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スピーカー 1
本に沿いながら紹介したと。
で、多行為可能性モデルっていうのは、
もうこの本のね、タイトルそのものだよね。
そうしないことはあり得たかっていうテーマについて、
まさに迫っていくような章になっていて、
要は選択をするタイミングで、
ある選択をしたという状況があったときに、
それ以外の選択肢があるかどうかっていうことが、
自由かどうかっていうことを考える上で大事なんじゃないか。
そんなモデルについて紹介してもらったら、
これ第1章だったよね。
スピーカー 2
はい、そうでしたね。
スピーカー 1
で、もう1個の第2章。
こちらは自由の厳選性モデルということで、
厳選性って何ぞやっていう感じですけど、
要は自由の厳選っていうのが、
本当に自分の内側にありますかどうですかっていうことが、
自由かどうかっていうものの条件になってくるんじゃないかということで、
ちょうどね、キーワードで言うと、
2階の意欲みたいなキーワードが出てきましたよね。
スピーカー 2
ここは盛り上がりましたね。
スピーカー 1
盛り上がったよね。
要は単純な欲求と、ちょっと工事の欲求というかね、
欲求を欲する欲求みたいなものがあったときに、
それが自分の中で一致していて、
気持ちよくハマっているときに自由なんじゃないかみたいな、
なんかそんなね、フランクファートさんという方が出てきましたよね。
スピーカー 2
決定的にコミットメントするという風に、
この本では表現されておりましたね。
スピーカー 1
出てましたね。決定的なコミットメントと、
自由の条件じゃないかみたいな、
そんな2つのモデルを紹介していきましたというのが、
第2回だったかなと。
で、前回第3回は何を扱ったかというと、
この本はね、実は自由、それから決定論、
この2つの両立可能性というものについて考えるというのが、
実はメインテーマになっている本でもあるんですよね。
スピーカー 2
そうなんですよね。
スピーカー 1
さっきね、ちょうど自由の2つのモデルという風になってましたけど、
これが要はファーストセクションだとすると、
セカンドセクション、2番目のセクションというのは、
自由と決定論の両立可能性ということで、
おおむね4つの章を先ながら、
このテーマについて扱うということでしたね。
で、前回扱ったのは第3章というところを読んでいて、
まさにその決定論と呼ばれているものが、
自由の余地をどれぐらいなくしてしまうんだろうか、
みたいなことについて、
さまざまな論章を扱いながら紹介するということをやってきました。
これがざっくり言うと、
特集の本編でやってきたことの振り返りと。
そうなりますね。
そうね。という中で、
どうやら我々が思うように進んでないんじゃないかみたいな、
懸念がですね、回を重ねるごとに高まってきているというのが、
ちょうど前回の章図ですかね、
自由の袋小路というテーマの回でも出てきてましたけど、
改めてどんな不和がありそうなんだっけみたいな話を、
ちょっとアイスブレイク的にしてみましょうか。
スピーカー 2
そうですね。
この本で取り扱いたい決定論と自由の両立というところが、
そもそも我々の関心外なんだよね。
スピーカー 1
はいはいはい。そうだよねそうだよね。
一番最初の初発の動機というか、
そこがそもそも自由ってどんなもんなんだよっていう、
そこに主眼があったわけだよね。
確かに筆者の方が言う通り、
決定論と自由は切っても切れない関係であることはわかると。
なんだが決定論と自由が両立するかっていう問いは、
僕らの中にはなかったんだよね、本を読み始める時点ではね。
スピーカー 2
そうなんだよ。
言い終わりが問いに合わせにいくような形になってしまったっていうところが一つ、
スタートラッシュにつまずいたところだよね。
スピーカー 1
そうだよねそうだよね。
だからその決定論と言われた時に、
まあ確かにそういうものもあるよなみたいな感じではあるものの、
決定論的にあるかどうかみたいな話題と、
自由が自由であるのかどうかみたいな自由の条件みたいなものが、
必ずしもバチッと僕らにはまってないみたいな、
なんかそういう感覚がちょっとうっすらあったりしたよね、
みたいなところが盛り上がってるところでしたよね。
スピーカー 2
あとそもそも自由っていうことが不自由すぎるんだよね。
ちょっと誤解をそれずに言うと、
スピーカー 1
僕はあえてこの本に対して結構反駁的な立場で言うと、
スピーカー 2
必ずこの本で扱う自由には枕言葉がついてるじゃん。
多行為可能性としての自由とかさ、
なんちゃらかんちゃらな自由とかさ、
責任としての自由とかなんちゃらな自由っていう、
必ず自由を狭めた自由が毎回トッピングとしてついてきて、
それにちょっと嫌気がさせてきたというか、
また何とかな自由が、
いつになったら我々の扱いたい本当の自由ってものが出てくるのかと思って見てたけど、
全然出てこないんだよね。
確かに。
狭められた自由を毎回提示されては、
これじゃねえこれじゃねえっていうふうにやり続けてきた感じじゃないかな。
スピーカー 1
ああそうだね、確かに枕言葉がついてるっていうのが一つだし、
あとまあその自由の二つのモデルって紹介されるじゃないですか。
この本書の前半で導入されるものだと思うんですけど、
その二つのモデルがなんというか、
ミーシーなのかよくわからんみたいなとこもあるじゃない。
あるある。
スピーカー 1
それで全部の自由を言えてるみたいな。
スピーカー 2
全然フニヨツイないよね正直そこで。
スピーカー 1
そうそうそう。
まあなんか具体で言うと、これ前回のショーツだっけね、
なんか話題になってたところでいくとさ、
今回ってやっぱりそのそうしないことはあり得たかっていうテーマのセッティング自体もそうだけど、
なんかこう自由というものと選択するっていうものをすごく近いところにおいて議論してるような感覚っていうのはやっぱりあるじゃないですか。
スピーカー 2
あるあるある。
スピーカー 1
例えばAを選ぶのかBを選ぶのかみたいな、
なんかそういう局面において自分の自由はどこにあるんだみたいな問いかけだったりとか、
なんかそういうところにすごく本書の話題の主眼が置かれているような感じがあるんだけど、
なんか一方でこの特集始めるタイミングでね、
それこそその自由ってどういうふうに向き合ったらもろいんだろうかみたいなことを言ったときに、
自由落下のメタファーみたいなのを僕が言ったじゃないですか。
スピーカー 2
言ってましたね。
スピーカー 1
要は物が、要は宝物線を描くときに、重力に引っ張られて物が落ちていくときに宝物線を描きながら落ちていくわけですけど、
これを物理では自由落下と言いますと、ニュートンの世界だよね。
自由落下って言うんだけど、このときってこの物体が落下していく様子って完全に数式として記述できると。
完全に記述できるし完全に予測可能なんだけど、自由落下って自由って言葉を使ってこれを表現する。
なんか面白くない?みたいな。
なんかそんな問いかけから始まってたんだよね。
スピーカー 2
そうなんだよね。これ理系的な記述から始まってるんだよね、どっちかというと。
スピーカー 1
そうなんですよ。そう考えたときに、この自由というものが何というか、もともと何か分岐点における選択とか、何か選び取るとか、
熟考して何かAかBか判断するみたいな、そういった性質の自由を扱おうとしていたわけではなかったっていうことに、
なんか改めて気づかされるなと。
そうなんだよ。
スピーカー 2
最初は結構民主主義じゃないって言ってたけど、なんとなく読み進めていったらどこかでストンと落ちる瞬間があるかと思いきや、
どんどんどんどんフロスピが広がってきて、むしろ一向に負に落ちる気配がなさそうっていうのもあるよね。
スピーカー 1
確かにね。だからやっぱりその自由というものを語ろうと思ったときに、選択みたいなタイミングで世界が決められちゃってるのかっていうような観点で決定論が導入されたりとか、
あるいは決定論的かどうかというものは横に置くとしても、自由が本当にあるのかないのかということが議論になったときに次に課題になってくるのは責任だろうみたいな感じで、
責任との関係がこう議論されたりとか。いやーそのあたりはまあ確かに話題になることはわかるけれども、なんか僕らが話したいところとちょっとずれてるな。
スピーカー 2
どんどんずれてってるんだよね。
スピーカー 1
そうなんだよね。みたいなことがやっぱりずっともやもやあったりもして、このあたりを一回こう何というか吐き出しといたほうがいいんじゃないかっていうのがまあ今日のこのフリートーク会の主眼ということになるわけですね。
スピーカー 1
はいということでございますけれども、どうですか。これなんか逆にさ、このすごいなんか大げさなこと言うけどさ、書いた著者の高崎さんとかにさ、この疑問ぶつけてみたらいいのかな。どうなんだろうね。
スピーカー 2
それはめちゃくちゃ面白いけど、怖いのは普通に、いやいやそれはもうあなたこれは自由論っていう学問の教科書ですから、もうあなたが扱いたい自由っていうのは全然もう、
何私の扱いたい自由論とは全く違いますよって言われてしまったらもうそれまでじゃない。
スピーカー 1
まあまあまあそれは確かにね。それはそうだね。この人の関心と我々の関心が違ったっていうことが確認されて終わりだと面白くないもんね。
スピーカー 2
でもたまたまこの自由と自由論で名前が似てるから誤認してたけど実は全然違うところの扉叩いてたみたいな。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
だとやだよなーみたいな。
スピーカー 1
確かにね確かにね。いやそれはめちゃくちゃそうだね。ちなみにさ、今回仮にこのタイミングでもうちょっと深掘り方を変えていこうと思ったときに、何が扱えたらこの自由についてちゃんと考え切れたなって感じになるんでしょうね。
スピーカー 2
すげー難しい質問だろうなって。
スピーカー 1
まあそれがなんか多分、それを決めるのがなんか一番なんか今回大事そうだよね。つまり問いを正しく設定するというかさ、なんか僕らが持ってる問いって結局何だったんだろうかみたいな、なんかそこだよね。実はすごく大事だよね。
スピーカー 2
そうだね。公式に従ってることが実は不自由っぽいのに自由だっていうことに対する問いでしょ。答えを与えてくれる問いでしょ。難しいな何だろうな。
スピーカー 1
いやそうそう。まあなんかさ、ちょっと実はその本の選定をするタイミングでなんかそこに触れそうな機会はあったからみたいなちょっと思って。まあ例えばあの名前が上がったやつでいくとさ、チクセントミハイさんっていう心理学者の。
スピーカー 2
フローの人。
スピーカー 1
そうそうそう。あの人フローについて本書いてるけど、なんか結構そのフロー状態で、フローってみなさん実は浮かんでますかね。カタカナのフローですよ。流れのねフロー。なんか何か状況に乗っかって。
スピーカー 2
要はゾーンに入るみたいなそういう状態で。
スピーカー 1
そうそうそう。なんかスポーツ選手とかがゾーンに入ってなんかバッチバチでパフォーマンス出せるみたいなフロー状態みたいなのがあるんですけど、なんかこれとかは実は結構その僕が当初言わんとしていたなんかルールに従ってることによってすごく自由を獲得するみたいな、なんかそういったところとちょっと近いのかなとか。なんかそんなことは思ったりしますよね。
スピーカー 2
そうだよね。初回収録でもそこに近い話を我々知ってたよね。楽器演奏するときに楽譜っていうすごく不自由なものを読んで演奏してるはずなのに、それを体に完全に体得すると我々は自由に演奏するようになるって話とか。まさにあれでフローで言い換えられるってことだよね。
スピーカー 1
確かに確かに。だから最初のなんていうか、スタートするっていうキックを滞りなく完了できれば、あとはもうドミノのように流れていくというかさ。自由にと言うとまたこれなんかちゃんと形容できてない気がするけど、流れるように次のアクションが浮かんできて、次の手が見えてきて、本当に流れるように最後まで演奏しきることができるみたいな。やっぱその感覚にすごく自由を感じるなみたいなところはあるよね。
スピーカー 2
そうだね。感覚的にはそこに自由を感じてくれる。ただその物理法則に従っている状態のことを自由って形容するのはまた少し違う気もするんだよね。
スピーカー 1
確かにね。例えばさ、今のその演奏が自由自在にできるみたいな時って、要は譜面というある種のルールに完璧に従っているわけじゃないですか。演奏者。その時にそこにある自由って何なんだろうね。
っていうのはさ、別にさ、その人がさ、自由に意思決定しているという状況ではないじゃない、実は。選択みたいな観点からするとさ。もうもはや選択肢はない状態じゃん。音符はもう置かれてて、どういう風に次の音を繰り出すのか、どういう風に和音を取るのかってことはまあ決まってるわけだよね。筋書きは決まってるわけじゃん。
だけどこう伸び伸びとその中で自由さを感じながら演奏することができるって、これはなんか何なんだろうね。何を自由だって感じるんだろうね。
スピーカー 2
何なんだろうね。それは決められたものの中で、すごくこうシンプルな言葉で言うと表現方法が自由だったりとか、ルールを忘れて表現に全勢力を注げること。
今は楽譜を意識すると不自由になるから楽譜への意識を完全に無くした状態で、いかに強弱つけるかとか感情を込めるかとかそこに集中しているときに我々は自由を感じると。
スピーカー 1
たしかにね。
なぜだ。
それは確かに。
それってだからある種、自由になっている余地みたいなものが、なんか実は結構絞られているときの方が自由だみたいな話なのか。
スピーカー 2
そうだね。今あれだよね、三田さん俺が言ってた、娘と一緒に47都道府県全部巡る旅をしてたけど、行くところが完全に自由な状態っていうより、少しずつ狭められて行った方が次行くところがパッと決まって、それって自由なんじゃないかっていう話と似てるよね。
スピーカー 1
たしかに。
そうだね。ちょっとリスナーの方に分かりやすく改めて説明すると、山上くんは娘ちゃんが生まれてから47都道府県を全部制覇するぞっていう目標を持ってるんだよね。
スピーカー 2
もう詐欺したんだけどね。
スピーカー 1
したのか。おめでとうございます。その話どっかでしたいじゃんみたいな。
スピーカー 2
どっかでしたいじゃん俺もね。
スピーカー 1
47都道府県を制覇しようっていう目標を持ちながら行動してた。そうすると自由に旅したいじゃんみたいな、旅人気質みたいな人も世の中には一定するじゃん。
そういう人ってフラッと旅に行ったりとかしてる感じもあるけれど、一方で山上くんは非常に明確に47っていう旅先のある種、KPIみたいなのを持ってるわけじゃん、目標。
スピーカー 2
すごく決まったルールの中でもかなり数が限られてるからね、47って。
スピーカー 1
最初は47個選択肢があるみたいなところからスタートして、行きやすいところから行くんだろうが、僕がその状況を見始めたのって結構中盤以降というかさ、
もう今37だわとかそういうタイミングからさ、結構報告を受けるようになってた。
スピーカー 2
そうだったね。
スピーカー 1
そうするとさ、ちょっとした瞬間が開くとさ、じゃあ次あと岡川とどことどこだから、あそこ行くわとかパッて行くみたいな。
そういう軽やかな選択をしてるなというふうに僕の目には映っていて。
スピーカー 2
そうなのよ、どんどん旅行に対するフットワークってのは軽くなっていってる。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
狭まれば狭まるほど、次行こうっていう足取りはかなり軽くなってたね。
スピーカー 1
なるほど、面白いですね。だからそのやることの選択肢がめちゃくちゃ少ないがゆえにすごくそのやろうと思った時の
なんかやる中身だったりとか、生き方だったりとか、そこで体験することみたいなことになんかフォーカスできるみたいな感覚に近いのかね。
スピーカー 2
いや、そうなんだよ。確かに今の話聞いて思ったけど、楽譜が決まってる方が自分が自由に演奏できるっていうのは、
例えば俺最後高知県だったんだよね、最後に行ったのが。
スピーカー 1
はいはいはい、最後高知だった。
スピーカー 2
そう、でもいろんな県、例えば東北全部行くとかだと結構プランニングに軟重して不自由さが感じたわけよ。
ここ青森行って、次翌日に秋田止まらなきゃいけないから、どうしようって結構悩んだりしたけど、最後高知決まってるから、
じゃあもう高知の中で予定組んでアンパンマンミュージアム行って、何とか何とか食べてみたいなことをかなり自由に予定を組めた気がするんだよね。
スピーカー 1
自由を獲得すると結構不安になる。だから人はそっから逃げちゃうんだよみたいな。
なんかそういうテーマを扱った本だと思うんだよね。
はいはいはいはい。
その完全な自由みたいなやつは、この自由からの逃走でいう、なんかその逃げたい対象の自由みたいなものと、
結構なんか信用性が高い可能性があるのかなと、すごく雑な議論だけどね。
スピーカー 2
いやでもすごいわかる。俺は今ミハイからフロムになってて、もう47都道府県を全部終わった俺は、
もう今旅するモチベーションほぼないし、家族にも申し訳ないけど、
どこ行こうって思うけど、まあなんかどこでも行けるし、まあいいやどこも行かなくちゃって思っちゃったりしてるわけ。
スピーカー 1
なるほどね。
なるほどね。
スピーカー 2
どうしようっていうのはもう、それこそ自由がなくなった、旅の自由がなくなった次の日って思いつかんみたいな状態になってるね。
スピーカー 1
はあ、なるほどなるほど。面白いですね。
スピーカー 2
だから、白地図を塗ってた時期の方が全然自由に旅ができたなっていうのは、まさに自由から逃走してる状態なのかもしれない、今。
スピーカー 1
めちゃくちゃ面白いですね。フロムが言ってるので、なんかちょっとすごく要点かいつまんでいくと、彼はすごい面白いこと言ってて、
まあ自由って2種類あるんだと、これはもう哲学的な文明じゃないんだよ、フロムさんそもそも哲学者じゃないから、心理学とか社会思想の側面から分析した人で、
たぶんまあ僕らが、僕らホイホイのさ、全体主義、特にナチズムみたいな文明から、なんかそのどういうふうにそれを克服していくのかみたいな思想を深めた人なんだけど、
この人が言ってるのはなんか自由2つありますって言ってて、1つは何々からの自由、これ消極的自由っていうらしい。
つまり例えばさ、伝統からの自由とかね、身分からの自由とかさ、要は既に世の中にあるフレームワークみたいなやつがあって、そこから逃れるということが自由であるっていう、フリーフロムホニャララみたいなやつだよね。
なんかそういう逃れたいみたいなタイプの自由、でもう1個が何々への自由っていうのがあって、これは積極的自由だというふうにフロムさんは言ってるんですけど、
例えば自分の意思を持って生き方を選んだり、価値を作ったり関係を作ったりみたいな、なんかまあそういう2つの自由があって、
で、近代社会というのは基本的に権威主義的なものはやめようとか、例えば社会が物事、人の個人の選択を決めちゃうのはおかしいとか、
そういうことで、それこそ近年でも続いてますよね、例えば性的マイノリティの人がそれを選べるようにするみたいなところは、
多分これまでの社会制度から自由の方がいいじゃんみたいな方向性で、なんとなく近代というのは進んでいるんだけど、
何々への自由みたいなところを支えることができなかった、みたいなことを彼は分析していて、
その結果何をしてもいいけど、何をすべきか分からないみたいな状態になっちゃうと、
どんどんあれやだ、これやだ、みたいな状態で、ただこねまくってたら、おいで何してもいいよみたいな状態になるんだけど、
え、あと何したらいいの?みたいになっちゃうみたいな、それがたぶん今まさに山上くん状態みたいな感じになって、
そうなるとめちゃくちゃ自己責任感じるし、孤立感感じるし、不安だなみたいな、
俺何したらいいんだっけみたいな感じになるみたいな、動機ないなみたいな、
これは完全に積極的自由が損失しちゃった状態なわけだよね、消極的自由が完了したタイミングで。
スピーカー 2
だからこの消極的自由と積極的自由っていうのはコロコロ移り変わっていくというか、
例えば俺は今まで旅への自由を求めて生活してたのが、今は旅からの自由を、
旅からの不自由なのかな?わかんないけど。
スピーカー 1
わからなくなってきてるね。
スピーカー 2
旅からの自由を求めているわけだ今だから、もういいやしばらく旅みたいな状態になって。
スピーカー 1
なるほどね。もう満足ですみたいな状態だね。
スピーカー 2
そうそうそう。だから旅への自由だった頃のほうが良かったなーみたいなことを、
今の議論を使って言うとそういうことになるんかな。
スピーカー 1
なるほどですね。でもなんか今の話でいくと決まってることと決まってないことみたいな話題は、
実は回収できたようで回収できてない感じもするよね。
スピーカー 2
というと?
スピーカー 1
要は47都道府県行くっていう目標っていうのは、ある種そのフレームにはめ込んでるわけじゃない?自分の行動。
そうだねそうだね。
そういうものがあった方がいいよねーみたいな話はなんか今の2つの自由の議論とちょっとまあもしかしたら別の場所にある議論かもしれないね。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
そういうものがあった方が自由だっていうのはちょっとある種逆説じゃないですか。
スピーカー 2
まあ確かに確かに確かに。
スピーカー 1
フラムの議論からするとね。
これはなんか逆に言うと何なんだろうねそのさっき言ってた残余が少ないというかなんか工夫のしどころみたいなところというか余白みたいなやつがわかりやすく圧縮されてた方がそこを面白くするみたいなゲームとして面白くなるのかね。
スピーカー 2
でもこれはさ今もうやめようと思った本からさ引用するのもまたなんか話したけどこれは決定的なコミットメント要はなんか1回の要求を狭めていってる行為というかさこの色塗っていってる行為はだから2回の要求と決定的にコミットメントしやすくなっていってるみたいなそういう感覚な気がするわかる?
今までの収録会聞いてくれてる人の方ならなんとなくわかるかもしれないけど1回の要求と2回の要求がさ2回の要求がガツッと合うと人間は自由を感じやすいっていう風に一応この本のさ第2章で定義されてるわけじゃん。
でどんどんどんどん行ける権利が狭まっていくことによって1回の要求がかなり狭まって1回の要求の選択肢がなくなっていって決定的にコミットメントしやすくなっていってるのかなみたいな。
スピーカー 1
面白いですねこれちょっと改めて振り返ると決定的なコミットメントを説明するためには1回の要求って話と2回の要求って話と2回の意欲っていう話をインストールしないといけないんだよね改めて思い出すと。
1回の要求っていうのは例えばビール飲みたいとか勉強したいとかわかりやすく何かをしたいっていう要求のことだよね。
スピーカー 2
はいそうですね。
スピーカー 1
で2回の要求っていうのは何かをしたいと思いたいみたいなやつだよね。
1個メタなみたいなちょっと浮上した状態の要求っていうのを2回の要求と言いますと。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
で2回の意欲っていうのはその中でもちょっと自分の行動を規定するみたいなやつだったよね。
ここちゃんと僕説明できないんだけどこれなんかどんなニュアンスだったっけ2回の意欲で言わんとしてることって。
スピーカー 2
例えば2回の要求と2回の意欲の関係は完全に包含関係で2回の要求の中にの狭い点として2回の意欲っていうのがあって。
うんうん。
こここういう1回の要求に従って行動したいっていう2回の要求が2回の意欲だっていう。
スピーカー 1
うんうんうん。
スピーカー 2
要はビールを飲みたい。
スピーカー 1
言葉遊びみたいになってるね。
スピーカー 2
そうなんだよな。ビールを飲みたいは1回の要求だと。
飲み物を買きたいも1回の要求か。ビールを飲まずに飲むという要求に培って飲むを書きたいというのが2回の要求。
ビールを飲むという要求に培って飲むを書きたいという要求に従って行動したいという要求が2回の要求だ。
二階の欲だ