1. CAFEBAR いってらっしゃい
  2. #66 自己犠牲による親切はダメ
2025-12-12 08:11

#66 自己犠牲による親切はダメ

自分を犠牲にしての親切はいずれ破綻します。気になった人は是非お聴きください。マイクの調子が悪くて申し訳ないのですが、今日もお聴きくださりありがとうございます。皆さまにいいことがありますように。
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サマリー

自己犠牲による親切は持続可能ではなく、他人を助けることで自分が破綻することがあります。このエピソードでは、その結果、周囲に迷惑をかける可能性について言及し、持続可能な親切のあり方について語られています。

自己犠牲の危険性
ウィークデーの黄昏時、CAFEBAR いってらっしゃいへ、ようこそ。
マスターの一佐です。
ここは、仕事のこと、人間関係のこと、子育てのこと、恋愛関係のことなどで、
疲れた方が一休みしていく、ラジオ上のCAFEBARです。
今日もこのお店を出る頃には、少しでも元気になってくだされば幸いです。
今日は、仕事でもそうですけれども、プライベートでも、僕がよく思うというところなんですけれども、
自分を犠牲にしての親切、自己犠牲による親切というのは、なかなか持続可能ではない。
なかなかそれを続けていくのは難しくて、最終的には自分が破綻してしまって、周りに迷惑をかけてしまうと。
実は、自分を犠牲にした親切によって、周りを不幸にしてしまうというですね、
そういうパターンがあるということについてお話ししていきたいと思います。
僕自身、実は思い当たる節が結構あって、皆さんもそうなんじゃないかと思うんですけれども、
よく仕事で、自分も今忙しい、仕事が溜まっている、抱え込んでいるにも関わらず、
やっぱり自分の同僚だったりとか部下だったりして困っているのをどうしても放っておけなくて、
ちょっと自分の仕事は置いておいて、じゃあちょっと手伝ってやるよと。
もしくは代わりに俺が受け負ってやるよと。
ということで、まるっともらってしまったりとかいうことって結構あるんじゃないかと思います。
やっぱり僕も後悔しているのは、その結果自分の本来やらなければいけない仕事が、
やっぱりちょっと中途半端な形になってしまう。
もしくは、その納期とか履行の期限までに終わらない。
ということで、本来自分がやらなければならなかった、そっちの仕事の方で顧客だったりとか、
その仕事を期待していたお客様に迷惑をかけてしまう。
それによって会社とか組織に迷惑をかけてしまうとか、
そういう事故犠牲による犠牲にした部分で、ちょっと周りに迷惑をかけてしまう。
それがあだになって周りに迷惑をかけてしまうとか。
あとは、より極まったところで言えば、
自らを犠牲にしていろいろ親切にしてきた人が、結局その自己犠牲の部分で倒れてしまう。
自らを犠牲にしていろいろ助けてきた、親切にしてきた人が、
結局のところ、自ら破綻して精子を病んで休んでしまう。
そうなるともう大変で、休んだことに対してフォローしなければいけない。
周りが自分の仕事を置いて休んでしまった、
例えば僕が休んでしまったとしたら、僕の仕事を肩代わりしなければいけない。
さらに僕が相手していたお客様全員にお詫びして、その仕事を肩代わりしなければいけない。
かなり組織が苦労する。組織も苦労するし、周りのお客様とか取引先とかみんなにも迷惑をかけてしまうとか。
そういったことで、自己犠牲によって自らが破綻してしまい、
最終的には周りをみんなを不幸にしてしまうというパターン。
これは究極のパターンかもしれないんですが、そういうパターンも結構あるんじゃないかと思います。
持続可能な親切の必要性
僕が厳しめに僕を評価する人から言われるのは、
あなたは周りからはいい人と思われているかもしれないですけれども、あなたは偽善者ですよと。
要は周りにいい顔がしたいから周りにいろいろ親切にしているけれども、
その結果自らを結構犠牲にしてやっている部分があって、その犠牲にしている部分で結構周りに迷惑をかけている。
それはそれが詰まるところまで行くと、本当に休んでしまったりとかして、
もっと周りに迷惑をかけてしまうことになるんじゃないかというのが危惧される。
あなたは言い方を厳しくすれば偽善者なんじゃないかというようなことを言う人もいます。
それは実はわりと当たってはいて、実際に僕もそういった休まないまでも、
その犠牲にした部分で、その犠牲の連鎖と言いますか、
自分が犠牲にした部分の連鎖で周りに迷惑をかけてしまうというのは実は結構あって、ちょっと反省しているというようなところもあります。
これは僕の勝手なイメージなんですけれども、よく時代劇とかで、
本当にすごい良い人なんだけれども、頑張りすぎて病のとこに伏せてしまっているお父さんとかいて、
よくお父さんの若い娘とかがお父さんの病を治そう、薬を買おうとして、ちょっと悪い組織に加担してしまうとか、
ちょっと悪い組織に加担しそうになって、時代劇であれば正義の主人公とかに助けてもらうんですけれども、
ああいうよく時代劇とかに出てくる娘とか息子が一人いて、娘とか息子がお父さんの病気を何とか治そうということで、
病のとこに伏せているお父さん、申し訳ないねとか、悪いね、苦労かけてとか言っている、
よく病のとこに伏せているお父さんとかお母さんがいると思うんですけれども、
あれは実は僕の勝手な予想では、結構自己犠牲の上で自ら破綻させてしまった人なんじゃないかなという気がしています。
なので皆さんもそういった形で自己犠牲の結果、最終的に周りに迷惑をかけないように、
その時代劇でとこに伏せているお父さんじゃないですけど、自分の家族、大切な息子とか大切な人たちにむしろ迷惑をかけないように、
そういう風にしたいなとやっぱり思います。
そのためには、自己犠牲による親切というのは、あくまでも持続可能性がないので自らを破綻させてしまう。
親切というのは自己犠牲の上にするものではない。あくまでも自らが犠牲にしない余力とある中で、
親切というのはするものだということについてお話ししていきたいと思います。
ということで、今日のお話はここまでにいたします。
今日もちょっと取り留めのないお話で申し訳なかったんですが、お聞きくださりありがとうございました。
皆様に良いことが今日ありますようにお祈りしております。
それでは皆さん元気にいってらっしゃい。
08:11

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