1. カタラジオ
  2. 選択の自由は存在しない!? ~..
2026-01-27 47:59

選択の自由は存在しない!? ~決定論 vs 自由~【僕たちは自由なのか? vol.3】

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特集シリーズ第8弾「僕たちは自由なのか?」第3回の今回は、高崎 翔平『そうしないことはありえたか?』の第3章「決定論は自由の余地をなくすのか?」を読んでいきます。「決定論ってどんな考え方?」から始まり、ヴァン・インワーゲンの帰結論証を用いて、自由と決定論が両立しないことを「論証」していく回です。自由と決定論って両立する?


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  • オープニング: お久しぶりでございます
  • 特集シリーズ: 僕たちは自由なのか?


📻カタラジオとは📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。


⛓こちらもどうぞ⛓

サマリー

今回のエピソードでは、決定論と自由の選択について議論されています。特に、選択の自由が本当に存在するのか、自由と決定論が両立可能なのかという深いテーマに迫っています。また、街の法的視点から始まり、ヴィベリンの多場説へと進展し、選択肢が制限される中でも自由の存在可能性を探求しています。出演者は自由の定義やその実態についての認識のズレを指摘し、最終的には自由と決定論の両立が難しいことを示唆しています。

選択の自由の存在
スピーカー 2
カタラジオ!
認識と比較者が緩く語らう概念獲得リアリティ番組、
カタラジオの時間が、今週もやってまいりました。
スピーカー 1
フル進行のミントと、ペシャリ担当のヤマガミです。
スピーカー 2
お願いします。
ヤマガミくん、そういえばさ、ドラムやってるじゃないですか。
スピーカー 1
今日も行ってきましたよ。
いいね。楽しかった?
めっちゃ楽しかったよ、やっぱね。ドラムいいよ。
スピーカー 2
ちなみにさ、ドラム以外の楽器をさ、やることって考えたの?
スピーカー 1
あ、そうだね。ドラムやろうと思ったのは1年前だけど、
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
その時に、もともとやってたピアノをまた習い始めようか、
それか新しくドラムを始めようか、悩んだ記憶がありますわ。
スピーカー 2
なるほどね。ピアノかドラムかの選択肢があったってことだよね。
スピーカー 1
あ、そうだね。どっちかはやろうと思ってたけど、
スピーカー 2
ピアノの可能性もあったかもしれない。
なるほど。
ちなみにさ、ヤマガミくんは悩んだように思ってるけど、
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
もう始めからヤマガミくんがドラムを選ぶことが決まってたとしたら、どう思う?
スピーカー 1
え、こわ。めっちゃ怖いやん、それ。
スピーカー 2
めっちゃ怖いよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
今みたいに、もうある時点からそうなるってことは決まってたとする立場を決定論と言うらしいんだよね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
でもさ、だとしたら、僕らに選択の自由ってあるんでしょうか。
スピーカー 1
僕たちは自由なのか。
スピーカー 2
はい、ということで今回の特集シリーズのテーマは、
僕たちが自由なのかということでございます。
よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、お願いします。
スピーカー 2
3回目の今日はですね、選択の自由は存在しないというテーマでですね、進めていきたいと思います。
ヤマガミくん、選択の自由存在すると思います?
スピーカー 1
存在してほしいけどね。さっきの話も、ドラムは俺自分で選んだんだよ。
決定論と自由の関係
スピーカー 2
いや、そう思ってるじゃないですか。
うん、思ってる。
いや、でもそれがない可能性があるよっていうのが今回のお話なんですよ。
スピーカー 1
まあ怖い話ですよ、それは。なんか我々の認知の根底を揺るがしかねない。
いや、そうなんだよ。
スピーカー 2
はい。
ということでね、今この特集で読んでるのが高崎翔平さんのそうしないことはありえたかというですね、
自由論入門という副題がついた本でございますけれども、
これをね、第1回、第2回と読んできたわけですと。
というところで、これまでの議論覚えてます?
スピーカー 1
これまでは、まずは自由の定義をしてたんだよね。
スピーカー 2
はいはいはい、そうでしたね。
2つのモデルってやつですね。
スピーカー 1
多行為可能性モデルっていうモデルと、厳選性モデルって2個に分けて、
特に我々ね、盛り上がったのが厳選性モデルの中でも2回の意欲ってやつで結構盛り上がったっていう。
それが前2回の収録だったよね。
スピーカー 2
うん、確かに。
ここまでの話でいくと、1つの多行為可能性モデルっていうのは、
なんかイメージとしてはね、道が別れ道みたいになってるようなイメージだよね。
で、その選択の分岐点でAかBか他の選択肢を選べるっていうことが自由の条件じゃないかっていうのがこの多行為可能モデルという話でしたよね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
で、僕らが前回盛り上がってたのが厳選性モデルというやつで、
これは自分の内なる欲求に従ってるよっていうのが自由の条件なんじゃないかっていう風に考えるモデルでしたね。
スピーカー 1
そうでしたね。
スピーカー 2
そうそう。しかも面白いのが、今2回の意欲っていう言葉が出てきたけれど、
これ実際ね、単なる一時的な欲求じゃなくて、
欲求と欲求のぶつかり合い、葛藤を乗り越えてこうありたいって思う欲求のことを2回の意欲という風に言うんだけど、
これに従って行動できてる状態、それを自由と呼ぼうじゃないか。
そんな考え方がね、前回紹介されましたね。
スピーカー 1
そうだね。この1回の欲求と欲求に対する欲求が一致する状態を自由と言うと。
スピーカー 2
そう、これなかなか面白いという話をしてましたよね。
で、その後ね、我々はウォントンみたいな欲求に素直に従って問題行動を起こしちゃうやつみたいなので、ちょっと遊んだりしてましたね。
スピーカー 1
そうだよね。千と千尋の千尋はウォントンかみたいなそういう議論もしてましたよね。
スピーカー 2
いやいやいや、そうでしたね。
ということで、まずここまでね、自由のモデルっていうのを1回インストールすることで自由について、それこそ自由に語れるようになろうじゃないかというのがここまでやってきたことなんですが、
スピーカー 1
今日は冒頭にも出てきた決定論、つまり僕らが今やろうとしている行為っていうのはすでにどっかの人に決まってたんだよっていうですね、末恐ろしい議論がありまして、
これと自由っていうのは両立するんだろうかと、そういう話をしたいというのが今日のテーマなんですよね。
なんかね、印象的にはもう決定しちゃってたら自由なんてないんじゃないかって、なんとなく直感的に思うけどね。
スピーカー 2
そうだよね。ちなみにさ、この決定論っていう感覚ってなんかさ、人生の中で感じることあります?
これ俺ね、めちゃくちゃ感じててさ、どっちかっていうと思考ゲームみたいな、自分の頭の中で思考事件を行うようなタイミングでこの決定論に触れてた気がするんだけど、冒頭であったドラムの話が、もしこれ全部決まってたらどうしようとかさ。
スピーカー 1
例えば、今こうやってラジオ収録してることすら、もうビッグバンが起きた瞬間から全部決まってたらどうしようとかさ。
次、俺が今何喋るかっていう、このセリフすらもう全部決まってて、要はもう神様が書いた台本みたいなのがあって、それ通りに俺は喋ってるっていう。
なんか神が俺を使ってゲームしてるような感じだったらどうしようっていう風なことを、俺に触れて思ってたかも。
スピーカー 2
なるほどね。なんか運命みたいなやつよね、それね。感覚的に。
スピーカー 1
そうだね。運命的だね。運命的だね。
スピーカー 2
ちなみに今日のテーマは、この決定論っていうものを仮に真だとすると、正しいものだとすると、それと自由との両立可能性っていうのがあるんですかね、ということを考えていきますということですね。
帰結論章の分析
スピーカー 2
ちなみにこの両立可能性っていうのがいやいやないよっていう風に活発した男がいまして、これがヴァン・イン・ワーゲンさんという方なんですね。
スピーカー 1
初耳ですね。
スピーカー 2
初耳ですよね。この人は帰結論章っていう、ある種の論章をすることで、自由と決定論っていうのは絶対に両立しないからねっていうことを言い切ったという人らしいです。
スピーカー 1
証明してくれたのね。
スピーカー 2
そうそうそう。これちなみに両立しないっていうことは感覚的に確かになって感じします?もしくはそうでもないかなっていう感じですか?
スピーカー 1
いや、これはむしろ我々の感覚に寄り添った結論というか、だって決定してるんだったらそれは自由じゃないでしょってことでしょ、このイン・ワーゲンが言ってることは。
スピーカー 2
そうそうそう、そういうことなんだよ。
スピーカー 1
まあでもそれをわざわざ証明してくれたわけだよね、数学的に。
そうなんだよね。というのが今回の帰結論章ということです。これね、もう分かりやすいのがイン・ワーゲンさんが言った言葉がそのままこの本に書いてあったんで、ちょっとせっかくなんで紹介してみましょうかね。
スピーカー 2
行きますよ。決定論が真であるならば、私たちの行為は遠い過去の出来事と自然法則からの帰結である。しかし私たちが生まれる前に起こったことは私たち次第ではなく、自然法則が何であるかも私たち次第ではない。したがって過去と自然法則の帰結、これは私たち次第ではない。こんなふうに言ってるんですね。
スピーカー 1
なんか論理の教科書、数学Aの教科書読んでるみたいな。
スピーカー 2
いやそうよね。意味わかりました?これ言ってること。
スピーカー 1
そう、まんまだよね。まんまなんだよ。今、俺たちがこうやってラジオを収録してるってことは、遠い過去の出来事っていうのがあるわけじゃない。要は、いろんな歴史の人物が動いたとか、戦争が起きたとか、そういったことと、自然法則が何かっていうのが難しいけど、重力だったり光の速さだったり、そういったことの合わせ技というか、そこから今の我々のラジオの収録してるという状態が作られてるわけじゃない。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
で、過去の出来事っていうのに我々が干渉できるわけないじゃん。例えば、戦国時代に織田信長が焼き討ちされたみたいなことを、我々が介入できるわけないじゃん、そこにね。で、自然法則って光の速度に我々が介入できるわけじゃないじゃん。
スピーカー 2
まあ光の速度だけじゃないよな。
そうそうそう。
イーコレム信長とかね。
そうそうそう。
王物戦とかね。
スピーカー 1
そう、そういったことに全て介入できないと。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
だから、今の行為が過去の出来事と自然法則の帰結だとしたら、今こうやって我々がラジオ収録してるのは私たち次第ではないと。
なるほど。
何かというとそれはもう過去の出来事も自然法則も私たち次第ではないからそこから導かれる。今の出来事は私たち次第ではないと。そういうことが帰結論章の結論ですということだよね。
スピーカー 2
いやーそういうことなんですよね。これ面白いよね。
スピーカー 1
うん、めっちゃ面白いこれ。
スピーカー 2
つまり過去と法則が操作できませんよ。で、その2つから出てくるものっていうのは当然その2つの帰結、結論になってますよと。だから決定論的な世界、ルールによって物事が決まるような世界においては自由はないんだと。そういうふうに合法するっていうことですよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
これってさ、ちなみにさ、ふむふむなるほどって感じだった?実際最初に。
スピーカー 1
いや、ふむふむなるほどだけど、これは最初読んだ時、高校物理のさ、空気抵抗を無視するみたいなのあるじゃん。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
あれみを感じた。
はいはい。
大前提として、生まれる前に起こったことを介入できないとかさ、自然法則介入できないって、それは真っていう命題はそれで良いのかってのは思ったね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
自然法則に我々のこのアクションがさ、若干影響してるかもしれなくねみたいなことを思ったりはした。
スピーカー 2
なるほどなるほど。いや確かにね。つまりその誤算みたいなやつとか、ちょっとしたこう揺らぎみたいなやつを無視してるからこうなんじゃないかみたいな。
そうそう。
そうそういうことですよね。
そう。
いやそれめっちゃ思うな確かにさ。
スピーカー 1
そうなのよね。あとは、結論の導き出し方これで合ってんのみたいな。
スピーカー 2
はいはいはい。あれこれどんなふうに書かれてたんでしたっけ結論で。
スピーカー 1
これね、無力さの移行原理っていうふうにさ。一応書いてはあったんだけど、それもねこのバン・イン・ワーゲンもよくわかってないって書いてあったよね。
スピーカー 2
雑に使ってるっていうねことですね。
スピーカー 1
だって聞くとそれっぽいですよ。仕事は騙されるというか俺も騙されたけど、生まれる前に起こったことは私たち次第じゃなくて、自然法則が何かも私たち次第じゃないから、その二つの軌跡の今の状態は私たち次第ではないと言われたら、
なるほどってなんだけど、よく考えたらそれって合ってんのかって思うよね。冷静に考えてみてくださいって感じじゃない。
スピーカー 2
そうなんだよね。なんかさ、前提の設定とか、あとすごい面白いのがさ、命題を義にすることができるみたいなすげえ独特な言い回しが出てくるんだよね。
例えばさ、タローは今朝朝食に卵桶ご飯を食べないことができたっていうのを論理的に説明するために、タローは朝食に卵桶ご飯を食べたという命題を義にすることができたみたいなさ、すげえマリクドな言い方をすることで、論理的な正しさを担保しましょうみたいな、そういうテクニカルなね、議論があったりするんですよね。
決定論の概念
スピーカー 2
オニムワーゲンのテクニックだよね。パラフレーズって書いてあったけど。 そうそう。なんかそういうところに細かい割に、なんかあっさりとさ、クリアされちゃうのがさ、この季節論章の3ステップ目に、今みたいな命題を義にすることができない、要は変えられないっていうことを言いたいだけだよね。
過去は変えられないよっていうのを義にすることができないって言ってて、自然法則も変えられないよって同じように表現してて。で、3ステップ目が結構さ、毎週晴れさ、この世界全体を表す命題っていうのが関連だったとしたら、これは過去の世界を表す命題と、自然法則を表す命題、この2つの論理的な季節であるっていうのを注釈なしに言っちゃうんですよね。
すげえざっくりだよね。 ここをもうちょっと掘り下げろよみたいな感じあるよね。 それ次第では何とでも言えるぞっていうのは確かに思うよね。
スピーカー 1
まあこのあたりはなんかおおーみたいな、なんかそんな感じがありますよね。ちょっとなんか実験質的というかね、さっきの低空気抵抗を無視するみたいな話はまさになんかこのあたりから感じる気はするよね。
スピーカー 2
アンワーゲンさんが定義を作っちゃってるじゃん。この自分の論を押し進めるために。とは思った。 確かに。あとこれもう1個思ったのはさ、この季節ってなんとなく1つのものというか、なんか季節って1個にしかならないよみたいな、なんかそんな表現に聞こえなくもないんですけど、
僕が思ったのは、なんかAっていう命題があってBっていう命題があって、そっから導かれる結論っていうのが、なんか何通りかに分かれるみたいなこともなんか全然あり得るじゃんと思っちゃって。
スピーカー 1
あーなるほど。 そうそうそう。それは例えばさ、自然法則の方にそういうさ、分散するようなルールがあったとしたら、もう全然一条になるとは言えなくないみたいなことを思ったりとかね。
スピーカー 2
確かにね。 なんかそういう反射もあり得るんじゃないのみたいなことを思ったりはしましたよね。
スピーカー 1
今の世界の状態ってもうすごく広いよね。これ個々人におけるものなのか、この本当にどこまでを世界とするかみたいな定義もちょっとよくわかんないし、ざっくりっちゃざっくりだよね、そういうところも。
スピーカー 2
いやそうなのよね。つまり今の世界の全体の状態をさ、完全に把握している存在っていうのはさ、本当にあるのみたいな話もあるし、それを記述しようと思ったらさ、足りないじゃん、時間足りないじゃんみたいな話もあるし、それこそ物理学でも不確定性原理みたいにさ、ある状態をバチッと決めようと思ったら、ある特定の情報を組み込むことができないとか、そういう原理があったりするように。
なんか本当に全部記述できるんだっけみたいなとこもちょっと怪しいしみたいな。
スピーカー 1
どこまでこう表現するかってことだよね、この机の上にあるコップを描くのにさ、隣の家の人の家の状態というか、もう本当は描かなきゃいけないわけじゃん、正確に言うと。
スピーカー 2
いやそうなんだよね。
スピーカー 1
だからそこの境界わからなくねっていうのは思った、この世界と、みたいな。
スピーカー 2
確かに確かに。しかもなんか僕らが世界だと思ってたやつが実は本当の世界じゃなかったみたいなさ、宇宙の外側があるのか問題みたいなところにも抵触しそうだよねこれってね。
スピーカー 1
確かにそこに関わってくるね。宇宙の限界をまず知らないと世界が定義できないって話になるねこれは。
スピーカー 2
そうそうそれは観測可能な範囲みたいなやつが決まってると思ってたけど、実はなんか僕らが純粋に、それこそ紫外線が見えないのと同じようにさ、検知できないものがなんかあって、それがなんか影響を与えてるとかだったらもうそもそも破綻しちゃうじゃんみたいな、なんかそういう隙を感じさせる感じはあったよね。
スピーカー 1
めっちゃ初期のカタラジオで話したよ。3次元より上の謎の次元があってさ、それを観知できてなかったらどうするみたいな議論をしたけどさ、本当にそういうものがあったとしたらさ、今の世界は表現できないよね。
スピーカー 2
いやそうだよねそうだよね、みたいなところについてはなんかそのこのロジックの推論のされ方どうなみたいなところはありつつ、まあこの論理の世界の中ではもう確かにそうかみたいな、そんな感じになってるよね。
選択の自由とは
スピーカー 1
問題としては解ける。だからこういう論理パズルとして解くことができて、その論理パズルはすごく説得力があって面白いって感じがある。
スピーカー 2
そうねそうね。これちなみにじゃあ危機結論賞でさ、両立しませんって言われて、ああそうですかって納得っていう感じですか、山上くん。
スピーカー 1
両立しませんと言われて、両立しないってことは要は冒頭の問いかけで言うと、俺がもうドラム選ぶことは決まってましたってことでしょ。
スピーカー 2
そうそうそう。つまり他の選択肢を選ぶっていう自由は山上くんにはなかったんだっていうことを、まあインワゲは言ってるということになるわけですよね。
スピーカー 1
いやそれは納得というかさ、これ多分完全に誤用だけど、無力さが完全に俺に移行しちゃうというかさ、自分無力だなっていう、無力さが俺こそに移行しそう。
でも実際さ、選ぶときの感じ方としてあり得たと思いますかっていうのをなんかちょっと掘り下げたいんだよね。実際にさ他の選択肢を選ぶ可能性があったかというか、どの瞬間まで躊躇してたかとかさ、そこの感覚ってさ結構個人的な体験だったりするわけじゃん。
スピーカー 2
要はそのピアノをやるっていうのをどこまで迷ってたかみたいな。
そうそうそう。例えばさ、前日にさテレビで誰かのピアノの演奏を見てたらもしかしたらピアノ選んだかもしれないなとかさ、そういうさ選択肢が変わるかもしれなかった分岐ポイントってさいくつもさ列挙することができるじゃない。
スピーカー 1
あるあるある。いくらでもある。
スピーカー 2
そういうものとの遭遇っていうのを含めて決まってるって考えちゃって本当に自然なんだろうかとかさ、なんかそのあたりはすごく気になるよね。
スピーカー 1
確かにね。その思考全てがもう決定してたって本当かってなるよね。
自分がドラム選ぶときも当時は福井県にいたんだけど、たまたま福井県の家の近くのヤマハでドラムのレッスンがあったからドラム習おうっていう。
単身不眠時代に暇だしドラムやろうってなったんだけど、ドラムなくてピアノしかなかったら多分ピアノやってるし、全然ピアノに触れる可能性もあったなみたいな。
スピーカー 2
そうだよね。ちなみにそのドラムが近くにあったって言うけれど、家の近くにあったからドラムを選んだってことだよね?
スピーカー 1
そうそう、割と家の近く。
スピーカー 2
その家はヤンマガミ君が選んだ家なんですか?
スピーカー 1
そう、その家も福井に行くって決まってから、じゃあどっかこの辺に取るかなって取った家だわ。
スピーカー 2
じゃあそれはもしかするとその例えば不動産屋さんとかがさ、違う物件を提案したら違う家だった可能性もあるってことですね。
全然ある全然ある全然ある。
もうちょっと遡ると福井に行くっていうことにならなかった可能性もあるわけですよね?
スピーカー 1
それもある。だってそれも医局の、お医者さんのグループの上の人事課の人が福井に行けって福井に行ったわけだから、それも全然いしかわけになったかもしれないです。
スピーカー 2
なるほどなるほど。なんかその全てが決まってたって考えるのは何か妥当なんですかね?
スピーカー 1
いやー信じたくないよね。
スピーカー 2
そうだよね。どこで揺らぐ可能性があったんだろうね?今みたいな決定的世界観が。
そうだね。だからこの定義でいくと3番に突っ込みを入れたいってことだよ。
3番ね。つまりその既決論書の既決たるゆえんの部分ですよね。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
過去当時全法則は操作できませんと。で現在の。
スピーカー 1
見た目が。
スピーカー 2
そうね。そこに対してその2つから成り立つ今の世界の状態みたいなところは論理的な既決だよって言っちゃうのはどうなの?っていう話ですね。
スピーカー 1
だって今さミントさんが俺に話してたことって論理的既決の説明なわけじゃん。
その俺が役局で福井に行って風蔵さんやがその俺のある物件を紹介してその家の近くにあったドラムっていうのはそれ全部ドラムを習うまでの論理的な既決なわけじゃん。
スピーカー 2
そうね確かに。
スピーカー 1
それって過去の世界の状態を表現する命題と自然法則を表現する命題からの既決なのかっていうのはどう言っちゃうの?
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
そこが確率論的にさ、量子力学みたいに確率論的に確率の高い低いがあったとしたら決定論は由来で来るよね。
スピーカー 2
確かにね確かにね。これちょっと僕決定論に詳しくないからなんとも言えないけど、でもなんかその量子力学的にあるいは確率的に由来だとしてもその決定自体は自分の外にあるから自分ではどうすることもできなかったという意味では決定論って言えるのかしら。
スピーカー 1
あーなるほどそうなるのか。
スピーカー 2
そうつまり自分の選択っていうのがそうしないことはあり得たのかっていう観点でいくと、いわゆる今の山上くんの説明っていうのは世界のありようが仮に1位に決まるかどうかさっておき確率論的にAかBかなるみたいなそこの揺らぎによって自分の選択が変わるみたいな話があったとして、
まあ仮に由来でAっていうパターンになったとしたら自分はAダッシュを選ぶしBってなったとしたらBダッシュを選ぶしっていうそのAとAダッシュの関係性あるいはBとBダッシュの関係性に関してはもう選択肢がなかったって言われたらなるほどなるのかしら。
スピーカー 1
でもそれはメタ的な視点に立ち替えるとこの由来でいるところに自由を見出すか見出さないかじゃない。
俺が選んでいる一見この選べているような状態、要は福井に行かない選択肢もあり得た富山県に行くこともあり得たんだってところが自由なのかどうかっていうところなんじゃないか。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
それって引いてはたぶん次の古典両立論の方につながってくる議論になるんかな。
スピーカー 2
そうなんですよねそうなんですよ。でこれちなみに今それこそ既決論章っていうふうに読んでいる
要は自由と決定論というのは両立しないですよっていうことを主張した
インワーゲンさんの主張があるわけですけどこれに対していやいや両立するよって言った応答が2つあったんだよね。
スピーカー 1
はいそうですね。
スピーカー 2
その一つが古典両立論って呼ばれているものでこれはムーアさんっていう人が現代的にアレンジして発達してきた領域なんだけれど
自由と決定論の両立
スピーカー 2
このムーアさんっていうのはさっきの何々することができる、命題を義にすることができるみたいな言い方があったと思うんですけど
これはつまり食べないことができたみたいな話だよね。卵かけご飯を食べないことができたとか
ドラムを選ばないことができたみたいなことを説明するときにこのできるっていう言い方をするということなんだけど
いやいやそのできる怪しくねって言ったのはこのムーアさんなんだよね。
スピーカー 1
そうなんだよね。できるをフックに非両立論に対して反撃を仕掛けた男がムーアなんだよね。
スピーカー 2
そうそうそう。でこのなんかできるの解釈僕結構おもろいなと思ってて
つまりそのできるかどうかっていうのはできるって英語で言うとcanとかbe able toとか言いますけれど
これをもうちょっと厳密に言うとその選択肢を選んだときに実行できるっていうのができるってことですよみたいなのを言ったのがこのムーアさんなんだよね
スピーカー 1
いやこれすごくわかりやすい説明がこの本にあって
ふうに落ちたのがさあれだよねIf I were a birdだよねこの家庭法
英語で言う家庭法、古典文法で言うマシって半実仮想ってあったじゃない
スピーカー 2
はいありますね
スピーカー 1
この辺の気持ちがあればそれは自由なんだって俺はそういうふうに理解したんだよね
このIf I were a bird私が鳥だったら飛べたのにってそれを描けるんだったらそれはもうすでに自由だと
スピーカー 2
要はリアルワールドじゃないところで飛んでることを思い描くわけじゃない
スピーカー 1
それが描けてる時点で自由なんだみたいなそういうところだよねこれって
スピーカー 2
そうそうそういうことなんだよねこれがまさにさっきのその山上くんがドラムを選んだプロセスにも適用できるなと思っててさ
ムーアの提案
スピーカー 2
ムーアさんが言ってるのはさつまりさ
既決論章では過去と法則が決まってたら現在の行為って変えられなくないっていうのが既決論章じゃんね
はいはいそうだね
この現在の行為を変えられないっていう言葉の意味を
仮に他の選択肢を選んだとしても実行できないっていう意味に限定しちゃおうぜっていうのがムーアさんの提案なんだよね
で裏を返すとどういうことかっていうと山上くんは決定論的にはドラム以外を選ぶ選択肢はなかったっていう風にさっきの既決論章だと言われてしまうんだが
僕がさっき山上くんに問いかけたみたいに仮に福井に行かなかったらとか
仮にその物件を家として選んでなかったらドラムを選ばないことができたみたいな言い方ができるんだったとしたら
それって自由があるんじゃないっていうのがこのムーアさんの提案なんだよね
スピーカー 1
そうそうそうそう家庭法だまさに
スピーカー 2
家庭法ってことだよね
これなんか一見するとなるほどって思うけど果たしてそれは自由だろうかって気もするよね
スピーカー 1
そうだねまあ主観的な自由というかさっき俺が言ったみたいに
選んでる自分っていうところに自由を見出してるロマンチズム的なところなのかなみたいな
スピーカー 2
いやそうそうそれは確かにあるかもね
なんかムーアさんが言ってるのは前提が変わったら別の選択をしたかもねっていう意味での自由じゃん
ああそうだね
ある意味だから逆に言うと前提変わらなかったらやっぱこれ選んでたかもみたいな
なんかそういうニュアンスもさ一方で感じるっていうのがなんか
スピーカー 1
ムーアさんの反論の弱いとこなのかなって僕はちょっと思ったりはしたかもね
で非両立論者的には前提が変わるはずはないんだよねその過去は変えられないから
スピーカー 2
そうそうなんだよねそうなんだよねうんそうすると前提なんか変わんないじゃんっていうことで
なんか無限ループに陥るみたいなのがムーアが反論しきれてない部分みたいな
なんかそんな感じのね印象を受けるというところですね
傾向性の多場説
スピーカー 2
これがその両立論側つまり自由とそれから決定論っていうのは両立してるよっていう立場の
反論1古典両立論っていうやつだということですね
で実はこれが不十分だっていうのをなんとなくみんなも感じてて
その上で出てくるのが傾向性両立論っていうまたよくわかんないキーワードなんだけど
これがねもう一つの反論ですと
でこれは何かっていうと選択と実行を分けるさっきね
If I wereって山上くんが言ってくれたけど要は仮定法的にやったってこうすることによって実は
それがナイスアイデアだった一方でそうすることである種隙を作っちゃったっていうのが
古典両立論すなわちムアさんの提案の批判の隙なんだよね
そう考えた時に新しい登場人物でヴィベリンって人が出てきて
この人は傾向性の多場説っていうおもろいことを言い出すんですと
スピーカー 1
なんじゃそれって感じだよね
スピーカー 2
なんじゃそれって感じだよね
この人はさっきのそれこそ選ぶことができるできないみたいな
このできるという言葉に対して選ばないことができるかどうかっていうのは
その人が持っている傾向性つまりこういう刺激があったらこういう反応しますっていうやつの
スピーカー 1
集まりだというふうに理解したらいいんじゃないですかっていう提案をするんですよね
スピーカー 2
これなんか意味わかりました
スピーカー 1
難しいけど傾向性の意味はわかったよ
スピーカー 2
例えばその山上が怒りやすいとしたら山上の傾向性は怒りやすいだと
スピーカー 1
何かしら怒りやすいとしたら刺激したら怒るわけじゃん
でも刺激と反応のペアで特徴付けられる性質が傾向性だと
スピーカー 2
要はその人の性格みたいな感じなのかな人間で言うとね
さっきのドラムのルールでいくと山上くんが音楽をやりたくなったら
家の近くにある教室に通いやすいみたいなのが山上くんの傾向性ってことですよね
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
だから例えば家の近くにピアノがあったらピアノをやってたかもしれないとか
なんかそういう仮説というかそういうifを検討することができるみたいなのが
この傾向性によるアップデートという感じなんだよね
ちなみにここでもう一個このビビリンは言ってて傾向性の束って言ってるじゃないですか
ここの感覚ってどう意味わかる
これどういうことだっけ束ってのは
この傾向性の束ってやつは例えばその傾向性っていうのを
なんかある種その人が物事を判断したり意思決定するプロセス一個一個に傾向性があるよってこのビビリンさんは言うんだよね
例えば認識の傾向性でいくと信号を見てそれが赤く光ってたとしたら赤信号だって受け取る傾向性とか
あるいは推論理由を付けをする傾向性としては赤信号を見たらこれは止まれだって判断をするっていう傾向性とか
あるいは意図を形成する傾向性としては止まれだっていう理由があるんだとしたらそれに基づいてちゃんと止まろうっていう意思を形成する傾向性とか
意志ができたら意思に従って実際にちゃんと足を止められるっていう傾向性とか
自由と決定論の関係
スピーカー 2
そういう人が行動を決定するそのプロセスにおいてある種の傾向性みたいなものがあるんですよと
でこれがギュッと束になっててその束がその人の特徴になっていると
そんな言い方はビビリンさんはするということですね
でそういうふうに考えると何がいいかというのがここの結論になるんだけど
ある人のできるって言葉を先使ったけどつまりできるっていうのは能力を表していると
何かを選ぶことができるという能力っていうのはこのビビリンさんの傾向性の多場説によると理由に基づいて選択をして
それを実行するっていう一連のメカニズムを持っているっていうことがその人が能力を持っているっていうことなんだよというふうに言うわけです
詰まるところなんか適切な理由っていうのをその人が持つことができるのであれば他の行為をすることができるんじゃないか
その理由の原因になるようなものっていうのが別の理由があればちゃんと他の行為ができるよねっていうふうに言えたら
他行為可能性っていうのは残せるじゃんつまり他の行為をすることができたって言えるじゃんみたいな
なんかそんな説なんだよねこのビビリンさんの傾向性の多場説ってのは
スピーカー 1
そうだね主観的に自分がいろいろこう想像してるというか傾向性の多場説を客観的に見てはいるけど
なんか開けてみればそいつはいろいろこう考えて福井に行けたのに富山に行けたのにって考えてるってところに自由を見出してるっていう点ではさっきの
古典両立論と大きくは変わらないってことなのかなこれは
スピーカー 2
まあ確かにねそういうふうにくくることもできるかもしれないですよね
ただここでなんかポイントなのはなんか僕不思議だなと思ったのは傾向性の多場ってさっき石蹴っていろんなステップがあってさ
そこで傾向性が連鎖することによって一連のメカニズムになってるみたいなこと言ってるじゃん
これってさ傾向性っていうふうに言葉は変わってるもののさっきもともと規決論書のところで出てきた過去の状態と法則があったら
そこに対して規決が決まるよって言ってることとなんかあんま変わってなくないって気もしてて
スピーカー 1
自然法則とかももう傾向性で説明し得るっていう立場ってこと
スピーカー 2
逆に言うと例えば脳の中のプロセスじゃん信号を見て赤だと思うとか赤だと思ったら止まるとかっていうのは
ある種この僕らが頭の中でもしくは意識無意識の中でやってることだと思うんだけど
それはある種法則だっていうふうに変換することができるんだとしたら
それはある種過去の状態つまり信号を見て赤だと思ったっていう過去の状態に対して
ミリ秒単位とかかもしれないけどそこに対して赤を見たら止まれって判断しなきゃっていう
僕の持ってるルールが適用されて結果として止まるっていう意思を形成するっていう規決を生んでるっていうふうに考えると
めっちゃマクロな話なのかめっちゃミクロな話なのかっていう違いだけで
結論書とほぼ同じ構造にあるんじゃないかなってちょっと思ってしまうっていうところがあって
なるほど
つまり自然法則と自分の脳の中の法則っていうのは決定的に何か違うものだっていう
スピーカー 1
先入観というか世界観というかそういうものを持っている説なんじゃないかなと思って見てしまったんですよね
それを傾向性って言葉で表現したと
スピーカー 2
そうそう
それはある種性格みたいなふうになんかちょっと選択の余地がありそうだっていう言葉にしておけば自由の余地が残せそうっていうのも何ことなくわかるけれど
一方でそれはほとんどルールに従ってるのと変わらんやんみたいなことであるとも言えそうだなと
スピーカー 1
このビベリンさんの気持ちはわかるよねこういうふうに思いたいっていう欲求強めな感じだよね
スピーカー 2
そうそうそうそうだね人間の傾向性っていうのをこういうふうに定義できるじゃんみたいなことを頑張って
人間の最後の自由の領域を支出したいみたいなそういう意気込みを感じるなと
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
そんな気がしますね
スピーカー 1
ヘッテロンだとしたら無力感を感じてしまうからそこに対して抗おうという
そうそうそう
心意気をね
スピーカー 2
うん
スピーカー 1
うん感じますね
スピーカー 2
どんなことを感じるのかこのビベリンさんという感じですね
はい
という形でこれ全体改めて振り返ると決定論というものを前提にしたときに
そんなものと自由は両立しないんだっていうインワーゲンさんの危機結論書これがあって
ここに対してさっきのムーアーさんとかそれからビベリンさんのいやいや両立するよっていう応答っていうのが2つのパターンとしてあって
スピーカー 1
でいやどっちなんだいっていう感じなんですけどここまで聞いてみてどうですか決定論と自由両立してるんですかね
スピーカー 2
これってミントもさっき言ってくれたけど
スピーカー 1
うん
スピーカー 2
同じことでは決定論と自由が両立するっていうかこの傾向性とかの傾向性両立論と非両立論が両立し得るって説明したらいいのかな
はいはいはいはいはい
スピーカー 1
面白いね
両立論っていうのも結局そのミンティがさっき言ったことをもらうとマクロで見ると非両立論なのよね
スピーカー 2
うんうんうん
スピーカー 1
わかるかなこの
スピーカー 2
いやわかるわかるつまりさ両立論と非両立論の間で争ってるように見えて
同じ事象を別の定義の仕方で説明しただけなんじゃないかみたいなことだよね
スピーカー 1
そうそうだから内部のシステムを両立論として説明してるけど結局対局的に見ると非両立論で全て決まっちゃってる
スピーカー 2
これだからまあどっちの方がデカいかというと非両立論なんだよな多分
どっちの方がデカい概念のサイズとして
スピーカー 1
方が関係としては非両立論の方がデカいっていうデカいのは同じなのか
スピーカー 2
まったく同じ大きさのものを細かく中をパカッて開けるか側をかぶせてみるかっていう違いなのかなこれって
スピーカー 1
スケルトンのテレビとかをまるまるスケルトンにしたみたいなそういうイメージ
スピーカー 2
はいはいなるほどねつまりブラックボックスになってるところをブラックボックスですっていうのか
その中にはプロセスがあってそのプロセスの中には自由があるんだよっていうのかみたいなそういう話
スピーカー 1
そうそうパソコンとかエンター押したら次に進むじゃん
すぐ進むなって思ったら実はいろいろこうなんていうのスケルトンにしてみてみるとこうこうこういう働きがあって
スピーカー 2
自分のクリックと釣りの操作がつながってるんだみたいなそういう中身が見えるみたいなとこが両立論で
スピーカー 1
でもその反応としては起こることとしては非両立論というか
スピーカー 2
なるほどね両立論非両立論と言ってくれているがちょっとより正確に言うと自由の有無ってことだよね
自由と決定論の議論
スピーカー 2
そこに自由が宿ってるっていうふうに解釈しようとしてるってことだよねパカッと開けることによって
スピーカー 1
そうパカッと開けることによってその中で動いてるじゃんほら自由じゃないこれっていうふうに言ってるけど
実は自由かというと
スピーカー 2
なるほどねなるほどねなんかさその話を考えるとさっき
秘訣論章のとこに戻ってくるんですけど秘訣論章の中では過去と自然法則は変えられないと
過去の世界の状態を表すことができたら現在の世界を表す命題っていうのは
過去と自然法則からの秘訣だよっていうのが秘訣論章だったと思うんですけど
そもそもその世界を表すって言ってることの表せる範囲とか流度とかそれからスケール感によって
どこまでが秘訣論章として示せる範囲なのかが変わるっていうことを山上くんは言わんとしてるよねある意味
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
つまりそのスケルトンにしちゃうつまりプロセスが見えるようになった途端にそこのプロセスを記述できるようになるやんとか
そういうことじゃんつまり 今までブラックボックスだったから記述できなかったけど
仮にこういうプロセスがあるとするとそのプロセスの中で起きていることも記述できちゃうよねみたいな話になるかもしれないし
逆にそこに自由が宿るとかっていう言い方ができるかもしれないしだからこそ宿らないんだって言えるかもしれないから
そこは多分立場分かれるところだと思うけど
つまり記述可能性とかそういうことにめちゃくちゃこの自由かどうかが依存しちゃってるよねみたいなのがこの章の議論から見えてくるところだったりするのかもね
スピーカー 1
ああそうだねそうだね
スピーカー 2
うーんそれはなんかすごいありえそうだねつまりこの人たちは同じ事象をその各々の定義の中でぶつけて戦ってるだけで実はその実はあんまり結構してないというかさ
論理ずらし合戦してるみたいな
そうなんだよ
そんな感じのね印象を受けるよね
スピーカー 1
そうなんだよみんなで同じこと言ってるんだよね
スピーカー 2
確かにね確かにそんな気はするね
そうなんだよ面白いねこれね
いや面白いですね面白いというかいやむしろなんかちゃんとね足場設定して議論しようぜって気持ちになるけどね
確かに
旗から見るとね
スピーカー 1
もうちょっと別の学問領域の人がここに入ってきて議論したらより面白くなるんじゃない?哲学者だけでやってないでさ
スピーカー 2
そうねそうねなんかまあそうだ哲学者というのかこの特に今回この本ってさ分析哲学でしたっけ分析系の
そうかそうか
そうジャンルの人が集まってきてるから多分なんかその言葉で緻密に定義してそこでなんかこう論理的な論章をやってみたいな多分世界だと思うけど
なんか果たしてその論理的な論理パズルみたいなやつは世界と着地してんのか設置してんのかみたいな我々が好みの議論に結構つながってきそうな感覚があるよね
スピーカー 1
そうだよね結局記号をこう巡り回してるだけで記号が設置しない可能性もあるわけだよね
スピーカー 2
そうか例えばここで言ってる自由ってやつがさなんかもともと議論したかった自由からなんかすごく遠く離れてしまってるような感覚もなんかちょっとあるじゃない
それはめちゃくちゃ多いんだよね
そうだからなんかそのあたりが実はシンプルに解くための鍵なんじゃないかみたいなことをこの3章の議論につけて感じるようなっていうのはあるかもね
スピーカー 1
3章に関しては我々この多行為可能性の論理パズルを解かされてるだけだからさ
やっぱ5,3章読みながらこれ俺らが最初に言いたかった自由とはだいぶずれたなっていうのは思ってた
スピーカー 2
そうねそれはそうなんだよねだから今ここで議論できる自由のパターンっていうのは前回やった2つのモデルつまり多行為可能性モデルと
権限性モデルの2つなんだよねこれ以外のモデルというか自由の捉え方っていうのは実はこの本では使われてないから
そこをどう捉えるのかみたいな話はちょっとねどっかでやりたいなって気がするけどね
スピーカー 1
そうなんだよモデル化するのが果たして楽しいのかもわかんないしね
スピーカー 2
そうそうなんかもうちょっと自由に自由語れないのみたいな感じもある
スピーカー 1
そうだねかなり不自由
スピーカー 2
そうかなり不自由だしすごくなんかすごくある一部分にフォーカスして議論をしているようなっていう感じもありますよね
スピーカー 1
そうできるっていう言葉のさこの言葉的を捉えることが本当に自由なのかっていうのは
スピーカー 2
いやそうそうそう自由とできるの距離結構あるしね
スピーカー 1
そうそうそう細かいことするんだこの人らと思ってまあ面白いけど
スピーカー 2
そうねこのあたりはこのちょっと領域の特徴なのかもわからないし
逆にちょっとむしろその領域を専門にやられてる方がいたらちょっと教えてほしいところでもある
スピーカー 1
そうだね面白い
スピーカー 2
いや実はこういう面白がり方があるんだよみたいなところがあったらちょっと知りたいなって感じはありますね
スピーカー 1
我々素人ですからね
スピーカー 2
そうですねということでだいぶキュッとしたところを話したんじゃないかっていう感じもありましたね
ただなんか全体の流れとしてはおそらくこの決定論的な世界観と自由っていうのはなんか両立させるのは難しいんじゃないかみたいなトーンが何となくあり
どこかに自由を求めようと思うとそれはこうなんか大きな文明の中からちょっと外れたスケールのものだったりとか
感じ方みたいなちょっとレイヤーを変えたものだったりとかなんかそういうところにあるんじゃないのみたいなことは
このショーの議論からなんとなく透けて見えてぶっきくる部分なのかなというところですかね
自由のモデルの検討
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
うんはいということでこんなところでしょうか本編はね
スピーカー 1
はい
スピーカー 2
はいお疲れ様でした
スピーカー 1
はいお疲れ様でした
スピーカー 2
エンディングでございます
スピーカー 1
はい
スピーカー 2
ということで今日はあれですね僕たちは自由なのかの第3回目ということで自由と決定論の両立可能性というのを
特に多行為可能性モデルというところから見てみましたという回でしたね
スピーカー 1
はいまあかなり限定された自由に関する議論をしておりましたね
スピーカー 2
そうねだいぶだから多行為可能性っていうところで説明できないじゃんみたいな話がね
一緒であったにも関わらずそこに対する反論みたいな感じだからね
スピーカー 1
何だろうざっくりイメージだけど天道説地道説を唱えで争っている中世の学者たちを何だかイメージしちゃったよ
スピーカー 2
じゃあつまり自明な結論はもうあるんじゃないか
スピーカー 1
あそこを言いたかったわけじゃなくてサロンみたいな素敵遊びをしている感じだなと思って
スピーカー 2
ある地点から見るとお家の戦いしてるなみたいなそういう話なのかなってちょっと思っちゃった
スピーカー 1
だからまあ普通なる自由とは遠ざかったかもしれないなと
スピーカー 2
ああなるほどね
思ったわけでございますよこの結論が置いといて
そうねまあちょっとこれは分かんないこの領域の特徴なのかもしれないけどすごい袋小時間があるよね
そうだよね
スピーカー 1
いや語らず女性の定義に立ち帰ってミントさんが本当にこう議論したかった自由ってさこれなのかって話すると多分違うよね
スピーカー 2
いやーそうねだからまあその自由をどこで誰がどう語ってるのかって
まあなんかこう実際に本読んでみないと分かんなかったりするじゃないですか
なんでなんかこうなんていうの読む前に自分の問いみたいなものに対して
まあなんか例えばどんな書物があるどんな映画でもいいし小説でもいいけどが答えてくれるのかっていうのを知るってすごい難しいんだなって改めて思いましたね
スピーカー 1
確かにねなかなかその自分の問いにたどり着けないよコンテンツを漁っても
スピーカー 2
そうそうそうなのよだから問いでさ問いに答えてくれる本を検索するみたいなことがさまだ今の時点だとむずいじゃないですか
スピーカー 1
まあ確かにもうちょっとかもしれないけど
スピーカー 2
いやーそうねそれこそこれをこの前山上くんにシェアしましたけど
キンドルだっけキンドルのさ本の中身をさAIに尋ねたら答えてくれるよね
スピーカー 1
あれやばいよねあれ
スピーカー 2
ねーもうこの世界が来たかって感じするよね
スピーカー 1
もう全人類の図書館みたいなのが出来上がったわけでしょ
スピーカー 2
いやーそうなんだよだからなんか本を買うんじゃなくてその本のデータをインストールして
その本に基づいて何か回答してくれるみたいな世界がまああったりするかもしれないよね
スピーカー 1
いやーだからね4イン4マの特集で語ったさこれどんだけの人に通じてるかわかんないけど
うちにある図書館っていうのは個々人であったはずだけどそれがこう全員で共有された集合図になったっていう
未来が来そうなんだよ今
スピーカー 2
確かに確かにそうなった時になんか今みたいな営みがなんかどんな意味を持つのかとかはね
すごいなんか興味深いですねこれはね
スピーカー 1
本当だね本当だね
スピーカー 2
いやでもなんかもしかすると一周回ってこの読んでみたけど全然答えがないとか
いやなんかこう何の話してんのみたいなこのある種空振りじゃないですか僕らからすると
この空振り体験みたいなやつはなんかそういう最適化進めば進もうと体験できなくなっていくじゃん
スピーカー 1
まあ確かにね
スピーカー 2
その意味ではこのなんかある種テーマに対する回答を得られないもどかしさみたいなのはめちゃくちゃ人間的な営みかもしれないね
スピーカー 1
だってさ例えばこうミントが最初に立てる問いをさこのAIのその集合図に聞いた時にこの本がサジストされない可能性があるわけじゃん
うん
恐れてされないじゃない多分
スピーカー 2
まあねここまでの議論だけだとねそんな感じもあるよね
スピーカー 1
そうそうだからそれで俺はたまたまこの本をピックアップしてきたわけだけどそこでこううまくテーマ探そうとしている我々の営みが面白い
スピーカー 2
いや確かにな確かにな
スピーカー 1
人間参加です
スピーカー 2
人間参加ですね人間参加ですね
はい
いやということでこの雲行きがなかなか怪しくなってきてるところではありますけれど
はい
今3章読んだんですよね本としてはね次が4章でここがまたその特定の自由モデルに対する反駁挑戦ということなんですが
まあもう一個残っているのがね厳選制モデルというやつがあるのでここに対して決定論と厳選制モデルによる自由っていうのが両立するのかと
そんな話が登場しますということですね
スピーカー 1
これは楽しみだね厳選制モデルはだって前回の収録で結構我々が盛り上がったところじゃない2階のイオフとかさ
スピーカー 2
ウォントとかね
スピーカー 1
そうそこをもとにこう自由と自由を語っていくっていうのが4章でしょう
次回の展望
スピーカー 2
そうねまあ僕らが操り人形なのかどうかみたいなそういう問いから始まるでしょうね
スピーカー 1
なるほど面白いね
スピーカー 2
ということでございまして今回は高崎さんのそうしないことはあり得たかを読んでまいりましたが
3回目の今日は選択の自由は存在しないというテーマで語ってまいりました
スピーカー 1
はい
スピーカー 2
次回は僕らは操り人形なのというテーマの4章を読んでいきたいと思います
スピーカー 1
はい
スピーカー 2
ではでは今日はこの辺で
スピーカー 1
おつかれさまでした
スピーカー 2
おつかれさまでした
47:59

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