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2026-01-29 19:37

自由の袋小路 - CATALRADIO SHORTS #074

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自由と決定論は両立するのか?を主題に進行する「両立論」と「非両立論」のあいだの論証合戦に食傷気味の二人。この議論の先に出口はあるのか...。


果たして僕らが語りたかった自由とは?


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📻カタラジオとは?📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.youtube.com/@catalradio⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。

サマリー

今回のエピソードでは、「自由」という概念の定義や議論が行われています。選択の自由や意識と無意識の関係について考察され、それが人々の理解や表現に与える影響についても議論されています。また、ウォントンの自由に関する見解や、仕事などの制約が自由の概念に与える影響についても話されています。さらに、自由が存在しないという立場についても触れられています。

自由の概念の探求
スピーカー 2
カタラジオショーツ! おつかれさまでした。
スピーカー 1
今日はそうしないことはあり得たかので、第3回のアフタートークでござい ますということでございます。おつかれさまでした。
いやいやいや。 袋工事だよこれは。
スピーカー 2
本当だね。すごく狭いとこでぐるぐるぐるぐる回っちゃってる。 まあまあ袋工事か。
スピーカー 1
うん。 同じ言葉を別の言い方で言ってきましたけど、
今回のこの第3章はまさに、いやあれ非結論 章だ、両立論だ、非両立論だとやってますけど、
その人たちがみんな同じことについて別の角度から別の定義で喋っているだけじゃないかっていうのがね、
特集本編のある種の結論だったわけです。
スピーカー 2
そうなんだよ。同じ穴の無地のあたちの共演を見てる気分だよ。
スピーカー 1
いやそうなんだよね。これなんか何が問題なんだろうなって思うんですけど、
なんなの?彼らはそんなに小さな自由について語りたいのかしら?
なんかそこがねめっちゃ一番の疑問だった。
スピーカー 2
本当だよね。だからそもそも我々と、この今回出てきた人たちの向いてる方向が違う可能性があるよね。
スピーカー 1
いやそうなんだよね。なんかさ、自由という言葉の広がりってなんかもっとある気がしてて、
今回の特集タイトルにもなってるけど、選択の自由っていう風に言うんだけど、
なんかさ、選択する瞬間にしか自由を感じないのか、お前はみたいな。
なんか根本的に言うとそこかなって思ってる。もうなんかもうしゃぶ台返してんだけどさ。
スピーカー 2
いやでもそうなんだよ。なんちゃらの自由とかさ。自由に必ず枕言葉付きがついちゃう。この本。
しかもこういった広い可能性モデルのもとでの自由とかさ。
もう仮にそれが証明されたとて、このデカいパズルの一ピースが生まれるだけというかさ、
穴埋め的研究になっちゃうというかさ。あんまりこう、対極的なエポックメイキングな結論は出せないんじゃないかと。
スピーカー 1
いやーそうね。っていうのはなんか文外観の我々だから言える話なのかもわかんないけど、
でもなんかもっと大らかに自由を語れるはずなんじゃないのっていう気はするし、
なんかその、なんて言うんだろう。その一般的なと言うとちょっと語弊があるかもしれないけど、
意識と無意識の関係
スピーカー 1
いや自由って言った時にみんなが想起するものの、なんか1%ぐらいしかなんか対象になってないじゃん。この議論は。みたいな感覚にはやっぱなるよね。
スピーカー 2
そうなんだよ。この自由に関して議論した時にさ、できるという表現に関して誰が反応するかって話だよ。そんなこと誰もね、一般の人は思わないわけで、やっぱりこう研究者たれものさ、
主情に還元するというかさ、そういった自由の概念を還元してほしいものでさ。
スピーカー 1
いやーそうね。そうね。だからそういうなんか意欲的な研究をしようと思っても、なかなか今は緻密にやらなきゃいけないから難しいとか、そういう事情もあるのかもわかんないけどね。
スピーカー 2
まあ果たして自由っていうのはさ、研究対象として適切なのかというか、研究できるのかっていう議論もあるよね。
スピーカー 1
ああそれは確かに面白い論点ですよね。
スピーカー 2
今回はこの自由っていうのをさ、多行為可能性モデルとか厳選性モデルとかでさ、定義して、で我々はそれに対してさ、自由をこういうふうに狭めちゃってよとか言ってるけど、
結局ともとも我々も自由を、どんな自由について語りたいかがあんまり定識ができてないところがあるからさ。
スピーカー 1
ああなるほどブーメランだったって話ね。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
ああ確かに。でもそれちょっと今日この残りの時間で喋ってみてもいいかもしれないね。
スピーカー 2
ああそうだね。だからとりあえず一回こう軌道修正というか、我々のこの位置確認、果たしてこうどんな自由について語りたいのかを語りましょうか。
スピーカー 1
おおいいいですね。意欲的。
スピーカー 2
そう意欲的自由。
スピーカー 1
でもなんかそのちょっと思ったのは、この自由を語っても仕方がないなってやつはなんか見えてきた感じじゃないですか今回。
わかる。消去法的に今生き残ってる自由っていうのが今輪郭が見えてきた。
いやそうそうそう。これちょっとヒントはさっきチラッと言ったんだけど、なんかその自由という言葉と選ぶこととか意思決定することっていうものの距離感がなんかすごい近いなと思ったのよ今回のこの議論って。
スピーカー 1
うん確かに。
でもよくよく考えてみると生活する中でさ、なんか明示的に意思決定します。私は今、私はという主語で喋ろうと決めましたみたいな瞬間ってなんかあんまやってこなくないと思って。
そうだね。
ラーメン食べようかお好み焼き食べようかみたいな瞬間は確かに選んでるな俺って思うじゃん。だけどさなんか今、俺っていう主語を言ったけど、私っていう主語を言ったよねさっきはこれはすげー意識的に選んだものだよねみたいな、なんかそういう時になんか私は選択してるなとか、私は私という主語を使うことを意思決定したなとかなんか思わないなと思って。
スピーカー 2
思わない思わない。日々選択してるはずなんだけど選択を自覚はしない。
スピーカー 1
そうそうそう。でもなんかその時にさ、思わないからこそすごく自由に喋れてるなっていう感じがするんだよ。
スピーカー 2
だからそれだから結局最初に語った時間数のあれじゃないけど、実は肩にはまってるけど肩にはまってることを気づかない瞬間が一番自由だっていう。
スピーカー 1
そうそうそう。つまり何ていうの、ムカデがどの足から順番に前に出そうかみたいなことを多分考えて歩いてないだろうなーみたいな想像って容易にできるじゃない。
スピーカー 2
そうだね。
だけど彼らは多分そういうことをいちいち考えないから自由にさ、前に行ったり右に行ったりできるわけで。
スピーカー 1
まあ今日出てきたさ、それこそ傾向性の束みたいなやつってさ、一個一個の意思決定のステップに傾向性があるよねみたいな、そういうなんかね、くだくだとさ細かな議論やってたけどさ、そんなことやってたら歩けねえよみたいなのがさ、多分ムカデの意見だと思うんだよ。
スピーカー 2
まさにというかムカデというか俺らもさ、ピアノを弾いたことあるってかまあギターやってるから。で、ある程度覚えてきたらさ、勝手に指動くじゃん。
スピーカー 1
そうね、これ一番最初に話してた議論だよね、これはね。
決定論と自由の関係
スピーカー 2
そう。で、追加の情報として、自分が次何の指を動かすかってことを意識するとさ、指動かなくなるんだよね。
スピーカー 1
いやそうなんだよ。
スピーカー 2
わかんなくなったみたいな。で、それって原理で言うと、小脳系から大脳系に移行するかってことだと思うんだよ。意識の樹利音のように明確に説明されてて、やっぱり同じことを何回も練習すると、その行為の過程自体が全部小脳に組み込まれて、何も考えなくても小脳からのアウトプットで体が動くようになると。
スピーカー 1
つまりその身体の運動を司っているのが小脳だから。指の運動だった奴が思考に変わっちゃった瞬間につまずくってことだよね。
そうそうそう。で、大脳に行くと自由になっちゃう。となると、人間の脳っていう観点で言うと、小脳系で動いている人間が自由なんじゃないかっていう話にならない?
なるほどね。これはだからフランクファウトの二階の意欲がいいとこついてるなっていう話とセットになるところだと思ってて、つまり小脳系である種動物的に自らの欲望のままに動いている奴が仮にいたとして、そいつの行動がもしかすると人間的にはまあ褒めたもんじゃねえみたいな行動になる可能性があるわけじゃないですか。
そうなってるのが自由だっていうことなのか、そうじゃないことが自由だってことなのか、どうなんだろうねみたいな議論はなんか僕は結構今までの議論と今山上くんが指摘してくれたやつの接続ポイントになるなってちょっと思うかな。
スピーカー 2
大脳は二階の意欲を形成するわけじゃん、多分こう思考する脳だからさ、大脳っていうのが二階の意欲を形成して、小脳が要は一階の欲求みたいな、一階の欲求というかまずそのアクションみたいなのをするわけじゃない。だから大脳と小脳が統合されるというかさ、その大脳と小脳がうまくリンクすることこそが人間が自由を感じることなのかもしれない。だからもう情報統合理論じゃない?自由って。
違うか。
スピーカー 1
でもそこはこの本であんまり明確に議論されてないけど、すごい可能性があるというか、面白いなと思うところでいくと、情報統合理論はなんで情報統合理論なのかっていう話でいくと、あれ意識の話だったよね。意識がどういう作用をしているのかって話じゃん。
多分今の小脳の話は意識じゃなくて無意識というか、潜在的な活動というか、意識しなくても動く部分、オートメーション化されている部分みたいな話だったよね。
でもこれはカーネマンのファストとスローの2つの回路の話としても多分、システム1とシステム2としても多分なんとなく対応関係にあるのかなと勝手に想像するが全然違うかもしれないけどちょっと分からない気がする。
なんかその符号があるなっていう感じがあるけど、確かにそこの2つがちゃんと両輪で回るようになっていることが自由なのだっていうのは、フランク・ファートの2回目翼説と実は共通する部分かもしれないね。
スピーカー 2
要はファイが高い、ファイって覚えてる?情報が統合されている値のことをさ、ジュリオ・トノーリに対してファイで定義したけど、ファイが高いっていうのが実はこの本における自由度が高いとリンクしてくる可能性があるんじゃない?
スピーカー 1
まあありそうだね。ありそうだが僕が最近読んだ知見だと、ジュリオ・トノーリの情報統合理論はなんかデタラメだみたいなことを言われてましたけどね。
ギャー。
試行実験の材料としてはすごい面白いね。
それ言うならもうむしろ今読んでる本なんてもう試行実験の極みみたいなことだよね。
まあそうだね。なるほどなあ。でもそう考えていくと、いやマジですごいノイズだなと思ったのは、まず決定論ね。別に僕ら決定論の話をしたいと思ってないよね。
スピーカー 2
それはそう。最初の始めに読んでる時からさ決定論っていきなり出てきたけど何?って話になったじゃない。
スピーカー 1
確かにね。だから僕らが話したかった自由は決定論と両立するかしないかみたいな話とはちょっと違うところにあるよっていうのがたぶん一つ目だね。
もう一個は自由は責任の有無によって規定されるのだみたいな論調っていうのが結構強くあって、特に自由のモデルを定義するときのね、緻密なやり取りの中に結構出てくるんだけど、そうすると責任がなくなっちゃうじゃないかみたいなことをヒッシャーが書いてるようなくだりがあったりするんだけど、別に責任なくなったっていいじゃんっていうのが僕らのスタンスの二つ目。
スピーカー 2
そう、そこにも興味ないんだよ。責任の所在を明らかにしたいわけではないっていうのは明らかだよ。
スピーカー 1
そうだよね。だからつまり決定論と責任ってちょっと近いところにあると思ってて、つまり他の選択肢がなかったら責任は生まれませんみたいな話が出てきたじゃない。
あのなんだっけ、お金を返そうと思ったらカツアゲされたみたいな例があったけど、つまりお金を返せなくなっちゃったから、返すって選択ができないからその人には責任がないように感じるみたいな議論があったけど、あれは多分多項多い可能性の中で責任がどうやって立ち上がっていくのかっていう議論じゃない。
あそこで言ってる自由っていうのは僕らにとってはそれはそうだろうみたいな感じで、それは不自由だよなって感じじゃん。だからあのことを言われてもさ、いやいやいやいや自明じゃねみたいな感じになっちゃうじゃん。
だからこれさらに今回の話の内容がさ、この多項多い可能性の話がさらに最終的に責任に着地させるとしたら、いよいよ我々が興味ない着地に向かってしまうなというシグを抱えてる。
いやこんな事態は初めてじゃないですか。どうするんですか。
とはいえこのウォントンとか二階の意欲とかそっちの方に俺は割と可能性を感じてるとか、そこはね俺まだ自由の議論の自分の中の興味としては生き残ってるな。
そうだよね。だからウォントンはなんかこう自由じゃないというか、自由の失敗というか一階の意欲に従っちゃったろくでもない奴みたいな感じにこの本の中ではなってるけど、ウォントンとかウォントンのように振る舞う自由さもあるんじゃないみたいな議論の方が実は面白いよね。
スピーカー 2
確かに確かに。なんでウォントンが自由じゃないのっていう話だよね。
スピーカー 1
そうそうそうウォントンはなんか人間っぽくないみたいな感じをさ、なんかやろうとしてるじゃん。でもなんかあそこで想定されてる人間像ってなんかちょっと前時代的というかすごい理性的でなんか賢くってピシッとしてるジェントルマンみたいな感じだと思うんだけど。
ウォントンと自由の概念
スピーカー 2
だってその意思の弱いやつを説明できないような人間像を描いてるわけだからその時点でもはやウォントンが自由である道理はないけどこの本の中ではね。ただ一般的に見たらウォントンは自由に見えちゃうよね。その時点で結構世間一般、我々を含む世間一般とこの本の議論には結構乖離があるんじゃないかと。
スピーカー 1
そうだよね。そのあたりはすごい面白い。それこそ例えばさ、今日は仕事があるから自由にテレビ見れないわーみたいなことを言う人がいたとして、そこで言ってる自由にテレビを見るっていうのはウォントン状態になるってことだよね。
スピーカー 2
そうそうそうそうそう。
スピーカー 1
仕事とかの制約から解き放たれて。
そうそうそう。
欲望のままに生きたいのだっていうのが、そこで言われてる自由のことだよね多分ね。
スピーカー 2
それがこの本では不自由と定義されてしまうっていう。
スピーカー 1
もしくはその二回の意欲を持ってない。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
なんかその真人間じゃねえみたいなことになっちゃうんだよねこの本だとね。
スピーカー 2
自分の平さゆえにそういう当然獲得すべき能力を持ってない人みたいなの書かれてるよね。
スピーカー 1
いやそうそうそう。だいぶひどい言い方をされてるっていうねウォントン。
スピーカー 2
何もそこまでおっしゃらなくてもって。
スピーカー 1
そうね。私なんかもうちょっと言うと、大半の人間にとってウォントンから脱するような二回の意欲を積極的に持つみたいなことが、
どれくらい明治的に行われてんのかなっていうのは結構疑問じゃん正直なところ。
スピーカー 2
ああ確かにね。そういうの持たない人もいそうだもんね。
スピーカー 1
例えば具体的に俺はこうありたいから俺という種語を使うみたいなことをさ、思ってる瞬間もあるけどなんか大部分忘れてないみたいなことがあったときに、
そのときの二回の意欲ってすっごいハードル高い定義だったじゃん前回の話だと。
なんかこうめちゃくちゃコミットメントしてて、なんかもう二度とそれじゃない選択肢にはならないぐらい確信を持ってるみたいなさ。
超ハードル高い定義があったじゃないですか。
スピーカー 2
あったあった。真にコミットメントしてるみたいなやつでしょ。
スピーカー 1
そうそうそう決定的なコミットメント。
そういう人間像の方がなんかむしろ不自由じゃないみたいな。
そうだね。
のがなんか僕らの感覚的なところにありそうだよね。
スピーカー 2
このウォントンの話ですらそのミートさんもさっき言ってたけど選択してるんだよ。選択っていうところにおける自由で。
自分もウォントンであるときとウォントンじゃないときあるけど寝てるときとか絶対ウォントンありえないというかさ。
寝てるときって二階能力を発現しえないじゃない。
スピーカー 1
寝てるときの自由を説明できない時点でこの理論は破綻してない。なんで寝てるときは覗くんだよって話になるじゃん。
スピーカー 2
それはまた変数が増えるから大変だけど。寝てるときは自由なのかとか色々ちょっと疑問は湧いてきますけどね。
自由の存在と決定論
スピーカー 1
言いたいのはかなり限定的な自由の議論になっちゃっているなという話だけどね。
確かに。いやいやいやこの辺は極めてきましたが。次回はこれ4章読むでいいんでしょうかね。
そうそうしましょうよ。とりあえず4章いこう。
そして5章6章のことを考えると実は決定論から脱出していくんだよね。この本は徐々に。
みたいなところもあるのでちょっと様子見ながらかなという感じはありますけれど、どっかで本質的に僕らが話したい自由のところに突っ込んでいってもいいのかもしれないなという感じはありますね。
スピーカー 2
また出会えないでも鍵じゃないかねこの本の後半で。
スピーカー 1
そうそうそう。しかしねパート3がねまた石林の話が出てくるからね。
パート3もしかしたら飛ばして別の書籍に移るというのも手かもしれないなという感じはありますよね。
スピーカー 2
パート2を全部終わらせて。
スピーカー 1
そうちょっとそうだね。今このタイミングで軽く紹介しておくと、第4章はさっきも紹介した通りで、
厳選制モデルと決定論の両立可能性について議論すると。
第5章はあれなんですよ。運の話だね。が出てくると。つまり非決定論の話が出てくるということですね。
決定論の世界じゃないよっていう前提だとしたらどうだろうかという話だね。
最後第6章が楽観的解議論というのが出てくるんですけど、これがそもそも自由じゃなくてよくないっていう議論ですね。
一言で言うと。自由は存在しないっていう立場の人たち。楽観的解議論と言うんですけど。
スピーカー 2
自由である必要がないと。
スピーカー 1
そうそうそう。なので決定論とか非決定論とかもはやどうでもいいというか。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
自由は存在しないですっていう立場。これは比較的サイエンス系の人たちにはこの立場を取ってる人も多いよねみたいなことがちょこっと書いてあったりするんですよね。
なのでもしかするとこれを読んだ時点で、いやいやもうなんか自由ないでもいいじゃんみたいな感覚になる可能性さえあるよね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
なのでもしかするとこっちの方がなんか僕らが興味を持ってるところに近いかもしれないね。
ということでまあだから筆者と問いの出発点が違ったねっていうのがシンプルな結論なのかもわかんないですね。
そりゃそうだね。
それをなんか筆者の責任としてキスのはちょっと申し訳ない感じはあるのでちょっとそこは断っておきたいなっていう感じですね。
スピーカー 2
まあでもこれをねまた糧にというか次の書籍にこう自由から自由へとこう自由に飛び回るっていうのはねありがたい。
スピーカー 1
そうですね。
はい。
ということでちょっとメタ的な議論になってしまいましたけれど。
はい。
今回は第三章読んできましたよというとこでしたね。
スピーカー 2
はいそうですね。
スピーカー 1
いやむしろこれ面白くなってきたと思った方が良さそうな気がするね。
スピーカー 2
うん。むしろこう混迷してきたっていうのが面白いよね。
スピーカー 1
いやそうね。なんかちょっと改めてこれ今回ショーツの方がなんか面白いんじゃないみたいな感じもあるね。
スピーカー 2
確かに前回収録も含めて結構ショーツで盛り上がるっていうパターンじゃないこれは。
スピーカー 1
いやそうだね感想を言った方がおもろいってやつだから。
スピーカー 2
そうあんまりこう本編でこうねこの本説と離れたような感想を言えないから。
スピーカー 1
そうだね。そうなんだよね。ちょっとそれは我々のフォーマットのアップデートの日差しがあるかもわからないですね。
スピーカー 2
なるほど。そうですね。
スピーカー 1
はいということで今日はショーツちょっと長めになりましたけどこんなところでしょうかね。ではではおやすみなさい。
スピーカー 2
はいおやすみなさい。
19:37

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