1. カタラジオ
  2. 意志が弱い人は不自由なのか?..
2026-01-13 1:16:10

意志が弱い人は不自由なのか? ~自由の2つのモデルを考える~【僕たちは自由なのか? vol.2】

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特集シリーズ第8弾「僕たちは自由なのか?」第2回の今回は、高崎 翔平『そうしないことはありえたか?』の第1章「そうしないことはありえたか?」と第2章「自由とは『自らに由る』ことか?」を読んでいきます!

「自由であるとはどういう状態なのか?」を知るためには「自由と決定論は両立するか?」という問いに答える必要がありそう。そのためにまずは自由という概念の輪郭を掴むため、自由を「他行為可能性モデル」、「源泉性モデル」の二つに分けて理解を深めていきます。

人間を人間たらしめるフランクファートの「二階の意欲説」とは?そしてそれがどのように自由と接点をもってくるのか?


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  • オープニング: お久しぶりでございます
  • 特集シリーズ: 僕たちは自由なのか?


📻カタラジオとは📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。


⛓こちらもどうぞ⛓

サマリー

このエピソードでは、自由の概念とそのモデルについて探求し、自由に関する哲学的考察が展開されます。高崎翔平の著書『そうしないことはありえたか』を通じて、自由と決定論の関係についての考察がなされます。また、自由の多行為可能性モデルやその責任との関連についても議論が行われ、フランクファート型事例を用いて自由に対する批判が紹介され、自由の概念の変化が探られます。 意志の選択と外的要因の関わりが明らかにされ、自由の定義と責任との関連性が探求されます。意志の強さと自由の関係についても議論され、責任の概念や多行為可能モデル、自由の厳選性モデルに焦点が当てられ、フランクファート型事例から生まれる哲学的な疑問が考察されます。 行為者の自由と責任については、意志の弱さや二回の意欲と一回の欲求の関係についての議論が行われ、ウォントンという概念を通じても考察が進みます。また、自由であるために必要な意欲の層やコミットメントの重要性が探求されます。さらに、ピアノ演奏を通じて自由と制約の関係が考察され、名ピアニストグレングールドの例にも触れられます。 自由に関する議論が展開され、フランクフルトの思想や合理的選択が私たちの自由にどのように影響を与えるかが考察され、特に多行為可能モデルと自由の厳選性モデルという二つの模型を通じて、自由と決定論の共存可能性が探求されます。最後に、自由の二つのモデルを通じて、意志の弱さがもたらす不自由さが探られます。

自由の探求
スピーカー 2
カタラジオ
スピーカー 1
一度企画者が緩く語らう概念獲得リアリティ番組。
カタラジオの時間が今週もやってまいりました。
フィルシンコーのミントと
スピーカー 2
スペシャリー担当のヤマガンです。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
はい、お願いします。
スピーカー 1
いやいやいやいや、新シリーズ無事公開されましたね。
スピーカー 2
はい、なんかやっぱね、上がると嬉しいね。
スピーカー 1
いや嬉しいですね。
多分これね、配信はまた来週かと思います。
今日がね、1月6日ということでね。
このシリーズのvol.1ですかね。
最終のストーリーが公開されましたということで。
まあなんか考え深いですね。
スピーカー 2
考え深いよ。
久々に自分のYouTubeのオススメに
自分の番組が上がってきたなと思って。
スピーカー 1
あ、来た来た。
チャンネル登録してるわけですね。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
いやー、テンション上がりますよね。
スピーカー 2
上がるとね、スーツとか追っかけちゃうよ。
YouTubeアナロギティクスみてさ。
どんだけ伸びてるか。
どんだけ配信されてるか。
スピーカー 1
やっぱ数字を追っかけちゃってさ。
配信者の差がと言いますか。
スピーカー 2
見ないわけにはいかないですからね。
スピーカー 1
そうなんですよね。やっぱりやるとね。
いやーでもやっぱり続けると
数字も上がるんだなっていうことを
改めて認識するよね。
スピーカー 2
久々に上げるとね。
久々にこのフィールドに持ってくると
序盤の伸びは厳しいものがあったりするよね。
スピーカー 1
いやーそうですね。
まあまあそれはアルゴリズムとしては
非常に正しい姿だと思います。
特に否定はしないですけど。
そうなんだよね。
スピーカー 2
いやーなんでやっぱり続けていかないとなと思いましたね。
ただこの上げてさ、
この数字追っかけたりとかさ、
釣りながら考えてる。
この1週間すげー満足感高いというか。
いやーそうね。
生活に針と潤いが出る。
スピーカー 1
潤いかわかんないけど針が出る。
よくね、山上くん言ってますもんね。
そうだね。
スピーカー 2
生き甲斐的な。
スピーカー 1
確かに。
いやーそうなってありがたいですね。
スピーカー 2
本当に。
やる側も聞く側も楽しんで
セッションしていければと思いますので。
スピーカー 1
はい。
よろしくお願いします。
あとちょっと
裏話みたいなやつは
Podcastの方でもあげてる。
スピーカー 2
実はリアルワールドで一回あったりしてるんでね。
スピーカー 1
はい。
ぜひぜひPodcastの方も聞いてください。
はい。
スピーカー 2
僕たちは
自由なのか。
スピーカー 1
いいですね。
スピーカー 2
心の叫びみたいな。
だいぶ2回目にして板についてきましたね。
自分で言うのもあれですけど。
スピーカー 1
いやいや楽しいですね。
ということで
ここからは特集でございますけれども
今回のですね
特集シリーズのテーマは
僕たちは自由なのかと
だいぶでかいテーマになりましたね。
スピーカー 2
だいぶ体験相互ですよね。
スピーカー 1
いやー
なんか答えあんの?みたいな感じの
テーマではありますけれども。
前回それから
前に残ったGastの
話題を少し拾いますと
これきっかけ何?みたいな話をしてたんですよね。
ちょうどこの物が落ちる
様子を表す自由落下というのがありますけど
この奇跡は
宝物線で二次関数で記述できるじゃないか。
これを
完全に記述できちゃうのに自由落下
っていうのおもろくない?みたいな
話から始まり
ここに自由考える上でのヒントあるんじゃないかな
みたいな話をしているところから
始まったというのが
僕たちは自由なのかという特集ですね。
高崎翔平の著書
スピーカー 1
そういうことですね。
ということでなんですけれども
このカタラジオでは
お供になるテーマ本
みたいなのを決めて
このテーマについて考えていこうということで
ございまして今回も本を決めて
進めてまいりましたということですね。
ちょっと改めて
ご紹介をしていきますと
今回のお供の本は
高崎翔平さんという方が書かれた
そうしないことはありえたか
という本です。
これは
制度社から2022年に出ている本で
ございますというところですね。
これは本を
山上君が見つけてくれたんだよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
自由に関する本を探そうっていう
フィールドワークをやってまして
それで僕が拾ってきた本が
このそうしないことはありえたか
スピーカー 1
という本なんですよね。
これなんか当時
それこそ自由からの闘争みたいな本でも
いいんじゃないかといろんな
サブの案がいろいろ
ありつつ最終的には
落ち着いたということですけれども
ちょっと簡単に本の紹介だけ
しておきますと
自由の哲学の最前線
というめちゃくちゃキャッチーな
言葉を書いてますけれども
自由の哲学ってなんだって。
この本のサブタイトル
副題のところには自由論入門
っていうのが入ってますけど
この自由の哲学領域のことを
自由論っておそらく言うのでしょう
という感じでございますけれどもね
僕らも専門家じゃないんで
この本でちょっとインストールしたいな
というところですけど
上昇しか読んでない
上昇しか読んでない
ということなんですけれども
この本のテーマは
すごく明確で
自由であるのかっていうテーマが
この本の主題になっているということなんですけれど
それこそ
紀元前から続くような哲学者たちの
悩みの種、それがこの自由なのか
っていうテーマだったということですが
どうやらこの哲学者の
書書の方が言うには
この問いには結論が出てないんだ
ということですね。なのでこの難題に対して
そうしないことはあり得たか
っていうこのタイトルにもなっている
問いかけを手がかりに
自由を考えるための補助線みたいなものを
与えてくれる。そんな本なのかな
ということで今回手に取っている
ということでございますね
この辺りの動機みたいな話は
前回のボリューム1でも
触れているのでもし気になった方は
ぜひまた聞いてみてください
しかしあれですね
この著者の高崎さん
90年生まれなんですよ
スピーカー 2
そうなのよ。ちょっとショッキングじゃない?
スピーカー 1
そう、同世代がこんななんか
骨太な本を書いちゃって
スピーカー 2
そうなのよ。一個上の人がこんな本
書くんやと思って
スピーカー 1
ちょっと
背恐ろしいですよね
スピーカー 2
そう、老いてがれた感あるよね
常に同世代でこういう
欲しが出ている
生まれ始めている年齢かと思って
スピーカー 1
そう思うと
なんて言いますか
背筋が伸びる思いがありますけど
スピーカー 2
そうなのよ。我々も頑張らないと
スピーカー 1
思う
この方自身は東大の
人文研の研究家を
出られている方ということで
今は早稲田とか国学院とかで
教団に立たれているという方ですかね
なるほど
ということですが
今回この方の本扱うの初めてでし
僕も読んだの初めてだったよというところなので
自由と決定論の関係
スピーカー 1
お乳な方という感じですね
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
ではちょっとここまでの
前回も踏まえてね
振り返りをサクッとやれるといいかなというところですけど
前回読んだのはね
カタラジオあるあるの序章を読みましょうみたいなところで
序章のタイトルもね
重いよね
なぜ自由を哲学するのかというタイトルでしたけれど
スピーカー 2
1個1個重いんだよね
スピーカー 1
そうなんだよ
でかいよね
テーマがテーマだけにね
まあまあまあそうですよね
ということで
なぜ自由を哲学するのかを読みましたということですが
この序章を簡単に
さまっておくと
さっきも出てきたね
私たちは果たして自由なのかという問いかけが
なっていて
この本の主題でもある
そうしないことはありえたかというのがね
いろんなことを考えるという問いかけになっているわけですけれど
これについて
いろんな身近な事例が出てきましたよね
それこそ
運命信じる信じないみたいな話題から
それをもうちょっと科学的に転換していく
説が出てきたりとかですね
そんな
この問いに対する回答
もしくは答え方みたいなところが
いろんなレイヤーに分かれていて
答え方があるんだよみたいな
そんな問題設定の見取り図
というのを示してくれるような
そんな序章だったかなというところですね
そうですね
特にその中でニューだった話題としては
決定論というのが出てきたよね
スピーカー 2
出てきましたね
スピーカー 1
決定論って何でしたっけ
っていうのを覚えてます?
スピーカー 2
この世界はもうすでに
決定しているという
全てのアクションはもうすでに生まれた瞬間から
ビッグバンの時から全部決まってますよ
そういう考え方のことを決定論と呼んでおりまして
スピーカー 1
はいはいはい
そうでしたね
今この世の中で
起きている出来事みたいなのが
要は過去の出来事との
関係によっても
決まってるじゃんみたいな
それ以外のことは起きないじゃんみたいな
そんなことをね
起こり得ないよねってする立場のことを
決定論と言うんだよ
そんなことが紹介されたと
今ちょっとチラッと言いかけてくれましたけど
運命信じるみたいな話も
プリミティブな決定論でありえるし
もうちょっと
科学的な形で言うと
それこそ因果連鎖みたいなキーワードが
出てきましたけど原因があって
その結果があってそれがずっと
連なることで
今の出来事っていうのが起きているんだよみたいな
そういうサイエンティフィックな立場にも
言い換えることができるよね
っていうような決定論が
紹介されるというのも特徴でしたね
でそんな話を踏まえながら
この本のね実は
メインのテーマ主題っていうのは
決定論っていうのとあとは自由
っていうのが両立するんだろうかっていうのがね
実はこの本のテーマだよってことが
この序章で明らかにされるっていうのもね
ありましたよね
そういう風に考えると
あれなんだよねなんか因果の連鎖みたいな
ことが仮に起きているとすると
その中にもし僕らが置かれてるんだとしたら
僕らの自由って
どっからやってくるんだっけみたいな
なんかねそういう疑問が浮かんでくるよね
スピーカー 2
みたいな
そうなんだよね
全て我々のアクションが決まっているとしたら
そこに自由なんてあるわけないじゃないか
スピーカー 1
そういう議論になったよね
前回の収録でね
そうそうそう
ちょうど前回の収録の中だとあれっすよね
スピーカー 2
なんか決定論を受け入れちゃうと
何が起きてもまあいっかってなっちゃうみたいな
そんなことを山上くん言ってたよね
スピーカー 1
決定論のダメな使い方に
完全になってしまってるっていう
そういう話についてもおりますね
そういう話にもありましたけど
それでも自由はあるのかみたいな
のがねここからのテーマになっていくよね
スピーカー 2
というところで
その堕落的決定論から巻き返していきたいところではあるよね
スピーカー 1
うんですね
なのでむしろここからどう巻き返していくのか
っていうのが一番面白いところなのかな
そうなのよね
という感じでありますよね
というのが前回の振り返りということで
じゃあ今回どこ読むのということでですね
目次を開いていただくと
全体の構成が分かるんですけど
全体は3つのパートに分かれてるんですよね
はい
で1個目のパートが自由と2つのモデル
っていうところで
自由をある意味モデル化していくみたいなパート
が最初の1,2章
で2つ目のパートが自由と決定論の
両立可能性っていうところで
これが本書の主題でもありますよ
ってことでね3から6章まで
逆らって書いてますと
最後にもしそれができたとしたら
っていうところで自由と責任の
繋がりを再構するっていうのは7,8章
にありまして
この3部構成になってるということですね
で今回は
自由の概念の探求
スピーカー 1
早速最初のパート
1個目の自由と2つの
モデルっていうところに
関連する1章2章を
読んでいきますと
いうことになるわけですね
さっきの序章の話でいくと
決定論との両立っていうのが
メインテーマになるということ
なんだけれどそのためにね
解像度高く自由は使えないと
あかんよねっていうことで
モデル化してみようじゃないかみたいな
スピーカー 2
そんなパートですね
まず自由が何か知らないと決定論との両立とか
スピーカー 1
扱えないからって話だよね
前回の最後にも自由を
自由に使えなくなっちゃうよねみたいな
話をしてたけど
まさにそれがねその現象に何とか
ケリをつけないとあかんっていうのが
スピーカー 2
今僕らが置かれてる状況でね
扱えるものにするっていうのは本書の
スピーカー 1
課題だよね
ということでちょっとインストール
っぽい感じがあるのかな今回はね
なのでちょっと
頑張って概念説明しつつ
あんまり説明に終始しないようにちょっと
今回は頑張りたいなみたいな
スピーカー 2
そんなところですかね
方角形の授業みたいになっちゃうよね
スピーカー 1
第一章とか
ちょっと前にテクノリバタリアンか
の時最初のパートで
勉強パートあったけど
それに近い感じかも
わかんないですね
ということでさ
どんなもんなんじゃいみたいなところね
さっそく掘っていきましょうかね
スピーカー 2
はいお願いします
スピーカー 1
ではでは
早速本を読み進めていきましょうか
というところですが
さっきも話した通りねこのパート1は
自由と決定論の両立っていう
テーマに挑むための地ならしパートなんだよね
なので自由について
本書の言葉を変えると精密に
扱えるようにしようみたいなことが書いて
ましたけどモデル化をしていくよという
パートになってます
これがね結構一個一個
ちゃんとやるとめっちゃ説明しないと
スピーカー 2
わかんないよね
これだって一章だけでたぶん90分ぐらい
スピーカー 1
喋れるでしょっていう感じじゃない
スピーカー 2
いやそうマジでそう
なんか大学1年生の時にさ一般教養のさ
講義で法学系のやつをちょっと
取ったんだけど
それの授業を聞いてるとき思い出してさ
あーこんなような話あったかもしれない
みたいなもうサイバーに使われるような
資料を読んでる気分だったわ
スピーカー 1
いやそうだよね
なんか出てくる例もさ
例を理解するのにちょっと一回
咀嚼しないといけないみたいな
パターンもあるしなんか本の引用
なんか何書いてるのか理解するのに
2,3回読まないといけないみたいな
そんな感じのテキストも
出てくるっていう感じでしたね
スピーカー 2
よく読むとめちゃくちゃ面白いんだけど
読んでるとき面白いってなるけど
後からこれさらっと説明しとってやると
無理じゃないってそういうパートなんだよこれ
スピーカー 1
いやそうねだからなんかもしかするとね
3章以降読むにあたっても
なんか適宜
1章2章のページを開きながら
読んだほうがもしかしたらいいかもしれないね
そんな気がするね
ということでちょっとね
冒頭でも話した通り
カッタラジオは別にこの本をちゃんと
読むということが目的じゃなくて
僕らがねこの本を読みながら考えたことを
喋れるといいなというそんな番組になってます
ということなので
一旦ちょっとこの1章2章でどんなことが
語られたのかっていうのを
すごいクイックに話した上で
ちょっとお互い気になったポイントとか
面白いなみたいなポイントにフォーカスするみたいな
なんかそんな進め方でやってみましょうかね
今回はね
ということでちょっと僕のほうからサクッと
1、2章で起きたことっていうのを
箇条書きレベルでちょっと説明してみましょうかね
スピーカー 2
はいお願いします
スピーカー 1
ということでちょっとねさっきから何度か
お伝えしてる通りではありますけど
序章っていうのはね自由についての
まず日常的な僕らの理解っていうのを
ちょっと整理してみたみたいな感じだったよね
そこから一歩
踏み込んで自由を扱わないといけないよね
ということで
今回ね1章で1つ
2章で1つっていうそれぞれ
合計2つのモデルを導入して
それを紹介するっていうのが
この1章2章の役割とそんな感じになってます
でその2つの
モデルって何なのかっていうのが
各章で語られるよっていうところと
これ面白いのはね
1章で紹介されたモデル
っていうのに対する批判があって
2章のモデルが構築されるみたいな構成になってる
っていうのも特徴的なので
なのでちゃんと解説していかないと
自由の多行為可能性モデル
スピーカー 1
2章が何で起きてるのかわかんないっていう
ちょっとジレマはあるんですが
あるんですが
それ言われてると時間が足りないということなので
ちょっとねさらっと説明しますよ
というところでいくと
1章はタイトルで言うと
そうしないことはあり得たか
実はこの本章のタイトルにもなってるものを
そのまんま持ってきてるのが
第1章ということです
でこのそうしないことはあり得たかっていうのが
実はモデルの名前にそのままつながってて
ここで紹介されるのは
自由の多行為可能モデル
っていうですね
モデルが紹介されるんですよね
今多分音で聞いてる人は
地面が浮かんでないよね
スピーカー 2
多行為可能性
他の行為をする可能性があったかっていう
スピーカー 1
つまりそうしないことはあり得たか
っていう
そのまんまなんだけどね
これについてちょっと
噛み砕いて言うと
自由であるためには
複数の選択肢っていうのが
行為をする人に開かれている
つまり選択肢がオープンですよっていうことが
まず必要で
実際に成した行為以外を
選択できる状態じゃなければいけないよ
っていうのがね
弊社の言葉で語られている
この自由の多行為可能モデルっていうことですね
なんか今の説明で伝わってるのかしら
山上くん的にどうでした
スピーカー 2
これスッと入ってきた
これはなんか一般人の理解に近しい
モデルというか
そうだろって感じのモデルじゃないこれは
スピーカー 1
そうだよね
なんかちょっと前回だったか前々回だったか
忘れちゃいましたけど
線路が分岐していくようなイメージだよね
ある地点からさ
未来に進むにあたって
いろんな行為のレパートリーがどんどんどんどん分岐していって
あっち選ぶもしくはこっち選ぶ
みたいな状況がどんどんどんどん繋がってるよ
スピーカー 2
みたいなイメージで
すごく近い理解ですよね
二個以上の選択肢を選んだりとか
そういう条件付きで進んでいくっていうのが
スピーカー 1
このモデルの考え方
まさにそういう感じでしたね
このモデルっていうのは
一見確からしそうだし
僕らの理解ともあんまそこなさそうだよね
っていうことが紹介された
上でこの多項位可能性
っていうのが実は責任
っていう概念とめっちゃ結びついてんじゃない
っていうことをですね紹介してくれますと
っていうのがこのショーの前半の
テーマでしたね
この責任との関係っていうのを
多項位可能性原理
これをPAPって言葉で略してるんですけど
そういうので定識されるみたいな
確かにね
Pが一個足りないみたいな感じですけどね
そうでこの時にね
なんか例えば
多項位可能性っていうのは
責任みたいなものを考える上で
必要なんじゃないみたいな話で
面白かったね1万円返せなかった友人の例
スピーカー 2
みたいなのが出てきました
スピーカー 1
なんかね今日
お金返さなきゃいけなかったんだけど
そしたらかつあげにあって返せなかった
みたいなケースがあった時に
その人はなんか
返す自由があったのか返す責任があるのか
みたいなねそんな問いが出てきましたよね
スピーカー 2
あったねかつあげにあったってことは
別の行為をすることができなかったから
自由じゃなかったっていうそういう
スピーカー 1
かつあげにあったことによって
返す自由がなかった
みたいなねそう
なんかそういう風に言えるから
スピーカー 2
その後の飲酒運転の
スピーカー 1
面白かったけどね
たしかにね面白いですよね
スピーカー 2
そう飲酒運転は結局
お酒飲んじゃったら
自分で選べなかったから不自由だから
責めることできないんじゃないかって思ったら
それはそうじゃなくてお酒飲む時点で
そうなることが予見できたから
それはもう直接的な責任じゃなくて
間接的な責任を負うってことで責められる
でそのPAPが修正されますよ
みたいなそういうなんかね
方角的な議論を延々とやるんだよねこのショーは
スピーカー 1
そうなんだよね
なんていうか
そういうものを持ち出しながら
多行為選択
多行為を選択できる可能性について議論していく
スピーカー 2
っていうのがこのショーの特徴なんだよね
俺は裁判とか参加したことないけど
多分裁判の中でこういう話してるんじゃないの
スピーカー 1
いや多分そうなんだと思うよ
だからこの責任はどこに来すかみたいな
議論をめちゃくちゃするっていう
スピーカー 2
ことだもんね
多行為可能性原理をGoogle検索した時にさ
方角系のものが出てきてさ
これやっぱ卒期系の言葉なんだってことを
知って
ついに我々この方角系に足踏み入れたか
ってしみじみとしてたもん
スピーカー 1
たしかに
なんだっけ方鉄学みたいなやつあるよね
スピーカー 2
そうそうそうそう
スピーカー 1
でもさなんか我々がよく
なんか言及してるさ
スピーカー 2
トロッコ問題あるじゃないですか
スピーカー 1
こっちに倒すと人が1人なくなるけど
スピーカー 2
こっちだと5人だみたいな
スピーカー 1
あれもさ
すごくわかりやすくさレールというものがあって
2つの選択肢があるみたいな意味では
こっちも選べるしこっちも選べるし
状況だよねっていうのはすごいわかりやすいよね
スピーカー 2
そうだねだからあれもだからある意味
スピーカー 1
自由なんだよね
スピーカー 2
どっちからかを選ぶ自由がある
スピーカー 1
みたいなことで
今ちょっと出てきた通りで
この章はめちゃくちゃ自由ってものを
責任と表裏一体のものとして考える
みたいなそんな章だったんだよね
そうそう
ここに対してフランクファートさんっていう人がね
なんかこのモデル批判するんだよね
フランクファート型事例の紹介
スピーカー 1
そこに
一連の類型があって
そこにはフランクファート型事例
って呼ばれてるような試行実験があって
これなんかどんなのか覚えてます?
これさ
スピーカー 2
上手く伝わるかなこれ
ラスコーリニコフっていうさ
罪と罰
ロスエフスキーの本なのかな
に出てくる人がいるんだよ
その人がローバーを殺したいんだよね
ローバーを殺したくて
殺すっていうのが結局
罪と罰の中でのストーリーなんだけど
ここからが一応
この試行実験になって
ドクターXっていう新人物が
出てくるわけよ
ドクターXもローバーを殺したいんだわけね
ドクターXが
ラスの脳内にチップを埋め込んで
このチップどういうチップかというと
ラスがローバーを殺すのを
思いとどまった場合のみに作動して
スピーカー 1
ローバーを殺させると
スピーカー 2
ラスが別にローバーを
自分で殺そうと思って殺したときは
スピーカー 1
チップは作動しないと
スピーカー 2
結果的に
自分の意思でローバーを殺したんだけど
この時ラスはローバーの殺害に
責任を負うべきかという問い
この問いに関して三浦さん
スピーカー 1
どう思いますか
三浦 いやまずその前提をインストールするのに
すごい苦労する
リスナーに伝わってますかみたいな感じ
スピーカー 2
伝わってんのこれ
スピーカー 1
絵でも描いて貼っとくかYouTubeには
三浦 確かにね
ちょっとすげー単純化すると
すっと自分の意思で
Aっていう行為をするっていうパターンもあれば
自分の意思に反したときに
それになんか跳ね返される作用があって
自由の多行為可能モデル
スピーカー 1
結果的にAという行為をする
っていう二つのパスがあるんだよね
分かりやすい分かりやすい
三浦 その時に
すっと自分の意思でAという行為をしたのか
自分の意思に反する
方法を取ったんだけど外部からの作用で
もってAという行為をさせられたのか
っていう二つのパスを区別できんのか
みたいなそういう議論ですよね
スピーカー 2
そうそう
これ要はPAPに対する反例として
挙げられてるんだけど
他行為可能性が
あった場合のみ責任が問われる
っていうのが一応今のところの
説明なはずなのにこのラスの
事例では他行為可能性が
なかったのに責任が問われると
なんでかというと他行為可能性がない
って言ってる根拠が何かというと結局
ラスは老婆を絶対殺害
するわけじゃん老婆の殺害を
避けることはできないわけじゃん自分の意思で殺そうと
機械が作動しようと
絶対に老婆を殺すっていう事象を
避けることはできないから他行為可能性
はないわけよ
でも明らかに俺ら普通に判断したらこのラスには
スピーカー 1
責任があるじゃん自分で殺せる
スピーカー 2
だから他行為可能性がないのに
責任が問われるってことでこのPAPに
反例になっちゃってますよっていうのは
フランクファート型事例っていう
PAPに対する反例ですよ
っていうことなんだけど伝わった?
スピーカー 1
伝わった?
伝わってて欲しい
伝わってて欲しいというか
これちょっとね一歩
引きの目線で見るとこの自由の
他行為可能モデルっていう
名前をよくよく考えてみると
分かるかなっていうところがあって要は
他の行為をできる可能性を
外的要因によって立たれるっていうケースが
あるじゃんみたいなことなんだよねこの
スピーカー 2
フランクファート型事例っていうのはね そういうことだね
スピーカー 1
だから他行為可能性を
自分規定じゃなくて
他行為可能性を
の道を立たれちゃうケースが
あった時どうするみたいな
そういう批判なわけですよね
そういうことだね
その時にこの他行為可能モデルっていうのが
有効じゃないんじゃないかみたいな
批判にさらされるよね
っていうことがこの一章では紹介される
スピーカー 2
ってことですよね
今の関連に関する批判もありつつも
今のところのメインストリームは
このフランクファート型事例を信用するっていうのが
メインストリームになってるってことでいいんだよね
スピーカー 1
そういうことだよね
そこに対する批判があって
その批判に対して答えようとするとどうなる
っていうのが今の現状の
モデル理解に対する
スタンスみたいな
そんな感じですかね
ここもちょっと話したいこといっぱいあるんだけど
なんか話してるとそれだけで終わっちゃいそうなんで
このフランクファートに対する
スピーカー 2
反例に対する反例を挙げ始めると
それだけで一回収録使っちゃうから
スピーカー 1
そうなんだよね
スピーカー 2
反例に対する反例ありますよぐらいで
スピーカー 1
長く食べていい気がする
ちょっとそんな感じでとどめておきましょうかね
そのまま行くと
このね
このストーリーの中では
要は責任
というもののために
多行為可能性としての自由
みたいなものは必要ないよね
みたいなことが言われるわけなんですよね
この1章の最後の方でね
だとすると他のモデルでもって
自由をちゃんと定式化しないと
なんかちょっと不完全かもしれないね
っていうのが
この批判を通じて出てくるわけだよね
そういうことだね
そういうところからこの2章に移ってく
っていうのがここの1章から2章への
スイッチというところになっている
スピーカー 2
というところですね
この本の言葉限りと自由の必要条件探すみたいなことになってて
自由の必要条件が
多行為可能性かと思ってたらそうじゃなかった
っていうのが1章の結論になっている
スピーカー 1
そうだね
フランクファート型事例の新モデル
スピーカー 1
一旦の結論はそうなっている
ということですね
ここは個人的に突っ込みたいところがあるんですけど
一旦2章に行きましょうかね
行きましょう
2章は実はこのフランクファート型事例
というところで出てきた
フランクファートさんが新しいモデルを
ある種新しい理論を
ぶち上げるぞというのがこの2章で
スピーカー 2
扱われている
フランクファートすごいね
自分で否定して自分で打ち上げたよ
スピーカー 1
そうだね
むしろ自分の説を通すために
否定したという
見方が正しいのかもしれないですけどね
そのあたりの経緯は僕も正しく理解しないので
書かれている内容を説明していくと
2章はタイトルから説明すると
これ面白いよね
自由とは自らによることか
っていうですね
自由をそのまま
解説するようなタイトルが
ついていて
副題といいますか
ついているのが自由の厳選性モデル
ということで第2章では
自由の厳選性モデル
というものを紹介していくよということですね
厳選性もちょっとね
音声だとあんまり伝わらないかもしれないですけど
厳選というのは源の泉って書く
スピーカー 2
厳選ですね
スピーカー 1
厳選長州の厳選
そう厳選長州大本ってことだね
この厳選性が
あるかどうかが
ポイントだよって言っているモデルのことを
この厳選性モデルと
いうことでこれもちょっとね
筆者の言葉で説明すると
人が自由であるためには
行為の厳選が
行為者自身のうちになければならない
と書いてますね
何か分かるようで分かんないですよね
スピーカー 2
なかなかこれも難しいよね
スピーカー 1
難しいよねまず行為の厳選って
何なのって話になるし
行為者自身のうちにあるってどういうこと
みたいなまあよく分かんない
ですよね
でもこのまあよく分かんないやつを
説明するためにこのフランクファートさん
っていう人がまあいろいろな
理論をぶち上げるというのがこの2章
になってますと
ここではちょっとさらっと触れて
戻っていきましょうかね
ちょっとこの厳選性が
よく分かんないのでちょっと踏み込んで
考えたいじゃんっていうのがまず第一にある
というのと仮に厳選性のことが
分かったとしてこの厳選性
モデルの代表理論として
展開されるのがこのフランクファート
さんによる2階の意欲説
というものが紹介されるんですよね
2階っていうのは2階建ての2階
ですね1階2階の2階
でこの
2階の意欲説っていうのがこんな
面白いことがあるんですっていうのが
ザーッと出てきてまさに
フランクファートさんは実は自由だけ
じゃなくて人間とは何かみたいなところから
この2階の意欲説
を考えたんだよみたいな
説の由来みたいなところが紹介されるということですね
ただここまで読むだけだと
この2階の意欲ってやつが
なんで自由の厳選性とつながるのかって
よく分かんないですよね
なので
2階の意欲とは何って話もまだできない
スピーカー 2
自由の厳選性もまだ分かってないから
スピーカー 1
みたいな聞き方がとりあえず出てくると
なんだけど
それについてちょっと面白い試行実験
だったりとかをやりながら
この2階の意欲説っていうのを
解いていくというのがですね
この2章の中身になってる
ということですね
2章の中では実はこの2階の意欲説に対する
批判が取り上げられたりとか
そこに対する応答として
こんな答え方があるんじゃないか
みたいなものが出てくる中で
実はこの2階の意欲説っていうのがアップデートされて
終わるっていうのがこの2章の面白いところですね
2階の意欲説の展開
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
最後なんか必要十分条件がどうだろ
こうだろみたいな感じで2階の
応答説を修正するんだよねこの筆者がね
スピーカー 2
このアップデートは面白かったね
スピーカー 1
そうそうなのでちょっと今日はね
このアップデートに至るまでの道のりみたいな
ところを終えると実は
リスナーとしては面白いのかなと勝手に
イメージしてるという感じですね
スピーカー 2
この2階の意欲説は結構面白い言説だから
ここに関してしっかり掘ってみたら面白いよね
スピーカー 1
多分
という感じでございますが
この表面をさらった説明だけだと
なかなか何言ってんだという感じだと思いますので
ちょっとね
各々がツッコミどころだと思ったポイント
突っ込んでいけたらなという感じですね
まずなんかこの
第2章に至る手前のところで
なんかこう言いたいこと
ありますかっていうところから
一旦確認かなと思ったんですけど
さっき言ってた自由の多行為可能モデル
これどうでしたスッと入ってきました
スピーカー 2
これに関しては
ラスの事例を読んで
俺は普通にフニ落ちたかなって感じだけど
はいはいはい
なんかフニ落ちないところありました
スピーカー 1
そうなんかね自由の多行為可能モデル
単体として説明されたら
確かに複数の選択肢があって
そこに開かれてるか
開かれてないか
他の行為の選択肢があるかないかっていうところで
自由かどうかが決まるよねっていうのは
なんかまあ
まず一旦引き受けられるなと思ったんですよ
なんか一回理解できるなと思ったと
一方でここの章の中の
議論の推移というか
PAPって言われてたさっきの
多行為可能性原理っていうやつですね
つまりその
責任を持ってこの多行為可能性
っていうのを説明するっていうやり方
というかこの方法で
なんかこのモデルを
検証していくっていうのが僕は実は
ちょっとフニ落ちてなくて
スピーカー 2
なるほど
その責任ありきで自由を説明する
っていうのはもうすでにこう
結論ありきの
なんていうんだろう
責任だけじゃないだろうってこと
スピーカー 1
そうそう
責任というものを成立させるための
道具として
道具と言うとちょっと筆者のやつと違うかもしれないけど
責任を説明するために
自由がないとあかんみたいな
なんかそういう方法で
説明してるようになんか聞こえて
いや別にそれだけじゃない
責任ってどっか出てきたみたいな
そんな感覚を受けながら僕は実は
スピーカー 2
読んでたんですよ
それに俺序章のとき思ったのは論点すり替えを
スピーカー 1
起きてるなっていうのは
スピーカー 2
わかるわかる
責任の話をすりたかったわけじゃないんだけど
っていうのは序章を
読みながら思って
この人はこういう説明をしていくのか
と思いながら俺は引き受けて
スピーカー 1
読んでたけど
そこだけがちょっと僕の中では
責任という概念を
用いて説明しようと思うと
このモデルが通用しないっていう
受け止めはできるんだけど
別に責任だけじゃなくない?
っていうことについては
僕はまだちょっと理解が
上手くないだけなのかもわかんないけど
スピーカー 2
ちょっと引っかかったなとは思ったんだよね
それで言うと二章でも責任に責任転嫁する
スピーカー 1
みたいな流れが結構起きない
ありますあります
ここは気になるよね
スピーカー 2
そうなの責任に逃げるみたいなパターンが
結構多いよなとの
1,2章を読んでのトースティングの感想かもしれない
スピーカー 1
いやそうね特に僕らはさ
冒頭でも話した通り
自由落下みたいな
メタファーからさこの自由の世界にさ
入り込んできてるわけじゃない
そうするとさ別に
自由に動く物体に別に
責任概念なくないみたいな
ことなんで
自由をなんか
素のままに自由を理解しようと思ったら
どうなるかなっていうことは
ちょっともやっとして実は一生読んでたっていう感じ
スピーカー 2
なんなら我々は無責任に語り合いたい
人種だからね
そうなんです
スピーカー 1
そうそう
だから例えば
法律の解釈として責任というものを用いて
理解しないといけないよ
とかなんかであれば
責任と自由の理解
スピーカー 1
それは法システムの中でね
責任ってのはどう扱われるかっていうことだから
まあわかるみたいな感じなんだけど
自由を理解しようと思った時に
当然責任と関連があるのはわかるが
責任の側から
説明しようみたいなアプローチだと
なんかちょっと片手落ちかな
みたいな
そういうことをね
スピーカー 2
思ったなという感じですね
確かにそうなんだよ
まあこんな感じで進んでいくのかな
スピーカー 1
でもこれまだ日誌をまだしか読んでないけど
スピーカー 2
責任ありきで進んでいくんだったら確かに
スピーカー 1
そうそうそう
だからそれこそこのPAPってやつは
で言ってるのは
多行為可能性は責任の必要条件である
っていうテーゼがさ
言われてるじゃない
その責任どっか出てきたみたいな感じになるよね
スピーカー 2
確かに
スピーカー 1
みたいなのはちょっと思いましたかね
スピーカー 2
ああそれは
確かに俺も受賞の時に思いましたね
スピーカー 1
うんうん
というとこがありつつ
この多行為可能性っていう概念自体は
確かになんか
一定ワークしそうみたいな感じも
それもすごいわかるし
スピーカー 2
まあなんか我々が
一般人が思う自由に関する考え方は
多分この多行為可能性に近いのかなとは
うん
スピーカー 1
そうだね
だしそれこそフランクファートさんの
批判
フランクファート型事例みたいな
あの試行実験っていうのも
なんかわかるこの多行為可能モデルの
絵の批判として
機能してるなっていう感じもわかる
ああ確かにね
だからなんかそのここで説明されてることから
なんか責任を丸っと取ってみたら
どうなるっていうのを
ちょっとなんかやってみてもいいかもなとは思った
スピーカー 2
ああなるほど
だしでこのフランクファート型事例を
説明してみるっていう
試みをしてみてもいいかもってことね
スピーカー 1
そうそうそう
つまりフランクファート型事例ってさ
チップを埋め込むっていうことがさ
さっきの1万円返済の話題っていうと
スピーカー 2
かつあげと同じじゃんね
スピーカー 1
そうだね
不可抗力みたいなことが発生したときに
そこに自由はあったのかっていう
そういう試行実験だと思うんだけど
スピーカー 2
それは確かに自由はなさそうだなみたいな
要は返済責任があったのかじゃなくて
返済責任があったっていうふうに言い換えて
スピーカー 1
考えていくってことか
そうそうそうまさにまさに
スピーカー 2
っていうのは全然できるかなと思うんだけどね
だからこの本の責任っていうのを全部自由に
言い換えて解釈していくと我々の
思ってる自由に近づけていく可能性はある
スピーカー 1
うん
かなと思うけどわからん
これはなんか哲学者の人は厳密に
責任と自由の使い方をなんか
区別してるのかもしれないし
もしかしたらそこになんか一般的な
ちょっとここで出てくる責任は
なんていうかジャーゴンというか
みたいなものなのかもしれないし
もしかしたらちょっとリテラシーがなくて
読めてないだけなのかもしれないんで
スピーカー 2
なんともなって感じですね
なんかこのフランクファート批判に関しては
これもロンリーパズルをさ
スピーカー 1
解いてる感じじゃない
そうねそうね
だからちょっとなんか袋工事に入っちゃってる感があるんですよ
スピーカー 2
このフランクファート批判は
なんだろう言っちゃ悪いけどせせこましいことしてんだ
本来はなかったはずの時間軸を設定してさ
T1のとこでT2のとこで
よくわかんない時間軸を設定して
自分のロンをこねくり回してる感じじゃない
スピーカー 1
このフランクファート批判で
まあそうだね確かにね
スピーカー 2
なんだかなと思いつつ
スピーカー 1
はいまあそんな気持ちになる部分も
なんかありつつ
まあでもそんなもんかと思って読んでみることもできるかな
っていうそんな感じですよね
まだちょっとなんかモヤモヤがあるかもみたいな
感じはあるかも
はい
自由の厳選性モデル
スピーカー 1
ということが一章で起きましたと
一章はこんな感じですね
一章であんまなんかこねるよりは
二章に行っちゃった方が面白いかなっていうのがやっぱりね
さっきの話じゃないですか
で二章の方に移ると
で二章はこの一章で出てきたね
自由の多行為可能モデルそれからさっきの
チップ埋め込んでみたいな
なんかそういう批判可能性みたいなところに対して
ちゃんと答えていこうよということで
別のモデルをぶち上げるんだよね
それがまあこの自由の厳選性モデル
っていうやつでしたと
いうことなんだが
この厳選性がよくわからんと
いうことで厳選性について説明している文章を
読んだんだけどそれもよくわからない
って感じなのでちょっと読み上げてみると
行為が
厳選性の説明ね行為が本当の意味で
行為者自身によって生み出されたかどうか
が決定的に重要だって書いてあるんだけど
どういうこと?
スピーカー 2
って感じじゃないですか
スピーカー 1
そう
ということっていう感じなんだけれど
ここに対してまあなんか説明の
なんか事例になってるやつが
二つぐらいあって一つ目は
催眠にかかったパターンどうですかっていう事例ができましたよね
これちょっと紹介すると
行為の主体
行為のニュースのことも主体っていう風に言うけれども
この主体がね催眠にあって
催眠にあった上で
犯罪行為をしちゃいました
この時この行為っていうのは
本当の意味でその主体のものだとは言わないよね
みたいなそんな事例がまず紹介されますと
まあなるほど
って感じですよねつまり行為の主体と
その行為の厳選みたいなものが
離れてるじゃないかみたいな
これが催眠のパターン
でもこれって
じゃあ催眠みたいな
外的な干渉がなければいいんじゃないですか
っていうことになる
そこでもう一個出てくるのが
薬物依存症患者の例で
例えば薬物依存症の患者がいて
禁断症状で薬物を接種しちゃうと
これはどうなのかと
行為の厳選が内側にあるんじゃないのみたいな
言い方ができると
つまり外部から薬物の接種をしむけられたわけではないよね
っていうことなんだが
でも患者本人にとっては
薬物を擦るっていう欲求自身は
彼らにとって制御不可能だよね
ということだから本当の意味で
彼自身が厳選になっているとは言い難い
っていう噛み砕き方ができるよみたいな
スピーカー 2
そんな感じですね
スピーカー 1
欲求の奴隷って書いてある
なんでその欲求自身が
自分の中から出てきてるのかどうなのかってことを
明確に区別するってことが
大事じゃないっていうのはこの厳選性モデルの
すごい大事なポイントっていうことですね
スピーカー 2
そう
この厳選性については
あらゆる理解であり
細部は各々の哲学者の作業に任されている
って書いてあって結局
厳選性モデルが何かっていう説明に関しては
まだ完全としてないところはあるんだよな
スピーカー 1
まあ確かにね
この厳選性モデルの
解釈にも自由があるということですね
スピーカー 2
そこに自由を
使っていいのかっていうのはまあさておき
スピーカー 1
厳選性については
二回の欲求と意欲
スピーカー 1
ふわっとしてはいるんだが
面白い論がねこのフランクファートさん
さっきのフランクファート型
事例を挙げてた人が
二階の意欲説
っていうのを紹介するんですよね
これがなんか結構
個人的に面白いなと思ったところで
スピーカー 2
これ面白かっためちゃくちゃ面白かった
スピーカー 1
そうこれなんかね
どこが面白かったんですかこの二階のモデル説
まず二階のモデル説と何か
二階の意欲説を何かっていうのを説明しないと
スピーカー 2
分かんのか
人間とは何かっていうトイレからさ
始めなきゃいけないっていう話が出てきて
そうですね
人間とカエルの違いは何かって話が出てきてさ
カエルもさお腹減ったら
目の前のハエはパクンて食べるじゃん
人間も腹減ったら
飯食うじゃん
何が違うのそれって話になって
人間の
とカエルの違いは自分自身の
欲求を反省的に評価する能力の
有無だっていうふうに結論するわけね
はい
でここで上がってる例が
タロー君っていう人が出てくるわけ
でタロー君はビールが好きなんだけど
ビール飲むと酔っ払っちゃって仕事にならないと
卒論執筆中のタロー君がビール飲みたい
って誘惑に駆られた時に
就職業の末タロー君は
ビールと誘惑に負けずに
論文の執筆を続けるような
そんな人間でありたいと考えて論文執筆を
スピーカー 1
続けましたと
スピーカー 2
この時にタロー君は
ビールが飲みたいって誘惑に打ち勝って
こうありたいって思う理想の自己像に
忠実に行為して
そんな自分を誇らしく思ったと
はいはいはい
この時にタロー君の心の
ビールを飲みたいって気持ちとか
いろいろ論文を書きたいっていうのが
一回の欲求っていう風に表現してて
スピーカー 1
つまり直接的な
欲求ってことだよね
欲求そのものみたいな感じだよね
スピーカー 2
そうそう
こういう各々近々の一回の欲求を
持ちたいっていう欲求についての
欲求が二回の欲求っていう風に
スピーカー 1
読んでると
欲求に対する欲求のことを
二回の欲求って読んでるってことですよね
スピーカー 2
はい
二回の欲求の中でも
各々近々の一回の欲求が
行為を実際に動機づける力を
持ってほしい
まあわかりやすく言うと各々近々の一回の
欲求に導かれて行為したいっていう欲求のことを
二回の意欲という風に
スピーカー 1
読んでますと
これ言葉は結構難しいよね
いくつか登場してくるんでね
だから二回の欲求の中に
二回の意欲っていう
特殊パターンがあるみたいな感じなんですよね
スピーカー 2
そう 具体例で言うと
ビールの誘惑に負けてしまうんじゃなくて
良い論文を書きたい
っていう欲求に導かれて行動したい
っていう欲求が二回の
意欲になるっていうこと
スピーカー 1
うんうん
これは面白かったよね
ちなみに二回の欲求と
二回の意欲の区別って
明確にわかった?
スピーカー 2
説明読んで
この説明だと
その後の医者の説明ですごい
スピーカー 1
はいはい
ありましたね
スピーカー 2
麻薬依存症の患者を
カウンセリングする医者がいたと
その医者が
精神科医かな
その医者が麻薬を
摂取したい欲求を持ってみたい
っていうのが二回の欲求なわけよ
麻薬
摂取したらどんな気持ちになるんだろう
っていう欲求持ってなって思うのが
スピーカー 1
二回の欲求
スピーカー 2
でも麻薬を摂取したいという欲求に
導かれて行為したい
実際に打ってみたいっていうのが
スピーカー 1
二回の意欲になると
スピーカー 2
だから医者は二回の欲求は持つけど
二回の意欲は持たないっていう
そこで完全に
あの風に落ちた
なるほどと思って
スピーカー 1
なるほどですね
これだからこの
二回の意欲ってものが何なのかを
結構ここでは大事なポイントになってくるんですよね
スピーカー 2
そうなのよね
スピーカー 1
そうなんだよね
この二回の意欲ってやつを
自由と結びつけていくために
あれなんだよね
この著者は
一応定式化してるんですよね
人が自由であるためには
行為が行為者の持つ二回の欲求と
調和してなければならないっていうね
二回の欲求の定義をここで
作ってくるわけですよね
意志の弱さと自由の関係
スピーカー 2
そうなのよ
調和ってのは行為者の持つ二回の意欲にもって
言及される一回の欲求が一致してること
っていう
難しいけど
なんだろう
二回の意欲と一回の欲求が一致することが
スピーカー 1
調和するっていう風に
言ってると
これは伝わってるのかしらね
難しいよね
なんかこれめちゃくちゃそのものを
説明した事例が実はなんか
絶妙にないんだよね
スピーカー 2
そうだね
スピーカー 1
例はないんだよね
でもさっき言ったみたいにビール飲みたいっていう
欲求といい論文を書きたいっていう
欲求があって
この二つのどっちの欲求に
比重を置きたいか
っていう
そこの一個メタな
欲求みたいのがあるっていうことを
言いたいんだよね
これ結構
二回って言ってるのは
言い換えるとよく話題にあがる
メタ認知みたいなやつじゃないですか
まずフラットに
いろんな欲求があるという中で
一つ俯瞰してみたときに
どの欲求に
従う人間でありたいかみたいな
ありたい自分みたいなものを
俯瞰してみてるその欲求のことを
言ってるんだよね
それがあるということが
自由の厳選性
つまり自分自らによる
自由の
所在がそこにあるんじゃないかみたいなことを
フランクファートさんは言ってるみたいな
そんな感じなんですよね
そういうことですね
そうでなんかフランクファート
は実はなんか自由
みたいな話じゃなくて実は
この二回の欲求じゃなくて二回の意欲が
あるってことが人間にとっての
自由の本質だみたいな
そっち側を言いたいんだよね
ここは結構面白いんだよね
このスタンス自体は結構面白いんだよね
スピーカー 2
難しいのが一回の
欲求がちゃんと実際行動に
繋がってほしいっていうのが
二回の意欲になるっていうことなんだよね
スピーカー 1
そういうことね
今意欲側というか欲求側から
説明してるんですげえ分かりづらいんだけど
ウォントンの概念
スピーカー 1
このフランクファートさんが
言ってたとこで結構なんか理解の補助性になるな
と思ったのはウォントンっていう概念を
ここで提示するんですよね
ウォントンっていうのは
ウォントって欲求のウォントだと思うんですけど
このウォントンっていうのは
ウォントンっていうのは何かっていうと
一回の欲求しか持てない
つまり一番ベースラインになる
欲求しか持ってないっていう存在のことを
ウォントンと呼んでみようと
言ってちょっと考察というか
ウォントンだったらどうなんだろうね
みたいなことを考えた
具体的に言うと動物もウォントンだし
さっき言うとカエルみたいなやつだよね
自分の行為、欲求についての反省をしない
存在は
ウォントンになるから
さっきのカエル目の前に
ペロッと舌を出しちゃうカエルっていうのは
ウォントンですと
あるいは幼児、幼な子だよね
自分の行為について反省できない幼児
とかあと精神的な疾患を
持ってる人みたいなのは
ウォントンみたいなところに
あるんじゃないかと
この人たちっていうのは責任主体としての
要件を満たしてないですよね
みたいな、そんな説明の仕方をしてると
いうところが特徴的でしたね
スピーカー 2
そうだね
スピーカー 1
そうだこれなんかね
自分の話を
読みながら思ったのは
これ近年であれば
これってAIのことじゃないとかと思ったのよ
スピーカー 2
なるほど
そうだね、でもAIに1回の
欲求があるのかってとこは
スピーカー 1
1回の欲求さえあればいいかもね
確かに
2回の欲求がないという意味では
例えばさ、よく自動運転でさ
人を引いちゃった時の責任主体問題とか
出てくるじゃない
だけどさ、AIはどういう風に行為したらいい
みたいな欲求はさ、AIの内側から
つまりその厳選性みたいなやつはさ
AIの中にはなくて
そのAIをその自動車に
実装した、多分実装車には
こういう風に行為した方が望ましい
とかさ、こういう欲求に
従って
どっちの道を取るべきか、判断すべきだ
みたいな価値観が多分あるはずで
なんかそいつの2回の欲求はさ
実はAIの外側にあるんじゃないか
みたいなことが言えそうだなと思いながら読んでたのよ
なるほど
そのあたりが自由の主体みたいな話
すごいつながっているのかな
みたいなことをすごい思いましたね
スピーカー 2
ここではね
いや、俺自分が時として
ウォントンみたいに動いていることがあるなって思った
これ見ながら
それもあるよね
そうそう、俺ウォントンに寄っちゃってんな
っていうことをこれ見ながら
俺ウォントンにならないようにしなきゃなって
ウォントビーウォントンみたいな
スピーカー 1
状態に
なるほどね
スピーカー 2
何ですか
なんかフラフラっと目的なく
動いたり、じららくに酒飲んでたり
とかさ、そういうことあるじゃない
スピーカー 1
何も考えずにさ
スピーカー 2
これ後で出てくるけど
意志が弱い人間みたいな話が出てくるじゃない
意志の弱さによって
俺2回の欲求まで
意志の弱さに引きずられて変わっちゃってることがあるな
ってことがあって、これってウォントンなんじゃないかな
みたいなことを思ってしまった
スピーカー 1
なるほどね
むしろそこからその意志の弱さのところに
つながっててもいいかもしれないけど
今のどういう意味ですか
スピーカー 2
その2回の欲求が変わっちゃうってこと
そうそう、意志の弱さの説明が出てくるじゃない
二回の意欲と現代の視点
スピーカー 2
出てきましたね
2回の欲説だと
意志が弱い人間ってのは
不自由
まずその意志が弱い人間ってまず不自由じゃないじゃん
意志が弱いだけでその人は自由に行動してるわけじゃん
はいはいはい
それはわかるよね
でもその2回の欲説っていう
説を採用すると意志が弱い行為は
行為者の2回の意欲に
反する行為をしちゃってるわけじゃん
例えば2回の意欲ってのは
俺は論文を書く人間で
ありたいっていう意欲なわけだよね
論文を書くってモチベーションで行動したい
っていうのが意欲なのに意志が弱くビールを
飲んでる時点でそれはもう
自由ではないじゃん、この定義からすると
スピーカー 1
そうだね
要は欲求に負けちゃってるわけだよね
ビールの誘惑に負けたというかね
スピーカー 2
そう、そういうことを
捨てると
2回の意欲説っていう観点では
不自由だという風に
言い切られてしまうけどそれどうなんだっていう
反論があるんだけど
それに対しては
確かにメインの反論は
確かに不自由かもしれないけど
それってのは
意志が弱い行為において
行為者を借り立てる欲求は
健常な成人なら当然有するべき
標準的な欲求のコントロール能力を
持っていれば逸すことができると
それを持ってないってことは
怠慢さゆえだから非難される対象であると
だから
非難される対象ってことは責任は及ると
だから不自由だけど責任は
及るんですよっていう風にうまいことをまた
責任転嫁したなっていうのは思ったんだけど
スピーカー 1
はいはいはい
いやー確かにね
それ面白いね
スピーカー 2
そうなのよ
スピーカー 1
逃げてるよね、ある意味ね
議論の本筋から逃げてるような
応答に見えちゃうよね
そうなの
スピーカー 2
逃げたって思ったんだけど
俺が今言いたかったのはそこがメインじゃなくて
二階の意欲の説で
意思の要素を説明するかしないかって議論で
意思が弱い状態が
ずっと続くと二階の意欲すら
変わっちゃうんじゃないのってことを言いたいんだよ
あー
スピーカー 1
なるほど
それはちょっと発展的な
議論ではありますな
ちょっと具体的に言うと
どういうこと?ビールの誘惑に負けてる
負け続けてると
ビール飲みたい人間だよ俺はってなるみたいな
スピーカー 2
そうそう
俺がちょっと考えた具体例が
今大学院卒業してるんだけど
ちょっと前まで大学院生で論文書いて
この論文書いて
論文を成り割として生きていく
状態が
俺なんだなって二階の意欲を持って生きてたわけよ
スピーカー 1
なるほどね
スピーカー 2
意思の弱さって書いてあるけど
意思の弱さだけじゃなくて
スピーカー 1
子育てで子供生まれましたとか
スピーカー 2
家族がそれなりに幸せですよとか
ってことで
今割と家族で幸せに暮らす
っていうのが今の二階の意欲になってるわけよ
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
だから意思の弱さではなくて
普通にこの一階の欲求に
二階の意欲が合わせにいったなっていう
そういうことが起きたなっていうのが
これを読んでて思ったわけ
なるほどね
こういうパターンもあるんだよってことを
フランクファートに教えてやりたい
スピーカー 1
それは面白いですね
それは面白いですね
この二階の意欲説っていうところを
基本的にはフランクファートの
説を借りながら多分
この秘書の方は書いていると思うんだけど
フランクファートがこの説を
打ち上げた時代と
現代の知見でもしかしたら
ギャップある部分あるっぽくないみたいな
話も僕あるかなと思ってて
なるほど
例えば僕らの
読んだというか直接
出てきた著作として
ダニエル・カーネマンの
スピーカー 2
あるね
スピーカー 1
認知系の
認知心理学の話とか
社会心理学みたいな話とか
そのあたりの知見がどれくらい
このフランクファート説に
盛り込まれているのかってことは結構僕気になって
なるほどね
つまりあのあたりの行動経済学とか
認知心理学みたいな
領域で言われていることって
これまで人間は
結構理性的だと思われてたけど
実は人間ってそんな理性的な
存在じゃなくないみたいな
そういうことを言ってる学問領域じゃないですか
スピーカー 2
予想通りに不合理
スピーカー 1
そうそうそう
ダン・アリエリーだっけ
の話とかもそうだよね
つまり人間は思ったほど合理的に
行動してないんじゃないかみたいな
そういうことが
20年ちょっととかで
30年とかで言われてきてるかなと思ってて
そういうことを考えたときに
そもそも人間って
意志弱くないっていう前提で
考えてみたらこのあたりで書かれていることって
アップデートの余地があるのかな
みたいなことは思ったんですよね
スピーカー 2
確かに確かに
だから今の行動経済学的なところを
盛り込むと
今の俺の省令も説明できるのかもしれない
スピーカー 1
そうそう
スピーカー 2
説明できるのかもしれないし
多分二階の意欲説だけだと今の自分の省令を説明できないじゃん
スピーカー 1
そんな気がする
スピーカー 2
二階の意欲ぶりだじゃん
一階側から覆されてるじゃんってなってるけど
それはどう説明するのかなみたいな
疑問に思った
スピーカー 1
そうね
あとここでは取り扱われてないけど自由意志あるなし問題
みたいなやつもさ多分今もうちょっと
なんていうか
なんていうんですか
脳科学っていうのかね
脳法の知見でもちょっとアップデートがあるだろうから
そのあたりでも前提変わるのかな
と思ったしそもそも意志の良い
弱いみたいなことを議論すること自体があんまり
リーズナブルじゃない可能性もあるかな
意志の弱さと二階の意欲説
スピーカー 1
とかそこも見えそうだな
とはこのあたりの議論を見ながら思いましたよね
スピーカー 2
確かにね
スピーカー 1
そうね今ちょっとね意志の弱さのところに
ズバッと
言ってくれたと思うんですけどこの意志の弱さっていうのが
実は
この二階の意欲説に対する
二つの批判のうちの一つなんですよね
スピーカー 2
はいそうっすね
スピーカー 1
これがなんかこの章の後半で紹介されている
ところで二つ批判があるということを
言ってて批判の一つは
今出てきたように二階の意欲説っていうのが
意志の弱さを適切に扱えないんじゃない
みたいな話が
今の山上くんが言ってくれたところに
関連するところですと
もう一個が二階の意欲って言ってるけど
なんで二階がそんなに特別視されてるの
みたいな批判もあって
これもなんか僕結構面白い議論だなと思って
これ面白いよね
つまり二階って言ってることが
一個メタなレイヤーって意味だと思うんだけど
これを二階三階四階と
どんどんどんどんメタなレイヤーに
上げていくことできるじゃんみたいな
その時になんでこの二階だけ特別視されてんの
みたいななんかそういう批判があるよね
っていうのがあってこれ面白いなと思って
スピーカー 2
今これN階でいいじゃんって話でしょ
スピーカー 1
そうそうそうN階の
欲求があると必ずNプラス一時の
意欲ってのが出てくるじゃんみたいなね
そうそうそう
必ず一個メタに上がるじゃんみたいな
スピーカー 2
そういうことを言ってるんですよね
なんで二だけって話にあるんだよねこれね
スピーカー 1
そうそうそうでここに対する応答が
すっげえ分かりづらいんだけど
スピーカー 2
僕はこれ結構面白いなと思って読んで
スピーカー 1
これは忘れたよ
書いてた通り読むと
二階の意欲に対する決定的なコミットメントによって
自身を一階の欲求と
同化させることができれば
無限上昇を避けられるって言ってるんですけど
何言ってんのって感じだよね
スピーカー 2
これ最初読んだ時さ
あーなんか
年狂ったというかさ
どうしたって思ったけど
スピーカー 1
数学の問題にしないでよみたいな感じで
自由落下と演奏の自由
スピーカー 1
そうそうそう
スピーカー 2
数学ってかなんか
スピーカー 1
いきなり概念的なもんぶち込むみたいな
確かに
決定的なコミットメントとかいきなり出てくるんで
なんかおやおやって思っちゃうんですけど
これなんかすごい
シンプルに言うとさっきの
山上くんが言ってたさ
ビール飲みたいみたいな一番定時の欲求
っていうのがいろいろあるよねと
ビール飲みたいもそうだし論文書きたいもそうだし
そこに対してそれを
ある種どっちがいいかみたいなさ
複数の欲求に対して
傾斜をつけるのが
二階の意欲なわけじゃん
という説明によれば
その二階の意欲に対して
この二階の意欲でいくんだみたいなことを
もう自分の中でめっちゃこう
決めて
この欲求で行動しますみたいなことが
めちゃくちゃどうかされてる
っていう風に言うけど
どうかしてるともう別に二階で十分じゃない
要は一番定時のところに
一番近い意欲が
説明してるから
それでもう十分じゃないみたいな
スピーカー 2
そんなことなんだよね
でも多分一本貫くみたいな
バベルの方は一本ポンって貫いてる
そういうイメージで俺は読んでた
スピーカー 1
はいはいなるほどね確かに確かに
一番定時の欲求と
一番近いやつが強力だったら
それでもう十分じゃんみたいな
そんなことなのかなと思って
よくは読んでたんですけど
そうそうそう
これが実は
冒頭の問いにもあった
自由落下のメタファーみたいなやつ
とめっちゃ重なるな
と思ったのよ
というと
つまり自由落下って
二次関数に
完全に従ってる状態の
落下を
自由落下って言うわけじゃないですか
そのルールに完全に
従ってる時に自由だって
言ってるわけだよね自由落下っていうのは
でその
自分の決めたルールに完全に従ってる
時自由だみたいな感覚は
この二階の意欲に対する決定的な
コミットメントっていうのと結構なんか
対応する関係にあるんじゃないかと僕は思ってて
それ面白いね
つまり俺はこのルールで行くんだって
決めてそのルールに自分を
同化させてそこに従い続けてる
状態は自由だって言ってるわけでしょ
スピーカー 2
フランクファートは
スピーカー 1
だから自由落下の場合に
ちょっと特殊というか
自由落下の場合はどのルールに
従うかみたいな選択肢はないので
そこにそのメタな
二階の意欲レイヤーでの
自由落下の場合はないんですけど
そうじゃなくてこのルールに従って
完全にそのルールに従っていくぞ
同化してるぞっていう時
なんかめっちゃ自由だみたいな感覚は
スピーカー 2
めっちゃわかると思って
前回の収録で話したさ
ピアノとかやってきて
最初は譜読みしてたけど
ピアノってある意味楽譜っていう
すごい不自由な中で踊ってるわけだけど
その譜読みを極めていくと
なんかすごい自由に表現できるようになる
それも音楽ピアノ楽譜と同化したって
スピーカー 1
そうそうそうそうそう
そうそうその通りまさにその通り
譜読みの中にさ
なんかなんだっけ楽譜の一番最初にさ
なんか一言書いてあるじゃん
イタリア語でアダージョ
スピーカー 2
ゆっくりに
スピーカー 1
のびのびと
なんかあれってさある種
二階の意欲みたいなことじゃん
スピーカー 2
こういう風に弾こうぜみたいな
スピーカー 1
こういう風に演奏しようぜ
みたいなこと書いてあって
分かったってインストールして
その状態で
譜読み通りに弾いていくっていうのが
多分演奏するってことだと思うんだけど
これなんかすごい自由なんだよね多分ね
スピーカー 2
動かして自由を得るっていうのが
ピアノの演奏っていう行為なわけだ
いやそうそうそうそう
スピーカー 1
これはなんか結構面白いなと思って
でなんかその譜読みのケースと
セットで行くと
すごい有名なピアニストでさ
グレングールドさんって人がいるの知ってる?
スピーカー 2
知らない全然
スピーカー 1
グレングールドってすごい
天才ピアニストって言われてる人で
バッハのゴールドベルグ
編奏曲っていうのを
若い時と晩年に
2度リリースしたっていうので
すごい有名な人なんですけど
スピーカー 2
全然知らなかった
スピーカー 1
ちょっと脱線するけど
話は面白いので説明すると
その人はすごい天才なピアニストで
鼻歌歌いながら演奏する人なんですよ
すごい素敵なんだけど
ピアニストとしてのキャリアを
登り詰めていけば
行けば行くほど
演奏を聞きに来るお客さんが
自分が失敗することを期待してるような
気がするみたいな観念で
囚われ始めるんですよ
それで人前で演奏するのはやめた
って言ってスタジオレコーディングだけで
世の中とコミュニケーション取っていく
っていう風にある時点から
舵を切っちゃう人なんですよ
それもめっちゃ面白いんだけど
ルールから外れるのを期待されてるみたいなことなのか
ちょっと思っちゃうけど置いといて
そのグールドさんが
やったのは
そのバッハのゴルドベルグ編奏曲ってやつは
要は編奏曲なんで
グレングールドの自由な演奏
スピーカー 1
一個のテーマをいろんな
解き方で弾いていくっていうのが
パッケージなわけですね
編奏曲っていう組曲自体は
その編奏の仕方みたいなのが
面白いんだけれど
若い時に
演奏したもののテンポと
晩年に演奏したもののテンポが
半分くらいになってるわけ
半分に過ぎかな大分ゆっくりになって
するんですよ
それがね
これまでの
不読みの解釈だと絶対にありえなかった
っていう演奏をして
それが金字塔になるんですよ
グールドさんのスタジオアルバムで
それすごくいいんでぜひ聴いてほしいんですけど
その
その晩年バージョンのやつは
全然違う
さっきのなんだっけ
右上左上に書いてあるさ
こういう風に弾いてねっていうやつを完全に無視して
自分が決めた
自分の決めた2階の意欲に従って
演奏したバージョンなんだけど
それを聴くと
すげー自由だなって思うんだよね
スピーカー 2
外から
スピーカー 1
この解釈を自由だみたいな
完全に同化してるわけ
これはフランクファーとか言ってる
その2階の意欲っていうのを
演奏に適応するっていう
パターンなのかなって
スピーカー 2
決心的なコミットメントがあったってことね
スピーカー 1
そうそうそう
意志を持ってこういう演奏をするって
やってる感じみたいな
スピーカー 2
その若い時のアレグロ
っていう楽譜に従って弾くってことが
彼の2階の意欲だった
2階の意欲が変わったっていう解釈もできるよね
スピーカー 1
確かにね確かにそういうことも
言えるかもしれないね
いやー確かに面白いね
2階の意欲が変遷していったことによって
スピーカー 2
自由を獲得したみたいな
クレングールさんは
常に楽譜と
同化はし続けたけど
2階の意欲が変わったから
演奏のリズムが変わったっていう
そういう解釈をすると
スピーカー 1
面白いかもしれないね
そうね
そうなった時にさっきの
2階の意欲の
なんで2階の意欲が
特別にされるべきなんですか
っていう批判に対する
応答今のね
コミットメントっていう応答と
そこに対する修正2階の意欲説っていうのが
この本では紹介されてるじゃない
あるねあるね
この修正2階意欲説を
読んだんですけど
これハードル高すぎません?
っていう疑念が実はその後出てきて
スピーカー 2
あの
あれでしょ 読んでこれ
これ以上検算を繰り返しても
結果は変わらないと思うぐらい
同化してないとダメってことでしょ
スピーカー 1
そうそうそう
2階の意欲説はもともと
2階のある恋が自由であるためには
後者が2階の意欲と
調和しないといけないよみたいなのがもともとの2階の意欲説でした
海底版2階の意欲説は
ある恋が自由であるのは
後者がコミットする2階の意欲と
調和してるっていうのが必要で
その時のコミット条件みたいなのがあって
コミット条件が2つあって
1つは後遺者は食器を自分自身のものとして
同化する決断をしないといけない
つまりこれは俺はこの2階の意欲に
合わせて
この2階の意欲を採用するんだみたいなね
強い同化の決断が
必要だって言ってるんだよね
後者がこれ以上考えても考えても考えても
この決断にくすがらないと
判断してるって時に2階の意欲説
自由だよこの人はみたいな
そういう風に修正するんだけど
今のグールド
パターンを考えるとむしろ
そこがなんか変動できることの方が
自由ではみたいな
スピーカー 2
感覚もあるし
さらに修正必要だねだって今の
本で言う修正の2階の意欲説だと
グールドさんは自由じゃないってことになっちゃう
2階の意欲が変遷しちゃってるから
普通に言う
ってことになってしまうね
スピーカー 1
そうなんですよそうなんですよ
これはなんかちょっとどうなのっていうところもあるし
かつそもそも
この決断をくすがらないと
判断できるほど
自由の定義と人間観
スピーカー 1
人ってなんか資料深く行動するだろうか
みたいなことも
素朴に思うし
こんなハードルの高い自由って
スピーカー 2
めっちゃ大変じゃないみたいな
しかもこれで言うとグールドさんが
晩年ならまだわかるけど
早いうちにさあその合理的
この決断はくすがらないと
判断はできないだろう多分
だから晩年になるまで
自由を得ることはできないって結論になってしまいそうだね
スピーカー 1
これだと
そうね確かに確かに
そう考えるとやっぱり
このあたりの人間感というか
フランクバートの人間感は確かに面白くて
ウォントンみたいなやつとの
対比で人間を捉えていくのは
確かにって思うところもある一方で
なんかこの
超理性的な
そしてなんかこうスマートな
合理的な人間感っていうのは
なんか近年のなんていうか
知見を動員するとなんかちょっと否定され
うるのではってちょっと思ってしまうよね
この超ハードル高い
スピーカー 2
自由の定義を考えると
かなりフランクバートさんの主観も入ってしまってるよね
スピーカー 1
このフランクバート説に
そうそうなんかなんていうか
適切な例かわかんないけどちょっと
カントさんっぽいっていうか
なんかその理想的なものを
なんかすごい求めてる人
みたいななんかそんな感じを
スピーカー 2
愚動者的な強さがあるってこと?
スピーカー 1
すごいなんかその啓蒙みたいなの
すごい相性よさそうみたいな
スピーカー 2
はいはいはい
スピーカー 1
いいものとはこれであるみたいなことと
すごい繋がってるっていうか
やっぱ価値観が一定あるタイプの
人なのかなっていう感じを
思ったりしますけどね
つまりその意味でフランクバートさんは
自由なのだろうかっていうかすごい不自由な考え方を
教えていただいて
なんかちょっとそんな感じもありますけどね
スピーカー 2
全部読み終わった後に
フランクバートが自由なのかって議論をちょっと
スピーカー 1
一本取ってみたら面白いかもね
スピーカー 2
確かにねすごい面白い
自由のモデル
スピーカー 1
いやあのそんな感じですよね
これでだいたい2章のポイント
全部見たかなって感じ
なんかどうですかなんか漏れてるやつ
スピーカー 2
あるかしら
いや一通りでもさらったんじゃない多分
スピーカー 1
いやなんかにしてもあれだね
この2回の翌節は結構
論争を巻き起こすし
でもだからそんだけ
ポテンシャルがあるっていうか面白いんだよねやっぱりね
スピーカー 2
言ってることが
考えとしてはめっちゃ面白いよねこの2回の翌は
スピーカー 1
私なんかちょっとわかるとこあるんだよね
そうそうそう
そんな完全に違うっていう感じじゃないというか
確かにって思う部分がある
っていうのがやっぱりちょっと魅力的なところで
そう
それ故にこの修正版2回
翌節のハードル高すぎる問題を
何とかできないかしら
そんな気持ちになりますよね
スピーカー 2
で今思ったけどこの自由ってのはさ
こんなふうに言ったら身も蓋もないけど
個々人による自由があって
2回の翌節は正しいものとして
あと微妙な修正は個々人で加えていく
っていうスタンスが一番自由なんじゃないかなみたいな
スピーカー 1
まあな
スピーカー 2
それを言ったら身も蓋もないけどな
そうそれを言ったら身も蓋もないね
スピーカー 1
そうなんだよね
そうね確かに
だからちょっとここで困っちゃうのはとはいえ
僕らがこの本を読み進めていく上で
前提としている自由っていうのは
一つ目のモデルであった
多行為可能モデルっていう
要は他の行為そうしないことはあり得たか
ということが担保されているかしら
っていう観点での
自由モデルが一つと
もう一個はそれで回収できない部分を
フォローしようとして出てきた
自由の厳選性モデルっていうつまり
自分の中の意欲にちゃんと従っているかしら
っていうそういう観点での
モデルとこの2つを基に
自由とそれから決定論の
共存可能性を探っていくみたいな
そんな本になっていくよ
スピーカー 2
っていうことですよね
一応この2個のモデルで一応自由はすべて
ほぼ包含できるっていうそういう
スピーカー 1
解釈でいいんだよね
次のステップへ
スピーカー 1
そうねこれなんかちょっと2章の途中に書いてあったけど
あれだよね多行為可能モデルと
それからこの厳選性モデル
っていうのは別に排他的な
関係じゃなくて両立可能だよみたいな
そんな言い方がされてましたよね
だからまあ
もしかすると他のパターンが出てくる
っていう可能性は今後ないとは言えない
けれどまあこの多行為可能性
モデルと自由
多行為可能モデルと厳選性モデルの
両面両取りをしていけば
まあ何か何かしらの説明は
できるんじゃないみたいな
そんな感じの説明になってる
ということですね
スピーカー 2
そういうことですね
スピーカー 1
いやーこれは
だからインプットフェーズとして
これだけ疑問が残るのが
領所なのかどうなのか
ちょっとよくわかんないんですけど
でもなんかディスカッションする
ネタとしては面白いよね今回の
この説はね
スピーカー 2
ここから自由と決定論の
両立に関する
議論を進めていくわけだけど
まだ自由が我々の中で定まってないけど
どう進めていくかっていうのがまた面白さだよ
スピーカー 1
いやそうですね
スピーカー 2
ブレ玉のまま進んでいくっていう
スピーカー 1
このなんか違和感を
埋めれるように自由を定義
することができるんだったらそれはそれでね
すごい意味があることかもしれないですしね
確かにね確かにね
そんな感じの一生
スピーカー 2
ということでした
スピーカー 1
コートラジオ
はいということでエンディングでございます
お疲れ様でした
スピーカー 2
お疲れ様でした
スピーカー 1
いやここも何度も
繰り返しになっちゃいますけど久々の
特集ということで
なんか本編
特集の本編がマジで久々だったよね
スピーカー 2
今回ね
スピーカー 1
本当だね前は序章だったんだけど
そうそう
スピーカー 2
お疲れ様でした
俺もね
ウィントさんもかなり台本大変だったし
俺もね多分今回
今までの特集スリーズで一番
読み込んできたというか
あの
オブシリアンを使ってまとめノートを
使っていたところが今までで一番
山上的には違うところだもん
スピーカー 1
確かに確かに
ちょっとなんか行ったり来たりが
少なかったですよね
スピーカー 2
今までの特集会で
俺がよくやってた先出しして
ウィントが
原稿先言われて焦るみたいな
パターンはやらなくなった
気がするオブシリアンで
自分を実践できるようになった
スピーカー 1
メモを
作ってるっていうのは結構デカい
スピーカー 2
そうそう
そうなんですよだから
メモを作ることによって
俺は自由に
喋れることができるようになったさらなる自由を
獲得した気がする
スピーカー 1
確かに
それはすごい大事なポイントだね
スピーカー 2
原稿と同化する
原稿と同化したら不自由だから
スピーカー 1
原稿に
従って進めよう
ということを
欲するみたいなことですかね
スピーカー 2
そうだねそういう
骨組みベースで進めよう
っていうことを同化すると
俺は自由に論を広げることが
できますよってことで
スピーカー 1
そういうことにしておこう
だからそうですね
久々で結構苦労しましたね
内容的にも結構
シビアな内容だったんじゃないかと思うので
そうだね
スピーカー 2
一生うまいことさーっと
流してくれたけど
一生でこれもしつっかかったら
一生だけでこの収録まれまれ終わってたな
ってのがちょっと
始まる前危惧してたけどさすが
まみんとさんうまいこと
スピーカー 1
しかしちょっとフランクファート劇場
でしたね
スピーカー 2
フランクファートが否定して
フランクファートが説を立ち上げてるから
そうならざるを得ない
スピーカー 1
もっと他のモデルの
可能性あったんじゃないかみたいなことは
気にならんでもないですけど
ここはまずは本書の
歩みに
寄せていきましょうという感じですね
スピーカー 2
とりあえずそのほうに沿ってね
スピーカー 1
ということでございまして
今回は1章と2章を読みましたというところ
次回は3章以降を
読んでいくという感じですけど
どこまで読むかは分量を見ながら
かなって感じですかね
3章から6章までが
自由と決定論の両立可能性ということで
本書で
扱うテーマの本丸になってくるよう
というところなので
ここをじっくり紐解いていきたいな
スピーカー 2
というところでございますね
3も結構長いんだよね
スピーカー 1
そうなんだよね
一個一個ちょっと骨太ではありますよね
ちなみにちょっとね
正立を見ていくと
決定論は自由の余地をなくすのか
っていうもうなんか
スピーカー 2
本丸いきなり
スピーカー 1
そこに続く4章が
私たちは操り人形に過ぎないのか
っていう話
決定論を受け入れるとなると
僕らの自由どこにあるのみたいな話だよね
あとは運の話が出てくるね
運は自由を脅かすかということ
ホットハンドもそうだし
運ってものが
その決定論ないしは
我々の自由にとってどういうふうに
作用するのかみたいな
そんなことを扱っているのが5章
スピーカー 2
すごいね第5章のタイトルに
運とリバタリアリズムって両方入っているのが
スピーカー 1
語らずよホイホイな感じの
そう語らずよホイホイの
前回の特集とそれから
前回ぐらいのホットハンドも
入ってます
そういう感じですね
このパートの最後が第6章
自由なき世界の可能性ということで
これはあれですね
序章に出てきた楽観的解議論
っていうやつが
ここで登場すると
自由もなくていい
決定論かつ自由がない
世界みたいなのが確かありましたよね
スピーカー 2
この辺もなんか
方角っぽいの刑罰とか
加害者とかそういう話になってる
スピーカー 1
まあそうなのよね
本当に罪と罰みたいな世界観だよね
全体的に
まさにナスが
そうだからちょっと
責任をなしにして
どこまで語れるのか
トライはしてみたい気がしますけどね
スピーカー 2
まあなんか次ぐらいが
3,4章ぐらいが山な雰囲気があるけどね
スピーカー 1
これなんか
そうねだから責任の話題は
実はパート3で最後に
責任の話題に
着地するっていう感じなんだけど
もしかしたらこれを見据えてるから
責任がちょいちょい出てくるのかな
どうなのかな
わかんないですけどね
ということでちょっと次回
3,4章読みながらかな
どこまでいくか
スピーカー 2
決める?
でも4章そんな長くないし
3,4ぐらいなんかね
スピーカー 1
まあ確かにねそうだね
だからその運みたいな概念
もしくはリバタリアニズムみたいな
非両立論の領域に
立ち入らない範囲で
一旦その決定論との
両立について考えてみるみたいな
そういう3,4章っていうのが
スピーカー 2
いいのかもしれないですね
スピーカー 1
そんな感じにいきましょうか
はいということで
ぜひぜひリスナーの皆様方におかれましては
この本を購入してね
一緒に聞いていただけるといいんじゃないかなと
スピーカー 2
ということで
スピーカー 1
一緒に読みましょう
読んでいきましょうということですね
ではでは今回の
特集そうしないことはあり得たかを言う
僕たちは自由なのかと
ボリューム2以上で
おしまいでございます
ではでは次回もお楽しみに
スピーカー 2
はいおやすみなさい
スピーカー 1
おやすみなさい
01:16:10

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