの間を認識するっていうのも結構至難の技だなって感じるかな。
なんかさ、なんつーんだろうな、仕事とかしてるとさ、みんなさ一生懸命仕事してるわけよ。それでもトラブルって起きたりするじゃない。
そうするとさ、みんな一生懸命仕事してんのにさ、なんかトラブルが起こると誰かが悪いみたいな風になるわけよ。
それがお客さんとさ、クライアントだったりとかさ、あとはもう自分たちだったりとか、もう責任の押し付け合いみたいなのが発生するわけよね。
で、なんかトラブルとかなくてもさ、なんかじゃあめんどくさそうな仕事が来ましたみたいな時とかもさ、その仕事の押し付け合いとかが発生するわけよ。
そういうものをなんか組織として解決していくみたいなものなのかなとは思うんだけど、難しそうだなーって。
っていうのはすごく思う。
探求しがいがあるよね。
いや本当にそう。さっきのそのラボのすごいところだったりとかさ、自立みたいな時とかで、例えばなんかそういうトラブルが起きたときに、
なんかこう、これはなんか自分が悪いんですみたいな話ではなくて、何つうんだろうな、なんか例えばこうこうこういう風なことが起こったからこれってこう起きちゃったんですよねみたいな風なものをさ、
場に出せたりするとさ、何だろう、そこでみんながその場に出したものに対してそれはどのことを言ってるんだろうみたいな風にしてさ、見に行くわけじゃね。
そういうのができると、なんかその人と人との間にあるものも見に行けるようになるのかなって思うわけよね。
なんかすごくつながってるなぁと思って、ラボの大切にしていることすごいところっていうところと、ディクソンのすごいところみたいな。
ちょっと自分でもなんかちゃんとうまく表現できてるかわからないけど、そのぐらいちょっと抽象度高く難しそうだなぁと思うし、
なんかそれをちゃんと探求してなんか仕組みに落とし込んでるみたいなところはやっぱ、今日何回目かわかんないけどめちゃくちゃすごいと思います。
そうなのよ。だから私はやっぱりすごいラボもディクソンも大好き。
で、なんかそれを作ったのがバンチャンなわけ。
で、そのバンチャンが出した本が手放す系という。
いや、なんという本でしょうね。
そういえばこれ、本の紹介の続きにありますので、なんかこう、ちょっとね、うまくまとまらない部分もあるんですけど、
ココアがあるのはやっぱこの手放す系ラボラトリーっていう場所だったり会社だったり、
そこにいる人たちの試行錯誤の延長線上に枝分かれして私は作っているなという感覚もあるので、
なんかすごくいつもね、ココアで一緒に生活している人たちにも届けたいなというふうに思って、ちょっと今回は取り上げさせていただきました。
ということで、またね、これももしかしたらコミュニティトークに発展するかもしれないんですけど、
一旦今回は前編後編ということで、この辺りで終えさせていただけたらなと思います。
はい、ありがとうございました。
ここからはココアトピックスの時間です。
今週のトピックスは7月12日シェアリングディナーやります。
はい、やります。
はい、なんかちょっと今溜めてしまった、すごく。
何が発表されるのかなと思って。
なんかまたまたって言おうかなって思ったんやけど、またまたって毎月やってるしなーみたいなのが。
確かに。
そうそう。で、ついにって言おうと思ったんやけど、ついにでもないなって思って、結局ただの空白になってしまったっていう、今時間がありました。
はい。
なんかこうやって毎月さ、オフラインでこう集まる機会をさ、なんか作れてるのなんかすごくいいなと思って。
いやもうこれは神様、仏様、福民様のおかげでございます。
最近なんかさすが福民でサスミンって呼ばれ始めた。
そうなの?すごいじゃん。
はい、サスミンです。
なんかポケモンがさ、なんかピチューからピカチューになったみたいな。
進化ね、なるほどね。
感じてね。
サスミン!
ちょっとさ、草ポケモンっぽくない?
確かにね。
確かになんかわかんないけど、でもサスミンの福民に。
はい、サスミンのおかげでね、毎月コンスタントにみんなで集まれてて楽しいなと思ってます。
またね、夜の時間、昼間はまたテニスで、夜の時間でシェアリングディナーできたらなって思うので、
もしテニスも興味あるよって方はぜひ来てもらいたいし、シェアリングディナーもね、ぜひいつも入念なチェックのお店を選んでいるので、
サスミンがね。
今回はさ、夏だからさ、なんかこうビアガーデンにしようかなってサスミンが思ったんだけど。
サスミンが思ったんだ。
なんかね、あんまいいとこなくて。
あるっちゃあるの?
あるっちゃあるんだけど。
サスミンのあのおめがねにかなわないの?
そうそう、なんか昔はさ、なんかそこら中でビアガーデンやってた気がしたんだけど、なんか全然なくて、
こんなところにもやっぱコロナの影響が現れてるのかなと勝手に思ってます。
なるほどね。
なので、もしかしたらビアガーデンになるかもしれないし、もしかしたら普通のお店になるかもしれないし、楽しみにしててくれたらなと思います。
もしかしたら我が家でたこ焼きかもしれない?
もしかしたらね。もしかしたらたこ焼きかも。
絶対ないね、今んとこね。
今んとこね。
今んとこないけど。
最近は結構日曜日の夜に集まることが多いんですけど、曜日を固定してるわけじゃないので、また平日の夜とか土曜の夜とか、
いろんな曜日にもできたらいいのかなっていう気もしてるので、そういうタイミングが合うところでいろんな人に来てもらえたら嬉しいなと思ってます。
はい、思ってます。
また今週のココアイベントのお知らせです。
7月2日21時からココアのシェア活を開催します。
はい、ココアのシェア活はですね、今こういうふうに僕とナーミンでやってるこのココアトークをイベントの中でもやっちゃおうみたいな感じで、
みんなでココアトークみたいなことをやってますと。
はい。
いろんなココアのことだったりとか、またみんなから出てきた質問だったりとか、そういうのに答えていくみたいな、公開収録みたいなスタイルでやったりとか、
そんな感じでワイワイやるイベントになっているので、ぜひ耳だけ参加とかでも楽しめる形なので、ご都合の方はご参加いただけると嬉しいです。
なので耳だけ参加もできるし、一緒に入って顔出しして一緒にワイワイ参加することもできるし、お好きなお好みの参加の仕方をしてもらえると嬉しいなと思ってます。
みんなでココアへの愛を育んでいきましょう。
今回はいろいろココアの中で今お伝えしているフラットコミュニケーションについてみたいなところをテーマにお話をしていきたいなと思いますので、ぜひ楽しみにしていてください。
お願いします。
はい。