特集シリーズ第8弾「僕たちは自由なのか?」第2回の今回は、高崎 翔平『そうしないことはありえたか?』の第1章「そうしないことはありえたか?」と第2章「自由とは『自らに由る』ことか?」を読んでいきます!
「自由であるとはどういう状態なのか?」を知るためには「自由と決定論は両立するか?」という問いに答える必要がありそう。そのためにまずは自由という概念の輪郭を掴むため、自由を「他行為可能性モデル」、「源泉性モデル」の二つに分けて理解を深めていきます。
人間を人間たらしめるフランクファートの「二階の意欲説」とは?そしてそれがどのように自由と接点をもってくるのか?
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- オープニング: お久しぶりでございます
- 特集シリーズ: 僕たちは自由なのか?
📻カタラジオとは📻
ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。
🤝出演 🤝
ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。
ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。
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サマリー
このエピソードでは、自由の概念とそのモデルについて探求し、自由に関する哲学的考察が展開されます。高崎翔平の著書『そうしないことはありえたか』を通じて、自由と決定論の関係についての考察がなされます。また、自由の多行為可能性モデルやその責任との関連についても議論が行われ、フランクファート型事例を用いて自由に対する批判が紹介され、自由の概念の変化が探られます。 意志の選択と外的要因の関わりが明らかにされ、自由の定義と責任との関連性が探求されます。意志の強さと自由の関係についても議論され、責任の概念や多行為可能モデル、自由の厳選性モデルに焦点が当てられ、フランクファート型事例から生まれる哲学的な疑問が考察されます。 行為者の自由と責任については、意志の弱さや二回の意欲と一回の欲求の関係についての議論が行われ、ウォントンという概念を通じても考察が進みます。また、自由であるために必要な意欲の層やコミットメントの重要性が探求されます。さらに、ピアノ演奏を通じて自由と制約の関係が考察され、名ピアニストグレングールドの例にも触れられます。 自由に関する議論が展開され、フランクフルトの思想や合理的選択が私たちの自由にどのように影響を与えるかが考察され、特に多行為可能モデルと自由の厳選性モデルという二つの模型を通じて、自由と決定論の共存可能性が探求されます。最後に、自由の二つのモデルを通じて、意志の弱さがもたらす不自由さが探られます。