自己理想の固定を見直す
ウィークデーの黄昏時。CAFEBAR いってらっしゃいにようこそ。マスターの一佐です。
ここは、人間関係のこと、仕事のこと、恋愛関係のこと、子育てのことなどで疲れた方が一休みしていく、ラジオ上のCAFEBARです。
今日もここを出るときには、皆さんが少しでも元気になってくだされば幸いです。
今日は、人は自分で自分自身をこうならなくてはいけない、こうあるべきだということで決めつけないというお話をしたいと思います。
僕自身真面目というわけではないんですが、こうありたい自分、こうであるべき自分というのが、少なからず人それぞれ誰しもがあるんじゃないかと思います。
それは例えば、こういう仕事の人はこうあるべきだということもあるかもしれませんし、会社内での役職、部長、課長、いろいろ肩書きがあるかと思いますが、
やっぱり人を管理する立場、部長、課長とかそういった役職であれば、そういう役職の人はこうでなければいけない。
人の上に立つ人間、人の上司となるべき人間はこうじゃなければいけないとか、結構そういうのが誰しもあるんじゃないかと思います。
それは同じ会社で長く仕事をしていればいるほど、理想の上司とか、こうありたいという人もまた出てくるので、そういった傾向はどんどん強くなってくるんじゃないかと思います。
やっぱりそういうふうに自分がこうならなくてはいけない、こうあるべきだというふうに自分をがんじがらめにしてしまうと、そうするとやっぱりどんどん考え方が硬直的になってきてしまうと、
やっぱりこうあるべきなのにできない自分、こうなりたいのになれない自分、それはもしかしたら環境のせいかもしれない、時間が足りないのかもしれない、周りの部下、同僚が自分の思っているとおりに動いてくれないのかもしれない。
いろんな要素があって、やっぱり自分がこうありたい、こうあるべきだというような自分にはならないということは、必ずどんな皆さんについてもあるんじゃないか。必ずやると思っています。
その結果どうなるかというと、やっぱりポキッと折れてしまうんですね。やっぱり硬直的になった、こうあるべきだ、こうならなければいけないという理想の姿にがんじがらめになってしまった自分というのは、どうしても硬直的になってしまうので、現実としてさまざまな要素があってそうならない自分。
そういったところを直面してしまうと、やっぱり硬直的であるがゆえにポキッと折れてしまう。つまりは心が折れてしまう。会社なんかで言えば療養に入ってしまうとか、そういったことがやっぱり往々にして起こり得るのかなというふうに考えています。
不完全を受け入れる
やっぱりそうはならない、そうなりたくないと誰しも皆さん思っているかと思いますので、それにはやっぱり自ら自分の理想だったりとか、こうあるべきだという姿を自分自身で決めない。
やっぱりある程度不完全な自分、理想はあるかもしれないけれども、その理想とはまたちょっと違う、そうはなれない、それとはまた違う不完全な自分というのを直視して、それを受け入れる不完全な自分もあるんだよ。
理想の通りにはできない自分、そうはなり得ない自分というのもあるんだよというのを常に受け入れて認めてあげるというのも大事なことなんじゃないかなというふうに思っています。
ということで、今日は心が折れないために自分はこうあるべきだ、こうならなければいけない自分というのを決めつけない、硬直的になりすぎないということについてお話をしてきました。
今日も聞いてくださりありがとうございました。
またこのお店を出るときには元気になって行ってくださればありがたいです。
それではありがとうございました。